気がつけば異世界。なんて有名すぎる言葉だろうが、まさに小狼が起きてみて初めて見た世界こそ、目を疑うもの。どっかの遊花区の格子前で寝ころんでいる所、優しいおねーさまの計らいでふかふかのお布団に横にならせてもらえることになった彼が目を覚ますと、心配そうに見下ろすサクラと相変わらず目が糸目なモコナの姿があった。魘されていたようだったので怖い夢でも見たのかと尋ねると、小狼は軽く首を振って弱弱しくながらも笑いかけた。
『昔の夢を見た、けど今の俺は小狼という名前を持っている』
幼い頃の記憶、雨降る中、ずぶ濡れの自分がいて、行き交う人々から不審込められた視線で見降ろされ、鏡に佇む自分を覗きこめば、そこには知らない自分がいた。
名前すら思い出せない自分が今ここにいられるのは、温かく迎え入れてくれた人たちがいたから。サクラ姫に出会えたからだ。
「…小狼君…」
サクラ姫が手を伸ばして小狼の頬に触れる行為を嬉しくもあり、その優しさは出会った時から変わらないという安心感に包まれ、小狼は尚更笑みを深くする。
でもでも、よくよく考えてみるとメンバーが1、2、3人ほど足りない事にハッと気がついたことで、近くの格子越しから外を見渡せば唖然となってしまった。
煌びやかで色鮮やかな着物を纏った美しい女性、または少女や男が行き交い、笛や太鼓の音がそこかしこから溢れ出すように鳴り、頭上にはぼんやりとひかる提灯がいくつも並び吊るされ、ある種儚い夢の世界へと迷い込んでようにも思えた。だがここは現実に存在する世界。
「気がついたのねー!」
「!?」
襖をバシン!と音を立てて現れた煌びやかなおねーさま方にワイワイガヤガヤ、羨ましいくらいもみくちゃにされて戸惑うしかない小狼とされるがままのサクラに相変わらず女性にモテモテのモコナは、かくかくしかじかこういうことなんですと身の上を説明すると、ここの遊花区のオーナー、鈴蘭がビシッと決めた。
「事情はよぉーくわかったよ!ここはゆっくりしていきな、旅の人!」
「「「さすが主人【オーナー】!!」」」
女性陣が嬉しそうに騒ぐ中、小狼はタジタジに押されつつここにいない仲間たちの身を案じた。モコナは近い場所にいるからと言うが、眠ったままの天姫のこともあるし自分たちのように身を寄せられる場所があればいいと願いながら、さっそくこの世界の衣服を勧めれ苦笑しながら頷くのであった。
同時刻―
小狼たちとは別の場所ではこんなことが起こっていた。
闇の中、広い敷地内の真ん中に佇む長身の影二つ。雅な世界に似合わぬ異世界の衣服を身に纏ったファイと案外しっくりきている黒鋼である。
次なる世界に来たはいい。だが状況的には果たして喜んでいいものかどうか。
まず問題なのはメンバーが欠けていること。共にモコナの口に吸い込まれたはずなのに、気がつけばファイ、天姫、黒鋼という大人組だけしかいないのだ。
これは所轄言うところ、
「いやぁ~、見事にはぐれちゃったね。小狼君とサクラちゃん、大丈夫かな?あとモコナも」
ということである。状況的には最悪。でも全然そんな素振りすら見せず逆に余裕ありなりなファイ。彼が気にする所はモコモコのコートにしっかり包まれ丁重にお姫様抱っこされて眠る天姫に変化がないかぐらいである。
様子を伺いながらまったく変化がみられない点を残念に思いつつ、おどけた口調でファイは黒鋼に言った。
「アレは十分しぶといからほっとけ」
「黒めりんってば、機嫌悪い?もしかして、斬れなかったから?」
ぶすっ。
黒鋼の仏頂面が見るからに更に濃くなった。ずばり当たりのようである。
ファイがいう斬れなかったというのは、前の世界でルンルン気分で倒す気概に満ちていたのに全然斬れなかった竜巻のことである。サクラのなんでも好かれる能力のお蔭で竜巻と仲良くすることができたので、闘う理由も綺麗さっぱり無くなったから余計黒鋼はご機嫌斜めなのだ。かといってファイは黒鋼の機嫌が続行中でも何の問題はない。
黒鋼が始終こんなのなのは慣れっこだからだ。
「あっち行ってみようか」
「………」
とりあえず階段があったので降りてみることにした二人。一段一段降りていく事にこちらを殺気を送る複数の数がいることに気がついた。黒鋼は何も言わないがいち早く気付いているはず。ファイは黒鋼から距離を置いてゆっくりと降りることに。この先の展開を予想してのことだ。さてファイの予想があたるかどうかは置いといて。
真ん中まで来たところで、ようやく姿を現した団体様。
「お前たち!何ものだ!?遊花区のモンか」
物騒にも小刀を持ち出して威嚇する男たち。
あーだこーだと、陣社だ勝手に入るな!と喚く彼等に対して黒様はズンズンと問答無用で降りていきズバリ一言。
「先に手ぇ出した方が悪い」
黒様節炸裂!
肉眼で確認できないほどの素早さで鞘から刀を抜きだし男たちに斬りかかる。あっという間に男たちは次々と地に伏すことに。黒鋼の刀さばきに男たちの顔色に動揺が走る。
「おー!さすが黒ワンコ。ぱちぱちひゅー!」
拍手をすると天姫を落してしまうので言葉だけで声援を送ることにした。ついでに口笛のマネもぷらす。でも喜ばれなかったようだ。
「それヤメロ!」
「つまんないの、じゃあ」「黒黒わんわんもやめろ」
ファイよりも先手を打っての発言であるが、以心伝心とはまさにこのことなり。
今にもファイに斬りかかりそうな勢いで詰め寄る黒鋼にファイはにへらと笑みを浮かべながらさりげなく避けた。と、そんな時ある人物が待ったをかけた。
「待ちなさい」
その一言は落ち着き払った静かな声であったが、荒々しさを見せつけた男たちが一斉に動きを止めるだけの『力』が込められていた。
「陣主【マスター】!」
「蒼石様!」
ある男たちがそう叫ぶ。どうやら涼やかな印象を持つ彼はこの男連中をまとめる立場にあるようだ。彼が現れただけでこの場の騒がしさがピタリと静まったのだから。
男、蒼石は二人の身なりを見てここは紗羅ノ国の国であると説明した。
「……それで、お二人はどうしてこちらに?」
「旅してるんです」
「…三人で、ですか?そちらのお嬢さんは何処か具合でも?」
「いえ。他にも二人と一匹と一緒なんですけど、はぐれちゃいまして。それと彼女はちょっとおねむなだけですー」
二人と一匹という説明に首を傾げながらも事情が理解できた蒼石はこんな提案をあげた。
「もしよろしければ、こちらで休んでいかれませんか?もう夜も遅いですし」
こちらとしては願ってもない申し出だが他の連中が信じられないと待ったをかけた。
「蒼石様!」
「こんな怪しい連中を中に入れるんですか?!」
男たちがマジですか!?と驚く中、ぽやーんとどこかサクラと似た雰囲気で蒼石は男たちに視線をやりながら、
「いいではないですか。困っている人を放り出すなど陣社は何のためにあるのですか?」
と正論をさらっと述べファイと黒鋼に向き直すと
「どうぞ、こちらへ」
と自ら先頭に立ち案内を買って出てくれた。
「ありがとうございまーす」
「メシ食わせろ」
礼を述べるファイと遠慮なしな黒鋼に男たちはまた食って掛かった。
「あんだとー!?」
だが、威勢がいいのはここまで。
ぎろっと効果音と共に、
「アン?」
とメンキ切るワンコが威嚇すると面白いくらいに男たちが「ひぃ」と恐れさぁーと退いていく姿にはファイも声に出して笑った。勿論、ギロッと睨まれたけど。
とりあえずの拠点は無事確保できたことはまずまずの良好である。天姫の為にも野宿だけは嫌だなぁと思ってただけにこの展開はラッキー。それから二人は蒼石の案内で陣社の奥へと案内されつつ、この地が清浄な気で満ちている理由や蒼石の立場などを訊かされた。そしてファイがある部屋に関して指摘してみせると蒼石は、先ほどまでのぽやーんとした表情とは打って変わり真面目な表情になり、こう重々しく口を開いた。
今起こっている現象と、昔から伝えられてきたある像の言い伝えを打ち明けたのだった。
※
小狼とサクラとモコナが舞台の成功の祝いと客人の歓迎を称して遊花区の皆様が催してくれた宴に参加して、にゃーんにゃん!とどんちゃん騒ぎやった次の日の朝、大半のおねーさま方が激しい二日酔いでダウンしている中、
「おはよう!小狼君」
「お、おはようございます……」
ケロッとした顔で爽やかに挨拶するサクラと女装姿に箒を持ったスタイルでお手伝いしている小狼。どこか歯切れの悪い挨拶にこてんと首を傾げ「どうしたの?」とサクラが尋ねると小狼は思わず昨夜の出来事を思い出し「あの、大丈夫ですか?」と容体を尋ねずにはいられなかった。今でもあの光景には顔が引きつってしまう。あのサクラの飲みっぷりと可愛らしい変貌っぷりを目の当りにすれば、前回の桜都国にて黒鋼がもう酒飲むなと釘を刺すのも納得がいくというもの。あえて小狼は黒鋼の助言に従い酒は控えていたのだが、まさかこの目で真実を見てしまうとは。今のサクラと昨夜のサクラとのギャップに戸惑うなというのが無理な話である。だが真実を知らぬサクラにとっては、どうして小狼が自分の体調を気遣うのか理由がさっぱり。とりあえず、大丈夫だよと返事をするとほっと小狼は息をついたのであった。その後、陣社の氏子たちが昨夜の地震が起きた事を遊花区の所為だといちゃもんつけに来たのだが、そこは小狼の見事な活躍によりさっさと退場させられた事件は遊花区のおねーさま方に強く好印象を与えたらしい。
※
こっちはこっちで部屋中の畳に転がした酒瓶の数ときたら、数えるだけで両手では足りないくらいである。こちらの世界の衣服を身に纏ったファイと黒鋼は夜を徹して酒盛りし、ついには朝を迎えたのだ。
「ふぃ~、もう朝だよ」
ふにゃ~と緩み切った顔に己の膝には大事そうに天姫を乗せてファイは飲み切った酒瓶をコロコロと畳に転がす。はい、また増えたー。
「お前、桜都国のアレは嘘だったのかよ、アレだけ悪酔いしてやがった癖にケロっとした顔しやがって」
「あれ?オレそんなに悪酔いしてたっけ?」
「してた」
コクっと頷く黒鋼にファイは
「そうかなー、でも仕方ないかも。コレって魔術の呪文受け入れちゃったみたいになるし」
とさも適当に説明するがこれで納得するはずがない黒鋼は疑心めいた視線を送る。
「ふーん」
「黒ポリン疑ってるでしょ、その顔」
「おう、胡散臭い魔術師の言い訳だな」
「酷いなぁ」
そこで会話は一旦途切れ、しばし二人の間に間が空いた。
微妙な雰囲気の中、先に口を開いたのは黒鋼だった。
「おまえ、昨日蒼石が夜叉像の謂れを話してる時に出た『阿修羅』の名に反応したのはなぜだ」
「………なぜでしょーね…」
「腹割って話すつもりはねぇんだな」
刺すような視線から逃れるようにファイは自分の膝に乗せた天姫にわざとらしく話しかけた。袖に手を入れて透明の鈴を取りだす。
「………天姫ちゃん、朝だよー。おっきして?」
cの耳元で鈴を鳴らす一方の手で彼女の柔いほっぺを軽く突く。
ぷにぷに。
うん、もち肌だ。不思議なことに眠るだけの天姫の体には見た目変化らしきものが見当たらない。本当にただ寝ているだけのようにも見える。食事を取ることが不可能な状況にも関わらず彼女は健康そのもの。この摩訶不思議現象は彼女特有の体質なのだろうかと天姫が起きたら是非聞いてみたいことだ。
「いやいや、んな言い方しても起きねぇだろ」
手をぱたぱた振って突っこむ黒鋼にファイは、
「わかんないよ、鈴鳴らしてるし。全然オレらには聞こえないけどね」
「それ本当に効果あんのか?」
「さぁね。物は試しってことだし、実際オレたちじゃ、天姫ちゃん自体がどういう状況になってるのかさえ分からなかったわけだし。彼が言ってたことも全部真に受けるわけにもいかないしね」
「だとしてもおまえがそこまでしてやる義理はねぇだろ」
「……うん。そうだね」
「義理、以上か」
「………えへへへ。内緒」
「フン」
そこにコンコンとノックして入ってくる蒼石登場。部屋中に転がる酒瓶を見ても動じずに「おはようございます、随分と盛り上がったようですね」と挨拶をする。
「おはようございまーす」
「よろしかったら朝餉でもご一緒にいかがですか?そちらのお嬢さんも静かな場所で寝かせた方がよろしいでしょうから」
蒼石なりの気遣いにファイは礼を述べた。
「ありがとうございます。でも、出来ればオレから離したくないんですよ」
単なる我儘。鈴を鳴らすには彼女の傍にいなければならない。食事中ぐらいゆっくりしてもいいのだが、どうにも気が収まらない。あの男は根気強く鳴らしつづけろと言っていた。少しでも手を抜くと言うのはあの男に対して負けた気がしてなんとなく癪に障るかもしれない。ファイの大胆発言に蒼石は違う捉え方をしたようだ。うんうんと頷いては、
「…なるほど…恋人、なんですか」
と納得。まぁ、口ぶりからしてみればそう取られるのが妥当だろう。
だがファイは苦笑しながらやんわりと否定した。
「……そんな、好ましい関係じゃないんですよねー」
勿論、憧れてもいるがそんな綺麗なものでもない。名前を与えるに相応しい行動ではない。ならばあえて言うのなら、
「あえて言うなら、おせっかい、ですかね……」
度が過ぎたおせっかいというのなら誤魔化せるような気がしたのだ。
自分の心を。
黒鋼は何も言わずに黙って酒瓶をぐっと煽った。