Fate/Cinderella night. Encored Grail war ~ニュージェネ+αで聖杯戦争~ 作:藻介
そんなただの普通の女の子がどうにかこうにか生き抜いた聖杯戦争の物語。
もう何年も同じ夢を見続けています。
キラキラと輝く舞台。数えきれないほどのお客さん。
けれど、そこに立つ島村卯月の姿は、この日も黒塗りのまま。膝を抱えてすすり泣くその姿に、誰かを笑顔にできるような輝きはどんなに目をこすってみても見当たらない。
そしてやっぱり、舞台袖に立つもう一人のわたしは、何もかもをあきらめたような目でそれを見ていて————
「大丈夫。卯月の笑顔は、きっと誰かを幸せにできる」
————その肩をたたく誰かがいました。
うすぼんやりとした輪郭、けれど、その強い瞳と透明な声は今も鮮明に思い出せる。
舞台袖にいたわたしは必死にその背中を追いかけて。
「待ってるよ。卯月」
ステージのまぶしい光の中に彼女は消えていく。
そして、いつだってそこで、夢は覚めてしまう。
「…………」
見慣れた天井。イリヤちゃんのお城にあった飾り窓もなければ、未央ちゃんの家みたいな赤いじゅうたんもない。わたしが変わらず十六年間を過ごしてきた自分の部屋。
ベット脇のカーテンに、窓辺に飾られたナズナの花瓶が影を作っていました。カーテンを開けて、さらにその奥の窓から朝の空気を取り入れます。
東向きの窓から射す光、照らされたナズナの白い花には朝露が滴っていました。
「セイバー、さん」
夢の中に出てきた彼女の名前を、噛みしめるように口ずさみました。
「……わたし、今日もがんばりますね」
島村卯月、十六歳。十七の誕生日まで一カ月を切った三月下旬。
最近、見る夢がほんの少しだけ変わりました。
3月26日(日)
聖杯戦争が終わってから、もうすぐ二カ月が経とうとしています。
あの戦いでわたしが得たものは何もありません。無事に山を下りて、未央ちゃんたちと再会したその時にはもう、聖杯は破壊されていたのだと聞きました。願いを叶えている暇なんてなかったです。そもそも、聖杯を使って願いを叶えるとも、まだ決めていませんでした。
けど、それで良かったのだと、今のわたしには思えます。
不安が消えさったわけではありません。あの夜に見た輝きを、わたしはまだ自分の手でつかめていない。—————それでも、間違いではないと、言ってもらえたから。
だから、今はただ、変わらない日常を積み重ねていくだけでいい。
「そろそろ休憩にしよっか。しまむー」
春休みの養成所には二人分の靴音がひびいていました。
「はい、タオル」
「ありがとうございます」
未央ちゃんに手渡されたハンドタオルで、おでこに張り付いた汗をぬぐいます。オレンジ色のジャージを着た未央ちゃんも、同じように体を拭きながら、持っていた水筒の中身をあおっていました。
「窓開けますね。きっと今なら、風が気持ちいいですよ」
「お、いいね。お願い」
小さな庭に面した大きな窓を開け放ちました。道路との間にあるブロック塀、それに囲まれたちょっとした上がり
「春だねぇ」
「春ですねぇ」
未央ちゃんの呟くところに、同じことを返していました。吹いて来る風にもどこかほんわりとした香りがしているようです。
「……思い出してみれば、風みたいな二カ月だったね」
「ずいぶん詩的ですね」
「そうかな」
頬をかく未央ちゃん。わたしはくすりと笑って頷きます。
「はい。なぜか、セイバーさんを思い出しました。どうしてでしょう」
「さあ……なんでだろうね」
もしかしたら、彼女が風によく似ていたから。なんて、これも詩的に過ぎる気がします。
でも本当に、セイバーさんは風によく似ていたと思います。遠くどこまでも吹き抜ける。それでいて、本当に困った時には背中を強く押してくれる。彼女はそんな風でした。
だから、きっと、そんな風のような彼女とともに走り抜けた一週間。その後にやってきたこの二カ月。それがこんなにも短く感じられたのは。
「追い風…………かな」
変わらない日常を積み重ねたこの二カ月。それでも、変わっていくものはありました。
眠っていた柳堂寺の住職さんたちは一人一人、ゆっくりと目を覚まし、最後には誰一人欠けることなくお寺に戻ったとのことです。
未央ちゃんによると、
「私が自分で調べたってわけじゃないんだけど、全員無事だって聞いてる」
わたしたちが聖杯戦争中に病室を訪ねた柳堂一成さん。未央ちゃんの親戚で聖杯戦争を解体するためにやって来たという遠坂凛さんと、彼は知り合いだったそうで。
その凛さんが調べた結果を未央ちゃんは、
「
そんなふうに言っていました。
後でわたしも同じ検査を受けましたが、特に問題はないとのことです。
ほんとうによかった。それらすべての結果を聞いて、未央ちゃんは思わずそうこぼしていました。その気持ちも分かる気がします。
わたしを含め、彼らを昏睡させたのは藍子ちゃんでした。
優しい彼女のことです。きっとわたしたちが何を言っても、彼女はずっとそのことを覚えているでしょう。実害はなく死傷者も出ていない。すべては丸く収まった。けれど、傷つけたという事実だけは、この先永遠に藍子ちゃんの影について回るのだと思います。
それでも、藍子ちゃんには未央ちゃんがいます。
藍子ちゃんの一件、その解決は結果として、二人の間にあった距離をほんの少し縮めることになりました。もちろん、それだけではきっと足りない。
この二カ月の間にも、二人にはいろんなことがありました。その度に悩んで、それぞれのペースで少しずつ、互いへと歩み寄っていった。きっとこれからだって、そうやって二人は寄り添い支え合っていける気がします。
二月の中頃、未央ちゃんが実家での用事で冬木を離れることが多くなりました。
「未央ちゃん、最近学校にも来てないんです。エスカレーター式で一緒に高等部に上がることは決まってますから受験も無いし。高校の内容を先取りして授業もやってるけど、未央ちゃん頭いいから。大丈夫だっていうのは、分かってはいるんですけど」
そのころの藍子ちゃんは、窓の外を見て寂し気にしていることが多かったように思います。
「おかげで最近、よくお腹がすいちゃって。体重計に乗るのが少し怖いです」
そんなことを言う彼女がなぜか少し怖かったことは内緒です。べつにくうくうだとか、タコさんウインナーだとか、そんなことは一言もいわれていないのにです。本当に、聞いていないので。
「お友達にもダイエットを手伝ってもらってるんです。未央ちゃんに太ってるところなんて見られたら、またへこんじゃいそうで……。ただその子のメニュー、その…………なんていうか、結構ハードで。おかげで、夜もぐっすりなんです」
ボンバー!!!! どこからか、そんな声が聞こえてきた気がしました。
少しの時間、離れていた二人。ですが、一週間ほど前の卒業式。隣り合って撮っていたクラスの集合写真。たまたま通りがかって見た二人は後ろ手で、互いの手を強く握り合っていました。後で見せてもらった写真に写るその顔も、とっても眩しかったように思います。
————そして、そのすこし後にはわたしにも変化が訪れました。
「先日オーディションをお受けしていただいたシンデレラプロジェクトですが、三名の欠員が出まして。再選考の結果、島村卯月さん、貴女をそのうちの一人として、プロデュースさせていただく運びになりました」
突然養成所を訪れた、ちょっと失礼な言い方ですけど、怖い顔の人。芸能事務所346プロダクションのプロデューサーさんと名乗る方に、そう言われました。
プロデュース。以前受けたアイドルオーディションの再選考。それに、わたしが、合格。
「わたし…………、アイドルに……、なれる、んです、……か?」
「はい」
信じられない気持ちと、信じたい気持ちが胸に押し寄せてきて、目の前が真っ白になります。その光景が毎日見る夢と重なりました。
『待ってるよ』
セイバーさん。わたし、アイドルになれるみたいです。
帰りに寄った花屋さん。そこで店員の女の人に勧められたアネモネの花を買い、部屋の窓辺、ナズナの花瓶の横に飾りました。
期待。希望。
教えてもらった花言葉を口に含め、さらに三日がたったころ。
「しまむー! 私もデビュー、決まったよ!」
プロデューサーさんと一緒に養成所を訪れた未央ちゃんの口から、同じプロジェクトでのデビューが決まったとのしらせを聞きました。
「一緒にデビュー! 嬉しいです、未央ちゃん!」
「うん。本当に……、この一カ月と少し。隣で見てくれて、ありがとう」
聖杯戦争が終わってすぐ後に聞かされていました。未央ちゃんが魔術師をやめたこと、そしてこれからは、藍子ちゃんと同じアイドルを目指すということ。そのために、わたしのレッスンに付き合わせてほしいこと。
断ることなんて当然しませんでした。あの養成所にいられるのも、残りわずか。その間わたし一人では養成所も、そしてトレーナーのおばあさんも寂しい思いをするでしょうから。案の定、おばあさんも歓迎してくれました。
ただ、それでも気になって、夕暮れの帰り道で理由を聞いたことがありました。その時に未央ちゃんは、
「アーチャーに、…………いや、友達に勧められたから。かな」
そう言って、空を見上げていました。
———聖杯戦争から、もうすぐ二カ月が経とうとしています。
わたしたちはそれぞれに、それぞれの道を歩み始めていました。
「追い風かぁ……、私はひたすらに、忙しかったなあって印象しかないけど」
「そうですね。ご実家、どうでしたか?」
「うん。まあ概ね、問題なし。お父さんもお母さんも、とりあえず高校卒業までは冬木にいることを許してくれたし、応援もしてくれるって。お兄ちゃんは『あとは任せろ』ってなんか張り切ってたけど、心配だなぁ」
「たまに帰ってあげてください。その時には、藍子ちゃんも一緒に」
「うん。もちろん」
しまむーも歓迎だからね。と付け足す未央ちゃん。
以前までは家に上げることさえ、魔術を使ってまで避けていました。そんな彼女ははもう、どこにもいないように見えました。
……変わらない日常なんて、ありませんでした。この一カ月でわたしはそれを実感します。
きっとあの聖杯戦争でも、わたしが気づいていないだけで、何か少し変わったところがあったのかもしれません。そしてこれからも、変わっていくことばかりなのでしょう。
「(…………セイバーさん)」
——————それでも。あの日からずっと変わらないもの。もしもそんなものがあるとしたら、多分それはこの胸の奥にある愛しさだけ。これから先、それもどう転がっていくかは分からない。それでもずっと、抱きしめていたい、そばにあってほしい。
そう。わたしがあの七日間のうちに得たものは、大事な人からもらったものは、きっと————
「お疲れ様です」
「あ、プロデューサー。おはよ」
「はい、本田さん。島村さん?」
「———はい! 島村卯月、元気です!」
「おやぁ? どしたのしまむー。も、し、か、し、て。誰かさんのこと、考えていたりしちゃったりしていたのかなぁ?」
「…………っ! もう! 違いますから! プロデューサーさんも、違うので!」
「……はあ」
「あーあ。振られちゃったね、プロデューサー」
「未央ちゃん!!」
「ごめんごめん。許して、しまむー。いやホントマジですんませんした! なのでスマホから手を離してつかさい! あーちゃんに電話で言いつけようとかしないでつかあさい! あーちゃん怒ったらマジで怖いんだから!!」
じゃれ合うわたしたち二人を見て、
「お二人とも、元気そうで何よりです」
と首の後ろをさすりながらプロデューサーさんは言いました。
ひとまずスマートフォンをしまって、じゃれ合いを中断。
「プロデューサーさんは、あまり元気そうではありませんね」
「もう一人、まだ決まりそうにないの?」
未央ちゃんが指摘します。未央ちゃんとわたしのデビューが決まって、およそ一週間。全員が揃うまで事務所への移動は先延ばしになるそうで、未央ちゃん以外の同じプロジェクトからデビューする他の人たちとの顔合わせも、まだできていません。
そして、その最後の一人。交渉中とのことですが難航しているみたいです。
「プロデューサー、その最後の一人って、どんな人なの?」
「それならば資料があります。個人情報の関係上、写真だけですが、ご覧になりますか?」
「はい。お願いします!」
手元にぶら下げていたビジネス鞄からプロデューサーさんは一葉の写真を取り出しました。持ち出すつもりなんてありませんし、それをプロデューサーさんも分かっていたと思います。ですが手渡してはくれずに、ただわたしたちに見えるようにと手元に差し出します。
わたしたちがはっとするには、それだけで十分でした。
長い黒髪とまっすぐな瞳。いつもどこか遠くを見据えていたその表情は、濃い霧の中で迷っているように見えました。
『——————だから、迎えに来てくれる?』
どれほどの年月を経ようとも、彼女とのやり取り一つ一つがそのうちに薄れ、摩耗し、いつか思い出せなくったとしても、きっといつまでだって。
月の下で出会った、とても綺麗な女の子。
彼女と出会って、そして彼女を好きになって、それから、必ず迎えに行くと約束した。
そのことだけは、いつまでだって覚えていられる。そう思っていました。
「————ほんとうに、すぐでしたね」
「島村さん?」
「プロデューサーさん。お願いがあります。これからわたしを、その子に会わせてもらえませんか?」
わたしのその言葉を聞いて、プロデューサーさんは事情がつかめないというように、困った顔をしていました。ですがすぐにそれを酌んでくれたようで、
「分かりました」
と一言で返してくれました。
「いってらっしゃい。しまむー」
「はい。行ってきます!」
眩しくて温かなものを見るような視線を送る未央ちゃんに背中を押され、わたしはプロデューサーさんと一緒に養成所を出ました。
プロデューサーさんの車に乗って深山町を後にするわたしたち。気分はまるで童話に出てくるかぼちゃの馬車に乗って、魔法使いさんのお手伝いをしに行くようです。
わたしたちの誰しも、本物の魔法は使えない。魔法とは現代の科学技術の枠組みを越えた奇蹟。それがあの七日間のうちにアーチャーさんから教わった、魔法の定義。
———ですが、その七日間の最後の夜、あの時、確かにわたしの胸には一つの魔法がかかりました。
その現象自体は、魔法でもなんでもなかったのかもしれません。きっと同じことが魔術でもできてしまう。けれど魔術で再現されたその奇蹟は、たぶんですけど、わたしにかけられた魔法までは再現できないのだと思うのです。
魔法ならざる魔法、魔術ならざる魔法。誰もが使えるのに、誰もがそのことに気づかない。忘れられて、力を失くして、それでも、消えはしない。いつだってそれは、わたしたちの胸の中にある。
そんな、シンデレラの魔法をかけに、機械仕掛けのかぼちゃの馬車で、わたしはセイバーさんに—————この世界で一番大好きな彼女に会いに行く。
Interlude
桜が散っていた。藤棚の下で子供が笑い、季節外れに咲いたアジサイの奥に広がる青空。
その青空を公園のベンチに腰掛けた彼女は見ていた。
春風がそよぐ。薄雲は流れ、温かな日差しがさしている。
「こんなふうに、私の心も晴れてくれたらいいのに。なんて」
「わうぅ……?」
「なんでもないよ。……そろそろ帰ろっか、ハナコ」
抱えていた小型犬を放し、自分もベンチから立ち上がって公園の入り口を視界に入れた。そこに、二つの人影。
もはや見慣れてしまった大きなシルエット。固く着こなされたスーツの下のやや窮屈そうな肩。一般に人相の良い方とはとても言えないその顔。彼女をアイドルにスカウトしようと、ここ数日付きまとっていた男だった。
そのそばに、見慣れない姿があった。
ここまで走ってきたのだろうか、隣の男とは対照的に小さな肩が上下に揺れている。膝に手をついて、大きく息を吸ったり吐いたりして見るからにとても苦しそう。それでも、その顔を下に向けたりはしていなかった。
すぐに立ち止まりたいだろう、休みたいだろう、その場に倒れて、悲鳴を上げる心臓を早く落ち着かせるべきだ。傍目にもそうはっきりと分からせるほど。なのに、その丸い目をまっすぐこちらに向けていた。
「…………あのさ、……大丈夫?」
思わずかけよって、話しかけていた。
「……は、はいっ………………。だい、じょうぶ。……はぁっ、……平気、です」
全然そんな風に見えない。
「これ……よかったら。飲みかけだけど」
トートバッグに入れていたスポーツ飲料を差し出す。すると彼女は受け取らずに、その丸い瞳をより一層丸くして、
「あの……、ほんとうに、いいんですか?」
こちらの顔を覗き込んで、問いかけてきた。それが何かをためらっているように見えた。
「別に、いいよ」
「…………」
手に取って、それでもまだ口にせずに飲み口を見つめている。なんと言えばいいのか。そこまで注意深く自分の口がついていたところを見られると、さしもの彼女も意識して、恥ずかしくなってしまう。
「(バカみたい。相手は女の子だよ?)」
けれどどうしても、意識してしまうことを止められなかった。それならばと、
「飲まないの?」
そう言って、せめて早めに済ませてもらおうと促した。
「———あっ、いえ! そ、それじゃあ……いただきます」
「……どうぞ」
飲み物を分けてあげるだけ。それだけなのに、妙に仰々しい。
唇と、ペットボトルの飲み口が数センチの距離に迫る。その間を薄く濁ったスポーツドリンクが橋を渡すように流れていった。
ずいぶんたくさん飲むんだな。そう現実逃避に思う。思っているうちにキャップを閉めて返してきた。
「ありがとうございました」
「…………いいよ。返さなくて」
「え? …………あっ」
もうほとんど残っていなかった。自分でも一口飲んだだけだったので、本当に相当の量を目の前の女の子は飲んでいたことになる。
「す、すいません! 新しいの、買ってきます!」
また走り出してしまいそうになる女の子。
「待って」
その腕をつかんだ。別に構わない、そう言う前に、
「——————っ!」
反射的に振りほどかれた。
「あ、……ごめん」
「い、いえ。謝ることは……」
一瞬合った視線がすぐに明後日のほうへ向いてしまった。
……なんだかぎこちないなと思う。初対面なのだから、それもそのはずだ。なのになんだか、不思議な感覚がしていた。確かに自分はこの女の子のことを知らない。なのに当の彼女の仕草や言葉、その端々からこちらへの親しみを感じないこともない。
まるで、初対面を装っているような。そんな気がする。
かといって、こちらからは完全に初めましてなので、どう接すればいいのか全く見当もつかない。
そしてなぜか、向こうもそんな感じだった。互いに距離の詰め方を図っているような。
「————あの」
そこに低い声が投げ落とされた。プロデューサーを名乗るあの男の声だった。二人して意図せず同時に振り向く。
「なに?」
「飲み物なら、私が買ってきましょう。何か希望はありますか?」
この男の世話になるのはなんだか癪だった。だが、今の状況ではこれ以上ない助け船であることも事実。
「————コーラ、ゼロカロリー」
「あ、えっと。すみません、プロデューサーさん。セイ……、……彼女の分、お願いします」
「島村さんは何も要りませんか?」
「はい。わたしは十分に頂いたので。それに、まだ少し、残っていますから」
彼女はもらったスポーツ飲料の底を軽く振って見せた。男はそれを見て、
「……はい。分かりました」
すこし考えた後、背を向けてどこかへ走り去ってしまった。
「………………」
「………………」
二人残される。公園で遊んでいる子どもたちの声が、どこか遠くのからの物のように聞こえた。
「とりあえず、座りませんか?」
向こうの方から切り出した。「うん」と答える。愛犬を抱えて桜の木影の下に足先を戻した。
ベンチの上に落ちていた花びらを
「——————」
「——————」
座っても、気まずい空気は残ったままだった。何か話の話題をと考える。いい天気ですね、とか。散歩中のおばあさんか何かだろうか。
「わんっ!」
「え————きゃ」
「あ、こら!」
飼い犬のハナコがむこうに飛びついていた。普段は元気がこれでもかと余っているくらいなので、ここまで大人しかったことの方が珍しかったのだ。少しでも目を離していたことが悔やまれる。
すぐに連れ戻そうと目で追う。その先でハナコは相手方にじゃれついていた。
「……え?」
「わわっ! くすぐったいですよぉ!」
顔をなめられても笑顔を崩さずに、彼女はハナコを優しく抱き留めていた。
「うそ。あんまりすぐには、人には懐かないのに」
「そうなんですか? とってもいい子ですよ」
「…………」
ハナコに警戒している様子は見られない。本能的に安心できる存在だと彼女を認めたようだ。だからって飼い主を差し置いてご機嫌取りとは。犬は上下関係に厳しいと知ってはいるけれど、その感覚をこの子はどこに置いてきたのだろう。
「ふふっ」
それがなんだかおかしくて笑う。すると、
「——————あ」
「え?」
じゃれつくハナコを見ていた彼女の視線が、こちらへ向いた。
「どうかした?」
と聞いても、
「い、いいえ! ……別に、なんでも」
とうつむいて、またハナコへと視線を戻してしまった。それから何かを思い出したように。
「あの。お名前、聞いてもいいですか?」
「名前? ああ、ハナコだけど」
「花子ちゃん、ですか? 可愛らしい名前ですね!」
「それは……どうも」
一応、子どものころに自分でつけた名前だったので、気恥しくはあっても嬉しくないわけではなかった。そう思っていたすぐ後だった。
「———花子ちゃん……かあ」
自分に言い含めるみたいに呟いたかとおもうと、彼女はハナコに向けていた人好きのする笑顔をこちらに向けて、
「これからよろしくお願いしますね、花子ちゃん!」
そう、見当違いにも、犬の名前をこちらに向けて言ったのだった。
「あのさ、ハナコは、犬の名前なんだけど……」
「うぇ!? あ、えっと、ごめんなさい! 花子ちゃん!」
相当に動揺している。違うと分かったのにそれでも呼んでしまっている所から、そのことは容易に読み取れた。
「ふふ、あははは!」
我慢できなかった。おかしいにもほどがある。
「もう! そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「ごめん。………………ふふ」
「ああー! また!!」
頬が柔らかそうにふくれる。それも長く持たず、いつしか向こうも一緒になって笑っていた。ひと通りおかしさが収まって、落ち着いたころに、
「凛。渋谷凛。それが私の名前」
彼女は、凛は、自分の名前を目の前の少女に教えていた。
「———渋谷、凛」
それを、どう感じたのか。彼女は一言、凛の名前を一語一音、口の形から確認しているみたいに丁寧に読み上げて。それから————
「え」
————涙を、流していた。
「よかった。—————やっと、あなたの名前を知れた」
「…………どこかで、会ってる?」
凛が問いかける。彼女は首をふった。
「いいえ。あなたとこうやってお話するのは、これで初めてです」
「……そう」
嘘をついているようには見えなかった。けれど、本当のことを全部喋っているわけではないのだとも、なんとなく分かっていた。それを聞く必要は、今は感じなかった。
肩越しに見えるその表情。ぽろりぽろりと落ちていく涙を拭いながら、笑ってもいないのに、その顔はなんだか幸せそうに見えた。人は笑顔以外でも嬉しいという感情を表現できる。そんな当たり前のことをなぜかこの時、凛は思い出していた。
その全ての涙を拭い去った。それから顔を上げる。
「今度は、わたしの番ですね」
雨が降った後には、うそみたいにきれいな青空。どこまでも澄み渡る、それでいて温かい笑顔。少女はそんな顔で—————
「———島村卯月です。これから、よろしくお願いしますね。凛ちゃん!」
Interlude out
夜が明けて、朝が通り過ぎて、今度はまた違う夜が来る。
暗闇の中で必死に足掻いた七つの夜。月灯りも、星の光も見えず、ただ自分の道を信じ続けた。
悩んで、苦しんで、時には諦めそうになって。いっそ死んでしまえたならと、何度思ったことだろう。
————それでも、この夢だけは最後まで譲れなかった。
だから、ここからはその
美城は遠く、星は遥かに。
シンデレラたちの物語は、また次の夜へとつながっていく。
ーFinー
まだもう少しだけ続くんじゃよ
「私、どうして。安心なんて、していたんだろう?」
「もうすぐですね、バレンタイン!」
「—————だから、きっと。これはそのあり得た可能性の一つだ」
「未央ちゃんって、私のこと、好きなのかな?」
「ちょっと。うちのあーちゃんに何してくれちゃってんのさ」
「殺されることになら慣れていました。それは特別に怖いことではありません」
「「そのもしもを、考えたことがある」」
「もしも私が悪い人になったら、許せませんか?」
次回、『Snow*Love』