四月一日side
最初の出会いはピンク色の桜が舞う中、大きな桜の木をじっと見上げる無表情な女の子だった。二回目に会った時は冷たい雨の中、傘も差さずにまた桜の木を、いや桜の木の上にいた女の人を見上げていたあの子。俺は慌ててその子に傘を差しだした。
濡れることも厭わず、いやそもそも感情を表に出さない子で俺が傘を差しだした理由さえもわからないといった印象を受けた。
その子は感情を宿さぬ瞳で俺を見つめて待っていたと言う。
俺と近い存在で、また会いたいと思ったからだって。
どうしてその子は桜の木を見上げるのか。
それは自分が来なければあの女の人はずっとそこにいられて、桜の木はずっと咲き続けていられたのに。でも自分が来たことで、ここは騒がしくなってしまった。
女の人は桜の木が可哀想だと胸を痛めた。
自分が彼女の居場所を奪ってしまったから。
確かにそうかもしれない、けど現状を嘆くよりも他に何か方法を考えよう、と俺は手を差し出した。
女の子は一瞬躊躇いを見せたけど、恐る恐る俺の手に小さな手を重ねた。
一つだけ良い場所がある。でもそこはすごく気に食わないアイツの家なのだけど、仕方ない。お寺の境内は清浄な気で満ちていて、女の人も喜んでいた。
互いの目的は果たされた。
女の子はお母さんにばれる前に帰らなきゃと言うので俺は傘を使ってと差し出した。
女の子はもう濡れてるから意味ないよと言うけど、俺も濡れちゃってるしねと苦笑いすれば傘を受け取ってくれた。
別れ際、俺は女の子の名を尋ねた。
その子は五月七日小羽【つゆりこはね】ちゃん。
四月一日君尋、と五月七日小羽ちゃんか。
俺と同じだ、でも小羽ちゃんの方が綺麗だねって笑いかけたらその子は少し表情を変えた。ほんの少しだったけどすぐにわかった。
『ありがとう、またね』
『うん、また』
そういって小羽ちゃんと別れた。いつかとはわからないけどまた必ず会う。俺もそう感じた。
お店に行ってくーちゃんにせがまれて今日のおやつは肉まんにした。
本当にくーちゃんは肉まんが大好きらしい。大好物と言ってもいいくらいに。もしかしたらコレも彼女の記憶を探る手掛かりになったりして?
「ふぅ~ん、小羽ちゃん、か」
「うん、可愛い子だったよ……事情は色々とありそうだけど、ね」
「……会って、みたいな」
ぱくっ、と俺が作った肉まんを頬張っては呟くようにいうくーちゃん。
そういえば、初めてじゃないか?
くーちゃんが百目鬼やひまわりちゃん以外の人に興味を持つのは。
「どうして?」
何気ない質問だった。ただ不思議に尋ねただけのつもりだった。
そうしたらくーちゃんはばくばくっと最後まで肉まんを租借してもぐもぐ数秒後。
「君尋に影響を受けた子だから」
「俺?」
「そう、君尋は気がついてないよね。百目鬼さんもひまわりさんも君尋の影響を受けてるんだよ?勿論わたしも」
「…………俺、が?」
そんな大層な人間じゃないし、俺は。
そう言いかけた言葉は引っ込んだ。
くーちゃんが俺に視線をうつしオッドアイの瞳を細めて口元を緩ませたから。
恥ずかしい話だけど、魅入ってしまった。
あー、可愛いな、と。
ヤバい、今の俺顔赤いかも。
「君尋?」
「……なんでもないよ、うん。なんでもない」
ふんわりと笑い、自覚ないんだと微笑むくーちゃんは気がつかない。
いや、今は気づかないで欲しい。
むしろ、俺の方がくーちゃんの影響を受けたような気がする。
本人前にして言えない俺だけど。この時間は俺だけのもので、俺とくーちゃんだけが共有できる時間だから。だから、できるなら独占したいんだ。
ずっと、一緒にいられたら。
時間が止まってしまえばいいのに、と馬鹿げた事さえ考えることもある。
けどそれって違うんだろうな。
本当に時間が止まってしまったら、全ての世界は色を褪せてしまうのだろう。
その輝きさえも失って最後は灰色の世界に変わってしまうような気がする。
今この瞬間だから輝いている。
そんな瞬間を大切にしたい。
もしかしたら、終わりがあるのかもしれないこの時間も、心の中に刻み込んでいきたい。
失われた時間は、元には戻せないんだから。
「くーちゃん、俺、ね」
「うん」
俺はくーちゃんの手に自分の手を重ねた。
「俺、幸せだよ」
「うん?」
「この時間が、大切なんだ」
かけがえのないこの瞬間を失くしくない。初めて手放したくないと思った。
でも、ある日を境にこの関係は崩れてしまった。
君がどうしてこのお店にいて、どうして産まれたのかを知ってしまった俺だから。
【真実とは羽根のようなもの】
◇◇◇
宝物庫にはいつか誰かに渡るために眠りにつく品物が置いてある。けど、二つだけ。二つだけ、誰にも渡ることのない眠りについたままの硝子に包まれたモノがある。それは俺が最初に宝物庫に入って掃除をしていた時、目にしたものだった。
『教えてあげるわ。四月一日』
侑子さんがソレが何であるかを俺に教えた。
貴方は知らなければならない、と俺を誘って。俺はどうしてか二の足を踏んだ。
躰がいう事を利かない。それ以上進んでは戻れなくなる、そう警鐘を鳴らす。
『さぁ、どうする』
侑子さんは、俺に選択をしろと言う。
進むことも、拒むことも、後にすることもできた。俺は、『行きます』と知ることを選んだ。果たして俺が選択したことが正解だったのか、間違っていたのか後から考えても答えはでない。けど、後悔はしていない。
※※
足を踏み入れた瞬間、背筋がぞっとした。どうしてか、動悸が激しくなって手足が鈍くなった。
この先に、何かがある。それが、嫌なもの、というわけじゃなくて、でもなんとなく違和感を感じてしまうもの。確かに、そこにはある。あった。
以前、宝物庫に掃除をしに入った時、見かけた人一人が入れる大きなガラス瓶。
中はまっくらで、何も見えなかったし何よりその時は侑子さんにそれとなく見せないようにされた事を覚えている。
アレは見せまいとしていた?俺が傍にいたから?
違う、あれはくーちゃんがいたから。そうだ、くーちゃんに見せまいとしたんだ。
侑子さんはガラス瓶二つの前まで俺を誘った。そして、
「見なさい。【今】の四月一日なら見られるわ」
と静かに言う。
今、という言葉に引っ掛かりを感じながらも進む。顔が強張って緊張しているのが丸わかりだ。俺はガラス瓶に両手をついて顔を近づけた。
両目を通してわかるのは黒い闇ばかり。目を凝らして見つめてみた。
最初は黒黒一色。だが徐々にガラス瓶の中には泡が生まれているのがわかった。
小さな泡がいくつもいくつも存在している。これは水?
黒い闇は徐々に透明度を増して水なのだと気づかされた。
ゆらゆらと揺らめく、何かに気付いた。それは、漂う一筋の黒い糸。
その先にはいくつも同じものが存在する。
違う、黒い糸じゃない。コレは。黒い、髪?
よくみろ、四月一日君尋。
黒い髪だけじゃない。白い四肢が、同体が、眠る顔が、アルジャナイカ。
「……!う、ウワァァアアアア!」
俺は絶叫に近い悲鳴をあげてしりもちをついて後ろに無我夢中で下がった。
どん!
棚にぶつかっても俺は首を振りつづけ、それからソレから逃れようと無我夢中に離れようとした。侑子さんは怯える俺ではなく、そのガラス瓶を見つめていた。
躰が異様に寒い。思わず自分の腕を抱きしめた。
寒い、寒い寒い寒い寒い!!
まるで氷水をかぶったかのように一気に寒さが襲ってきた。
一体、何を見た?俺は、もしかしてとんでもない選択をしてしまったのか。
すぐ目の前にいるのは、視てはいけないもの?触れてはならない、存在。
湧き上がる疑問。まともに働かない思考。
俺には衝撃的で、頭を鈍器で殴れたような感じだった。
それぐらい、アレは本来あってはならないものだ。
「アレは願った形なのよ」
侑子さんは感情を籠めない覚めた目つきをして俺を見下ろしていた。
動揺を隠せない俺を、じっと見つめて。侑子さんという人間が信じられなくなった。
彼女はこの事態をどう受け止めているのか。
なぜそんなカオできるのか。
「どういう、ことですか…」
「なんで、なんでっ」
「なんで!」
「ここに、天姫さんがいるんですかっ!?」
そう、あの一度しか会った事のない、けどどこか悲しみを宿した瞳を持つ少女。
彼女が、眠っている。あの、ガラス瓶の中で。青い水の中に身を委ねながら。
幼い子供があどけない顔で眠るように、彼女は水中に安心しきった顔で瞼を下している。
侑子さんは淡々と説明をする。感情を一切封じ込めたように。
「その子の躰はあるけれど中身は空よ。器だけのもの」
器だけ?空ってどういう意味だ。
「天姫は対価を払ったわ。己を捧げることでくーを救った」
「そして狗楽は命を落とす運命にあった天姫を助けようと対価を支払い終わって人形となった」
にんぎょう、人形って今のくーちゃん、が?
「あの子達は互いが互いの為に対価を支払っていることを知らない」
「知らずに、あの子達は同じことを繰り返している」
「そして天姫は繰り返すのでしょう。自分の妹を助ける為に。この先の未来で」
くーちゃんが、天姫さんの妹?
それじゃあ、くーちゃんの本当の名前は……狗楽ちゃん?
世界は俺が知らない、想像もつかないほど同時に存在しているらしい。
天姫さん、彼女はある出来事から逃げる。忌々しい記憶を、もう一人の自分から逃げる為に。逃げて全てを忘れたくて、でも結局は逃げられない宿命にあった彼女。
そう、全ては【必然】。
天姫さんは一度死んで、また死を繰り返すと言う。それが彼女と、彼女の妹の必然なのだ、と。
「己が何者なのかを知らずに天姫は全てを捧げた。愛する妹の為に。狗楽は全てを知った上で受け入れそして全てを差し出した。大好きな姉の為に」
彼女たち姉妹だけじゃなくて、彼女たちと深く繋がっている人たちまでも巻き込んで。
全てこうなることをわかって願ったという、神崎光さん。
侑子さんの昔からの友人で一癖も二癖もある人。
「こんな、こんな悲しい事があって、いいんですか……。だって二人は」
たった二人だけの、姉妹じゃないか。
それがどうしてこんな形になってしまうのか、俺には理解できない。
理解、したくない!
「あの子達はそれで幸せなのよ。それが【筋書き】だから」
「侑子さんはどうして、どうして、俺に教えるんですか」
「それはアナタが【最後の選択肢】に必要な人だから」
「【最後の選択肢】?」
「くーの代わりに四月一日、アナタは選ばなくてはならない」
「真実を教えるか、それとも真実だけを伏せて全てを教えるか」
「光を与えるか、闇を与えるか」
「どちらを選ぶかは、アナタ次第」
侑子さんの言葉を終えて、俺は、もう一つ並ぶガラス瓶に視線をやった。
そこには、彼女がいる。
俺が知る、くーちゃんではない、彼女が。
「スイマセン……俺には、見られません……。見たくない…」
俺は、拒んだ。顔を、背けてわざと視界にいれないようにした。
この場に一分一秒でもいたくない。
出たい、もう出たい。
もう何も見たくない。知りたくない。これ以上何も見聞きしたくない。
こんな事、知りたくなかった。どうして侑子さんは俺に見せたのか。
考える力は今の俺にはない。逃げるしかない、逃げるしか。
「そう」
侑子さんはそう返すだけに止め、宝物庫から出た。
俺はそれに続くように速足で宝物庫を出て、扉を閉めた宝物庫は、再び暗くなった。
【重い枷】