Fate/Cinderella night. Encored Grail war ~ニュージェネ+αで聖杯戦争~   作:藻介

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バレンタイン編は前回で終わりだと言ったな、アレは嘘だ。

今後の伏線もありますが、形はどうあれ卯月のチョコを渋谷に渡しておきたかったというだけの話です。おかげでプロットがまた考え直しになったり、ちゃんみおの誕生日を逃したりしましたが、すべては些事、ということにしたい。

とにもかくにも、お楽しみいただければ幸いです。


After3.5/はにかみdays(1)

2月14日(火)

 

「それじゃあ、ちゃんと未央ちゃんにチョコを渡せたんですね!」

「うん……。本当に、良かった」

 バレンタイン当日の放課後。前日の金曜に作戦会議を行って、翌日には二人いっしょにチョコを用意したわたしたちは、この日、互いのバレンタインを報告し合っていました。

「夢みたいでした。実は本当に、途中まで私、これは夢なんじゃないのかって思ってて。けど、夢だって思いたくないくらい、大切な言葉をもらったから」

 昨日の夜に降りだして今朝のうちに止んだ雪。朝方、道路わきへと寄せられたそれを背に、学校帰りの下り坂で顔を赤くしてマフラーにうずめる藍子ちゃん。そんな彼女の表情は布地の下に隠れてよく分かりません。ですがおよそ二週間前、同じ場所で見たごまかしのような笑顔より、ずっとずっと幸せそうに見えていたと思います。

「だから、しばらくは大丈夫ですよ。卯月ちゃん」

 なんの脈絡もなく言われたことに首を傾げます。けれどすぐに思い当たる節がありました。

「あれ? もしかして、未央ちゃんに何か聞いているんですか?」

「ううん。けど未央ちゃん、行く前に『なにかあったらしまむーを頼るんだよ!』って、少ししつこいくらいに言っていたから」

「なるほど。それなら仕方ありませんね」

 ねー。と互いに笑い合います。

 本当に未央ちゃんは藍子ちゃんのことが大好きみたいです。

 

『私が冬木を留守にしている間、あーちゃんのことを代わりに守ってくれないかな』

 そう言ったその日のうちに未央ちゃんは冬木から出て、ご実家のある千葉へと遠坂さんたちを伴い、飛んでいってしまいました。

 今朝、本当に彼女のお家に未央ちゃんがいないのか。そんなことが気になったわたしは、お家の方に電話をかけていました。本当はここ一年ほどの間だけでしたが、わたしにとって彼女は十年以上、この冬木を留守にしたことがない人でしたから。

 どんな朝にも、あの古めかしいドアを開ければ元気な親友か、優しい後輩が出迎えてくれた。わたしにとっても初めての、あるいは久しぶりの、未央ちゃんがいない冬木。

「私の魔力のこともありますから、週末には帰ってくるみたいなんですけど。それでも学校で会えないのはやっぱり寂しいですよね」

「ですね。けど、未央ちゃんの家じゃなくて、藍子ちゃんの家によってから学校に行くのはとても新鮮でしたよ!」

「はい。私も、学校のお友達に来てもらうのは初めてでした」

「それは、未央ちゃんに悪いことをしたでしょうか?」

「ふふ。そうかも」

「未央ちゃんに一つ、秘密、ですね。……ああでも! 別に、絶対に秘密にしなきゃいけないってわけでもないんですよ?」

「はい、分かっていますよ。卯月ちゃん」

 そう言ってほほ笑む藍子ちゃんの顔が、小さないたずらを思いついた子どものように見えて、わたしもつられて笑います。

「……未央ちゃん。嫉妬してくれるかな」

 藍子ちゃんがポツリとこぼしました。

「はい。きっと」

 素直に頷きます。

 それが、二人の仲を険悪にするものではないと。むしろより一層、二人のつながりを強く結びつける。そんな秘密になるんだろうと分かっていましたから。

 

 

 たわいのない話をしているうちに、深山町の中心を貫く坂道も中腹まで下り切っていました。そこからお互いのお家がある住宅地に入って、無事に藍子ちゃんのお家へと辿りつきます。

「なにも家まで送ってもらわなくても良かったんですよ」

 陽が傾いてまた降り出した雪を玄関扉前のポーチで避けながら、彼女はわたしにそう言います。そんな彼女に私は、

「いいえ。ちゃんとお願いされたからには、しっかり守らないと」

 そう建前を言った上で、

「それに、たまには先輩らしいこともしなくちゃですから!」

 と、自分の思いを返しておきます。

「そうなんですね」

 藍子ちゃんもくすくすと笑いながら穏やかな声をこぼしました。

「それなら、明日からもお願いしちゃっていいですか?」

「はい。任せてください!」

 胸を張って答えました。

「さあ、藍子ちゃん。もう寒いですから、部屋の中に入って温まって」

「うん。また明日」

「また明日です」

 ドアノブに手をかける藍子ちゃん。その手が少しの間止まります。

「…………」

「どうかしましたか?」

 何かを考え込んでいるように俯いて、それから、ドアノブから手は離さずにこちらを見ました。

「上がっていきませんか? まだ少しだけ、卯月ちゃんと話していたいです」

 ……きっとそれは、彼女の優しい気持ちから出た気づかいだったのだと思います。ですがわたしには、

「ごめんなさい。この後、用事があるんです」

 だから、その好意には甘えられません。と、はにかみ顔で断ることしかできませんでした。

「そうですか」と藍子ちゃんは、何か別の気持ちを包み隠したような、つかみどころのない声音を返します。

 それきり彼女は押し黙ってしまって、家の中に向けられたその表情を読み取ることはできません。ただ最後に、

「チョコ、渡せるといいですね」

 そう呟いてから「ごめんなさい」と小さく謝っていました。

「いいえ。ありがとうございます」

 わたしのそんな言葉を聞いてから、藍子ちゃんはまたもう一度同じことを繰り返して、暖かなお家の中に帰っていきました。

 

 

 日暮れ前。融けた雪がまた薄く膜を張り始めた坂道を下っていきます。

「どこに行こう」

 行き先は決めていませんでした。けれど目的はありました。足を滑らせてしまわないように、しっかり足元を見て歩きます。

 いくつか、灯のともるお家の前を通り過ぎました。おいしそうな匂いが鼻をくすぐっていきます。カレーでしょうか。バレンタインなのにと少しおかしく思ってから、もしかしたら隠し味にチョコを使っているのかもと、そんな今日だけでもなんでもない特別に目を細めました。

 次に通りがかった小さな公園。小さな女の子と男の子が「また明日」と言い合っています。その手には、どちらからも渡したのか小さな包みが抱えられていました。

 きっと、その言葉の通りに。彼らはまた明日も会えるのでしょう。

 鞄をぎゅっと握りなおします。胸をちくりと刺した気持ちに蓋をして、また歩き出しました。

 住宅地を抜ければ、街並みは信号機を一つ置きざりにしていく度に変わっていきます。

 洋風の押し扉が引き戸になって、やがて立派な門を構える瓦屋根の家が次第次第と増えてくる。大きな石をいくつも積み重ねた高い石垣の下。ずっと奥まで続いていそうな漆喰塗りの塀。

 黒い瓦屋根に白い息を吐き出しました。

「わたし、どうしてこんなところにいるんだろう」

 こんなところにあの人がいるわけなんてない。人を探すなら、やっぱり新都にでも行くべきなのに。どうして私は深山町をうろうろとしているのでしょう。

「でも、どうしてだろう」

 日はとっくに沈んでいました。かつての、二週間前の夜を思い出します。

 未央ちゃんとアーチャーさん、そして、セイバーさん。ただ一度学校から新都を横切って街向こうの教会まで歩いて行った、とても月がきれいに見えていた夜。

 こんなところは通ってなんかいません。彼女と、ここに来たことはなかったはずです。

 それなのに、どうして。

「どうして、あの人がここにいたかもなんて、思うんだろう」

 分かりません。分からない。

 どうしてわたしはこんなところまで、自分の家からもずいぶん離れた場所にいるのか。

「それは、あの人のことを探したくて」

 どうして彼女を探しているのか。

「それは、あの人と約束したから」

 どうしてこんな日に、こんな遅い時間に探しているのか。

「……それは、あの人にチョコレートを渡したくて」

 ————————。

 

 ————あの人が、わたしのことを覚えていないはずだって言っていたのに?

 

 足を止めます。ふいに通り抜けた風に人の体温は微塵も感じられません。

 触れた白壁に背をつけてもそれは変わらないままでした。ついその場にうずくまってしまいます。

 こんな時、セイバーさんがいたら、きっとわたしの腕をつかんで。なによりもまず風邪をひいてしまわないようにと、わたしをどこか暖かい場所まで連れて行くのでしょう。わたしがありがとうございます、なんて言っても、

『ううん。何でもないよ。それより、卯月が無事で良かった』

 そう、ただ当たり前のことをしているんだって。ついでに歯の浮くようなことをいくつか言って。わたしが何を言ったとしても、きっとそんな風に言いくるめられてしまう。

 ああ、それはなんて暖かい。まるで春風のような————

「ひゃっ」

 首筋に冷たい感触。触ってみるとマフラーの内側が少しぬれていました。おそらくですが粉雪がたまたまそこに入り込んだのでしょう。

「わたし、何をしているんでしょう」

 雲間の一つもない夜の空に投げかけました。返事は当然ありません。

 吹き付ける風はどれも冷たくて、肌を切り裂いていくようで、少しでも逃れようと腕の中に顔をうずめます。それでも冬の寒さは耳の先、触れている地面、服と服の合間、あらゆる場所からわたしの体温を奪っていく。

 音も光もない世界。ただ少しずつ体が冷えていく。それはどこか身に覚えがあるような気がしました。

「(そうだ。たしかあの時は、歩いていた先で一つの星を見つけて)」

 けれど今日はその星もすべて雲で隠れてしまっている。なら、この世界に出口なんて。

「あれ? そんなところにうずくまっちゃって、どうしたの?」

 ふと、視界が明るくなりました。気になって顔を上げると今度はそれを直に目にしてしまって、目の前がちかちかします。

「あわわ。ごめんごめん、ヘッドライトつけっぱなしだった……って島村さん!?」

 名前を呼ばれました。しばらく目をつむってどうにか回復した視野で、声をかけられた方を見上げます。そこには、

「藤村、先生?」

 どこにも黄色と黒を取り入れていないのに、どうしようもなく虎を連想させる、わたしのクラス担任の先生がスクーターにまたがっていました。

 

 

 わたしがもたれかかっていた塀は、藤村先生の管理しているお宅の物だったらしいです。今は遠いところに出かけていて留守にしているとのことでしたが、藤村先生は我が物顔で上がっていきました。

「ここもわたしの家だから」と、なんの躊躇も見せずに靴を脱ぎだす藤村先生に手招きされて、わたしも入れてもらいました。もちろん、お邪魔しますと言ってから。

 そして、何はともあれ温まって行ってとお風呂に押し込まれ、わたしは仕方なさげにその言葉に甘えることに。……もしもここで少しでもためらう様子を見せてしまえば、虎に背後からみぐるみをはがされる、そんな予感がしてならなかったので。

「すいません。お風呂をお借りしてしまって」

 そんなわけで、今時の一般家庭には珍しい檜風呂を堪能したわたしは、居間でお茶を飲んでいた——別に背後になんか隠れてはいませんでした——藤村先生にお礼を言います。その上お茶やらお茶菓子やらを矢継ぎ早に差し出されて、断る暇もなく座らせてしまいました。

 ……なんというか、この人には本能的な部分で逆らえません。虎と兎のような意味で。

「ううん。いいのいいの! ていうか、蛇口から茶色い水とか出てこなかった?」

「え、うぇ!?」

 思わずお茶をこぼしかけました。

「いやね、普段からちゃんと掃除とかはしてるのよ。けど水回りからはちょーっと遠のいちゃうっていうか、特にこの時期は寒いでしょう? 先生しかたないと思うの! だから帰ってくるなりそのことでお小言を言ってくる士郎はお姉ちゃんひどいと思います!! 島村さんも、そう思うわよね!?」

「は、はい。そうですね、あはは……」

 おそらくですが、その士郎さんという人がお小言ついでに掃除してくれていたのでしょう。昔なにかの本で読んだブラウニーという妖精さんを思い出します。士郎さん、本当にありがとうございました。いえまあ、知らない人なのですけれど。

「ほんっと頑固なところは昔からなにも変わっていないんだから。そのくせ、つい一週間前に帰ってきたと思ったら今朝には居なくなっちゃって、あーあ、変なところばっかり切嗣さんに似て行っちゃうんだもんなぁ。それにね」

「あ、あの!」

 このままだと、きっと日付が変わってもたわいのない話をし続けているような気がしました。それではいけないと思ったわたしは、どうにか待ったをかけます。

「お風呂も、それからお茶菓子も、ありがとうございました。わたし、行かなきゃいけないろころがあるので、これで失礼します」

 幸いにもお洋服までは借りていません。体を洗った後ですけれど、今袖を通しているのは歩き回っていた時と同じ制服です。鞄を持ってマフラーとコートを羽織ればそのまま出ていく事ができます。

 ストーブの暖かさには勝てませんが、それでもわたしは、行かないと。

「ねえ。どこに行くの?」

「——————え」

 座布団から立ち上がりかけていたわたしは、そのあまり藤村先生らしくない一言に、つい動きを止めてしまっていました。

「藤村先生?」

「答えて、島村さん。あなたはどうして、あんなところにいたの?」

「それ、は」

 答えようか悩みます。けれど、藤村先生の珍しく真剣な表情を見ていると、きっと何か理由があるんだろうと考えてしまって。わたしは結局話しておくことに決めていました。

「……わたし、好きな人ができたんです。

 月の光みたいにきれいな声で、風みたいにまっすぐな目をした人です。

 ですけど、すこし遠くに行ってしまって。

 迎えに行くって約束しました。覚えていないかもしれないけど、あの人は今、わたしのことなんて待っていないのかもしれないけど、それでもわたし、あの人を見つけに行かなきゃいけないんです」

 だって、

 

『——————だから、迎えに来てくれる?』

 

 いつだって強かった彼女が最後、祈るようにそう言っていたから。

「だからわたし、ここにはいられません」

「……そう」

 藤村先生は目をそらすこともせずに、ただわたしの言葉を最後まで聞いていました。ですが一度だけ、うつむきがちにお茶を口にして。それから厳し気だったその表情を和らげます。そうして言い放った一言は、

「でも、ダメよ。外はまだ寒いもの。暖かくなるまで、春になるまで待っていなさい」

 ずっとずっと昔、言いたかった誰かに言えなかった、そんな寂しさを湛えていました。

「ごめんなさいね。先生には、きっとその気持ちが分からない。だってずっと見送ってばかりだったもの。……わたしは、行ってきますって言うその背中を、一度も呼び止めることができなかった。いつだってただいまを待っていた先生には、島村さんたちがどんな思いで出かけていくのかなんて、想像することしかできないんでしょうね」

 藤村先生は確かに、わたしにむけて話しかけていたように思います。けれど、たぶんですが、わたしを通してだれか別の人を見ていたのではないかとも、考えてしまいます。

 それでもその弱さは、セイバーさんが最後に見せたものと似ているように見えて、わたしにはそれを無視して出ていく事ができませんでした。

「でもね、これだけは分かるの。会いたい人に会えないって、たとえば正義のヒーローにだって、辛いことなのよね」

 沈黙が耳に響きます。そうして二人、口を閉ざしてようやく気付きました。

 この家は、藤村先生が何も話さないだけで、その広さをいやに気にしてしまう。

 こんな場所で藤村先生は、ずっと誰かの帰りを待っていたのでしょうか。

 ——————ずっと、一人きりで。

「春になったら、きっと雪が溶けてね、見えなかったところからひょっこり顔を出してくれるかもしれない。だから、それまでは待っていてほしいの。待っている人だって、きっと島村さんには元気でいてほしいって、そう願っているはずだもの」

 そう言って藤村先生はつと立ち上がって、背後の棚上に飾られていた植木鉢を見やります。そこには本来、季節の花々を飾るのでしょう。ですがこの時はほんの一メートルの背丈もない、葉をすべて落とした小さな苗木が植えられていました。

 その滑らかで薄く桃色を帯びた樹皮には見覚えがあります。

「桜」

「もうすぐ植え替えなの。譲ってもらったものだけど、時期が悪くてね。それまではこうして家の中で育てないといけないみたい。ほんとはこんなに手のかかる子だったのね。先生、知らなかった」

 藤村先生がその桜の苗木を見る目は、とても優しいものでした。枝先を撫でようとして、寸でのところで止めてしまう。そんな一つ一つの動作にさえ温もりを感じられます。まるで大切な家族を見ているような、いえ、それはさすがに考えすぎなのでしょう。

 けれど少しだけ安心します。すくなくともあの桜の苗木といっしょにいた間だけは、何も知らないわたしにだって、藤村先生は一人きりではなかったのだと確信できましたから。

「これからだって、いっぱいお世話しなくちゃ。ここは桜ちゃんのお家でもあるんだから。…………ねえ、島村さん」

 桜の苗木と向かい合ったまま、藤村先生はわたしを呼びました。

「なんですか、藤丸先生?」

「島村さんには、やらなくちゃいけないことがたくさんあるのよね?」

「……はい」

「こんなことを言うのは、たぶん教師失格なんでしょうけど。けど一つだけ、先生のお願い、聞いてくれないかな」

 首を縦に振りました。見てもいないそれを、先生はどうやってかちゃんと受け取っていたみたいです。わたしが頷き終わってから少しだけ後になったところで、話を続けていました。

「いつか冬が過ぎて、春になったら。きっと桜ちゃんも小さいけど立派な花を咲かせるはずなの。どれだけ後になっても構わないから、それを元気な二人で見に来てほしいな」

 だから、どうかそれまでは、自分のことをちゃんと大事にしてあげてほしいと。

 藤村先生もまた祈るように言っていました。

 

 

Interlude 2月14日(火) 午後八時過ぎ

 

 それは島村卯月が藤村大河の送っていくとの申し出を断り、一人自宅へとまっすぐに帰っていった、そのほんの30分だけ後の出来事。

「大河さん、桜の調子を見に来たよ」

 ジャージに花屋の制帽を被った黒髪の少女が衛宮邸のチャイムを鳴らした。大河はすぐに玄関まで走っていって、引き戸を開ける。

「およ? 凛ちゃんじゃない。こんな時間だけどお母さんは?」

「お母さんなら車。調子見るだけなら、私一人でも大丈夫だからって出てきた。上げて」

「はいはいちょっと待っててね。今お茶入れなおすから」

「いや、用事終わったらすぐに行くから。お母さんだって待たせてるんだし……」

「え? でも食べていくでしょう、チョコ? 凛ちゃん、昔っからチョコレート大好きだったもんね」

「……まあ、そうだけど、さ」

「そうと決まれば! ほらほら!」

 腕を引っ張られていく少女。狼も本能的に虎が不得手なのだった。アレに勝てるのは獅子くらいな物と相場が決まっているのである

「それでそれで? 今年はいくつ貰ったのよう、罪作りさん。本命とかあった?」

「…………あのさあ。それ毎年聞いてくるけど、全部友チョコだって。第一私、女なんだから、本命が混じってるわけないでしょ」

「え~。絶対いくつかはそれだって! 凛ちゃん美人さんだもんね。男の子には当然だけど、きっと女の子たちにだって隠れファンがいるわよ、絶対」

「そんな馬鹿な。えっと、枝のしなりは十分。土が少し乾燥してるから、もう少し水やりはこまめにね」

「はいはーい。で、結局いくつだったの? お姉さんにだけこっそりと、教えてしまっても構わないん、だぜ?」

「まだ言うか……。そういう大河さんはどうだったのさ。学校ではすごい先生してるって言うんだし、さぞ生徒諸氏におモテになるのでは?」

 もちろん冗談である。少女は大河が教師をしている学校の生徒ではない。だが普段から藤村大河は藤村大河なのである。そんな彼女が生徒からの憧れだなんて、どれだけ奇天烈な策を講じればそうなるのか少女には想像がつかない。そして実際、概ねそれで間違いないのだから、周囲としては全く手に負えない。

 逆に、無関係の人間にはこうして面子を保っている以上、その矛盾点を着くことは藤村大河最大にして唯一とも言えそうで言えなくもない弱点たりうる。

 少女だって、これまで大河のセクハラまがいな言動のいくつかを、そうやって乗りこなしてきた————のだが、この日の大河から余裕の笑みが消えることはなかった。

「ふっふっふっふ」

「ま、まさか……!」

「そう! 『大河さんってたしかにかっこいいけれどなんかコワいよね~』と言われてからはや○○年!!!!(本人の名誉と脆く儚いガラスの心を守るため具体的な数値は伏せる) 血を飲んだ! 涙を飲んだ! あと汗とか道場磨き後のバケツの水が頭から被った時に少し口に入っちゃった!! だが、それもすべては今日この日のため!! なんでか知らないけど音子にあの桜ちゃんさえくれなかった、あの! 友、チョコ!!! もはやわたしの中では一つのオーパーツ的な何かにさえなりつつあったそれを、不肖藤村大河36歳は、今日この日初めて! 手にしたのでアール―ウーー!!!!」

「な、な、なんて悲しい話……!」

「………………………………そうなの。せめてこの悲しみを分かち合いましょう。ねえほら、こっちに来て凛ちゃん。チョコ、食べる?」

「いやそれ、大河さんが初めてもらった義理チョコなんじゃ」

「友チョコ! 友チョコだから! さっき相談に乗ってあげた生徒が『今年は渡せませんから、代わりに受け取ってくれませんか?』って渡してきたものだけど、ぜったいぜったいこれは友チョコなんですぅー!」

「はいはい良かったですね大河さん」

「凛ちゃんが敬語!? わたしよっぽど気を使われてる?!」

 桜の苗木から、そのくらいに(S)しておいてあげてください(S)藤村先生(F)とのツッコミが飛ぶ。もちろん、居間にいる二人に届くことはないが。

「とにかく。これ本当においしいんだから、凛ちゃんも一つどう?」

「ええ。お客様のおしゃるままに」

 大河が机の上に広げていた小箱には、ハート形に切られた小さいガトーショコラがいくつもきれいに収められていた。そのうちの一つを受け取る。

 丁寧に貼られたフィルムをはがして、一口かじる。どうせ素人が作った物だから、それほどの物でもないのだろうと少女は思う。大河の絶賛だって、いつもの身内びいきに違いない。

 通を気取るつもりはないが、それなりに舌は肥えているはず。そんじょそこらの出来では、絶対においしいだなんて言ってやらない。

「うそ……本当においしい」

 もう一つ追加で手に取り、今度はゆっくりと口の中を転がした。

 目視した段階でテンパリングは正直に言って少し雑だった。スポンジ生地の舌触りも店売りの物に劣るし、クリームの泡立ちも、時間が立っているからなのかイマイチ。なにより甘い。少女の好みはもっと苦めだ。なのに、そう言ったあれこれを抑えて、まず一口目においしいという感想が口をついた。

「ちょっと大河さん……って何? そのにやけ顔」

「ん? いーや。なーんでもなーい」

「いやそれ、明らかに何か知ってる顔でしょ。教えてよ、もしくはその子に聞いてよ。これどこで買ったものなのかって。どうやったらこんなチョコができるのかって」

「ふふーん。それはね」

「それは?」

「愛じゃよ。愛」

「どうしてそこで愛なの」

「どうしてだろうね~。わたしにも分かんないや」

 

 

 それはあるいはバレンタインの魔法(きせき)、だったのかもしれない。

 


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