蒼き鋼のアルペジオ ―Auferstehung―   作:主(ぬし)

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思いの外長くなったので、キリの良い所で投稿します。サブタイトルも変更しました。おどろおどろしい感じが書き表せられてるといいなあ。


Depth 03

 ワンッ。

 耳元で、小型犬の声が弾けた。

 

 ワンッ。

 起きろ、と俺を呼んでいる。ただ吠えているのではない。俺にはよくわかった。なぜな

ら、鳴き声はかつての友だち(・・・)のそれだったからだ。

 

―――ああ、久しぶりだな。

 

 胸を締め付ける懐かしさにふっと目を開くと、綿あめのような毛並みの犬がじっと俺を見下ろしていた。まるで雲の中にいるような、目も眩む真っ白な世界。その白濁を背景に、同じくらい真っ白な柴犬のどんぐり(まなこ)が2つ浮かび、情けなく仰臥するかつての友を映している。ふわふわと豊かな毛並みから漂う、陽の光をいっぱいに浴びた芝生の匂い。ニコニコと微笑んでいるような優しげな表情。何もかも、20年前に見た時の姿そのままだった。

 "由緒正しい軍人家系"というやつは、子どもにとっては不自由を強いる檻でしかなか

った。相応しく無い、と家長の一声で友人が奪われ、自分の意志で屋敷の外に出ることも許されない。そうして寂しい思いをしていた幼少の俺にとって、唯一の味方は年老いた祖母だけだった。沈みがちな俺をいつも気に掛け、話し相手になり、かつて軍艦の艦長だったという祖父が体験した海の話を聞かせて気を紛らわせてくれた。その祖母が亡くなる直前に与えてくれたのが、この小さな友だちだった。きっと様々な障害を乗り越える必要があったろうに、祖母はそんなことなどおくびにも出さずそっと俺の手にこいつを抱かせてくれた。人懐っこい子犬は俺の鼻先をチロリと舐めるとニコニコと楽しげに首を傾げた。

俺はその無垢な温もりを泣きながら抱きしめた。ずっと大切にすると病床の祖母に誓い、強い意志で貫徹した。

 

―――俺たち、いつも一緒だったよな。

 

 小さな身体で俺の後ろを健気に追いかけていた白毛の子犬は、肯定を込めて「ワン」と応えてくれる。

 俺たちは本当の家族よりも強い絆で結ばれていた。そういう条件だったのか、犬の世話について周囲の大人たちは一切手を差し伸べようとはしなかった。俺は歳相応に精一杯の世話をして、気の優しい子犬は病気で命を落とす最期の刻までそれに応えてくれた。

 どうして、名前を忘れてしまっていたのか。現状を打破する力を求めて必死になるあまり、本当に大事なものを見失っていたのかもしれない。他者への無償の慈しみ、大切な者を得る喜び、そして失うつらさを俺に教えてくれた家族だというのに。死んだ後もこうして俺に会いに来てくれる無二の親友だというのに。

 

ワンッ。

 

 「なにしてる、さあ、起きろ」。そう促された気がした。干しブドウのような鼻先を頬に何度も押しつけてくる。行け、行け、と急かし立てているようだ。せっかく会えたのに、どうしてそんなに素っ気ないんだ。お前が死んで何十年経ったと思ってる。俺はこんなにでかくなった。いろいろ話したいことがたくさんあるんだ。

 しかし、訝しる俺をなおも急かしてくる様子は明らかに切羽詰まっているようだ。いったいどうした? そんなに慌てて、何があったっていうんだ。

 ......待て、そもそも俺は、どうしてこんなところで、こんなことになっている? 大切なことを忘れている気がする。じわじわとした焦燥感ばかりが湧き上がって、肝心の記憶が曖昧なまま掴めない。

 俺は......俺はたしか、大きくて強大な()を手に入れようと......いや、小さくてか弱い()を守ろうとして、彼女(・・)をこの腕の中に抱いて、そして、

 

 

―――悪かったな、戦艦じゃなくてっ―――

 

 

 刹那。額の内側で白銀の閃光が弾け、一つの光景に像を結ぶ。

 地平線の果てまで広がるエメラルド色の大海原。太陽の逆光を背に、透き通るほどに白い裸体がこちらを見下ろしている。陽光に煌めいて大きく広がる銀長髪はまるで天使の翼。深い瑠璃色の瞳は星を映す夜明けの海のように神秘的な色彩を帯びて、ずっと見ていても飽きない。そんな見た目は信じられないほど美しいのに、話してみると中身の残念具合は甚だしく、そのギャップが奇妙に親しみやすい。ニコニコと楽しげに微笑んで、子犬のように人懐っこくて、少年のように小生意気で、

 

 

―――欠陥潜水艦と一緒に沈むなんて御免でしょ?―――

―――会いに来てくれて、嬉しかったよ―――

 

 

 だけど、他者を想う優しさと、少女の儚さを秘めている。

 その表情に、一挙手一投足に、不思議と心が揺さぶられる。護ってやらなければという男の義務感が湧き上がり、熱い力が全身に満ちてくる。この少女のためなら、この少女となら、何だってできるという全能感すら抱かせてくれる。

 そんな、俺の大事な潜水艦(パートナー)

 

 

 

ワンッ。

 

「あの娘が泣いてる。お前の助けを待ってる。早く行ってやれ」。たしかにそう言った。

 

―――ああ、そうだな。あんまり待たせちゃ、フラれちまう。思い出させてくれて、ありがとな。

 

 友の頭に手を置き、万感の思いを込めてくしゃっと手の平全体で撫でる。黒豆のような瞳がニコリと満足気に笑い、その途端、世界が音を立てて揺らいだ。周囲を包み込んでいた暖かさが急激に失せ、意識が現実に向かって引き戻されていくのを感じる。名残惜しいが、懐かしい邂逅はこれで終わりのようだ。

 そうだ、最後に断りを入れておこう。拝借(・・)する前に、一応先代に許可を取っ

ておくべきだ。艦番号で呼ぶのは味気ないし、アイツのふにゃっとした気の抜けた笑顔にはこの名前がよく似合ってる。

 靄のように薄れていく友の顔を見つめ、そっと問う。

 

―――なあ、お前の名前をアイツに譲ろうと思うんだけど、いいか?

 

 もう鳴き声は聞こえない。ニコニコとした顔も見えなくなる。視界は白から無に代わり、瞼の裏の闇になる。後頭部と背中に現実の硬い振動を感じる。意識の覚醒が近い。

 ふと、親指の先をチロリと舐められたような感覚があった。「いいぞ。大事にしてやれよ」。そう言ってくれた気がした。それで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新石川島播磨重工業(NIHI)製ターボシャフト・ガスタービンエンジン4基が(ゴウ)と吸気の雄叫びを上げ、全長189メートルの鉄の砦を8.5万馬力もの機関出力で驀進させる。向かい波を真正面から切り裂いて突き進む姿は傍から見れば勇壮そのものだが、内情はまったく異なる。乗員の誰も彼も一切の余裕はなく、汗にまみれたその顔は怒涛の緊張に打ちひしがれていた。

 

なぜなら―――彼らは今、追われている(・・・・・・)からだ。

 

接触 (インターセプト)3秒前―――スタンバイ――― 衝突位置到達 (マークインターセプト)!!』

 

 切羽詰まった砲雷科員の報告に次いで、ズズン、と後方で重い爆発音が響いた。対艦ミサイルの弾頭部に搭載された100キロに達する炸薬が空中(・・)で無数の大火輪を咲かせ、曇天を紅蓮に照らし上げる。近距離での大爆発の余波は、海面を切り裂きながら『磯風Ⅲ』にも襲いかかる。数秒遅れで空気の波を伝播した爆風と衝撃波(オーバープレッシャー)が艦尾を力任せに叩きつけ、幾つかのアンテナが根本から抉れ吹き飛び、分厚い装甲が捩れる不協和音が乗員の背筋を劈く。

 

『さ、最後のスーパーハープーン、着弾寸前(・・・・)で信号途絶! 全弾、目標到

達前に撃墜されました!』

「ぜ、全弾だとッ!? 発射した62発が全て同時に撃ち落とされたのか!?」

『間違いありません! 強制波動装甲(クラインフィールド)の展開も確認! 敵艦の

重力子反応、尚も健在! 本艦に向けてまっすぐ突っ込んできます!』

「く、クラインフィールドだと......!?」

 

 耳に入る報告は悉く状況の悪化を示すものばかりで、宮津は耳を塞いで現実から逃れたい衝動に襲われた。多數の乗員の命を預かる艦長の重責が辛うじて軽挙を抑制したが、それで事態が好転するわけもない。

 

(撃てる全てのミサイルをつぎ込んだ全力攻撃だというのに......化け物め......!)

 

 宮津の正面、先ほどの衝撃で罅が走った多目的ディスプレイには、35ノットの快速を誇るはずの『磯風Ⅲ』の艦尾に今にも食らいつかんとするターゲットの影がハッキリと表示されている。レーダーアンテナが一回転する度に、両者の相対距離を示す影はぐんぐんと狭められて行く。地獄の底まで付け狙うような猛追には感情を持たない"霧"らしからぬ害意が感じられた。

 

「"霧"は大型艦艇しか強制波動装甲(クラインフィールド)を装備していないんじゃな

かったのか!?」

「畜生、これのどこが"漂流艦"なんだ......!」

 

 艦橋部(ブリッジ)に詰める士官たちが戸惑いの滲む声を漏らす。クラインフィール

ドを持たないはずの小型の"霧"が大戦艦級の波動を漲らせて追い縋ってくるという理解

不能な状況、そして、四方を海に囲まれて逃げたくても逃げられないという状況が乗員たちの焦燥に拍車を掛けていた。

 偵察衛星の画像から、司令部は漂流する目標を魚雷艇のような小規模艦艇であると推測していた。少なくとも海面から上(・・・・・)の部分はたしかにその程度の大きさだったし、今まで陸地に接近してくる"霧"はほとんどが監視目的の小型艦艇だった。付け加えて、漂流しているということはダメージを負っている可能性が高い。クラインフィールドという反則的なバリアさえ無ければ人類の兵器でも有効打を与えられることは前大戦でも証明されていた。それ故に、司令部は陸海軍共同開発の新型魚雷による撃破が可能だと判断したのだ。たとえ、目標が"霧"の中では脆弱な部類に入る相手であろうと、さらに手負いの虎であろうと、今まで煮え湯ばかり飲まされてきた仇敵を人類のみの力で打ち倒せたなら、そこには大きな意義―――"霧"への反撃に陸軍と空軍が寄与した事実―――がある。それは主戦場たる海から弾き出されて焦る彼らが自らの必要性と有用性を誇示するための政治であり、意地でもあった。

 その結果、白羽の矢を帯びて虎穴に飛び込んだ愚か者を待っていたのは、虎より遥かに恐ろしい獣の(あぎと)だった。

 

『こちら応急長! 先ほどの衝撃により第二装薬室でガス発生! 第三分隊防火員は至急酸素呼吸器(OBA)を装着し非常対処(ダメージコントロール)を―――』

『甲板見張り員は対空見張りを厳となせ! 繰り返す、甲板見張り員は―――』

 

 怒号が交錯する艦内は混乱を極めていた。おそらくは水密扉(ハッチ)の向こう、艦

内各所のクルーたちも怯えの極限にあるに違いない。鳴り止まない爆音と警報が耳朶を叩き、赤く明滅する照明に追い立てられる中、過負荷で焼けた装置から有害な煙が吹き出して面体(マスク)をしていても目や喉の粘膜に激痛の爪を突き立ててくる。「次の瞬間には死ぬかもしれない」という恐怖から目を逸らすために目の前の作業に必死に集中するしかない。全乗組員の緊張は限界寸前まで張り詰め、それを察した宮津の精神と皮膚もまた今にも裂けんばかりに突っ張っていた。

 

「そ、相対距離が30キロを割りました! 30、35、40ノット......! 信じられない加速です!」

「い、いくら"霧"とは言え、小型艦艇がそれほどの加速力を持つはずがないだろう!」

「しかし、事実です! パルスレーダーも磁気捜索装置(MAD)も同じ結果を示してい

ます!」

「......ッ!」

 

 レーダーが再び後方を策敵し、表示された距離がついに30キロを割った。それは肉眼で視認できるほどであり、遠距離戦を得意とする現代艦にとっては間合いの内側に入られたに等しい。喉元に迫りきった正体不明の敵の圧力に、先に取り乱したのは宮津ではなく彼よりわずかに経験の劣る副長の竹中だった。宮津の手から艦内マイクをむしり取り、青ざめた頬を震わせる。

 

「砲雷長ッ、ミサイルと魚雷の次弾装填はまだか!?」

『やっていますが、あと15分はかかります!』

「遅すぎる、もっと急げ! 安全確認作業は省いて構わん! 全員死ぬぞ!」

『り、了解!』

 

 眼の色を変えて唾を飛ばす竹中が冷静さを欠いているのは目に見えてわかったが、誰にもそれを非難する余裕はなかった。艦内で唯一の上官である宮津ですら竹中の狼狽は痛いほど理解できた。

 現代の水上軍艦は、攻撃兵器の発展と効率の観点から"一撃必殺"の思想を念頭に置い

て設計・建造されている。『磯風Ⅲ』もその例に漏れず、敵よりも早く照準し、初弾で仕留めることにこそ全ての性能が傾注される。その戦法が通じない敵と相見えるということは、即ち"敗北"を―――221名の乗員全ての死を意味する。

 

『後甲板よりブリッジ! 艦尾6時方向、目測距離約25キロにわずかに敵影を視認! あ、あれは......!?』

『CIC電測員(ソーナー)よりブリッジ! 高周波ソナーで敵艦種を識別できました! 海面より下に巨大な反響あり! 敵は半潜水状態で航行している潜水艦(・・・)です! 潜水艦にしてはかなり大きい―――中型護衛艦(MDE)なみのデカブツです!』

 

 各所から唱和される報告に、宮津はようやく司令部が目標を小規模艦艇と見誤ったことの合点がいった。衛星画像に写っていたのは海面からわずかに覗いていた潜水艦の艦橋構造物(あたま)だけだったのだ。

 ツメが甘いと司令部や空軍を謗ることは出来ない。"霧"を監視しようと静止軌道まで高度を落とした各国の偵察衛星は次々に撃墜され、新たに打ち上げたロケットも"霧"の

│高角速射光線砲《パルスレーザー》で破壊されてしまった。わずかに残された耐用年数ギリギリの衛星を騙し騙しで使用している有り様の人類には、来るべき大反抗作戦の前に残り僅かなそれらをおいそれと危険に晒す余裕はない。資源のない日本なら尚さらだ。そういう安全確認のためのリスクすら冒せないのが統制日本軍の困窮した実情であったし、そもそもにして潜水艦が昼間から海流に乗って日光浴をしているなどという非常識を誰が予想できようか。

 対峙してしまった厳しい現実と向き合い、気息一つで受け入れた宮津は己の制帽にそっと触れる。鍔に施された桜葉の刺繍を指先に触れ、その職責と重責を思い起こすと眼光を鋭く引き締める。

 

「落ち着かんか、副長ッ!!」

 

 艦内に伝染しかけた動揺の火種を掻き消すように全身全霊の声で諌める。半生を捧げた海軍人の矜持がそうさせたのだった。呼ばれた竹中は、何時になく厳格な宮津の大音声(だいおんじょう)に「はっ!」と踵を合わせて直立姿勢で振り返る。先ほどまでの狼狽ぶりとは打って変わった沈着な顔には己の役割を墨守するいつもの副長が戻っていた。竹中もまた矜持を取り戻してくれたことを確認し、宮津は出来る限りの冷静な態度で命令を発する。

 各員が落ち着いて最大限の力を発揮すれば必ず道は開ける。少なくとも、そう信じ抜くことで護られる尊厳はある。

 

「撃ち尽くしたVLS区画の電源をカットしろ! 操舵手、補助エンジン及び緊急用エンジ

ンの全力運転を許可する! エネルギーを全て推進機関に回して速度を前進一杯に引き上げるんだ! この艦なら耐えられる!」

「了解! 機関課に伝達後、速度前進一杯!」

 

 護衛艦の速度には『最大戦速』よりまだ上が存在する。それが限界を超えた『前進一杯』であり、最新鋭艦でも使用すれば機関部の全損は免れない。だが、大海戦前の資源が豊富だった時代に建造された『磯風Ⅲ』の堅牢な機関部は数分以上は耐えられる。この艦を預かって長い宮津には確信があった。その厚い信頼に、『磯風Ⅲ』はぐんと力強い加速で応える。

 

『相対距離、25キロで停止! 現在この距離を維持しています!』

「よし。副長、次弾装填はあと何分掛かるか!」

「VLSは残弾無し。現在、両舷部ミサイルランチャーと短魚雷発射管に、それぞれ次世代艦対空ミサイル(スーパー・スパロー)、スタンダードミサイル、新型37式魚雷を緊急装填中です。急ピッチでやらせていますが、それでもあと8分はかかります」

 

 竹中は叩き上げ幹部として幾つもの艦で砲雷長を歴任してきた。経験豊富なミサイル士たちがどう頑張っても、彼が8分と言うのならそれ以下にはならないだろう。それまで時間を稼がねばならない。不安を脇に押し退け、代わりにそこに居座った艦長の思考が加速する。伊達に即応艦(ロメオ)をやっているわけではない。艦のあらゆる性能を諳んじている宮津は現状で取りうる選択肢を探していく。

 垂直発射装置(VLS)は一度ミサイルを打つとクレーンによる大掛かりな作業でしか再装填が出来ない。撃ち尽くしてしまった以上、使い物にはならない。艦尾の近接防御火器システム(CIWS)を牽制に使えないか? いや、無駄だろう。劣化ウラン被覆弾を初速2300メートル秒、毎分8000発も発射できる高性能30ミリ機関砲でも強制波動装甲(クラインフィールド)の前には豆鉄砲にすら劣る。では艦首に装備された最大有効射程110キロを誇る新日本製鉄所(NJSW)製60口径145ミリ二連装速射砲ならどうか?高純度の鋼鉄と製鉄技術の粋を結集して造られたこの堅牢な大砲の性能は最新鋭艦のそれにも劣らず、命中精度と最大射程はむしろ上回っている。だが、駄目だ。真後ろの敵に命中させるには回頭せねばならないが、そうしている間に追いつかれる。第一、命中したところで意味があるとは思えない。

 その他、機雷、チャフなど様々な装備が思考の渦に投げ込まれては虚しく底に消えていく。果たせるかな、旧式の護衛艦には敵を打倒しうる力はない。この『磯風Ⅲ』が唯一最新鋭艦に勝るのは、優れた設計と堅牢な機関部による足の速さだ。このままとにかく逃げ続けて時間を稼ぎ、残されたミサイルと新型魚雷で敵の足を止めるための打開策を探す他ない。

 その打開策のヒントを得るべく、宮津はCICの一角に篭もるソーナー員を呼び出す。敵の正体が明確になればやりようも見えてくるはずだ。

 

「CICソーナー、敵の艦種は判明したか!」

『現在、敵艦の重力子機関(グラビティ・エンジン)の波動データをライブラリに照合中です!……照合結果、出ました! コンピュータは―――コンピュータは、敵艦を『イ401』と識別しています!』

 

 『イ401(・・・・)』―――。その艦名は、力強い言霊を伴ってそれぞれの胸に突き立った。

 通称を"蒼き鋼"。日本の、いや、世界の希望。諦観する人類を奮い立たせる若い光。暗雲立ち込める未来に風穴を開ける勇気の象徴。地球上で唯一、"霧"と互角以上に戦える、少年少女たちが従える"霧"の大型潜水艦。それが『イ401』だ。

 

「まさか、千早大佐の子息の(ふね)なのか……?」

「あの潜水艦が……」

 

 宮津と竹中が喉を感情に震わせる。宮津は、現『イ401』の艦長である千早 群像の父親であり、後の"人類の裏切り者"となる千早 翔像大佐とかつて艦首を並べて海を馳せた過去があった。また、竹中は横須賀の海洋技術総合学院で拿捕されたばかりの『イ401』を見上げ、旧時代艦の皮の下に恐るべき破壊力を内包した"霧"の威容に慄いた記憶を鮮明に残していた。『イ401』にそれぞれ由縁を持つ彼らは、人間を弄ぶ運命の理不尽さを痛感した。腹を空かせたネズミが勢い良く噛み付いたのは、よりにもよって勇壮たる雄獅子の尻尾だったのだ。

 

「で、では、本艦は『イ401』を誤って攻撃してしまい、『イ401』はこちらを敵と誤

認して反撃しようとしているということでしょうか?」

 

 こちらを振り返った航海長が安堵の色明らかに呟く。その通りなら、誤解を解けばこの恐ろしい逃走劇は終わりを告げるはずだ。だが、優秀な艦乗りだった千早大佐の血を受け継いだ彼の一人息子、千早 群像の噂を耳にしたことのある宮津はそうは思えなかった。

 

(『イ401』を操るのは皆スマートな若者ばかりと聞く。こんな、わざと獲物をいたぶる

ような真似をするだろうか?)

 

 背後の艦が本当に千早 群像の『イ401』であるのなら、当然、攻撃してきたのが人類の護衛艦だととっくに理解しているだろうし、本意では無かったことも察しているだろう。

 彼が噂通りの艦長なら、自艦より遥かに性能の劣るロートル護衛艦を執拗に追撃するのではなく、もっと理性的な行動を取るのではないか。わざと恐怖を植え付けるようにじわじわと距離を詰めてくる背後の潜水艦は嗜虐的な負の感情をありありと滲ませているようで、宮津はその期待をにわかに信じられなかった。そして案の定、聴音一筋12年の実績を持つソーナー員は僅かに差した希望を苦しげな報告で両断する。

 

『似ていますが、『イ401』とは音紋(ピッチ)が若干違います。こっちの方が鈍くて重い。コンピュータには聞き分けられない程度の微かな差異ですが、自分にはわかります。おそらく、『イ401』の同型艦です』

 

 "戦艦殺し"の同型艦。ブリッジに呆然とした沈黙が落ちる。おそらくCICも同じだろう。『イ401』に姉妹艦がいることは、モデルとされる太平洋戦争時の『伊号四00型』が複数建造されたことを考えれば自然に推察できる。"戦艦殺し"の二つ名の通り、『イ401』は"霧"の大戦艦や軽巡、重巡洋艦を単艦で次々に打倒してきた。日本統制海軍が束になってかかってもその内の一隻とて打ち破れはしないことを考えれば、『イ401』の

戦闘力の高さは"霧"の中でも群を抜いているに違いない。そして、その同型艦も『イ401』に比肩する戦闘力を秘めていることは想像に難くない。

 魚雷艇などの小型艦艇はまだ辛うじて人類が太刀打ち出来る。しかし、それ以上のクラスになるともはや手が届かない。技術格差の問題ではない。生きるために生きてきた猿の延長生物と、戦うために生まれてきた機械生命体の彼女たちとでは、力の次元(・・・・)が異なるのだ。そんな圧倒的すぎる敵にたった一隻で挑んでしまった愚かな護衛艦(ネズミ)が逃がしてもらえる道理など、万に一つもありはしない。

 沈黙の緞帳を破ったのは、外周監視モニターを食い入るように見つめていた航海課員だった。

 

「て、敵影を視認! か、艦橋最頂部のカメラが敵影を補足しています! 正面ディスプレイに出します!」

 

 いつの間に近づかれた―――!?

 驚愕する宮津たちの目の前で多目的ディスプレイの表示が鋭く明滅する。艦外カメラの捉えた映像が視界の端から端まで埋め尽くし、図らずも立ち上がった宮津は今度こそ絶望の淵を覗く羽目になった。

 ディスプレイを目にした誰もが息を呑み、恐怖に我を忘れた。

 "霧"らしい無機質な艦艇がそこに映っていれば、まだ良かった。人類の仇敵と刃を交えて敗れるのであれば、その死を誇れずとも納得して受け入れられる。今はまだ力及ばずとも、いつか必ず人類は一矢報いて"霧"に反撃する。自分たちは尊い犠牲となれど、無為にはならない。その希望と反骨の精神が死の恐怖を薄れさせてくれるはずだった。

 

 

「―――これは、本当に"霧"なのか」

 

 

 唖然とした呟きに、全員が「違う」と胸中に叫んだ。

 人間は、その歴史の始まりからあらゆる障害と戦い、ねじ伏せてきた。何世代にもわたって知慧と経験を積み重ね、人間を目の敵にする凶暴な獣や恐るべき天災を跳ね除けてきた。理屈を分析し、試行錯誤の果てに未知を踏破し、戦訓を構築し、自信と確信を重ね、脅かされる側から駆逐する側に回ってきた。"霧"でさえ、人間はやがて互角に戦う力を手に入れるだろう。しかし、古来から幽霊や怪物には決して抗えなかった。魑魅魍魎は常に人間の理解を拒み続け、手の届かない闇に潜む。どんなに強力な武器でも、暗闇とは戦えない。

 目の前のソレ(・・)は、まさしくその類いの非現実的なナニカだった。

 

(なんて禍々しい化け物(・・・)なんだ)

 

 それは"潜水艦"という括りで捉えられるものではなかった。"霧"という括りからも外れていた。

 墨を流したようなのっぺりとした艦体は、黒いというより昏い(・・)。金属というよりむしろ爬虫類の皮じみて、生き物の生々しい潤いに艶めいている。てらてら(・・・・)とした装甲表面に走り狂う真紅の紫電は、裂けた薄皮から噴き出す鮮血そのもの。動きに合わせてゆらゆらと波打つ海面はその速度に比べて不自然に穏やかで、まるで胴体をくねらせながら這いずっているかのようだ。人間の常識から著しく逸脱した、"霧"でも"機械"

でもない異形のナニカ。化け物としか言いようが無いそれは、かつて数多の船乗りたちを海底に引きずり込んだ巨大な蛇、深海の怪竜(リヴァイアサン)の伝承を否が応にも連想させた。

 化け物の頭部、鋭い艦首両舷の装甲表面でギョロリと眼が開く(・・・・)。燠火のような昏い光を放つ一対のそれは"霧"の紋様(バイナルパターン)にも見えたが、毒々しい赭色(あかいろ)はやはり眼球と言う他ない。血走って充血に濁った眼が殺意に漲り、狂気にあてられた乗員が「ひっ」と子どもじみた悲鳴を上げてその場に跪く。

 

(……これは、逃がしてもらえそうにないな)

 

 艦長席に腰を落とした宮津は途方も無い絶望感に天を仰いだ。磨き上げられていても経年劣化を感じさせる艦橋天井を見つめ、寂しげに目を細める。退官まで残すところあと1年と少しだった。ここに来て貧乏くじを引いてしまった己の不運と、それに大切な乗員を付きあわせてしまった申し訳無さに宮津は奥歯を噛みしめる。激動の時世に軍人となった以上、命を失う覚悟はあった。覚悟はあったが、国からお預かりした艦と(おか)に家族を残す乗員たちをむざむざ失う痛みは平静に受け止められるものではなく、耐え難い無力感が肩に重く伸し掛かる。

 まだ戦闘力を維持する艦をむざむざ捨てるのは艦長としてこれ以上ない恥辱だ。しかし、あれを前に抵抗が意味を成すとは到底思えない。ならば、せめて次代を担う者たちを残すために一人でも多くの乗員を生き延びさせねばならない。全員は無理だろう。"霧"に海洋封鎖された海では大規模な救援活動が望めない以上、脱出した乗員が陸に戻られる保証はない。狂気の化け物が脱出艇を見逃してくれる保証もない。けれども、わずかな可能性に

掛ける他ない。

 「総員退艦」。艦長が決して口にしたくない命令を迸らせようと口を開きかけた次の瞬間、

 

『は、激しい電磁反応を感知! 反応が大きすぎる―――か、観測限界域を突破! 観測不能!!』

『と、電波探知装置(TOP)及びソーナー、磁場の負荷に耐え切れません! 全機能オフライン! そんな……!!』

 

 言うが早いか、目に見える全ての計器が突如として異常な振り幅を示したかと思いきや次々に液晶パネルごと破裂して機能を停止する。シールドされた軍艦のセンサーを瞬時に破壊するほどの電磁波―――大気を急激に超高圧縮化して発生させたプラズマを超電導リニアで強制誘導する際に発生する、怒り狂う電子の荒波。

 

『て、敵艦に発光を確認!!』

 

 ハッと宮津が見上げた先、艦外カメラが捉えた潜水艦(ばけもの)の甲板で冷たく強烈な白光が膨張し、瞬く間にレンズを焼いてディスプレイを無に染める。黒い鏡となったディスプレイに映り込む己と顔を突き合わせ、その表情が見る見る色を失っていく。自然の摂理を無視した膨大な電磁波と熱量―――軌道上の偵察衛星すら撃ち落とす、高角速射光線砲(パルスレーザー)。その事象の原因ともたらす結果に思い当たった宮津が艦内マイクを掴むのと激しい衝撃が走るのはほとんど同時だった。

 

「総員、衝撃に――――」

 

 後方より突き上げてきた激震が宮津を椅子から弾き飛ばした。轟音と熱波の見えざる巨拳に殴りつけられた艦体がぐんと前方に押し出されたのだ。残らず砕け散っていく窓ガラスを視界の隅に入れながら、一瞬で上下の感覚を失った宮津の肉体は宙に直線を描いてコンソールに激突した。コンソールに並ぶ機器を背中で滅茶苦茶に叩き潰し、ピンポン球のように跳ねた身体は慣性に従って床に乱暴に投げ出される。全ては一秒の間のことで、宮津は自分に何が起きたのかも把握できなかった。

 

「損害、報、こ」

 

 絞り出された声はほとんど脊髄から反射で(こぼ)れたものだった。痛みと認識できない電流が初老の神経をズタズタに寸断し、視界が見る間に灰色に濁っていく。かろうじて途切れなかった意識を繋ぎ留めようと四肢になけなしの力を込めるが、ビクッとした痙攣を最後にして指先から感覚が消え失せていく。手の平から砂と化して滑り落ちていく五感の中で、艦橋部(ブリッジ)全体がシーソーのように前のめりに傾くのを感じる。配線の耐火ゴムが焼ける刺激臭が鼻孔を突き、ギリギリと鋼鉄が捻じれひしゃげる音が鼓膜をつんざく。限界を超えた衝撃に『磯風Ⅲ』が悲痛な嘶きをあげてのたうち回っている。

 

(すまない、『磯風Ⅲ』。すまない、皆)

 

 轟く破砕音、警報、怒号、呻き声、「艦長」と走り寄ってくる副長の叫び、それらが急激に遠ざかり、何もかもが薄暮のように薄れていく。

 意識が途切れるまでのわずかな瞬刻―――。冷気に満ちた闇の奥に、宮津は何者かの手招く気配を感じた。何万メートルもの海の底から、何者かの薄い目がこちらをじっと睨め上げている。人間の決意も矜持も無慈悲に踏みにじり、生きとし生けるものを喰らい尽くす魔性。人間も"霧"も区別なく、命の熱を妬み奪う怨念の塊。黒く澱んだ深海に棲まう、人間でも"霧"でもない正真正銘の化け物(・・・)

 「貴様が正体か...!」。呻いた宮津を嘲笑うように、暗闇の緞帳の隙間から幾本もの青白い手が伸びて足首に絡みついてくる。命の宿りを一切感じないつららのような冷たい指は人間の女にそっくりで、それが皮膚に食い込んだかと思いきや恐ろしい力で水底に引きずり込まれる。戦慄に叫んだ宮津のすぐ耳元で少女の声(・・・・)がゴボゴボと低く囁く。

 

 

―――お前も沈め

 

 

 血が逆流する絶大な恐怖を最後に、宮津の意識は深海の闇に溶かし込まれた。




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