転生したら分霊箱だった件   作:@ゆずぽん@

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もう一つの世界のお話


Page 28 「訣別の記憶、再会の記憶」

 「ヤバイヤバイヤバイ!もう俺しか残ってないのに殺される!」

 

 『僕なんか開始五分でぶっ殺されたよ』

 

 『このハゲやべぇって。AGL極振りとかさぁ。こんなイカれたステータスに調整してるプレイヤー初めて見たわ』

 

 『負けたな。風呂入ってくる』

 

 『イベント報酬マジで欲しかったのになぁ~』

 

 既にキルされてしまい手持ち無沙汰なフレンド達の好き勝手な雑談をBGMにしながらも、スティックに掛けた親指に全力を込める。

 画面の中では全力疾走を続ける自キャラクターと、その数メートル背後で付かず離れず追随してくる巨漢の他プレイヤーによる生存競争が繰り広げられていた。

 ドウェイン・ジョンソンそっくりの筋肉質な厳つい禿男が、真顔のまま中々の速度で追いかけてくる光景はゲームとはいえ悪寒が走る。しかも、その手にはサバイバル用ナイフというおまけ付きだ。プレイヤーの見た目がステータスに影響する事は無いとはいえ、明らかに鈍足タイプの容姿をした奴がここまで素早いと気持ち悪い。

 

 現在はオンラインイベントの一つ、大規模サバイバル戦の真っ最中なのだ。閉ざされたエリア内で、制限時間までに生き残ったプレイヤー全てが報酬を貰えるというシンプルな内容である。とはいえ、生き残ったプレイヤーが少なければ少ない程貰える報酬は増量する為、各々殺し合いを強いられる。

 自分はここで知り合ったフレンドと連絡を取り合いながら恨みっこなしのプレイを続け、いよいよ時間が差し迫ってきたというところで、全員『例のあの男』と運命的な遭遇を果たしてしまったのだ。

 まるで街角で食パンを咥えた美少女とごっつんこしちゃう様に、それはあまりにも突然な出逢いであった。ぶつかったのはナイフ片手のハゲマッチョという、即座にお帰り頂きたい野郎なのが非常に悔しい。自分の見た目を自由に弄られるゲームなんだし、どうせなら美少女キャラにでもしておいて欲しい。何でこいつはこんなにも酔狂としか思えない容姿でプレイしているのだろうか。実は中の人は女性だったりしないだろうか。

 

 このゲームに於いて使用出来る武器は遠距離タイプの狙撃銃や散弾銃etc、近距離タイプのナイフやアックスetcなど様々だ。火力、リーチ、攻撃速度等、実に一長一短の凶器を使い分けられる。

 巷で囁かれている噂で、なんでも「ナイフだけで上位帯に居座り続けるおかしなプレイヤー」が最近のイベントを蹂躙しているとの情報が飛び交っていた。普通、近距離武器オンリーの縛りプレイなんて動画映えしそうな奇行をしたとして、上位を維持するのは不可能に等しい。話題作りの為のガセだと一笑に付されていたあの噂が、実は紛れもない真実だと今回のイベントで痛感させられた。

 

 『この人噂の域を出ないけどさ、DEF無振りでATKとAGLに極振りしてるっぽいよ~』

 

 『うわっホントだ。装備が速度特化……紙防御軽装タイプ』

 

 『当たらなければどうということはないって言葉通りのプレイしてる奴初めて見たわ』

 

 「逆を言えば防御に全然振ってないって事で良いんだよな?数発当てたらぶち殺せんじゃん!?」

 

 生死を掛けた鬼ごっこの最中でも助言を募る。しかし返って来たのは絶望的な返答だった。

 

 『いや~私もそう思ったけどこの人ヤバイね~。HPゲージ見て?回復アイテム使用禁止ルールなのにさ、一ミリも減ってないよね~』

 

 『もしかして身勝手の極意さんですか?』

 

 『このゲームにそんなシステムはねーよハゲ』

 

 『いやアンタがハゲだよ』

 

 『うっせーハゲ』

 

 『大変!ハゲ達が醜い争いを始めた~!』

 

 「黙れハゲ共。とにかくこのハゲの動きを実況しててくれよ。何とか攻撃当ててやるから』

 

 キルされたプレイヤーは、カメラ操作で戦場を自由に観戦する事が出来る。それを利用し、オンラインチャット中のフレンドに敵の動きを捕捉して貰えば何とか状況を好転させられるかもしれない。ちなみに、こういった卑怯とも言えるプレイは運営からも特に禁じられておらず、イベント参加者もそれを承知した上で戦いに身を投じている。

 

 『おかのした~』

 

 『いや僕ハゲじゃないんだけど?訂正しろハゲ』

 

 『もういいからデスカメラに集中して~』

 

 『俺はハゲの中の人が美少女だという可能性に花京院の魂も賭けよう』

 

 『このイベント終わったら対戦履歴からフレンド申請してみるかい?』

 

 『中の人が見た目通りのハゲマッチョだったらどうすんだよ……』

 

 『でも私、こういうマッチョ好みかも~。リアルが同じでもいけるいける~』

 

 『ねえ知ってる?君の様な奴を「奇人」って呼ぶんだよ』

 

 全く関連性のない雑談に実況しろよ、と突っ込みたかったが、その言葉を口にするよりも先に敵が動いた。

 ぐん、と一気に加速し、いつの間にか自分のすぐ背後まで肉薄される。まずい、一定時間毎に使用出来るスキルの一つだ。本当に火力と速度に特化したプレイスタイルのようである。防御というヤツを微塵も考慮していない。

 

 『何かこのハゲ殺せんせーみたい~』

 

 『こんなハゲマッチョの殺せんせーは嫌だ』

 

 『なんて事言うんだ。昔はあの人も髪の毛があったんだよ』

 

 『なんだかエギルにも見えるよね~』

 

 『ここはアインクラッドじゃないが?』

 

 『これはゲームであっても、遊びではない……』

 

 『無差別監禁サイコパスは帰れよ』

 

 だんだんと会話が最初の話題から逸れていく。その間にも敵との距離がじわじわと詰められていく。

 

 『そういえばさぁ、殺せんせーと似た様な奴がいたよねぇ』

 

 『何が?』

 

 『昔は髪の毛があって、人殺しが得意で、教師志望ですっていう奴がさぁ』

 

 『あ~何となく思い当たる~。それってさ~』

 

 「お前らうるせぇぇぇぇ!!」

 

 思わずシャウトし、一瞬集中が途切れたのが運の尽き。僅かな隙を見逃さず、敵がナイフを振りかぶった。

 

 ―――美しい、ナイフ捌きだった。

 

 ただ敵の首を斬るだけの単純な動作の筈なのに、決められたモーションに従ったアクションの筈なのに、どうしてだろう。そこにえも言われぬ幻想的で美麗な何かを感じてしまった。申し訳程度に吹き出す流血描写さえも、美しさを引き立たせている様に見えた。

 

 

 

 

 『Congratulations!!!』

 

 聞き覚えのあるファンファーレ。このゲームでしか使われていない、金管楽器の音色が混じった独特なファンファーレ。

 ベンチに座ったまま顔を上げる。自分以外見当たらない公園で、目の前の歩道を悠々と歩いている少年が見えた。その両手にはたった今自分が手にしている物と全く同じ、携帯型と据置型両対応のゲーム機があって、少年は画面を覗き込んだまま歩いている。所謂ながらゲーム、という奴だ。マナー的に問題のある行動だが、今重要なのはそこではなく……

 

 「あ、あのファンファーレは、」

 

 聴こえて来たファンファーレの出処は、少年の持つゲーム機からであった。イベント報酬を受け取る時しか聴く事の出来ない、特殊ファンファーレ。それが、彼の手元から流れているという事は。

 

 「うそ、だろ」

 

 決して遠くはない距離だった為、自然と溢れた独り言を少年に拾われたらしい。彼はピタリと立ち止まり、訝しげにこちらへ視線を向けてきた。

 癖のない黒髪の隙間から覗く警戒心の篭った双眸はどことなく虚ろで、その下には黒ずんだ隈がこびり付いている。それらを差し引いても端正と呼べる顔立ちは前から何度も見た事があった。

 

 「お前、こんな所で何やってんの?」

 

 確か、同じクラスの男子生徒の筈だ。その容姿から女子達の心を射抜き、学年問わず大人気の有名人。

 まさか、同じゲームの同じイベントに参加していて、しかも唯一人の生き残ったハゲマッチョが、この有名人だなんて神様の悪戯にしては度が過ぎる。俄かには信じ難い真実。

 しかもこの少年は今、腰を落ち着けてやるべきゲームをあろう事かてくてくと歩きながら、ただの一度も被弾する事なくサバイバルを生き残りやがったのだ。一体どういう神経をしているのだろうか。

 夕暮れ時、屋外のベンチで騒ぎながらプレイしていた為人の事は言えないが、こんな時間帯に出歩いてゲームをするなんて、常人ならまずしないだろうに。きっと、自分と同じくポケットWiFiでも持ち歩きながら遊んでいたのだろう。

 

 少年は接点もないがクラスメイトであるこちらの顔を知っていたのか、特に驚きもせずに簡潔に答えてくれる。

 

 「……今から、病院だから」

 

 少し離れた地点に建つ真っ白な建築物をぴしっと指差した。そういえば、彼が放課後に殺到する女子達の誘いを同様の台詞で断っていた光景を思い出す。あれは嘘ではなく本当の事だったのか。彼が女子に興味の無いタイプである事は何となく察せられたので、てっきり嘘かと思っていたのだが。

 

 「暇潰しでやってるよ、こんなの」

 

 「暇潰しでクリア出来てたまるかよ……」

 

 「は?」

 

 最後に斬り殺したプレイヤーが目の前のクラスメイトだなんて思ってもいないのだろう。少年は終始意味が解らないという顔でこちらを見つめていた。その間にも、彼のゲーム機からはファンファーレが鳴り止まない。

 人気のゲームであるので、イベント参加者が身近な人間なのは何も不思議な事ではない。ないのだが、こんなシチュエーションで、『例のあの男』の正体が発覚するとは誰が予想出来るのだ。

 

 「お前、さっき俺の事ぶち殺しただろ。同じイベントやってたんだよ、ほら」

 

 敗北時に表示される画面を見せてやると、彼は僅かに目を見開いて硬直した。

 

 「終わると同時に本人に出くわすとか信じらんねぇ……」

 

 「……もしかして、リボルバーで潜ってたの君?」

 

 「そうだよ一発も撃てないままお前に殺されたよ。しかしお前のアバター、何でこんな見た目に設定してんの?ギャップ激し過ぎるだろ」

 

 「身バレ防止」

 

 「……自分の顔が嫌いとかじゃなくて?」

 

 何となく。何となく思った事をそのまま問うと一瞬の沈黙の後、すんっとした無表情になった彼はやけに平坦な声色で返してきた。

 

 「威圧感が有利に働くかもしれないだろう?」

 

 「まあ確かに、こんなハゲマッチョが真顔で迫ってきたら、ちょっとパニックになるな」

 

 彼の言う通り、実際に直面した時謎の威圧感と気持ち悪さで少し思考が乱された感じはする。でも、流石にその顔でこのアバターは幾らなんでも無しだろう。

 

 「見た目を自由に弄られるのは、これしかないから」

 

 数度ボタンを操作し、しっかりと報酬を受け取る処理を終わらせた彼は電源を落としてこちらに向き直った。

 

 「髪型を変えたり、勝手に服を買ったりするの、禁止されてるんだ。だから、ゲームじゃふざけた姿で遊んでる」

 

 普通の家庭じゃ考えられないルールだ。休み明けなどに髪を切ってくる奴や思い切り髪型を変えてくる奴が多い中、彼が入学当初から全く同じ姿を保っているのはそういう理由があったからなのだろうか。

 

 「はあ?禁止されてる?そんなの子供の勝手だろ、有り得ねぇ。誰に?」

 

 「親に」

 

 「…………毒親?」

 

 「まあ……別に、生きる上で支障は無いし……。流行のファッションとか興味無いし……特別困ってはないな……」

 

 彼とここまで踏み込んだ会話をするのは初めてだ。別に仲が悪い訳ではないが、良くもなかった。会議や授業時に、どうしても必要な会話を数回交わしただけの関係だったのだ。少々新鮮である。

 

 「てかお前、病院にそれ持って行く気かよ。そういうの禁止じゃね?」

 

 「精密機器がある様な病院じゃないし、待合室でやる分には問題無いよ」

 

 「……そういえば、あの病院って―――」

 

 確かに、彼が今向かおうとしている病院はそういったタイプではない。しかし、だとしたら、彼が抱える症状は―――

 

 「診断書を偽装する事も思案したけど、駄目だった。面倒だけど行かないといけない。正式な診断書を持って帰らないと、親がうるさいから」

 

 「そう、なのか。その、邪魔して悪い」

 

 今しれっと犯罪紛いの行為を仄めかす台詞が飛んだ気がするが、突っ込んではいけない。誰だって病院へ行くのは好きなものではない筈。それを回避する為の行動を否定する気分にはなれなかった。

 

 「あ、そうだ……俺のフレンドさ、お前の事知りたがってんだ。すげープレイだったからさ。お前が良かったら、だけど……今度、俺達と一緒にこれで遊ばないか?」

 

 さり気ない誘い文句だった。なのに彼は理解出来ない物が眼前に現れたかの如く固まった。それも一瞬の事ですぐに元の調子に戻る。

 

 「……遠距離が飽きたから、近距離武器で遊んでただけなんだけどな。こんなの世界レベルからしてみれば大したモノじゃないよ。海外の方が、もっとずっと凄いさ」

 

 笑みを浮かべてひらりと片手を振り、彼は病院の方へ歩き出した。その笑顔の奥に、どうしてかは解らないけれど空虚といった感情を孕んでいた気がしたのは錯覚だろうか。

 

 

 

 

 「…………知りたがってる、ね。知っても後悔するだけさ」

 

 去り際に呟かれた冷たい独り言は、誰の耳にも届く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日はなんてことのない帰り道だった。

 

 放課後、家に集中出来る環境は無いから図書室で好きな小説を少し読み進めて、完全に暗くなる前に帰路に着いて。

 人通りの少ない公園に面した歩道を歩いている時、とんでもないモノを目にしてしまった。

 誰一人として遊ぶ子供の居ない寂れた公園の中から、生傷と鮮血をその身に携えた少年がやってきて、目の前にふらりと飛び出して来たのだ。

 

 「……ッ、なっ、に……やってんだお前!?」

 

 帰る為に足を動かす事しか頭に無かったせいで、眼前に現れるまで全く気付けなかった。相手も同じようで、たった今上がったこちらの大声を聞いて、初めて気付いた様に気怠げに視線を向けてきた。

 少年の黒髪の隙間、額から血がゆっくりと流れ落ち、私服の胸元に見事な丸いシミを形作ってしまっている。ズボンは派手に転びでもしたのかズタボロで所々が裂けており、そこから少なくない量の出血が確認出来る。極めつけは、肩だ。彼の左肩に、深々と一本のナイフが突き刺さっていた。一般人でも買えるサバイバル用ナイフが、どういう訳か肩の上で圧倒的な存在感を放っていた。当然刺さっている箇所からはドロドロとした流血が今も尚続いており、白シャツの腕部分をすっかり汚して最早洗濯でもどうにもならない状態へと侵している。

 

 この状況は、まるで―――

 

 「だっ……誰にやられたんだ?な、ナイフ―――誰に刺されたんだ!?ま、待ってくれ、けいさっ、警察―――」

 

 誰がどう見ても他者に襲われたらしき光景。向こうの返事も待たず、瞬時にポケットから携帯を取り出そうとして。

 

 「―――やめろ」

 

 何をされたのか一瞬理解出来なかった。

 気付いた時には、既に手の中の電子機器は奪われていて。

 然るべき機関へ繋がった事を示していた筈の画面には、いつの間にか暗闇が広がっていた。

 何で、と声が出るよりも早く、宙で静止していた片手にストンと重みが走り、奪われた物は返って来た。

 少年は何も説明する事はせず、くるりと向きを変えてよろめきながらも歩道をしっかりと踏み締め、こちらとの距離をどんどん離していった。彼が向かう先は彼の家がある林道の方だ。まさか、そんな状態で何の処置もせずに帰るつもりだろうか。

 

 「何、してんだよ。怪我してるんだぞ……、刺されてるんだぞ……?早く、警察を、いや救急車、」

 

 「必要無い」

 

 返ってくるのは冷たくて抑揚のない声。

 

 「いや何でだよ!頭んとこ怪我しておかしくなっちまったのか!?もういい、警察―――」

 

 「やめろ!」

 

 携帯を操作しようとした手が止まった。

 別に、手を掴まれたとかではない。少年との距離は離れたままだし、仮に彼が戻って来て再び携帯を取り上げようとしても、今度はそれを防ぐつもりでいた。なのに、己の手は止まった。止まらざるを、得なかった。

 

 「―――ボクの事を、誰かに話してみろ」

 

 少年は、自分の肩に刺さるナイフを右手で荒々しく引き抜いたかと思うと、その凶器を勢い良くこちらへ向けた。

 栓の役割を果たしていた物が抜かれ、傷口より溢れた彼自身の血が歩道に滴る。ぬらぬらと不気味な光沢を輝かせる銀色のナイフの切っ先が、夕暮れの赤い光を反射してこちらの網膜を晦ました。

 

 「君を此処で、殺してやる」

 

 ぞっとする程の低い声が鼓膜を襲った。離れていても突き刺さる様な怒りの声が、全身に降り掛かって一歩たりとも動けなかった。

 

 頭の中で、「何故」が繰り返し響く。

 

 何故。

 何故、あいつは怪我をしているんだ?

 何故、あいつは怒っているんだ?

 何故、あいつはナイフをこっちに向けるんだ?

 

 自問したって、欲しい答えは一向に得られない。

 まるで別人だ。

 この前此処で会話を交わした時の彼は、一体何処へ行ってしまったのか。もしかしたら目の前の光景は何かの間違いで、彼に成り済ましている何者かが彼の姿を借りて彷徨いているのかもしれない。そんな考えに至るぐらい、この状況を信じられぬ気持ちが溢れて止まらない。

 兄弟、双子、ドッペルゲンガー……どれもこれも有り得ないのに、思い浮かぶのは全て滑稽な可能性ばかり。

 

 「あ……あ、」

 

 明確な返事を返す事が出来ず立ち尽くしていると、彼は塵芥を見下ろす様な睥睨を一瞬こちらへ寄越し、今度こそ歩みを止める事なく林道の方へ再び向かっていった。その背へ届く筈のない手を虚しくも伸ばす。

 もう何も、言えなかった。

 

 「何で、だよ」

 

 彼の行動全てが不可解過ぎて、困惑と恐怖の入り混じった感情が肉体を縛り付ける。

 どれくらいの間そこから動けなかったかは覚えていない。

 田舎故に車通りの少ない車道を一台のロールスロイスが走ってくるまで、ただただ人形の様に立っている事しか出来なかった。

 

 こんな場所に似つかわしくない真っ白な高級車が林道の奥へ消えていく瞬間が、いつまでも己の目に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……早く寝なさい。傷が治らないわ」

 

 疲労感に満ちた女の低い声が降ってくる。たった今女に渡した、虚偽に塗れた白い紙が返って来ると同時に踵を返して、寝室まで沈黙を保ったまま向かう。

 

 ―――今日は散々だ。帰路の途中で問題は起こるし、あの男が居座る忌々しい日でもある。これでは血を洗い落としに行けない。

 仕方が無い。あの男が寝静まる頃を見計らって浴室へ行くか……そうしよう。

 

 『ミュンヒハウゼン症候群』。でかでかと書かれた診断書を手慰みに眺めながら、階段をゆっくりと上る。

 ……危ない。あの女の前でつい笑みが零れてしまうところだった。医師の直筆だからといって、こんな紙切れ一枚で呆気なく騙されるなんて。おかしくて笑いを抑えるのは至難の業だ。本当に困る。

 こうでもして傷の原因が説明出来る物を「捏造」しておかないと、あの女は納得しないので少々面倒だったが―――ここ最近は上手くいっている方だ。あのヤブ医者にはつくづく感謝しなければいけない。

 にしても、嘘偽りとはいえこの症状を抱えた子供に対する台詞が、「顔だけは傷付けるな」とは……あの女も大概だ。そちらこそあのヤブ医者の元に通院するべきではと思う。もっとマシな台詞は浮かんでこないのか……。

 

 「これをどうするか……」

 

 寝室に辿り着いてポケットからサバイバル用ナイフを取り出し、処理に関する考えを巡らせる。銀色の刃にはすっかり乾燥しきって黒く変色した物がこびり付いていた。こんな物を誰かに発見されるのは面倒極まりない。

 とりあえずこいつの隠蔽は後にしよう。ひとまず机の上に刺しておく。そのまま隣に置いてある機器を起動させ、画面内の情報を素早く読み取っていく。

 

 「ッ……」

 

 ズキリ、と腕に痛みが走った。流石に慣れないものだ。しかしまあ、顔や胴体は良いとして利き腕は幾らなんでもやり過ぎだ。生活に支障を来すレベルの外傷はやめて欲しいものだが……ここで愚痴を垂れても意味の無い事か。

 つうっと未だに出血の治まらない肩の傷口を見やる。…………あの男と繋がる、血……。

 

 「穢らわしい」

 

 誰にも届かない独り言を吐き捨て、余計な思考は排して欲しい情報に集中する。

 

 「また死んだのか」

 

 ニュースの一覧には少年の死を告げる痛ましい速報が上の方に掲示されている。身元は調査中で、年齢は十代前半から十代後半……今回の犠牲者も成人まで至っていないようだ。

 予め用意していた清潔なタオルで額の血を拭いつつ、更に情報収集を続ける。流血が皮膚を擽っていまいち集中が続かないのが不快だ。この流血沙汰の半分は自分に非があるので、文句を言える相手はいなかったが。

 

 「共通点は、全員男……」

 

 頻発、という程でもないが、数年前からあちこちで死者が出るという不審死事件が起きていた。調査をする内に判明したのは、犠牲となった人間の大半が未成年で、全員が漏れなく男であるという事実。

 別に探偵になるつもりはない。好奇心という凡庸な感情に従ってただ調査をしているだけである。

 彼らはどれも他殺の可能性を孕んだ死に方をしている。大袈裟とも取れる遺書が遺体の傍に置いてあったり、遭難が絶えず訪問者などまずいない山奥の小屋で衰弱死していたり。第三者が死に関与したと思われる最期を迎えていた。

 かといってその第三者が実在する事を示す証拠は何一つ発見されず、指名手配すら出来ていない始末―――それが現状であった。故に不審死事件などという呼称が付いてしまっている。警察も、今頃きっと税金泥棒だとかお決まりの罵倒を戴いている事だろう。

 

 「犯人がいるとして、どうやって殺す―――?」

 

 これだけ事件が起きているのに、未だに犯人を示す証拠は上がらない。しかし私見だが、他殺ではないとしても彼らを死に追いやったナニカは存在している気がするのだ。

 犯人が実在するとして、「未成年」と「男」、犠牲者の共通点は自分にも当て嵌る。己が次のターゲットとなる可能性は十分にあった。だが恐れる必要はない。仮に外出中に何者かに強襲されても、大人しく死んでやる筋合いはない。自衛の能力も手段も常備している身としては、特に危惧すべき事でもない。

 

 とにかくも、しばらくこの調査は続く事だろう。好奇心の充足と暇潰しには丁度いい。すぐ決着してしまうのはつまらない。知らず知らずの内に上がっていた口角を戻し、机の引き出しから食品用ラップで包まれたホットドッグを取り出し、栄養補給に努める。体を使うにも頭を使うにも必要な行為だ。

 非常に残念な事にあの女は家事能力といったものが壊滅的である為、こうして己が率先して食事の用意などを行っているのだがやはり面倒だ。もし一人暮らしをするのならば、一日三食ともインスタント食品で良いかもしれない……。あの男も食事に関しては頼らざるを得ないと理解しているからか、こちらが出した物にも拘らず今も手を付けている。普段は透明人間の様に扱ってくる癖に、随分とまあ驕傲な人間だ。最近は顔を合わせる事すらまずないが。

 

 「とりあえず、今は先にこれだ―――」

 

 画面を切り替え、あるソフトを起動させる。画面上に他人の家である事を示す知らない天井が映し出され、其処で発生する音声を受信し始める。

 別に部屋の内装や生活風景に一切の興味は無い。ただ、部屋の主が『余計なお話』を誰かに吹き込まないか、それだけ観測出来れば満足だ。

 

 「まるで魔法、だね」

 

 指先を動かすだけで、実に色んな事を成し遂げられる。

 情報収集も、監視も、連絡も、仕事も、商業も、脅迫も、犯罪も。

 全てが手の平の上で叶う。

 これを『科学』と呼ぶか『魔法』と呼ぶか。

 

 ―――どうせなら後者の方が愉しいに決まっている。

 

 思考の隅で益体もない事を転がしながら、部屋の主が『余計な話』を其処に居ない誰かに語り出した様子を、何の感情も湧かない冷たい双眸のままただじっと観賞していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺してやる。

 

 その言葉と共に向けられたナイフの切っ先が、どうしても忘れられない。

 

 

 

 

 あれから、彼は月に一度ぐらいの間隔で大怪我を負っては包帯やらガーゼやらと一緒に登校してきた。

 傷が完治するかしないかという絶妙なタイミングで、再び傷だらけになってはやってくる。

 

 最初の頃は他の生徒も教師達もぎょっとして質問攻めを展開したが、全員何を吹き込まれたのか蜘蛛の子を散らす様に退散していった。一体どんな手を使ったのか気になり、彼らに尋ねてはみたものの答えてはくれなかった。

 教師は虐待の可能性を視野に入れたのか少々しつこく食い下がっていたようだが、やがて何を納得したのか渋々といった感じで追求を完全にやめてしまった。虐待している親というものは、他人に悟られまいと狡猾に振舞うのが定石だ。もしも虐待なら、子供にこんな目に見える傷を負わせる事は無いだろうと判断したらしい。

 

 自分は自分で、どこぞの学園ドラマよろしく他校の不良と喧嘩でもしてボロボロになっているのかと考えた。だが残念な事にこの考察は的外れの可能性が高い。近くに喧嘩を生業とする不良などいないのだ。ツッパリもヤンキーもスケバンもいやしない。そんな者達は最早絶滅危惧種な時代なのである。

 一応聞き込みもしてみたが、やはり近辺に不良はいないし道端で喧嘩沙汰など目撃されていないようだ。ならば人目のないところで彼が襲われているのでは?と考えたがそれも有り得なかった。あんな大怪我をして帰っていれば、親が黙ってはいない筈だ。しかし、どういう訳か彼の親は警察に連絡する事はなく、学校に相談する事もしていないのだ。

 

 集めた情報を整理したところで、行き着いた真実は変わらなかった。

 非常に信じ難い事に、結局彼は―――本当に誰からも襲われておらず、たった一人で怪我をして、たった一人で傷の処置をしているようなのだ。

 

 だが、それならば何故あの時、彼の身体にナイフなんて物が刺さっていたのだろうか。

 あんな光景、どう考えたって「誰かに襲われた」としか思えないのに。

 

 「でも、そんな『誰か』がいたとして。一体誰が……」

 

 彼は優等生の部類。

 傷だらけで体力も気力も余裕が無いだろうに、いつも人懐こい笑顔を振り撒き、穏やかな表情で満点を書かれた再生紙を貰って、勉学の相談を持ちかける生徒の頼みを快く引き受けて。

 そんな、非の打ち所のない優等生が、誰かに襲われるような恨みを買っているとは思えなかった。

 妬みや僻み、という可能性もあるだろう。しかし、あんな凶器を突き刺す程の嫉妬を抱えた生徒がこの学校に通っているなど想像出来ない。大体、彼は傷を負っても平然と登校を続けているのだ。彼の惨状を見て誰かに犯行がバレる恐れがあるし、最悪警察に連行される結末を迎えるかもしれないのに、その末路を受け入れてまで彼を襲う奴などいるのだろうか?自分だって、例え誰かに強い嫉妬を感じたとして、警察に捕まるリスクを考慮すれば嫉妬対象に直接的な手を出したりはしない。絶対にだ。

 

 『―――まーたつまらない事で悩んでるのかい?』

 

 画面にフレンドが参加した旨を伝えるテキストが表示されたのをチラリと見て、溜息をついた。結構長い間棒立ちを続けていたアバターを見ていたのか、スピーカーから流れる呆れ声に耳を傾ける。

 

 『前もそうして突っ立ってたよねぇ。もしかして、傷だらけの彼の事をまだ考えてる?』

 

 「うっせー……ていうかお前、招待してないのに何でパーティーに参加出来て……?」

 

 はて、おかしい。このゲームで作成出来るパーティには、作成者の招待が無ければ参加出来ないシステムの筈。またバグでも起きているのか。この前なんかは、バトルに負けたにも拘らず所持アイテムがロストしていない有り難いバグが続いていたが……。

 

 『まあ何でも良いじゃないか。それより、下らない悩みなんか忘れてひと勝負に行こう。君と彼は他人に過ぎないのだから、そんな悩みに時間を費やすのは人生の損だよ』

 

 「お前、意外と薄情な奴だな……。まあ、その通りなんだけどさ。結局人間って、自分が可愛いもんだし」

 

 『別にそれが「悪」って訳でもないだろう?自分を優先して何が悪いのさ。それに……彼は、「誰にも言うな」って脅してきたんだろ。だったら、この話題自体もうやめるべきだと思うよ』

 

 「そう、なんだけどさ……。お前、あんなの見せられてみろよ。気になって忘れられないって。どうしたって焼き付いてるんだ……」

 

 自分でも馬鹿な事をしたと思う。

 あんなに脅されたのに、結局他人にこうしてあの状況を話してしまっている。共有してしまっている。

 こんな事を知られたら……いや、有り得ない。まさか、本当に殺しに来るなんて、そんな事は……。大体そんなの、自分自身が犯罪者になるのだ。未来のある学生時代に、そんな凶行に手を染めるなんて、あの優等生がする筈……

 

 「まあ、この話はお前にしかしてないし、大丈夫だろ。お前自体学校違うし、この地区に住んでる訳じゃあないし―――」

 

 『―――ふうん、やっぱりそう考えてたんだ』

 

 ゾク、と怖気が走った。

 明らかに、聴こえてくる声のトーンがガラリと変化したからだ。

 地を這う様に低い声。空気が凍てついた錯覚を一方的に感じさせる。確かな怒気が顕著に表れていた。

 

 ……そういえば、最初からおかしかった。『あいつ』は大体深夜帯には趣味の映画鑑賞を嗜んでおり、今の時間にログインしてくる事は希で。

 おまけに、招待を送った覚えがないのに参加してくるといった奇妙な現象。よくよく考えればおかしいのだ。

 

 『君はもっと賢いと思っていたんだけど。どうやら簡単な忠告も聞き入れられない程、お粗末な人間だったとはね』

 

 「……お前、何、言ってんだ……?」

 

 『そもそも知らなかった?君の「オトモダチ」はとっくに死んでるってさ。ああ、君達は「偽りの名前」で繋がっている関係だから、仕方のない事か』

 

 「何言ってんだって聞いてんだよ!お前、誰だ!悪戯なら容赦しねぇぞ、運営に通報出来んだからな―――」

 

 『誰だ、ねえ。あの日、君がボクを誘ってきたクセによく言うよ。ニュース、とか観ない?君の「オトモダチ」がちゃんと映っているよ。可哀想にね。まだ若くて未来のある人間が早死にするなんて、本当に世界は不平等だ』

 

 「何を……、……ッ」

 

 混乱の渦中にある頭を無理やり動かして身体に命令を送る。すぐにリモコンを投げ捨て電子機器を手に取って、ニュースを掲示する場所へアクセスした。

 簡素なフォントと簡潔な内容がそこには映し出されており、己を更なる混乱へ陥れるには十分だった。

 

 「本日未明、――で少年が遺体で発見……付近の防犯カメラから、転落死と断定……警察が捜査を―――」

 

 『最近、やたらとこの年頃の子が亡くなるニュースが多いものだね。身元はもう特定されていて、テレビなら本名も出てる。彼、動画の方じゃ結構有名なプレイヤーらしいじゃないか?どんなハンドルネームを使用しているか、なんてすぐに判ったよ。まさか、ボクがこうして君とコンタクトを取ろうとした日に、こんな偶然が重なるなんて』

 

 「マジで、何言ってんだよ……。だって、こんな、信じられ、」

 

 『―――全部、知ってるんだよ。君が他人にボクの事を話して、その相手が「コイツ」で、「コイツ」がどのアカウントでどんなゲームで君と繋がっているか、なんて、全部』

 

 淡々とした冷静な口調の中に、未だ收まらぬ憤怒がチロチロと顔を出しているのが鮮明に感じ取れる。

 

 『君に対する最終警告を決行した日に、本人が亡くなるなんて自分でも信じ難い偶然だけど……ね。……あのさ、今何が起きているか、何をされているか、きちんと理解してる?』

 

 「お、まえ、まさか、ま、さか―――」

 

 『まるで魔法だね。ちょっとシステムを弄れば―――他人に成り済まして、出来ない筈の動作を起こす事なんて容易いんだよ。だから最新のゲームでも必ず「チーター」なんて連中が幅を利かせるんだろ?このゲームも、このご時世じゃ随分と脆弱なセキュリティソフトを利用してる。まあ、ちゃんとした物を持ってきたところで、破られては強化してのいたちごっこになる訳だが……』

 

 信じ、られない。

 信じられる、訳がない。

 

 本物が死んで。

 本物が死んだ日に、本物に成り済ました偽物が、自分に接触してくるだなんて。

 直接対面している訳ではないのに、どうしようもない恐怖が溢れてきて何も言い返せない。

 

 『あの日、君の「それ」を触った瞬間、もう細工はしてたんだ。君の目を見た時、どうも脅しが効かない気がしたからさ。君の動向を探ろうと思った。まさか自分が盗聴やら盗撮やらされてるなんて、思いもしなかっただろ?』

 

 ……聞いた事が、ある。

 他人の電子機器を乗っ取って、遠隔操作で盗撮や盗聴を行える、という事を。

 勝手にカメラなんかを起動させて、相手の生活風景を確認する、なんて悍ましい行動が実現出来るという事を。

 特にこの世界じゃ、今や誰でも自身の傍に電子機器を携えて、事あるごとに使用して、最早切っても切り離せない存在。

 自分も例に漏れず、手に持っている「これ」とは朝から晩まで共に過ごす仲だった。

 ……自分が送ってきた生活は、解る奴には筒抜けだったのか?

 

 『―――理解出来たようだから、本題に入ろうか。君の罪の話だ。君はボクの警告を無視した挙句、ボクの周りをチョロチョロと嗅ぎ回った。全く、信じたくなかったよ。君がこんなにも他人の事情に首を突っ込みたがる様な、品性を著しく欠いた愚かな人間だなんて』

 

 「全部、知って……、」

 

 『知ってるってさっきも言っただろ。ボクは「優等生」だから、君に話し掛けられた子達にちょっと尋ねるだけで、みーんな教えてくれたよ。ボクの怪我の原因をしつこく探ってる馬鹿が一人、此処に居るってね』

 

 「ま、待て―――」

 

 『はっきり言おう。目障りだ。ボクの体も心も命も、全部ボクだけの物だ。ボクが何をしようがどんな傷を負おうが、他人に関係無いし干渉される筋合いも無い。君に探られなければいけない理由は何処にも無い。これ以上、愚行を続けるつもりなら―――』

 

 

 

 

 『もう、君と「さよなら」をするしかないね?』

 

 

 

 

 喉元に刃を押し当てられた様な感覚に襲われた。

 そんな筈がないのに。いつか何処かで見たあのサバイバル用ナイフが、脳裏をちらついて離れてくれない。

 

 『これで最終警告はおしまい。バイバイ、この子の「オトモダチ」さん。「それ」は潔く捨てるなりセキュリティ会社に見せるなり、どっちでも好きにすると良い。そんな事でどうにか出来るなら、の話だけど』

 

 「待て、待ってくれ。何で、何でッ、ここまでしてお前はッ……!」

 

 『何で隠すか、だって?言っているじゃないか、君に関係無いからだよ。気になってしょうがないのは解るけどね。「あんなモノ」を君に見せてしまったのはボクの失態だ。君の興味を引いたのはボクにも非がある。だから、まあ、最後にヒントだけ教えてあげよう』

 

 

 

 

 『―――「犯人」は、君も知っている人間だよ』

 

 「―――!!」

 

 『―――さて、「犯人」はいつ、ボクにとどめを刺しにいくんだろうね?』

 

 

 

 まるで、自分の「死」すらも娯楽にして愉しんでいる様に。

 彼は、声高らかに笑いながら、おかしくてしょうがないとでも言う様に笑いながら。

 それは、はっきり言って気味が悪くて、意味が解らなくて―――

 

 「……とどめ、」

 

 「とどめを刺しにいく」、その言葉に違和感を覚える。普通この状況ならば、「とどめを刺しにくる」という表現を使うものではないのか?そんな違和感はやがて別の思考の海に沈められた。

 

 ―――犯人は、お前を殺すつもりなのか。

 

 ―――お前は、その未来を予見しているのか。

 

 なのに、何でそれを隠し通して、誰にも打ち明けずに、されるがままに痛めつけられてるんだ。

 こんな監視の真似までして、脅しに来て、それでいて。

 犯人にただの一度も抵抗する事なく、殺されるかもしれない未来をただ、待つだけだって言うのか?

 

 「お前、おかしいよ。……狂ってるよ」

 

 『ああ、心配しなくたってそんな言葉、』

 

 

 

 

 『―――もう、何度も言われてる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「―――何でだよ」

 

 己を近付かせまいとする様な豪雨に、雨具も用意せずに打たれるがまま立ち尽くしていた。

 空から降り注ぐ液体が描く直線の隙間の奥、遠くからでも解る大きな家が見える。

 

 『……日、……の民家から、少年の遺…が発見…………。身元は判…しており、名前は…………、……歳。現場……された凶器…、…体の状態……警察は殺人…疑いがあるとして……容疑者の……を…………で……』

 

 水が内部に侵入したせいか、手元の電子機器から流れるのはノイズ混じりのアナウンス。それがどうしようもない不快感と虚無感を沸き立たせてくる。

 

 『……に……中の母親…………さんは……で、……泣…ながら「す…に……犯…を捜……欲しい……と―――』

 

 袖で電子機器にかかった雨水を拭えば、ノイズは少しだけマシになって、流れる声が聞き取りやすくなった。

 

 『……で、警察は数年前から散発的に発生していた連続不自然死との関連性を発表。遺体の刺傷はかなり深く、殺意の高い者による犯行と推測されるものの、現場は密室で第三者の侵入した痕跡、DNAは発見されず―――』

 

 『母親の――――さんは、事件の数ヶ月前から「会いたい」という旨の手紙を数回に渡り送っていたものの、少年が応じる事はありませんでした。警察も過去の事例による危険性から、母親が少年に接触する事を禁じており、少年の元へ訪問許可を出す事は一度も無く―――』

 

 『「こんな事になるのなら、どんな手を使ってでも会いに行けば良かった」と、――さんは涙ながらに吐露し―――』

 

 

 

 

 解っていた。

 

 自分は、解っていたのだ。

 

 この事件の犯人が誰か、なんて。

 

 なのに、止められなかった。

 この結末を、甘んじて引き起こしてしまった。

 

 いや、例え止めようとしたって、犯人が止まる事は無かっただろう。

 体に深い傷を与える程、強く大きな殺意を抱えていたのだから。

 

 

 

 

 結局、彼女の『愛』は届く事なく。

 

 少年は、一度目の『死』を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 『はぁ~…………』

 

 石造りの廊下にて、憂いを帯びた溜息を零した。この世界に来て最早何度目になるかは数えたくない。

 

 (こんな事になるなら、履歴消去しとけば良かったな……)

 

 刺されて死んでスライムになった、という男は電子機器の後始末を会社の同僚に頼んでいたが、生憎と自分には死んでしまった時、諸々の後始末を頼める相手などいなかった。

 色々と、見られると困る物を元の世界に残してきてしまった身としては、その辺が心残りだが……まあ、最早戻れない世界に未練を垂れ流したってしょうがない。どうせなら自分もモンスターになっていた方がよっぽどマシかもしれない。あのスライムは生まれた時点でやたらチートだったし、あっちの方が滅茶苦茶に恵まれているではないか、ズルい。

 

 事故死なのか他殺なのか不明なままだが、もしも犯人がいたとしたら然るべき裁きを受けてもらいたいところである。あの世界の捜査技術は魔法界よりも遥かに上だ。数日と経たない内に引っ捕えてしまうに違いない。……まあ、人を一人殺したくらいじゃ、死刑にはならないだろうが……。

 

 『まさか……ね』

 

 可能な限り辿れた記憶では、何回も同じ人物からしつこく手紙が送られてきた事があった。

 文面や筆跡があまりにも気味が悪かったので、一つ残らずシュレッダーで丁寧に粉々にした後、ライターで盛大に消し炭にしたものだが、まさかあれが関係したりするのだろうか。

 

 (あの女が殺しに来たとか……無いよなぁ)

 

 仮にそうであっても、貧弱な女相手ならば返り討ちにしている筈である。そうはなっておらず、自分が此処に居るという事は……つまりそういう事である……。

 しかし犯人がいたとして、どうして殺される直前の記憶が一切無いのだろう。

 覚えているのは痛みだけ。全く不可解な事だ。いつか、自分の死因を思い出せる時はやって来るのだろうか。

 

 (まあ……あんなあっという間に終わるなら……「死」も悪くはない……)

 

 あの時の凄まじい痛みの原因が元の世界での「死」、なのかは不明だが、決して長くはなかったあの痛みだけで「死」の行程が終わるのならば、案外悪くはないのではと思ってしまうのだ。

 そもそも人が「死」を恐れてやまないのは、その時に避けられない苦痛への忌避と、その後どうなるかが未知である恐怖、やるべき事を遂げられない未練等の理由が殆どだ。

 もしも「死」を迎えた時、自分の様に苦痛が短く、その後が存在するならば、恐れる理由は特に無くなってしまう。まあ、こんな人間に為るだなんて「その後」はご遠慮したいところだが、為ってしまったものはごねたってしょうがない。

 

 この人間は「死」を恐れるあまり禁術に手を染めたようだが、はっきり言って馬鹿じゃないかと思う。

 不老不死なんて実際に叶えた奴らの末路は、大抵が散々な結末を迎えると昔から相場が決まっているのだ。考えるのをやめたくなるぐらい宇宙空間を彷徨う羽目になったり。そんな結末を見てきた自分としては、不老不死なんて力は禁術に手を出してまで欲しいと思えないのだ。

 

 (死にたがる奴の方がおかしいんだけど)

 

 ……、何か、今……とてつもない違和感を覚えた。果たしてその違和感が何なのか、自分でも説明出来ないのだが……。

 しかし、「死」を遠ざけようと必死になっている奴に限って「死」に付き纏われているとはなんと皮肉な事か。不死を実現して浮かれていたところに己の「死」を仄めかす『予言』を告げられるだなんて、ほんの一ミリ程度だが同情する。どうせならその時に潔く死んでいれば良いものを。……奴を生かしてしまっているのは、非常に癪だが己を始めとする『分霊箱』の存在が原因なので、あまりグダグダ言えないのだが。

 

 (―――そういえば、こっちにもやたら付き纏ってくる奴がいたな)

 

 ふと思い出す。

 現役で学生をやっていた頃、よく怪我をしてしまう事があった。その時、何故かこちらの事情をあの手この手で調べ回り、自由時間や放課後の行動まで尾行してくる謎の少年がいたのだ。

 最初は下らない嫉妬を抱えた輩が、どうにかこちらの欠点や弱点を漁ろうとでもしているのだろうと思い放置していた。が、何時まで経っても直接的な行動を起こしてくる事はなく、それでいて鬱陶しい調査を決してやめる事がないのでどうしようかと悩まされていた。

 それとなく取り巻きに尋ねてみれば、「こちらに怪我を負わせ続ける犯人を突き止めようとしているらしい」、と。

 当初は酷く困惑したものだ。特に接点もない他人の為に無駄な時間を費やして、何を馬鹿げた事をやっているのだろうと。

 そもそも、()()()()()なぞ存在しないというのに。彼はどうも躍起になって居る筈のない人物を探る事をやめはしなかった。こちらは周りにもちゃんと怪我の原因は伝えていて、彼もそれを薄々察していただろうに。

 大体その様な不届き者が実在していたら、自分がとっくに返り討ちにしてグチャグチャに―――いや、取り押さえて警察に突き出している。一体彼はどんな思い違いをしていたのだろう。

 

 (結局、いつの間にかあいつは居なくなっていたけど……)

 

 あの時の悩みの種は自分の知らぬところで片付いた。ある日突然、ぱったりと彼は周囲から姿を消したのだ。―――何故かはさっぱり解らない。だが、あまりにも突然過ぎる撤退に不審感を覚えたものだ。

 流石に気になって一度だけさり気なく様子を窺った事がある。チラっと目が合う瞬間があったので、片手を上げるだけの軽い挨拶を送ったのだが、この世の終わりに直面したみたいな表情になった挙句全力で逃げられた。全く以て不愉快である。挨拶をしただけなのにどうしてあんな反応をされなきゃいけないのだろう。もしかしたら、誰かに妙な事を吹き込まれたのかもしれない。はて、一体何処から自分の本性が漏れたのだろうか……誰かに悟られる様なヘマはしていない筈なのだが。

 

 確か、彼の名前は―――、……。いや、違う。他人に興味が無いから名前を憶えられなかったとかじゃなくて、ちゃんと今でも憶え―――あれ?いや、違うのだ。おかしいな、記憶力には自信があるのに……。こう、この……食道の辺りまで出かかっているのだけど……うーん。まあいいか。

 後々判明した事だが、どうやら彼は少し前に友人が亡くなったせいで情緒不安定になっていたらしく、自分を見て逃げ出したのも多分それが原因なのだという結論に至った。そういえば事故死や他殺含め、やたら少年が亡くなる事件が散発していたのもあの頃だったか。

 ……まさかあの不可思議な事件、この世界と関連していたりしないよな……?

 

 と、そこで向かっていた目的地が見えてきた。

 角を曲がったさきにある怪獣(ガーゴイル)の石像の前で立ち止まる。やけに醜い造形をしているがもっと格好良いデザインに出来なかったのだろうか、それともわざとか……なんて無意味な思考は停止させ、どうしたものかと考えを巡らせる。

 この身体の『記憶』によれば、ホグワーツで校長の役職に就く人間はこの石像に守られた校長室に身を置くらしい。そして、現校長は言わずもがなアルバス・ダンブルドア。逢ってはいけないあの人という奴である。

 何故こんな所に近寄っているのかというと、単純な調査の一環だ。エンカウントを許されない人物の居住区の詳細を把握しておくのは重要だ。別にホグワーツ内を探索するのが楽しくなってきたとか、決してそういう私的な感情を孕んだ突貫ではない、決して。

 この『記憶』の主も城内探索に勤しんでいたようだが、こんなの調べるなという方が無理あるのでは?興味を引く物が多過ぎて自制心が暴走しそうだ。……その暴走の結果、『秘密の部屋』なんて余計な場所を発見し死者を出し分霊箱が生まれ巡り巡って自分がそんな存在になってしまったので、非常に不愉快である。一度だけでいい、生身に戻って本人を思うがままに殴りつけてやりたい。

 ……ん?今こうして調査を強行している自分も『記憶』の主の二の舞を演じていないか?

 有り得ない、誰がこいつと同じ思考回路で行動するものか。

 

 見たところ、校長室への侵入を果たすにはこの石像をどける必要がありそうだ。そして石像をどかす方法はただの一つ。特定の言葉を聞かせる事で道は開くようだ。まあいきなり成功するとも思わないが、試しにいくつか唱えてみよう。開いたとして、奥の方まで入るつもりはないけど。

 

 『「天光満つる処に我は在り、黄泉の門開く処に汝在り」』

 

 反応は無い。

 

 『「闇の炎に抱かれて消えろ」』

 

 反応は無い。

 

 『「無辺の闇を鋭く切り裂き、仇為すものを微塵に砕く」』

 

 反応は、無い!

 

 それっぽい厨二チックな詠唱を並べてみたが、為すすべもなく全滅だった。趣向を変えてシンプルに「緋凰絶炎衝!」とか叫んだ方が良いのだろうか。

 

 【実に興味深い詠唱を羅列しているけれど、詠唱じゃなくて合言葉で開く物だから。その調子じゃいつまでやっても進展しないと思うよ】

 

 『「インディグネイション」―――ああ、何だ、やっぱり合言葉か……。あの部屋は「開け」って単語だけで開くけど、ここは何の単語になるんだか……』

 

 【これは……恐らく、ダンブルドアの好みに関する単語が鍵なんじゃないのかな】

 

 ホグワーツの構造を他人よりも深く把握している筈のこいつでも答えを知らないという事は、流石の防犯力だ。そういえばこいつがホグワーツに身を置いていた頃、校長を務めていたのはダンブルドアではない別の男だった。当時正解だった合言葉を知っていたとしても、現在じゃ何の役にも立たないのはある意味当然か。

 

 『ふむ……あの老人の好み……趣味……うーん』

 

 不死鳥を飼っていたし、鳥類が好みに入るのだろうか?それとも老人らしく盆栽とかゲートボールか?

 古希を迎えていた母方の祖父なんかは特に盆栽ガチ勢だった。幼少期のある日暇潰しを兼ねた悪戯で、鉢の中の土に公園で捕獲した野生のジムグリを潜ませておいた翌日、普通にバレてブチ切れられた記憶がある。「生き物の命を弄ぶな」だとか、至極真っ当な有り難いお説教をしこたま食らわされた。そういうのは普通、親の方が教育するものではと思ったけれど賢い自分は黙ったまま正座しておいた。そういえば一般常識や一般道徳は殆ど祖父からしか得た事が無い。教育者として自分の両親は無能過ぎたのだ、親は選べないので仕方が無い。

 あの時は折角確保した生き物の命を無駄にしてしまったものだ……。下らない悪戯で消費するぐらいなら、ちゃんとした実験(あそび)に使用していれば良かった。あの日のジムグリ君に、黙祷。

 

 なんであれ老人という奴は、子供には到底理解出来ない妙ちきりんな事に熱意を注ぐものだ。悪戯を仕掛けたら別人の如くキレ散らかすぐらいには。海産物の名を冠する家族の父親を連想させるキレ具合は忘れようがない程にお見事だった。

 色々複雑な過去を抱えてきたものだが、子供時代に血縁の中で一番親しい仲だったのは結局祖父だけだった気がする。……「死」という厄災のせいで、あの時間も長続きはしなかったけれど。

 

 ……しかし、上記の二つは故郷ならまだしも、西洋であるこの国出身の老人の趣味には入るまい。文化が違い過ぎる。ならば、ダンブルドアの好みで思い当たるのは―――

 

 『「これから毎日箪笥を焼こうぜ?」』

 

 …………駄目か。

 

 【何故そんなモノが彼の好みだと思ったのか不思議でたまらないのだが……】

 

 『いくら小生意気な子供相手とはいえ初対面で箪笥を焼くなんてそういうのが好きなのかと思って』

 

 【…………………………】

 

 『まあ焼かれても文句言えない事をやってる子供の方に問題があるんだし』

 

 【…………………………】

 

 全てを知った上で他人の地雷を踏み抜くのはある意味で痛快だが、癖になりそうなのでこれ以上はやめておこう。引き際を見極めるのもまた生き抜く過程で重要な能力とも言える。踏み込みすぎて地雷を爆発させてしまっては元も子もない。今までに爆発した瞬間を観測した事がないので、この地雷の持ち主の沸点が未知数ではあるのだが。

 

 流石に校長室だけあって防犯性能は上位の方だ。壁をすり抜けられないか試してみたが、透過を許さない壁が立ちはだかっている。やはりこの石像をどうにかしないと入室は不可能らしい。

 あの老人の嗜好……。ダンブルドアという人間は、絶対的な聖人という訳ではない。賛否両論が見事に分断しそうなくらい、かなり複雑な事情を抱えまくった人間だ。だが、どんな悪辣な過程を辿れども彼は確かに―――最終的には、魔法界の平穏の為にその命を捧げた。……そんなややこしさの極みみたいな人間の設定しそうな合言葉なんて、果たしてこの場で突き止められるだろうか。

 

 ―――そういえば、彼は過去に兄弟と何か一悶着あったようだが、自分の観測した物語では結局語られなかった。一体何をやらかしたのだろうか。何となく碌な事ではないというのだけは解るけど。まあ、過去にヤバイ事を仕出かしたなんて誰でも経験するモノである。彼の過去を知ったとしても、特段驚く事は無いかもしれない。

 ダンブルドアは複雑怪奇な存在だ。尊敬も憎悪も向けられて然るべき男である。敬意を払う者は幾らでも払えば良いし、嫌悪を抱く者は幾らでも抱けば良い。あの男に対してどんな印象を感じるか、それは個人個人の自由だと思う。勝手にやってくれ。

 

 『ダンブルドアの趣味……。ハリーが持ってた蛙チョコのカードには、ボウリングとか書いてあったな……。待てよ、ボウリングって思い切りマグルのスポーツじゃないか?』

 

 【あの老人は変わり者だからね。劣等種たるマグルにさえ肩入れするのも趣味なんだろう。魔法使いの面汚し……全く度し難い事だ】

 

 『そうか。ところで、お前が今喋ってる人間はお前の大嫌いな「元・劣等種たるマグル」なんだけど、理解してるか?』

 

 嫌悪している人種に気安く語り掛けてくる矛盾点を指摘してやった時。

 わざとらしく響いた足音に、特に焦る事もなく振り向くと一人の男がそこに立っていた。

 

 

 

 

 「ダンブルドア先生は、不在ですが」

 

 

 

 

 全身に刺さるピリピリとした電流に近い感覚。

 やけに目を引く紫色のターバンがグランバニア出身の魔物使いに見えて、こんな状況だというのになんだかおかしくて笑みが零れそうになる。

 

 「何か御用なので?」

 

 人当たりの良い笑顔を浮かべ―――目は微塵も笑っていなかったが―――その男、クィリナス・クィレルはこちらへゆっくりと歩み寄ってくる。あくまでも、自然体で。

 特別驚く事も無い。さっきからこの独特の感覚には気付いていた。近くにこいつが潜んでいた事などとっくにお見通しだ。監視だけで済まされるかと思いきや、直接出向く事にしてきたのは少々意外だったが―――焦る必要は無い。

 それでも偽りだらけの善人ぶった態度が癪に障ったので、こちらも同じ様ににこやかに微笑んで対応してやった。

 

 『―――ああ、今日はやけにはっきり喋るんですね、先生。こちらの事はお構いなく。もうお暇するので―――そのロープ何?』

 

 途中で思わず素に戻って突っ込んでしまったが、男は片手に杖、もう片方の手には並々ならぬ圧力を放つロープが握られていた。視界に入れているだけで例の感覚が小さな電流となって全身を駆け巡る。―――確実に何らかの魔法的細工が施された道具だ。

 

 「気になりますか……?これはですね、とっても便利な魔法の縄。例えば、『教師から逃げ回る悪い子』を大人しくさせるのに、とっても役立つ物なのですよ……」

 

 『…………へえ』

 

 ―――こいつ、自分でも解ってはいたけれど、確実にこっちの正体を掴んでいる!

 

 クィレル自身が気付いたのではない。恐らくは、寄生しているあの男がこちらの正体を吹き込みでもしたのだろう。秘密主義者だと思っていたが随分あっさりと「自分の欠片」について他人に明かしたものだ。それだけ形振り構っていられない状況、という事だろうか。

 

 クィレルは、こちらを見据えているようでいてどこか別の場所へ向けているかの様に感じる不気味で虚ろな瞳をしている。大袈裟な動作で一度ゆっくりとお辞儀をしてきた。その様は噂でしか知らない英国紳士その物で、こんな状況なのにほんのちょっぴり感動してしまった自分が憎い。彼は相変わらず目だけ笑わぬままの顔を上げ、嫌に丁寧ぶった口調で言葉を紡ぐ。

 

 「―――我が主の片割れよ、貴方の背負いし崇高なる『使命』を承知の上でお迎えにあがりました。我が主は『使命』の有無に関係無く、貴方という存在の()()をお望みです」

 

 分霊の身なので本来無い筈だが、額に青筋が浮かび上がった錯覚がした。

 遠回しにこちらを『道具』扱いをしてきたその言葉が、言葉の端々から滲み出る傲慢さというモノが、酷く怒りの琴線を刺激してくる。

 『使命』というのは、「秘密の部屋の開放」の事を言っているのだろうか。そして、その仕事の進捗具合に関係無く日記帳を取り戻しにきた、という事を言いたいのだろうか……?

 

 『「使命」の為に僕を作ったクセに、その進捗も尋ねずに回収だって……?訳の解らない事を』

 

 「ご主人様は()()貴方の背信的な行動の真意にお気付きですので。最早『使命』は関係無いと」

 

 ……ちょっと待て、今、こいつは何と言った?

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と……。だからこそ、貴方が先日示した非協力的な態度も全て赦免にするとおっしゃっています。ご主人様のお望みは変わりなく、貴方の回収ただ一つ―――」

 

 『―――、』

 

 ……色々と。

 色々と、ヒントはあったのだ。

 

 特別かつ少ない手段でしか害する事の出来ない分霊箱に、《服従の呪文》を防ぐ機能が欠損していたり。

 そもそも同居人が()()()()()()()()()()()、『奴』に付き従おうとする姿勢が全く見られなかったり。

 

 『奴』は、予想をつけていたし、とっくに察していた。

 

 己が生み出し、己から生まれた存在とはいえ、己の魂の一部が必ずしも自分に従属する訳ではない。

 その可能性を―――作成時点で考慮していたのだ。

 だからこそ、きっとその時―――分霊箱から《服従の呪文》を防ぐ機能を廃したのかもしれない。

 己の一部が、万が一従わなかった場合への対処法として―――強制的に従わせる為の細工を施した。

 だが、それはあまりにも―――

 

 (あまりにも―――『自分』という存在に対して投げやり、なんじゃないのか……?だってお前は―――自分しか信じない、()()()()()()()()―――。典型的な、自己陶酔型の人間だろう……?)

 

 『奴』に愛せる存在があるとしたら、それは『奴自身』しかいないと思っていた。

 自分を、選ばれた特別な存在だと信じて疑わず。

 他人は、蹴り殺しても構わない道端の小石としか考えない。

 酷く自己中心的な人間。

 それなのに。

 若かりし日の自分の分身。その存在に対する扱いが、これなのか。

 

 本来の物語では、出逢う事も無かった二人。

 もしも、今この身体を動かしている者が()()()()()()()()()

 ()()()()()が、この場に立っていたならば。

 一体、どうなる―――?

 

 ―――常時展開している閉心のせいだろうか、緊迫した状況で口を挟むまいと弁えているからか。頭の中に直接語り掛けてくる声の主は、今は沈黙を貫いている。

 

 (僕の見通しが、間違ってるっていうのか……?知っているようで、何一つ理解していなかった……?……お前は、本当のお前は、『自分』という存在に対して―――別の、感情を―――)

 

 恐れが込み上げた。

 『奴』の考えが理解出来ないからではない。

 何か別次元の恐怖が、自分でさえも忘れてしまった過去の恐怖が、古い鏡となって目の前に立ちはだかっているようだった。

 

 ―――今度こそ、□□を殺しにきなよ。

 

 誰かの声が聴こえる。聴き飽きた声。聴きたくもない声。

 

 何だ、これは。

 今度こそ?一度目があった?

 違う、知らない。

 お前なんか、知る筈がない。

 

 目に見えぬ何かが背後から忍び寄り、ソレに両肩を掴まれる様な感触に襲われた気がした。その気味の悪い感触を目の前の男に気付かれぬよう最小限の動作で振り払い、思考を正常な位置へと無理やり引っ張り上げる。

 

 『……「使命」をほったらかして僕を回収するのか?死者を作ってまで生み出し託したあの「使命」を、放棄するって?』

 

 「『使命』が具体的に何を示すものか、私にはお教え頂けなかったが―――。貴方には、もっと『重要な使命』があると。その役割をも考慮して、貴方をお作りになったそうだ」

 

 スリザリンの崇高な仕事よりも重要な使命とは、何だ。

 やけに意味深な言い回しをするのだ。ここまで来て、単純に「己の復活・野望に協力しろ」、だなんて事柄でないのは確かだ。

 ならば、「本体への協力よりも重要な使命」とは、何を示すのか?

 ……何故だろう、今は、推測したくはない。とても考えたくない。

 

 それがなんであれ。

 例えどんな目に遭ったとしても―――『奴』に従うなんて選択なぞ、絶対にゴメンだ。もしそんな選択肢を選ばざるを得ない状況に追い込まれたならば―――迷わず「死」の方を選んでやる。

 

 『僕に用があるなら、その舌足らずなお口ではっきり明かしたらどうなんだ?それとも何か、ご主人様に代弁してもらうかい?』

 

 「ご主人様は現在眠っておられる……。貴方さえ素直に従って頂けるのならば、その時にお目覚めになるだろう……」

 

 『ハッ!素直に従うだって?お前、今喋ってる相手が誰なのか解って言ってるのか?』

 

 「私が忠誠を誓ったのはご主人様。―――()()()()()()

 

 『……チッ。平行線か』

 

 薄々考えてはいた事だ。

 クィリナス・クィレルが、「本体に忠実だからといって、その分霊にも忠実である」という保証はどこにも無い。これは恐らく、クィレル以外の下僕達―――死喰い人にも言えるだろう。改めて敵の悪意を再認識出来た。

 

 校長室の付近でこんな大胆な行動に移るとは、どうやらダンブルドアが不在というのは本当のようだ。あの老人が居座っていたら此処に近付いていない筈。さて、どうしたものか。

 

 『悪いけど、僕は僕でやる事があるんだ。お前に付き合うつもりは―――、ッ!』

 

 言葉の途中でクィレルの手からふわりとロープが浮き上がって、獲物に喰らいつく蛇の様に飛び掛かってきた。間一髪のところで杖を取り出せたので追い払い呪文を飛ばす。

 

 『《デパルソ》!』

 

 他人の身体になったとはいえ、向こうで培ってきた反射速度等はこの世界でも難なく引き継いでいるようで良かった。

 

 『話の最中に攻撃するのは卑怯者の特権だな……!』

 

 己の眼前で弾かれたロープは空中で体勢を整えたかと思うと、再びこちらに飛び掛かる。クィレルは杖こそ握っているものの構えもせずに突っ立っているだけで動かない。

 

 (―――馬鹿か僕は!これじゃキリがない、弾くんじゃなくてそもそも消し炭にしないと―――)

 

 突然過ぎる攻撃に出てきた選択肢が弾く事しか頭に無かった。初手で破壊するという行動を取るのが最適解なのに、無駄に魔力を使ってしまったが嘆いても仕方が無い。

 ……あれは普通のロープじゃない。《コンフリンゴ》や《インセンディオ》で破壊出来るだろうか?これらの呪文は地味に消費魔力が高いので使わなくて済むならそれが良いのだが……。

 

 『《インセンディオ》』

 

 出し惜しみをする暇は無い。杖からの火炎放射でクィレルごと焼き払ってみる。

 やはりというかロープは炎の中を無傷で飛んで来て、杖腕に絡みつかんと迫ってきたのですぐに弾き飛ばす。クィレルもまた、衣服を含めて無傷のままにやけ面を晒して立っていた。どうしたものか、物凄くぶん殴りたい。

 

 『防火呪文でも掛けてるのか……チッ、なら《フィニート》で……いや』

 

 呪文の効果を終わらせる《フィニート》は、使い勝手は良いがそれだけ対処法も複数存在する。全ての呪文を《フィニート》一つで対処出来るなら誰も苦労しないし、『許されざる呪文』など恐れる必要は無い。多分、今《フィニート》を使ったところで効果は期待出来ない。

 この状況で使えそうな他の呪文を頭の中でピックアップしていく。魔法的な物体でも消してしまうような呪文―――

 

 (《エバネスコ》―――マズイ、これは使った事が無い……習得していない……!)

 

 膨大に存在する呪文の中、今まで優先的に習得していったのは主に戦闘に使えそうな物ばかり。こういった戦闘に直接関わらない呪文はすっかり蚊帳の外にしてしまっていた。

 だってしょうがないだろう。時間は無限にある訳ではないし、元々マグルで魔法なんて縁のなかった自分は、習得する呪文の優先順位を慎重に選ばなければならなかったのだ。魔法族育ちでもない人間に、「戦闘に関わらない呪文も含めて全部習得しておけ」だなんて無茶にも程がある。生まれに関係なくそんな桁外れな芸当を果たしたのは、どこかの馬鹿帝王ぐらいだ。同列にしないで頂きたい。

 だが、使えない呪文がありますなんて表情を間違っても出す訳にはいかない。みすみす弱点を教えてやる義理はない。

 

 ロープを追い払い呪文で何度もあしらっている最中も、クィレルは動かなかった。妙だと思ったがすぐにその真意に辿り着く。彼の眼球は周囲を忙しなく見回している。ロープに自分の相手を任せている間、彼が見張りを務める心算なのだ。こんなところを誰かに目撃されるわけにはいかないので当然か。

 ……それならば、何故襲わせるロープがたったの一本なのだろう。単純に数を用意出来なかったのか、それとも……

 

 (素早くて鬱陶しい事この上ないが、対応は出来る……一本だけ、なら―――)

 

 瞬間、すぐに敵の本命を悟り、足元へ視線を走らせる。

 床の上を複数のロープが蛇の如く這い回り、こちらへ忍び寄っているところだった。ざっと見ただけで十本は優に超えている。

 

 (これか……!)

 

 一本を空中から襲わせて足元への注意を疎かにさせたところで、複数が下から攻めかかる。敵の狙いは端からこちらにあったのだ。

 しかし、気付いたところでなんとやら、だ。床を這う方に照準を向けたとて、その隙に空中の一本に襲われるのがオチだ。空中のロープと床のロープ、両方同時に対処する事は叶わない。どう頑張ったって、世界がひっくり返ったところで、対象に向けられる杖腕の数はたったの一つなのだ。どうしようもない。

 

 (杖無し呪文……無理だ!技術自体が存在したって、僕に出来る訳がない!)

 

 杖を使わずに魔法を行使する。この技術自体は存在するらしいが、そんなのやった事もないし実際にやっている魔法使いすら知らない。こんなの、打開策なんかどうやったって―――

 

 (嘘だろ、こんな、特別でもない戦法に、敗北する……?)

 

 何故。

 この身体は、本体の魔力に反応する筈だ。クィレルに本体が寄生している今、クィレルが魔法を使った場所や魔力を練り込んだ道具の有無を把握出来る筈なのだ。

 なのに、反応出来たロープは空中の一本だけ。いつの間にか忍び寄っていた方には、全く反応出来なかった。この力が問題無く発動していれば、あれらにだって余裕で対処出来た筈なのだ!

 

 (まさか、別の誰かの魔力で作った―――)

 

 そこまで考えたところで腹を決める。空中の物を《プロテゴ》で生み出した防御壁で足止めしながら、足首に絡もうとしたロープの一本を蹴飛ばそうと試みる。だが、ロープは蹴飛ばそうと伸ばした足にぬるりと絡み付いてきた。反射的に直接手で掴んで引き離そうとした時だった。

 

 『ぎッ……う……ッ!』

 

 足元から這い上がる様な痺れが走った。かなり強烈で杖を取り落としそうになったが根性で耐える。しかし、確実に長い隙を晒してしまった。その隙を逃さずクィレルは杖を向けてきた。

 

 「チェックメイトだ―――《インペリオ》」

 

 脳天を衝撃が貫いた。無痛の衝撃。だが、この状況で敵のその選択は―――好都合だった。

 服従の呪文をしっかりと命中させられたせいか、敵の精神から緊張が僅かに緩んだのを感じ取り、素早く杖を()()()()()

 

 『《フリ、ペンド》―――』

 

 「ッ!」

 

 なおも蠢く残りが全て胴体に絡み付いてくるのを感じながら、自分の胸に衝撃呪文を放った。全身を襲う途轍もない麻痺と共に廊下の奥へと吹っ飛んでいく。―――もしもの時の脱出手段として、これを常に念頭に置いていたのだ。

 綺麗な放物線を描いて廊下の奥、階段の手すりに頭が直撃しそうだったので痺れも構わず死ぬ気で手足を稼働させる。あれはホグワーツ名物、動く階段だ。つまり、分霊の身である自分でも触れる事の出来る『魔力の籠った階段』―――。このまま激突すれば冗談では済まない苦痛を味わう羽目になる。

 杖腕ではない方の手で手すりを掴み、関節も骨も無い身体を強引に捻って、下半身の重心を移動させて空中で体勢を整える。階段の中央らへんに足から着地し、同時に前転を行う事で着地時の衝撃を分散させ、なんとか無傷で受身を取る事に成功。まるでパルクールでもやっている気分で、落下からくる恐怖心なんて少しも無かった。我ながらどこまで肝が据わっているのやら、自分でも不思議である。もしかしたら、前の人生での運動神経が神のお情けで引き継げているのかもしれない。

 ……いつか生身に戻れたら、あの頃と同じレベルまで鍛えてみるのはアリか?この身体の運動神経がどれくらいかは不明だが。まあ、「根っからの魔法族で運動と縁の無い魔女」と「裕福故に体を酷使してなさそうなマグル」の遺伝子を引き継いでいるなら、この身体の運動能力は終わってるも同然なのだけれど。

 

 とりあえず転がった勢いのまま目に付いた扉へ飛び込んで、身を隠す事に専念する。そろそろ痺れのせいで立っているのも限界だった。部屋にダイブした体勢のまま床に倒れ伏す。

 

 「おのれ、何処に―――!」

 

 目標物が飛んでいった距離が遠過ぎて階下へ移動された事も知らぬクィレルは、すぐに廊下を走り出そうとするがその時。

 

 

 

 

 「何をしておるのですかな?」

 

 

 

 

 この戦況を―――予期せぬ救世主がひっくり返した。

 

 クィレルが背後を振り向くと、地獄の底から這い出てきた様な粘着質な陰気をこれでもかと纏った黒づくめの男―――セブルス・スネイプが、不審感を顕にした表情を隠しもせずに立っていた。

 

 「ス、ス―――ネイプ先生―――」

 

 「何をしておるのかと尋ねたつもりなのですがな、貴方の耳は節穴のようで?」

 

 スネイプはクィレルの近辺をじろじろと見回して、ガーゴイルの像をしばらく見つめて、再び問い掛ける。

 

 「当人が不在の校長室前で、杖を出したまま何をしておいでなのかお尋ねしたいのだが」

 

 「こ、これは、いっいえ、何かの間違いで―――」

 

 「ほう、何かの間違い。私からしてみれば、貴方がこんな所を彷徨いている時点で何かの間違いだと思いますがね」

 

 すっかり吃りモードに戻ったクィレルは、杖をしまいながら「詰問されて戸惑う臆病者」を演じる。

 

 「悪戯好きな生徒が、こ、校長室の前を汚していたので、か、か、片付けていたまでですよ……」

 

 「その生徒は何処に居るのですかな。実に奇妙な事で、こちらの目には映っていないようだ」

 

 スネイプの暗い瞳は遠回しに「そんな生徒」は居ないのだろう?と問うていた。

 クィレルが慄いた様に一歩後ずさったその時。クィレルの背後の廊下から、一人の生徒が小走りで両者の元に近寄ってくる。

 

 「せ―――先生、ごめんなさい!それ、僕がやったんです……」

 

 「何だと?」

 

 スネイプは突如乱入してきた赤毛の少年を構わず睨む。憎きグリフィンドール所属生徒に対しての悪感情を隠そうという素振りもなかった。少年は少しビクつきながらも、落ち着いて淡々と説明を続ける。

 

 「僕がやった後クィレル先生に見つかって……、片付けてもらって。でももうすぐ授業だったから、罰則は後にすると言われたので、その、さっきまで授業に行ってたんです」

 

 スネイプがクィレルに視線を走らせると、彼はごくりと空気を飲み込んで僅かに震えながらも頷いた。

 

 「ほう、ほう、ミスター・ウィーズリー……兄と同じで君も校内を荒らすのが癖になったようだな。気分の良いモノでしたかな?実に結構。―――グリフィンドール五点減点。さっさと戻りたまえ。これ以上関係無い場所をウロウロするなら追加で減点だ」

 

 「えっ、でっでも、減点ならもうクィレル先生に―――」

 

 「聞こえなかったのかね?吾輩は戻れと言った筈だ。それとも君は校長のいない校長室に何か用があるとでも?」

 

 射抜く様な鋭い睥睨に少年はたじろぐとさっと踵を返して走り去った。スネイプは彼の後ろ姿と立ち尽くしているクィレルを交互に睨んで、思い切り顔を顰める。

 

 「……貴方とは一度、ゆっくりと話し合う時間が欲しいものですな」

 

 「そ、そ、それは―――どういう、」

 

 「私はこれで失礼する。また校長室の前で怪しい動きをする輩が出ない事を祈る」

 

 それだけを言い残し、スネイプはローブを翻して歩き出す。

 その後ろ。

 クィレルはさっきまで対面していた人物の吹き飛んでいった方向が、偶然にもスネイプの向かっている場所と同一である事態に歯噛みし、黒づくめの背中を射殺しそうな程に睨み付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ハァ……ッ、ハァ…………ッ!』

 

 ズシュ、と肉を切り裂く生々しい音が密室の中に鳴り響く。

 《ディフィンド》を何度も己の身体に向けて放ち、全身に絡み付いたロープを強引に切り離していく作業は、想像以上の痛みを伴った。

 どんな激痛を味わったとて死ぬ事は無い。無いが、痛覚の働くこの身にこの作業は地獄以外の何物でもない。それでもこれらを引き剥がさなければ、いつまでも全身を痺れが襲って思うように動けないのでやらざるを得なかった。

 ―――もしかしたら。痛覚という機能があるのは、やはり『奴』が与えたからなのかもしれない。拷問などによって自分に服従させる為に、敢えて痛覚の機能を施したのかもしれない。本人から聞いた訳ではないので、推測の域を出ないけれどきっとそうだ。

 

 呪文を放って裂かれたローブの内から、ポタッポタッと漆黒の雫が零れ落ちていく。数秒も経てば衣服ごと元通りの状態に再生してしまうが、痛みは引きずったままだ。

 

 (……もう、人間じゃ、無い………………)

 

 人では無い事を示す漆黒の体液を視界に入れる度、どうしようもない嫌悪感が込み上げてきて、改めて再認識させられる。今の自分は紛れもなく、人間の形をしているだけの人ならざる者に他ならない。

 下らないし無意味な事だと解っているのに、今でもふと考えてしまう。―――どうしてこんな存在に変えられたのが自分なのだろう、と。

 元の世界には、それこそ塵芥の様に人間が溢れていた筈だ。自分じゃない他の誰かでも良かった筈だ。どうして自分だけこんな目に。

 行き場のない怒りは、相も変わらず己の内でグルグルと蜷局を巻く事をやめはしない。それでも―――しばらく経ってしまえば、そんな激情も()()()()()()()のは幸運だった。

 ……その現象が、不可解な物であるのに気付く事はなく。

 

 【……()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君は、自分の身体を傷付ける事を厭わないんだね】

 

 どんな感情が篭っているか解らない声が降ってくる。

 別に好きでやっている訳じゃない。

 自分だって、痛いのも苦しいのも出来るなら遠慮願いたい。そんな物とは縁の無い処にいたい。闇の帝王だとか死喰い人だとか、野蛮な連中とは程遠い場所で自分の時間を過ごしたい。

 

 『必要だからやっているだけだ…………それと、これは「僕の身体」じゃない』

 

 ……ちょっと背が高くてモヤシ体型なだけで、元の身体と相違点は殆ど無いが。

 自分本来の身体ではないからこそ、こんなにも容易く自傷を行えるのかもしれない。他人のモノを傷付けるのに抵抗が無いのは、不思議でも何でもない。

 

 (……?何か、前にもこんな事があった、ような……)

 

 こんな所でまた謎の既視感。身体のあちこちに出来た切り傷と、そこから流血の様に溢れゆく液体を眺めていると何かを思い出しそうになる。こんな光景で一体何を思い出す事があるのか……?

 何にせよ、ようやく残り一本のところまで来れた。あとはこいつさえ身体ごと切ってしまえば、この作業は完遂を迎えられる。とはいえ、ほんの少しだけ休憩を挟まさせてもらいたい。痛みと魔力消費による疲労感で、魔法の発動が少し覚束無くなってきたのだ。熟練の魔法使いならばどんな苦痛の中であっても、きっと問題無く魔法を扱えるのだろうが―――残念ながら、自分にはまだない技術だ。

 

 『《エバネスコ》……』

 

 とりあえず作業を終わらせるより先に自分の痕跡を隠滅しておこう。現場をこのままにしておく訳にはいかない。

 床一面を浸すインク溜まりに向けて杖を振るう。雑巾掛けが馬鹿らしくなるくらいあっという間に液体は消失した。前はスクイブのせいでやり損ねた事を今回は無事に果たせた。

 なんだかんだ言って、初めて試す呪文がこうも簡単に成功出来るならば先程使用していれば良かった。無駄な心配をしていた自分がアホみたいだ。

 ……でも、普通教わってもいない呪文を一発で完璧に発動出来るものだろうか。そういえば50年前も、最初の方こそ呪文が発動出来なくて困っていたが、同居人に助言を貰ってからは魔法に苦労した覚えがあまりない。

 腐っても優等生たる『奴』の欠片だからだろうか、随分とまあ楽に魔法を習得出来るものだ。自分は元々マグルのような存在であるし、この辺の才能はこの身体のお陰なのかもしれない。でなければ元マグルがこうも容易く魔法に馴染める筈はない。……ない、筈だ。

 

 【―――、一つ、君に謝らなければいけない事がある】

 

 その時、切り出しにくそうな声がどうも落ち着きのない様子で語り掛けてきた。こんな事は珍しい。何となく嫌な予感がするのはどうしてだ。

 

 『な―――何だ……?やけに真に迫ってるじゃないか』

 

 【君、今―――とても動ける状態ではないだろう……?死にはしなくとも、先程のあれこれで魔力をそれなりに消耗しているし、加えて自傷による激痛。歩いたり走ったりどころではない筈だ】

 

 『……要領を得ない遠回しな言葉で不安を煽るつもりか。お前という人間は本当に―――』

 

 【違う。最後まで聞いてくれ。……本当は気付いた時点ですぐ君に伝えるべきだったと反省はしている。だけど、君の消耗具合を見ていたら説明する機会をすっかり見失ってしまってね……。これに関しては先に謝罪しておこうと思ったんだ】

 

 ……こいつは苦しんでいる人間を前にして、説明の機会を見計らおうとする程心遣いに溢れた人間だっただろうか……?

 まるで本心からこちらを労わる様な台詞に若干の吐き気が生じる。この後に及んでまだ猫被りを続けるつもりなのか。どうしたって好感度は下降を続けるだけだというのにご苦労な事だ。本当に気持ち悪いのでさっさと本性の一つでも晒してくれないものか。

 

 『何だ……何が言いたい……?』

 

 【―――君にまだ絡んでいるそのロープ。動きを封ずるだけじゃない。もう一つ、対象へ危害を加える別の機能が付与されている。そしてそれは―――もう半分程は既に発動していて、どう足掻いても君が逃げられない段階まで到達してしまっている】

 

 ……………………。

 

 おかしいな……疲労感のせいで頭が働いていないのか、どうもすぐに理解が及ばない……。

 

 【こうなったのは一応こちらにも責任がある……だから、出来る範囲で君の内側から君を護ってはみるけれど、そちらはそちらで何とか自衛してくれないか】

 

 『ああ……えっと…………。ん?つまり―――?』

 

 【これは、()()()()の魔法だ―――《服従の呪文》に加えて、記憶にまで干渉する事によって二重に君を操ろうとしているって事さ……。ああ、かなり小規模だが爆発も伴うから―――気絶でもしないように備えてくれ】

 

 トントン拍子に話を進められているが、まだ全てを理解出来た訳ではない。どうすれば良いのやら疑問符に塗れるしかなかった。

 

 『いや、いや―――ちょっと待て、待て。爆発って、何?自衛……備える…………?どうやって―――?』

 

 【………………、根性で】

 

 『は?』

 

 少しの沈黙を挟んだかと思うと、とても言い辛そうな声色で同居人はぼそりと言い放った。

 欲しかった具体的な回答は得られず、返ってきたのはとても抽象的な助言。らしくもないその精神論に惚けていると、ズグン、と頭部を激しい脈動の様な感覚が襲った。目の前が、視界がチカチカと点滅し出して思わず瞬きを繰り返す。

 

 『………………、ば―――』

 

 この先の展開が読めてしまっても、逃れる手段は最早なく。

 

 

 

 

 『爆発オチなんて最低……』

 

 

 

 

 どこかの銀髪赤目ホムンクルスと同じ台詞を零した瞬間。

 

 腕に巻き付いたままのロープに光の切れ目が走ったかと思うと、その切れ目を中心に小さなドーム状の白い爆発の渦が巻き起こり。

 痛みの伴わない光の奔流の中へと、己の全身は抵抗の余地もなく呑み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ハリー、今あの窓光らなかったか!?」

 

 「えっ。何だろう……嫌な予感しかしないんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――女を見た。

 

 あちこち擦り切れた汚らしい灰色の服を纏った女が、お世辞にも綺麗とは言えない青白い顔の女が、こちらの顔を不安そうに覗き込んでいた。艶の無い前髪の隙間から確認出来る両眼は奇妙にも逆の方向を向いていて、懐かしさすら感じるその斜視に忘れていた嫌悪感が蘇る。

 女は膝をついて屈んでおり、仰向けに倒れているこちらの様子を見守っていたようだ。両手を胸の前で握り込んでじっと視線を注ぎ続けている。

 

 ―――何かおかしい。

 辺り一面は真っ白で天井も壁も床もありはしない。不思議に思って片腕だけ動かし己の手首を見れば、そこには痛々しい複数の切り傷がくっきりと刻まれている。見覚えがあるその傷に、一瞬で己の状況を理解した。

 ―――肉体が、元に―――本来の自分に、戻っている。

 だが、やはりおかしい。呼吸をしている感覚が無く、心臓の鼓動も聴こえやしない。今此処にいる自分は、生身ではなく意識……精神体の様な存在―――?

 

 その時、シュー、という空気音を聞いた。

 音の発生源へ首を向ければ、女が未だにこちらを見つめながら、口を開いて何かを言っている。しかし彼女の唇から漏れるのは明確な言葉ではなく奇妙な息遣いのみ。何を言っているのかさっぱり理解出来なくて眉を顰めた表情を返事代わりに送れば、上げていたままだったこちらの片手を優しく取られた。女はそのまま両手でこちらの手を包み込む。

 じわり、と暖かい何かが触れ合った箇所から無遠慮に侵入してきて、けれども決して心地悪くはなくて。これが何なのかは解らなくて、呆然と女を見返していると視界が霧に包まれるみたいに歪む。己の意思とは無関係に湧き出した液体がつうっと頬を伝い、拭う事も出来ずにいた。

 女の頬にも同じ物が流れているのが見える。彼女は何かを懇願する様に、理解出来ない息遣いを数度繰り返した。

 

 

 

 

 「縺ゅ?蟄舌r縺企。倥>」

 

 「縺ゅ?蟄舌′遏・繧峨↑縺?b縺ョ繧偵?√≠縺ェ縺溘?遏・縺」縺ヲ縺?k」

 

 「蜍晄焔縺ェ鬘倥>縺ェ縺ョ縺ッ繧上°縺」縺ヲ縺?k」

 

 「縺昴l縺ァ繧ゅ♀鬘倥>」

 

 

 

 

 ―――お願い、したい―――?一体何を―――?

 

 女の伝えたい言葉は微塵も解らないけれど、表情から読み取れば「何かを任せたい、何かを託したい」といった意志が込められている事だけは察した。

 こちらの表情の変化から伝えたい事が僅かでも伝わった事実に気付いたのか、女はゆっくりと両手を離してふらふらと立ち上がった。

 不可解な事に、女に続いて立ち上がる気力が沸いてこない。倒れた状態を維持したまま視線だけで女を追えば、彼女は真摯な表情を浮かべてぺこりと頭を下げてきた。その様子はまるで、余所の家に大事な我が子を預ける直前の様な、酷くありふれた「親の姿」だった。

 ―――直後、彼女の姿が煙の様に白ずんで消える。

 

 もしやと思い再び己の片腕を確認すれば、傷一つない青白い肌と黒いローブの袖だけが視界に入った。

 どういう原理なのかは知らないが、頬には先程の体験と違わぬ透明な液体が流れていて、擽ったかったので人差し指で擦って拭う。―――これは、自分が流した物ではない。紛れもなく、『この身体』が流した物だという事だけは理解出来た。

 いつの間にやらすっかり見慣れた石造りの天井と壁と床が自分を囲んでいて、「戻って来た」という事実にも辿り着く。

 

 

 

 

 『……………いや、誰?』

 

 

 

 

 呟いた間抜けな独り言は、()()聞いちゃいなかった。

 拭った際に指に付着した透明な水滴は、砂粒が風にさらわれる様に消失した。

 

 

 

 




・モブK
好奇心は猫を殺す
その後の彼の行方を誰も知らないそうな

・モブT
とある男についての言及が最期の台詞に
死顔はとても安らかだったという

・モブA
口が悪い
美少女が好きらしい

・モブY
紅一点
ネカマではない

・傷だらけの少年
定期的にナニカに襲われているらしいがそれの正体は不明
傷の原因を他人に明かす事はなくあろう事か捏造までして隠している
抵抗の意思はなく一方的にやられるがまま

・相容れぬ二人の魂
分霊箱に魂が入るには殺人によって引き裂かれている状態じゃないと無理
なんだかんだ言って仲が良さそうに見えるが元マグルの方の好感度は最低値
彼曰く「友情エンドは存在しない」らしい
声優ネタ使ってゴメン

・その頃生き残った男の子
いまこそ めざめるとき
おおぞらは おまえのもの
まいあがれ そらたかく!

・例のあの人
原作だとパパフォイのせいで『己の記憶』と再会する機会は永遠に失われた
実際何を思って分霊箱に細工をしたのか彼しか知らぬ事

・灰色の女
いつかどこかの誰かさん
たった一つの大切なものを託した

・銀髪赤目ホムンクルス
もうバカぁ、爆発オチなんてサイテー……!
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