Fate/Cinderella night. Encored Grail war ~ニュージェネ+αで聖杯戦争~ 作:藻介
いろいろと煩雑ですが、一番関係のないところを簡潔に言えばこうです。
ゆるふわの中でゼパったバルバトス。
また一つ魔神柱のトラウマが増えてしまった…………。
「カメラってさ、一番最初は一つの部屋だったらしいんだよ」
借家として住まわせてもらっている遠坂邸。その一室にセイバー、イリヤスフィール、アーチャー、そして私、本田未央の四人で集まっていた。
時間はもうすぐ八時になろうとしている。あの絶望的な状況を目の当たりにしてから、既に三時間以上が経っていた。
「ピンホールカメラって言うんだったかな。真っ暗な部屋のどこかにほんの小さな穴を開けてさ、そこから入ってくる像を壁に投射して、塗り絵の要領で正確な絵を描く。それが原初のカメラ。カメラの語源がラテン語の『部屋』から来ているのはそういう理由らしいね」
「それがどうしたって言うの。未央」
一番初めにイリヤスフィールと一緒に帰り着いていたセイバーが、不機嫌そうな声で聞いてくる。マスターであるしまむーをアレに飲まれたのだから、その声音に混ざる複雑な感情を理解できなくもない。私としては、発狂して手が付けられなくなっているんじゃないかなんてことも考えていたから、その精神力の強さに驚くばかりで。どうしてまだ現界できているんだ。そういったあれこれを、まだ彼女には何も聞けていなかった。
もっとも、本当なら発狂でもなんでもするべきなのは、私のほうなのかもしれない。こういうとき、冷静に過ぎる魔術師としての自分がたまに嫌になる。
「あーちゃんのことだよ。無視していたかったけど、もう、この期に及んではできないじゃんか。…………私、知ってたんだよ。あーちゃんに魔術回路があることも、それが高い特異性を持っていたことも。初めて会ったその日から、ずっとね」
あの日、何の偶然か、彼女の魔術回路を診てしまった。一般人が道中に倒れていただけ。病院は遠いし電話もないから無駄に広い借家で休ませよう。それにしてもすごい熱だ。どれどれ。
酷いものを見た。
「底なしの虚。いくつもの大小様々な部屋が浮かぶ空間。その奥の方にいる、気持ちの悪いどろどろを泳ぐ大きな口を開けた蟲が、あーちゃんの魔力を食ってた」
「マキリね。サクラがもう使えなくなって、新しい器として聖杯の欠片ごと寄生し直したんでしょう」
イリヤスフィールが淡々と、何の感情もなく告げる。
あの時見たあーちゃんの魔術回路。そこに複雑な意思はくみ取れなかった。ただ、足りないと。それだけの理由で、あの蟲はあーちゃんを食いつぶしていた。
それを、私は見逃していた。何かの間違いだと思っていた。変質した魔術刻印が見せる幻と決めつけて、何度も何度も否定して、目をそらし続けていた。
その結果が、あの有様だ。
「ミオ。アイコに特異な魔術特質があったって言っていたわね。それってもしかして虚数なんじゃない?」
「その通りだよ、イリヤスフィール。あーちゃんの魔術属性は基本五大元素のどれもと違ってた。こればっかりはあとで調べて分かったんだけど、確かに虚数と呼ばれるものだったよ」
生まれつきで決まる、その人がどの魔術に最も向いているのかを示す、魔術属性。基本は地、水、火、風の四つに空を加えた五つだけど、まれにこれ以外の属性を持つ人も生まれてくる。虚数もその一つ。
「さっきカメラと部屋の話をしたのも、それ関連なんだ。虚数属性の魔術、虚数魔術は自分の空想で、現実とは全く違う時間軸にどの物理法則にも左右されない空間、つまりは部屋を作り出すことができる。時計塔でもレア中のレア属性、露見すれば、私の
それはきっと、喜ばしいことだと思う。うちみたいな、よその体内に直接感応する類の魔術系統でもないかぎり、他人の魔術形質を探るなんてそうできないし。そういう人がこれまでにあーちゃんを見つけて、なんてことになっていたらと思うとそれはぞっとしない想定だ。
いや、そのぞっとしない想定が、出会う前から現実のものになっていたんだったけか。
「だけどね、魔力は生命力なんだよ。生きていればごく微量にしろ生成されて、回路を走り回る。回路はそれ自体が単純な術式としても機能する。だから、なんの準備もなしに魔力を隠すなんてできない。魔力を隠すためには、隠すための魔術が必要で、隠すための魔術を使ったことを隠すにも、それを隠すための魔術がいる。一言で言ってイタチごっこだよ。で、そんな手段を一つも持ってないあーちゃんの周りが、どうなっていたのか。セイバーは、気づいてるんじゃない?」
「……ゆるふわ、か」
頷く。もっともその言葉が持つ語感にまでは、さすがに出来そうにないけど。
「アーチャーからも聞いてる。戦闘中に強制的にタイムラグを作られた。それで合ってるんだよね、アーチャー」
「はい、間違いありません。おかげで私の宝具も不発に終わってしまった。おそらくはその副次効果で、瞬間移動のようなことを行っていたのでしょう」
「この二つを組み合わせて考えれば、一つの仮説ができる。つまるところあーちゃんの魔術は、虚数空間による実世界時間軸の浸食とその固定化。ある程度の広さの空間を指定して、その範囲内の時間軸を虚数空間内の不安定なものとシンクロさせる。うすぼんやりした言い方になっちゃうけど、時間の牢獄を作り出せる魔術って見方もできるかもしれない」
二十年前、第四次聖杯戦争に参加したマスターの中には、体内時計を操って高速移動をする固有時制御と呼ばれる魔術を使う殺し屋がいたらしい。そちらが自分の内側の時間を操っていたのなら、あーちゃんの魔術は逆に自分も含めた外側すべての時間を操るもの。
それだけの無茶、一体どれだけの魔力があれば成り立つのか。ただでさえ内側から魔力を食われていたっていうのに、外側へも使って、そんな精神が死んでいてもおかしくない状態を一年近くあーちゃんは続けていたのか。あまりの痛々しさに涙が出そうになるし、見て見ぬふりをしていた自分に腹が立つ。
そんな自分を表に出さないよう、血が出そうになるくらいに強く唇を噛んで耐えた。重い空気に包まれた中で、イリヤスフィールが淡々と語っていた。
「弱りはてたマキリにとって、その魔術特性は好都合だったでしょうね。なにせあの翁にとって一番の敵は時間だったんだもの。表に出てこないところからすると、逆に伸ばされて中で朽ち果てた可能性があるけど、その分聖杯が成長する時間を稼がれていたとしたら厄介よ。柳堂寺にいた数十人規模の生命力に加えて、キャスターとアサシン、それと、バーサーカーの魂まで取り込んで。あと一騎でも取り込まれれば、その時には何もかも終わりだから」
「なら、他のサーヴァントたちを保護すれば」
「その時は冬木の全員が柳堂寺、それにウヅキと同じ道をたどることになるだけ。魔力さえ集められれば、聖杯は何だっていいんだから」
「…………卯月は、まだ生きてる」
セイバーが絞り出すように言った。
「さっきからちゃんとパスを感じてる。単独行動のスキルもまだ使ってない。なのに、私はまだ消えてない。これってそう言うことでしょ?」
「ええセイバー。驚くことにアレ、まだサーヴァント以外誰も殺していないのよ。まあだからって、安心できるわけでもないんだけど。ねえ、ミオ。柳堂寺の住職たちを直接見てきたあなたなら、彼らの中身がどうなっていたかわかってるんでしょ?」
思わず、生唾を飲み込んだ。
「あーちゃんほどじゃない。でも酷かったのは確か。体内時間が極限まで遅くなってて、それから精神の端に、あーちゃんを見たときのと同じどろどろが数滴引っかかってた。それが、『この世全ての悪』のうちのほんの一部だとしたら。あの人たちは永遠に思えるくらいに引き延ばされた時間の中で、精神を犯されてる状態がずっと続いてる。一言で言って生き地獄だよ、アレ」
それと同じ、いや、本体の方に引きずられて行ったことを考えれば、しまむーは今も聖杯の中で柳堂寺以上の悪夢を見せられていることになる。
同じことをセイバーも考えていたらしい。まっすぐに椅子から腰を浮かせて、廊下に続くドアのノブに手をかけた。
「どこに行こうって言うのさ。セイバー」
「分かり切ったこと聞かないでよ。未央。卯月を助けに行くんだよ」
「なにか作戦があって言ってる? それ」
「正面突破」
「無茶苦茶だ。わざわざ死んで、向こうが欲しがってる最後の一駒になりに行くようなもんだよ。セイバーは、逃げろっていうしまむーの令呪を無意味にするつもり?」
「それでもいい。どうせ一度守れなかったんだから、二度も三度も変わらない」
我慢の限界がそこで来た。
椅子を蹴飛ばす勢いでセイバーの近くまで走り寄って肩を強引に引き寄せる。そうやって正面どうし向かい合って、全力でその頬をひっぱ叩いた。サーヴァントの肉体は人間にとっては全身が鎧みたいなもの。セイバーに痛みはほとんどなかっただろうし、逆に叩いた私の手のひらの方が破裂しそうに痛い。それでも、静まり返った借家に響くその音ならば、しっかりとセイバーに私の気持ちを伝えてくれていたはず。そう信じたかった。
その上で、音だけでは伝わり切らない気持ちを直接口から吐き出した。自分の口から出ていることが信じられないくらいの低い声だった。
「守れなかったものが、しまむーだけだったなんて思わないでよ」
セイバーの大きく見開いた目に映った自分の姿が見えていた。この世のすべてを失ったような酷い顔で、まさかそんなわけと笑えてくる。それで、ようやく気付いた。
いつの間にか私は、こんな顔になってしまうほどに、あーちゃんを失いたくないと思っていたらしい。
「…………深夜零時きっかり。それまで私に時間をちょうだい」
この気付きを無駄にしないためにも、今一番必要なことをセイバーに要求した。
「待てば卯月を、…………藍子も、助けられるの?」
「……それはまだ、なんとも言えない。でも、覚悟だけは、しっかり決めてくるから」
「そう…………。なら、待つよ。……部屋で魔力を温存してる。決まったら、呼んで」
「うん。分かったよ、セイバー」
会議はそこで解散した。泣いても笑っても決戦は今夜零時。それまで各自、必要な準備を整える。その方針でまとまった。
セイバーに続いてイリヤスフィールが先に出て、アーチャーが残った。
「アーチャーも自由にしてて。お互いに悔いが残らないように。これが多分、最後の夜だろうからさ」
「ええ、そうさせてもらいます。ですがその前に一つだけ、教師としてではなくあなたの
「いいよ。なんでも言ってみて」
「では失礼を承知の上で。ミオ、アイコは大勢の一般人に魔術を行使しました。まだ殺してはいません。ですが、その手段として魔術がある以上、そしてこれから先、放置していれば被害が拡大する現状を重ねて、魔術協会が掲げる神秘の秘匿の原則に抵触する恐れがあります。
分かっていますね。これはすなわち、本田未央が魔術師である限り、高森藍子は貴女が倒すべき明確な敵であることを意味する。その上で、貴女が決めようとしている覚悟がどういう意味を持つのか」
知っていたことだ。事がここまで大きくなってしまった以上、そうなってしまうだろうと。
それでも。
「うん、分かってる。それでもなんだ。それでもまだ、私はあーちゃんをあきらめきれない」
本当なら比べるべきじゃない。どっちも大切でどっちも選べない、それが正解。
けれど、このまま選べなければ、確実にどちらも失うことになる。選んでも、選ばれなかった方は選んだ方の犠牲になる。
その答えを今晩中に決めなくちゃいけない。
「(きっと一年前の私なら、迷わなかったんだろうな)」
私はたぶん弱くなった。今はこの弱さと向き合って、覚悟を決めるべきだろう。
「分かりました。今はそれでよいでしょう」
そう言ってアーチャーも私に背を向けた。その背に私は弱さついでと、普通のマスターならサーヴァントに絶対言わないようなことを言ってみた。
「……ねえ、アーチャー。今朝さ、守れなかった約束があるって言ってたよね。ほら、前のマスターを最後の教え子にするとかなんとか」
「ええ。ですが私は、それが貴女たちであったとしても、同様に誇れますよ」
飛んできた彼の優しさに、微笑んでありがとうと感謝を口にした。けれど、うまくは言えないけど、その約束は私なんかのために破られるようなものじゃないと思う。
「いい打開策があるんだ」
微笑みをイタズラっぽい笑いに変えて。
「友達になろ、アーチャー。それならあなたの最後の教え子は、前のマスターさんのままだ」
「………………。これは、驚いた。まさかそんな手段があるとは。いえ、仮にあったとしても、まさか私たちサーヴァント相手にそのようなことを提案するマスターは、おそらくはいないはずです」
「知り合ったら五秒で友達が私の信条だからね。むしろ遅すぎたくらいなんだよ。ほんと、なんで気づかなかったんだろ」
それくらい余裕がなかったのだと思う。アーチャーを呼び出した一週間前から、冬木に越してきた一年前から、もしかしたら、魔術を習いだした六年前から、ずっと。
「いろいろ、あったね」
それは決して、アーチャーだけに言ったことではなかった。それでもアーチャーは意図だけは汲んでくれていたみたいで、
「そうですね。本当に」
と優しく返してくれた。ゆっくりと瞼を閉じる。すぐにでもこの六年間が思い出せた。
魔術の鍛錬は辛かったけど、学校で習う物とはまた違う世界があることはとても新鮮で、楽しくなかったと言えばウソになる。それでもずっと、本田の家が犠牲にしてきた者たちが刻印と一緒について来ているを、しっかりと感じていて。刻印の副作用で吐く嘔吐物も聞いていたより多く見えていた。
そのうちに、普通に過ごせていた九年間を思い出せなくなった。悲しかったし、寂しかった。得るものがあれば失うものがある。魔術の原則、等価交換。
これから得るものを思って胸が高鳴る。同時に、失うものを思って足が震えた。
五年目の春の夜。あの日出会った少女が、そんな私にどれだけの思いを与えていたのか。あーちゃんは私と同じで特異な魔術特性を持って生まれた。けれど私とは違って、普通の女の子としてあんなにも輝いていた。羨ましかった。妬ましかった。私がもう二度とつかむことのできないその輝きが、私には酷くまぶしく見えていた。
あの子の輝きがずっと続いてほしいと願った。
冬木にいられるのは、聖杯戦争が終わるまでの一年間。その間だけでいい。せめてそれまでは、彼女の輝きを曇らせるモノ全てから、例えそれが私自身であったとしても、あのきれいな女の子を守りたかった。
何かを得て、それと同じだけの物を失い続けた六年間。
届かないと諦めて、それでもどうかと祈り続けた一年間。
明日、どちらかの日々の全てが終わる。
目蓋を開けて、天井を見上げた。失うものは果たしてどちらだろう。
どちらでも、私の胸にぽっかりと大きな穴が開くことに変わりはない。それでも私は立っていられるだろうか。
「——————友人としてならば、言えるかもしれませんね」
目線を下ろす。アーチャーはおかしな顔をしている。それがさっきまで私がしていた。何かイタズラを思いついたような子どものような顔だと気づいたのは、この少し後のことだ。
「何のこと?」
「いえ、教師としては、あまりにも無責任に過ぎると考えていたもので。自重していたことがありまして。ですが友人としてなら、その無責任さも多少は許されるだろうと」
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。そもそも友達って、できるだけ遠慮しないようにするもんじゃん」
「そうですね。貴女とセイバーを見ていればよくわかる」
「……別に私、まだセイバーとは友達になったつもりないよ?」
「知り合って五秒で友達。それが貴女の信条だったのではないのですか?」
「うぎゃ。すんごく痛いとこ突かれた。鋭い、さすがアーチャー狙いが鋭い」
「だてにアルテミスに教えを乞うたわけではありませんから。それにミオの時代にはこのような便利なことわざもあるそうではないですか。精神攻撃は基本」
「アーチャー、それことわざと違う。ただのネットスラングや」
互いに笑い合う。二人同時に笑ったのは、初めてだった。
「それで、何を自重してたの? ほれほれ、言ってみ、言ってみ? いまならこの本田未央ちゃんが寛大な心意気ですべてを受け止めてしんぜよう!」
「では遠慮なく。……遠慮なく、ですか。実にいい言葉です。実現できただけ、召喚に応じた意味があるかもしれません。さて、ではもう一度、遠慮なく——————」
「——————アイドルに、興味はありませんか?」
Interlude
『守れなかったものが、しまむーだけだったなんて思わないでよ』
その言葉、その時の未央の表情を何度も思い出して、セイバーはなかなか寝付けなかった。
あてがわれた部屋を出る。無駄に長い廊下は、歩くだけでいい暇つぶしになるかもしれない。それも十分と持たなかった。時間はまだ九時半すこし前、あと一時間三十分とちょっと。あと九回もぐるぐると同じところを回っていては、さすがに飽きてしまう。
「(かといって、部屋に戻ってもなあ)」
セイバーの部屋は、卯月の部屋の隣だった。どれだけ耳をふさいでも届く静けさに、セイバーは卯月の不在をいやでも思い出してしまう。失敗したのだと。あれだけ守ると言っておきながら、みすみす守られてしまったのだと。そう繰り返し言われているような気分になって、待つといった自分の言葉も忘れて、幾度か飛び出してしまいそうになった。
「水でも飲もう」
誰にともなくつぶやいて、階段を降りる。ここで卯月を受け止めてから、まだ二日も経っていない。自然と足運びが早くなった。洗面所には行かず、それとは逆方向へと廊下を歩く。リビングに水差しがあったのを思い出していた。同時に、未央のあの顔も思い出す。
以前にも見たことのある顔だった。ニュージェネの三人で挑んだCDデビューライブ。失敗した(実際にはそう思い込んだ)責任を感じて、思いつめたときの未央がちょうどあんな顔をだった。
その時、セイバーは自分のことで精いっぱいで、周りを見れていなかった。
「(あの時から、少しは変われたと思ってたんだけどな)」
きっと、卯月の方ばかりを見すぎていたからだ。一度あの笑顔を守れなかったのだから、今度こそはと意固地になっていた。それをあの顔に思い知らされて、セイバーは未央に何も言えなくなってしまった。
「それでも私、今は卯月のこと以外考えられないよ」
だから、待とうと思う。今の自分にできるのは、彼女を信じて待つことだけだから。
九時四十分ちょうどを示す大きな振り子時計の前を通り過ぎた。次の角を曲がった先に目的のリビングがある。解散してから一時間弱、さすがにもう誰もいないだろう。セイバーの予想を裏切るように、イリヤがドアにもたれかかっていた。
そこにいられては水が飲めない。あまり話したことの相手だったが、臆せず話しかける。
「この部屋に用事?」
「いいえ。ただここにいるだけ」
「そう。すこしどいてくれない? 水が飲みたいんだけど」
「まだ入らない方がいいわ。ミオとアーチャーが中にいるもの」
二回も同じ予想が間違っていた瞬間だった。思わずため息をつく。
「なら出直すよ。またあとで」
引き返す。その腕をつかまれた。
「何か用? 悪いけど」
「ヒマ、なんでしょ?」
「まあ、……否定はできないけど」
「ならエスコートしてくれない? すこし散歩したいの」
その後数分間、言い合いにもならない言い訳を二三して、結局折れたのはセイバーの方だった。
深山町を屋根伝いに南下していくと、西洋風だった外観はだんだんと一般家庭のそれに近くなって行って、ある程度それが終われば今度は和風めいてくる。まるで江戸時代の町並みに現代の家屋をばら撒いたように見えるくらいの地点。他と比べても立派な武家屋敷の門前で、セイバーは抱えていたイリヤを下ろそうと膝をつく。
「まだよ。どうせ留守だから、中に入っちゃいましょ」
とイリヤは下りず、セイバーはしぶしぶながらも不法侵入の片棒を担ぐことにした。
広い庭に面した縁側を持つ、平屋建ての大きな建物。端には土蔵があって、そちらに向かってイリヤは迷いもせずに歩いていく。当然鍵がかかっているものと思っていたが、不用心にも閂が外れいて、それ以上のセキュリティは何も無かった。
自分でも中に入ってみて、それもそのはずだとセイバーは納得した。中はガラクタばかりだった。年代物のストーブに年代物のラジオ、椅子なんかの学校の備品らしきものが置かれている所からすると、ここの家主は用務員か何かなのだろうか。
「まだ残ってたのね。ほんとシロウの投影はいびつなんだから」
「ん? 知り合いの家?」
「あたりまえよ。でなきゃ勝手に入ったりしないもの」
勝手に卯月をさらったのはどこの誰だっただろう。イリヤとの口論は出かけ前ですでにこりていたので、セイバーはあえて口に出さず飲み込んだ。
何を見るともなしに、奥へと進んでいく。と、何か違和感を感じて足元の床に積もったほこりをはらう。
「…………これ」
セイバーの疑問に答えずイリヤは白い息を吐いて、
「——————一つ、昔話をさせて」
と切り出した。セイバーが頷いたのを見て、イリヤは吐く息で雲を作るように語り始める。
「正義の味方がいたの。
大勢の人が笑える世界を夢見ていた。誰も泣かなくていい世界を夢見ていた。同時に、そんなものがどこにもないことを、誰よりもよく知っていた。だから正義の味方は、最後になんでも叶う万能の杯に望みを託したの」
マスターを殺すことは何でもなかった。それでより多くの人が笑えるなら。
サーヴァントを殺すことも何でもなかった。それで誰も泣かずに済むのなら。
自分を殺すことは何よりも簡単だった。それで自分の理想を守れるなら。
「正義の味方には奥さんと子どもがいたの。杯を手に入れるための、政略結婚じみたものだったけど。それでも正義の味方は奥さんのことを愛していたし、子どものことも、きっとそうだったんじゃないかな。もう死んじゃったから、そうだったらいいのにっていう都合のいいねつ造でしかないけど」
杯を手に入れるための戦いを、正義の味方は順当に勝ち残った。その末に杯は正義の味方にこう告げた。
『お前とお前の家族だけ残して、他の人間皆殺し。そら、誰も泣かない世界の出来上がりだ。簡単だろう?』
ふざけるな。正義の味方は杯を壊した。
「世界はあまりにも重すぎたのよ。人間に背負えるものじゃなかった。選べるわけがない。初めから選択のしようがなかった。大事なものか世界かなんて、一個人で決められる範疇をとっくに越えてた。それでも正義の味方は、最後まで正義の味方だったから、世界を選んだ。杯と同化した妻を殺して、娘は遠く離れたお城に置いてきぼりで二度と会えなくて。最後は小動物みたいに死んだらしいわ」
「何が、言いたいのさ」
「……賭けをしましょう、セイバー。アイコか魔術か、ミオが一体どちらを選ぶのか。あなたに選ばせてあげる」
迷うことは無かった。
「藍子だよ」
「ずいぶん簡単に言うのね」
「そう見える?」
「ええ。だって何も考えてなかったでしょ、今」
「バレたか」
セイバーはただ、信じていただけだった。思考停止と言い換えてもいい。ただ、自分たちと一緒にいた未央を信頼しているだけ。その彼女なら迷うことはあれ、最後には納得のいく結論を出してくれると信じていた。
なぜなら。
「あんなでも、私たちのリーダーだからね。締めるときはしっかり締めてくれるよ。それに、これは未央とは全く関係がないんだけど」
前置きをして、セイバーは昔話への感想らしき話をする。
「きっと守るものなんて、直感で決めていいんだよ。自分が守りたいと思ったなら、それを全力で守っていい。それはきっと当たり前のことだと思う。あんまり節操がないと、きっとその昔話みたいになっちゃうんだろうけどさ」
「それで、世界を敵に回すことになっても?」
「うん、それは間違ってない。私が言うのもアレなことだけどさ、きっと世界の味方だとか、正義の味方だとか、そういう大きなモノの味方をすること自体、多分、私たちにはできないだろうから。だから、それでも何かを守りたいと願うのなら、誰かの味方をするだけできっと精いっぱいなんじゃないかな」
「だから、ミオはアイコを選ぶの?」
「さあ。そもそも、自分で言ったことだけど、私だってずっとは卯月だけの味方でいられたわけじゃないしね」
アイドルは、見方によっては応援してくれるファンの味方だとも言える。その時点で個人の味方などできていない。ただ逆に、ファンの方がアイドルの味方という考え方もできるので、やはりプラスマイナスゼロかもしれない。なんの計算をしているのか、セイバー自身にも分かっていなかったが。
それでも確かに、自分たちアイドル一人一人全員の味方をしてくれた人なら、セイバーは一人だけ知っていた。今のセイバーなら、それをしっかりと確信できる。
「まあだから、結局は信じてるってだけなんだよ。うちの未来のリーダーをさ」
「……そう」
立ち上がるイリヤ。それに合わせて、セイバーも土蔵を後にする。
「帰る?」
「まだ。寄るところがあるから」
「寄るところ? まあ、まだ余裕はあるけど」
持ってきていた腕時計の文字盤が示していたのは十一時少し前。サーヴァントの敏捷なら、イリヤを抱えても五分とかからないので、一時間は余裕があることになる。それでもそう遠く、新都の方にまで今から行く気にはなれない。
「大丈夫、ここの隣だから。十年前に預けたものを取りに行くだけよ。——————そこの人たちも、一緒に来る?」
武家屋敷の門を出てすぐ右に二人組が立っていた。気配はしていたので、おそらく不法侵入も目撃されていただろう。その内の一人、青い修道服を着た女にセイバーは見覚えがあった。
「え。カリー・ド・マルシェ!?」
「シエルです。カレーマニアです。あと趣味で教会の代行者をしています」
ボケだろうか。いや確実にボケだろう。ボケでないはずがない。ならツッコミを入れねば。
「まあ、逆なんですけどね」
先にセルフカバーされてしまった。
「今は脅、げふんげふん、わけ有って、ちょっとこっちの人の護衛をしてまして」
「はい。紹介にあずかりました、こっちの人でーす」
メガネだった。いやにメガネの方に目が向く、赤い髪の毛の美人だった。すらっと伸びたスタイルのいい身体つきは、アイドルだと紹介されても違和感が全く感じられないほど。
「(まあ、せめて目がもう少し笑っていたらなあ)」
「あら、お嬢ちゃん。何か失礼なこと考えてなぁい?」
「いえ。何も」
なぜかは分からない。だが睨まれただけで寒気がした。直感が警報を鳴らしている。コレと戦ってはいけない。勝っても負けても死ぬのはこちらだけだという疑念を、セイバーはどうしても拭いきれなかった。
「コントはそのくらいにして。それで、来るの? 来ないの?」
「それはもちろん」
赤い髪の女性はかけていた眼鏡を外して、
「行くに決まっているだろう」
それまでの柔和な態度が嘘だったというように、口の端を吊り上げた。
Interlude out
2月6日(月) 午前零時
時間だった。これ以上に考えることもできず、そしてこれ以上の答えもない。
「じゃあ未央。作戦を」
四時間前と同じ部屋、同じ四人。その中でセイバーが聞いてくる。覚悟は決まっていた。すでに選択は済んでいた。なら後は形にするだけ。
「目標は聖杯の破壊。イリヤスフィールによれば、聖杯はいま最終調整に入っていて、大元の術式である大聖杯にあーちゃんは依り代として取り込まれかけてる。急がないとどっちにしても間に合わない。けど、それまでの間だけなら、あーちゃんを利用して出していたあの影は出てこない。その間に一気に大聖杯がある柳堂寺の地下、円蔵山の大洞窟に突入。聖杯を破壊する」
「ですがその間の防衛策として、あちらはこれまでに脱落したサーヴァントを守衛にして配置している。その相手は私とセイバーの二人で受け持ちます。ですのでミオ、貴女はイリヤスフィールとともに大聖杯の奥で」
他の三人が、同じように私を見つめていた。私は——————
「——————うん。今日この日、持てる全てを持って、あーちゃんとしまむー二人まとめて助け出す」
・ボツ会話 最終決戦前夜、遠坂邸リビングにて
※()内は作者による補足
「ていうかセイバー。なんで(五日目のデート午後の部で)手をつないでないこと知ってるのさ!?」
「見てたから」
「見てたって……、あの時は確か、しまむーとカフェでいちゃついてたんじゃなかったの?」
「……知らなかった? あのカフェ、窓からプロムナードが丸見えなんだよ。後でからかおうと思って見てたのに、まさか出された手すら握れないなんて。この鈍感、誑し、女の敵、本田未央」
「その並びに本田未央ちゃんの名前を入れるんじゃないよセイバァ(≒渋谷ァ)! ていうかあそこの設計責任者出てこい! プライバシーの侵害で訴えてやる!!」
「ミオ。残念ですがその裁判、勝率は著しく低いかと」
「明らかに陪審員はあなたの敵にまわるでしょうね」
「くそう。味方が誰もいねぇ」