Fate/Cinderella night. Encored Grail war ~ニュージェネ+αで聖杯戦争~   作:藻介

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まったく関係のない話ですが。
最近ゆったりとひだまりスケッチを読み直していたりするのですが、読めば読むほどヒロさんと藍子が似て見えてくるんですよね。
それにしても、宮ゆの尊い。


After4.5/ありがとうを、次は贈りに行こう

Interlude

 

 手跡を残して窓をたたく。そんな雨の音で目が覚めた。

「……ここは」

 前後の記憶がはっきりとしない。それなのに、今自分がどこにいるのかは分かっていた。

 窓の向こうには何も無い。ただ、少しの先も見えない暗がりから、雨が叩きつけられているのが認識できるだけ。そんなだから、外を眺めても見えるのは反射して映る室内の様子だけで……ああ、それから、さほど好きでもない自分の顔だってきちんと見えていた。

わたし(・・・)の名前は本田未央。小学六年生。わたしは魔術師で、人殺しだ」

 この顔をしたやつが、わたしが誰なのか。憶えていることはそれくらいだった。それなら、この後にやるべきことなんてはっきりしている。

「殺さなきゃ」

 ここはそういう地獄なのだろうし。

 鉄筋コンクリート造りの長い長い廊下。木製の柱とモルタルの壁、アルミサッシの窓が規則正しく順番に並び、全く同じ形をした部屋をいくつも仕切っている。

 ずっとずっと続く。歩き続けてなお出口の見えないこの場所は、わたしの脱出を拒んでいる。

 ……わたしだって、ここから出ていくつもりは微塵もありはしないのだけど。

 そのうち、ただ歩き続けることに飽きて、部屋の中を覗いてみた。

「お。未央じゃん! 何してんだよそんなところで。お前も早くこっち来いよ」

 同い年くらいの男の子が腕を元気よく振り回している。彼は他数名と、昨日見ていた野球中継の話をしていたらしい。男女入り混じってじつに和やか。たとえその(からだ)に、頭と両脚、心臓がついていなかったとしても、彼の周囲に流れる空気もわたしが彼に抱いていた印象も、何もかもが変わらないまま。

 ————やっぱり、殺さなくちゃ。

「ごめん! 用事思い出しちゃったから行ってこなくちゃ」

「そっか、……残念だな。お前下手したら男子よりも守備上手いもん」

「そんなことないって。フツーだよ、フツー」

「「「また未央がそんなこと言ってるー」」」

 周りの数名が同じことで笑っていた。

「……でもさ、オレ。お前と話してると、すっげー楽しいんだけどな」

 ————うん。わたし/私もすごく楽しかった。

 だからこそ、わたしは……。

「またな、未央!」

「うんっ。また」

 また今夜、悪夢の中で。

 廊下に戻る。歩く。歩き続ける。

 どこまで行けばいいのかは分からない。もしかしたら、同じところをぐるぐると回り続けているだけなのかも。きまぐれに戸を開けて、いつかの幸せに溺れて、ただ迷い続けているだけでも、永遠に近い時間を何度でもここで繰り返せることだろう。

 ————それでも、殺さなくちゃ。

 ひとまずの目的があった。やらなくてはならない、やらずにはいられないことがあって、今はそれ以外にかかずらっている暇がない。

 たとえそれが、永い夢の終わりだとしても。それでも、わたしは——

「——わたしは、私を殺さなきゃ」

 

Interlude out

 

 

 喫茶店アーネンエルベを飛び出して、必死に走っていた私をレンタカーに乗っていた士郎さんが五分もせずに捕まえて、そうしてとりあえずは、アーネンエルベから冬木の電車駅、いくつか乗り換えた先の渋谷駅から事務所まで歩いていく分の時間を節約できて、その半分の時間で先に帰ってもらうよう士郎さんを説得して。

 フロント前で待っていた文香さんと直接話ができたのは、電話を受けてから40分と少し過ぎた後のことでした。

「……お忙しい時間に呼び出してしまったようで、すみません」

「いえ。文香さんの話を聞いてここに来たのは私の方です。呼び出しを受けたわけではないと思いますけど」

「それでも……例えどのような表現を用いて伝えていたとしても、結果はさして違わなかったはずです」

「————」

「すみません……少し、意地の悪い言い換えでした。それよりも今は、現状説明の方が先決でしょう」

「……はい。お願いします」

「分かりました。それでは、歩きながら」

 人が集まっていたロビーを横に。文香さんの歩幅はいつもより少しだけ広く、中庭の方角へと向いていました。

 

 

 それは夕方の四時ごろ。

「お、お姉ちゃぁああぁああーーーーーん!??!!」

 お昼からのお仕事、そのほとんどがひと段落して、とても緩やかな空気が流れていた。そんな午後を上から下へと破り裂いていくような一つの叫び声を皮切りに、事態は次から次へと同時多発的に明るみになっていったのだそうです。

 

「み、美嘉ちゃんが、コ○ンくんみたいにするするって小さく……!?

 ……でも。なんだか。すっごく————おいしそう」

「まって、まってみりあちゃん……とにかくこのうではなし力つよッ!? え、え。えまってまってだれかたすけ、あ——あ、あ……ぅあああああ!!」

 

「おい待て加蓮おまえどこにいくつもりだ——ってツボが倒れ、加蓮危ない! ……ふう。無事か加蓮——がいない。おいどこだ返事しろ! かれえぇえん!!

 おい凛! お前も加蓮探すのてつだ」

「————————」

「りんちゃん? どうしましたか、りんちゃん?」

「ダメだ。寝かせてやってくれ卯月。凛のやつ、(お前の可愛さに)死ぬほど憑かれてんだ」

 

「もしもし千夜です。そちら颯さんの携帯でしょうか? 凪さんを発見しました。至急合流を……え? お嬢様がそちらに? 三十秒以内でそちらへ向かいます。どうか動かないで。ご心配なく、場所はすでに把握しておりますので。道中凪さんを振り落としてしまう可能性がありますが、どうぞその場を動かずに、じっとしていてくださいますよう……」

 

「あの、どなたか晴さんを見かけませんでしたか? 梨沙さんと一緒に探してはいるのですが、どうにも上手くいかなくて……もしも見つけた方がいたら、ロビーで合流を」

「あ、そういうことならうちの幸子ちゃんも! なんていうか、その、血眼になって探してる紗枝ちゃんやまゆちゃんよりも、先に見つけたいなあ。なんて」

「えっと、じゃあわたしも沙紀さんを。みんなのご飯で、ちょっと手が離せないっていうか……」

「あー、めんどくさ。きらりも見つけたらよろしくねー。わたしはてきとーに散歩してるからさ」

 

「うわぁあああん!! だれかぼくを助けろよぉ! あのねあきらちゃん、髪の毛たべないでぇえ。色付きそうめんじゃないからぁ! ……ところであかりちゃんは一体なにをうっとぉ!? 包丁!? 殺る気なの? それで青森をぐさーってするつもりなの!? え。違う? リンゴロウの化けの皮をむきたいんごって? なあーんだそれならなんの問題も——ってちょっと待てええい!!」

 

 そんなふうに、突然幼児化して、その上野生(リヨ)化したり無言(プチでれら)になったり。ものの十数分で保育所のごときカオスに包まれてしまった346プロダクション。

 けれどなんとか、事務所総出での協力もあって、幼児化したアイドルやスタッフさんたちの保護も進んでいました。事態が半ば収束に向かいつつあったそんな時、主犯による自供が館内放送から事務所中に広く知れ渡ったのです。

 

「にゃーっはっはっはぁ!! みんなー、楽しんでるーー? ええそうですアタシがやりました。ミカくん、全部アタシのせいだ。ま、もうちょい具体的にみんなに何したのかって言うとね、今日のB定食のカレー鍋に、失敗作の志希ちゃん印のアホ○トキシン346混ぜちゃった。てへ。

 あ、失敗作って言ってもなんかヤバい副作用があるわけじゃないから、そこは安心して。ぶっちゃけ効果時間が想定以上に短かったんで、とりあえず失敗作ってことにはしたんだけど。期待してた効能はちゃんと発揮してるみたいだし、みんなにとっては誤差かも」

 

 志希ちゃんの自供はその実かなりの割合で、美嘉ちゃんいじり(彼女の趣味)が含まれていたり、彼女を含む一部にしか分からない原理的な話が含まれていたとのことです。そのため、そのすべてを話している時間はないと判断したのでしょう。

 文香さんは今の私たちに必要な部分だけを抜き取って、一つずつ説明してくれました。

 

 一つ。志希ちゃんは失敗作のお薬をカレー鍋に入れることで、廃棄するとともに、何かの実験をしようとしていたらしいということ。

 

 二つ。お薬の主な効果は理性の蒸発、ないし本能に対してとても素直になること。

 幼児化はこれを最も安全かつ自然に叶えるための副次的な効果に過ぎず。まだ学校にも通わずに、歩くこと、話すことを憶えて間もない、おおよそ4、5歳の年齢に戻す。それが薬の設計を考えた志希ちゃんが想定していた、薬の本来の作用結果。

 効果時間は個人差を含めても、最短で4時間。長くて半日以上は続かない。

 

 そして、三つ目。今回の騒動で志希ちゃんが本来の目的と据えていた『実験』。それが彼女の目から見ても、結果そのもの(・・・・・・)を見た何人かの目から見ても、明らかに——

 

 ——失敗していた、ということ。

 

 

 目的地である事務所の中庭。そこで待機している人がいったい誰なのか、そして現状どんな状況にあるのか。

 その待機指示を出していた文香さん本人から聞いていたので、知っているには知っていたのですが。

「……本当に、茜ちゃんなの?」

「はいっ!! ひのあかねですっ、あいこちゃん(マスター)!!」

 志希ちゃんのお薬は、お昼のB定食のカレーに混入されていたとのことです。であれば、茜ちゃんも未央ちゃんや他のみんなと同じように、その被害にあっていて当然と言えるでしょう。

 最年長でありながら、ポジパ(わたしたち)の中で一番低かった彼女の身長は、今となっては私の腰より少し高いところにとどまっています。手足も半分ほどに縮んでいて、けれど体の内側に宿る元気さはいつもの彼女となんら変わらない。——いえ、ひょっとしたら、それ以上になっているのかも。

 そのことの何よりの証拠として、私は彼女が言っていた一単語を確認します。

「茜ちゃん。今、私のことを『マスター』って呼びましたか?」

「よびました!!!! あいこちゃん、わたしはあなたのサーヴァントですからっ!!」

「…………私が、茜さんを保護したときからこうなのです。未央さんを助けられるのは……自分の『マスター』である藍子さんだけなのだと。彼女が幼児化してすぐに失踪したのは、藍子さんを探すため。私はそんな茜さんに、藍子さんを電話で呼び出すと進言して、どうにか彼女を保護することができました。……あの、藍子さん。今の茜さんの状態について、何か心当たりはありませんか?」

「…………」

 心当たりならありました。

 今の彼女は間違いなく、一年前の再演された聖杯戦争に、私のサーヴァントのアルターエゴ日野茜として参加していた、あの時の状態にかぎりなく近づいている。

 はたしてそんなことが本当に可能なのか。魔術師としての理屈をよく知らない私には判断がつきかねるのですが。けれど、状況からはそうとしか言いようがないみたいなのです。

 三画すべて使いきった令呪。残っていないはずのその痕を通じて、彼女のステータスを読み取ることができてしまっていました。スキルは軒並みダメで、宝具も使用できない……というより、そのほとんどは英霊の座から借り受けて(ダウンロードして)いた、神霊由来のものでしたから、使えないのではなく、無くなっていると言った方が適切なのでしょう。

 それでも、破格のステータスはおおむねそのまま。低級のサーヴァントであれば、宝具による逆転を除いて十分に圧倒できるスペックを保持しています。

「……すみません、文香さん。どこまで説明してまっていいものか、私には判断ができません。でも、おそらくですけど、これは彼女独自の幼児化による副作用なんじゃないかと。それくらいは私にだって伝えられます」

 志希ちゃんのお薬、その本作用は理性の蒸発。そして偶然の一致か、茜ちゃんがかつて持っていたスキルにはこれとよく似た名前の『理性蒸発』というものがありました。

 物事を深く考えず、本能的に感じとった最善の選択を素直に選ぶことができる。これによって、彼女はいくらかの精神妨害を克服し、ほんとうに微々たる効果ではあったらしいのですが、神霊との精神的同居にも一役くらいなら買っていたというスキル。

 きっとこの状況の一致こそが、一つの条件(トリガー)になっているはずです。

「つまり……薬の効能が切れれば、その時点ですぐ元に戻ると。……藍子さんは、そう言いたいのですか?」

「はい。ただ、すぐにかどうかはちょっと自信がないですけど」

 以前、聖杯戦争が終わった後のころにだって、こんな後遺症めいた状態が一、二週間ほど続いていましたから。

「それでも、ずっとこのままという心配なら、多分しなくてもいいんじゃないかって思います」

「……そうですか」

 ほっと一息。文香さんは安堵の息を吐き出しました。ひとまずこれで、彼女を安心させることはできたみたいです。

 一つの問題が片付いたところで、私は茜ちゃんにもう一つの問題を尋ねることにしていました。

「それで、茜ちゃん。私を探していたって文香さんは言っていましたけど。そしてそれが、未央ちゃんを助けるためだって。それって一体どういうことなの?」

「うーん……どうせつめいすればいいのでしょう」

 茜ちゃんはひとしきり考えるそぶりを見せてから、けれどすぐに文香さんに助けを求めてか、彼女を見やりました。そんな茜ちゃんに文香さんは一言。

「実践して見せるのが……一番、手っ取り早いのではないでしょうか」

「わかりましたっ!!! 二人とも、少しはなれていてください!!」

 文香さんが二歩後ろに下がります。けれど、それではまだ足りないはずです。

「文香さん。衝撃が来ます。渡り廊下の柱の裏に行きましょう」

「え…………は、はい。分かりました……」

 手を引いて建物そばまで急ぎます。途中、何の気も無しに見上げた二階の窓辺。そこに、誰かがいたような気がしました。

「(あれは——)」

「藍子さん……そろそろ茜さんに、合図を出そうと思うのですが」

「え。あ、分かりました。お願いします」

 二人して柱の影まで移動し終えていました。

「はい。それでは茜さん——」

 ほんの一瞬、文香さんは茜ちゃんへの合図にと柱の外側で指を鳴らして、

「りょうかいですっ————どおおおおおおおっっせえええぇいっ!!!!!!!!!」

 急いでひっこめたその腕が手元に戻ったちょうどすぐ後に、大量の水の塊を手のひらで思いっきり叩いたような音が辺りに響きました。

 与えた力がそのまま跳ね返されて風に乗っていく。植えられていた花の花びらと土埃が入り混ざって、柱の陰でそれらを避けていた私たちのすぐ脇を、しばらくの間、ごうごうと駆け抜け続けていきました。

 風はすぐに止んで、足元にはまだ土埃が残っています。口元を首のストールでおさえて咳をしていた文香さんの背中をさすります。目じりに少しの涙を湛えた彼女は長く伸びた前髪の隙間から、こちらを上目づかいに見上げて。

「……藍子さんは、茜さんが何をするのか、けほっ……知っていたのですか…………?」

「いえ。ただ、あの状態の茜ちゃんなら、なにをしてもこうなっちゃうんだろうなあって。そんなふうに考えていただけなんです。いえ、それにしても一体、なにをどうしたらこんなことに——」

 

 ————黒い、穴が開いていました。

 

 中庭の真ん中に立つ茜ちゃん。彼女の頭上の空間が波を打って揺らいでいました。さっきまで何の変哲もなく、ただ向こう側が見えていたはずの中庭は、水面のように胎動する大きささえよく分からない透明な壁で二分されていました。

 穴が開いていたのは茜ちゃんのちょうど目の前。何物にも動じないはずの水面に、半径2メートルほどできたひび割れのような、それは——

「あれは…………いったい……」

 ——見覚えがあるどころではありません。……あれは、あのなかで渦巻いているモノは——かつて黒い聖杯と同化していた私が、その内側でずっと覗いていたこの世全ての悪(アンリマユ)。それとまったく同質の悪意たちです。

 絶対量なんてものを比べては足元にも及びません。多く見積もってもせいぜい十数人くらいでしょうか。けれど質について尋ねられては、易々と優劣を比べられはしない。

 殺意と忘却への憎悪、奪われた何かに対する嫉みと怒り、無理解から来る怨嗟の声とが混ざり合って、それらすべてが生きもの(わたしたち)を拒絶している。

 殺す。

 引き裂いて殺す。内臓を抉り出して殺す。生命力(まりょく)を際限なく吐き出させて殺す。

 生きているという事実。その全てをハク奪スる。

 ……アレに、生身で触れでもしては、まっとうな存在である以上ろくな死に方はできない。馴染みのあった感覚に、たやすく魔術回路が反応して、血管が指先から順に泡立っていくのが実感できました。

「(ダメ……。まだ、未央ちゃんがどこにいるのか分かってない。無駄遣いできる魔力なんて、少しも無いんだから)」

 胸の中でかちりと音を立てて回り始めかけたばね仕掛けを、奥歯を噛んで強引に抑えつけました。これであと、どの程度耐えられるか。

 結論を急ぎます。文香さんを柱の影に残して、茜ちゃんのそばにかけよりました。

「茜ちゃん。結界(かべ)の一部を壊したんですね」

「はいっ! あいこちゃんなら、すぐに分かってくれると思っていました!!」

 私なら? 茜ちゃんが何をしたのか、私になら分かるとどうして茜ちゃんは思っていたのでしょう。どうして私は、これが結界なのだとすぐに理解できたのでしょう。

 無意識に浮かんだ疑問を今は無視します。

「茜ちゃんになら、この先に行くことができるんじゃないですか?」

「それは、ざんねんながらできません……前のわたしがていこうできたのは、スキルがあってのことでしたから」

 予想できたことです。落ち込む茜ちゃんを気づかう余裕がないことに胸が痛みますが、現状は話を前に進めなくてはいけません。

「この結界を張ったのは、もしかしなくても————」

「おもしろそうな話してるねー。アタシもまぜてよ」

 張り詰めた空気に一石を投じる声。文香さんの声ではありません。振り返れば、先ほどちらりと見た二階の窓が開けっぱなしになっていて、その真下に一人の女の子が立っていました。

 薬品の蒸気で蒸れてしまったようなウェーブの黒髪をたなびかせて、女の子は近寄ってきます。

「……わかりました。なら、質問を変えます」

 私は、茜ちゃんといっしょに彼女を見やって、一つの確認をその子に投げかけました。

「失敗した実験。カレー鍋にお薬を混ぜ込んで大勢の人たちを幼児化した一連の騒ぎ。だけどそれは、本当はたった一人だけを狙った実験だった。その、たった一人っていうのは——未央ちゃんのことなんじゃないんですか? 志希ちゃん」

 花壇一つぶんの距離を取って立ち止まった女の子。事務所中を混乱の渦に巻き込んだ張本人、一ノ瀬志希ちゃんは、

「せいか~い。よく解ったね、百点満点あげちゃう」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて頷きました。

 

 

「まじめっぽい話に茶々入れちゃってごめんね、藍子ちゃん」

「…………」

「まあでも、気になっちゃってさー。未央ちゃんに起きたことだってそうだけど、二人の後ろにある逃げ水みたいな空間異常にグロテスクなブラックホールまがいなんて、明らかに人智で理解できる範疇を超えちゃってる。そして、そんな超常現象をまるで何度か見たことでもあるみたいに話す、藍子ちゃんと茜ちゃん。二人こそがこの場において最も異常な存在に思えるんだけど」

「……志希ちゃんは知ってるんですね。未央ちゃんに何が起きたのか」

「へえ。質問に質問で返すんだ。藍子ちゃん、いつになく焦ってるみたいだね。汗、すごいよ」

 限界が刻一刻と近づいていました。ここで私が抑えられなければ、かつての夜、柳堂寺を襲った時と同じになってしまうかもしれない。それでは未央ちゃんを助けるどころの話ではありません。

 まず真っ先に隣にいる茜ちゃんから手を出して、それから今度はことの発端だからと理由(いいわけ)をつけて志希ちゃんに——

「手短にお願いします。未央ちゃんを早く助け出さなくちゃいけないんです」

「オッケー。事情があるのは察したよ。ならまずは動機と目的から」

 

「————まあぶっちゃけ、気に入らなかったんだよね」

 

 志希ちゃんは酷く冷淡に言い放ちました。かと思えば次の瞬間にはおちゃらけた表情に戻って「ついかっとなってやっちゃった。後悔はしてないよ」なんて、自分で自分の気持ちにお茶を濁すようなことをしていました。

 そしてまた次の一瞬、冷たい目をして。

「前に響子ちゃんに似たようなこと言ったことあるんだけどさ、嘘を吐くんなら、何かをごまかすなら、ずっとずっと真剣にやってほしいわけ。やりたいことがあるんならやりたいって言えばいい。したくないならしたくないって言って欲しい。その手の気持ちを隠すのならさ、誰にも気づかれないくらいでなきゃ」

「それでどうして、未央ちゃんに」

「——だって隠してたでしょ? 未央ちゃんと藍子ちゃん、二人にはアタシたちに言えないような秘密がある」

「————」

「そうでなくとも、やりたいことを我慢していた未央ちゃんは、正直目に余ったから。誰も彼もがさ、346(ここ)では自分の夢を叶えようとしている。ちょっとでも幸せな自分になろうとしている。なのに未央ちゃんは違って見えた。でもってアタシの手元には、丁度ばっちしタイミングもお日柄もよく、本能に正直になれるお薬があって——だから、一服盛った。方法は、これはほんと藍子ちゃんのお察しそのままだったから省略するよ。

 で、結果は聞き及んでる通りに失敗。次はどんなふうに失敗したのか、どうして失敗したのか、結果から考察しよっか」

 その先のことは文香さんから聞けていませんでした。散漫になってしまいそうな意識をどうにかかき集めて、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けます。

「最初の犠牲者——美嘉ちゃんがみりあちゃんに食べられちゃったのを見計らって、アタシは食堂から出ていった未央ちゃんを追ってたんだ。気づかれてもいいかなーって適当に尾行してたから当然バレて、逃げられて。今度は見失わない程度に距離取ってまた後を追ったら、ここで、中庭で未央ちゃんは立ち止まってた。

『お姉さん。出てきなよ』と未央ちゃん。

 アタシはお言葉に甘えて、待ち受けていたふうな未央ちゃんと向かい合って。その時点で薬効が正しく効いていないことに気づいた。

 確かに未央ちゃんはアタシたちが知っている未央ちゃんよりも小さくなって、昔のものらしい姿になっていたけれど——想定していた年齢よりもずっと上、12歳くらいまでしか戻っていなかったよ」

 そんな未央ちゃんに志希ちゃんは言ったそうです。

「好きなことをしていいんだよって。今日はエイプリルフールみたいな日で、何をしても許される。だからさ、理性なんかかなぐり捨てて、抑えつけるのもなしにして、好きにやっちゃいなよって。そしたら未央ちゃん、なんて言ったと思う?」

「……」

「『分かった。なら、わたしは自分を殺してくる』ってさ。

 その後ありがとうを言われて、それっきり。未央ちゃんは中を映さない透明な皮膜の内側に閉じこもって、茜ちゃんや文香ちゃんが色々試してたりしていた、藍子ちゃんがここにやってきた、それまでの三時間、そして今になっても未央ちゃんはその壁の向こうから出てきていない」

「——ありがとうございました。おおよそ、分かりました」

「いやいやいや。その返答は文脈が360度狂ってもあり得ないでしょ」

 歩き出そうとした私を志希ちゃんが呼び止めました。……本当に、私には今の説明で十分だったのですが。

「それじゃあもちろん、ちゃんと分かってるんだよね?」

「なんのことを言っているのかは判別できませんけど、たぶん理解できてます」

「今の幼児化した未央ちゃんに、現在(いま)までアタシたちと過ごしてきた記憶がないってことだよ?」

 立ち止まります。けれど、それは志希ちゃんの質問におどろいたわけでは、全然なくて。

「はい。そのことも含めて、私が一刻も早く未央ちゃんを迎えに行かなくちゃいけないってことですから」

「——じゃあ、藍子ちゃんには全部分かってるんだ。どうして未央ちゃんに薬が上手く効かなかったのか」

 頷くことはしませんでした。頷かず、ただ、一つの答えを返します。

「それは、今の未央ちゃんと、昔の未央ちゃんの間には、どうしたって超えることのできない隔たりがあるから」

 志希ちゃんの薬の効果である幼児化。それは服用した本人が“憶えている範囲内で”一番小さいころに戻すというものでした。

『忘れるって、幸せだったころを憶えていないって、悲しいことだったよね』

 悲しいことを全く悲しくもないこととして語っていた、かつての未央ちゃんの顔を思い出します。

 未央ちゃんは言っていました。魔術師として生きてきた9歳から15歳までの彼女の記憶は虫食いで、それ以前にいたってはがらんどうなのだと。

 それでも未央ちゃんの目蓋裏に焼き付いて離れることの無い記憶があるとしたら。それは、彼女が毎晩夢に見ているという血の記憶をおいて他にないのでしょう。

 誰かを、殺していた。

 自分が生きていくために、魔術師として家族の思いを繋ぐために、必死で臓物を掻き出し集めていた幼少期。きっとその中で、鏡か何かでも見たのでしょう、自分の姿を見ることがあったのかもしれません。

 だから、未央ちゃんが憶えている範囲での一番小さいころが、他の子たちより少し上でも不思議なことではないはずです。

「志希ちゃん、さっき言ってましたよね。未央ちゃんは幸せになろうとしていない。やりたいことを、自分のためのことを我慢して生きているように見えるって」

「そうだね」

「それが、はじめから勘違いだったんです。

 未央ちゃんはただ知らないだけです。楽しかったこと、みんなが当たり前に過ごしてきたようなまっとうな日常を、なにも憶えていないから、欲しいものがよく分かっていないだけなんです。まっとうな幸福をとっくの昔に忘れてしまっているから、どれだけ些細な日常でさえも幸福に思うことができてしまう。

 あの人は、未央ちゃんはきっと今が一番幸せだって言うんだと思います。アイドルとして自分の夢を叶え続けていられる、今この時、一瞬一瞬、目に映る全部が自分の幸せなんだって」

 きっとそれが、未央ちゃんがどうしても欲しくて、けれど手放さずにはいられなかったもののはずだから。

 

『あーちゃん、私さ————』

 

 ……あの日。

 きれいだったけど、どうしてか寂しくもあった雨の夜。誰もいなくなったレッスンルームで、一人遅くまで残って自主練習を続けていた未央ちゃん。

 失敗しちゃえ。諦めちゃえ。

 失敗してもいい。でもまだ諦めきれない。

 長く長く続いた根競べに勝ったのは、子どもみたいに意地を張って無理をしていた未央ちゃんでした。そんな彼女を見ていられなくなって、私がただ駆け寄っていっただけ。オチもなにもない、誰に話すこともない、とりたてて特別でもなんでもなかったその時のことを——私は、ずっと憶えています。

 

『————もう二度と、何かを諦めたりしたくないんだ』

 

 ずっと、諦めてばかりだった。

 何かを手に入れるためには、他の何かを手放さなくちゃいけない。そんな当たり前を当然のように受けれ入れて、生きていくこと以外のなにもかもを諦めて、つまらない顔をして俯く自分が何よりも嫌だった。

 だから、今は前を向いていたいのだと。前を向いて、鏡に映る笑顔も泣き顔も、目の前にある何もかもから諦めて目をそらしたくはないのだと——

 

「そんな未央ちゃんの思いを、祈りを、私は大事にしてあげたい。

 だから私は、未央ちゃんがいなくちゃ生きていけないんじゃなくって——

 ————未央ちゃんがいるから生きていけるんだって、胸を張ってあの人の願いを、真正面から肯定してあげなくちゃないんです」

「……たとえ未央ちゃんが、藍子ちゃんのことを否定したとしても?」

 志希ちゃんが尋ねます。それが最後の確認だったのでしょう。

「はい。それでも私には、未央ちゃんが必要ですから」

「……分かった。ほんとうに邪魔しちゃってごめんね」

 それっきり、志希ちゃんが何かを口にすることはありませんでした。私も、なんとなく志希ちゃんがこれ以上話すことを望んでいない気がして、彼女の方には振り返らず、改めて茜ちゃんをみやります。

「お待たせしました。茜ちゃん」

「いえ!!! あいこちゃん(マスター)のコンディションが一番だいじですから!! じゅんびは、できていますか?」

「うん、大丈夫だと思う。だけどどうすればいいんだろう。この先に未央ちゃんがいるのは間違いないんだよね」

 結界の壁らしきものを見上げます。いまだに波打ったままのそれは、荒れた川面のようにも見えます。

「そうですね。この先はきっと、みおちゃんがこれまでにためこんできたのろいでみたされた、ふかくて広い海みたいなところなはずです。何もしないでもぐったりなんかしたら、すぐにちっそくしちゃいます!!!」

「……空気ボンベがあれば大丈夫、なんてことじゃないもんね」

 海のようと言った茜ちゃんの例えに、ついできるはずもない手段を提案していました。笑って忘れてほしいなあ、なんて思っていたら、

「はい!! むしろ、大昔のえらい人がやったみたいに、海そのものをわっていくのが一番だとおもいます!!!!」

 それ以上の無茶を茜ちゃんは言いだしていました。

「そ、そんなことできないよ」

 私の否定を、

「いいえ!! あいこちゃんにならできます!!!」

 断ち切った上で、力強く背中を押してくれる茜ちゃん。

 そんな彼女の声に少しだけ励ましてもらって、もしかしたら本当に、私にだってできるのかもしれないと思えてきます。

「分かりました。どうやるのか、教えてください」

「はい! 今日はわたしが先生です!!」

 心の底から誇らしげに笑う茜ちゃんが「すこしだけ、しゃがんでもらっていいですか?」と尋ねました。一も二もなくその言葉に従い、しゃがんだ私の体に茜ちゃんはぴったりと寄り添います。

「茜ちゃん?」

「——あいこちゃん(マスター)、よく聞いていてくださいね。これからやることは、とってもきけんなことです。あいこちゃんのまじゅつこうしには、ぜったいにむしできないリスクがずっとついてきます。それでも、あいこちゃん(マスター)はみおちゃんを助けたいですか?」

 茜ちゃんが問いかけたのは私に覚悟があるのかどうか、そういうことだったのでしょう。

 私は未央ちゃんを取り戻す。彼女を私から奪うすべてから、彼女を守る。

 そのために他の何かを失う覚悟が、私にあるのかどうか。

 ——きっと、そんな覚悟は、私にはありません。

「……私は、すごく弱虫なんです。何かを失うことが怖くて、未央ちゃんは他のなによりも、誰よりも失いたくないすごく大切な人だけど、だけど、そのためになら他の大事なものを手放してもいいだなんて、そういうふうに思うことが、私にはできません」

 かつての未央ちゃんみたいに、彼女のために大事な家族(だれか)とのつながりを手ばなすようなことは、私にはできない。

 ————けど、それでも、だからこそ。

「私は何も失いたくない。未央ちゃんも私の夢も、お父さんお母さん、茜ちゃんに卯月ちゃん、プロデューサーさん、文香さんにほたるちゃんに歌鈴ちゃんに夕美ちゃん、事務所のみんなも学校の友だちも。大切な何もかも手放したくは無いから……だから、

 だから私も何もあきらめないよ。私の大事なものも未央ちゃんも、両方助けたい!」

「はいっっ!!!! わたしもどういけんですっ、あいこちゃん(マスター)!!!!! 失うかくごなんて、そんなもの、わたしたちにはいりませんっ!!!」

 夏の燦々(さんさん)と輝く太陽みたいな笑顔で、茜ちゃんは私の思いを肯定してくれました。

「あいこちゃん——魔術回路をひらいてください。だいじょうぶですっ! 今のあいこちゃんにならつかえます!! だれかをきずつけてきたばかりだった、こわいものからにげるためだけにつかわれてきたばかりだった。きっといい思い出なんてあまりないのでしょうけど、それでも、今だけは、きっとあいこちゃんの羽になってくれるはずです!!! だって、その魔術は」

 虚数魔術。

 深層意識をむき出しにし、見えざる不確定をもって見えざる思念を拘束、容易く此岸へと送り返す黄泉戻しの術法。一方で、使えば使うだけ自身の暗い奥底へと引きずられ、自らを負の側面に貶めてしまう禁術。

 けれど、その本当の使い方はもっと違う物なんだってことを、私はずっと前に教えてもらっていました。

「自分の心をおぼろげにでも、形にする。それがこの力の本当の使い方なんだから」

「そうです!! それは、あいこちゃんをしばるかげじゃありません!!! あいこちゃんが行きたい場所に、会いたい人のところにつれて行ってくれる。——そんな、あいこちゃんだけのかぼちゃの馬車なんですから!!!

 さあ、出発の時間ですよ! あいこちゃん(ふりがな)!!!!」

 大きく息を吸い込みます。胸の苦しさはどこかへ飛んで行って、全身を這っていた血管の泡立ちはもう感じられなくなっていました。抑えこんでいた歯車を、今度は自分の意思で回し始めます。

 

「————Es erzahit,(声は遠くに)

 Mein Schatten nimmit sie.(私の脚は緑を覆う)

 

 それは、かつてお世話になった人から教わった。自分の体を切り替えるためのおまじない。

 古いフィルムを巻き直すように、魔術回路をゆっくりと開く。

 大切なものをしっかりと自分の中に閉じ込めて、二度と手放してしまわないように。けっして諦めてしまわないように。

 

Es befiehlt,(歌は遥かに)

 Mein Atem schliest alles(私の恋は世界を縮る)————」

 

 拒絶を影の翼に食べさせて、私は何度でも足を前へ。

 

「——今、そこに行くからね。あと少しだけ待っていて、未央ちゃん」

 

 息を止めることもせずに、暗い海の淵へと飛び込みました。

 

 

Interlude

 

「正直なことを言えば、本当に気に食わなかっただけなんだけどにゃー」

 藍子との会話を終えた時点で、志希にはもう中庭でとどまっているだけの理由が無かった。早々に退散して、あてもなく事務所の敷地内を散策。自分が今どこにいるのかについてはさすがに分かっている。それでも、どこに行こうとしているのかについては、こちらはまったく決めていなかった。

「人はどこから来て、どこへ行くのか。なんて、もしここに飛鳥ちゃんでもいたりなんかしたら、ありきたりすぎるって首をすくめたりするのかな」

 考えがまとまらない。集中力が散漫になって、どうにも解法がはっきりとしない。

 藍子から返された答えはどれもこれもが曖昧で、断片的で、ところどころ重要だと思われる個所を省略したものばかり。いくつも散りばめられた欠片から足りない部分を推測で補うことでしか、志希の知りたかった要素は知り得そうにない。

「(あー。やるきでない)」

 いつもなら真っ先に飛びつくはずのそれに、どうしてか手が伸びない。純粋に気分が乗らない。

 ……こういう時、志希は決まって屋上に行く。

 屋上なら、どこでも良かった。高いところから地面を見下ろしたかった。かつて父親の(つまらない)ことに拘泥していた一ノ瀬志希を殺した、名前も知らない誰かに会えるかもしれないから。都合のいい希望的観測に過ぎずとも、また自分の迷いを殺してくれる、そんな誰かに志希は会いたかった。

 足が向くのに任せて手近な建物に入り階段を上る。風にあおられてか妙に重いアルミ扉を開けた先、そこでは確かに、誰かが志希を待っていた。

「あ! やっほ~、シキちゃん」

「フレちゃん?」

 沈みかけの西日が先客の髪を眩しく照らしていた。それでも輪郭は薄れない。先客、宮本フレデリカは空にほど近いこの場所でしっかりと地面に足をつけて、志希を待ち構えていた。

「やっぱり、シキちゃんが来るならここかなあって思ってたんだ」

 その脇を素通りし、志希は手すりにもたれかかる。

「およ? シキちゃんブルーなかんじ?」

 かけよってきたフレデリカに志希は「んー」とだけ返した。

「となりにいてもいい?」

 これにも同じく「んー」と返す。

 しばらくそうして、柵越しの風景見下ろしていた。一方フレデリカはただそばにいた。そばにいて、いつものてきとうな歌をフンフンフフンと口ずさんでいた。

「フレちゃんはさ」

「フン?」

「どうして、アタシがここに来るかもって思ったの?」

 フレデリカは特段深く考えることもなく、すぐに答えた。

「シキちゃん、飛びたい気分なのかもって思ったの」

「アハハ、なにそれ。ぜんぜん違うよ、フレちゃん」

「そっかー! 違ったかー!」

 そう、ぜんぜん違うよ。志希は目を閉じて笑う。

「ぞれじゃあ、シキちゃんはなにをしたい?」

「え——?」

 

『——して欲しいことがあるのなら————』

 

 あの雨の日と景色が重なる。けれど、その中でもフレデリカはフレデリカのままだった。傘もささず、彼女の周りだけが晴れたままで、そんな、志希の好きなフレデリカのままで。

 

『————初めから、そう言えばよかったんだ』

 

「シキちゃんはどうして欲しい?」

 かつて出会ったあの人と似たことを口に出していた。

 志希がいま、一番欲しかった言葉で志希に手を伸ばしていた。

「アタシはねー、こうしたい!」

 伸ばした手を少しも戻すことなく、フレデリカは志希に抱き着く。

「フレちゃん?」

「……がんばったね。シキちゃん」

 ————違う。

「だから違うんだよ、フレちゃん。アタシは何もがんばってなんかいない」

「それでもいいの。アタシが志希ちゃんを褒めたいんだから。だから大人しく、志希ちゃんはアタシに甘えちゃえばいいのだ」

「……ふふっ、なにそれ」

 ああ、本当に。この人はちっとも志希の思い通りに動いてくれない。

「(だから、いいんだけど)」

 他の誰とも、志希の想像の中のフレデリカとも違う目の前にいるフレデリカが、志希は他の誰よりも恋しくて、

「じゃあさ、フレちゃん」

「なあに、志希ちゃん?」

 ずっと昔に願っていた、つまらないことをフレデリカに頼んだ。

「わたしの頭を撫でて」

「合点承知のナポレオン~」

 

 数十分後。

 騒動が無事終結した後、ひょっこりと顔を出した志希の頭上。それを目撃した城之内美嘉ふくむ数名は、

「なにアレ。凱旋門?」

 と口々に呟いたとのことだが、それはまた別の話。

 

Interlude out

 


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