レイモンド・チャンドラー。
その男が少女を見つけたのは、暗い洞窟の奥深くでの事だった。
魔法戦士として戦いに明け暮れ、この戦いを最後に引退しようと受けたクエスト。邪教の異教徒達のアジトを探索し、可能なら殲滅して欲しいとの依頼。
その最後の最後、洞窟の奥深くで見つけたのは……金銀財宝が収まった宝箱ではなく、一人の少女だったのだ。傷だらけで、息も絶え絶えに呻く少女。その場の流れで保護してしまった少女を、男はそのままの流れで引き取る運びとなった。
お世辞にも社交的とは言えず、あまり押しの強くない彼からすればそれは自然な流れだったし、いざとなればどこかの孤児院に預けてしまえばいいという考えもあった。何より、自分だけが先に引退してまうという事に……仲間へ引け目を感じていたのも手伝ったのだろう。むしろ丁度いい負債だと。
ただ……引き取った少女が負債どころか、とんでもない爆弾だったのは、彼も彼の仲間も知る由の無い事だった。
一見すると人畜無害そうに見えるのが良くなかったのだろう。いや、実際人畜無害だったからこそ殺さず引き取る運びになったのだが……それは少女の方が殺気を感じて大人しくしていたからに過ぎない。何せ、少女の中身が中身。場の空気の悪さを感じ取って人畜無害を装う程度、出来て当たり前だった。
しかし中身の具合を脇に置くにしても、少女には問題があった。
まず、言葉が喋れない。どこの国の言葉とも分からない言葉を呟きはするのだが、自分達の言葉を喋れなかったのだ。幸い、ジェスチャー等で意思疎通は出来たし、男の方も何となく雰囲気を察してやり取りしたり、言葉を教える事が出来た。
……当の少女が「言語体系は英語に近いのか?」とか「さらば日本語」とかほざいていたのは当然知る由もない。知らぬが仏である。
次に、少女は何らかの呪いに掛かっていた。
恐らくは死、少なくともそれに近い何かが少女の身体にベットリとこびりついているのを、男は見抜いてしまったのだ。手遅れな事に、仲間と別れて隠居先まで少女を連れ帰った後で。
実際には少女自身が亡者である為なのだが、一般的な亡者とは何もかもが違い過ぎてその可能性が考慮すらされなかったのは……少女にとっての幸運であり、男にとっての不幸であった。何せ亡者は存在するだけで生者を蝕むのだ。ましてや飢餓状態なら尚更。男が精気を抜き取られなかったのは男が魔法戦士として一流であったが為であり、寝込みを襲われなかったのは少女の嗜好と意地によるものでしかない。危うい、実に危うい均衡。
だがその均衡は両者の抱え込んだ背景によって崩れる事は無かった。幸いにも。しかし解決される事も無かった。そもそもが思い違い故に。
最後の問題が、少女の見た目である。
男は自身がそれなりに整った顔立ちをしていると──仲間からしょっちゅう言われてたせいで──自覚していたし、そのせいか目麗しい美女に言い寄られる──気弱な事を見破られてカモ扱いされる──事も少なく無かった。だが、そんな──本人は否定するが──経験豊富な彼をして、少女の見た目は美しいと言わざるを得なかった。
生気を感じられない程に白い肌。肩口を少し過ぎた辺りでザックリとまとめられた艷やかな黒髪と、それと同じ色をした黒い……引き込まれるかの様な神秘性を感じる、光を返さぬ淀んだ瞳。
目鼻立ちを含めた容姿は男が今まであったどの女よりも整っており……今はまだ少女故に可愛らしさの方が強いが、じきに美しい女性になる事は間違いなく。
更に……珍しい事に、少女の頭の上と尻には人には無い物が備わっていた。即ち、ケモノのミミと、ケモノの尻尾が。髪色と同じ濡羽の様な漆黒の、キツネの物に酷似したソレを。かつてこの地を去った精霊達の末裔たる証を、少女は手にしていたのだ。
美しく、珍しい少女。一連の事実は一応の保護者として少女を預かっている男を酷く悩ませた。夜のベッドのお話ではない。少女の行く末について、純粋に案じたのだ。聖人もかくやという鉄の精神で。
──普通には、生きられないだろうな……
奇妙な言葉、呪い、目麗しく珍しい見た目。
どれを取ってもロクな事にはなるまい。神の導きはこの地から離れて久しく、精霊達はいつの間にか何処かへと消えてしまい、人心は乱れに乱れ、長い眠りから目覚めた不死王の影響で生死の境い目すら曖昧になっている……そんな世界で少女が幸せに、ごく普通に生きられるとは、男にはとても思えなかった。魔女として火炙りにされるか、呪いに負けて惨めに死ぬか、良からぬ輩に目をつけられて身体を狙われるか……何にせよ、ロクでもない。ああロクでもない!
かといって、男にはこれといった名案は浮かばなかった。仲間といた頃には学があると褒められる事もあったが、残念な事に数々の英雄的戦いの経験は子育ての悩みを前に役立たずと化していたのだから。
言語や呪いはまだ何とかなる。言語は教えれば良いし、呪いに関してもまだ時間があるように見えた。しかし容姿にまつわる厄介事は如何ともし難く…………そうして子育てをしながら冬を越え、春が来て、更に暫くした頃には。少女は立派に育っていた。
主に、ロクでもない本性を表すという方向で。
「やぁやぁ我が保護者よ。いい朝だね、おはよう。ん? もうお昼だからこんにちはかな? ふふ、まぁいい。そんな事はどうでも良い、重要じゃない。それで、いったい何を見ているんだい? リビングに居ないから探しに来てみれば、書斎で何を、おや? それは……魔導書かな? しかも新しい奴だ。どこかで拾ってきたと見える。タイトルは、星の魔法に関して? これはこれは! 我が保護者は星の魔法を使うのかい? 星の魔法は星を詠む事で未来を予知し、流星の一撃をもって全てを粉砕する強力な魔法だと聞くが、しかし、我が保護者は星の魔法をサッパリ使わないから専門外だと思っていたよ。予想以上に博識じゃあないか。素晴らしい。やはり知識は力なり、だ。そうは思わないかね?」
「……おはよう。ニーナ。これは君へのプレゼントだ。ここに持ち込んだのは、全て読んでしまったみたいだからね」
「ほう! ほうほう! それは素晴らしい! エクセレント! 実にエレガントだな、我が保護者よ。イケメンフェイスは伊達では無いという事か? いや、ともかく気遣い感謝するよ。言語を覚えるのには酷く手間取ったが、一度覚えてしまえば面白い物でね。あっという間に読み尽くしてしまっていたんだ。いやはや、助かるよ。星の魔法……深淵に煌めく、原初の魔法。前の脳ミソでは理解しきれなかっただろうが、今の脳ミソは優秀だからね。多少難しいくらい、なんともあるまい」
実に楽しみだ。そう頬を緩めながら、淀んだ瞳をランランと輝かせながら男が差し出した本を手に取る少女……名をニーナという白髪の少女を、男はため息と共にそっと視線から外した。
疲れる、と。
こちらの返事なんぞ鼻から期待してない、言葉の濁流。笑みを浮かべながら放たれるこれに晒さられて気分を害さない者は居ないだろうと確信出来るそれ。……これを浴びてなお少女を、ニーナを放り出してしまおうとはならない男の精神は、間違いなく称賛に値した。
そして、それはニーナの方も分かっているらしく。彼女は漆黒のキツネミミをピクリとひくつかせた後、淀んだ瞳をゆるりと男に向ける。どこか心配そうに、小首を傾げながら。
「しかし、良いのかい? 魔導書、それも星の魔法の魔導書ともなればかなりお高いんじゃないか?」
「ん、いや、気にしないでくれ。お金は余ってるんだ」
「羨ましい話だね。だが、我が保護者の成した冒険の数々と、普段の節制癖を思えば当たり前か…………ん? そっちの手に持っている本は、人付き合いの仕方?」
おいおい、人間関係で悩みでもあるのかい? そう言葉尻に笑いを含め、パタパタと嬉しそうに尻尾を振りながら冗談混じりに聞いてくるニーナ。
それに男はお前だよ! と叫びたいのをグッと我慢し、苦笑を混じえて言葉を返す。大した事ではないのだと。
「少し、思うところがあってね。……だが、役には立たなそうだ」
「うん、そうだろうな。この手のハウツー本や自己啓発本は、基本的に役に立たない物だ。大抵、当たり前の事を偉そうに書いているだけだからな。もしこの手の本がデカい顔してヒット作になるような時代があるとすれば、自分の脳ミソで物を考えようとしない意志薄弱な連中が増殖している事に他ならん。実に平和な事にな。つまり、我が保護者の様な英雄的人物ともあれば、既に知っている事ばかりだったろう?」
「まぁ、ね……」
嫌味! 皮肉! 最早全方位にケンカを売っているとしか思えないニーナの嫌味と皮肉を、男は右から左へと聞き流してしまう事にした。残念でもないし当然の判断である。変に聞いてますよと頷きでもしようものなら、更に危険かつ強烈な嫌味と皮肉が飛び出てくるのは間違いないのだから。
返事をしてはいけない。聞いてはいけない。見てはいけない。確かに、確かにニーナは可愛らしく美しい少女だ。しかし、皮肉屋で嫌味な女の子なのだ。彼女に良い顔をしようとしてはいけない。彼女はメスガキなんてカワイイものじゃなく、紅茶の香りがする乙女なのだから。
そう以前会った宮廷孔雀達──不死王の襲撃で半減したと聞く──を思い出しながら、男は役に立たなかった──内容がと言うより、相手が悪いとしか言いようがない──本を本棚にしまいにかかる。これ以上イジられるのはゴメンだと。だが……悲しいかな。紅茶の乙女が逃してくれるはずもなかった。ニーナはイイ顔で男に問い掛けてくる。スカートに隠し持っていたナイフを突き刺すが如く。
「しかし、我が保護者が人付き合いに悩むとは……女かね?」
「…………まぁ、そうだね」
「ほほう! 女の悩み! 我が保護者が!?」
これは傑作だ! そうひとしきり爆笑した後、男の顔を覗き込みながら相手はどんなだ? そのイケメンフェイスで落ちない女にどう思った? と、尻尾をブンブンと上機嫌に振り回しながら、どこか煽る様に問い掛けるニーナ。……いや、さぞ面白そうに薄笑いを浮かべている辺り、煽る様にというより、煽っているのだろう。しかも尻尾の動きすら抑えようとしない辺り、それを隠す気も無いときてる。
実年齢は不明なれど、見た目年齢は十五歳以下は硬い。そんな少女に笑われ、煽り散らかされてなお、青筋一つ立てない男は正に聖人君子の鏡だった。そろそろストレスでハゲるんじゃないかと心配になる程度には。
だが、幸いにもというべきか。男はうんと小さく頷き、反撃を開始する。男の雰囲気が変わったのに気づいたのか、小首を傾げる少女に対して。
「ニーナ」
「なんだい? 我が保護者よ。今は気分が良いから十七文字以上でも問題ないぞ」
「友達、居ないよね?」
「…………ケンカなら買うが?」
瞬間湯沸かし器!
気分が良いと言っていたのはどこへやら。ニーナは秒速でファイティングポーズを取り、冷ややかな視線をぶつけてくる。ポーズこそ素人丸出しの構えだったが、しかし、一撃必殺の絶対零度の視線と合わされば、私不機嫌ですと示すには充分なジェスチャーだった。つまり、野郎ブッ殺してやる、と。
──いや、邪教の輩に囚われていたんだ。目の間で友達を殺された可能性もある……
それを思えば、このぐらいの反応は可愛いもの。むしろ今のはこちらの聞き方がマズかったな。男はそう内心で反省し、目を閉じて改めて言葉を探す。何か丁度いい塩梅の伝え方はないものかと。
……そうやって相手の事を──今回は殆ど勘違いだが──おもんばかり、反撃の手を瞬時に停止してしまうのは男の美徳であり、苦労人が苦労人である所以だった。
だから、というべきか。ニーナの様な性悪に付け込まれるのだが。
「にしたって友達、友達だって!? 我が保護者ともあろうものが随分と曖昧な問い掛けをしてくれるものだね? 友達、友達? 友達だと!? まずはその友達とやらの定義を決めてくれないかね? そうしないと何を話す事も出来ん。一回会ったら友達かね? 話が弾んだら友達かい? それとも秘密の共有したら友達だとでも? ……それが上っ面の、社交儀礼かも知れないのに?」
「あー、うん。そうだね?」
「全く、二度と聞かないでくれたまえよ。そんな曖昧な問い掛けは」
やれやれだ。そう半笑いで大げさなジェスチャーをするニーナに曖昧な頷きを返しつつ、男は確信を得ていた。昔の自分に似た一面があるニーナにはやはり、友達が必要だろうと。自分がかつてそうであった様に。
男はこれこそが少女の為になると確信して、古い知り合いに連絡を取る事にした。確かニーナと同じ年頃の娘が居るはずの、貴族の知り合いに。……クソガキは貴族社会に揉まれて苦労すれば良いとか、そんな意趣返しの意味は、あんまり無かった。
ニーナ・サイサリスの養父。
研究所からニーナを救助した魔法戦士。彼は極めて優れた魔法戦士であり、高い知性と極まった剣の腕前を持つ英雄であった。
整った顔立ちのせいか、旅先では必ずといっていい程女性からの誘いを受けたというが、彼はその全てを断っていたらしく、女性との浮いた話はあまりない。ただ、決して嫌味な性格ではなく、むしろ貧乏クジを引きがちな苦労人。また友好関係は広い様である。
若い頃から戦いに明け暮れた彼は血に濡れる日々に嫌気がさしており、ニーナの一件を気に現役を引退するが……しかし、忘れてはいけない。戦士は戦いから逃げられないのだ。運命が終わるその日まで。