バケモノの記憶
──私は、バケモノだ。
この世界に生まれたその瞬間から、私は私がどうしようもないバケモノだと知っていた。
無数の魔法実験と失敗作の亡骸の果てに生まれた魔法生物。全てを駆逐する事を期待された殺戮兵器。バケモノを殺す為のバケモノ。それが私。
充分な知識と経験を持たせる為に無理矢理詰め込まれた前世持ちの魂と、カタチらしいカタチを持たず、常に最適解を取れるスライム状の肉体……鍵付きの小さな入れ物に収まるソレが、私の全てだった。…………あの日までは。
「そこにいるのは、だれ?」
満月の夜。穏やかな月明かりが照らす夜の庭園で、私はその少女に出会った。当時はまだ十歳になったかどうかという幼い少女。月明かりに照らされる長い金色の髪と、寂しそうなブルーの瞳を覚えている。
出会って、そして、お互いに長い事固まってしまった事も。
少女の方がどうだったのかは知りようが無いが……私が固まった理由は単純明快。全く予期せぬ出来事だったからだ。誰かに会うつもりなんて欠片も無かった。だって私は、バケモノだから。一人で死ぬのだとずっと思っていたんだ。
言い訳をさせて貰えるなら、研究所の管理があまりにずさんで、テキトーだったのが悪いだろう。スライムには脳みそが無いと見たのだろうが……前世持ちである私なら自由に外に出る事が出来た。それと既に研究所が当の昔に放棄され、私がただ一人置き去りにされて暇だった事もある。……いわば、出来心だったんだ。外に出たのは。まさかそれで、その一回目で人に会うなんて誰が予測出来る? てっきりこの研究所は人里離れた場所に隠されているのだと思っていたのに。
「あなた……」
月明かりに照らされて、見つめ合う私と少女。
だが、そこに期待も美しさも無かった。私はスライム状の、薄汚いバケモノなのだ。悲鳴を上げられて、駆け付けた大人に撲殺される。そう思って…………だが、だが、少女は悲鳴を上げなかった。悲しそうなブルーの瞳で私を見つめるだけ。何かを期待するかの様に。
いや、あるいは。私に殺されるのを期待していたのかも知れない。もう終わりにしてくれと。
けれど、私に少女を殺す理由なんてある訳も無く。少女との見つめ合いは長く続く事になった。一分か、五分か、十分か。そうして、少女がようやく口を開く。貴方もなのね、と。
「あなたも、一人ぼっちなんですね……」
わたくしもなの。そう儚く微笑んだ少女を、私は…………あぁ、どう思ったのだったか。
それから、暫く。私達は何も語る事は無かった。何も語る事無く、その日は終わったのだ。……その日は。
帰らないと怒られる。そう言って庭園から出ていく少女を見送った私は、二度と誰かと会うことは無いだろうと思いながら住処としている研究所跡地に引き上げた。残念だが仕方ないと。
そう、思っていたのに……次の日、同じ時間に同じ場所に顔を出して見れば、私達は再び会う事になった。
あぁ、この子はここによく来るのか。そう失敗したなと思ったときには、もう遅かった。話し相手に──私の様なバケモノでも構わないレベルで──困っていたらしい少女にあっという間に捕まってしまったのだから。
少女の話す事は、基本的には愚痴に近かった。
やれ親に怒られただの、やれ習い事が大変だの、やれ友達が居ないんだのと……年相応、にしてはときおり気難しい内容が混ざる愚痴に、私は少女がガチガチの上流階級の人間だと察して。けれど、何を変える事も無かった。
どうせ私はバケモノなのだ。殺されるまでの余暇……あるいは少女が私から離れるまでの事。細かい事は気にしなくて良いだろうと。そしてそんな態度が気に入ったのか何なのか、少女は私により一層様々な事を喋る様になった。愚痴だけではなく、その日あった些細な事を。嬉しかった事や楽しかった事を。……もうブルーの瞳に、悲しさは無かった。
そうこうしているうちに私と少女とのお話会は十を超え。情という物が出てきた私は些細な気遣いをする事にした。
幼少の頃にこんなバケモノと話していては、それが恥ずかしい──しかも吐き気をもよおすゲテモノ映像付き! ──黒歴史になってしまうだろうと。それは些か可哀想だと思った私は、スライム状の身体を変化させる事に決めたのだ。勿論直ぐには上手くいかなかったが……少女とのお話会が二十に達した当たりで、見せれる程度には成果が上がっていた。
「あなた……なるほど。姿を変えれるんですね」
少女には姿が変わったというのに一発で見破られたが……まぁ、ともかく。多少は見れる程度の姿にはなったのだ。
名状しがたいスライムの身体を捨て、犬なのか猫なのかよく分からない毛玉に。…………仕方ないだろう。サンプルデータなんて、薄れかけの前世の記憶しか無かったのだから。
ただ、少女にとっては満足出来る仕上がりだったようで。それからのお話会では、私は少女の膝の上に乗る事になってしまっていた。……別に納得なんてしていない。少女の膝の上や、撫でられる手が心地良いからなんて事はない。これはただ、逃げ出す暇もなく私を確保する少女が、極めて満足気だから……止めろと言うに言えないだけだ。
さて、そうやって私が本来の姿を偽った事が良かったのか。あるいは長く聞き手に回った事が良かったのか。少女は私の話しを聞きたいと言い出した。
そうなると困るのは私だ。何せ……
「……話す事なんて無いぞ」
「そう言わずに、何かありませんか? わたくしだけは、不公平です」
「よく言う。……だが、何も無いんだ。本当に」
「むぅ……あ、ではお名前はなんと言うのですか? わたくし、あなたの名前をまだ知りません」
これは名案! そう言わんばかりの輝かしい顔を、私は直ぐに曇らせたのを覚えている。名前なんて無いと。
「バケモノに名前なんていらないだろう」
「そんな事……それにあなたはバケモノじゃありません」
「じゃあなんだと言うんだ? バケモノはバケモノだよ。……ああ、いや。そう言えばあったな、名前」
「! やっぱりあるじゃありませんか!」
「そうふくれるな。誰も使わないから、忘れてたんだ」
プクーとふくれた少女の顔も、よく覚えている。彼女との事は記憶に残りやすい。
だから、その後の事もよく覚えているとも。嬉しそうな、少女の顔を。
「二十七番だ。私は初期のプロトタイプらしいな」
「二十七番……? それは、番号ですよ? 名前ではありません」
「そうだな。だから名前風に言うなら……ニイナか?」
「ニーナ?」
「……あぁ、ニーナだ」
ニーナ。そう呟く様に確認。
「わたくしの友達、ニーナ……」
「友達? 私が?」
「駄目、ですか?」
「いや、私は良いが……」
その日、私と彼女は友達になった。
もう、何年も前の話だ────
◇
プロローグ
絶望というのは、いつでも私達を見つめている物らしい。
降りしきる雪の中、古びたトラックの荷台で揺られながら、私はふとそんな事を思う。絶望という奴は案外近くに居る物で、些細な事で事前が合ってしまうのだと。
例えば、恐らく氷点下だろう寒空の下、ボロ切れしか着ていない状況とかだ。
「へくちっ……」
冷える、とかいう話じゃない。凍え死ぬ寸前だ。
思わず可愛らしいくしゃみをしてしまった後、私は改めて辺りを見渡す。氷点下の寒空、古びた小型トラック、汚れきった平ボディの荷台、衣服はボロ切れ、いつでに似たような境遇の人間が山程……気のせいでなければ、人気の無い林道を突き進む後続のトラックの荷台にも人間が載せられている様だ。まるでこれから屠殺される家畜の様に。
──なるほど、これが世に言うドナドナか。
そんな事を考える余裕が私に合ったのは……単純に、現実逃避をしているからに過ぎない。まるで捕虜収容所に放り込まれる難民の様じゃあないかと、そんな事を深く考えたくなかったから。
──というか、私はお布団で寝ていたはずでは……?
いや、仕事の途中だったか? それとも運転中? 勉強の真っ只中? …………記憶が曖昧だ。自分が何をしていたのか、どこの誰なのか、今一つハッキリしない。
だが、少なくともドナドナされる様な立場の人間では無かったと思う。我が祖国である日本は欠点だらけではあるものの、基本的人権は保証されていたし、文化的で最低限度の生活を送るのはそう難しくは無かった。国際社会での立場は上から数えた方が早く、仮に国が滅びても即刻家畜扱いされる民族では無いはず。
──けど、現にドナドナされてる。
まるで家畜の様に。死んでも構わないと言わんばかりの扱いで。
どこの工作員かテロリストかは知らないが、日本人を誘拐するとは世情も知らない奴なのだろう。今すぐ日本大使館に連絡して遺憾砲を打ち込んで貰わねば。
……うん、役に立ちそうにないね。知ってる。
「うん、状況が分からない……けど」
ロクでも無い状況なのは確かだろう。
そう痛覚すら刺激される寒さにブルリと震えながら、私は脳ミソを全力で働かせる。なんでこんなところにいるのかは分からないが、それはそれとして何とかしないと凍え死ぬぞと。
そう目をギラつかせながら辺りをもう一度見回してみる。寒空、人気の無い林道、古びたトラック……うん、やっぱり見覚えのないトラックだ。海外の物だろうか? そして、今気づいたが……前に座ってるオッサンの足元。あれは血痕じゃないか?
──乾ききってるけど……血痕、だな。あの色は。
少なくとも泥じゃないのは確かだ。ブチ撒けられた当初は水たまりになっていただろうソレは、ハッキリ言って嫌な予感しかしない。
そうオッサンの足元を凝視していたのが、悪かったのか。当のオッサンが私に視線を向けてくる。おい、と。
「なに見てやがる、小娘」
「あ、いや…………小娘?」
「あ? 小娘だろうが。テメェは」
小娘、小娘。それはつまり、小娘という事だ。
「たく、こんな年端も行かねぇ異民族の小娘まで根こそぎ捕まえるたぁな……連中、余程暇してるらしい」
「おい、やめろ。兵隊に聞かれたらどうする」
「どうせ聞こえやしねぇよ。運転席を締め切ってやがる」
あの中はあったけぇんだろうなぁ。
「おい、ガキ。両親は?」
「えっと、いえ、私は……」
「はっ、だろうな。異民族なんざ皆殺しだ」
「やめろ、子供だぞ」
「どうせ明日には……いや、今日のうちに皆死ぬんだ。知った事かよ」
「俺達、どうなるんだ……」
「心代わりして徴兵されるか、殺されるかだ。分かりきった事を聞くんじゃねぇ」
「クソっ……」
「こんな事なら大人しく徴兵されるんだったか」
「徴兵されたって一緒さ。今日死ぬか、三日後に死ぬか。その程度の違いしかねぇ」
「戦争を、してるんですか?」
「あ? 今更何言って…………何の音だ」