「━━師匠?」
朝の目覚めはいつだって唐突だ。現に懐かしい師匠の声を聞いていたはずなのに、いつの間にか私は一人ぼっちの現実に帰って来ていた。
寝惚けた目をこすりながら辺りをくるりと見渡せば、目に入るのは年期の入った木の壁や床に、見覚えのある木製の家具や小物類。あぁ、間違いなくここは私の自室で、今私はベッドの上にいる。つまり先程まで聞いていた声は……
「夢、か……」
当たり前といえば当たり前だ。何せ、私の師匠はもうこの世にいない。闇の魔女だの世界の守護者だの、果てには魔王だの言っておきながらアッサリ闇に還ってしまった。
私を、置いて。
残ったのは師匠の居ないこの家と、無数の遺産と、闇の魔女の称号だけ。
「……起きよう」
あぁ、師匠は居ない。だが師匠が残した物はある。特に闇の魔女の称号……つまりは師匠の後を継いだ者、当代の闇の魔女としての役目は果たさなければならない。
私はノソノソとベッドから出て、朝の身支度を済ませていく。最早慣れたルーチン。今世でざっと十年、前世も合わせれば倍以上の時間繰り返してきた事だ。寝惚けていても出来る。そうして身支度を済ませていく事数分、私は仕上げに大きな姿見の前に立つ。
そこに移るのは前世とはまるで違う、少女の姿。
「…………」
無表情。そういっていい鏡の少女は今世の私だ。師匠よりも幾らか高い高校生程の身長に、師匠とお揃いの腰近くまで伸びた真っ黒な黒髪と、少し淀み気味の黒目。肌は外に出ないせいか不健康そうな白で、着ている服は暗色系でまとめられたドレス染みた魔法の衣服だ。確かブラウスとロングスカートというのだったか? 美少女といっていい見た目と合わさって、どこぞのお嬢様の様な格好だった。
「……よし」
特に誰かと合う訳でもないのでハードル低めに、あるいはくぐる様にチェックを済ませ、私は姿見の前から足早に立ち去る。今世の自分の容姿は悪くないが、だからこそあまり長時間見る気にならないのだ。見ていると身体に引っ張られそうに……それこそ、前世で男だった事を忘れそうになるから。
あぁ、私は前世では男だった。詳しい事は転生したときには既に忘却していたが、それだけは間違いない。師匠からもそういう事もあると言われた話だ。まぁ、何だって男から女にTSしているのか、なぜ現代日本から魔女なんて存在がいるファンタジー世界に転生したのか、その辺りの回答はいまいち不明瞭なままだが……しかし、私がTS転生してファンタジー世界で魔女をやっているのは確実で、それだけ分かっていれば今の生活には困らないのであまり気にしない事にしている。
いや、勿論TS転生したと分かったときこそ酷く動揺したが、それはまだ師匠が居た頃の話。十年は前の事で、解決済みの話だ。今更ウダウダ言うような事は何も無い。……まぁ、時折意識が身体に引っ張られるのには閉口するが。
さて、そんなTS転生して闇の魔女となった私のやることだが……特に無い。確かに闇の魔女としての仕事は重大で、しなければならないタスクもキッチリあるが、それは毎日しなければならない事ではないのだ。
ならば、どうするか?
「じゃあ、始めるか」
私はテクテクとかなり広い家の中を歩き、ある一室へと入る。
中に入るなり私を迎えるのは薬草を由来とする独特のにおいと、安定した魔力の波……代々の闇の魔女が調合室としている一室らしい気配だ。
私はその気配を懐かしい物として感じながら、幾つかある大鍋の一つを覗き込む。火にかけているでもないのにゴポゴポと、まるでマグマの様にたぎる毒々しい紫色の液体……違った。これじゃない。気を取り直してその隣を覗き込めば、薄く青みがかったすんだ水が並々と入っていた。こっちだ。
「えぇと、ポーション瓶ポーション瓶……」
大鍋の中身は中級クラスのポーション。飲むなり、あるいは傷にかけるなりすればたちまちに傷が癒えるというファンタジーな代物だ。そして、出不精な私の主な収入源でもある。
闇の魔女と格好つけてみても仙人にはなれそうもない私にはお金が必要で、闇の魔女としての仕事がないときは大抵ポーションの作成を行い、これを売ってお金に変えているのだ。ちなみにこの鍋一杯のポーションは今日明日にでも出荷しようと思い、そのまま三日が経過した代物である。まだ腐ってない。まだ。とはいえそろそろ隣の毒々しい失敗作みたいになりそうなので、いい加減瓶詰めしようというところだったり。
「あったあった。……よっ、と」
ポーション瓶が綺麗に整頓された箱を見つけ、それを近く机の上に置いた私はチョイっと指先を動かす。すると不思議な事に━━私からすれば見慣れた光景だが━━大鍋の中のポーションが独りでに動きだし、自らポーション瓶の中へと入っていく。正しく魔法の様な光景……まぁ、今の私は魔女だからこの程度は楽な物だ。
私は均一に満たされたポーション瓶に蓋をしていきながら、この作業も全て魔法で出来ない物かと自堕落でアホな事を考え……そこでハタと、ポーションの材料が尽きている事に気づく。
「あー……」
ポーションの材料は薬草とすんだ水、そして魔力だ。後者二つはどうとでもなるのだが、薬草だけは事前に準備しておかないと面倒くさい。だが、その肝心な薬草が完全に尽きていた。
別に今日明日にでも必要という訳ではないので急ぐ事もないのだが……面倒くさがりな私の事だ。今やらなければ直前までやらないに決まっている。
「取って来るかぁ」
ポーション瓶の瓶詰めを終わらせた私はポーション瓶をそのままに、部屋を出て家の外へと向かう。
代々の闇の魔女が違法ともいえる無茶苦茶な増改築を繰り返し、そこかしこに魔法の仕掛けが施されたこの家は無駄に広い。屋敷、そういってもいいレベルだ。実際廊下は長々と続いており、外に出るのがだんだん面倒くさくなってくる。
━━清潔、清浄化の魔法がかかってなければ掃除が面倒だったろうなぁ。
そんなどうでもいい事を考えながら、誰も居ない屋敷を歩き続ける事暫し。私はようやく広々とした玄関ホールへとたどり着き、何代か前の闇の魔女が集めた美術品を横目にさっさと外へ出る。
一拍。後ろ手に扉を閉める私を歓迎するのはドンヨリとした陰鬱的な闇の魔力だった。酷く暗いコイツは常人なら五分で鬱になるだろう代物だ。もし仮に一時間も浴びようものなら……いや、考えるのはよそう。ロクな話ではない。
私はそんな鬱々とした魔力を肌で感じながら歩き始める。気分はどうかといえば……割りと良い。上機嫌だといってもいいだろう。
何せ私は闇の魔女。この陰鬱とした魔力とは相性が良く、さながら森林浴でもしている気分になれるのだ。……まぁ、屋敷の周りは木々に囲まれているとはいえ、それらは枯れているかの如く葉をつけておらず、また生きている生物はいないので、ビジュアル的な森林浴は楽しめないが。
「迷いの森……いや、闇の森か?」
なんならドイツ語辺りに直訳してみれば味が出そうだ。さぞ黒々とした甘酸っぱい味になるだろう━━そんな事をつらつらと考えながら足を動かす。その行き先は勿論薬草のある場所だが……こうも枯れ木が立ち並び、薄く霧がかかっているような場所には当然無い。なのでもう少し環境がマシな場所、つまりは森の入り口辺りにまで足を伸ばす必要がある。
一分か、二分か、森の中央にある屋敷からだいぶ歩いた頃、私は自分以外の動く物体に遭遇した。生き物ではない。闇の魔女が居座るこの森は、生物には酷く生きづらい場所なのだから。
「リビングソード……」
空中にフヨフヨと浮かぶソイツは、生きた剣だ。意識はまるで無く、また無機物であるにも関わらず、アレには生と死の概念がある。正しく生きた剣なのだ。
師匠はリビングデッドの親戚だろう、なんて言っていたが……悪霊の類いには違いなく、また周りの雰囲気にも合致している奴だった。見れば奥の方に盾や槍、果ては鎧までいる。魑魅魍魎の百鬼夜行。そう言うのは大げさだろうか?
「増えたなぁ……コイツら」
師匠の代にはこの手の生ける武器を始めとする無機物の悪霊は全く居なかったのだが……私の代になって急激に増え、今やこの森の生息数ナンバーワンだ。正確な数なんて把握してないが、万単位でいても何も驚かない程度には見かける。
この不気味な連中に良いところがあるとすれば……滅多に私を攻撃しない事か。
「はいはい、通りますよっと」
現に私がすぐ隣を通っても剣や盾、鎧達はフヨフヨふらふらとするだけで何もしてこない。ともすれば安全だと錯覚しそうになるが、襲ってくる奴もちゃんと? いるし、外部から森に入って来た生物に関しては過激なまでに反応する。特に森の外縁部なんて酷い有り様だ。折れた無数の武器、人間を含む生き物の死骸、そしてそれらを啄みに来た野鳥が飛び回る光景は古戦場さながら。……あぁ、うん。そんなだからあんまり屋敷の外に、森の外縁部に行きたくないのだ。まぁ薬草が自生してる場所は古戦場よりも奥地側にもあるから、そこですませればいいのだが。
そんな事を考えながら枯れ木の間を歩き、生ける武器達を横目に進む事数分。森の景色が変わり始める。といっても見た目には霧が薄くなった程度だが……しかし、魔力的な事をいえば様変わりしているといっていい変化だ。何せ闇の魔力が薄れ、別の魔力が流入しているのだから。
「んー……こっちだったか?」
森の外縁部近くまで到達した私は、おぼろげな記憶を頼りに薬草が自生してるだろう場所に向かう。
奥地にいる連中よりも幾らか動きの鈍い生ける武器達を横目にしつつ、雑草が生えてきた道をゆっくりと歩き、闇以外の魔力を感じてそちらに向きを微調整……そうして数分歩いたところで霧が晴れて日が差し込んでいる場所が目に入る。よくよく見ればそこらの雑草とは明らかに違う草も自生していた。目当ての薬草だ。
「うん。そこそこでいいか」
魔法でゴソっとやろうと思ったが、ポーションなんかの魔法の液体とは勝手が違うし、かえって面倒くさくなる気がしたので手で収集していく。
モギモギブチブチ。丁寧に、あるいは残虐にも葉っぱだけむしり取っては愛用のベルトポーチの中へと乱雑に放り込む。モギモギブチブチ。何せこの薬草は生命力が凄まじく、根っこが残っていれば再生する類いの奴なので葉っぱだけとっておくのがベストなのだ。今は寂しい姿だが二、三日もすれば元に戻るだろう。モギモギブチブチ。自生していた薬草を次から次へとベルトポーチに放り込んでいく。見た目的には溢れていそうなくらい入れたのだが、このベルトポーチは魔女謹製の魔法の『ふくろ』容量にはまだまだ余裕がある。という訳でモギモギブチキンッ━━
「ん……?」
草むしりの調子でモギモギブチブチしていた私の耳にかん高い音が入った。明らかに草むしり……ではなく、薬草の採取で出る音ではない。
「気のせい? いや……」
キンッ━━と、再びかん高い音がする。恐らく、金属音だろう。
そこまで考えて頭に出てくるのは、先程まで無数にすれ違った生ける武器達。あれらはリビングデッドの親戚のくせして、全て金属製だ。まさか?
「……行ってみるか」
三度鳴ったキンッという金属音を頼りに、音が聞こえた方へと足早に足を進めていく。そうしているうちにも音は激しさを増し、キンキンカンカン凄まじい音を響かせている。十中八九、生ける武器達と誰かが戦闘中なのだろう。
戦闘中。誰かが……いや、人とあれらの武器達が、戦闘中。
別段それは珍しくない。だからこそ森の外縁部に人の死骸が混じった古戦場跡が残されるのだ。しかし、こうして私が出て来たタイミングで戦闘が起こるのは珍しい。確か以前は……どれくらい前だったか? まぁ、記憶が確かなら盗賊崩れが何かを探して森に入ろうとして壊滅させられたはず。あのときは私が来たときには既に古戦場跡地になっていた事と、犠牲者が悪事を成した悪人であり、彼らは闇の魔女由来の品を狙っていたらしい事を、遺留品と残留思念から知って同情する気も失せたのだが……今回もそうだろうか? だとしたら野次馬になる気も無い。さっさと帰ろう。もし違うのであれば…………そうだな。様子見、そしてケースバイケースだ。
闇の魔女を頼って来た客人ならどんな身分だろうと丁寧に歓迎し、闇の魔女由来の品を狙う者なら神だって許さない。そのときはリビングソードを山ほどけしかけ、それを突破するならこの当代の闇の魔女たる私が直々に相手をしてやろう。即刻闇に沈めてやる。師匠が私にくれたものを誰が渡すものか━━
「……そこか」
黒々とした感情を高ぶらせて闇の魔力を高めていく中、戦闘が行われている場所を見つけた。最初に音が聞こえてから数分が経っているせいか、金属音に空きが出来る様になっているが……間違いあるまい。人影が見える。次いで動きまわる剣と、光を残しながら流れる剣。
私がボサッと眺めている間にも金属音が鳴り響く。見れば縦横無尽に光の軌跡が走り、火花が散る。剣が飛び、人影が動き、剣が走って、閃光が煌めく。それは間違いなく戦いであり、同時にまるで舞いの様でもあった。
しかし、私の目が腐っていないのであれば、あそこで剣を振るっているのは……
「少女? こんなところに?」
二度三度と見るが、見間違いではない。生ける武器達と戦っているのは少女だ。白い髪と、そこから見えるケモミミが特徴的な女の子が一人。それも私より年下なのか、中学生程にしか見えない……そんな年若い少女が一人だけ。
私はその予想外の光景見て、いったいどうしたものかと頭を痛めずにはいられなかった。