作者的に軽度だと思うのであまり気にしなくても良いかもしれません。
原作のワームテール腕チョンパの方がグロいと思われ、
と確認してみたらあっちはあっさり表現でそんなグロくなかったですね。
『―――悪運高いと言うべきか、トラブルメーカーと言うべきか……』
白き虚空に浮かぶ陰気臭い建物の一室にて。
そこに設置されている鉄製のベッドの上で仰向けに寝転んだ青年は、閉じていた両の眼をゆっくりと開いた。ルビーを思わせる赤い瞳が開花する様は、美しさと妖しさ双方を秘めている。彼自身は、そんな物を望んで生まれた訳ではなかったが。
上質ではない固いベッドを使用するのはあまり横臥に向かないが、此処には寝具と呼べる物はこれしか無いので致し方ない。それは安価で低品質な物品に慣れていない彼が、この虚ろな世界で抱く数少ない不満点でもあった。最大の不満点はもう此処を去っており、別の世界でのうのうと生を送っているので幾らかは心に平穏を保っていられるのだが。
青年はごろりと気怠そうに寝返りを打ち、怠惰な体勢のまま部屋の中の洋箪笥へ視線を注ぐ。過去に一度、その中身はとある老人によって暴かれた事があるという曰く付きだ。だが、今はもうあの時と同じ物は収納されていない。
『自分で問題を引き寄せておいて、間一髪のところで助かるなんて。……複雑だ』
先程まで共有していた視界を切断し、一際大きい溜息をつく。好き勝手に寝返りを打つので、折角身に纏っている新品その物のローブがすっかり皺になってしまっている。それを気にする事は無く青年は誰も居ない個室の中で、誰に向けているのかも判らぬ独り言を垂れ流す。
『ボクとしてはさ、一回くらいは手酷く痛い目に遭うべきだと思うんだよねぇ』
それは共有していた視界の持ち主へ憎悪を滾らせた様な言葉だった。それもその筈、彼は正真正銘嘘偽りのない憎悪と嫌悪の念を、視界の持ち主へ抱き続けていた。己が一番憎み、疎ましく思っては止まない存在。こればかりは永遠に変える事の出来ない不変たる思惟である。
『その結果世界が闇に沈む……?ふふっ、それもそれで面白そうだ!混沌と絶望の渦巻く魔法界ってヤツ?観てる分には最高の娯楽だろう。観てる分には、ね』
我が物であるかの様に寝転がるベッドの上で仄暗く邪悪な笑みを浮かべ、青年は心底楽しそうに独り言を続ける。第三者が見れば、闇の到来を望む彼の姿は間違いなく悪辣な人間としか表現しようがなかった。
『―――うん、観てみたいな。やり直しなんて概念が存在するならば、どちらの結果も観てみたい。光の世界も闇の世界も、ボクの好奇心を満たすには十分なんだから』
陽気さと悪意の入り混じった微笑みを浮かべる。ふと、洋箪笥の中からゴトリと異音が響いた。青年は特に驚いた様子も見せず、独り言を止める事は無い。無視というよりも異音に返事を返しているようにも見える。
『……ねえ、【あいつ】はどうするつもりなのかな。気付いているのかな?自分に与えられた役割の真意と、存在意義。全く愚かだよねぇ。「両者共」、実に愚かだ。観ていて不愉快だけれど面白くもある。自分の思い描く未来が実現されると信じて疑わず、完全に思い上がっている愚かで稚拙な子供達の姿はさ』
仰向けに体勢を戻した青年の赤い眼光は負の感情により細められ、血の滴る鋭利な刃物を連想させた。同時に、洋箪笥が再びゴトゴトという異音を発した。青年の言葉に異議を唱えている様にも聴こえる。
『……おっと、ボクも子供だという指摘は無しだよ。無粋な真似はやめて欲しいな』
洋箪笥が生み出す音と会話をしている風な言葉だった。青年はそこでようやく上体だけを緩慢な動きで起こし、洋箪笥をじっとりと軽く睨み付けた。それを切っ掛けとして、誰も触れてはいないのにも拘らずひとりでにその扉が開かれる。古めかしくぎこちない開閉音と共に、洋箪笥の中身が露わになった。
『ああ……観てみたいなぁ。一度気になるともう止まらない。……本当ならきっと、"アレ"が《服従の呪文》を掛けられたあの日、あの世界の運命は決まっていたんだろう?でもそうはならなかった。―――だから折角ならもっと先を、運命の定まらない物語を観てみようと思って、ボクは同時期に侵されていたあの少年を助けたんだ』
青年は洋箪笥の中身と向き合いながら語る。もう異音は響かない。代わりに、シューシューという奇妙な息遣いが洋箪笥から流れて放たれる。青年はその息遣いと明確な会話を交わしていた。気味の悪い異様な光景だった。
【そんな事で運命は決まらない。"アレ"が呪文に屈する様な弱者ならば、そもそも選んではいない。お前は物事を浅く捉えるのが癖のようだな】
『……?自力で呪文に抵抗出来たって言いたいの?どうかな。確かに、そう簡単に他人の指図を受ける様な人間じゃあない……だけど、腐っても「許されざる呪文」だよ。魔法使いじゃなかった人間が、完全に防げるのかな?』
【その様子では何も解っていないな。お前とて無関係ではないのだから、さっさと理解すべきだと思うが】
『理解したところでどうなる?"アレ"は一度で良いから、最低でもボクと同じ分だけ苦しむべきだ。いや、それ以上でも構わない。そうだね、"アレ"が一番苦しむ光景が観られる可能性と言ったら―――』
青年はクスリと三日月型に唇を歪め、「最悪の可能性」を推測し導き出していく。骨の髄まで邪悪な思想に浸かり切った、救う余地のない罪人を思わせる表情を貼り付けて。
『……ふふ、やっぱり、「闇の道」へ引きずり堕とされる事かな。そうだね……。非常に不愉快だけど、半分は応援してあげるとしようか、【あいつ】の野望を。勿論、もう半分はハリーの望む未来もね。あの子も色んな意味で予期せぬ展開を提供してくれる良い子だ。それに別方面で考えれば、完全な被害者でもある。せめてボクだけでも、あの子の選択する未来を応援してあげなくては可哀想だし』
【随分と懇篤な事をほざくものだ。情でも移ったのか?】
『まさか。少なからず「同情」している事は否定しないが、あの少年が悲惨な死を遂げたとしても……きっとボクは悲嘆なんて出来ないだろうから』
【そうだろうさ。お前はそういう「化け物」だ。他者にどんな情を抱いだとて、それは一時的かつ薄っぺらな物に過ぎない。
それを聞いて青年はバツが悪そうな笑みの後、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。
散々な言われようだったが、否定する事はしなかった。実行にはとてつもない労力を要し過酷な難易度を誇るが、その気になればあの少年の生きる世界に、何かしらの影響を与える事が可能な存在が彼だった。
『…‥物語の結末が気に入らないからといって、ページを破って新しい結末を書き足す様な真似をするのは、野暮というモノだよ。君もそう思わないか?未来に変革を齎す希望も絶望も、あの世界の住人が自ら生み出していくものさ。その権利は彼らにしかない。「何処の誰とも知れぬ者」による一方的な干渉なんて、あるべきじゃないと思うだけだ。まあ、あくまでもボクはそう思ってるだけで、此処に居るのがもしも情に厚い別の誰かさんだったら、こうしてやろうああしてやろうと余計な手を加えるのかもしれないが』
干渉するのもそう簡単な事じゃないけどね、と青年は助けたばかりの眼鏡の少年の姿を思い返す。条件が揃わなければ、もう二度と逢う事すら無いかもしれないあの少年。彼はどんな道を選択し、歩んでいくのだろう。
【お前が観たがっている結末に至るまでに、"アレ"が死んだらどうする?】
青年はそこでピタリと動きを止めた。ふむ、とわざとらしく顎に拳を当てて考え込む仕草を取る。しばらくたっぷりと思考を働かせて、今度は子供じみた明るく無邪気な笑みと共に口を開いた。
『……それはそれで、受け入れようじゃないか。その結末さえも考慮した上で、ボクは此処に居るのだから。ふふ、何も問題は無いさ。だって―――』
『
とてもとても楽しそうに、自分の死すらも娯楽だと言わんばかりに、青年はにっこりと光溢れる微笑みを浮かべた。
それを見た者は、これからの未来に思いを馳せ、年相応に笑顔を振り撒く好青年としか映らなかっただろう。けれど彼の口から出た言葉は、全く正反対の意味が込められた悲壮感に満ちた痛々しい物であった。満面の笑みを浮かべて言う言葉では決してない。なのに青年は笑顔を引っ込める事はしない。異常としか言いようがなかった。
『……はは、こんな風だから、「化け物」とか言われてしまうんだろうね。自業自得かな』
片手で目元を覆い隠していた黒い前髪を払い除けると、青年の赤い両の眼が晒される。常人なら有り得ないその色も、化け物染みた雰囲気に一役買っていた。
『誰に何と言われようと、ボクの心が満たされればそれで良い。その為ならボクは、怪物だの悪魔だのどれだけ呼ばれたって構わない。元々それが目的で始まった事だ』
広がった視界で部屋の窓の方を確認すれば、近くの床に数枚の深紅の羽根が散らばっているのが見えた。青年が空いた片手をぱっと開くと、そこに白い骨の様な杖が姿を現す。それを握り、軽く振るえば床の羽根は無数の塵と化して跡形も無くなった。
『さて、と。実はさっき、あの子が興味深い光景を見せてくれたんだ。それを使えば面白い反応が観れそうだから、"アレ"に「ちょっとしたプレゼント」をしてくるよ。どうせ贈ったところで、決して未来は変わらないからね。観賞に味付けを加えるにはうってつけだ』
悪質な悪戯を思いついた顔で青年がベッドから立ち上がると、いつの間にかそれまで部屋には無かった物が姿を現していた。
首元から鮮血を溢れさせる兎の死体。
内蔵という内蔵を全て引き摺り出され、腹部の萎んだ無数の小動物の死体。
虚ろな瞳でぺたりと座り込んで、項垂れたまま微動だにしない子供達。
だらしなく開いたままの口から涎を垂れ流し、壁に凭れてピクリとも動かない男。
生気の大半を失い床に倒れ伏す、みすぼらしく青白い女。
青年は部屋に出現したあらゆる物を見回して、郷愁に駆られた様に目を細める。その瞳の中に罪悪感も後悔も、微塵も有りはしない。そこにはそれ以外の、何か別の感情が横溢し渦巻いていた。
これを作り出していた頃が懐かしい。確かにあの時、自分は"ちゃんと幸せだった。"
『誰かが「化け物」を見抜く目を持っていても、哀しい哉、見抜いても結局止められはしなかった。―――ねえ、アルバス・ダンブルドア。貴方は、同じ過ちを繰り返さないと恥じる貴方は、その世界で一体どんな選択を取るのかな?「死を越えし契約者」は、果たして貴方に希望を与えるのか、絶望を与えるのか……。殺すも生かすも好きにすると良い。貴方の選択も含めて、ボクは楽しませて貰うよ』
ぐじゅりと部屋の中の肉塊を次々と力強く踏み潰しながら、鼻歌でも歌う気軽い足取りで青年は部屋の外へ出て行く。辛うじて青年の移動範囲外に居た男と女はその被害を免れたが、それ以外は全て液体と固体が混じり合った何かへと成り果てた。その行動は、普通の感性を持ち合わせる人間であれば決して行えない残酷な所業であった。
青年が一歩踏み出す毎にその先にあった肉は不快音と共に弾け飛び、壁にまで掛かる赤い絨毯を作り上げる。立派そうな革靴とローブが血と汚物に塗れるのも全く気にする事は無く、赤黒く毒々しい足跡を伴って彼は完全に姿を消した。
その時、入れ替わる様に開いたままの洋箪笥から、生物らしき物がずるりと這い出てきた。頭も手足も体毛も見当たらない。全身は動物の生肉に近い褪紅色に染まっており、一定の間隔を保って弱々しく波打っている。その流動を利用して動いているのだろう。
醜悪な化け物にも見えるその生物は、突然むくむくと全身を隆起させたかと思うと徐々に人の形へと変貌していった。触手の様に伸びた肉が四肢に、風船の様に膨れ上がった肉が頭部に。その様は、思わず目を背けたくなる程不気味で歪で悍ましい光景としか表現出来ない。
少しの時間を掛けて、灰色のチュニックを身に纏った人間の少年が誕生した。先程までの得体の知れない肉塊の存在を真っ向否定するかの如く、少年の顔立ちはやたら整っていて美しい物であった。
メキリと不安を掻き立てる音を響かせて、少年は開眼する。真っ黒で何色にも染まる事のない瞳が、何者にも染められぬ瞳が、部屋の中の惨状を緩やかに見回してほんの少しだけ細められた。十代前半ぐらいのまだ幼さが残る童顔は、見る者に不快感と吐き気しか与えないその部屋に酷く不釣り合いだった。
最後に部屋の出口を見つめながら少年が一言だけ、人間と同じ言語を発した。
洋箪笥から流れていた奇妙な息遣いではなく、はっきりとした人間の言葉。
まだ変声期を迎えていない、やや高めの幼い声が響く。
【―――綿裏包針。やはり、お前は立派な「化け物」だよ】
――――――――――――――――――――――――――――――――
―――立っていた。
手入れを完全に放棄され、自由気ままに成長し放題となっている草むらの中心に、自分は何故か立っていた。こういう場所は、大抵害虫が発生しているのがお約束なので自然と顔を不快感で顰めてしまう。
場所は陽光溢れる自然の緑色絨毯―――などという幻想的な光景ではない。空は陰気の充満した曇天。所々から顔を出している、死者が眠る事を意味する大小様々な墓石。残念ながら決して心地の良い光景ではなかった。見る者を失望させる為だけに作られたのではないかと錯覚させられる。
普通に全力で帰らせて頂きたい。さて、何で自分はこんな所にたった一人で、ぽつんと立ち尽くしているのだろう。
我に返って、踵を返し歩き出そうとする。だがそれは許されなかった。
己の背後―――振り返った先には、さっきまでの自分と同じ様に、じっと突っ立っている連中が道を塞ぐ形で群れていたからだ。かなり大勢いらっしゃる。全員不気味で真っ黒なローブを着込んでおり、顔はしっかりと仮面で隠していてどこをどう見ても不審者にしか感じない。瞬間的に暴力という名の強行突破で帰路に着くか、逆方向に駆け出すかの選択で迷ったが、連中の陣形と格好も相まって身体が竦んでしまい、立ち止まるという最悪の結果に終わった。多分、同じ状況に見舞われた大半の人間はこうなるしかないと思う。
連中は全員無言で棒立ちしており、こちらを見つめたまま指先一つ動かしてはこない。それがまた不気味で怯んでしまう。何がしたいのかさっぱり解らないが、すぐさま危害を加えて来ないのであればとりあえず落ち着かなければ。
魔法で蹴散らすのが手っ取り早く見えるが、こんなの多勢に無勢だ。杖一本で太刀打ち出来る状況でないのは馬鹿でも解る。どうにかして連中が並び立つ隙間を抜けられないか、と恐る恐る距離を詰めてみたが、その瞬間自分の近くに居た連中だけ、こちらを捕らえようとするかの様に一斉に手を伸ばしてきた。優れた反射神経で咄嗟に飛び退いて回避出来たが、奇妙な事に連中はこちらとの距離が空くと手を下ろし、再び棒立ち状態へと戻っていった。本当に何がしたいのか理解が及ばない。
だがここで立ち往生していても埒が明かないので、再び最初に立っていた場所へ向き直り、今度はそちらの方へ移動を開始する。連中はその間、先程とは違い何も行動を起こしては来なかった。近付きさえしなければ無害、という事なのだろうか……。
周囲を注意深く警戒しながらひたすら墓地を歩き続けていると、一際目立つ大理石の墓碑が姿を現した。誰の墓かは知らぬが、その上に罰当たりも甚だしく男が腰掛けている。善人であればその無作法な振る舞いに注意喚起でもすべきなのだろうが、生憎と自分はその部類ではない。そもそも他人の墓である。荒らされようと踏み躙られようとどうでもいい。いや、それが例え「他人ではない墓」だったとしても同じ事を考えただろう。
男も男で、仮面こそ身に着けていないものの黒いフードで顔が隠れていた。体格はスラリとしていて、露出している手首を見る限り結構な痩せ型ではあるが健康的に感じる。皺一つ確認出来ないのでもしかしたら若いのだろうか。
ふと、本能的にこの男から離れるべきだと脳内で警鐘が鳴り響く。人の墓を腰掛け椅子の様に扱う上に顔を隠している不審な男だ、大人しく向き合っている必要は無い。だが、後方は接近と同時に手を伸ばしてくる仮面の連中が塞いでいたので、退路を選ぶなら左右しかない。と、なるべく相手を刺激しないようゆっくりとした動きで体勢を整えようとした瞬間だった。
スルリとまるで獲物を捕らえる蛇の如く、今しがた逃げようとしていた左右から物音を立てずに忍び寄ってきた二人の仮面人間に、両肩を掴まれてしまった。右から来た奴に右肩を、左から来た奴に左肩を押さえられる。突然の事で反撃も出来ず、また向こうはしっかりした大人であった為、単純な体格差によりこの場を脱する事も不可能だった。杖を取り出す暇も無く、完全にされるがままである。
それでも無抵抗という訳にはいかないので、動ける範囲で必死に身を捩るも状況は好転しなかった。じりじりと、確実に男の元へと距離を縮められ、連行されていく。ついに互いの距離はゼロに達し、同時にやや乱暴な手付きで地面に膝を付かされ、後ろ髪を強めに掴み上げられて無理やり上を向かされた。手入れが行き届いていない荒れた墓地だったので、固い土と散開していた小石によって膝の皮膚が傷付き、血が滲むのを感じた。上を向かされた首もズキリと痛みが走る。
―――痛い?何故。
そういえば、何で自分は物に触れて傷付き、生身の人間達に掴まれている?
有り得ない現象を前にし、抵抗する力が弱まる。永らく味わっていなかった強い痛みにほんの僅か呻き声を上げた瞬間、奇妙な事が起こった。
後ろ髪を掴んできた仮面の一人が、突然真横にぶっ飛んだのだ。思わぬ形で自由になった首を痛まない程度に動かし確認すると、そいつは飛んだ先にある墓石に後頭部から激突し、完全に意識を失っていた。墓石には鮮血が飛び散っていて痛々しい。どれだけの速度でぶつかったのだろう。あれは今も生きているのか?もしかしたら、もう―――
【傷付けるな】
怒気を孕んだ低い声が響いたのでさっと顔を戻すと、いつの間にかすぐ目の前に立っていた男の持つ白い杖から、光の残滓が丁度消えゆくところであった。何が起きたのか瞬時に察する。それは残された仮面の一人も同じらしく、拘束力が僅かだが緩む。
その隙を好機と捉え、少なからず恐怖に震えているそいつの顎へ肘打ちをお見舞いしようと、掴まれている肩へ意識を集中させようとして―――
不意に、氷が片頬に押し付けられた。全身を悪寒が凄まじい速度で駆け巡り、攻撃を行おうと脳内で組み立てられていた手順が一瞬にして消し飛んだ。
冷静に確認するとそれは氷ではなかった。
手だ。男の青白くも健康的な手が、片頬に当てられていた。手付きはまるで撫ぜる様に穏やかで滅茶苦茶気色が悪い。声にならない悲鳴が洩れる直前で何とか呑み込み、何か反撃せねば、と混乱で使い物にならなくなりつつある頭を捻っていると―――
「―――、―――!!」
誰かの声が後ろから飛んで来た。
振り向くとそこには居る筈のない少年が、眼鏡を掛けた黒髪の少年が、大声を上げながらこちらを狼狽した表情で見つめている。刹那、それが誰なのかを理解した。
唯一不可解なのは―――少年の隣に寄り添う様に立っている、黒と緑のローブを纏った青年が、意地の悪そうな笑みを薄ら浮かべて、こちらを傍観していた事だった。上品な女性が良く行う様に片手で口元をさり気なく隠していたが、その腹立たしい笑顔は完全に隠蔽しきれていない。
青年の嘲りを湛えた表情が、何を考えているのか伝達してくる。
―――結局、お前は何も出来やしないのか、と。
艶のある黒髪に充血した不健康そうな赤い両の眼。端正でやけに美しい顔立ち。ほっそりしていて吹けば飛びそうな貧弱な体躯。
あれは誰だ?いや、知っている気がするのに思い出せない。
知っている筈なのに―――誰なのか正確な答えを出す事が出来ない―――。
眼鏡の少年に何か反応を返すべきか、青年へ怒声でも浴びせるべきか。二つの選択肢の間を彷徨っていると、一瞬存在を忘れ去ってしまっていた男が胴体に片腕を回してきて、そのままぐっと抱き寄せられた。字面だけなら何だか変な意味にも受け取られそうで癪だが、そういうのではない。まるで、自分の持ち物を落としそうになったから咄嗟に掴み寄せた様な感じの―――無遠慮な強い力で思わず息が詰まり、思考を確実に乱される。いや本当に、こいつは一体誰なんだ?
【もう遅い、手遅れだ。全ては定まった道】
男が少年達へ空いた手で杖を向ける。
ふと気付く。自分を拘束していた無事な方の仮面人間は、いつの間にか男のすぐ後ろで跪き、恭しく頭を垂れてこの場に巻き込まれない様に自ら空気と化していた。―――なんという狡猾さだ。こいつの過去はきっとスリザリンだったに違いない。そこまで考えて、ふと思い当たる節があった。もしかしてこの仮面の連中共の正体は―――
『……ッ、放せ。汚い手で触るな、放せ!』
友人でも何でも無い奴に素手で触られるのは耐え難い。いや、例え家族でもとっくに振り払っている。何が悲しくて得体の知れない男にベタベタ触られなければならないのか。これが女だろうが全力で拒否しているけれど。こんな目に遭わなければならない程、自分は何か罪を犯しただろうか。
全力で藻掻いてあわよくば背負い投げの要領で反撃を狙うも、男をどうにかする事は出来なかった。向こうは細身で大した筋肉も付いていない筈なのに、習得済みの自衛術がまるで歯が立たなかった。
いや、自分は馬鹿だ。
【所有物を保管しておくのは、当然だろう?】
耳元で、男か女か判断がしづらい若々しくも中性的な声が囁いた。今の言葉だけで勇気100%ならぬ殺意100%。
『こいつ……ッ、こっ、殺す……絶対殺してやる……!』
湯沸かし器の如く殺意が沸騰して留まる事を知らない。勿論衝動的に叫んでいるだけで、本気で殺害する気はあまり無いが。軽々しく殺意に関する言葉を口にしがちだが、決して本気ではないという経験は誰しもある筈だ。
無い筋肉を振り絞ってどうにかこうにか男へ一撃をお見舞いすべく試行錯誤を続けるも、状況は芳しくない。
ポケットから杖を取り出した瞬間、バチンと音が鳴ったかと思うと握った筈の杖があらぬ方向へ吹っ飛んでしまう。恐らく男の仕業だ。すぐに思考を切り替え、手ぶらになったその手で男の顔を殴打しようと振り回したが、命中する直前で透明な壁に阻まれ弾かれた。ならばと胴体を拘束する男の腕を引き剥がそうと試みるも、一ミリたりとも動かせはしなかった。一挙手一投足全てが確実に潰されていき、その度に無力な自分は歯噛みするしかない。
自分がこうもあっさり押さえ込まれるなんて、魔法か何かで身体力を増強しているとしか思えない。抵抗を物ともせず、男はしっかりと腕の中にこちらを閉じ込めたまま、冷静に杖先の照準を少年達へ合わせる作業に入っている。その淡々とした一連の行動全てが酷く腹立たしい。
すると、見兼ねたのか少年がこちらへ走り出した。隣の青年は忽然と姿を消している。
もう何が起こっているのか訳が分からず、とりあえずやりたい放題な男に、金的でも何でもいいから攻撃してやると思考を働かせて―――
プツン、と全てが消え去った。
(――――――ッッッ!!?)
景色は一面真っ黒な空間へ戻っていた。
本体の中、無が広がる永遠の暗闇。分霊箱としての生の大半を過ごしてきた世界だ。
(な、―――ん、え、はぁ……?)
突然何もかも消えたものだから、動揺を鎮める事は難しい。さっきの映像は、一体何だったのか?この身体では夢など見ない。勿論幻覚も。だとすれば、今のはどう捉えれば良いというのだろうか。
身体の痛みもさっぱり消えており、手元から離れてしまった杖はちゃんとある。やはりあれは実際に起きた出来事ではないのだ。だが、夢でない事だけは不思議と理解出来る。睡眠の必要が無い身体で夢を見る訳がない。
(夢、じゃない。夢じゃない?だったら、―――何だって言うんだ?)
此処では身体が無いので、頭を抱えたりとか寝転がったりとか、そういった動作は出来ない。出来る事と言ったら思考と念話と筆談くらいだ。
【……、ねえ、急にどうしたんだい?かなり混乱しているようだが】
遠慮がちに響いてくる声に悪意は感じられない。あくまでも声からは、なので、相手が心の底で何を思っているかまでは解らない。まさかこいつの仕業では、と考え掛けた思考を打ち切って語り掛ける。
(…………、…………今、僕は何をしていた?)
【は?……えっと…………。どうしてそんな事をこちらに訊くのか不可解だが―――いや、今突然、君が狂人の如く奇声を散らした様にしか感じなかったけど】
(はっ倒すぞ)
【ありのままの出来事を述べただけだというのに、理不尽の極みだね】
やはり言葉だけならこいつの仕業という線は薄い。そもそもこいつに幻覚とか映像とか、そういった物を観せる能力があるのかも解らないのだ。変に犯人だと決め付けるのも、的外れな気がして気分が晴れない。こいつの性格の事だ、そんな能力があったらとっくの昔に行使しているのではと思う。
とりあえず動揺と思考を悟られない様に、強く閉心を念じながら推理を組み立てていく事にした。気を抜くと同居人に考えている内容が筒抜けになってしまうので、これに関しては毎度毎度慎重にならざるを得ない。地味に疲れるのでなるべく控えたかったのだが。
あの映像には、ハリーもいた。必死に呼び掛けてきて、そして近寄ってきて―――そこから先がプッツンだ。何やら尋常でない様子だったが、映像の中のあの少年は一体何を伝えたかったのだろう。
……いや、あと一人、誰か居なかっただろうか?スリザリンの生徒みたいな格好をした、誰かが。
表情から読み取った限りでは並々ならぬ悪意を感じたが、あのスリザリン生は一体……?あんな悪意を向けられた理由はさっぱりだ。何か盛大に恨まれる事などスリザリン生に直接した覚えは……いや、杖を借りたのはノーカウントだ。盗んだんじゃなくて借りたのだからノーカウントだ。
……………………はて?スリザリン生。そんな奴は居ただろうか。
―――いや、
(墓場、墓場…………っと……)
どこか見覚えがある気がするのだが、あの場所が解らない。地名もさっぱりだ。だが、わざわざこの身体で目にした夢の様な光景なのだから、何かしらヒントが隠されてはいないかどうか、日記帳に眠る膨大な『知識』の中で検索を掛けていく。
しかし、墓場に関する情報はノーヒットだった。少なくともこの『知識』の持ち主、ヴォルデモートは
(……ああ、本当に、意味が解らない事ばかり起きる、この身体は……)
実体があったら頭に手を当てて大きく溜息をついているところだ。
とりあえず今の映像を観せた犯人が誰であれ、肝に銘じておかねばならぬ事が増えてしまった。
(―――今後一切、絶対に、墓場には近寄らない!!)
予知や予言などを信じる訳ではないが、余りにもリアリティ溢れるあんな光景を見せられては堪らない。あの中で起こった出来事が何を示すか知らないが、この先似た様なシチュエーションは避けるのが無難。
総合的に判断し、とにかく、あんな肝試しにでも使われそうな墓場があったら絶対に近付かないようにしよう。そう決意した一日だった。
【外部からの干渉―――?―――いや、本体の精神干渉は無効化出来ている筈。だとしたら、今の不可解な言動と映像の断片は……。……実に面白い。やはり君と共に居るのは飽きないよ。今までも、
その行動は、意味を為すのだろうか。誰かの心に届くのだろうか。
告げられた予言を、変え得る力を持つのだろうか。
足掻くのなら、ご自由に。そして存分に。
……結局誰も、絡み付く『運命』からは、そう簡単には逃げられないモノなのだからね。
『賢者の石』編はあと10話以内になんとか終わらせる予定ですが、
作者の技量によっては話数が減ったり増えたりする可能性が無きにしも非ず。
3/27追記:
Q.「いつになったら更新するの?」
A.「ホグワーツレガシーの発売日が発表されたら毎秒投稿します」
ー以下ここまでのキャラ紹介ー
主人公
ポケモンの努力値で例えるなら容姿全振り性格無振りの6V個体。享年18
忘れてしまった本名は珍しくもなければ平凡でもない、中途半端な響きの名前だった
原作知識は映画のみ。「映画でカットされた原作の展開」は全く知らない
この世界に関してはマジで何の罪も犯していない。にも関わらず最悪の存在に成り代わった哀れな男。前の世界ではやべー事を仕出かしてるが少年院送りになっていなかった辺りが不気味で謎。その真実は追々
人並みの物欲はあるし普通にお金が大好き。発言する言葉は大体ブーメラン。盗んだ物を「借りた」と言い張る人間の屑。時々ナチュラルサイコパス
所謂アセクシュアルなので、前の世界でも30歳を超えてたら多分魔法使いになれてた
ダンブルドアのマキャベリズム的な本性を知っていても尚、彼に対しては特別嫌悪感を抱いてない点が今後の展開の鍵を握る、かもしれない
ハリー・ポッター
誰かさんのお陰で原作よりも鬱屈な生活がマシになり、代わりに毒舌が鍛えられた
所々伏せた情報を流されているので、肝心な事実や未来は知らないまま
度々辛辣な罵り合いを繰り広げるが、主人公の事は一応大事な友人だと思っている
不完全な実体をしている主人公の身体に触れる事が出来る謎の体質を持つ。母による愛の護りは、闇の帝王の分霊箱たる彼に働いていないようだが……
同居人
制限があるらしく名乗れない事情を抱える不審人物
口約束ではあるが主人公がもしも死を越えられた時、色々教えてくれるらしい
殺害予告を受けても訴えるだけで済ませてくれる心の広さを持つ(?)
肉体を得る計画を模索中だが、その悲願が達成出来た瞬間主人公による身体的暴力の餌食となるので、その未来への対策も考えなければいけない為地味に忙しい
主人公の行動、言動を一挙一動全て観察出来ているのかは不明だったりする
散々嫌われている相手に執着し続ける忍耐力は最早ハッフルパフ生の域
ヴォルデモート
原作よりも新たに増えた謎の予言に悩まされていたら、予言で語られていた可能性の高い人物に邂逅してウッキウキ。しかし最近になってまた増えた、「ダンブルドアのみが聞いた予言」の内容を知らない哀れな男二人目
クィリナス・クィレル
原作含めて色々可哀想な人
原作よりも増量した裏方仕事をめげずに頑張る努力の人
初見で主人公を「得体の知れぬ不気味な奴」と見抜けた洞察力に優れる人
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
スリザリン生の格好をした名乗れない不審人物二人目
二重人格を疑うレベルで発言する内容がコロコロ変わる怖い男
ハリー少年の事は応援しているが、その傍にいる約二名の存在を嫌悪している模様
ある人物と視界がリンクしており、それを利用して現実の出来事を観賞し娯楽としている
ぶっちゃけ魔法界がどうなろうが構わない自称「どうしようもない人でなし」