"―――幸せな幕切れであれば良いのに、と思った。
一人でも多く、生きて、笑って、愛されて。
そんな光景が続く世界だったら、と願った。
それだけは『本当』なんだ、『嘘』じゃない。
……ただ、たった一人。
君だけが愛されなかった世界である、というだけで、こんなにも、"
くるり、くるりと、記憶の螺旋を墜ちていく。
日記帳の中の暗闇で、ヴォルデモートの遺した『記憶』が幾つも漂っている。
それらは、小型テレビの画面の様な形として存在しており、真っ暗な画面の中央には丁寧に日付が表示されていた。
闇その物と錯覚しそうな漆黒の画面をチョンとタッチすると、サムネイルらしき物が表示される。記憶内容の舞台となる場所が、一つの静止画として浮かび上がるのだ。こうして、目ぼしい記憶を日付と合わせて探していく。
暇な時に、こうして何か有益な情報を得ようと探っているのだ。
やがて、一つの『記憶』に辿り着いた。
日付は1943年8月。丁度、50年前の夏休み真っ最中の時期だ。
画面をタッチして、サムネイルを確認する。そこに浮かび上がった静止画は、目を疑う程荒れ果て腐りかけた屋敷だった。
一瞬躊躇するも、所詮これは記憶だ。実際にその場所を訪問する訳ではないと自分に言い聞かせ、画面の前に立つ。
まず覗き込む様な格好で頭から画面に入り、次に全身を投げ込んだ。途端に、さっきまで表示されていたボロ屋敷は消え失せ、真っ暗闇の空間を真っ逆さまに墜ちていく―――。
頭から墜ちた筈なのに、両足が地面を踏む感覚で意識が覚醒した。
目に見える範囲に視覚を集中させると、霧に覆われているかの様にぼんやりした周囲の景色が晴れていく。
『暗いな……』
そこは、暗い林の中だった。
余りにも日光が遮られているので、この薄暗い林の中で、絡まり合う木々に隠れた建物を発見するのに時間が掛かった。
この家主は、余程自然が好きなのだろうか。そうでなければ、ここまで木々や雑草を伸び放題にはしない。だが、幾ら自然の中が好みとはいえ、陽の光を防いでしまっては不健康極まりない生活となってしまう。
建物の周囲もそうだが、建物自体も、かなり放置されているようだった。
壁に苔がびっしり張り付いており、屋根瓦は剥がれ落ちてしまっている。窓も汚れ放題で、この家の住人は、手入れや掃除といったものを知らないのだと誤解を招きかねない様子だ。
一番奇妙なのは、玄関の戸に蛇の死骸が釘で打ち付けられている事だ。
蛇に恨みでもあったのだろうか。見ているだけで痛々しい。これまでの光景を確認して、この家の住人に抱く印象は最悪だ。
『いや、そもそも、最早誰も住んでいないのかもしれないなぁ……』
立ち尽くしているのもしょうがないので、『記憶』で構成された虚構の世界の中を歩き出す。
いつの間にか、手には古臭いランプを持っていた。ただでさえ暗い林の中だ、むしろこれは有り難い。
玄関まで歩み寄り、なるべく蛇の死骸を目に入れないようにしながら、一応在宅確認の為、大きく音を立ててノックしてみる。
一瞬待つが、返事は無い。普通ならもう数秒待つべきなのだろうが、どうせ誰も居ないだろうという軽い気持ちもあった事から、気にせず戸を開け放った。
ゆっくり開けた筈だが、老朽化が激しいのか、思ったよりも軋んだ音を響かせてドアが開く。
ランプの灯りを頼りに、家の中をざっと見回してみる。
すると、暖炉の傍の肘掛け椅子に、こちらを見つめる男を見付けた。
男は髪と髭が伸び放題の、見るからに不潔そうな雰囲気を放っている。手には物騒な事に、両方にそれぞれ武器を持っていた。右手に杖、左手に小刀。家の中でも持ち歩いているなんて、どれだけ用心深いのか。それとも、単に趣味で携帯しているのか。
真意は図りかねるが、一つだけ解るのは、この男がもしも襲い掛かってきたらタダでは済まないという事。
ほんの数秒、男と視線を交わし合っていたら、先に動き出したのは男の方だった。
椅子からよろよろ立ち上がり、男は喚き出した。
〈貴様!〉
案の定、男は杖と小刀を振り回しながら突進してきた。
こちらが一体何をしたというのだ。確かに、不法侵入と誤解されても仕方がないのかもしれないが、正当防衛にしては過剰過ぎないだろうか。
ふと、男の足元に、空っぽの瓶が何本も転がっているのが目に入る。どうやら酔いが回っているらしい。正常な判断能力が欠けているのだ。
それを理解したところで、相手は止まってくれないが。
ポケットの中に杖があるものの、こちらは只今丸腰だ。攻撃されては一溜まりもない。
立ち尽くしたまま、それでも迫り来る襲撃を回避しようと、何とか口だけは動かした。
〈うわなにをするやめ―――〉
慌てて言葉を発した為、発音を間違えてしまったのだろうか?
今、自分の口から紡がれた言葉は、何か奇妙な息遣いになっていなかったか?
向こうも向こうで驚いたのか、ただ単に酔いで足が縺れたせいかは分からないが、横滑りしてテーブルに激突した。とりあえず突進を回避出来たらしい。しかし安堵するにはまだ早い。
男がじっと見てくる。妙な動きをされない為にも、こちらもこちらで注視してみる。ボサボサの髪と髭が顔を覆い隠しているせいで、腹の底で何を考えているか探れないのがもどかしかった。
互いに見つめ合うだけの長い沈黙は、やがて男の方が破った。
〈話せるのか?〉
その口から漏れたのは、シューシューという奇妙な息遣いだった。言葉になっていない。しかし、何故かその意味を理解出来る自分に自分で驚いた。
〈はぁ……なんか、話せるみたいだけど〉
標準語で返事をした筈なのだが、こちらの口から出てきたのも男と同じシューシューという音。一体どういう事だってばよ。
まさか、これが『
サラザール・スリザリンと、その子孫に受け継がれていく、特殊能力。
蛇の言葉を理解し、蛇を御する。魔法使いの中でも稀な才能。
実際話すのは初めてだ。この要領でやれば、『現実』でも話す事が出来るだろうか。
男が襲撃に移る様子が無くなった為、完全に部屋に入って背後でドアを閉める。
警戒は解かない。また襲われた時の為に杖をいつでも出せるように、ランプを持っていない方の手をポケットの内に突っ込んでおく。
しかし、改めて良く見ると、酷い有様だ。
家はボロボロ。汚い。天井なんかは蜘蛛の巣で埋め尽くされているし、テーブルの上の深鍋には、カビだらけの食べ物が転がっている。まるで某作品の腐海の様だ。
こんな所で、人が到底生きていける訳がない。この男は何か特殊な訓練でも受けているのか?だとしたらある意味では尊敬するが、実際自分の顔に浮かんでいるのは恐らく嫌悪と失望だろう。
情報を得る為に、例え『記憶』の世界とはいえわざわざ出向いたというのに。
この汚らしい男から、何か得になる情報を得られるとは思えない。
それでもここまで来た以上、やらないとお話にならないので、一応尋ねてみる。
〈マールヴォロはどこに?〉
予め『記憶』の"表面だけ"を読み取っていたので、解っていた名前だった。この『記憶』にある屋敷は、ヴォルデモートの家族に纏わる場所だ。
純血の家系が記された本に載っていた「マールヴォロ・ゴーント」。恐らく、ヴォルデモートの父親か祖父か……。そのゴーント家が、この家に住んでいる、筈なのだが。
……蛇語を話すという事は、もしかして目の前の不潔な男がマールヴォロなのか?
だとしたら、ご勘弁願いたいものだ。どうか親戚や子供であれ。
〈死んだ。何年も前に死んだんだろうが?〉
対して、男はやけにあっさりと答えてくれた。
死んだ?その単語に、自然と表情が険しくなる。
〈それじゃ、あんたは誰?〉
〈俺はモーフィンだ、そうじゃねえのか?〉
何故そこで聞き返す。知らんがな。
〈……マールヴォロの息子?〉
〈そーだともよ。それで……〉
そこで、モーフィンと名乗った男は髪を押し退け、こちらを良く見ようとしてきた。
その右手に、見覚えのある、黒い石がはめられた指輪を着けている。
間違いない、あれは分霊箱の一つじゃないか!どうしてこの男が持っている?
いや、ヴォルデモートは他人から収奪した物のほとんどを分霊箱にしていた。この指輪がまだ、本当の所有者の手にあった時代、という事なのだろう。
〈おめえがあのマグルかと思った〉
こちらの顔をじっくり眺めて、呟く様に言ってくる。
〈おめえはあのマグルにそーっくりだ〉
〈どのマグル?〉
マグルに似ている?父親は、純血のマールヴォロじゃないのか?
〈俺の妹が惚れたマグルよ。向こうのでっかい屋敷に住んでるマグルよ〉
〈妹……〉
〈メローピーだ、メローピー・ゴーント。おめえはあいつにそっくりだ。リドルに。しかし、あいつはもう、もっと年を取った筈だろーが?おめえよりもっと年取ってらあな。考えてみりゃ……〉
マールヴォロの娘、メローピーが、マグルに惚れた。
そのマグルはこちらに似ているけれど、年上。
その情報に、皆まで訊かなくても、ヴォルデモートの両親が一体誰なのか解ってしまった。
〈あいつは戻って来た、ウン〉
テーブルにもたれかかったまま、モーフィンが呆けた様に言った。
折角顔を晒してくれたのだ。心中を暴く為、モーフィンを見つめる。しかし、酔いの回った虚ろな表情ではいまいち思考を探り切れない。足が自然と彼に近寄る。
〈……戻って来た?リドルって人が?〉
〈ふん、あいつは妹を捨てた。いい気味だ。腐れ野郎と結婚しやがったからよ!〉
急に怒鳴り散らし、唾を吐いて来る。一度礼儀作法という物を叩き込んでやろうかこいつ。
〈盗みやがったんだ。いいか、逃げやがる前に!ロケットはどこにやった?え?スリザリンのロケットはどこだ?〉
怒涛の情報ラッシュに、返事を返す事が出来ない。
捨てた、という事は、一度は互いに心を交わし合った……のだろうか。
しかし、理由は解らないが、リドルというマグルはその想いと共に妹を捨てた。そして、実家のあるこの地に戻って来た。
捨てられる前に妹が身籠ったのが、ヴォルデモート……?
そして、スリザリンのロケット―――後々分霊箱にされる一つが、この家から消えた。リドルか妹か、どちらの仕業か知る由も無いが、確かにこの家にあった物だ。ゴーント家はスリザリンの子孫なのだから。
つまり、ヴォルデモートの母親はスリザリンの血を引いており、父親は魔法使いと縁の無いマグル……。
完全な結論を出す前に、思考を邪魔するかの様にモーフィンが小刀を振り回して叫んだ。
〈泥を塗りやがった。そーだとも、あのアマ!そんで、おめえは誰だ?ここに来てそんな事を訊きやがるのは誰だ?おしめえだ、そーだ……おしめえだ……〉
情緒不安定気味に捲し立てながら、モーフィンが小刀と共にゆっくりと近付いて来る。まさか、殺る気か。
彼の表情から見て取れるのは、純血でありながらマグルとの恋に走った妹への怒り。そして、そのマグルにそっくりのこちらに対する圧倒的な殺意。
これだけ殺る気満々のオーラを放った上、凶器まで携えているのならば確定的だ。
ここが例え『現実』じゃなくても、大人しく殺されてやる義理は無い。こちらも正当防衛と称して、やり返すだけである。
『《ステューピファイ》!』
やられる前に、やる。
男に行動に移らせる暇も与えず、ポケットからするりと杖を抜き放ち失神呪文を放った。
放たれた閃光は反応の出来ない男の胸に直撃し、壁まで吹き飛ばした。その意識は、既に刈り取られている。
念には念をと、手から零れ落ちた小刀を、対象物を破壊する呪文、《レダクト》で粉砕しておく。これで、いつ意識を取り戻されても殺される確率はグンと減る。
モーフィンの杖も……いや、【
モーフィンの杖を拾った手が、自分の意思を無視して勝手にポケットに移動する。
『記憶』の世界では、『記憶』の流れ通りに、こちらの行動がある程度操られるらしい。この後、この杖で一体何が行われるというのだろう。
ふと、自分の持つ杖を見てみる。
『現実』で使用している、あのサンザシの杖ではなかった。
これは、『物語』でも良く目にした、ヴォルデモートの所有する白い骨の様な杖だ。
『記憶』の世界なのだから、当然といえば当然か。
しかしデザインが不気味過ぎる。こんなの持って7年間学生生活送ってたのか。虐められそう。
しれっと失礼な事を考えながら、モーフィンが言った『向こうのでっかい屋敷』を探す為、屋敷の外に出る。
そこに、父親であるリドルが居る筈だ。何か新しい情報を得られるかもしれない。
名前も一緒、顔もそっくりと言われるとややこしい事この上ないが。
そうして、いつの間にか『記憶』の世界は、小高い丘の上にある大きな屋敷の玄関前に切り替わっていた。
どうやら、ヴォルデモートも自分と同じ様に、モーフィンを気絶させた後ここを訪れたらしい。
ゴーント家の屋敷と違って、大きくて立派で豪華だ。手入れも行き届いている。どうやら幾分かまともな一家と見て良いようだ。
ゴーント家の時と同様、まずはノックから。数回扉を叩くと、特に間を空けずに中から住人が出て来た。
ディナーの正装をした、年老いた男だ。扉を開けるなり、こちらを見て明らかに表情を顰めている。まあ、いきなり顔の知らない青年が訪ねてきたらそういう反応にもなるかもしれない。
無遠慮な視線を受けても何とか心を静め、柔らかい表情を浮かべて言葉を並べた。
『突然の訪問、失礼します。こちらはリドルさんのお宅で間違いはないでしょうか』
『……そうだが、君は誰だね?』
明らかな警戒心を包み隠さず、男が鋭く尋ね返してくる。その視線はさっきからこちらの顔にばかり注がれている。何だか、お尋ね者にでもされた気分だ。
こういう人間と面した時は、下手に出なければ。人懐っこい笑みを浮かべて、相手の警戒を解く。そういった猫被りは得意だ。
『リドルさんに―――あの、昔、メローピーという女性と一緒に居た筈の、リドルさんにお逢いしたいのですが』
目の前の男は年を取り過ぎている。多分、モーフィンの言っていたマグルの父親か何かだろう。
そう思って、解り易いよう言葉を選んで尋ねたつもりだったのだが、何故か逆効果だったようだ。「メローピー」という名を耳にして、男の顔色が明白に変わった。
『メローピーだとッ!?あのろくでなしのゴーントの子供の事か!?』
赤くなった顔のまま、激昂して男は叫んだ。名前一つで、こうも態度が豹変するとは。
ゴーント家は魔法族の筈だが、何故かマグル一家に存在を知られているらしい。
メローピーの名前を出しただけで、この剣幕である。一体、両家に何があったというのだ。
『息子を誑かした頭のおかしい女だ!何故知っている!?……ま、まさか……』
男が眉を上下させてこちらの顔をまじまじと眺めてくる。
話を聞く限りでは、メローピーは「旦那の家族から認められるような方法」でリドルと愛し合った訳ではない、という事が察せた。
大方、駆け落ちか何かだろうか?
そして、その誑かされたらしい息子のリドルと、そっくりな青年。
正体を普通に考えれば、女とリドルの間に生まれた子供という予想がつく。
そんな子供が目の前に現れたら、大抵の人間はどういう反応をするだろう?
……絶対に歓迎はしない。
そこまで推測して、反射的に足が一歩後退る。
これ以上は危険だ。こちらの身元がバレる前に逃げなければ。
待て、どうしてこんなに足が震えているのだ。何故、逃げる必要があるんだ。
一体、自分は何を恐れている?
何も恐れる必要は無い。そもそもここは『記憶』の世界だ。他人の『記憶』の世界だ。逃げ帰る必要性など皆無の筈だ。
まだ、リドルに逢っていない。いや、逢って何になる?逢ってしまえば、何か取り返しのつかない事が起きる嫌な予感がする。この胸のざわめきは、何なんだ。
いつまで経っても返事が出来ないこちらに、男は構わず結論を出そうとした。
『まさか、お前は―――!』
『父さん、さっきから騒がしいけど、誰が訪ねてきたんだ?』
その時、男の背後からもう一人別の、幾分か年若い男が姿を現した。
自然とその顔に移った視界に、驚愕を隠せなかった。―――似ている。そっくりだ。
それは相手も同じだったようで、自分と瓜二つのこちらを見て、その顔からたちまち血の気が引いた。
『と、父さん、この子はどこから―――』
『
怒りの矛先は、メローピーから息子へと変わった。トムと呼ばれた、こちらと同じ名を持つ若者は慌てて弁明した。
『ちっ違う!こんな子供は知らない!な、何かの間違いに決まってる―――なぁ、そうだろう!?』
同意を求める視線を、トムはこちらに向けた。肯定してくれと、その瞳が物語っている。
ただ、両者の繋がりを否定するには、余りにも材料不足だ。
酷似した容姿、同じ名前。スリザリンの血を引く魔法族の女と、一時でも一緒に居た男。
果たして、こちらがその息子ではありませんなどと、どの口が言えるだろうか?
『一体、何の騒ぎですか?もう食事時だというのに、やめて下さらない?』
追い打ちとばかりに、今度は老婦人が現れた。屋敷の中の玄関から、外の様子を観察している。そして、その目がこちらを捉えると、やはり顔色が一変した。
『……どちら様です?その子供は……。ねぇトム、どうして貴方に似ているの……何を騒いでいるかと思ったら、まさか、』
『こいつはあの女の子供だ!!覚えているだろう、あのメローピーとかいう女だ!トムを惑わして消えた、あの忌まわしい女だッッッ!!』
男は怒鳴り声で老婦人に説明した。両者は夫婦なのだろう。老婦人は目を見開き、ヒステリックな声を上げた。
『な……何ですって……!?ま、間違いよ、トム、そうでしょう?だって貴方は帰って来たもの!!子供なんて居る筈はない、ねぇそうでしょ!?』
『だがどうだ、こいつはトムにそっくりじゃあないか!?どういう事なんだ、もう子供が出来ていたというのか!?』
『とっ父さん、そんな事は―――あんな女と子供なんて、あ、あり得ない!母さんの言う通り、間違いだッ!』
『まだ言うのか?じゃあ、こいつに訊いてみればいい!!』
一向に認めない息子に痺れを切らしたのか、男がギラついた眼光をこちらに向ける。
咄嗟にポケットの杖に手を伸ばしたが、取り出す前に男に肩を乱暴に掴まれて阻止される。そのまま引っ張られて、家の中に突き飛ばされた。
何とか倒れ込むのは回避出来たが、出口である玄関に三人も人間が固まっているので逃亡は望み薄になってしまった。
トムと老婦人は顔面蒼白のままこちらを見ている。そんな二人を無視して、男が詰め寄ってきた。
『答えろ、お前の名前は何だ?どうしてここに来た?あの女の差し金か!?全部答えろ、全部だ!』
モーフィンの様に凶器こそ手にしてはいないが、その眼光だけで人を殺せるのではないかと思うぐらいの迫力だ。しかしこちらも杖を持っているので、
無表情を浮かべたまま、沈黙を保つこちらに益々男の機嫌は悪くなっていく。
『どうした、答えろ!……さっき、リドルに逢いに来たと言っていたか?あの狂った女が教えたのか!?そうだろう、じゃなきゃこんな所まで来れない筈だ!このッ……汚らわしい小僧が!!!』
『……そう、そうよ。やっぱりあの女の差し金なんだわ……!……悍ましい。
老婦人はやがて男に同調し出した。男と一緒になって、こちらに対して罵倒を連続で投げ掛けてくる。
トムは、口にこそ出さなかったものの、明らかな嫌悪と侮蔑を込めた表情でこちらを睨んでいる。
それを認識した瞬間、耳栓でも突っ込まれたかの様に、急に周囲の音がフェードアウトしていった。時間の流れが、やけに遅く感じる。実際、三人の動きがスローモーションの様にノロノロとしていた。
―――あぁ、前にも、こんな光景をどこかで……。
何故か、既視感を覚える。
血の繋がった者達からの罵倒。
人でない何かを見る様な、嫌悪に塗れた視線。
自分の存在を認めない、望まない父親。
そんな男だけを愛して、他には見向きもしなかった母親。
時の鈍くなった世界で、未だにパクパクと口を動かして罵倒を続ける老夫婦を無視して、手がポケットの杖に伸びる。
余りにも自然に動く自分の体に、ギクリとした。これは、『記憶』の流れに沿った強制的な行動だ。
この後、杖を使って何らかの魔法を行使するのだ。
しかし、どういう訳か実際に取り出したのは、モーフィンの杖だった。どうして。
魔法使いは、自分の杖でないと思うように魔法を扱えないのではなかったか。
まるで、自分の杖を使うと都合が悪いとでも言うような―――。
―――駄目だ、
音の消えた世界で、誰かの声が聴こえる。頭に直接訴える様な、切羽詰まった声。
誰だっただろうか。酷く聞き覚えのある声だ。聞き飽きた声だ。懐かしさも感じる。
―――やめろ、戻れ!観るな!!
何かが必死に語り掛けてくる。
唯一解るのは、鬱陶しい『あいつ』じゃないという事ぐらい。
モーフィンの杖を持った手が、ゆっくりと老婦人の方へ向けられる。
スローモーション状態となっている三人は、気付く気配が全くない。
容易に想像がつく未来を思い浮かべて、ようやくこの『記憶』から逃れようと、自由の利かなくなった身で必死にもがこうとした。
戻るんだ、『記憶』の閲覧を終わらせるんだ!
懸命に強く念じる。
こんな風に『記憶』の世界に訪問したのは初めてで、帰り方など知らない。もうこうするしか思いつかない。
そんな自分を嘲笑うかの様に、杖先に緑色の光が輝き始めた。見覚えのある、残酷極まりないあの呪文―――
目を逸らしたかった。目を閉じたかった。
しかし、たったそれだけの行動が出来ない。最早体は、『記憶』の流れ通りにしか動かない。
嫌だ、
そう考えた時だった。
ガッ!と、杖を持たない方の手を、何かに力強く掴まれた。
途端に、杖腕以外の体の制御が戻って来る。慌てて自由になった首を動かして、掴まれた手の方へ向ける。
『―――ッ、』
そこには、子供が居た。
さっきまでどこにも居なかった筈の、子供が自分の手を掴んでいた。
赤い瞳を輝かせた、10代前後の小さな少年だった。
その瞳には、どこか呆れた様な、憐れむ様な、何というか―――生意気そうな印象を受ける。
……だ、誰だこの子は。
『……世話の焼ける』
ポツリと、心底どうしようもない、というような感じで呟かれた。
明らかに、こちらを小馬鹿にしている感情が混じっている。
それでも、出現が唐突過ぎて、言い返す事は出来なかった。
『な、な―――』
『帰るんだろ』
言葉にならないこちらを無視して、少年はグイと掴んだままの手を引っ張った。
小さな子供の力だ。大して状況が変わるとは思えない―――筈だったが、どういう訳か、呆気なく引き倒された。
何という握力と筋力だ。子供の力で、青年の体をこうも簡単に。これは世界を狙えるかもしれない。思わず場違いな感想が出てくる。
背中から床へ叩き付けられる―――事は無かった。驚く事になんと、引っ張られると同時に、床が一部、バラリと抜け落ちたのだ。その先に、永遠の闇が広がっている。
『今回だけだから。次は助けない。自分でどうにかしろ』
あっ、と思った瞬間には、既に少年の手は離されていた。自分だけが闇の中に墜ちていく。仰向けのまま、ブレる視界を整えてどうにか頭上を確認すると、穴の上からこちらを見下ろしている少年の顔が見えた。
少年はこちらと目が合うと、「これで一仕事終えた」と言わんばかりの表情を浮かべては去って行ってしまった。
おい待て。何でそんなに満足気なんだ。どうして一仕事終えた感の表情なんだ。ていうかどこから現れたワレ。
訊きたい事がたくさんあったが、全て叶わなかった。
断末魔に近い声を上げながら、重力に従って深い闇の底まで墜ちていった―――。
『嫌な想像はついていた癖に、好奇心で引き返せない所まで踏み込む辺りは、どうしようもないぐらい同じだな……』
霧散していく『記憶』の世界の中心で呟かれた独り言は、誰の耳にも届かない。
"―――それは、積み重ねた研鑽と野望の果てに。
それでも『運命』の手から逃れる事の出来なかった、愚かな男のお話さ。
【彼】の願いは、世界の浄化?逃げられない筈の死の回避?
…いいや。【彼】の願いは唯一つ。
餓えて、求めて、手を伸ばしても。
その手に触れる事が出来ずに、否定してしまった、あの下らないモノ。
……あぁ、別に、"君"が【彼】を憐れむ必要など無いんだよ。
全ては、自ら進んだ選択の末なのだから。
嘆いても戻れぬ道のその先に、何を得、何を失っただろう?
与えられなかった物は欲しくなる。それはどうしようもない人のサガ、なのだけど。
「
差し出されるかもしれなかった手を、自分から捨てたクセに。
もう一度、その手を伸ばしてもらえるだなんて都合の良い事を、信じて良い道理は無かった。
そうして、望んでいたであろう物から目を背け、心に仮面を被り続けた結果。
誰からも愛してもらえなくなりました、とさ。
……そう、だから。
"君"も【彼】のようになりたくなかったら、望みを偽ってはいけないよ?
己の本心に『知らないフリ』をするのは、最早救いようがないからね?"
【彼】に関する、とある記憶。
物語の進行無くて申し訳ない。
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