くーは何をしても君尋を助けたかった。二階の窓から硝子枠ごと一緒に落ちた君尋を。ひまわりが君尋の肩を叩かなければ落ちることはなかった、と責めることはしなかった。ひまわりが君尋と出会わなければなんて言わなかった。
どうして百目鬼が一言注意するように声を掛けなかったのか訴えなかった。
ただ、助けたかっただけ。過ぎてしまった事よりも、責めて相手を傷つけるよりも、大切な人を手放すことがないようしたかった。繋ぎ止めたかったのだ。
ただ、ただ侑子に縋り付いては必死に訴えた。
大粒の涙を零して、髪をぐちゃぐちゃに振り乱して、訴えた。
『わたしが!わたしが対価を支払うから』
『だから、だから!!』
『君尋を助けて!お願いゆうこぉ』
瀕死の君尋を救うには願うしかない。くーは直感した。
救えるのは侑子しかいないと、だから侑子は直接店に運ばせたのだ。
だが侑子は静かに首を振る。襖一枚隔てた向こう側にいる、君尋に向けて視線をやりながら。
『くー、貴方が払える対価はないわ』
『貴方は、すでに対価を支払った後』
『何も知らないままのくーでは対価を支払えないのよ』
くーはただ見守っていることしかできなかった。
彼女は思う。わたしは、役立たずだ。
百目鬼さんがたくさんの血を流して、ひまわりさんが君尋の傷を背負って、じゃあわたしは?わたしは何もしないでただ傍にいるだけ?
ただ、君尋を助けられずに、ただ彼の手を取って涙を流して悲しむだけ?
君尋を救えずに、自分が誰かもわからずに、ただ居るだけ。
力があっても、わたしがわたしを取り戻さなくちゃ誰も助けられない。
誰も、救えない。わたしは誰かを救いたかった。そう、誰かを救いたかったの。
自分の命を投げ打ってでも、助けたかった。
わたしは、一体何の為にいるの?わたしは、どうして生きているの?
つかれた。もう何もかもわからなくなっちゃった。もう疲れちゃった。
考えることに、悩むことに、囚われることに
全てが億劫で、煩わしい。放り投げたい、何もかも。
ただ視界を閉じて耳を塞いで、小さくなって殻に閉じこもって遮断させてしまおう。
心を凍り付かせてしまえばいい。そうすれば、きっと、らくに…。
一命をとりとめた君尋が、かすかながら意識を取り戻した時、真っ先に口にした言葉。
『くーちゃん、今も、泣いてますか?』
想いの強さ、絆の深さ。君尋はくーを大切に想っている。くーが思う以上に。
けどくーは気がつかない。自ら閉じこもってしまった後だから。
縁側で一人ぼんやりと座る少女に歩みよる侑子。
「くー」
と、名を呼んでも少女は振り向く気配がない。
侑子は少女の隣に膝をつき、ぐいっと正面を向かせた。
少女の瞳には光りが宿っていない。
いつものあの天真爛漫な明るさが残っていない。
ただ、座り、ただ正面を向かせられたからまっすぐ見つめるだけ。
「……………」
「その道を選んでしまうのね、やっぱりアンタは」
「不憫な子」
侑子はそっとくーの頭を自分の胸に抱き寄せた。くーはされるがままに身を委ねる。
同情ではない。では何か?古い友人に頼まれた子だから?ただそれだけの関係?
自分の中ではとっくにそうなっていたのかもしれない。
馬鹿な子ほど可愛いというけれど、まさにそうね。
「光もくーにそんな顔させたいわけじゃないのにね。……あの子も天姫も不器用だから。馬鹿な、子」
自分を守る為、殻に閉じこもるのは天姫そっくりだわ。
大丈夫よ、大丈夫。
きっと、時が満ちるから。それまで、あたしが傍にいるわ。
侑子にとってくーは依存するに値する存在だった。だからなおのこと、この魂を慈しみたい、守りたいと思う。自分の手元にいる内にだけでも守れたら。そう、思わずにはいられない。
【依存する怖さ】
◇◇◇
己の出自を知りながらも最後には願いを叶えた少女。
『私の命を差し出す代わりにあの子を頼む』
大切な者を守る為に全てを差し出した少女。
『どうか姉を助けて』
互いの絆は確かに結ばれた。それは過去の彼女たちから未来の彼女たちへと受け継がれていく。蝶は籠の中でずっと見守っていた。二人だけではない。
蝶が導いた数多の人。彼等にとって蝶は希望の星だった。
叶えられないと思った願い。それは蝶によって叶えられるのだから。
勿論、願いを叶える代わりに対価を支払う事になるが、それでも願いは叶うのだ。
たとえそれが身を斬るよりも辛い対価だったとしても人は願う。
助けてくれ、と。
願いは引き継がれる。だが受け継ぐか、拒むかは選択することができる。
それを選ぶかはどうかは、彼次第。彼の答えはどうなのかしら。
蝶はぼんやり考えた。すると、一筋の光が籠に照らし出される。
『―――嗚呼。ようやく、きたのね』
終わりとは始まりだ、と白い鳩が言っていたのを思い出した。蝶は、たしかにそうねと相槌をうつ。
籠の扉が開かれた。時、来たり。
蝶はひらひら、と羽根を閃かせて籠の外へ飛んで行った。何処へ向かうかも分からずに。
籠は空っぽになり、二度と何かが閉じ込められることはなかった。