Fate/Cinderella night. Encored Grail war ~ニュージェネ+αで聖杯戦争~   作:藻介

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みおあいの話になるとやりたいことやりすぎてつい詰め込みすぎてしまうのが最近の悩みです。おかげでこの一カ月と少しは、リテイク地獄に走りそうな思考をなんとか抑え込むのに必死でした。

それはそれとして、バレンタイン編最終話です。前後の繋ぎがしっちゃかめっちゃかしていますが、それでもよろしければ、お暇なときにでも。


After3/Snow*Love(2)

side A

 

 夢の中を歩いているような気分でした。

 よく知らない人に追われて、たどり着いた路地の行き止まりで王子様に助けてもらう。

 出来の悪いおとぎ話みたいです。酷く現実離れしています。やっぱりここは夢の中なのでしょう。

 回された腕の強さも、触れた肌の暖かさも、見るもの感じるものぜんぶが私の理想通りの場所。

 —————けれど、

 

「あーちゃんはそんな悪い子なんかじゃない!!」

 理想通りだからこそ、悲しくなってしまいました。

 ごめんなさい、未央ちゃん。私はあなたが思ってくれているほど、いい子でもないんですよ。

 私はあなたのことがどんな人よりも大切で、あなたを失うことが何よりも怖くて、あなたの笑顔なしには生きられない。だから、そのためなら———もしもそれが、二度と見られなくなってしまうくらいなら、私は、私が何をするのか全く想像もつかないのですから。

 

 私を追っていた知らない人が、立ち去ろうと背中を向けます。その背中が一瞬だけ血まみれに見えて、次の瞬間には何事もなく、無事なまま街明かりに溶けていました。

「士郎さん。あの人、知り合い?」

 未央ちゃんが同じ路地裏にいたもう一人、彼女の親戚で魔術師の遠坂凛さん、その彼氏さんの衛宮士郎さんに尋ねます。士郎さんの表情は暗くてよく見えません。どうにも捉えられるような平坦な口調で士郎さんは答えました。

「ああ、昔なじみだ。それよりも今はこっちだろ」

「うん。あーちゃん、平気? どこか痛いところとかない? 転んですりむいたりとかは?」

「……いえ。特には」

 夢の中なので当然ですけど、道中のことを自分でもよく覚えていません。ぱっと見渡してみてとくにそれらしいところもなく、

「ああ、よかったぁー」

 と、同じく確認を終えた未央ちゃんの安心が目に見えて伝わりました。

 ———もしもさっきの見間違いが、そうじゃなかったら。それでも未央ちゃんは、私をこんな風に心配してくれたのかな。

 出会った夜を思い出す未央ちゃんの安心しきった顔に、つい油断して、私は考えてはいけないことを考えてしまいます。すぐに忘れようと思いました。けれど、一度気になってしまうと不安は大きく膨らんで。

 それが抱えきれなくなる前に、

「…………ねえ、未央ちゃん」

 私はここが夢の中であることを良いことに、思わず口から漏らしてしまっていました。

 

「もし……私が悪い人になったら、未央ちゃんは私のこと、許せませんか?」

 

 

 そのもしもを、私も考えたことがありました。

「ねえ、未央ちゃん。もし私が悪い人になったら、許せませんか?」

 もしも、少しでも撮影が長引いていたら。

 もしも、私がプロデューサーさんに車で送ってもらっていたとしたら。

 あるいは、未央ちゃんが冬木にやってくるのが、あと数日でも遅れていたりなんかしていたら。

 きっとその時には、私たちがあの夜に出会うことなんてなかったはずでした。

 

 その場合、私は一体どうなっていたのでしょう。

 これまではなんとなく怖く感じて、それ以上に考えることを止めていました。———けれど、ずっと気になってもいたんです。

 聖杯戦争最後の夜。未央ちゃんは、私を殺すか殺さないか、そんな選択を迫られていたとのことでした。だから、当然、私のことを知らない未央ちゃんが選ぶ道筋は、実際に選ばれたものとは真逆。

 

 聖杯(わたし)(ころ)すという道。

 

 一度決めたなら、迷いながらも最後には、必ず目的地にたどり着く。そんな未央ちゃんのことだから、私を殺すことだって、そう難しいことではなくて。むしろ、助ける以上に簡単なことだったはずです。

 

 そうして、見知らぬ誰か(未央ちゃん)は、

 見知らぬ誰か(わたし)にその刃を突き立てる。

 

 その時に、私はいったい何を感じていたのでしょうか。答えはすでに知っていました。

 ……痛くて、冷たくて、熱くて。大事な何かが無くなっていく虚しさで、手先から徐々に凍え切って動けなくなる。それなのに、どうしてなのか熱い。あつい。

 すべて、すべて。苦しみに満ちていて。それでもなぜか、決まって私はその命の終わりに、

『————ああ。もう、大丈夫なんだ』

 どうしてか、心の底から安堵している。

 遠く遥か。決して手の届かない場所にいる、私とは違う結末を辿った高森藍子の、最期の気持ち。それがこの私にはどうにもぴんと来ませんでした。

 けれど——————

 

「——————許せないよ。きっと他の人なら、諦めがつくと思う。けど、あーちゃんだけは、本当に、ほんとうに、ずっと最後まで悩むと思う。だからその分助け出した後で、他の人の何倍もずっとずっと多く、あーちゃんを叱る」

 

 未央ちゃん。そんな風に言ってくれる、あなたの顔を見て、私は、

「ああ。やっぱり」

 って、安心するんです。

 きっとこの人は、たとえどんな出会い方をしていたって、最後には必ず私を見つけて(救って)くれていたはずだから。     

 

 遠く離れた、もう交わることなんてない。そんな未央ちゃんのことを知らない私だって、きっとこんなふうに————彼女のことを救いだと。そう紛れもなく、感じていたはずだから。 

 だから、私は————

 

 

「やっぱり私、あなたのことが大好きです。未央ちゃん」

 

 

side B

 

 ずっと誰かを不幸にして生きていくのだと思っていた。

 私は魔術師の家の娘で、魔術刻印を次の世代に引き継ぐのが役目。そのためだけの人生。

 聖杯戦争が終わっても、例え聖杯が手に入っていたとしても、それは変わらないはずだった。  

 出会う全ての日常とそこにある笑顔を刻印に食わせて、不幸で塗りつぶす。誰からも必要とされず、そのくせ誰かがいないと生きられない。そんなことをきっと死ぬまで、自分が何者なのか分からなくなっても、繰り返す。

 それなのに。そのはずだったのに、どうして。

 

「私、あなたのことが大好きです。未央ちゃん」

 

 ———どうしてあーちゃんは、そんなにも幸せそうな顔をしているの? 

 私に不幸にされた(殺された)人たちの最期の顔を今でも覚えている。まず真っ先に浮かぶのは疑問、次に遅れてやって来た痛みに悶えて、疑問の答えが出ずに怒鳴るか、そんな余裕もなく力尽きるかのどちらか。安らかなんて言葉とは程遠い、涙と血と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が二つ出来上がる。それを揉み消すことでしか、私は人とまともに関わることができなかった。 

 だって、いうのに、私とこんなにも長い時間を過ごしたはずのしまむーも、そしてそれ以上に、ずっと近くにいたあーちゃんのその表情も、私が見てきたどんな顔とも違っていた。

 

 ———ねえ、どうして。 

 どうしてあーちゃんは、私といて、そんな顔になれるの?

 

 胸の奥にしまい込んでいたはずの白い息を吐き出した。

「あーちゃん……私ね、ずっと思ってたことがあるんだ」

「未央、ちゃん?」

 相当疲れているのか、どこか夢でも見ているようにぼんやりとしたあーちゃんは、ほんの小さな力で私の胸下の服をつかんでいた。

「私はね、あーちゃんのそばにいていいやつじゃないんだよ。あーちゃんに言えないことが、いくつもあって。それを知られて嫌われたらって、そう考えるだけで怖くて、満足に眠れなくなるようなことが、たくさん。

 ——————だから、いつも思ってた。

 こんなのは、もう今日限りにして、明日からは知らない人のふりをしようって。

 廊下で出会ってもすれ違うだけで、

 放課後も、他人みたいに知らんふりして、

 朝だって————ちゃんと追い返して、一人きりでご飯を用意しようって。

 何度も、あーちゃんに会うたんびに、何度も思ってた」

 

 けれど結局、私はこの小さな手をただの一度も振り払えなかったのだ。

 

『藍子ちゃんは聖杯戦争が始まるよりもずっと、ずっと前から、

 いつも未央ちゃんのことが大好きだって言っていましたよ』

 

 ああ。そうだった。

 どれだけの泣き顔を見ても平気なつもりだった。これから歩いていく道の先が、どれだけの怒号や悲鳴に満ち溢れていたとしたって、最後まで心は鉄のまま、走り抜けられると信じて疑わなかった。

 けれど、それなのに。たった一つ、あーちゃんの笑顔を失うことを、あんなにも私が受け入れられなかったのはどうしてか。

 

「ごめんね、あーちゃん。でも、でもそれだけど……私」

 

 それはきっと、誰かの苦しむ顔ばかりを作り出してきた私が、ようやく、自分の手で咲かせることのできた、たった一つで初めての笑顔だったから————

 ————だから、きっと私は。ずっと前、初めてあーちゃんに出会ったあの日から。

 

 

「私、あーちゃんのことが大好きだ」

 

 

 

 寒かった。冬木は二月でもよそほど大きく気温が下がったりはしない。けれど今、街にはやっと街灯が灯ったばかり、死霊がすべていなくなったのもごく数分前で、通りはほとんど無人。人の温かみに乏しい足元では、ぱらつきだした雪の結晶が積もらずに薄く霜を這わせていた。

「泣いて、いるんですか?」

 頬を冷たい雫が伝う。自分ではそれが涙なのか雪粒なのか分からない。けれどあーちゃんがそう言うのなら、私はきっと泣いているのだろう。

「どうして、泣いているんですか?」

 少し、笑う。

「なんで、だろうね」

 上着のすそに添えられていたあーちゃんの右手が私の目尻をなぞる。まだ少しだけ歪んだ視界の奥で、あーちゃんが見たこともない顔をしていた。……その顔の前では、私はどうにも我慢がきかないらしい。あんまり長く見てしまわないように、あーちゃんの胸元すれすれで顔を隠した。

 ああ、でも。やっぱり我慢できそうにない。私の口は勝手に、今一番聞きたいことを尋ねていた。

「私からも聞くんだけどさ。あーちゃんは、私が悪いことをしても許してくれる?」

「——————はい。許しますよ」

 なんとも簡単に、あーちゃんは答えた。

「誰かを好きになるって、そういうことなんですから。たとえ未央ちゃんが、どんなに悪い人になっても、どんなに未央ちゃんが、未央ちゃん自身を許せないって思っていたって——————私が、他の誰よりも強く、未央ちゃんを許すよ。その分叱るし、怒るんだから。

 ……引かないでくださいね。私、怒るとけっこう怖いみたいなんです」

 そんなことを言う彼女がいったいどんな顔をしているのか気になって、ついさっき顔をそむけたことも忘れて見上げた。

 笑っていた。

 恥ずかし気に頬を赤く染めて、眉はこぼれ落ちそうな八の字。口角が緩やかに上がり、細めた瞼の奥の優しい瞳が私の頭を撫でている気がする。私はすっかり安心してしまって、彼女の肩に体を預けた。

 そして一つ、聞くまでもないことを確認する。

「あーちゃん。今、幸せ?」

「————はい。私はいま、とっても幸せです」

 視界の外にあって見えない、つい数秒の後には、また違った咲き方をしているだろうその表情。けれどこの時は、きっと大輪のヒマワリが咲いたような笑顔をうかべているんじゃないかと、心地よい自惚れのうちで感じていた。

 

 ……誰かの、苦しみに歪む顔ばかりを作ってきた。痛みや叫びや怒り、そればかりを胸に刻んで生きてきた。

 そんな私でも、こんな風に、誰かを笑顔に出来るのなら———

 ————それはどんなに、幸せな生き方だろう。

 

 そう、見てもいない表情で私自身が嬉しくなってしまうほどに。

「ねえ、あーちゃん。私、アイドルになるよ。ううん。なりたい。

 いつか、たくさんの笑顔に囲まれてさ。その真ん中で誰よりも強く笑える一番星になって。そこで私は、あーちゃんがくれた初めての笑顔を、もっともっと、たくさん、見てみたいんだ」

「うん。きっと大丈夫。未央ちゃんなら、絶対になれるよ」

「けどね、不安なんだよ。誰も笑ってくれなかったらどうしよう。誰も見てくれなかったらどうしよう。誰も、……誰も、許してくれなかったら、どうしよう」

「そんなことはありません。だってあなたは、私に笑いかけてくれた。私を見てくれた。私を、笑顔にしてくれた。だから、きっと未央ちゃんは、大勢の人を笑顔に出来る。

 ……ねえ。未央ちゃん。未央ちゃんが、一体誰に許してほしいのか。私には分からないし、未央ちゃんも、教えてはくれないんですよね?」

「……うん。でも、いつかは必ず、あーちゃんにも伝える。いや……受け入れて、ほしいよ」

「はい。待ってます。ずっと、私は待っていますから」

 あーちゃんの温もりに満ちた手のひらが私の頭上に置かれる。そのまま、もう大丈夫、もう大丈夫だからと、優しく撫でた。

 ————未央ちゃんは、もっと素直になってもいいんですよ。

 うん。そうだね、しまむー。でもやっぱり、それはすこし恥ずかしいから。今は、まだ、たった一人の前でだけ。

「私、あーちゃんとずっと一緒にいたいよ。あーちゃんがいないと、私きっとだめになる」

「……未央ちゃん。それは、私だって————」

 その先をあーちゃんは口にできなかった。途端に体をがくりと落として、うっすらと霜が積もった路上に座り込んでしまう。寄りかかっていた私は一緒に倒れ込んでしまわないよう、とっさに体を起こして、伸ばされた彼女の手を握った。

 冷たい。

 人肌の温もりが、ほんの少ししか感じられない。

「すみ、ません……ちょっと、体が動かなくて……」

「——————」

 知っている症状だった。魔力切れだ。身体維持に使われる生命力(オド)が足りなくなって、優先される臓器に末端から魔力が回されている。

 新都に流されていたあーちゃんと聖杯の魔力。きっと今、ようやく聖杯との縁が切れた。けど同時に貯蔵庫とのパスも失って、足りない分の魔力を補えていない。

 ……まだ、命に係わる段階じゃない。生命維持に必要な分は残ってる。けどこのまま放っておいたら、あーちゃんとは、もう。

 

 そんな思いをするくらいなら。

 誓いを思い出す。浮かんだ躊躇いをほんのいくつか飲み下した。

 

「あーちゃん。ごめん」

「——————————え」

 手を引いて、もう片方で彼女の顎を引き寄せた。

 顔を近づける。鼻が不器用にぶつかって、そのすこしあとに柔らかい感触。

「(まつ毛、長いなあ)」

 大きく見開かれた瞳がすぐ目の前にある。けれどまだ足りない。柔らかな扉を舌でこじ開けて、魔力の溶けた唾液を流し込む。

「~~~~~~~!!!」

 口をふさがれているはずのあーちゃんから、なぜかすごい声がした。肩を押し返される。ダメだ。ここで離されたらやり直しになる。……これを、同じ日のうちに二度しかけるのは、そこまでは、覚悟ができあがっていない、から。

「(ごめん。ごめんね、あーちゃん)」

 口で言えない分を心の中で何度も謝りながら、離してなるものかと腰に腕を回して、強く引き寄せた。そうしている間にも、少しずつではあれ絶やすことなく唾液を流し続けた。

「(でも、おねがい。受け取って)」

 驚きに大きく開かれてばかりだった瞳が、ふにゃりと溶けだす。祈りが届いたのか、こくりと音が鳴って、喉を唾液が流れ始めた。かと思えば、今度は逆に私の舌に何かが巻き付いて、もっともっとと吸い取られる。

「(————え、これってまさか、あーちゃんの)」

 吸われる、溶ける、奪われる。

 私の中にあるものが、私の作り出した魔力が、一部ではあれ、端から順にあーちゃんのモノになっていく。

 うれしい。受け入れてもらえて、嬉しい。あーちゃんが、私を必要としてくれて、もう何も要らないくらいに満たされている。

 ……このまま、ずっと、途切れることなく、永遠に続けていれば。その時には、私のぜんぶがきっと、あーちゃんに——————

「…………っぷはぁ!」

 息苦しさに、思わず顔を上げた。

 ……うん。確かにそれもいいかも。でも、さすがにずっとは息が持たないって。

「みお……、ちゃん?」

 物惜し気に見上げてくるあーちゃんの瞳と目線が合った。

「…………!!」

 あ、やばい。もう一回、したい。

 ———いや、違う。ダメだ。あくまで、これはあーちゃんのための医療行為で、けっして、私のためにすることじゃない。そうなったら、あーちゃんに責任を押し付けることになる。

「ご、ごごめんあーちゃん!」

 彼女の顔を見てしまわないよう必死に顔をそむけた。あーちゃんの腰に回していた腕も離して、半歩分距離をとる。急激に上がった熱が夜風で冷めていくのに合わせて、自分がさっきまでしていたことを思い出した。

 また、顔が熱くなる。

「(な、ななな、ななになににいぇって、なにやってたんだ私ぃぃぃーーーー!)」

「あ、あああののあの、あの、……みおちゃん」

 視界の外から声がする。振り向けばそこには、たぶん今の私を鏡映しにしたように赤くなったあーちゃんの顔。

「な! ……なに? あー、ちゃん」

 今にも恥ずかしさといたたまれなさで逃げ出してしまいそうな所をなんとかこらえ、お互い一歩も動けずにいた。ただ彼女の言葉の続きを待つ。

 なんだか、いつまでもこの状態のまま二人でずっと、寒空の下に居続けるような気がしたその時、あーちゃんが先に口火を切った。

「も、もしかして…………なん、ですけど」

「う……うん」

「もしかして、これ————夢じゃ、ないんですか?」

「…………………………………………え?」

 あーちゃんのこれまでの様子を思い出す。

 魔力の使い過ぎで疲れていたのか、どこかぼんやりとして、まるで夢でも見ているかのような————まさか。

「うん。夢、ではないね。うん」

「え」

 

「ええええええええええええええええええええええええええ!?!!!!?」

 

 無人の街にあーちゃんの大きな声が響き渡った。

 

 

「っごごごごごごめんなさい!! みおちゃんの、みおちゃんの口に、私!」

「いや、いやいや! 先にやったのは私の方だし。……ところでなんだけど、その、ご経験は」

「…………お、お芝居でなら、何度か。ですけど、それ以外だと、その、……初めて、です」

「そ、そっか。あはは、はは」

 罪悪感が両肩に重くのしかかる。魔力切れで、夢と現実の区別もつかない相手に私はなんてことを! それも、無理やり押し付けたような形で。

「み、未央ちゃんはどうですか? ……なんだか、初めからやり方を知っていたようでしたけど」

 言葉尻に抗いがたい圧力を感じる。魔力の供給は無事に成功したらしく、あーちゃんはすっかり、いつもの元気を取り戻していた。そのことに安心してほっと一息ついていると、

「どうなんですか!?」

 ぐい、と、さらに圧力強めで迫ってきた。

「あーちゃん、近い! 近いから!」

「それより、答えてください! どうなの? 未央ちゃん!」

「初めて! 初めてです! 魔術を習う上で、まあ……多少の知識は持ってたけど、けど! 実際にやったのは、あーちゃんが初めてです!! 私の初めてはあーちゃんのものです!!」

「…………!!!」

 ……なんか、どさくさ紛れにとんでもないことを口走ってしまった気がする。あーちゃんの顔がまた赤くなってるし。

 と、お互いにまた黙りこくってしまったところに、

「はいはい。ごちそうさま」

 耳なじみのある声が聞こえた。

「凛姉!?」

「遠坂さん!?」

 二人して路地の入口を見る。空気を呼んでか、士郎さんは割合に早いタイミングで席を外していた。そうでもなければ、あそこまでのことが私にはできない。だから、そこには誰もいないはずで、人のいい士郎さんならばきっと誰も通さないだろうと思い込んでいた。

 ————ただ一人、このあかいあくま以外は。

 呆れとか自身への無力感とか、あるいはこれも運命かとの諦めが入り混じったような、なんとも複雑な溜息をつきながら、士郎さんは凛姉の隣で、

「すまん。俺には遠坂(リン)を止められない」

 本当に申し訳なさそうな声音を出していた。けれどこの時、(士郎さんには申し訳ないけど)私には彼の謝罪が全く頭に入ってきておらず、それ以上に聞いておかなくてはいけないことで頭がいっぱいだった。

 すなわち。

「り、凛姉……いつから、そこに」

「え? そりゃあ、高森さんがあんたに好きですって言ったところからだけど」 

「それほとんど最初からじゃん!」

「ええ。けどね未央、こんな街中で堂々とおっぱじめる貴女も悪いのよ。ふふ、現役アイドルに告られて、あまつさえディープなキスを迫る一般女子中学生…………いくらで売れるかしらね」

「遠坂。顔まであくまになってるぞ」

「おっといけない。ありがとうね、士郎。————まあ、安心していいわ。この土地の管理者(セカンドオーナー)として、あなた達を保護すると決めたのだもの。今回は私がやってあげたけど、いくら無人の街中とはいえ、人払いのいくつかくらいしておきなさい。

 でないと、今度は私以外にも見られることになるわよ」

 むしろ凛姉に見られること以上に怖いこともないと思う。人生の負債的な意味で。

 口をパクパクと開け閉めして、あわあわと赤い顔を百面相するあーちゃんを横目に、私はこれ以上の負債は決して負うまいと決意していた。……おそらくは、遠くないうちに破ることになってしまう、というか無理やり破らされるだろうことが目に見えて分かる、そんな全く全然これっぽちも堅くない決意を。

「帰るわよ、あなた達。士郎~、今日のごはんなにー?」

「凛、温度差が。……カレンをそこで待たせてるんだけど、彼女を教会まで送ってからになるから、そう手の込んだものは作れないだろうな」

「ッチ。あのシスターまだ帰ってなかったか。わざとね、この流れ。どうせならこの後みんなでって士郎が言いだして、それではご相伴にってどこぞの父親によく似た顔をするパターンだわ」

「ははは。容易に想像がつくな」

「何笑ってんのよ。あんたも悪いの、この唐変木。いい歳なんだから、少しは自覚とか自粛とか覚えなさいよね。まったく」

「? なんだ遠坂。嫉妬か?」

「…………………………そうよ。悪い?」

「————いや。悪くない」

 公然といちゃつくなと言ったのはどこのあくまだったのか。私とあーちゃんは、そんなふうなやり取りをしながら路地裏を出ていく二人の背中をぼんやりと見ていた。やがて、あーちゃんが先に一歩前に出る。

「あーちゃん?」

「ごめんなさい。あと少しだけ、時間をちょうだい」

 俯きがちにこちらを振り向くあーちゃん。一度深く息を吸って、それから吐いて、正面に向けれられた顔にはほんの少し朱が差したままだった。

 視界の奥、向き合っている私たちが見えたのか、

「先に行ってる。早く来ないと置いていくからね」

 そう言って凛姉たちはそそくさと角の奥に消えていった。今度こそ、そのすぐ脇で盗み聞きしているなんてことも無いだろう。

「ありがとうございます。義姉(ねえ)さん」

「あーちゃん。今、凛姉のこと……」

 それは、聞きなれたあーちゃんの声でありながら、一度だけしか聞いたことの無い響きが混じっているようにも聞こえた。

「教えてもらったんです。とても、お世話になった人に。そう呼んだら『姉さん』はきっと喜んでくれるだろうからって」

「……うん。凛姉、きっと喜ぶよ」

 おそらく初めのうちは、涙を流しながら。

「それなら、いいんですけど」

 と、あーちゃんははにかむ。そのままの顔で肩掛けのポーチから小さな包みを取り出した。

「未央ちゃん」

 包みを胸元に抱きかかえた。

「本当は、帰ってから、2月14日になってから、渡そうと思っていたんです。けど私、今、この思いのままで、あなたにこれを渡したくて」

 そして、私を優しく見据えながら、

「私のバレンタインチョコ、受け取ってもらえますか?」

 温かそうな手でその包みを差し出してきた。私は、この体を包む寒さから逃れたくて、その箱に手を伸ばす。

 

『それで『それを受け取って』いいのか』

 

 ザっとノイズが走る。背後に誰かがいる気がする。

 

『『それ『それを』『受け取る前に』『受け取ることがどういう』どういうことなのか』ちゃんと、分かっているのか』

 

 それは————

 

『『裏切りだ』『裏切るんだ』『裏切りモノ』忘れて、一人だけ楽になろうとしている『裏切らないで』『置いて『忘れて』いかないで』『許さない』『赦さ『ユルサナイ』ない』ワタシタチは、オマエを許さない『ワタシタチから、オマエは』』

 

 ああ、そうだ。私はどう足掻いたって自分の過去からは逃れられない。

 私にはあなた達を忘れて生きていくなんて、不可能だ。

 置き去りにもできない。裏切ることも、自分を許すことも。

 きっとこれからも私には、あなた達のことを夢に見て眠れない夜が何度だってある。

 

 ——————それでも。それでも構わない。

 

 私は忘れない。裏切らない。その全てを背負って、あなた達の泣き顔を超える笑顔を見に行く。

 私は前に進みたい。友達の一人(アーチャー)が指し示してくれて、誰よりも大切な人(あーちゃん)が待っている未来に、私は、もう一度。

 いつか憧れて、かつて諦めた、普通の女の子としての夢に。

 

「うん。ありがとう、あーちゃん」

 

 私はそこにもう一度、手を伸ばしたいんだ。

 

「これからも、よろしくね」

 

 




情報マトリクスが公開されました。(読み飛ばし可)

・遠坂凛(28)
 ・美魔女遠坂凛。謎のアンチエイジングにより、肌年齢脅威の十代後半をキープ中。1~2年後くらいに未央経由で川島さんと知り合い、『分かるわ(強烈な意気投合)』との握手を交わしたりしたとかしていないとか。
 ・「姉さん。お土産、期待してもいいですか?」
   住み慣れた土地を発つ前にそんなことを耳にして、遠坂凛は心の奥底から確信してしまった。
   ————ああ。きっとこれが、最期なんだろう。
  「うん。期待しておいて」
   それで終わり。遠坂凛はもう二度と桜(いもうと)の輪郭を思い浮かべることすらなく。
   ただ、墓前に供えるならば、一体どんなお土産が相応しいだろうと考えるだけだった。

   ————————

  「そのあげくに、どうしてロンドンでの先輩とのツーショット写真を置いて行くなんて発想にたどり着くんですか、姉さん。そんな先輩と似た者同士でにぶちんな姉さんにはお仕置きです。これくらいのいじわる、笑って許してくれますよね?」

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