ラルフ・ワルド・エマーソン。
レナ・グレース・シャーロット・フューリアスという名の少女には友人が居なかった。
いや、正確には、心を許せる友人が居なかったというべきだろうか? 由緒正しき騎士の家系であるフューリアス家ただ一人の娘として恥ずかしくない様に、当主である父親の紹介で“お友達”は増えるものの、それらが本当の友人ではない事ぐらい少女にも分かっていた。
上辺だけ取り繕って媚びへつらい、その裏で陰口を叩かれれば誰だって分かる。あの人達は友達じゃないと。
けれど、レナは彼ら彼女らを悪いとは言えなかった。ましてやフューリアス家に逆らう者共として処罰する事なんて出来るはずもない。
だって悪いのは、自分だから。レナが変だから、普通じゃないから、“お友達”と友達になれないのだ。……少なくとも、レナ自身はそう思っていた。自分が悪いと。
ニーナに言わせれば、不思議ちゃん。
ふわふわ、ぽわぽわ。お空に浮かぶ雲の様に、あるいは空を飛ぶ鳥の様に、掴みどころのないボンヤリとした女の子。それがレナという少女だ。世間知らずの箱入り娘と言えばそこまでだが……彼女のそれは、何らかの異常を疑わざるを得ない物だった。
空を見上げたまま半日を過ごしてしまう事もあれば、声をかけても返事が帰って来る方が稀で。そもそも聞こえてすらいない様子を見せる。
ただボンヤリと。まるで縁側でお茶をすする老人の様に、微笑みながら、あるいは無表情で、日長一日じゅうそうしているのだから……彼女のボンヤリ具合はただ事では無かった。
…………何も、レナは好きでボンヤリしている訳じゃない。
ただ、聞こえるのだ。意識をハッキリさせていると、地の底からおぞましい声が、頭の中に響いてしまう。死者の声が、亡者の声が、頭に響くのだ。
だから、レナは心を浮かばせる。ふわふわ、ぽわぽわ、ぼんやりと。意識をハッキリさせたら、怖い何かが聞こえてしまうから。もしそれを乗り越えて無理に覚醒し続けたとしても、今度は人の心の声が聞こえてしまう。聞きたくもない罵声の声が。
……だから、だからレナはボンヤリと日々を過ごすのだ。心に蓋をして、何も聞こえない様に。感じない様に。
誰かに相談した事は無い。だって、レナが悪いから。いつだって、レナが悪いのだ。
聞こえもしない音や光が見えるのは、レナが悪い。
お友達と仲良くなれないのも、レナが悪い。
お母様がレナを産んで死んだのも、レナが悪い。
全部、レナが悪い……全部、全部、全部。レナが悪いのだ。レナが……
「お嬢様だというから常々警戒していたが、なんだ。やっぱり陰気だね。レナ嬢。カビが生えているかのような陰キャっぷりじゃあないか。ここだけ陰陽のバランスが崩れている気がするよ。気持ちの良い陽射しが差し込む図書館の一角、暖かい一等地だというのに、そこの住人は随分と曇天模様じゃないか? うん?」
「…………誰?」
「誰、か。それは哲学的な問いだったりするのかい? レナ・G・S=フューリアス。あるいは、君は私の名前を聞いているのかい? もし後者ならば、答えは一つだ。レナ嬢。私はニーナ。私の名前はニーナだ。二十七番目でニイ、ナ。良い名前だろう? 自分で付けたんだがね」
「……二十七人兄妹、なんだ。凄い」
「いや、違うが??」
不思議ちゃんめ。そうやれやれだと大げさなジェスチャーを披露してくるニーナ……レナと同じくらいの黒い髪の少女は、初対面だというのにかなり失礼な奴だった。無礼だと言ってもいいだろう。
けれど……
──静かな人だったな……
彼女との出合いを思い出して、それでもなおレナはニーナを静かな人だと言う。どう考えても騒がしいニーナを、静かだと。
その理由をレナ本人に聞いたところで、マトモな答えは帰ってはきまい。本人ですらなぜだか分からないのだから。ただ……ニーナが近くに居たあの瞬間だけ、世界から煩さが消えたのだ。まるでニーナがナニカを吸い取ってしまったかの様に、誰かの声も、ナニカの光も、等しく消え去っていた。ピタリ、と。静かになってしまったのだ。
それに比べれば、ニーナ本人の煩さなんて可愛いものでしかない。……レナは、あれ以上に煩い世界に居たのだから。
──それに、優しい人……
そのせい、というべきか。あれ程罵られたというのに、レナはニーナの事を嫌ってはいなかった。
あるいは、心の声が聞こえたからかも知れない。突然の静けさに思わず覚醒してしまったレナの意識が捉えた心の声は、驚く程優しかったのだ。口ではアレコレ言いながら、そのくせ心の中では純粋に少女を案じ、考えていた。今までの“お友達”とは全く真逆。……そう、レナはニーナの声を聞いたのだ。本人すら自覚してない矛盾を。確かに。
「全く」
「ニーナは……静かだよ」
「……ん? …………いや、煩いだろう。どう考えても。まぁいい」
「魔法……」
「そうとも」
「私も」
「レナ嬢が?」
それから、毎日ニーナはレナの元へ。
別れ際にちょっとしたお願いをしたのが良かったのだろう。
色々あった。
後日、領地に侵入した亡者の軍団を撃退しなければならない。
何も心配してはいなかった。
奇病。
不死王の全盛期、王国の暗黒時代には奇妙な病が蔓延していた。
それらは呪いであり……同時に、祝福でもあった。
魔女は言う。危機にあってこそ命は輝く。これは時代への適応、あるいは自身の進化。つまりこれこそが生命だと。
不死王よ、ご照覧あれ。命の輝きを。