雨の日のちょっと不思議なできごと

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篠突く雨を巡るレコード

雨が嫌いだ。Tはいつも雨が降ると買い物や外に出る用事を言いつける。なぜわざわざ雨の日なの?他の日でもいいじゃない?自分で行けば?何度そう言ったことだろう。とたんにTは不機嫌になる。メンヘラのお前を拾ってやったのは誰だ、それぐらいやってくれてもいいんじゃない?別に別れてもいいんだよ、でも親も友達もいない、働いてもないお前になにができるの?そんなことの繰り返しでいつか自分も言い返すのを諦めてしまった。

そのまま逃げてしまおうか、と思ったこともある。けれども家計を握っているのはTで、買い物をするとお財布には数百円しか残らない状況だ。私に何ができるというのだろうか。

そして今日も私は溜息をついて外に出る。

 

それでも今日の買い物はマシだ。商店街にはアーケードがあってたどり着いてさえしまえば濡れる心配はないから。と最初のお店の前に来たとたんLINEがくる。

「大変だろうから買い物減らしてあげる。20キロの米一つでいいよ」

ぱっと見優しそうな文章には両手で抱えないと持って帰れないものを指定することにより傘をさして帰れないことを意味していた。にじみ出る悪意に私はため息をつく。不意に、ここに存在していることがどうしようもなく嫌になった。限界、そう限界だ。お店の入り口の傘置き場に傘を突っ込んで、私は家とは反対の方向に歩き出した。すぐにアーケードを抜けて、それは雨に濡れてしまうことを指すのだけれど、もういいと思った。どうせ誰も気にも留めない。

案の定屋根のないところに出たとたん、メガネに水滴がついて視界がゆがむ。邪魔になったのでポケットに突っ込んだ。冬の雨は冷たいはずだけれども気にならなかった。それぐらいどうでもよかった。

 

かすかに潮の香りがしてきた。この先は海に続いているのだろうか。構わず歩く。雨はどんどん酷くなって靴の中まで濡れた感覚が伝わってきた。流石に不快感があるが引き返したところで同じだ。

ほどなくして海が見えた。そうか、こんな激しい雨の日は海が荒れるんだ。水平線の真ん中がぐんと盛り上がっているのは、地球が丸いせいだけではないのだろう。何か別の生き物が潜んでいるようだ。当たり前のことを実感する。雲のグレーと空のグレーと海のグレー、白いはずの波さえくすんでいる灰色だけの世界。なのになかなか波の音が聞こえない。聞こえるところまで歩をすすめると思ったよりもずっと水が近かった。首筋まで雨が振り込んで冷えを感じたけれど、波の音の繰り返しと幾重にも重なるグレーの世界にずっとずっと浸っていたい気がした。

 

「どうかしましたか?」

急に耳元で声がして驚いた。いつのまにか隣に人が立っていたのだ。男の人・・・否、背は高いけど女性かもしれない。グレーの傘に全身グレーのワンピースのようなものをきていてそれがとても雨の灰色に馴染んでいる。

「あ、いえね、こんな雨の中こんなところに立ってるから自殺でもしちゃうんじゃないかと思って」

そう説明する声はハスキーボイスというのだろうか、やはり性別の判断はつきかねた。それ以上にまったく知らない人にそんな心配をかけてしまったことに私は焦ってしまった。

「あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんですけど・・・なんだか雨の海が見たくなって」ちょっと笑ってみせようとしたが寒さで顔も強張っていた。たぶん顔を歪めたように見えただろう。でもその人は少し目を細めて

「そう」

と言っただけだった。そのまま視線を海に戻す。つられて戻した途端ーー。

そこで私の記憶はなくなった。

 

目覚めると見知らぬ部屋のベッドの上だった。あたりを見回す。白を基調としたこじんまりとした部屋。知ってる場所なら居心地がよさそう。けれどもこの状況はさすがに落ち着かない。窓から見える景色はやはり灰色の雨であまり時間はたっていないようだが。同時に今いるところがなにかの建物の2階らしいことにも気づいた。ベッドからそうっと降りる。違和感を感じて自分を見ると服がまったく違っていた。丈の長いストンとした白い長袖ワンピース。誰かが着替えさせた?さっきの海の人だろうか?てことはあれを見られた?

軽くパニックになったところに小さなノック音がして、扉がひらいた。たぶんさっきのグレーの服の人だ。たぶんというのは短時間では人の顔を覚えられないので、わからないのだ。

「あ、あ、なんかご迷惑かけてしまったみたいですみません。」

でもとにかく疑問よりまず謝る。やらかしたのは事実だ。

「ううん。いきなり倒れたからびっくりはしたけど、なんともなさそうで良かった。もう大丈夫?体温がね、すごく低くなってたから申し訳ないけど着替えさせちゃった。」

海で聞いたより少し声が高い気がする。言い方からするとたぶん女性。もっとも性別でなんの解決にもならない問題はあるけど。でもグレーの人はおかまいなしに話を続けた。

「服はね、今乾かしてるの。家の人に連絡取ろうと思って、荷物見させてもらったんだけど、何にも入ってないし、携帯も雨でダメになったみたい。今とりあえず乾燥剤をつめた瓶に押し込んでるけど、復活できるかなあ。とりあえず乾くまではお茶でもしましょう。」

 

案内されて1階に降りる。私たち以外誰もいないが何かのお店のようだ。カフェ、というには何やら古めかしい道具もならんでいる。アンティークショップというのだろうか。なにか弦楽器のクラシック音楽が流れている。とその音がふわんと歪んだような気がした。

「あれ?気がついた?」

グレーの人がいたずらっぽく笑う。心なしか先ほどより服のグレーが明るい色に見えた。

「これね、レコードなの。古い盤だからちょっと歪みがあるみたいで時々音が飛んだり音色が変わっちゃうの。」

指差したその先にレコードプレイヤーがあった。テレビでみたことはあったけど実物を見るのは初めてだ。物珍しくて思わず近くに寄ってみた。蓋が透明で円盤がぐるぐる回っているのが見える。針は同じところにあるように見えるのに少しずつ円の中心に向かっているのだろう。しかしこれ、最後までいったらどうなるのだろう。聞いてみると

「終わりの方はレコードの溝の幅が広くなってるでしょう?その部分をひたすらぐるぐる回るの。その部分に音楽は入ってないから、無音なんだけどよく聞くと微かに機械のぐるぐる回る音が聞こえるのね。私、音楽よりもその音が好きかもしれない。」

私はそのぐるぐる回る音を想像した。きっと規則的でいながらやはり柔らかい音がするのだろう。

私が気に入ったのが見て取れたのか、グレーの人はプレイヤーのそばに小さなテーブルと椅子を用意してくれた。その上に紅茶のポットとクッキーが並ぶ。

それから音2人でお茶を飲みながら少しずつ話をした。そこでようやくグレーの人の名前がワタリさんだと知った。

「苗字みたいでしょ?でも名前なの。時を渡っていけるようにって」年号の変わる今年に相応しい名前のような気がした。私も名乗った。今の服にぴったりね、とワタリさんは笑った。私も笑った。笑ったのはとてもとても久しぶりだった。それに気づいたら笑いながら涙が出てしまった。

「泣きたい時はね、たくさん泣くといいの。笑うのも泣くのも怒るのもたくさん。無理に大人にならなくていいの。」

私の顔をみたワタリさんはそう言って白いハンドタオルを貸してくれた。堰を切ったように私は声をあげて泣いた。たくさんたくさん泣いて、お茶を飲んでクッキーを食べて、また泣いて。そうしているうちにやっと心から笑えるようになってきた。その間ワタリさんはなにも言わずにずっとそばにいてくれた。

 

と、お店のドアを叩く音がした。トントン。ゆっくりと静かな音だったけどなぜか鳥肌が立った。怖い。ワタリさんは平然と「すみませーん、今日は閉店でーす」とドア越しに声をかける。と、聞き覚えのある声がした。

「いや、うちのがお邪魔してると思うんです。雨もひどいので心配になって迎えに来たんです。」

Tだ。なんでここが?パニックになる。ドアの向こうでは猫なで声が続く。

「なかなか帰ってこないんで心配して、GPSを調べたんですよ。そしたらここが出てきたんです。」

ああ、水没した携帯は復活できたんだ。けれともGPSを入れられてたなんて知らなかった。怖い。すごく怖い。

「あー、ちょっと待っててくださいね」

ワタリさんはそう言うとこちらを見て小さな声で聞いた。

「ねぇ、リセットしたい?そしたら逃げられるよ」

どういう意味だろう?でも恐怖の方が強かった。あの生活が続くのならなにもかも忘れてしまいたい。強く頷く。ワタリさんも強く頷いて隣の部屋に私を押し込んだ。

「ここにいて。鍵穴から様子は見られると思う。」

それからワタリさんはゆっくりと戸口に向かった。光のせいかワタリさんのグレーの服は黒っぽく見える。ドアを開ける。いかにも優しそうないでたちでTが入ってくる。

「ご迷惑をおかけしましたね。これはお礼です。彼女を出してください。」

こともなげに分厚い封筒をテーブルに置く。ワタリさんはそれを冷ややかに見た。

「彼女はこちらで保護しました。渡せません。」

低い声。あれ、ワタリさんってこんな声だっけ?

「は?どういうことです」

Tの目がすっと細くなる。危ない兆候だ。けれどもワタリさんは全く意に介さない。

「彼女の無数についた手首の傷、見ました」

一瞬Tの顔がこわばるがすぐに表情を変える。

「ああ、そうですか。ええ、彼女、メンタルやられててすぐ自傷行為に走るんです。その度に僕が助けてあげてるんですよ。」

そうなのだ。私がTに逆らえないのはそれが原因だ。出血のせいかいつも覚えていないが気がつくと手首に包帯が巻かれていて、Tが手当をしてくれたとわかるのだ。

やはり諦めて帰った方がいいのだろうか。ドアに手をかけようとした手をワタリさんの声が止めた。

「睡眠薬飲ませてる間に傷をつけて本人がやったと思わせるのは自傷行為って言わないんですよ?」

え?どういうこと?

Tも驚いたらしく表情が変わる。

「は?なんだよそのいいがかりは」

「あー使ってるのは引き出しの一番上のカッターですか?へぇ、ご丁寧に5種類も用意してるの。なるほど、わざとかるーく傷をつけていかにもためらい傷みたいにするんですね。ああ、携帯のお友達のアドレスもみんなこっそり変えたんですね。そうやって外部と遮断させて自分しか頼るところが無いように追い詰めたんですね。その上でお金もほとんど渡さず、マイナンバーや保険証の身分証明書も取り上げたと。やれやれ、まったく手が込んでいらっしゃる」

「な、なんでそれをお前が!」

この人はなんで私が知らないことを知ってるのだろう。けれども、それよりも告げられた事実の方が衝撃だった。なぜ一斉に友達から着信拒否されてるかわからなかったが、そもそも番号やアドレスが違ったのだ。自分のメンタルのせいだと思っていたけど、メンタルのせいだと教えてくれたのもTだったではないか。

いつのまにかワタリさんの服は真っ黒になっていた。全体的に大きくなったように見える。声もすっかり男性のそれだ。人じゃない。

しかしTはその変化に気づかないようだ。一瞬ひるんだものの、攻撃に出る。

「ふざけんな。あいつは俺のものなんだよ。俺の奴隷なんだから俺の好きなようにしていいんだよ。それにそんな証拠なんてどこにもない。赤の他人のいいがかりなんて警察だって信じないさ。」

「ほう」

ワタリさんの服がさらに黒く、そして大きくなった。ニヤリと笑う。

「証拠ねぇ?そんなものどうとでもなりますよ。」

指をパチンとならすとその手にはカッターがおさまっていた。

「このカッター、あなたの指紋がついています。そして彼女の血もついています。こんなもの、10本ぐらい余裕で作れますよ。警察も物証があったら動かないわけにはいかないですしね。でもね。」

ワタリさんはこともなげに続ける。ひゅん!と音がしてそのナイフはTの頬をかすめた。Tの顔が今度は恐怖で白くなる。

「ここで10本全部使ってもいいんですけどね。彼女にしたことと同じことをしてもいいですし。もっともそんなに軽くはつけられなさそうだけど」

いつのまにかワタリさんの手には何本かのナイフが握られていた。軽く手を振っただけでそのうちの1本がTの反対の頬をかすめる。髪が1束空中に舞った。

「次は真ん中狙いましょうかね。あ、このままお引き取りいただければ私は何もしませんよ。さあ、どうします?」

この人、人間じゃない。流石にTもこの空気を察した。

「わ、わかった」

震えながら逃げていった。視線だけ見送りながらワタリさんは呟いた。

「『私は』何もしませんけどね」

そして指をパチンとならした。さっきまでそこは白い壁に、禍々しい黒い影がむくむくとあらわれた。人の形もしていない大蛇が何匹も絡みついているような何か。

ワタリさんがもう一度指をならすとその影がものすごいスピードでTの方に消えていった。その部分だけ雨が避けているように見えた。程なくして聞こえるはずのないTの悲鳴が聞こえた気がした。私はドアの前でへたり込んだ。

 

私の人生はなんだったんだろう。そんな罠にひっかかって友達も人生も全部失ってしまったのか。そしてここからどうしたらいいのだろう。

いつの間にかワタリさんがすぐ隣に立っていた。さっきまで真っ黒だった服は今は真っ白だ。そしてにっこり笑って言った。

「大丈夫。全部忘れてやり直せばいいの。そうするって言ったでしょ?何度でも何度でもやり直せる」

そうして指をパチンとならした。

 

 

 

 

 

「ねーねー、結局その男の人はどうなったの?」

漢字ドリルの文字を機械的になぞりながらましろが聞いてくる。完全に作業でテストは大丈夫なのだろうかと思うが、再テストは一度もない。そして、この話はもう何度もしているのだが、ましろはこの話が大好きなのだ。

「消えた。闇大蛇は邪悪が大好物だからねぇ。住処の海に連れて帰ったゃじゃないかな」

「彼女はどうなったの?」

「ああ、全部忘れて、今は別の場所で元気に人生をやりなおしているよ。」

「そっか、よかったね。」

ましろが笑う。そう、彼女は全てリセットして子どもに戻ったんだよ。名前の通り真白にリセットしたんだ。

「おーわり!海で遊んでくるね。」

ドリルを閉じて彼女は外に駆け出していく。晴れた海を眺めながら私はレコードに針を落とした。




タイトルは2018/12/16診断メーカーでたまたま出た言葉。響きが気に入って書いてみたいと思ったけど苦戦しました。勝てたかはわかりません。

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