蒼き鋼のアルペジオ ―Auferstehung―   作:主(ぬし)

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短いですがキリがいいところまでを投稿します。「原作を知らないけど面白い」という感想、特にありがたいです。キャラクターに魅力を与えられたんだなと実感できます。感謝。


Depth 05

ワンッ。

耳元で、小型犬の声が弾けた。

 

ワンッ。

「起きろ」とオレを呼んでいるような気がした。

 

 

 

『……なん、だよ。せっかくひとがいい気分で寝てるっていうのに』

 

 正直に言うと、まったく“いい気分”なんかじゃなかった。ここは暗くて、寒くて、寂しい。冷たい大波に攫われて、どんどん海底へと引きずり込まれていく。自力で上がれる深度はとうに超えた。諦めて、でも諦めきれなくて、なにか未練(・・)を残しているような気がして。それでもどうすることも出来ず、オレはじっと目を閉じて、自分が消えるのを待っていた。いや、誰か(・・)が助けに来てくれるのを待っているのか。もう、それもわからなくなってしまっていた。

 

『オレは……どうして、こんなところに……?』

 

 薄く目を開けて、眼前に両の手を掲げて見る。暗闇にポツンと浮かぶ、真っ白くてか細い女の子の手。その手が、小刻みに震えている。力の入らない手で自分の両肩を抱きしめれば、冷え切ってしまった頼りない少女の肉体の感触がする。オレの姿形はイ405のメンタルモデルのままだ。だけど、どうしてそうなったのか、段々と思い出せなくなってきていた。ここが『蒼き鋼のアルペジオ』の世界だということはなんとなく覚えている。

 

『オレ……なにしてたんだっけ……?』

 

 だけど、それより前のことも、後のことも、なんだかぼんやりと不定形な記憶になってしまっていた。まるでカキ氷みたいに削られているように記憶が消えていく。いったいオレは何分、何時間、何日、こうして無力に揺蕩っているのか。それすらも虚ろになっていた。

 

『でも───もう、どうでもいいや……』

 

 微睡むような力のない呟きが泡となって唇から溢れる。小さな気泡の群れが消えていくのをオレはぼんやりと無気力に眺めていた。自分が裏返って、別の何かに無理やり取って代わられて、その何かにオレ自身が吸収されようとしている。肉体も、記憶も、感情も、何もかも。もう、自分自身の軌跡すら満足に思い出せない。名前はなんだったろう。生い立ちはどうだったろう。

 

『……寒い』

 

 潮が引くように生命力が引いていく寒々しい実感。自分という存在が希釈されていくような虚ろな感覚だけが全身を支配する。このままでは、きっと自分は極限まで薄められて、やがて跡形もなく消えてしまうに違いない。そんな漠然とした直感はあれど、不安や危機感を沸き立たせてくれる気力はすでに事切れたあとだった。

 

『もう、一人ぼっちは、嫌だよ』

 

 それでも、オレはまだここにいる。もはやほとんど思い出せないけど、大切な何かを───大切な誰か(・・)を忘れたくなくて。自分を必要だと言ってくれた誰か(・・)のことだけは奪われたくなくて。その誰かへの感情(おもい)だけは護ろうと、オレはわずかに残った精神力を削りながら、かろうじてここに留まっている。

 

『思い出したい。忘れたくない。せめてあの人(・・・)のことだけは』

 

 とうに消えてもおかしくないオレを辛うじて引き留めてくれている誰か(・・)。孤独なオレに“会いに来た”と言ってくれた人間。力強い腕でオレを護ってくれた男の人。その人のことを思い出したくても、もう思い出せない。声も、顔も、体温も、匂いも、手を伸ばしても届かないところに遠ざかっていく。ぼやけた輪郭だけが瞼の裏に映る。それが、それだけが、たまらなく寂しい。

 

『……寂しいよ。迎えに来て。助けに来て。広い海原で、また(・・)オレを見つけて、駆けつけてきて……』

 

 

 

 

ワンッ。

 

 

 

 

 「なにしてる、さあ、目を覚ませ」。そう言われた気がして、オレは鬱屈としていた意識を渋々覚醒させる。重い瞼を開けることすら大変な労力を必要とするのに。いざ目を開けてみたら、やっぱり何も変わらなかった。そこにあるのは、押し潰してくるような膨大な海水と墨汁のような闇だけ「ワンッ!」

 

『わひゃあっ!?なな、なんでこんなとこに柴犬がいるんだ!?』

 

 間の抜けきった悲鳴をあげて飛び起きる。でも、突然、なんの脈絡もなく腕のなかにちっこい柴犬が現れたらそうなるのも仕方がないと思う。柴犬は驚いて尻もちをついたオレの薄い胸元に顔を突っ込んで来たかと思うと、そのまま木登りでもするように半身を登ってきて頬をペロペロと舐めてきた。

 

『あははっ、や、やめろよっ』

 

 踏み台にされている乳房がくすぐったい。くすぐったいけど、優しくて、温かい。柴犬はオレを元気づけようと一生懸命に顔を舐めてくる。一人ぼっちだったことを忘れさせてくれるほどに乱暴で、人懐っこくて、なんだか放っておけない。

 

『───あれ?』

 

 不意に、同じような感情を誰かに対して抱いたことを思い出した。優しくて、暖かくて、乱暴で、人懐っこくて、放っておけない。この『蒼き鋼のアルペジオ』の世界で唯一、オレを必要だと言ってくれた人。オレを知る人なんてどこにもいない世界で、オレに手を差し伸べてくれた人。

 次の瞬間、パチッと頭のなかで静電気が弾けて、アイツ(・・・)の顔が鮮明に脳裏に閃いた。迷いを打ち消してくれる瞳、鋼の意思に裏打ちされた声、精悍でたくましい顔、熱い体温、男らしい匂い、力強く太い腕。抱きしめられた時に見て聞いて感じたそれらが津波のように押し寄せてきて一斉に五感に蘇る。

 

『オレの、艦長(・・)

 

 艦長。そう口にして明確に意識した途端、塞いでいた世界に輝きが差し、心が激しい昂揚で燃え上がる。頼れる艦長に己の操艦(すべて)を委ねる。そのことを考えるだけで、耳たぶが火照る。胸の深いところがきゅーっと切なくなり、下半身の奥底が火照ったように熱を持つ。同時に、認証エラーを自己復旧させたユニオンコアの演算システムが真なる覚醒を果たした。オレは断絶されていた艦体とのバイバス回路を無意識的な操作で瞬時に繋げ、支配されていた制御システムを力任せに奪還していく。底無しに思えた束縛が弱まっているのは、きっとあの人が外で頑張ってくれているからだ。あの人もまたオレを必要としてくれているからだ。

 あの人と一緒なら何も怖くない。あの人と一緒ならどこまでも行ける。あの人と一緒なら何だって出来る。無敵感と全能感が身のうちで沸騰し、限界知らずに膨れ上がる。まるで胸のなかで花々が次々に狂い咲いているようだ。希望の高まりに比例して大出力重力子機関(ハイグラビティエンジン)のギアが唸りを上げる。

 

 ワンッ。

 「アイツが呼んでる。お前を求めてる。早く行ってやれ」。そう言われた気がした。弾かれるようにハッと見上げれば、遥か高みにある海面からまっすぐに陽光が差し込んできていた。触れられそうなほど強烈な黄金の光はまるで差し伸べられた手のようだ。熱い陽光からオレを呼ぶ気配がする。オレの新しい名前(・・・・・)を呼ぶ声が聴こえる。

 

『ありがとう』

 

 ワンッ。 

 柴犬が吠えた。「アイツを頼んだ」、そう聞こえた。背中を押してくれているんだと直感で理解できた。この柴犬が何者なのかも、どうしてここに現れたのかも、直感で理解できた。オレは感謝と決意を込めて先輩(・・)に頷きを一つ返す。満足気に尻尾を振る柴犬から視線を外すと、迷うことなく陽光へ向ける。不安はもうオレの中に露とも存在しなかった。あの人ならきっと掴んでくれるという絶対の確信があった。何故ならば、オレはあの人の潜水艦(モノ)で、あの人はオレの艦長なのだから!

 オレは希望のエネルギーに満ち満ちた全身を躍動させて、光に向けて力いっぱいに手を伸ばした。




子犬系の健気なTSっ娘、いいよね(力説)

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