今回シナリオ的な進展は無いです。
原作読んでるとどうしてもハリーを毒舌突っ込みキャラにしたくなる。
あの子、ダーズリー家にも面と向かって毒舌ぶち込むし面白いからつい…
許して。
ハリー。
名前を呼ばれた気がした。
とても優しく、どこか懐かしい声で呼ばれた。
その直後に、犬の遠吠えの様な鳴き声が、悲し気に鳴り響いていた。
「…………誰?」
突っ伏していた教科書から顔を上げ、ハリーは辺りを見回した。
復習をしていたつもりが、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。人目のある図書館ではなく、気の緩んでしまう談話室で勉強しようとしたのが間違いだった。
とある事情で静かな空間のお陰で、つい眠気に引きずり込まれてしまった。口の端から垂れている涎をさっと拭う。
夢の中で、今まさに誕生日ケーキを食べようとしていたのだ。
ダーズリー家ではない、見た事も訪れた事もない家の中で、顔が霧で覆われた男女に、ケーキを振舞われていた。
夢の中の自分は奇妙なその光景に驚く程馴染んでいて、特に警戒する事もなく「いただきます」とケーキにかぶりつこうとしたところで、誰かの声を聴いて目が覚めた。
生まれて一度も口にした事がない、クリームたっぷりの誕生日ケーキ。思い出すだけで、また涎が出そうになる。
今は誰もいないが、ハリーは慌てて体勢を整え、教科書の上の丸いシミを拭き取る。先程の痴態が恥ずかしい。
トムが呼んだのだろうか?
ローブの袖で口元を拭きながら、さっきの優し気な声を思い浮かべる。
そうして、違うだろうな、とハリーは切り捨てた。声が違ったし、まるでハリーだけでなく、名前その物も慈しんでいるかの様な男性の声は、これまでの人生で聞き覚えが無い。
覚えが無いのに、どうして懐かしく感じたのだろう……。
不意に、胸の中に暗い感情が水滴の様に落とされる感覚が襲った。
誕生日。母によってこの世に生まれた日。孤児のハリーにとって、誕生日を祝ってくれる肉親などいなかった。
仮の親であるダーズリー一家は、当然ながら実の子ではないハリーの誕生日など眼中に無かったし、ケーキを貰うなんて夢のまた夢だった。
いつもいつも、ダドリーの胃袋に放り込まれる大きなケーキを、碌に満たされない食欲と共に、ただ虚ろに眺めていただけだ。
既に亡くなった者に逢えるなど、そんな都合の良い事は無いと頭で理解していても、心は、感情はそうすんなりとはいかない。
夢でも幻でも良い。一瞬の間だけでも目の前に現れて、両親に自分の誕生日を祝って欲しかった。
考えるだけで辛かったので、蓋をしていた己の願望。それが今になって溢れてくる。
トムは「親などいなくても子は育つ」と言ってくれたけれど、ハリーは彼みたいに、親の愛の無い環境を素直に納得出来ていない。
友人は友人であり、親は親なのだ。どちらも唯一のものであり、代わりなどない。
彼やロン、ドラコの様に、親しく大事な者達がいても、血の繋がった両親は二人しかいないのだ。友情で孤独が埋められた筈のハリーでも、両親の愛情を望まずにはいられなかった。
「逢ってみたいなぁ」
気が付けば呟いていた。
両親に逢ってみたい。
例え叶わぬ願いだとしても、幻だとしても。
彼らの顔をこの目で見てたい。声を聴きたい。触れてみたい。抱きしめてみたい。
ヴォルデモートを前にして、ハリーを見捨てず体を張って護ろうとしてくれた人達だ。生きていたらきっと、ダーズリー一家と違い誕生日を祝ってくれただろう。プレゼントだって贈ってくれただろう。
―――ハリー、愛してるわ。
頭の中で、顔も知らない母の声を想像してみる。
『うわっ、これ凄い面白いな。「口を割らない相手に効果抜群!貴方の詮索に手を貸す開心術入門書」かぁ』
―――世界で一番、あなたを愛してるわ。
『あいつに効くかなぁ。うーん、魔法無しでも大体相手の考えは解るけど、やっぱり習得した方が良いかなぁ』
―――嬉しいよ母さん。僕も大好きだ。
想像の中で、母の腕の中に飛び込む。
『でも実験相手がいないなぁ。そもそも魔法で心を覗くって、どうやるんだ。全然イメージつかないなぁ』
―――ハリー、生まれてきてくれてありがとう。ずっと一緒にいよう。
父が頭を撫でてくれる。大きく暖かな手の温もりが、全身に伝わって来る。
―――父さん、僕も、ずっと一緒にいたいよ。
『ていうかこの魔法、開発した奴かなり性格悪いだろうな。個人情報保護法案とは一体何だったのか―――』
「トム!!」
机を両手で思い切り叩く。積み上げられた教科書やら羊皮紙やらが揺れた。
「もう、うるさいよ。本ぐらい黙って読めないの。何で独り言ブツブツブツブツ言ってんのさ」
ハリー以外は滞在していない静かな談話室の中で、たくさんあるソファの一つに寝転がっていたトムは独り言をやめ、読んでいた本から目線をずらして伸びをした。
凄く、いや物凄くだらしない恰好だ。ローブは乱れまくっているし、自分の家かの様に寛ぎまくっているし、四肢は弛緩しまくって大の字になっている。
談話室の家具には何かの魔法が掛けられているようで、一部は彼にも使用出来るようだった。
魔法を使って本を空中に浮かべたまま開き、自分がその下で寝転がる……怠惰の究極系の様な光景を作り出している青年は、魔法を解除して本を机の上に飛ばし、元の場所に戻した。
『ふぇーい、極楽極楽』
「トム、君の日記帳には羞恥心ってモノが書いてないの?」
『んー?何だそれ?』
「恥じらいのコトだよ、恥じらい。全くもう、現役魔法学校生徒兼闇の帝王分霊がダラダラ、ゴロゴロ、自重無しで怠けまくって、恥ずかしいでしょ」
『へえー、良く言うよ。ハリーだってゴロゴロウトウト、居眠りでもしてたんじゃないの』
「ギクリ。い……いや、まさか、ぼっ僕はちゃんとケーキを食べて……いや、お勉強をしてました」
『えぇー、何か怪しいな、怪しいな。まっいいよ、どうでも。大体な、ハリーの前でカッコつけたって、1クヌートの得にもならないじゃないか。あー、それにしても、今日はやけに人の気配が少ないな』
「1年生は皆、授業に慣れようと自主的に図書館に行ったりしてるみたいだよ。上級生達は、クィディッチ絡みの用事みたい。人目につく危険も減ってるし、気分転換に校内歩いてみる?」
『馬鹿だな。人目が無いからこそ、僕がここでゆっくり出来るんじゃないか。こんな絶好の機会にわざわざ出歩くなんて、僕みたいな高貴な人間のする事じゃないね』
トムが寝返りを打ち、脚を行儀悪く組んでソファに深く沈み込む。ついでに、ネクタイを緩めてから肘掛けに片手をやりだらしなく頬杖をついた。
ハリーは目の前の光景に顔を顰め、ため息を零す。
どう見ても高貴な人間から程遠い。ただ黙って静かに行儀良く座っていれば、物語の王子の様に見えなくもないのに、と常々思わされるのだ。
『向こうの世界』でもそうだったらしいが、彼は美青年だ。文句の付け所が無いぐらいハンサムだ。
白い肌、形の整った目鼻、宝石の様に煌めく赤い瞳。整い過ぎて、同性なのにたまに見惚れてしまう。道行けばすれ違った人間のほとんどが、振り向いてきそうな程の美しさだ。
彼自身、あまり自覚が無く、むしろ人を引き寄せる容姿を全然有り難がっていないので、これで完全な実体化などしたら女性絡みの面倒事に巻き込まれそうな予感がビンビンである。というか、『向こうの世界』でも実際巻き込まれていたらしいので、まあ間違いなく同じ過ちを繰り返すかもしれない。目を合わせると考えを見透かされるので、顔を背けたままハリーはひっそりと考えた。
「そんなダラダラしながら読んでて、本の内容頭に入って来るのか疑問なんだけど」
『入ります。逆立ちしてようがジョギングしてようが長座体前屈してようが、いつ如何なる時も、僕は目にした物を全て記憶出来るんだ。興味ないゴミ記憶はすぐ抜けるけど。ふん、褒めても良いんだぞ』
「さり気なく記憶力自慢しないでよ。ゴミ収集車みたいな脳味噌してるクセに」
『失礼な。何でハリーに脳味噌の事まで言われなきゃならないんだよ』
言いながら、トムはもう一度大きく背伸びをし、ダラリと寝転がった状態で杖を振るった。談話室の机上に積んである本が一冊、彼の元へひとりでに馳せ参じる。
ハリーは再びため息を零した。
とてもじゃないが、闇の帝王を追っている人間とは思えない。緊張感も決意もまるで感じない。
一応は彼の分霊である身なのに、立ち振る舞いが180度違い過ぎる。肉体を取り戻す為、他人に取り憑いたり学校に侵入したり、四苦八苦している彼と比べ、分霊の方は人目につかない環境だからとやりたい放題怠けまくっている。
便利な力は人を駄目にする、その最たる例が目の前に寝転がっていた。
見た目と素があまりにも違い過ぎるのだ。端正な容姿と堕落した中身。この落差には絶対誰でも呆れる。目がかっ開いて、顎が外れそうなぐらい呆れる。
筋金入りの引き籠り精神を、隠す事無く晒しまくる大胆さはある意味尊敬ものだ。勿論、これをやるのはハリーの前でだけだろうが。
ヴォルデモートの事はどうでもいいのか、と訊くと、「それに備えての修行中」という、どこをどう解釈しても嘘丸出しな回答が返ってきた。
修行は普通、寝転んでやるものではないし、ただ書物を読み耽るだけのものではない。これを修行と呼ぶのなら、全国で真面目に修行している誠実な魔法使いの方々に、全力で謝罪をして欲しい。
ハリーはふとある事を思いついて、勉強に必要な教材を鞄にまとめて立ち上がった。
「トム、悪いけど、僕図書館に行くから。君、日記帳からそんなに離れられないでしょ。一緒に来てもらうからね」
今現在の談話室と違い、人が集まる図書館に移動するという事は、つまり人目に触れられないトムにとっては日記帳に戻らなければならない事を意味している。
彼は突然立ち上がったハリーを横目に見ながらも、相変わらずソファに沈んだまま穏やかな声で返答した。
『は?ハリー、良く聞こえなかったけど、今何て言ったのかな?あーそうか。談話室で一眠りしながら勉強してるんだね。そうだよね。寝不足は全人類の敵だから、そうしなよ』
「何を言われようと行きます。丁度読みたい本があったんだ。ちょっくら行って、ついでに勉強しようっと」
トムはいつの間にか起き上がってハリーの真横に立っており、その胸倉を掴んだ。
恐るべき変わり身の早さである。僅かな物音すら立てなかった。まるで暗殺者の如き接近技術。普通の人間なら思わず恐怖する状況でも、慣れているハリーは掴まれたまま平常心で彼の顔を見た。
『ハリー、折角の僕の寛ぎタイムを邪魔する気だな』
「談話室じゃ居眠りしちゃうから、単なる場所の移動。ちゃんとした理由だもん。真面目にお勉強だもん。へへっ、残念でした」
『クソッ、いつか義理の親戚になると思うから我慢してるけど、ホント苛つくな』
「君は我慢なんてモノから程遠い人間でしょ。あと僕、トムみたいなお
『ファング?そんな奴いたっけか?誰だそれ。あぁ、遂にライバル出現か。そうだな、この世界の事だ、こういう展開はあり得るな。いいさ、誰でもかかって来い。僕、誰にも負けないぞ』
「ファング、結構可愛いんだよ。色が黒くて人懐こくて、顔とかペロペロ舐めてくるんだ」
『はあ?顔を舐めるのが趣味なら、犬にでもなれっての』
「だって犬だもん」
『ワンワンワンって……は?何だって?犬?』
「ハグリッドが飼ってるんだ。可愛いよ。見た目は大きいけど、噛み付いたりしないの。僕、トムよりファングの方がお
『あのな、ハリー。犬だぞ。何で犬が人間の家族になれるんだ。犬が二足で立って、ご飯作って、年下の面倒を見れるのか?色が黒いって、それ、
「トム、発想がめちゃくちゃで過激的なんだけど」
『ふん、まあどうとでも言いなよ。この世界じゃ、僕は身元が無いも同然だし。上手い事動くには面倒だけど、周りにはハリーと親戚だとかで誤魔化していくしか無いんだからな』
そこでハリーは閉口し、トムをじっと見つめた。
急に相手に沈黙され見つめられ、トムが怪訝そうに少し身を揺らした。
『何だよ。いきなりそんな目して』
「いや……ちょっとさ。何でそんな事言えるのかなって」
トムが不思議そうに瞬きを繰り返す。真顔になると、彼は本当に綺麗だ。嫌でも素を見せられ続けたハリーでさえ、ふっと目を奪われてしまう。
「家族とか愛なんて要らない。人の心はいつか変わってしまう。誰かとの繋がりなんか信じられないって、君、良く言ってたじゃん。それなのに……僕のコトは、信じられるの?身元を偽る為だからって、家族を名乗れるの?」
素朴な疑問だった。
彼は容易に他人に心を開かない類の人間だ。その様な人間は、特別珍しくは無い。世界中探せば、それなりにいるだろう。
彼は、幼児期から血の繋がった者達を含めた人間によって疎まれ続けてきた結果、それによって負った傷のせいで、他人との繋がりを信じる事をやめたのだ。
多くは語らないけれど、心の内で他人を見下すのも、掴みどころのない飄々とした態度を取るのも、全部その時の傷が原因だ。
自分を理解する力が無い他人。理解出来ないなら、そいつは馬鹿だ、程度の低い人間だと……自分の尊厳を守る為、子供の時から彼はそう思うしか無かった。
他人を慈しむのではなく見下せば、心の内は楽になっていったのだ。
円滑に生きていく為に自分のレベルを下げ、そんな馬鹿に混じっていくと、途端に周りは彼を理解したつもりになった。
人間は、『普通』である事を無意識に、自分以外のモノに望んでいる。
だから、『異端』には否定的な感情で接する事しか出来ない。
『持てる者』には、尊敬の念を抱く者もいれば、妬み、攻撃する者も潜んでいる。
『持たざる者』は侮辱し、「自分の方はマシで良かった」と優越感に浸る。
だから、彼はどちらでもない『普通』―――『平凡』や『平均』である事を求めた。
それらを演じれば、大多数の人間の信頼を得られると気付いたからだ。
実際に演じていた。
騙されているとも知らずに、手の平を返して信頼を寄せてくる表面上だけの友人達。その様な者達と過ごしていれば、自然と本物の友情など信じられなくなるだろう。
そんな子供の真実を見抜くという、まさに親だけの特権を示した目聡い彼の両親は、次第に愛情ではなく嫌悪を与えた。
社会に溶け込む為に、偽物と本物の自分を使い分けているだけだった子供に、両親は好意的な感情を抱けなかった。子供らしからぬ狡猾さや二面性を見抜いてしまい、本能的に疎んじてしまったのだ。
本当なら、子供の真の姿を知っている親こそが、その時に信じてあげなければいけなかっただろうに。
と、思った事があったが、彼は「自分も悪かった」と言って両親を擁護した事がある。
それでも、ハリーは気付いてしまった。その言葉も、優等生のフリをしてきたせいで、無意識に自分の本音を偽ったものだと。本当は、他の親の様に自分を信じなかった両親が、嫌いで憎くてしょうがない筈だ。『いい子』を演じ続けたお陰で、『いい子』だと思われる言葉がふっと出て来てしまうのだ。両親を擁護する様な言葉が。
彼がたまに矛盾した事を言い出すのは、多分この染み付いた演技癖のせいなのだろう。「世界や他者に対する本音」と、「誰かに良く見られようと取り繕った言葉」。二つがかけ離れていて、その上どちらも出て来るせいで、傍から様子を見れば矛盾している様に見えるのだ。
結局、本当の繋がりを手に出来なかった彼は、何もかもがどうでも良くなって、自分だけの世界へ逃げたのだ。
その頃には独りで生きていける能力が身についており、偽の自分を演じる必要性が無くなっていた。
演技をしなくていい。馬鹿と関わらなくて良い。自分の好きな事だけが出来る。
そんな環境こそが、彼にとっての幸福な時間なっていった。
それでも。
自分の世界に逃げても。
彼の負った傷は完治していない。未だに疼き、血を滲ませる『古傷』が根底に刻まれているのだ。
そんな『古傷』を抱える彼が、境遇が似ているだとか、『この世界』で生きる為に必要な事だとしても、他人―――ハリーと共に過ごす事は、良しとしている。
彼自身が非常に嫌っている『家族』という物を、身元偽装の為とはいえ名乗ろうとしている。
少し、不思議だった。
『僕は』
一拍置いて、トムがハリーと正面から向き合い、その瞳を敢えて覗き込ませながら言った。
それは嘘偽りの無い言葉を吐く時に見せる、彼特有の癖だという事をハリーは知っている。
『君に逢えて良かったって、思ってる』
決して聞き取り易い訳ではなく、囁く様な声だった。
それでも良いと思った。ハリーは、静寂な談話室の中に零れる孤独な青年の言葉を、全力で耳に拾い集める。
『ま……僕はね、元々精神が特別っていうか、気高いっていうか、順応が得意なもんなんだけど。やっぱりハリーに、逢わなかったら……もう少し性根がひん曲がって、人間なんか皆嫌いだ、勝手に死んでしまえ、自分さえ生き残れば良いなんて思って、この世界で過ごしてきたかもしれない。だから、ハリー』
「うん」
『君には、こう見えて少し感謝してるんだぞ』
「トム」
その言葉を聞いて、ハリーは胸が熱くなるのを感じた。
『他人は嫌いだし、どうなろうが別に良いけど、君の友人ぐらいなら何かあった時、何とかしてやってもいいよ。「この世界」の住人の大体の結末なら、僕は知ってるし』
この時にはもう、彼はいつもの調子に戻っていて、平然とした態度になっていた。
ハリーはその様子を見て、自分もといつもの様に毒舌をぶち込んだ。
「君って、意地悪なのに無意識にいい子ぶって矛盾するし本当は口が悪くて態度も悪くて人を見下して傲慢なとこあるし寝っ転がって怠けまくってるけど、だけど、話聞いてくれるし、プレゼントくれたりするし、なんだかんだ良い奴だよね」
『いや、そんなに褒められても……って、待て待て、どこが良い奴なんだよそれ。前半、ほとんど褒めてないじゃんか』
トムが軽く頭に拳骨してくる。二撃目は、ダドリーのパンチを回避してきた日々によって培われた動体視力を以て、寸前で避けた。
『ハリー』
三撃目に備えて構えていると、拳を解いてトムが言った。
顔を背け、少し睫毛を伏せている。何かを思い出しているかの様だ。
『僕、さ……本当は、凄い……、普通の人間なら、絶対「酷い」って思う事を、親にやった事があるんだ』
彼が家族の事を話すのは、滅多に無い事だった。
例えハリーにでも、詳細を語る事は中々してこない。
『どんな理由があっても、本当に最低で酷い事だ』
ギリ、と、彼が自身の胸の前で右手を握り込んだ。
そして、顔を上げ真っ直ぐに、ハリーの新緑を湛える瞳を見据えた。
『いつか…………君に、話しても、良いか?』
「勿論」
ハリーは即答だった。
迷いも恐れも、そんな物は少しだって無かった。
今まで伏せていた話を、明かそうとしている彼を見つめ返す。
「でも、さ」
一息吸い込んで、ハリーは冗談交じりに言った。
「ヴォルデモートに比べたら、どんなコトもマシだと思うけどね」
その単語を耳にし、彼が僅かに表情を変えた気がした。
「だって、君はあいつみたいに、人を殺したコトなんてないでしょ?」
『………そう、だな。虫とかならまだしも、人は……無い、な』
「じゃあ、良いじゃん。それでも酷いコトって言えるなら、君はちゃんとしてるよ」
『……ちゃんとって何だよ?』
「だって、そう言えるじゃんか。本当に最低最悪などうしようもない悪人だったら、自分のしたコトが『酷い』なんて言わないし、自覚も無いでしょ?」
思った事を正直に言っただけなのだが、彼はどうにも納得できないといった様子で言い返した。
『自覚があって悪い事をする奴だっているだろ……』
「そうかも。でもさ、後悔してるし反省もしてるんでしょ?だったら、僕は何も責めないよ。僕が責めるコトじゃないもん。君を責められるのは、君の両親だけじゃないかな」
『もう逢えないも同然だけどな』
皮肉っぽく彼は言う。
ハリーは、自分の両親も同じ様なものだと思った。
人が生き返る事が出来る術があるならば、もう一度逢えるかもしれないが、彼に至っては『向こうの世界』に帰らない限り、絶対に再会は叶わない。
「僕だって、父さんと母さんには逢えないよ……。僕より先に亡くなってるんだもん」
思わず緩みそうになった涙腺を無理やり引き締めていると、その様子を見た彼は先程までと打って違って、明るい口調でハリーを諭し始めた。
『親ってのは子供より先に逝くのが普通なんだ。子供を愛していようがいまいが、僕らはいずれその親から離れる時が来る。遅かれ早かれ、独りで生きていかなきゃならない運命なのさ。それが人間ってやつなんだよ。でもね、運命なんてものは―――』
そこで一度、ハリーの頭にポンと片手を乗せた。普段の彼に似つかわしくない、酷く優し気な手付きだった。
『逃げるものでも、諦めて受け入れるものでもない。戦うんだ。戦って初めて、どうにか出来るものなんだよ。まっ、そういう事さ。それじゃ、僕は読書に戻るよ。何かあったら報告する事。グッバイ』
さっきのハリーの言葉を一切合切無視した、「談話室から梃子でも動かぬ」宣言をかまし、トムはソファの方へ歩き出した。
「トム……」
『ハリー、君みたいなお子様には、ちょっとレベルの高い会話だったな。ゴメン』
トムが背を向けたまま閉目し、天井を仰いで大袈裟な身振り手振りをしながら息を吐いた。
『人間なんか誰だって孤独なもんさ。それぞれの運命と、独りで戦わなきゃいけないんだから』
「トム、あの―――」
『なんか寂しいじゃないか。けど、寂しさに負けたらいけないんだ。人には、独りで生きていける力があるんだよ。少なくとも、僕はその力で生きてきた』
「トム、あのね、」
『慣れれば楽なもんだよ。親だとか愛だとか無くても、子は育つものなんだ。どんなに泣き喚いたって、亡くなった君の両親は戻って来ないけど……ハリー、きっと大丈夫さ。ダーズリー家での日々を生き抜いてきた君なら、孤独な運命だって乗り越えられる。だから―――』
「トム、ポケットからサンザシの杖が落っこちたよ」
『え?あっ、いけねっ。これ、50年間苦楽を共にした、僕の唯一の相棒なのに』
大袈裟な動作をしたせいでポケットから落ちた杖(盗品)を、彼は大事そうに慌てて拾い上げる。こういう点も含めて、本当に百面相だなとハリーは内心で突っ込んだ。今のは完全に無意識なのだろうが、こうも表情をコロコロ変えられると、慣れていてもやはり困惑する。
「それと、今日の午後にね、ハグリッドがお茶に来ないかって手紙をくれたんだけど、トムも一応持っていった方がいい?」
『ハグリッドだって?行く、行くに決まってるだろ?あの小屋、一度行ってみたかったんだよ。なんて素敵な誘いなんだ、嬉しいなあ』
「言っとくけど、誘われたのは僕だからね。それに、トムが来たって何もするコトないでしょ、姿見せられないんだし。全く、さっきまで散々独りがどうとか語っておいて、調子良いんだから。孤独に生きるんじゃなかったの?」
『人は誰かと触れ合ってこそ人になるんだよ。「人」って漢字はね、互いを支え合っている人間の様子を模して創られたんだから』
「カンジ?ワケ分かんない。ホント、コロコロ態度変えて。高貴な人間は外に出ないんじゃなかったの」
『馬鹿だな、ハグリッドの小屋がどこにあるか、よーく考えてみなよ』
「え?」
トムはちっちっちと人差し指を振りながら、談話室の窓を指差した。
その外に見える景色には、ホグワーツの敷地内に広がる、立ち入り禁止とされている森がある。
入学式にもダンブルドアが直々に注意をした、『禁じられた森』。
『あの森のすぐ近くに立っているんだ。まあ、大の大人が居るからよっぽどの事は起きないだろうけど、君って赤子の時から「襲われ癖」があるしさ。ハグリッドだけじゃ安心出来ないだろ。この僕が一緒に行ってあげるんだ。大船に乗ったつもりでお茶してきなよ』
「えぇ……どっちかって言うと、泥船じゃないの?」
『ハリー、杖で眼球を刺すぞ』
「うわっ、こわっ」
ハリーは大袈裟にトムから距離を取った。当の本人はサラリとそれを無視し、ソファに再びドカッと座り込んだ。その様子がとてもふてぶてしくて、まるで玉座に腰掛ける尊大な王様を彷彿とさせる。
彼には悪いが、『闇の帝王』という言葉がまさしく似合いそうなその光景を見ながら、ハリーはすうっと息を吸い込んだ。
自分は、家族を信じられただろうか?
ダーズリー家で虐げられていた日々。あの頃は、親からの愛など考えた事は無かった。
あの一家は自分を虐待するだけでなく、しばしば両親を貶してきた。まるで刷り込むかの様に。
生まれてから『大人』というものを、ダーズリーおじさんとペチュニアおばさんばかりしか見てきてない。
だから、両親―――『大人』という生き物が、自分を見返り無しに愛してくれるなどといった状況を、心のどこかで疑ってしまうのだ。
赤子の時に永遠の別れを告げてしまった、顔も、性格も知らぬ両親。
身を挺して護ってくれたけれど、彼らがどういう人間だったかは微塵も知らない。
赤子の時は愛してくれていたとしても、大きくなっていったら、どうだっただろうか?
彼は前に言った。「両親が生きていて、家庭内暴力などが無いからといって、それが幸せな家庭だとは限らない」と。
彼の様に、物心がついてから、不信感を抱かれてしまったら?
最初は十分にあったとしても、徐々に徐々にその愛情が薄れていったら、自分も彼と同じ様に、他人や家族を信じられなくなっていたかもしれない。
どうだろう……ううん、信じたい。二人が生きていたら、自分を愛し続けてくれていたと、信じたい。
胸の上で両手を合わせる。
両親が生きていても、その愛を満足に受けられなかった青年を見つめる。
彼はそんな悲しい境遇を想起させない程、すっかり怠惰に溺れた体勢に戻っていた。
その様子に、何回目か分からないため息を吐いて、ハリーは淡々と告げた。
「図書室で勉強した後ハグリッドのとこに出発するから。誰かに見られても困るし、ちゃんと日記に戻ってね」
「日記に戻る」という単語のところで、トムが舌打ちした音が聞こえた。
いつもの彼が戻ってきて何だか少し愉快な気分になり、ハリーは歪む口元を抑えきれず笑ってしまった。
滅多に表に出さない心の内のお話。
彼が前にやたらハッフルパフだと言い張ったのは、あれが理由。
主人公は誰も殺めた事無し。
酷い事やってますが、ヴォルデモートに比べれば何倍もマシかと。
「人殺し」より酷い事なんて、無いですし…
真実が明かされた時、拍子抜けするか嫌悪感を抱くかは人それぞれ…
パッドフットおじさんははよハリーを迎えに来るべき。