転生したら分霊箱だった件   作:@ゆずぽん@

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遅れてすみませんでした(お辞儀)
遅れてすみませんでした(土下座)
遅れてすみませんでした(土下寝)

今回、クッソ長い上に『暴力表現』や『不快になる恐れのある表現』が
てんこ盛りなので閲覧する際はご留意のほどお願いいたします
5万字超えてるのでお時間に余裕がある場合での閲覧を推奨


★Page ? 「空想と現実を生きる血族」

 「おーい」

 

 雨上がりでぐちゃぐちゃに泥濘んだ畦道のど真ん中で突っ立っていると、いつの間にか水田にやって来ていた男に声を掛けられた。歩行補助の杖に体重を預けたままゆっくりと声の方へ振り向けば、中年ぐらいの農夫が泥まみれの軍手をはめた両手を大振りしている。

 

 「カドマスの旦那ァー、聞こえるかーい」

 

 畦道で立ち止まっていた老人は男の様な大声を上げる体力も無かったので、軽く片腕を振る身振りのみで肯定の意を示す。頭髪も豊かで顔の皺もそこまで酷くはないものの、彼は間もなく古希を迎える年齢だった。日に日に些細な動作さえも億劫になってきている。

 それを察したのかただの偶然か、声を掛けた男は老人の耳に確実な報告を届けんと自分の方から近付いた。植えたばかりの稲苗をしっかりと避けて水田を上がり、老人に微笑んだ。

 

 「あの子なんだがよう、まーた川の方に独りで行っとる。溺れでもしたら大変だろ。早く見に行ってやってくんな」

 

 「……またか。水辺には近付くな、と飽きる程言い聞かせていたのだが」

 

 「仕方ない。あの年頃じゃ犬みたいに駆けずり回るのが仕事みたいなもんだ。大人の言う事なんぞ聞かんよ、一回痛い目見んとな」

 

 老人は捜し人の情報を得ると、重たい腰を再稼働させ男の言葉通りの場所へ赴こうとした。そんな彼へ、男は追加で更なる情報を投入してきた。

 

 「あの子な、この前なんかはあっちの空き地でよ、じーっとしゃがんで、日が暮れるまで一歩も動かんで俯いとったんじゃ。旦那が飯の時間になっても見つからん見つからん言うとった時があったろ?あの子、何しとったと思う?」

 

 「具合が悪かったんじゃないのか」

 

 「ちげえ。あの子なぁ……ずうっと観察しとったんよ。そこの空き地な、アリジゴクの巣があって…………蟻が何匹も食われるとこ、研究者みたいにじーっと見とった。近くに行ってオレもびっくりしたわ、あん時は」

 

 「―――本当か?」

 

 与えられた情報に、老人は僅かにぐらりとよろめいた。ほんの僅かなよろめきだったが、高齢の肉体にはそれなりのダメージが響く。

 

 「いやあ、一体何をそんなに凝視しとるんかと思うたけどよ……虫が延々死んでくとこ、夕暮れまで見とったなんてそんな子供そうそうおらん。……前はよ、『引っかかれたから』っつってあの子、野猫をとっ捕まえて殺しとったやろ。……旦那が後始末しとらんかったら、近所から白い目で見られとったよ、絶対」

 

 男の言葉で老人は思い出す。

 ちょっと撫でようとしたら反撃をもらったと、真昼にあの子が腕を押さえ半泣き状態のまま帰って来たあの日の話だ。

 その時は傷の処置をしてやったものだが、何を思ったかそれが済むとすぐさま家を飛び出し、夕方まで帰って来なかった。何をしてるんだと捜しに出かけようとした直後、ある物を抱えて子供は戻って来た。―――ある物とは、子供の小さな腕に抱かれ、血塗れのまま事切れている首の無い野猫だったのだ。

 

 「あの時は……流石に私も驚いた。慣れている様子だったから、私の知らないところできっと何匹か……。つい、少し派手に怒鳴った。反省させる為に物置に閉じ込めていたのだが、何故か鍵を開けられて脱走を許してしまってな……」

 

 「何じゃあそりゃ!まるで手品みてえだなぁ、羨ましいもんだ、オレもお仕置きで閉じ込められた事ぁよくあったがよ、どうしたって出れんかった。あん時針金でもあればなあ」

 

 手品、という単語に一瞬老人の眉がひくりと動いたが、男が気付く様子はない。

 

 「言っておくが、笑い事ではないぞ。……何をどうしたのかは知らんが、鍵穴が内側からグチャグチャに壊されていて直すのに苦労した。勿論、たっぷり叱っておいたがあまり響いてないだろうな……」

 

 追求しても素知らぬ笑顔で「勝手に開いた」だの「鍵を掛け忘れたんじゃないか」だのあらゆる言い訳で逃げ道を走られた。あの歳でもう大人を欺かんとする饒舌を習得しているのは末恐ろしい。なので、伝家の宝刀・拳骨十連撃を味あわせたところ、涙目になって謝罪を口走ったので取り敢えずは許しておいた。それでも尚どこか楽しそうな様子だったのは、叱咤であっても構ってもらえた事が嬉しかったのだろうか。子供心は複雑過ぎて全てを把握するのが困難だ。

 

 「まあ……オレもあの子んぐらいの時はよ、面白がって蛙とかを踏み潰したりしたもんだ。腹が立って蜂の巣をぶっ壊したりもした。どいつも同じ命なんだがよ……子供っちゅうのは可愛い顔して残酷なもんだ。()()()()()()だったら良いんだがよ―――」

 

 男は一度、そこで言葉を区切った。数秒程度思考を挟んでは口を開く。

 

 「あの子は―――なんか、違うもんを感じる。気のせいかもしれんが、()()()()()()とはちょっとな……違う気がするんだなあ。似つかわしくないっつーか、子供離れしとるっつーか。上手く言えねんだがよお……」

 

 「良くある事だ。あの子は他の子供と()()ように振舞おうとする癖がある」

 

 道端に捨てられていた古鍋に火をかけて、その辺を這い回っていた蛇を『調理』していた日。

 首が無くなっても生き物は動くのかと、捕獲してきた兎で『実験』していた日。

 老人は、実に残酷極まりない子供の軌跡を脳内で追っていく。

 

 「なあ、旦那―――。もう、長くねえのは分かる。……分かるけどよ、あの子ん事、ちゃんと見てやっといてくれな。旦那がおらんかったらあの子……あの子を()()()()叱るもんもおらんくなるやろ、なあ」

 

 自分の血縁ではないというのに、懇願する様な男の声。老人は苦虫を噛み潰した様な表情に変わる。

 

 「あの子、一回家出しようとしよったんや。帰るのが嫌だ言うてな、旦那が丁度遠出しとった時や。旦那がおらん村なんぞ嫌だ、あの家は嫌だって暴れて……。オレがなんとか首根っこ捕まえて帰したけどよ、ちょっと恐ろしくなった。旦那がおらんくなったら、あの子の居場所はなくなっちまうんじゃないかってよ……」

 

 「……、確かに、あの子はあの家を嫌っている。そうやって暴れるのは無理もない……。よく帰してくれたな、礼を言う」

 

 「礼なら要らん。オレは()()()()()()()()()余所から来た人間だからよ、『あの家とこの村』の詳しい事情なんぞ知らんけども、な。あの子が子供離れした奇行に走ってるのってよ……この村が嫌いだからなんじゃないかと思っちまう」

 

 「何だって?」

 

 「問題起こして、嫌われて、嫌われればこの村から追い出される、出て行ける。そんな風に考えてるんじゃねえか?推測でしかねえけど、うん……」

 

 「そんな事は……。母親の前ではいい子であろうとしているんだ。そこまで考えているとは……」

 

 「まあよ、他の村民に疑われる前に、旦那があの子を管理……いや、こういう言い方は悪いな。旦那がしっかりあの子を見ててやれ。母親の方は多分、あんまりアテにならんだろ」

 

 母親の事までお見通しな男の言葉に、老人は悩ましげに呻いた。

 あの娘は確かに子供の事を愛する事は出来る。けれどそれはとある物語に登場する、カンダタという悪党を救いかけては結局地獄に突き落とした『蜘蛛の糸』の如く、いつ切れてもおかしくはない頼りないものなのだ。

 あの子もいつか、その悪党の様に―――束の間の短い『(すくい)』しか享受出来ず、裏切られ、地獄に突き落とされる―――そんな気がして。

 老人は、恐ろしい未来を予測出来ても、最早どうする事も出来ない己を自覚した。

 

 「……そうだな、ありがとう。ちゃんとあの子を見ているよ。『この身体』の限界が来るまで―――出来る限り、あの子が平穏でいられるように―――……。そう、平穏に……」

 

 

 

 

 最後の一言。

 老人は、誰にも聴こえぬ囁き声で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「―――とうの昔、我らは《あの世界》を捨てたのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 景色が見える。

 

 自分は浮遊霊にでもなったかの様に、その景色をいつだって俯瞰して眺めていた。脳味噌全てが濃霧にでも包まれているのか、はっきりとした思考も不可能なままに、ただまんじりともせず景色を観賞し続ける。興奮や感動、驚愕もなく、じっと眺めるだけの時間。退屈も感じなかったのは幸運か。

 

 最初に見えたのは緑色だった。通常、それは植物を想起させる命と恵みの色。その筈なのに、見えた緑から悲劇的かつ暴力的な印象を抱いたのはどうしてだろう。

 次に見えるのは白色。先程の緑を生み出した骨の様な棒切れ。先端になるにつれ細くなっている棒切れに持ち手があって、そこには不健康そうな青白い手が添えられていて、その先に黒い衣服の裾が見えて。

 男だ。全身黒づくめの男がその白色を握っている。フードですっぽりと隠れた頭部から、赤い光が覗いている。それを認識した瞬間、数年ぶりに知人と再会したような感覚に襲われた。だが神に誓ってこんな不審者の知り合いはいない。

 

 景色が見える。

 

 小さな男の子。体格的に十代前半だろうか。黒と赤のローブを翻しては石床の上を駆けずり回っている。

 男の子の後ろには……これまた緑色の、気味悪く(ぬめ)った大木らしき物がうねうねと動いては迫っていた。―――いや、大木があの様に床を左右に這って動く筈はない。生物……つまり、あの大木の正体は大蛇だ。

 鮫の口内を思わせる大量の、鋭利な鉄格子が男の子を収監すべく上下に開いた。床に滴るは唾液だろうか、やけに毒々しい色をしている。あれが皮膚に触れるだけでも、きっと命に関わるのだ。そう推測出来る程醜悪な色彩が、石床をキャンバスとして彩り始める。

 大蛇が進むのとは反対の方向、少し離れた場所に誰かが立っていた。その姿を頭から爪先まで完全に視認する前に、視界から意図的に外す。そこには知りたくもない存在がいたのかもしれなかった。

 

 景色が見える。

 

 曇天の下、暗く、昏い墓場。

 化け物じみた容貌の醜男が、随分と偉そうに立っている。その周りに似合わぬ銀の仮面を被った連中が輪を成していた。

 この場に集う全員の視線の先には、呻き声を垂れ流し続ける男の子が地面に這い蹲っていて―――皆、彼を嘲笑う事に夢中だ。

 不快に思ってまた視線を外すと、連中が見向きもしない草地に何かが横たわっていた。呻く男の子よりも年上なのか、体格がしっかりとした青年だ。

 ……じっくり観察すると、胸が上下に動いていないのが解る。間違いなく、あれは遺体だ。

 連中達と無関係な光景をぼうっと眺めていると、突然辺りに衝撃が走った。爆破や巨大物の墜落を思わせる、重たい衝撃。

 眩しい光が背中越しに全身を包んできて、両眼を痛いぐらいの煌きが貫いた。眩し過ぎて思考の全てが一瞬にして吹っ飛ぶ。

 

 そして―――

 

 

 

 

 【他人の記憶なんて、何の価値も無いだろ?】

 

 

 

 

 ずっと隣に立っていた□□□□□□が言った。

 「その通り」だと答えようとしても、声が出る事は無かった。

 

 

 

 

 【こんなモノ、いつまで観ないといけないんだ?】

 

 

 

 

 □□□□□□が、鬱陶しそうに、困った様に、一人呟いていた。

 

 

 

 

 【次に()()()()殺してやる】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピーピー、と焦燥を掻き立てる独特の電子音がけたたましく鳴り響く。

 ゾンビの様にうごうごと片手だけ彷徨わせて、音の主を何とか手繰り寄せた。慣れた手つきで、ノールックのまま指先を蠢かせると、鬱陶しい音は沈黙する。それでも尚、内心で沸き上がった苛立ちは留まる事を知らず、音の主を掴んだ片手へ全力投球の命令を伝達した。

 ガン!と硬い物が壁にぶち当たった音がする。その音で瞬時に我に返り、身体を休めていた寝床からこれまたゾンビの様に這い出る事にした。多分、誰かにこの場を見られていたら、巣穴からのっそりと顔を出してきた毒蛇みたいだと思われていただろう。

 

 「うるさい……死ね…………」

 

 両の瞼を閉じたまま、寝起きで上手く起動しない喉の奥から怨嗟の声を漏らした。我ながら酷く掠れた声だと思う。

 五歳、いや六歳くらいからだったろうか?一ヶ月に一度くらいの感覚で、あの良く解らない夢を見る。他人の人生を、まるで分厚い日記を読み返す様にして、俯瞰視点から観賞する夢。

 調子が良い時は、乗り物などに頼らず生身で空を飛ぶ夢とか、ファンタジックな世界にしか棲息していない厳ついドラゴンと殺し合う謎な夢とか見れるのだが、今日はその日ではなかったらしい。

 

 夢の最後で不思議な爆発に巻き込まれて死んだっぽいが、実は夢の中で自分が死ぬというのは不吉でも何でもないらしい。夢の中の死は『新しい自分に生まれ変わる』事を意味しており、夢で死んだからといって恐怖に駆られる必要は無いという事だ。まあ、あくまでもただの通説なのだが。

 今までに何回も、何者かに刺されて死ぬ夢や高所から落下して死ぬ夢とか、散々見てきている。今更死ぬ夢を見たところで、何の感情も湧かない。

 

 それなりに大きいベッドから上半身を出すと、当然無防備な身体は床に転げ落ちる。ぼとりと全身を投げ出したまま、ぶん投げてしまった電子音の主を視線だけで捜索する。

 やはり、中々起きられないからといって緊急地震速報の音を寝起きのアラームに使用したのは良くなかったかもしれない。起きられると言っちゃあ起きられるけれども、日頃睡眠不足で苛々の募った寝起きの状態では、今の様なバイオレンスな行動を誘発させてしまう。結果、生活必需品であるあれが壊れてしまったら元も子もないのだ。

 

 凄く、眠い。

 今日だって昨夜早めに就寝して十一時間は寝ている筈なのに、頭の中がとても怠い。今自分の頭蓋を開いたら、多分脳味噌が蕩けてるんじゃないかってぐらい眠い。

 一体どこのどいつだ?生物に睡眠なんて機能を付けた神は。かかってこいよ、ぶっ殺してやる。というか、全人類が早急に、滅べ。

 ……いよいよ寝起きの苛々がエクスプロージョンを起こしそうなので、ここらでちゃんと意識の覚醒を試みよう。このままだと確実に破壊神と化してしまいそうだ。

 

 ―――嗚呼、眠らなくても生きられる体が欲しい……。

 ついでに要求すると、何も食べなくても生きていける体が欲しい。

 生物が一生の内に食事や睡眠で無駄にしている総時間数をご存知だろうか?知ればきっとそこのあなたもオーマイガーであろう。よし決めた、龍神球が七つ揃ったら願いは今のにするんだ……。

 

 「―――いつまで寝てるの?早く支度しなさい!」

 

 とか下らない事を考えていたら、扉の外で甲高い声が。

 そういえば今日は大事な用件があるんだった。床に這い蹲った姿勢から徐に起き上がる。

 今日は公の場に出なければならない大事な日。普段はまずしない事だが、鏡で身だしなみを整えなければならない。寝癖でも放置してしまうと恥をかくのは己自身だからだ。

 

 ―――鏡は嫌なんだけどなぁ。

 

 いつからだっただろうか。ある日突然、鏡が見れなくなった。別に姿見などは平気なのだが、顔部分しか映らない様な小さいサイズの鏡が超が付く程苦手になった。独自に調べてみれば、そういう精神系の病気があるらしい。

 非常に不本意だが、さっさと済ましてしまえば精神的被害は最小限に抑えられる。未だに瞼を緩く閉じたまま、鏡台へと向かった。

 なるべく顔を見ない様に……頭髪だけ整えれば終わりだから……。そう言い聞かせ、恐る恐る開眼。

 

 (……何だ?この黒いモヤシは)

 

 いや、違う、これはモヤシではない。これは自分だ。なんだか、某RPGのGルートで鏡を調べた時の様なテキストになってしまった。

 やはりまだ脳がしっかりと覚醒していないようだ。カクンと船を漕ぎ始めた首の筋肉に喝を入れ、ぼんやりと霧が掛かった頭で何とか頭髪を整える事に成功する。

 面倒臭いな……。坊主の奴はこの過程をすっ飛ばせるのが羨ましい。やはり時代はこんなモヤシよりも筋骨隆々のスキンヘッドだろう。しかしどれだけ自主的な肉体訓練に励んでも、自分が得られた物はというと筋肉ではなく貧相な体躯だった。代謝が良すぎるのか、どう頑張っても自分はドウェイン・ジョンソンの様な男にはなれない。そう気付いた時はかなりショックだった覚えがある。髪型も母親の許可がなければ変更出来なかったし、スキンヘッドなんて彼女が許す筈もなかった。無念。

 今度アバターを作れるタイプのFPSが出たら、絶対ハゲマッチョで遊ぼう。そうしよう。

 

 さて、次は着衣だ。寝間着から外着に着替えなくてはならない。

 使っている材木が良質なのか、何故かやたら良い匂いのする洋箪笥を開き、奥の方で眠っていた真っ黒な衣類の上下を引っ張り出す。最後にこいつに世話になったのはいつだっただろうか。まさか、再び運命を共にする日が来ようとは……。

 

 ちゃっちゃと着替えを済ませて部屋の外に出ると、廊下に備え付けられていた鏡で化粧を整えていた母と目があった。瞬間、彼女の顔がぎょっと引き攣った。「嘘でしょ?」なんて言葉が表情を通して聞こえてきた。

 

 「……、本当にその目、どうにかならないの?」

 

 彼女の言わんとする事は理解出来る。このヘドロの様にこびり付いた気味の悪い隈と、出血で紅に染まった眼球の事を言っているのだ。

 こちらも自己治療が出来ないか色々試行錯誤を重ねている最中だが、残念ながらそれが実を結んだ事はない。検索したところで原因不明だのなんだの、結局役立たずな情報しか取得出来なかったのだ。

 カラーコンタクトという奴で眼球の色を健常者と同じようにして誤魔化せないかとも思ったのだが、あれは健康に良くない影響を与えるらしい。つまり悪手という事であり、使えない手段である事に変わりはなかった。クソが。何で何も悪い事をしていないのに化け物じみた容貌になるんだ。クソが。

 

 「なんか……無理っぽい。ごめん」

 

 どうしようもないのは事実で、短く謝罪の言葉を送る。今から公の場に出向くというのに、息子がこんな容姿をしていれば親として恥辱の極みだろう。この部分に関しては、本当に申し訳ないとは思う。

 

 「……まあ言っても治らないものだからね。なるべく他の人と正面から顔を合わせないようにするのよ、良い?近付くのも避けなさい。遠目からなら多少の誤魔化しが効くから。顔自体は良いんだから変な印象を打ち消せるとは思うけど……」

 

 言葉の後半部分は理解出来なかった。一体誰がこんな黒いモヤシが良いって?昔から、たまに彼女はこういう素っ頓狂な台詞を言い出すのだから少し困る。

 しかし彼女の言う通りなところもある。他人との接近を控えれば、前に父から「ドブみたいな目」と罵倒された、この気味の悪い顔を認識されずに済む。なるべく心がけるとするか……。

 

 「あ、そうだ。出掛ける前に一つ、聞いてもいい?」

 

 一つだけ、本当に一つだけ、今日確認したいと考えていた件があったのを思い出す。出掛けてしまえば私語を行う場所も暇も無くなるので、今ここで。

 

 「……『あの部屋』にあったのを見付けたんだけど。―――何でうちに保管されてるへその緒ってさ、()()()()()()?」

 

 その途端。

 彼女は目を見開いて、恐ろしい物を目にしたとでも言いたげに両手で口元を覆い、数歩後ずさった。役者みたいなオーバーリアクションが、逆にシュールだ。

 やはり、ビンゴだ。―――彼女は何かを隠している。

 

 「え……、何で、それ……」

 

 「勝手に見たのは悪いと思ってる。けど、この家の子供ってボクだけだよね。兄弟はいないし、養子も無し。……何でへその緒が一つじゃないのかな、って」

 

 別に、隠し子とか不倫だのを疑っている訳じゃない。彼女の心を読めば解る。彼女は人生の中で一度たりともそういった不埒な行いはしていない。

 そもそも日常生活を見ていれば、馬鹿でも解る。彼女の心は、常に父一筋だった。

 本当にそういう後ろめたいものが真実であれば、この家にそれを示唆する様な代物を保管しておく筈もない。だからこそ、何故この家にあんな物が()()()存在するのかが不思議でたまらなかった。たまらなくて、遂に訊いてしまった。

 

 彼女は、未だに明確な回答を寄越さない。信じられないといった様子で立ち尽くしているだけだ。

 その間に、ついでにもう一つ質問してしまう事に決めた。懐に収めていた画用紙を一枚取り出し、彼女に見せびらかす。

 

 「あと、これ。……これに描かれてる、もう一人の子供って……誰か知ってる……?」

 

 彼女はいよいよ小さい悲鳴を漏らした。こんな反応をされると、なんだか自分が悪役のように思えてくるので出来ればやめて頂けないだろうか。

 

 たった今、取り出した画用紙。幼稚園児ぐらいの子供にお絵描きの材料として渡す様な、何の変哲もない画用紙だ。

 その画用紙に、幼い子供の画風―――強いて言えば、下手糞極まりない拙い落書きが、白紙の全てを埋める勢いででかでかと描かれていた。

 落書きの内容は、二人の子供。それ以外の生物はいない。

 子供を描いているクレヨンの色は全て黒だった。顔の部分は大きな円で、頭髪は幾重もの縦線で、胴体は棒人間の様に枝分かれした直線で表現されている。子供は二人共、サイズ含めて全く同じ姿形をしているが、片方は顔に黒い眼鏡を掛けていた。奇妙な事に腹部と思われる辺りから肌色の一本線が伸び、それがお互いの体を繋いでいる。

 

 ―――そして、画用紙には一番奇妙な光景が広がっていた。

 二人の子供、その片方。眼鏡を掛けていない方の子供は、真っ赤なクレヨンで体の上から大きな×印を付けられていた。加えてその子から、血飛沫が飛び散っている様な赤い点々が周囲に描かれている。

 過去の記憶と、この子供特有の下手な画風。二つの観点から推測して、これの製作者は恐らく幼少期の自分であるのは明白である。

 所詮、子供の下らない落書き。なのだが、家から見付かった二つのへその緒と、幼少期の自分が描いた二人の子供。これらを繋げてしまうのは自然な事だった。

 へその緒と画用紙は、どちらも同じ部屋で発見した。まるで自分の目から隠す様にして、普段は使わない、目立たない物置と化している一室にあった物だ。今日、彼女に訊ねようとして画用紙だけは持ち出してきていたのだ。

 

 (絵柄はどう考えても小さい頃の自分。でも、こんな意味不明な落書きを描いた記憶だけが、ない……)

 

 そう。自分が小さい時の絵柄は見れば判る。だが、この絵だけ……描いたという記憶が無いのだ。それが途轍もなく不気味で、意味が解らなくて…………彼女に訊くしか、最早この胸中の不快感を解消する事が出来なかった。

 

 ―――まるで。

 まるで、生まれた二人の子供の内片方が、幼くして死んでしまったかの様な、不気味な落書き。

 何でこんな物を、彼女は捨てる事もせずに取っていたのだろうか?

 自分が親だったら、子供の作り出したこんな落書きはとっくに破棄していると思うのに。

 

 それに。

 この落書きの内容が真実だったとしても、だ。

 自分に兄弟の様な存在がいた記憶は一ミリたりとも、無い。当然、養子の線も絶対に無い。幼過ぎて覚えていないとかいう可能性もない。この家の戸籍にさえ、自分以外の子供の名前は記載されていないのだ。

 それとも何か。落書きの中の子供と二つのへその緒は無関係だというのだろうか。両方共同じ部屋に一緒に保管されていたので、つい互いが関連しているという前提で考えてしまったが、本当は無関係だったのだろうか。

 

 「それ、は」

 

 ようやく回答を用意したのか、彼女が口を開く。声が少し震えていた。

 

 「……それはね、その……。―――ただの落書きよ。何となく、ただ持ってただけ。まだちっちゃい時、あなたが描いていたでしょう……思い出として持ってたのよ。……何でそんな事を知りたがるの?」

 

 「ねえ、へその緒も訊いてるんだけど?」

 

 「知らないわ。あなたの見間違いなんじゃないの。大体あなたは一人っ子でしょう。……見間違いよ、全部」

 

 「違う。確かに二つあったんだ。何なら今からでも見せて―――」

 

 「いい加減にして!」

 

 ヒステリックな怒鳴り声。自然と肩がビクリと跳ねてしまった。

 彼女は両目をぎらつかせた猛獣の様。さっきのどこか怯えた様子とは打って変わって、攻撃態勢に入った獣を思わせる。

 

 「……お願いだから!また『変な事』を言い出さないでよ!どうしてあなたは()()なの!?どうして『普通の子』みたいにしてくれないの!私はッ、知らないって言ってるの!下らない事訊いてこないで、お願いだから!……今日はもう時間がないのよ。支度が出来たのなら、さっさと車に乗りなさい!」

 

 早口で捲し立てられて、呆気に取られた。演技でも何でもなく、本当にびっくりして驚愕の表情を貼り付けたまま棒立ちしていると、づかづかと歩み寄ってきた彼女はこちらの首根っこを掴んで、玄関へと引き摺り出した。

 そのまま庭に駐車されている白いロールスロイスの助手席に乱暴に放り込まれ、言う事を聞かないペットを縛り付けるかの様な手付きでシートベルトを装着させられた。彼女は苛立ちを隠そうともせず、大きな音を立てて車のドアを開閉すると運転席に乗り込んでくる。

 

 未だに呆然と見返す事しか出来ない自分を完全に無視して、彼女はエンジンを掛けた。流石高級車とでも言うべきか、かなり静かで身体に振動の来ないエンジンが始動し、車は今日の目的地へと出発した。

 こうなってしまっては、もう何を言っても機嫌を取る事は不可能だ。謝罪の言葉でさえ、今の彼女には耳障りでしかない。それは過去の経験から嫌という程理解している。

 何か言いたげに無意識に開きかけた唇を引き結び、彼女から顔を背けて外の景色へと視線を移す。

 

 狭く、密閉された車内の中。

 言葉も視線も交わさない断絶した自分達を、一体誰が『親子』と呼んでくれるだろうか。

 

 ただ、知らない事を、知りたかっただけ。

 ―――別に、貴女を困らせたかった訳じゃないのに。

 

 心の中に生まれた独り言は、一度たりとも現実に出力される事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……皆の前では、『普通』にしていなさい」

 

 車を降りる時だけ、彼女は言葉を発した。

 

 「…………」

 

 自分は無言で頷き、肯定の意思だけ示す。余計な言葉を口に出して、これ以上困らせるのは避けたかった。

 一定の距離を保ったまま二人で歩き、建物の中へ入る。

 

 「―――あら、プィオネさん、もう来たの?」

 

 早速第一村人発見……じゃない。壮年の女性がこちらを見付けては声を掛けてきた。特別醜いという訳ではないが、化粧が何というか濃厚過ぎる。あれはきっと、入浴後に別人へ化けるだろうな……。

 子供の頃、入浴を終えたばかりの母の顔が普段とは別人の様になっていて、知らない人が家に入り込んでいるのかと不安に駆られたものだ。勿論、それを口に出した事は無いし、口に出した日には多分、半殺しにされるに違いなかった。

 

 「……と、ああ、息子さん、ね。随分と酷い顔色。大丈夫?今日、長いわよ?」

 

 じろり。

 女性が、見たくない物を発見してしまったとでも言いたげな表情に変貌して、こちらを一瞥してくる。彼女と会うのは今日でたったの二度目だ。どうして嫌悪されているのか見当もつかない。

 

 ―――相変わらず気味の悪い子供ね。

 

 そんな言葉が今にも口から飛び出しそうだった。

 母に言われた通り、なるべく自然に見えるよう女性から顔を背け、こちらの顔がはっきり見えないように振舞う。横顔だけならまともに見える筈……だ。

 

 「……ええ!でも心配しないで。光の加減よこんなもの。息子はいつも元気、病気もしてないわ」

 

 取り繕っているのが手に取るように解る、母の偽りに塗れた笑顔。ただ、それは自分が気付いただけで、もしかしたらあの女性は騙せているかもしれない。

 「病気もしてない」、ね。よくもまあそんな虚言を並べられるものだ。いつも事ある毎に病院へ連行していたのはどこの誰なんだか。明後日の方向を見つめながら心の中だけで呆れた。

 

 「そう……?まあ、ここに来れてるなら大丈夫なんでしょうねぇ。さあ、来て。始まる前に、ちょっと葬儀の準備があるの。……ああ、息子さんは来てもつまらないでしょう。式が始まるまで好きにしてて良いわよ。式、長いから、飲み物でも買って水分補給しておきなさいね?」

 

 それだけ早口で言い終わると、女性は母を伴ってさっさと大きい扉を通り抜けて行ってしまった。最後まで、徹底的にこちらとの会話を最低限にしようという魂胆が見え見えだった。

 母も母で、特にこちらと言葉を交わすでもなく、女性と共に姿を消した。こういう儀式の詳細は良く知らないが、まあ大人だけでやる事があるというのは解る。事前に少し調べておけば良かったかな、とちょっぴり後悔。こんな場所で電子機器を使用する訳にはいかないので、今検索という行為は無理なのだ。

 

 自由時間は有効に使いたい。言われた通り、館内の自動販売機で飲み物でも買ってこようか。儀式が長いというのは本当の事。一時間や二時間は当たり前の世界だ。

 何なら少し、喉が乾いている。今の内に潤しておくのが賢明だ。

 館内の見取り図から自動販売機の場所を確認して、そちらへ向かう事にした。どうやら二階に設置してあるそうだ。近くにあった階段を上る。

 途中、数人程だが、自分と同じく黒い喪服に身を包んだ男女を見掛けた。ちらりとこちらの顔を窺う者、電子機器を弄るのに夢中で見向きもしない者、会話の最中でこちらに気付かない者。漏れなく全員の衣服が真っ黒で、何だか怪しい宗教組織に入ってしまった錯覚に見舞われる。

 

 「あ、あった」

 

 目的の物を発見。誰かが寄ってこない内に買ってしまおう。内ポケットから財布を取り出しそうとした時―――

 

 「あれぇ~?」

 

 嫌にわざとらしい声が、背中に飛んで来た。無視しようかとも思ったのだが、何故か自分の体は振り向いていた。

 振り向いた先、そこには横一列にしっかり並んだ三人組の少年が立っていた。全員見せつける様にポケットに手を突っ込んでいて、不良を連想させる。

 

 「あれ、あれれぇ~?」

 

 「なあなあ、もしかしてぇ~?」

 

 「やあっぱりぃ?あの爺さんの葬式ならぁ、居るよなぁ~」

 

 三人組が口々に、耳障りな声色で声を掛けてくる。

 にやにやと、草食獣を前に涎を漏らした獣に似ている下卑た笑みが浮かぶ様は、脳内で三人を皆殺しにするには十分過ぎた。ついでに癇に障る巻き舌も三枚分引っこ抜いておいた。やったねたえちゃん、死体が増えるよ。

 

 「誰かと思ったらぁ、あの時のおチビ君じゃーん」

 

 三人組の一人、金髪碧眼のオカッパが煽り顔でこちらを眺めてくる。

 

 「やっぱ何年も経ったらそれなりにおっきくなってるぅ?見覚えのある後ろ姿だと思ったねーえ」

 

 三人組の一人、茶髪碧眼の七三が首を無駄にコキコキと鳴らしている。

 

 「でもでもぉ、()()()()()じゃあそんなに背ぇ伸びないよねぇ。俺らに比べりゃ、やーっぱりチビじゃんねぇ」

 

 三人組のリーダー格、銀髪碧眼の短髪が仰々しく吹き出した。

 

 三人共、外国人特有の立派な体格でこちらを威圧してきていた。同じくらいの年齢に見えるのに、この体格差はやっぱり反則だ。だからこの国の人間は身体能力で他国に負けるんだ。クソが。

 

 はて、まるで知り合いかの様な台詞の数々。

 こいつらとは一体、何処で知り合っただろうか……。知り合った過去があるとして、どうして現在のこいつらは五体満足平穏無事なのだろうか。

 多分、こんなふざけた連中と知り合っていたら、その当時全員を一人残らず川に沈めてそうなものなのだが。

 

 「……あぁ、思い出した」

 

 そうだ。昔、一度だけ我が家に親戚の人間が複数訪ねてきた事がある。目的は子供同士の交流だったか、お互いの現況把握だったか、今となっては思い出せないが……。

 その時だ、こいつらと出逢ったのは。親達が善かれと思って、この三人組を自分の元へと放逐してきやがったのだ。今でも許さないからなあの時の親族共。

 ……そして、確かその結果、自分はこいつらを―――

 

 「誰かと思ったら……何だ、量産型ブラザーズか」

 

 「誰が量産型だクソ野郎ッ!」

 

 思い出した事をそのまま口にしたら、リーダーの銀髪が喚いた。

 いや、怒られてもこれは事実だろう。

 オカッパの名前がボブ、七三の名前がマイク、銀髪の名前がトムだった筈だ。全員、英国語の教科書に載ってそうなよくある量産型の名前なのだ。だから、自分が付けた彼らの通称が『量産型ブラザーズ』。

 何でこいつらがここに居るんだ?お前らみたいな量産型ネームは、グリーン先生にでも英国語を教えて貰ってこいよ。

 

 「そんなに嫌だったのか。なら、『ズッコケ三人組』とどっちが良い?」

 

 「どっちもよろしくねーんだわ、クソが」

 

 全員が鋭いガンを飛ばしてくる。この感じ、まさに不良、チンピラ……!文明が進んだこの時代、絶滅危惧種だと思っていた伝説の存在が今、目の前に……!

 

 「なあ、おチビ君よ?しばらく遊んでやってねー内に、生意気になってね?」

 

 「また俺らが教えてやんねーと、自分の立場ってヤツ?自覚出来ない?」

 

 「おいおいお前ら、あんまり虐めたら可哀想だろ?」

 

 調子を取り戻したのか、三人組の顔に嫌らしい笑みが再び浮かぶ。

 何だか面倒なのに再会してしまったようだ。こうしている今も、喉の渇きが着実に侵攻してきている。少し苛々が溜まってきた。

 

 「……あぁ、どうも。じゃ、急いでるんでこれで」

 

 「行かせる訳ねーだろうが」

 

 無視して自動販売機の元へ歩き出そうとしたら、大股で近付いてきたリーダー、トムが肩を掴んできた。彼の背後で二人がこちらにゆっくり向かってくる。

 

 「そうそう、無視とか辛いよなぁ、ボブ」

 

 「俺達さぁ、式が始まるまで暇なんだよ。遊んでくんない?おチビ君」

 

 「退屈はさせねーぜ、あん時みたいに虐めてやんよ」

 

 「……、……?」

 

 「おいコラ、こっちがおかしな事を言ってる雰囲気出すな」

 

 「その憐れみに満ちた愛想笑いをやめろ!」

 

 量産型の台詞の意味が理解出来ず、とりあえず機嫌取りの笑みで乗り越えようとしたら怒られてしまった。インキュベーターじゃないが、訳が分からないよ。

 多分だが、この量産型共は何か大きな勘違いをしてはいないだろうか?でなければ、先程の様な台詞が出てくる筈がない。

 やたらこちらが『虐められっ子』みたいな扱いをしてくるが、昔こいつらは―――

 

 「てか、マジでこいつ、なんか雰囲気変わってね……?」

 

 「ああ、なあお前、あん時……眼鏡してなかったか?どうしたんだぁ?」

 

 む……そういえばそうだったか。道端に落ちている犬の排泄物に小枝を突っ込んで振り回してるような年頃の時、確かに自分は眼鏡っ子という奴だった。

 しかし、あれは視力補強用ではなく、斜視矯正用の眼鏡だ。遺伝のせいかは知らないが、幼い段階から斜視になりかけていた自分を不憫に思ってか、母が自分を連れて眼科にすっ飛んだ。その時に作った物の筈。早期対応の成果もあってか治療は無事完了、今となっては眼鏡生活からもおさらば、といった具合である。

 

 「眼鏡の有る無しでこんな印象変わんだな……」

 

 「あん時は干からびたナスビみてぇだと思ってたのに……」

 

 「俺的には萎びた雌ゴボウだった」

 

 「てかキモいなそのクマ!寝ろよ!」

 

 え?自分、こいつらからそんな風に思われてたの?本気でぶっ飛ばすぞ。

 

 ていうか干からびたナスビってどういう例え?どうして頑なに野菜で統一しようとしてんの?野菜みたいにペラペラだなって言いたいのか?馬鹿にしてんのか?

 萎びた雌ゴボウって何?雌?雌なのか自分?そもそも野菜に雄も雌も存在しないから!お前らの脳味噌の方がよっぽど野菜なんじゃないのか?…………、ヤバイ、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきたね、もう。

 た、たまに女と間違われる事のある体型だけれども、出生届はちゃんと性別・男で提出されてるんだぞ?ほ、本当なんだからな?

 ……ここまで自分の性別に不安を抱いたのは人生で初めてかもしれない。なんか、別の意味で泣きたくなってきた……。

 最後の悪口に至ってはある意味助言になってるし、何なんだこいつら。名前で呼んでこないのは何でだ。もしかして、最後まで『おチビ君』で貫き通す気かこいつら?はあ~、殴りたくなってきたな。

 

 ―――皆の前では『普通』にしていなさい。

 

 脳裏で母の言葉が蘇る。握った拳を慌てて解いた。

 

 ―――ねえ、『普通』って何?

 

 母ではない、誰かの言葉が過ぎった。三人組が目の前に居るので、視線の動きだけで周囲を見回した。そんな事をしたって何も見える筈がないのに。

 

 ―――これだけ馬鹿にされて、大人しく黙っているのが『普通』?

 

 くすくす。くすくす。

 何故だか、声の主が嘲笑の声を上げた気がした。

 

 ―――もう一度、こいつらに()()()()()()()()()

 

 「なあオイ、聞いてんのか?」

 

 未だに肩を掴んだまま、銀髪の少年―――トムがこちらの顔を腹の立つにやけ面で覗き込んでくる。

 何故だろう。その名前はどこか聞き覚えがある。

 

 ……そうだ。よくある名前。

 平凡で、下らなくて、量産型の、つまらない名前の主―――。

 

 でも、違う。違うのだ。

 こいつとは、違う。こいつじゃ、ない。

 

 昔、自分は確かに、そんな奴と―――。

 

 そんな奴()―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ずっと、()()()()()()()と思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「………ッッッ!!!?」

 

 

 躊躇い、なんてものは無かった。

 この行動の先にある未来がどういう道を辿るかなど考えず、クリアな思考のまま。

 目の前の男にぶら下がっている大事な部分を、力強く蹴り上げた。

 

 言葉にならない悲鳴、というヤツだろうか。少年は両手でそこを押さえて床を転げ回った。想像とは違って絶叫は上がらない。ひゅうひゅうと喘息に似た声を垂れ流し、悶絶しているだけ。お陰様で人が来る事も無かった。

 

 「ギ、ァ……ッ、オォ…………ッッッ!?」

 

 「て、テメェ!?」

 

 残った二人組が一瞬だけ倒れた少年を介抱する様な動作を取ったが、自分達では蘇生不可と悟ったのか彼を放置して戦闘態勢に入ってきた。

 

 「ふっ、ふざけた野郎が!いいぜ、死にてえようだなぁ!」

 

 「逆にお前のを潰してやらぁ!」

 

 自分も自分だが、こいつらは死者を弔う場所で一体何をしているんだか。ブーメラン全開の突っ込みはさておき、このまま大人しく蹂躙されるつもりはない。

 全力で拳を振りかぶってきた七三、マイクのパンチを間一髪で避ける。無防備に伸ばされたその腕を掴み、そのまま相手ごと体を捻って背負い、投げ飛ばす。

 かなりの体格差があったが投げようとした瞬間、ふっと相手の体が軽くなった。まるで『魔法』の様に重みが消えて、嘘の様に軽々と床へ叩き落とせたのだ。

 

 「ぐがはッ!?」

 

 背中から床に叩きつけられ、その呻き声を最後にマイクは沈黙した。だが安堵している暇はなく、第二の刺客、ボブがすぐそこまで迫っていた。

 彼はマイクの様な失態を演じまいと、腕を掴まれる危険性の高い正面を避けて横から殴りかかってきていた。単細胞ヤンキーだと思っていたが、少しは知恵が回るようだ。

 彼の拳は、両手の交差による防御で受け止める。少し痛みを感じたが、ダメージ自体は軽減出来ていた。

 そして、こちらの腕にばかり注意を向けている彼の無防備な下半身に向けて、足払いを掛けてやる。面白い程簡単にすっ転んだので、最初の攻撃方法と同じく、大事な部分を踏み潰してやった。車に轢かれた蛙の様な、短く小さい悲鳴が聞こえる。

 

 「ぐッ、ゲェッ……!?」

 

 あっという間に三人を制圧したその光景に、血が上っていた頭が我に返った。

 気が付けば、自分の周りには苦痛に呻き、横たわる生き物の姿しかいない。

 

 「…………、あ……、あ……」

 

 

 

 

 ―――一体、何でこんな事をしたのだろう。

 

 

 

 

 自分で自分が解らない。

 そんなつもりは、無かった。

 

 だって、こんな事をしてしまったら。

 こんな事をしたというのが、知られたら。

 

 母は、こいつらの親は、この状況をどう捉える?

 言い訳は効かない。嘘八百で大人に取り繕ったところで、こいつらの証言がそれを許さない。

 この家系の奴らの中に自分の味方は、()()()()いやしないというのに。

 

 ―――先に手を出したのは、自分だ。

 

 

 

 

 「違う……」

 

 彼らを傷付けた両手を見る。彼らを傷付けた両脚を見る。

 

 「違う」

 

 ここに一秒でも長く居る事に耐えられなくなって。

 

 「ボクはやってない……!」

 

 咄嗟に身を翻して走った。

 

 「そこで何をしているの?」

 

 ―――そんな事が、許される筈もなくて。

 

 自分が逃げようとした方向の反対側の階段下から、見覚えのある女性が上がってきていた。

 やけに目を引く艶やかな長髪の彼女の事は、記憶に残っている。三人組の中の、誰かの実親だった筈だ。

 

 …………、終わった。

 

 こんな場所で、こんな失態。

 言い逃れようのない現場。倒れる子供達と、無傷の自分。

 誰がどう見たって、この状況を作り出した元凶は明らかだ。

 

 「ちょっと……!どうしたのこれ……!」

 

 女性は慌てて駆け寄ってきて、三人組の傍にしゃがみ込んだ。彼らは倒れているものの意識はしっかりあるようで、女性に向けて掠れ声だが何かを伝える素振りを見せた。

 恐らくは、この状況の説明、もしくは報告に違いない。今頃はきっと、「あいつがやった」だのなんだの、事実をありのままに伝えているのだ。

 

 「…………、そ、そうなの……」

 

 女性はかなり驚いた表情を見せた。当然だ。体格差のある貧弱そうな子供が、男三人相手に無双したというのだから驚く他あるまい。

 もう逃げる事は諦めて仕方なく立ち尽くす。いつ降りかかるか解らない女性の断罪の言葉を待機していると、

 

 「……もう……何やってるの……あんたは……」

 

 女性の呆れた様子の言葉が聞こえてきて、訝しげに彼女を見つめる。向こうは溜息をつくとこちらへ視線を移してきた。その表情からは、こちらに対する憤りなどといった心情は読み取れない。

 

 ……一体、どういう……?

 

 「ああー……、ごめんなさいね。この子達は私が見るから……。()()()()()()()()()

 

 「…………、は……?」

 

 何を言っているのだろうか。気の抜けた声で聞き返すと、彼女は頬に片手を添えて恥ずかしそうに笑った。

 

 「もう、嫌になるわ。この子達ったら、この年になってはしゃいで、挙句階段で躓いて『そんなところ』打つなんて?一体いつになったら成長するのかしら、全く」

 

 「……ん、え?」

 

 「ああ、マイクは床で滑って背中からダイブって!確かにこういう所はね、床がツルツルなのよねぇ……。私も気を付けなくっちゃ」

 

 「は?は…………?」

 

 「ありがとうね、大して仲良くもないのに……動けないこの子達を見ていてくれてたんでしょう?もう良いから、貴方はお爺さんのところに行ってあげなさい」

 

 どうしよう。本当の意味で自分の頭がおかしくなったのだろうか。彼女の言っている事が全く理解出来ない。本当にどうしよう。

 

 (……いや。これは、あの時と、同じだ……)

 

 ―――そうだ。完全に思い出した。

 

 数年前、小学生の頃。

 好きでもない親族共がうようよやって来て、自分に与えられたとっても迷惑な贈り物が、あの三人組で。

 しょうもない諍いが起きて、自分の大事な私物を修復不可能なレベルで破壊された。

 その時、初めて他者に対する殺意と言う感情を知った。

 その昏い感情に支配されてぐちゃぐちゃになった頭で、当時、具体的に何を行ったかの記憶だけが曖昧だ。

 我に返った時には既に遅し。三人組は自分の周りで、命に別状は無かったものの失神して倒れていたのだ。

 

 まあどんなに記憶が曖昧だと言っても、犯人が誰かは疑う余地もない。

 ああこれは言い逃れが出来ないな―――当時の自分はどこか他人事の様に思って、覆しようがないこの結末を受け入れて、誰かに現場を発見されるまでぼんやりと待っているだけで。

 ところが、いざその瞬間が到来すると不思議な現象が起きた。

 大人達が駆け寄ってきて、三人組が介抱されて意識を取り戻した、決定的なその瞬間。

 あの三人組が証言した内容は、本当に意味不明の物だった。

 

 『勝手にはしゃぎ過ぎて、疲れて眠ってしまっていた』

 

 耳を疑った。今し方、己が何をされて無様に寝転がっていたのか覚えていないのか?と。

 大人達は当然、血の繋がった我が子の証言をあっさりと信じ込んで、犯人であろう自分には疑惑の目すら向けては来なかった。

 そして、どういう訳か各々の家へ帰る直前。三人組は悪辣な笑顔をこれ見よがしに浮かべてきて、捨て台詞を吐いた。

 

 『次もまた虐めてやる』

 

 もう、本当に訳が分からなかった。

 何故か、あの三人組は自分が一方的に蹂躙された癖に、その一切を覚えていなくて。

 挙句、「自分達が優位に立って悪逆を尽くした」と、有りもしない記憶を埋め込まれているようだった。

 去り際に呆然と見返した三人組の表情からは、見栄だの虚勢だのは全く読み取れなかった。

 つまり彼らの脳内には、こちらを甚振ってやったという虚構の記憶しか残されていないという―――原因不明で不可思議な現象が起きていた。

 

 ―――今、目の前で起きているのと違わぬ現象。

 

 「……ッ」

 

 動揺を悟られまいと咄嗟に愛想笑いを返し、その場を去る。

 あの時とは違い、普通に意識のある三人組は、終ぞ自分に向けて何かしらの言葉を掛けて来る事は無かった。

 ―――本当に、自分に攻撃されたという記憶が改竄されているのだ。

 

 (何故?どうして?何が起きている?)

 

 いくら考えを巡らせても理解出来ない。

 これはもう、あの三人組が脳に重大な欠陥、または障害を抱えているとしか思えない。

 記憶障害というヤツであろうか?人生のどこかで頭に甚大なダメージを受けて、それで『本当の出来事を記憶する能力』が欠落しているんじゃないか?

 そうだとしても、三人全員が全く同じ記憶障害を発症しているなんて偶然があるのだろうか?可能性的には、とても低い。

 或いは、意図的な記憶の改竄―――それが三人組に行われて、それで……

 

 (は?どうやって他人の記憶を弄るっていうんだ?どっかのSF映画じゃないんだぞ!)

 

 昔観た『トータル・リコール』という有名なSF映画では、人間の記憶を消したり記憶を与えたりするという、記憶改竄が可能な技術が存在していた。

 だがそれはただのフィクションであり、この現実の世界には有る訳が無いのだ。庶民は知り得ない裏社会にあったとしても、だ。一般人でしかないあの三人組にそんなヤバイ技術が施されるだろうか……いや、絶対に無い。

 

 (もう、終わったんだ……忘れよう)

 

 これ以上は拉致が明かない。

 とにかくも、自分が糾弾対象にならないのならそれに越した事はない。犯罪の隠蔽を犯してしまった後ろ暗い事情を抱えてしまったものの、大人共を欺けるのならば是非謎の恩恵にあやかろうではないか。

 自分がどれだけ考察を重ねたところで、あの三人の記憶が正常に戻りそうもないのだから。

 命に別状が無く嘘の証言までしてくれるなら、正直どうだって良いじゃないか。―――そう己に言い聞かせて、新たな目的地へと動いた。

 

 

 

 

 大きな扉を開けて入室すると、そこは式が執り行われる大部屋。

 規則正しく均等な間隔で並べられているパイプ椅子の間を通り抜けて正面へ進むと、真っ白い柩が鎮座している。奥に飾られた遺影には、力強い眼でこちらを射抜く老人がいた。

 この部屋の準備は済んでいるのか誰も見当たらない。これ幸いと、柩にゆっくり近付いてそっと触れてみた。

 

 「―――ペベレルさんのお孫さんじゃないか」

 

 何かしらの想念に浸る暇も無く、背後から声を掛けられた。聞き覚えがある柔らかい声。聞きたくはなかった毒色の声。

 

 「惜しい人を亡くしたよ。君もさぞ辛かっただろう?」

 

 刃の様に冷たく鋭い眼差しで振り向いてやると、真っ黒なスーツに身を包んだ壮年の男性が立っていた。理想の大人、とでも表現されそうな、模範的な笑顔の張り付いた胡散臭い男。

 

 「何せあの人は、やたら君に目を掛けていたみたいだから。親しい人間が突然この世を去る……これ以上の悲劇は無いよね?」

 

 「……別に目を掛けられてはないですけど」

 

 「いやいや。あの人、君を大層気に入ってはいたけれど、怒る時はしっかり怒っていたそうだし。私から見ても祖父の鑑というヤツに見えたよ」

 

 最悪だ。人生で五位以内にランキングする程最悪な人間に出くわしてしまった。

 何でよりにもよって、あの人の柩の真前で……。

 神がいたならとっくに殺している。ついでにこいつもだ。

 

 「……祖父に何か用でしょうか。お邪魔でしたらボクはこれで」

 

 「いや、久しぶりに会えたんだ。君と少し話したいと思ってね」

 

 「無いです」

 

 「言葉を省略するのは将来苦労するからやめた方が良い。君に無くても、私は君と話したい事があるんだ」

 

 「…………」

 

 気のせいと思いたい。男の目付きがどこか熱を帯びている風に見えるのを。

 何故かは解らないが、蛇に食いつかれ巻き付かれた鼠の姿が思い浮かんだ。

 

 「少し、いやかなり痩せたかな?成長期なのに不安になるよ、君の姿。ちゃんと食べているかい?そういえば君はかなりの偏食だったよね」

 

 何を言い出すかと思えば、見くびってもらっては困る。

 こちとら、夜中にはしっかりと栄養補給を行っているのだ、不備はない。それにしても、どうして深夜のラーメンってあんなにも蠱惑的でやめられない止まらないんだろうか。クソ、少しお腹が減ってきた。この野郎、飯テロの魂胆か?

 体に悪そうな時間帯と食品に限って、無性に「食べた」という満足感に支配されるのは不思議だ……。

 

 「ちゃんと食べてるし運動もしてますが、何か不満でも?」

 

 「……君はもう少し自分の容姿に興味を持った方が良いよ。見る人が見たら致死的な病気を疑う」

 

 「はあ、そうですか?」

 

 「その病的な体型、折角の器量が台無しだ。君が女の子だったら、外を出歩くだけで男の餌食だよ」

 

 何、こいつ?何言ってるの?ごめん、誰か説明してくれない?

 散髪が面倒で放置していた時とか、少し長くなった髪のせいで女の子に見間違えられた事はあるけれど(告白もされた)、流石に今の発言はセクハラという部類なのでは?やけに情動的な目付きを向けてくるのはそういう事なの?

 おい、誰かこいつを今すぐ投獄しろ、頼む。

 

 「ちょっと、意味不明なんですけど……貴方の言ってる事全部」

 

 「……ああ、可哀想に。やっぱり自分に自信が無いんだね?」

 

 すまない、会話の通じない奴は帰ってくれないか!

 

 「昔ね、うちの妻が君に酷い事を言った時を覚えているよ。あれは……本当にすまないと思っている。多分、そのせいだね。……君は自分を否定されて、自分に自信を持てなくされたんだろう?」

 

 何の事だろうか。

 確かに、こいつの妻には何かを言われた記憶はあるが、当時の自分はそれがどうでも良かったのだろう。全く覚えていない。どうでも良い事はさっさと忘れてしまう質なのだ。

 

 「君を『醜い余所者の子』だとか、『悪魔の子』だとか……。彼女に代わって謝罪する。本当にすまなかった……。君の自尊心を酷く傷付けてしまった。全く最低だ……妻のせいで、君は自分を醜いと思い込んでいるんだ」

 

 ………………。

 自分は、ここでどういう反応を返すのが正解なんだろうか。

 

 「別に……もう昔の事なので……。そういえば、自分は何かした覚えはないんですけど、彼女は何でそういう呼び方を……?」

 

 彼女に逢ったのはたったの一度きり。今日で二度目だが、何か罵倒されるような事は仕出かしていない筈。実際はしてしまっていたのだが、謎の記憶改竄によりそれらは無効だ。無効ったら無効なのだ。

 

 「ああ……我々の家系ではね、『余所者』との子供は不吉の象徴、なんて言い伝えがあるのだよ。とても古い言い伝えさ。だから彼女は……君の見目に拘らず、醜いだの辛辣な言葉を浴びせたんだ。全く愚かな事だよ。こんな美しい子供に対して失敬な……」

 

 「『余所者』?……父の事ですか?」

 

 最後の部分は聞き取れなかったフリをした。

 

 「そうだね。勿論、私はそんな言い伝えなんぞ信じちゃいない。誰と結ばれるかは君の母親の自由であり、その自由が侵害されるべきではないとも思っている。けれど、そうは思えない連中がうちには多くてね。君の母親も、結婚にあたって色々な苦労をしただろう」

 

 「その言い伝え、そんなに信憑性があるとでも?」

 

 「口伝でしかないが、実際にいたらしいんだ。過去に我々の家系と余所者との間に出来た子が、邪悪に染まり非道を尽くした―――そんな口伝がある。それを信じている者が、うちには多い。困った事にね」

 

 「非道……殺人鬼?」

 

 「まあ、似た様な者さ。本当に大勢の人間を殺したとか……。だから、我々と余所者の血を交わらせる訳にはいかない!……なんて豪語しているという事だ、彼女らは」

 

 確かに、そんな言い伝えがあるんじゃあしょうがない。先祖の二の舞を演じまいと、余所者との間に出来た子供を迫害してしまうのは……。

 

 「そういう理由……。ボク、そんなに人殺しみたいに見えるんですか」

 

 「…………」

 

 何だ?急に無言になったぞ。このタイミングでそれは本当に気持ち悪いからやめろ。

 

 「ふふっ……」

 

 え?何か笑い出した。

 どうしよう、警察を呼ぶ番号って何番だっけ?とりあえずポケットに入れてきた電子機器を……

 

 「ふ、ふふ…………何を言っているんだい、君は……。ずっと、ずっとしていたじゃないか」

 

 堪えきれない、といった様子で男は肩を震わせ声を殺し笑っている。演技ではない。本当におかしくて笑っているのだ。

 

 「―――君、ここに来てからずうっと、()()()()()()()()()()()()()()って顔をしていたじゃないか!」

 

 その時、冗談でも何でもなく、全身から血の気が引いた。実際、今血圧を測定したら著しく低下しているんじゃなかろうか。

 何を言われているのか分からない。理解したくもない。

 

 「……ああ、大丈夫。別に言いふらしたりしないよ……。だって、誰にでもある事さ!人生で、誰でも一度くらいは思った筈だ。『あいつを殺してやりたい』、なんてね。逆に、生まれてから一度も他人に対して、大なり小なり殺意を抱いた事がない、なんて人間は極小数だろう?」

 

 「……………………」

 

 「勿論、私にだってある!子供の頃……大人になってからも……。頻度こそ少ないが、煩わしい奴に出くわす度そういった感情が沸き上がる。だからね、そんなに悪い事ではないんだよ、殺意を抱く()()ならね。それを実行してしまう人間は論外だが……」

 

 言葉を失う自分を良い事に、ぺらぺらと流暢に回る舌は止まらない。

 

 「親しい祖父が消えてしまったからかい?それとも、嫌いな親族に会って癪に障ったからかな?……まあ、今の君みたいに内心絶望に支配され、『周りの奴ら全員死んでしまえ』、なんて思い込んでいる人間は珍しくもないよ。だから、そう気にする事はない」

 

 煽っているのか励ましているのか、目的の意図という物が全く分からない。

 

 「いやあ、それにしても、あれだけは不思議だ。前に妻がね、君の事をこう言ったんだ。『あの子は殺人を犯して生まれてきた』と。『あの子は生まれながらにして殺人者』なのだと、そう表現していたんだ。……流石の私も、彼女の正気を疑ったね。君も訳が分からないだろ?」

 

 あの女、そんな事を言っていたのか?一体自分に何の恨みがあるというのか。

 『殺人を犯して生まれてきた』?母の胎内で栄養を貰うだけの赤子が、生まれ落ちても泣き叫ぶ事しか出来ない赤子が、どうやって殺人を犯すって言うんだ?

 ―――一瞬、この目に映らない『何か』に睨まれたような、そんな感覚に襲われた。

 

 「君は、賢いからね。賢いから、『ソレ』を犯さない人間だ。私にだって分かるよ。誰だって、一時の感情で取り返しのつかない過ちを犯して、豚箱に押し込められたくはないものね。君もそれを解っているから、心で思うだけ。そうだろう?」

 

 「……何を……」

 

 「どんな理由であれこの社会じゃあ、善人だろうが悪人だろうが手に掛けてしまうと下手人は裁きの対象だ。最悪処刑の対象にもなる。……君もそうはなりたくないから、いつも心に仕舞い込むだけで済ます。激情を、飼い慣らす。私も同じだよ」

 

 「……、同じに、するな」

 

 ぽつり、と。

 何とかそれだけ搾り出した。

 男はわざとらしく眉を上下させたかと思うと、こちらの顔をまじまじと覗き込んできた。その仕草一つ一つが非常に腹立たしく感じる。否、これも奴の演出の一部なのだろう。こちらの激情を敢えて引っ張り出さんとする演出。こいつはかなりの策士だ。―――だから、嫌いだ。

 

 「ボクはお前達と違う。一緒にするな」

 

 「…………、へえ……。剥がれたね、仮面」

 

 あの三人組が浮かべるものとはまた違った、嫌らしい笑みが視界に広がる。

 

 「ま、君の言う通りだよ!君は他とは違う、特別なんだ!そう、特別……意味が解るかい?君はたくさんの『特別』を持って生まれてきた子だ、誇るといい。心無い言葉を掛ける連中に耳を貸すな。君は間違いなく特別で、本当は凄い子さ!だからそう思い込むんだ……。もっと自信を持っていい……もっと自分を愛するんだよ……」

 

 「は?愛する……だって?」

 

 この男、こんな奴だったのか……?興奮するとこんな妙ちきりんな事を言い出すタイプなのか?少し寒気がしてきた……。

 

 「そうだよ?だって考えてもみてくれ。『自分を信じられない、自分を愛せない』。そんな人間に、一体何を成せるっていうんだい。自己陶酔ってヤツは第三者から見たらしばしば嫌悪の対象になりがちだけれどね、自分の力を信用出来ない奴はなんにも出来ないよ、なんにも。行き過ぎればそれは傲慢へと成り果てるが、多少の自己愛は人間にとって必要不可欠なんだ」

 

 言っている意味が、解らなくはない。世界で大業を成し遂げてきた奴らは、少なくとも彼の言う様に自己愛を所有出来た者達だろう。

 

 「だから、君も自分を愛してあげなさい。賢く美しい人間が、一部の非情な者達によって貶められるのは間違っている……。自分を特別だと思いなさい」

 

 「……特別」

 

 「『周りとは違う』、『自分は優れてる』って思うんだよ。ああ、行き過ぎは破滅を招くからね?賢い君なら程々に留められるだろうさ」

 

 「さっきから何なんだ……。ボクは、『普通』だ……母さんもそれを望んで……」

 

 そう、そうだ。あの人が望むのなら、自分はそれに従って―――それで―――。

 それで、どうなんだろう。

 自分は、ただあの人に従う事で満足出来るのか?

 自分にとって、それは幸せなんだろうか。

 でも、別に、あの人が嫌いな訳じゃ……ない……。

 

 「……君は、私達の所に送られるのが嫌で、外国語が『出来ないフリ』をしたね?」

 

 また、血の気が引いた。

 この男は、どうやったかは知らないが、自分の全てを見抜いている。

 

 「ペベレルさんも君の意思を尊重して、私達の誘いを払い除けた。君の母親はより良い環境で君が育つ事を望んでいたから、彼に反対していたけれど……。結局、君が外国に馴染めないという事実が姿を現して、『引き取り』の話は破断する事になった。……でもね、私だけは解っていた。君が馴染めないフリを演じてるだけだってね」

 

 「証拠でもあると?」

 

 「まあ私見だけどね。そう、私見に過ぎないから、私は何も言えなかった。君の演技はそれはそれは素晴らしかったから、何を言っても破談は避けられなかっただろうねぇ」

 

 「…………………もう一度言いますけど、証拠なんてないですよ」

 

 「だろうね。さっき君の母親に訊ねたけれど、『その教科』に至っては君、成績がよろしくないって言ってたから」

 

 「……ッ?わざわざ母に……!?」

 

 こ、こいつ……!そんな、検察官みたいな証拠集めを……?何の為に、そこまでするんだ?

 

 「もう解るだろうけどさ、私は君を迎えたかったんだよ。君の才能というか、素養……だね。それが素晴らしかったから、君がこちら側に来るのが正解だと思っていた。それなのに……」

 

 男はそこで目の色が変わった。二重人格者みたいに、先程とはまるで違う獰猛な眼差しへと変貌した。

 

 「でも、君はこんなに大きくなった。あの時とは違う……誘いを断る彼も、居ない。最早『馴染めない』なんて君が作り上げた偽りの理由は、意味が無いんだよ。あの時の君は幼過ぎたから、言語能力の欠如が問題だったけれどね……その歳になれば、多少の欠如はどうとでも乗り越えられると周りは判断する。まあ……本当の君は、三言語話者(トリリンガル)な訳だけどね?」

 

 「は……」

 

 この男、どうして。何でそんな事まで知っている!?

 もう勘が良いとかそういうレベルを超えているぞ!?

 暇だからって理由で覚えたフランス語の事まで、何で知ってるんだ!

 え?暇で他国語を習得するのはおかしい?いや、何もおかしくはないだろ。将来色々有利になるし。

 ……まさかこいつ、心が読める系の超能力者か何かだろうか。親戚に斉木楠雄っていう少年がいたりはしないか?

 

 「ボクは……」

 

 一歩、後退る。すぐに背中が柩に当たって動きが止まる。逆に男は一歩踏み出してきた。

 

 「ボ、ボクは……行かない。あの国……()()()()なんかには、絶対行かない!」

 

 だって、だって、あの国には…………。

 

 ―――□□□□□□が、居る。

 

 …………あれ。何で、こんなにもあの国に恐怖を感じるんだろうか……?

 昔から、何かが怖くて恐ろしくて。

 あの国で暮らす親族に引き取られそうになるのを、必死で拒んでいた。

 それなのに。

 

 「全く……こんな国のどこが良いと言うのか。彼の葬儀でなければ戻ってはこないというのに。葬儀でさえもこの国のやり方で執り行うとは寝耳に水だったよ。でも僥倖だったかな。君の身柄に関して口を挟む者は消えた。君の父母さえ、拒む事はしないだろう。特に君の父親はね」

 

 「ふざけるな。何でだよ。近付いてくるな!お前の言ってる事、意味わか―――」

 

 退路を塞ぐ柩に背中を押し付けたまま身を捩って距離を取ろうとした時、ツルリとした質感の床に足が滑って尻餅をついてしまった。誰だこの床掃除した奴、マジで覚えてろよ。

 

 「君のお母さんにもちゃんと話を付けるから…………さあこっちに……」

 

 男の手が伸びてくる。さっきの三人組の時みたく、何か抵抗すればいいものをどうしてか目を瞑る事しか出来ない。足を捻ったのか瞬時に起き上がれない。

 

 その時、ドクン、と腹の底で何かが蠢いた気がした。

 それは血管を通して全身を巡り、上半身から肩へ、肩から腕へ、腕から指先へと渡っていき―――

 

 気付いたら、身体が勝手に動いていた。

 床に転倒したこちらと目線を合わせる様にしゃがんだ男の額に向けて、ビシリと人差し指を突き付ける。速過ぎたのか男はまだ反応しない。己の指と男の皮膚が接触すると同時に、またも口が勝手に動いて何事かを呟いた。

 

 「《忘れろ》」

 

 まるで知らない誰かが乗り移って、自分の身体を人形みたいに動かした様な感覚に陥った。

 男は全身を硬直させて動かなくなってしまった。こちらへ手を伸ばした体勢のまま、全くと言って良い程動かない。表情も固まっている。リアクションすらしない。

 一体何が起きたのか、そして何をやってしまったのか。どこかの弁護士みたいに指を突き付けたまま、ひたすら脳内に疑問符の新芽を芽吹かせる事しか出来なかった。

 

 「え……っと……、あの………………」

 

 何か、何か言わなければともごもご呟いていると、男が一瞬だけぎょろりと白目を剥いた。思わず出かけた悲鳴を嚥下すると慌てて伸ばしていた腕を引っ込める。

 しかし男に異変が生じたのは一瞬の事。剥いた白目はすぐに治り、瞳は正常な輝きを取り戻した。

 

 「…………?……あ……れ、ん?君……大丈夫かい?」

 

 数度の瞬きの後、男は我に返った様子で、今気付いたと言わんばかりの驚いた表情を浮かべた。そこにはもう、黒く妖しい情熱は灯っていない。未だ転んだままの自分を見下ろして、再び手を伸ばしてくる。

 自分もまた、驚く程素直に伸ばされた手を掴んで引っ張り上げてもらった。ぼうっと男を見返していると、彼は不安げな表情で部屋を見回し始める。

 

 「おや……私、いつここに入ったかな……?確か、君のお母さんと話を……して……」

 

 「…………、」

 

 ―――また、同じだ。

 この男も、また…………()()()

 そして、今回の犯人は一目瞭然――――――紛れもなく、自分自身だ。

 どうしてとか、どうやってとか、今考えている暇は無い。

 

 「それじゃ、ボクは失礼します」

 

 それだけ言い残して、男の返事を待つ事すらせずに部屋の出口へさっさと飛び込んだ。

 何か気まずげに呼び止める様な言葉が背中に刺さった気もするが、振り返りはしない。

 臭い物に蓋をする様に、部屋の扉はしっかりと閉めてから退室する。外の広間にはいよいよ人が集まってきていた。祖父の友人知人、親族……皆が一様にこちらへ視線を寄越す。

 

 「あ……」

 

 人目を引く容貌の事をすっかり失念していた。咄嗟に集まる視線の方向から顔を逸らして、そそくさとその場を退散する。主に女性陣の方から色めき立った声が上がったのは、多分気のせい。

 

 「ん、ぐっ……!?」

 

 早足で去っていく中、鼻の奥で何かがドロリと蠢いた。咄嗟に押さえた手の指に、真っ赤な液体が付着する。

 

 (鼻、血…………?)

 

 そういえば、何だか頭痛もしてきた。休憩なしにぶっ続けでゲームをした時の様な、疲労による頭痛に似ている。

 三人組相手にハッスルしたり、滑って転んだりしたからか?それにしたって鼻血と頭痛の発生は関連性が無さ過ぎるような……。まさか、ストレス性のもの?

 

 (どうでもいい…………。もう、どうでも……)

 

 後悔、絶望、失意、憎悪、殺意。

 自分の肉体が、様々な負の感情を放り込まれた洗濯機みたいになった気がした。心の内で浄化が済むまで、それらを掻き混ぜ続ける邪悪な洗濯機。

 

 「…………死にたい……」

 

 他人ではなく自分に向けた怨嗟の声が、誰の耳に届く事も無く外気に混じっては消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――結局、あれから葬式自体は恙無く終了した。

 

 涙の一滴すら流れる事は無くて、自分はこんなにも薄情な奴だったのかと、どこか他人事の様に自分を毒づいた。

 砂漠の如く乾燥しきった死んだ目で式に参加しているこちらを見て、大半の親族共は(聞こえていないと思い込んでいる)小声で様々な憎まれ口を叩いていた。実の祖父の葬式で、泣きもせずにぼけっと無表情でいる子供がいたら、多分誰だってそうなる気はする。

 

 終始、あの手この手でこちらに声を掛けようとしてきたあの男……は、一切合切、人目を気にせず無視または回避を徹底し続けた。

 それを悟った男は遂に母へ直接声を掛けようとしてきたので、終いには突然の体調不良を演じて親族の誰よりも先に帰宅を促す他無かった。まあ、実際に断続的頭痛と止まらない鼻血で不調を来たしていたのだが。

 こちらの計画は無事に成功を収め、現在はあの窮屈な式場から抜け出し故郷たるこの村へと帰って来ている。

 

 ……正直、式の最中どうやって過ごしたかは殆ど記憶に残っていない。

 お経やら焼香やらでこの国に慣れていない連中が手間取っていた記憶はあるが、自分はどうしたかが覚えていない。別にどうでもいいか……。

 あの三人組は大事な部分が大変な事になっているからか、途中で早退していった。流石にあの時は少しやり過ぎたと反省はした、ほんのちょっぴり。人が苦しむ様を眺めるのはどうしてああも愉快な気持ちになるのだろう。

 まあ人間の急所をピンポイントキルなんて、子供の力で動物の首をぶった斬るより容易い事だ。精々背中を強打しただけの奴は最後までいたけれど。あ、もう名前忘れたな……。

 最後まで何も言ってこなかったという事は、彼らの記憶改竄は一時的な物ではなく、どうやら永続しているようだった。あの調子では改竄が解ける事を恐れる必要は無いのかもしれない。

 

 ―――あれはどういう事だったのだろう。

 本当に、あれは自分が引き起こした現象なのだろうか。

 人の記憶を弄って、都合の悪い出来事を無かった事にした。

 幸運だったとかそんな楽観的な気持ちに浸る事は出来なかった。常識的に考えて、有り得ないだろという所見で頭がいっぱいである。

 ここで「自分にはこんな力が!」、なんて騒ぐのはただの痛々しい馬鹿な子供だ。全米から哀れみの対象まっしぐらである。

 発動条件は一体何なんだろうか?直接接触?三人組の時は確かに全員直接触れる攻撃を行った。あの男の時も触れた途端に異変が生じたし、恐らくは……そうなのだろうが……。

 

 ―――これ以上は考えても無駄だ。解らない解らないと喚いたとて、親切に教えてくれる人間など誰もいやしないのだから。

 

 「今は、こっち優先だな……」

 

 時刻は深夜。

 場所は雑木林。

 昼夜問わず漆黒の闇を湛えるこの林の奥には、昔からうちの家系に属する者達を葬る墓地がある。現在の目的地はそこだった。

 何故そんな場所へ向かっているのかというと、今朝母へ訊ねた、『もう一つのへその緒』の所有者だった存在を探す為である。別にこの調査自体、明日の明るい時間帯でも良かったのだがどうしても大人しくしていられず、こうしてこんな闇の中を歩く羽目になっている。

 

 家を抜け出しているのがバレないように、ベッド上のかけ布団をもっこりさせておくという漫画などでよく見る典型的な細工を施しておいた。近寄って触られたらバレバレのしょうもない愚策なのだが、しないよりマシだ。まあ、両親が夜中に部屋に侵入してくる事は滅多にないので大丈夫だとは思うが……。

 というか、通常時であっても睡眠中の自分を目撃されるのは拒否したい。

 前に寝ている間の自分はどういう寝相をしているのか気になって、購入してきた定点カメラで爆睡中の自身を撮影したところ、とてもじゃないが他人に見せられない衝撃映像が撮れてしまった。以来、母には強く「夜は部屋に入って来ないで欲しい」と懇願している。

 勿論、この世に誕生してしまった悍ましい映像は速攻カメラごと焼却処分した。勿体無いとかそんな悠長を言っていられる場合ではなかった。何で炎を使用したかというと、あれで自分自身も浄化出来ないかと思ったからだ。古代から炎は穢れを浄化する物と決まっているのだ。

 

 (母さんの実子で、戸籍に存在しない。けれどへその緒だけは残っている……。こいつの所在地は、消去法でここしか無い……)

 

 出産の前に既に死亡している場合、その赤子が戸籍に記される事は無いらしい。へその緒の持ち主の正体は、きっとそんな状況下でこの世に姿を現した母の子ではないかと推測した。つまり、自分の兄姉、または弟妹にあたるかもしれない。

 ……自分が過去に描いた落書きを関連付けて真に受けるならば、そいつの性別は多分男だ。

 既に死んでいるならば、そして母の子だというのならば。そいつの遺骨が送られた場所はあの墓地に違いあるまい。この推理の真偽を確かめる為に、闇夜の中を彷徨い歩く。

 

 あの墓地を訪れた事は指で数えられる程しかない。慣れない土地。故に、この視界の悪い中無事に辿り着けるかが懸念材料である。念の為、自衛に使える武器を携帯してきたので最悪の事態にはならないと踏んでいるが。こんな時間の外出であるが故、こちらの準備はばっちりモーマンタイだ。

 ちなみに夜間の外出を行う場合、今の自分の様に真っ黒いジャケットを羽織るべきではない。もし道路などを歩く際車の運転手に存在を認識されず、轢かれる危険性が増す。あの世送りの確率を高めたくないならば、素直に白い衣服を着用すべきである。

 では何故お前は黒を着ているかって?理由は単純、汚れの目立つ色を忌避して、白系のアウターウェアを持っていなかったから!あれでカレーうどんとか注文しようもんなら死ねるからね、仕方ないね。

 

 (こっちで合ってる……よな?)

 

 懐中電灯が家のどこにあるか分からず、また探すような素振りを発見される訳にもいかなかったので、ライトは電子機器で代用。充電はフル、モバイルバッテリーも所持で何の不備はない。

 包み込んでくる闇を人工的な明かりで切り裂き暴いていく。今のところ何の問題も無く目的地へ接近出来ているようだった。

 

 「…………、…………」

 

 ―――これは、問題発生のカテゴリーに入るのだろうか。

 

 道中、不自然に雑草が繁茂していない土のエリアに差し掛かったかと思ったら、そのど真ん中に妙な物が落ちているのを発見した。してしまった。

 形状は、細く、長く。第一印象は木の枝みたいだと思った。色は暗闇で目立つ白色だが、骨を連想させる不気味な輝きを放っている。枝らしきそれは、真ん中あたりに黒く塗り潰された凹凸模様が刻まれていた。

 

 (いや、いや―――墓地が近いからって、人骨じゃあないよな?)

 

 白くて骨の様な枝、それもこんな所に落ちているとなると益々不気味だが、本物の骨が野晒しに落ちているなんてまず有り得ない。骨だったとしても、野生動物の物である可能性の方が高い。

 とりあえず湧き上がった好奇心でその枝らしき物を手に取ってみた。

 

 「……、ふーん…………?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 まじまじと手元から先端まで観察する。目測だが30センチ程の長さを有しているのが判った。握った質感からして、木で出来ているのも間違いない。

 詳細をいくつか把握する事が出来ても、これが放ち続ける不気味さが減少する事は無かった。人骨じゃないのが判ったというのに、こうして触れているのが薄気味悪くて居心地悪い。

 こんな棒切れ、わざわざ調べるまでもなかった。捨ててしまえ、と茂みの向こうに放り投げようとして―――

 

 「……は、はぁ!?」

 

 振った手からそれが放たれる事は無く、接着剤でくっついた様に己の手指が棒切れをしっかりと握り込んで離れなかった。慌ててその場でブンブンと上下に繰り返し振るも、一向に握る力は緩まず離れない。

 自分の精神はこれを手放したいのに、肉体は言う事を聞かずに握り続けている。全く意味が解らない。

 まるで、遠い昔に無くした落し物をようやく見付けて拾った様な、そんな錯覚さえしてきて―――

 

 「い、や…………冗談にもならない、離せって……ッ。この、何なんだ……よッ!」

 

 いつまで経っても好転しない状況に腹が立って、堪らず近くに生えていた樹に走り寄り、棒切れを握った己の右手を幹へと全力で叩き付けた。

 痛い、これはかなり痛い。呻くと同時、痛みによって命令を無視し続けた神経が我に返ったのか、右手はようやく開いて棒切れを手放してくれた。

 

 カラン、と小さな音を立てて棒切れは再び地面を転がる。その様子を目で追った瞬間、耳から心臓が飛び出たかと思う程、全身がドクリと強く脈打った。

 

 「…………あ、っ…………………!?」

 

 ザリザリザリッ!と、深夜に突如砂嵐に切り替わるテレビの様に。

 視界が、今いる世界とは全く別の景色に塗り潰される。

 

 

 

 

 『―――さあ―――決闘だ』

 

 墓場……墓場が見える。今自分が目指しているのとは違う。西洋の、所々が荒れた墓場……。

 

 『俺様から隠れられるものか。もう決闘は飽きたのか?』

 

 閃光が迸る。墓石が砕けた音がする……。銃撃か何かだろうか……。

 

 『どけ!俺様が殺してやる!奴は俺様のものだ!』

 

 こちらに背中を向けて逃げ惑う少年がいた。地面に横たわる何かに向かって必死に走っているようだった。

 気が付けば少年は風が拭く様に消えていて、耳元で誰かの憤怒に満ちた叫び声が上がった。喧しくて鼓膜が痛い。両目を固く閉じて耐えていると、不意に、

 

 【―――目を醒ませ!】

 

 叫び声の主とは違う誰かの声がした。同時に、胸倉を掴まれて身体を揺さぶられる感覚。

 

 【こんなモノに呑まれるなよ………‥ただの、他人の記憶だ!】

 

 男の声だった。低くも高くもない。姿は見えないのに、どうしてか同い年くらいの人間の声だと思った。―――何処かで、聞き覚えがあると思った。

 

 【解ったなら早く行け……。多分何かが来る…………ここを離れるんだ!下らない好奇心で命を捨てるんじゃない!】

 

 掴まれた胸倉を、今度は突き飛ばされた。為すすべもなく背中から地面に倒れる。反射的に肺の空気が吐き出され、数度咳き込んだ。

 

 

 

 

 「…………はッ…………」

 

 いつの間にか、視界は雑木林の景色を映していた。周りの全てが元に戻っていた。

 唯一違う点があるとすれば、それは己の体勢。先程の体験と同じく、仰向けになって倒れているままだった。

 

 「………ッ!!」

 

 ぞくり、と全身が粟立った。

 訳が分からない。だけれど、このままここに寝転がっていては最悪の事態を招く、そんな予感だけがした。

 今起こった事の推測、そんなものは放り捨ててさっと立ち上がる。地面に転がる棒切れが再び視界に入って、説明し難い激情に駆られた。

 

 「この……ッ!」

 

 勢い良く棒切れを蹴飛ばした。綺麗な放物線を描いて、それは望み通り茂みの向こうへ飛んであっという間に見えなくなった。ナイスショット。

 それを確認してすぐに走り出す。目指すは謎の命令を無視した、当初の目的地。

 

 「……誰か知らないけど、指図されるのは嫌いなんだよ!」

 

 いるかどうかも解らぬ誰かへ叫んだ。

 そうだ。例え今の忠告が真実で現実のものであったとしても、大人しく従う気など更々無かった。そもそも、目的を達成していないのにここを離れられる訳がないだろう。

 

 「……『何か』って何だよ……知るか!もうさっさと済ませる……!あいつの墓を見付けたら、すぐに帰る……」

 

 何やら危険な存在が近くにいるようなお言葉を貰った。ならば目的を素早く達成した後、寄り道せずに帰宅すれば良いだけの話。調査を明日以降にする、という選択肢は無かった。

 

 「夢だろ……こんなの夢だ……。何がいるって言うんだよ、ゾンビか!?馬鹿馬鹿しい……!」

 

 夜の墓地と言えばそういうのがお約束だ。或いは、悪霊?どちらにせよ、最早後戻りは出来ない。そんな奴らが実在したとて、逆に返り討ちにしてやる自信があった。

 

 「―――ァ、アアアアアアアアア!!!」

 

 突然、空気が震える勢いの絶叫が響き渡った。自分の物ではない。何事かと叫び声の方角を立ち止まって探る。

 

 「……なっ、本当に、何が起こってるんだ……」

 

 こんな時間に、こんな場所で、自分以外の一般人が彷徨いている?

 もう、本当に訳が分からないし頭も回らなくなってきた。短期間に色々なトラブルが発生し過ぎだ、いい加減にしろ!

 しかし、もしこの声の主が一般人であるならば、この地帯で発生中の謎現象について何かしらの情報を持っているかもしれない。見付けて会話にまで持っていけないだろうか?

 絶叫の上がった方向へ急ぎ走る。多少は鍛えている身であるが故、まだまだスタミナに余裕はありそうだ。

 

 辿り着いた場所、少し開けた林の真ん中。絶叫の主は先程の自分と同じ様に仰向けに転がっているのを発見した。

 

 「ヒッ……!?あ、ァァ?お、おま、お前…………ハァ!?」

 

 転がっているのは銀髪の少年だった。顔面いっぱいに恐怖の表情を貼り付けて、全身を震わせながら急に現れたこちらを凝視してくる。

 

 「何でッ……!?おま、えっ?何だ、マジで何なんだ!?どういう、何が、アア……ッ!?」

 

 「……………いや、それはこっちの台詞……」

 

 ―――こいつ、何でここでこいつを見かける事になるんだ!?

 ……そう、こいつは今日の葬式で絡んできやがった三人組のリーダーだ。名前は―――

 

 「テミー!?」

 

 「お前ふざけてんなよ、トムだッ!!」

 

 し、しまった。驚愕のあまり間違えてしまった。誰だテミーって、某RPGで隠しボスやってたり村の名前になってたりする謎生物じゃないか。

 ……何か面倒臭いな?もう、テミーで良くないか?正直どっちも対して変わらんだろ。よし、今からお前はテミーだ喜べ。

 

 「家に帰った筈だろ……?何でお前……いや、何で君がここに?」

 

 咄嗟に素のまま言葉が出そうになったので慌てて取り繕う。こいつらは、どうも「俺達の方が虐めっ子だ」という記憶改竄が続いているので、変にそれが解けないように自分は虐められっ子のままでいくとしよう。

 

 「それはッ!俺が聞きてぇよ!何でお前も……いや、そもそも!……俺は、家で寝てた筈なんだよ、こんなクソ田舎、誰が夜中に彷徨くかッ!ふざけてんじゃねぇぞクソ!!」

 

 「いや……一応、ちょっと行けば映画館持ちのデパートはあるし、クソ田舎って程では……」

 

 「誰がどう見たってクソ田舎だよクソ野郎!何だここ、周りはどっこも田んぼばっかじゃねぇか!クソッ、クソッ!」

 

 何だこいつ、こんな所で出くわしたかと思ったらクソクソ喧しくて敵わない。お前の顔面に肥溜めの中身をぶっかけてやろうか。そしたらお前も立派なクソ野郎だ、文字通りのな。

 

 「寝てたって……寝ている人間がどうやってそのクソ田舎の、こんな林の中で転がるっていう結末に繋がるんだ……?」

 

 「し、知らねぇ……マジで知らねぇんだ!気付いたらここに寝てて、おかしいだろ!?寝惚けて彷徨いてたってよ、ここと俺の家、どんだけ距離があると思ってんだよ!?」

 

 「まあ……普通に県を越えてるし……夢遊病患者だって無理だろうけど」

 

 「―――てか、んな事より助けろや!何でお前もいるかはこの際どうだって良い。むしろ好都合だ!さっさと助けろ!」

 

 「……………?」

 

 「う、動けねぇんだよ!何か、全身が重くてッ……、自力じゃ、起き上が……れ、ぐっ……」

 

 改めてじっくり様子を観察すると、どうやら仰向けのまま動けないようだ。まるで何かが胸の上に伸し掛っている……よう、な……。

 

 「……、な、なぁ、何ッ、見てんだよ……?何か、見えんのか……?な、何もいねぇ、だろ……!?おい!」

 

 「……………………………………」

 

 妙だと思っていた。こんなに大声を出し続ける元気があるのに、一向に起き上がろうとしてこないのが。

 原因は明白だった。……明白なのは、何故か自分だけのようだが。

 

 「…………、あのさ……。全身が重い、それだけ?」

 

 「そ、そうだ、何か知らんけど重い……。でも、何も無いのに!お、おかしいってこんなの!」

 

 「………………そう、そうなのか……」

 

 「な、何だ、何だよ。何も無いだろォ!?良いから、早く助けッ―――」

 

 動けないのを良い事に懇願を無視して、少年を観察し続ける。

 

 ―――彼の全身に、黒煙の様にぼやけた大量の蛇が巻き付いて、拘束しているのが視える。

 一瞬の後、それらが正常な生物ではないと確信出来た。蛇の輪郭はどいつもこいつも揺らめく陽炎の有様。スルスルと絶え間なく動きながら少年の全身を這い回り、その動きを強く封じているようだった。何匹かは最早数え切れない。これだけ無数の蛇を間近で目撃したのは初めてだ。苦手な生き物ではないが、目にした光景のインパクトの強さに打たれ、流石に少し恐怖を感じた。……一部の特殊な嗜好をお持ちの方が喜びそうな絵面である気もする。

 いつ無防備な皮膚に食いつかれるか分かったものではない。彼にとって、自分を襲うモノの正体が不明である事は幸運だったろう。その目にこの光景が映れば最後、きっと正気を失いかねない。

 ……何で自分には視えるのか、解らないけれど。

 

 「…………手遅れだよ」

 

 ぽつり、一言。

 それは、直球な死刑宣告。

 

 「もう、君……手遅れだ。悪いけど、ボクは急ぎの用があるからもう行く」

 

 「ハッ?……おい、おいおいおい、変な冗談は良いって。……良いから、さァ!助けてくれよ、なあ!?」

 

 命乞いをする悪役みたいな表情に変わり果て、今にも泣きそうな両目をかっ開いて必死に縋り付かれる。

 だが、彼に纏わり付く蛇をどうにかするなんて選択肢は無い。下手に触って、自分が巻き込まれるのだけは何としてでも避けるべきだ。あんなあられもない姿を晒す事になるのは勘弁したい。

 と、その時だ。彼の身体の上を這いずり回っていた蛇が、一斉にこちらへと長い首を向けて視線を飛ばしてきた。それは痛いぐらいに真っ直ぐこちらを射抜いており、目が合った瞬間自分が蛙になった錯覚を覚えた。

 

 「……ッ」

 

 ……何だろう。「視えてんのか?」、みたいな空気を感じる。これ、視えてる事がバレたら矛先がこっちに来ないか?

 蛇は全く視線を外してくれない。じーっと、品定めをする子供の様な純粋な視線を注ぎ続けてやめない。

 

 ―――こんな話を聞いた事がある。

 幽霊が視える人間の話だ。

 その人間は、自分が『視える人間』である事が幽霊側にバレると、自分の想いをブチ撒け伝えようと必死になった幽霊共に取り憑かれてしまうという。

 幽霊からしたら、もう『視える人間』にしか頼れないのだから、取り憑こうとするのも自然な流れだろう。

 だから厄介事に巻き込まれぬようにと、『視える人間』は幽霊が『視えないフリ』を演じるらしい。

 実に納得のいく、理に適った行動である。

 

 ―――なので、自分もそうする事にした。

 

 「…………サラダバー」

 

 「―――おいッ、待て!待ってくれ、待って下さい!!ほんとに、マジでッ!今までの事は謝るからッ―――」

 

 捲し立てられる懇願の言葉を振り切り、踵を返して走り出す。目指すは当初の目的地、ただ一つ。

 ……耳栓を持って来れば良かったかな、と、今の状況を少し後悔した。

 

 背後から止まない悲鳴から一秒でも早く逃れる為、加速。一度だけ振り向いてみたが、黒煙の蛇達が追ってくる様子は無かった。自分の選択は、正解だったらしい。

 別に、復讐とかじゃない。それすらも最早どうでも良かった。単に、巻き込まれるだなんて絶対に嫌だったからだ。こいつは多分、ここに迷い込まなくてもいつか何らかの要因で自滅していただろう。復讐する価値すら無いのだ。

 

 「ギッ、アアァァァァァァァァ―――ッッッ!!?」

 

 「ッ!!」

 

 数分ぐらい走ったその時、かなりの遠方で一際甲高い絶叫が迸った。

 ……確実に、『何か』が彼の元へ姿を現した。自身は更に加速する。もう後ろを振り返る余裕は無かった。

 さよならテミー。君の事は忘れない。……5000秒くらいは。

 

 とにかく夢でも現実でも良い。今はただ、自分が此処へやって来た目的を果たしたい。

 『何か』、にこちらの位置が捕捉されぬようにライトは消した。深夜の林でそれは自殺行為に等しかったけれど、何故か己の視界は昼間と変わらぬ目の前の景色を映し出している。自分が夜行性の動物になったみたいだった。別に昔からそういう体質だったとかじゃない。たった今初めて、暗闇でも正常な視力を保っている事に気付いた。……理由なんてどうでも良い。

 

 そうして走り続けて、息が切れるまで走り続けて。

 遂に、目的の場所へと足を踏み入れた。

 

 等間隔で、縦横にずらりと並ぶ墓石。林の奥に鎮座するそれらに、当然ながらお供え物などは置かれていない。此処を定期的に訪問する珍客など、かつての祖父しかいなかったからだ。記憶にある限りでは、母でさえ一度や二度くらいしか行かなかった筈。

 墓石はどれも埃っぽくて苔の匂いを放っており、清潔感とは無縁そうだった。祖父が最後に訪れたのは半年以上も前の事で、この現状は仕方が無いものだ。

 

 「T、だ…………Tの筈………」

 

 墓石はこの国の形状に沿った物なのだが、刻まれている文字は全て英語という異様な光景だった。なのに名字と名前の並びはこの国の表記と同じである。うちの先祖は元々英国人だからこんな方針を取ったのだろうか?文化という物は混ぜれば良いってもんじゃないが、こればっかりは自分が口出ししてもしょうがない。

 とにかく、今探している死者が母の子であるならば、そいつの遺骨が納められた墓の名前には最初にTが刻まれている筈だ。

 夜目の効く視界を駆使して一つ一つを素早く確認していく。あまりモタモタしていると、『何か』が自分の元にもやってくるんじゃないかという焦りがあった。

 

 「ッ、あっ………た…………」

 

 そして見付けた。自分の家族と同じ名字。

 この名字は、両親以外で自分の兄姉か弟妹、そして子供や孫にしか与えられぬ物だ。そして言わずもがなだが、自分には子供も孫もいる訳がない。いたらそれはもう一種のホラーだ。

 そもそも子供とか孫とか、何をどうしたら生まれるのかさえまだ知らない。昔祖父に訊ねた時は男女の合体がどうとかなんとか言っていた記憶があるが、最後まで聞く前に何処からともなく母が出現して、その場から祖父を強制退場させてしまった為何も知らないのだ。あの時の二人は物凄く気まずそうにしていたが一体何故なのだろう。

 

 「……この名字の墓があるという事は……やっぱり……」

 

 両親は健在だ。ならば、やはりこいつは母の実子であり、自分の―――。

 母はこいつにどんな名前を付けていたのだろうと、墓に刻まれた文字をもっと調べようとして。

 

 

 

 

 「隕倶サ倥¢縺溘◇窶ヲ窶ヲ」

 「見付けたぞ……」

 

 

 

 

 背後から謎の声がした。

 同時に、脳内で鳴り響く盛大な警戒音。

 ばっと振り向いて声の主を視認した瞬間、言葉を失うしかなかった。

 

 「驕ゥ莉サ閠??ヲ窶ヲ縺ゅ?譎ゅ?窶ヲ窶ヲ」

 「適任者……あの時の……」

 

 そいつは至近距離で自分を見下ろしていた。

 全身を黒いローブですっぽりと包んでいて、僅かに晒された手と足は病的なまでに青白く、痩せ細っている。不自然に長い蜘蛛の様な指、骨まで浮き出た裸足……。人骨に申し訳程度の皮膚を貼り付けた不出来な人形みたいだ、と思った。

 ちらりとフードから覗いた頭部には―――顔が、無かった。それはまるで、この国に伝わる『のっぺらぼう』とかいう妖怪を思い起こさせる。目鼻も口耳も体毛も無い。ただ青白い皮膚がそこにあるだけ。なのに、そいつにある筈のない両目で凝視されている気がした。

 

 「莉雁コヲ縺薙◎菫コ讒倥?迚ゥ縺ォ」

 「今度こそ俺様の物に」

 

 口が無いのに声がする。口が無いのに声がする!?何でだ!?

 しかもこの声、人間の言葉じゃない!タイヤから空気を抜く時の様な、シューシューとした空気音。

 何とか意味を聞き取ろうと澄ませた耳には、微妙に息遣いの差異や高低音の使い分けを感じ取れる。信じられない事だが、これはただの音ではなく―――何か意味のある言葉なのだ。

 

 こいつは、意味のある言葉を使用する―――知性を有した化け物なのだ!

 

 「縺薙l縺瑚ィ?闡峨□縺ィ豌嶺サ倥>縺溘?縺具シ滄囂蛻?→閨。譏弱□縺ェ」

 「これが言葉だと気付いたのか?随分と聡明だな」

 

 硬直したまま化け物と向き合っていると(目が無いのでこの表現が正しいか解らない)、また謎の空気音を放たれた。

 何、これ?昔流行った水素の音?水素水は健康に良いとか言ってるけど、多分あれはただの詐欺だぞ。頼むから人間の言葉で喋ってくれ。

 

 「菴呵」輔′縺ゅk縺ェ縲ゆソコ讒倥r逵シ蜑阪↓縺励※謌ッ縺代◆閠?∴莠九→縺ッ」

 「余裕があるな。俺様を眼前にして戯けた考え事とは」

 

 ……、こいつ、もしかして、今自分の思考を読み取ったのか!?

 意味は解らないけれど、何となくこちらの考えを見透かした様な言葉に聞こえたのだ。

 顔が無いから、向こうの心は読み取れない。なんという反則級な姿をしているんだ、ズルい。こちらの考えはどうやら筒抜けのようなのに!

 

 「窶ヲ窶ヲ縺サ縺?シ溽┌諢剰ュ倥?髢牙ソ?。薙°縲ゅd縺ッ繧翫♀蜑阪?莉悶?莠コ髢薙→縺ッ驕輔≧窶ヲ窶ヲ縲ゅ%縺ョ荳也阜縺ァ鬲泌鴨繧呈戟縺」縺ヲ縺?k縺ェ?」

 「……ほう?無意識の閉心術か。やはりお前は他の人間とは違う……。この世界で魔力を持っているな?」

 

 逃げろ。

 こんな人外の言葉を喋る化け物と、いつまでにらめっこしてるんだ。

 さっきの絶叫、きっとこいつを見てしまったが為に上げた悲鳴だったんだ。あいつが無事かは知らないが、こんな奴の傍になんて誰が居たいと思うだろうか。否、さっさと逃げるに越した事はない!

 そう思い、足に力を込めようとして―――

 

 「ぁ、ガァッ……!?」

 

 それよりも先に素早い動きで髪の毛を掴まれて、勢い良く地面に叩き付けられた。想像もしなかった痛みで息が出来ない。額に熱い液体が広がっていく感覚がした。出血している……。

 蜘蛛の様な指が頭部をがっしりと包んで放さない。ぎろりと眼球だけ動かして化け物の方を見上げると、奴は空いた片手に何かを持っていた。枝の様な物…‥白い骨の様な、細い棒切れをこちらに向けているのが見える……。

 

 「あ、ぅ…………ッ、はぁぁ……ッ!ぐ、アアッ!」

 

 「逞帙?縺具シ滓が縺九▲縺溘↑窶ヲ窶ヲ縲ゅ☆縺舌↓讌ス縺ォ縺ェ繧」

 「痛むか?悪かったな……。すぐに楽になる」

 

 痛みに耐え切れない。恥も外聞もなく喘ぐと、化け物の持つ白い棒切れの先端が発光した。緑色に光るそれは、見ているだけで良く解らない恐怖に掻き立てられる。取り繕う事も出来ずに、表情が凍りついた。

 

 「あ……、ヒッ…………」

 

 本能。本能を司る部分が、必死に訴えてくる。

 殺される。正体も判らない化け物に、殺される。

 誰にも知られず、理由も教えられず、惨めに無様に殺される。

 

 「縺雁燕縺ォ縺ィ縺」縺ヲ縺ッ豁サ縺ァ縺ッ縺ェ縺??ゅ%繧後?荳?蠎ヲ逶ョ縺ョ豁サ縲らオゅo繧翫〒縺ッ縺ェ縺??縺?縲√◎縺??ッ縺医k縺ェ窶ヲ窶ヲ」

 「お前にとっては死ではない。これは一度目の死。終わりではないのだ、そう怯えるな……」

 

 痛みと恐怖で抵抗する力すら出てこない。目の前で残酷に煌く緑色を見つめ返す事しか、出来ない……。

 

 違う。殺されるのが恐ろしいのではない。

 こんな得体の知れない存在に、命の幕引きを務められるのが恐ろしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「繧「繝舌ム縲?繧ア繝?繝悶Λ」

 「アバダ ケダブラ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 緑色の光が、胸を一筋に貫いた。

 

 

 

 

 「がッ…………」

 

 同時に全身と五臓六腑を引き裂かれる様な、悍ましい激痛が駆け巡った。喉の奥で掠れた絶叫が暴れ回る。

 

 「あ、ギッ……アァァァァ、アアアアアアアアアアアッッッ!!」

 

 のたうち始める自分に驚いたのか、頭を地面に縫い付けていた手が離れていくのを感じた。それすらどうでもいい。脇目も振らず、激痛の逃げ場を求めて肉体は地面を転げ回った。

 

 「い…、た…………ッ、ひ、グッッッ…………!」

 

 服の上から両手で胸の皮膚を掴んで引っ張った。どうにかして痛みを和らげる事が出来ないか、それしか頭の中に浮かんでこない。

 やがて生理的な涙が控え目に流れ始めると、様子を眺めていた化け物が言葉を発するのが聞こえた。

 

 「菴墓腐縺?窶ヲ窶ヲ??シ滉ス墓腐縲∫函縺阪※縺?k?」

 「何故だ…‥!?何故、生きている?」

 

 聞こえてくる空気音から動揺に近い感情の揺れを感じた。何故かは知らないが、化け物は驚いているようだった。

 痛みで虚ろになった瞳から零れる涙を止められず、のたうち回ろうとする身体をうつ伏せになって必死に抑えていると、

 

 「縺?d縲∝撫鬘後?辟。縺??ヲ窶ヲ縲ゅ%縺ョ縺セ縺セ騾」繧後※陦後¢縺ー濶ッ縺??縺?」

 「いや、問題は無い……。このまま連れて行けば良いのだ」

 

 化け物が、今度はゆっくりとした動きで、再びこちらの頭を掴もうと手を伸ばしてくるのが見えた。

 また激痛を与えられるのか、と強い恐怖と拒絶の意志が沸き上がった自分の手が、殆ど無意識に動き出す。21歳でも拳でもないけど、抵抗しなければ。向かってくる青白い手首を、こちらが先に掴んでいた。

 

 「繧「繧「繧「繧「繧「繧「繧「繧「繧「??シ」

 「アアアアアアアアア!!!」

 

 途端、自分が触れた化け物の手首から煙が上がった。肉を焼き尽くすジュウ、という音も上がる。

 青白い手首がたちまちにして赤く爛れていく様を、はっきり捉える事が出来た。痛みを感じたのか、化け物は激しい空気音を発してこちらの手を恐ろしい力で払い除けてきた。弾みで少し後方へ吹き飛ばされた体が地面を転がる。全身が痛い。

 

 「縺雁燕繧ゅ°?√♀蜑阪b縺ェ縺ョ縺銀?ヲ窶ヲ??シ」

 「お前もか!?お前もなのか‥…!?」

 

 激怒。それ以外、化け物の様子を表現する言葉が見付からない。思わぬ反撃を食らって怒らない生物の方が珍しいだろう。

 しかし、自分が与えた謎の反撃はすぐに効果を失った。何故ならば、化け物の手首から上がっていた煙がしばらくして掻き消えたからだ。気のせいか、爛れた皮膚も少しずつ元の状態に治りつつあるように見える。

 

 「蠑ア縺??∵?縺?縺ェ縺≫?ヲ窶ヲ縲ゅ♀蜑阪r隴キ繧区?縺ョ縲√↑繧薙→蠑ア縺?コ九°」

 「弱い、愛だなぁ……。お前を護る愛の、なんと弱い事か」

 

 「………………」

 

 化け物が手首をさする様な仕草を取ると、火傷は薄らとした痕こそ残ったものの、殆どが治ってしまった。

 地面に頬をくっつけたままその様子を見つめる。このままここに寝そべっている訳にはいかないと、両手を付いて立ち上がろうとした時、化け物はそれを阻止すべくまた乱暴に頭を鷲掴みにしてきた。

 

 「いッ……!」

 

 今度はこちらの皮膚に直接触れるまいと、どこか慎重さを感じる掴み方だった。理由は解らないが、自分の皮膚は相手にとって毒となるらしい。ならばと頭を掴む化け物の手首にもう一度触れてみた。両手で思い切り握ってやる。

 

 「辟。鬧?□縲ゅ♀蜑阪↓荳弱∴繧峨l縺滓?縺ッ縺昴%縺セ縺ァ閼?ィ√〒縺ッ縺ェ縺??縺ァ縺ェ縺」

 「無駄だ。お前に与えられた愛はそこまで脅威ではないのでなぁ」

 

 だが、思った効果は得られない。ジュウジュウと上がる煙は随分と弱々しく、数秒も経てばさっきの様に消えてしまった。

 焼け石に水―――。襲い来る絶望に、それでも尚諦めきれず、掴んだ手首に思い切り爪を立ててみた。ギリギリと深く食い込むこちらの爪に、しかし化け物はどこ吹く風といった様子。まるで効いてない。

 自分の抵抗をものともせずに、化け物は悠々と歩き出した。頭を掴まれたまま地面を引き摺られていく。そうはさせまいと必死に踏ん張っても相手の力は強く、どうしようもなかった。地面との摩擦で膝や脛から血が滲むのを感じた。

 

 痛い、苦しい―――。

 何で、自分がこんな目に。

 一体、どこで、何を間違えた?

 

 「縺壹▲縺ィ縺雁燕縺梧ャイ縺励°縺」縺」

 「ずっとお前が欲しかった」

 

 化け物が語る。

 

 「縺雁燕繧貞?繧√※隕倶サ倥¢縺滓凾縺九i縲√★縺」縺ィ縺?」

 「お前を初めて見付けた時から、ずっと」

 

 こんな事なら、夢かどうかも解らないあの忠告を素直に聞き入れるべきだった。

 人間は、どうしようも出来ないところまで追い詰められて、初めて後悔する。

 

 「縺雁燕繧帝??′縺励※縺励∪縺」縺溘≠縺ョ譎ゅ°繧峨?∽ク?菴薙←繧後⊇縺ゥ縺ョ譛域律縺檎オ後▲縺溘°窶ヲ窶ヲ」

 「お前を逃がしてしまったあの時から、一体どれほどの月日が経ったか……」

 

 「……………うっ、ぐ……………………」

 

 「縺ゅ?譎ゅ?√♀蜑阪?縺セ縺?蟷シ縺九▲縺溘↑窶ヲ窶ヲ縲ゆソコ讒倥b蟄蝉セ帙?蟋ソ縺ォ蛹悶¢縺ヲ縺?◆」

 「あの時、お前はまだ幼かったな……。俺様も子供の姿に化けていた」

 

 幼かった……?子供の姿……?

 言葉の意味が、部分部分だけ聞き取れたような、そんな気がした。

 死に瀕した人間が、刹那の内に走馬灯を見るように――――――脳の力が通常よりも激増して、意味不明な言葉を理解しようと働いているみたいだった。

 

 「縺昴≧縲∽ソコ讒倥?遨コ髢薙↓縺雁燕縺ッ霑キ縺?セシ繧薙〒縺阪◆窶ヲ窶ヲ」

 「そう、俺様の空間にお前は迷い込んできた……」

 

 「迷い、込む……?」

 

 「縺雁燕縺ョ蜈育・悶?縲?▼縺区?縺ォ谺。蜈?r雜?∴縺ヲ縺薙?荳也阜縺ク貂。縺」縺溘i縺励>縺ェ」

 「お前の先祖は、遥か昔に次元を超えてこの世界へ渡ったらしいな」

 

 「先祖……?」

 

 「縺薙%縺ァ譁ー縺溘↑蟄仙ュォ繧呈ョ九@縲√d縺後※縺雁燕縺瑚ェ慕函縺励◆窶ヲ窶ヲ」

 「ここで新たな子孫を残し、やがてお前が誕生した……」

 

 額の傷から未だ続く出血のせいか、段々と意識が危うくなってきた。気付けば顎にまで鮮血が流れ、そこから垂れた物が胸元を汚していた。目の前の景色が霞み始める。脱力した腕はだらりと下がり、化物に火傷すら負わせられなくなった。

 

 (……もう、疲れた……………………)

 

 精根尽き果てるとはこの事か。

 ここに来るまでに散々走り続けたせいか、足元から昇ってきた疲労感が全身を苛んで抵抗の意思すら削ぎ落としていくのを感じる。

 途中で会ったあいつも、既に亡き者にされているのだろうか……。

 そういえば、あいつは何であんな所に―――。

 

 (全部、こいつの仕業……なのか)

 

 地面を引き摺られながら思考を続けていると、妙に納得の行く答えに辿り着いた気がする。

 こんな、現実離れした造形の怪物が目の前に実在しているのだ。常識では考えられない事態が発生しても、最早不思議でも何でもない。

 

 (何で、ボク達は狙われた……?)

 

 怪物の発する言葉の一部分に、先祖だのなんだのといった単語が含まれていたような……。

 自分達が狙われたのは、もしや血筋のせい?

 

 (あの人も、母さんも……。昔から、何かを隠していたのは知ってた……。単なる裕福な家庭じゃないって、事ぐらい……)

 

 思い出すは、子供の時に聞かされた、間抜けな先祖のお話。

 不思議な石を飲み込んで、お腹に詰まらせ死んでしまったという、間抜けな先祖の言い伝え―――。

 死者を呼び寄せる不思議な石。

 

 

 

 

 【―――そう、だからボクがいる】

 

 

 

 

 ……ああ、頭に何度もダメージを受けているせいか、いよいよ幻聴が。まいったね、こりゃ。

 ……ていうか、こいつ、何回人の頭を掴めば気が済むんだ?こっちは縫いぐるみじゃないんだぞ。疲労感と共に怒りが込み上げてきた。

 

 【なら―――こっちにも手を貸せ。その怒りを叩き込んでやれ】

 

 誰か知らないが、見れば分かるだろう。満身創痍で抵抗する力が……。

 

 【それは全て解決出来る。全て上手くいく】

 

 なんだろう、ウソつくのやめてもらっていいですか?

 

 【嘘じゃない。お前に嘘を吐く理由が無い】

 

 自衛の武器は持っているけど、それを握る力すら、もう―――

 

 【何も心配しなくて良い。例えお前に出来なくても、このボクが―――】

 

 

 

 

 

 

 

 

 【あのふざけた怪物を殺してやる】

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――力が漲る。

 視界は鮮明に。

 

 力の抜けていた右手を一度大きく握り込み、体の具合を確認する。あちこちに酷い外傷を負っているが、未だ全身のどこも骨折していないのは僥倖。

 今までこちらが行った反撃の全てを潰し終えて、完全に油断しきった様子の化け物の手首を三度、左手で掴んだ。

 

 「またか!諦めの悪い小僧め……」

 

 軽度の火傷を負いながらも、化け物の頭を掴んでくる力は一向に緩まない。しかし、一瞬でも精神に隙を生じさせられればそれで良かった。

 ズボンの右足に装着してきたレッグポーチに右手を伸ばし、中に入っていたサバイバル用ナイフを引っ張り出す。そして、躊躇なく化け物の腕をスパっと切り付けてやった。

 肉が裂かれる生々しい音。突然の物理攻撃は流石に堪えたのか、怪物が大きく飛び退いていく。掴まれていた頭が自由になった。

 

 「何だそれは!!マグルの武器か、忌々しい……!」

 

 今なら化け物の言葉がはっきりと理解出来る。その理由までは解らないが、考えてもしょうがない。

 切り付けた化け物の手首から、赤黒い液体が滴っていた。あんな存在にも体液という物はあったらしい。奴に目があったなら、今頃こちらを憎々しげに睨んでいるのだろう。

 

 ようやく自由を取り戻した体を、傷が痛まぬよう慎重に起こす。額から流れ続ける血が鬱陶しいので拭ったが、次から次へと溢れてキリがない。止血の為に隙を晒す訳にもいかない……どうしたものか。

 

 「全く……お前のせいだ……。お前みたいな化け物とは違う!父親の物さえ混じっていなければ、ボクの血は高貴なんだぞ……!それを、よくも……。よくも無駄に流させてくれたな」

 

 ナイフを握る手に一層力を込めて、こちらも睨み返す。

 

 「この醜い化け物、ふざけるなよ……!跪け……首を差し出せ……。お前はここで殺してやるぞ!」

 

 ナイフを突き付けて死刑宣告を下す。化け物はこちらの攻撃の意思を確認するとあの棒切れを振るった。

 正体の判らぬ赤い閃光が棒切れの先端から飛んで来て、こちらの右手、ナイフを握った方へ直撃した。痺れる様な感覚を味わったかと思うと、しっかり握っていた筈のナイフが後方数メートルへ吹っ飛ばされた。咄嗟にナイフの行方を探るが、やはり隙は一瞬たりとも晒せない。回収は諦めてレッグポーチから二本目を素早く取り出した。

 

 「妙な力を……!いいさ、好きなだけやってみろ。予備ならいくらでもあるからな……」

 

 「……良いだろう、その傲慢さ、豪胆……気に入った。お前は手に入れるより先に、しっかりと躾ける必要があるらしい」

 

 「躾ける?ははっ、笑わせるな!逆に、お前を躾けて見世物小屋で飼育してやろうか?その滑稽な見た目なら、さぞや良い稼ぎ道具になるだろうさ」

 

 化け物の言葉がおかしくて、嘲笑と共に吐き捨てると向こうは相当驚いたらしい。ぴくり、と大きく反応して数秒固まった。

 

 「……この言葉を理解しているのか?有り得ん、お前は()()()()()()筈だ……!」

 

 「ふん、化け物の喋る言葉なんぞ興味も無い。それより、さっさと終わらせてくれないか?お前に付き合う時間は予定に入ってないんだ。早く帰って安眠したいのさ、ボクは……。ただでさえ、この体はボクのせいで寝不足なんだから」

 

 「…………貴様、何者だ?」

 

 「やっぱり化け物の言葉は理解出来ないね。ボクが他の誰に見えるって言うんだ?お前、人の心が読めるんだろ?なら名前を当ててみろよ、ほら、どうした?」

 

 煽るだけ煽ってみるが、化け物は思った程挑発に乗ってはくれなかった。冷静を保ったままこちらと向き合い続けている。

 ……そういえば、こちらが今喋っているのは思い切りこの国の言葉なのだが、何で化け物はこちらの言葉を理解しているんだか。まさか東洋人でもあるまい?

 

 「貴様の名前は何だ」

 

 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

 

 「真面目に名乗る気は無いようだな」

 

 閃光が煌めいて飛び出し、頬の横を掠めた。首を傾けるのが数秒遅れていたら危ういところだった。この体は昔から貧弱な見た目のくせして、反射神経だけはやたら傑出しているのだ。

 

 「何故この言葉を解して……。そうか……失念していた。お前が持つ魂が………………、そうだ。まあいい。―――眠りたいのだろう?ならば安心しろ、望み通りにしてやる。但しお前に贈るのは……永眠だがな」

 

 「ほざけ」

 

 左手にもナイフを引っ張り出して、右手のナイフを真っ直ぐに投げ付ける。それは化け物の顔を貫く寸前で見えない壁に弾かれた。自然と舌打ちが溢れるも、次に何をすれば良いのか絶え間なく最善策が浮かんでくる。

 化け物に向かって直進、そして空いた右手を大きく開き、疾走しながら団扇の様に振るった。瞬間、旋風が巻き起こって化け物を襲う。奴はまた怯んだようだ。

 

 「目に見える形で、魔法だと……!?本当に、可能なのか!」

 

 「はっ……。どうしてだろうな、ボクだって不思議だよ……。でもさぁ。ボクでも知らない事を、何でお前が知ってるのかなあ!!」

 

 自分でも知らない自分の一面を、他人、しかも化け物に知られているのは非常に腹立たしい。誰かに自分の事を理解された気になるのは、何故こうも許せない気分になるのだろう。

 怒りのままに、怯んだ隙を狙ってナイフを振りかぶる。距離を詰める行程は既に終えている。狙うは一点、化け物の胸の中心、心の臓。

 

 「―――死ね!!!」

 

 ブツリ。

 胸に届く寸前で、透明な膜をナイフが突き破る音がした。良く見ればナイフの切っ先から淡い光が迸っており、その光が化け物を護る膜を破壊する作用を齎したみたいだった。

 直感。直感ではあるが、その光をナイフに纏わせたのは自分の仕業なのだろうと、そう思った。

 真っ直ぐ突き入れたナイフは、やけにあっさりと化け物の青白い胸を穿ち、体液を決壊させた。

 

 「グ、アアアアァァァッ!!この……小僧がァ!!」

 

 ほぼ同時に化物の腕が動いて、自分の胸に棒切れが突き付けられるのを確かに捉えた。

 すぐに体勢を整える事は出来ない。腕を突き出した状態のまま、無防備な胸を二度目の閃光が貫いた。―――緑色の、残酷な光。

 

 「《アバダ ケダブラ》ァァァァ!!

 

 回避は最早不可能だった。視界が緑一色に染まったその時、虚空に向けて空いている片手を伸ばす。

 直後に為す術もなく光の奔流に呑み込まれ、数メートル程吹き飛んで転がった。胸を中心に恐ろしい激痛が再び全身を苛んで、立ち上がれない。

 

 「ま、たッ…………コレ、かッ…………!」

 

 痛い、引き裂かれる!!

 新しい外傷は一切無いというのに、この激痛。一体、体内の痛覚は何を感知しているのだろうか。

 と、被害を受けた覚えのない鼻から、ボタボタッと勢い良く血が落ちてきた。慌てて鼻を押さえる。ツンとした鉄の匂いが充満して、一気に気分が悪くなった。

 

 「あ、たま、がァ……ッ」

 

 加えて、酷い頭痛のダブルパンチ。視界の端が赤く点滅しているような気がする。

 いつか、同じ事が起こったような…………、そうだ。あれは、不思議な力で他人の記憶を弄った、あの時……。

 

 「……力の、使い、過ぎ…………?」

 

 何にせよ、頭痛のレベルが閃光による激痛を上回ったお陰か、体の方の重苦は紛らわされた。何とか立ち上がって、化け物を鋭く睨み付ける。

 奴は苦しそうに胸を押さえて地面に膝をついていた。刺突の最中に吹き飛ばされたせいか、その胸にはナイフが刺さったままだ。

 

 「もう一度、訊くぞ……貴様、貴様の名前は何だ……!」

 

 「レオナルド・ディカプリオ」

 

 「この、小僧……!!ふざけた食言を!お前は、俺様の物だ、俺様の物なのだ!!何故逆らう!!」

 

 憤死しそうな程の激情を立ち上らせた化け物が声を荒らげる。言っている意味はやはりさっぱりだ。

 

 「………………何言ってるんだ、この屑め。さっさと……死ね……。お前なんか、死んだ方が世界の為になるさ……」

 

 「俺様は死なぬ!死を超越した!そしてお前は、俺様の所有物だ!」

 

 「良いから、死ね……。死なない生き物なんかいる筈がないだろ……。何でお前みたいな屑が生きてて、まともな人間が、死んでいくんだよ……!」

 

 「死ぬのは弱者だからだ。弱者は常に死ぬ選択しか用意されていないのだ!お前には解らぬか、未熟な子供のお前には解るまい、滑稽だ……!」

 

 「だから、死ねよ……この化物!なんッ……で、お前みたいなのが生きて、るんだ。何で、あの人が……死ぬんだ…………。ゲホッ……」

 

 叫び返していたら、喉の奥で血の味がしてむせた。

 自分でも何を言っているのか意味不明で、色んなところが血塗れで、身体中滅茶苦茶だった。

 

 「死んでくれよ……。誰かが死ななきゃいけないなら、お前が死んでくれよ……。お前がッ、あの人の代わりに死ねば良いんだよ!」

 

 新しいナイフを取り出して、構えた。

 そんな事をしたって、もう一歩も動けないのに。

 頬を一筋伝う物は、果たして激痛による生理的な物なのだろうか。

 

 「お前みたいな化け物が死んだところで、惜しむ人間も悲しむ人間も、どこを探したっていないだろうが!!」

 

 ―――ズキリ、と。

 その言葉を口に出した瞬間、胸の内側を破裂する様な痛みが襲った。膝が一定の間隔で震え出す。

 

 ―――自分は、今、()()対して叫んでいる?

 この叫びは、本当に目の前にいる化け物を対象としているのか?

 あの化け物に、一体―――()()重ねている?

 

 化け物は、繰り出される罵倒に途中から口を挟まなかった。こちらの言葉は間違いなく、しっかりと聞き取られていた筈だ。

 その沈黙、表情のない頭部、動く様子のない気配。それら全てが、恐ろしかった。

 何故か酷く居心地が悪くなって、謎の吐き気に見舞われた。グラグラと、世界が激しく揺さぶられている感覚に襲われる。

 

 「もう満足したか?」

 

 化け物は緩慢な動作だったがしっかりと立ち上がる。対してこちらは途轍もない疲労感により、ナイフを握り続ける事さえ酷く億劫で。気を抜けば今にも取り落としそうだった。

 

 「その惨状、最早動けまい」

 

 「………………」

 

 「俺様が本来の力を半分も出せないとはいえ……こんなマグルの武器にしてやられるとは、大した小僧だ……。喜べ、評価に値するぞ……」

 

 (……マグル……?何の隠語だ……?)

 

 「お前は念入りに()()を施す必要がありそうだな……。二度とこんな真似が出来ない様に、心も体も何もかも隷属させてやる」

 

 「―――どうでもいいけどさ、早くそれ、抜いた方が良いんじゃないか?」

 

 化け物の胸に刺さったナイフを指差して、事も無げに言い放つ。満身創痍の分際で何を余裕ぶっているのか、と化け物は意に介さず棒切れを振るおうとした。

 

 「《インペリ―――」

 

 ―――だが、その手に最早棒切れは存在しなかった。

 手の中に何も無いという事実をようやく認識して、動揺しているのか化け物の全身が一度だけグラついた。

 

 「何、だと―――!?」

 

 「捜し物はこれか?」

 

 袖の中から先程まで化け物の所有物であった白い棒切れを取り出して、見せびらかす。奴に目があったら驚愕でかっ開いているに違いない。

 緑の閃光に吹き飛ばされる直前、至近距離であったのでどうにか武器を奪取してやろうと咄嗟に伸ばした手が、見事に奴の手中からもぎ取ったのだ。こちらの刺突による痛みに意識を逸らされて、奪われたという認識が麻痺して気付くのが遅れたのだろう。

 

 「で、お前の変な力、これがあればボクにも真似出来るんだ?」

 

 「―――貴様ッ!どこまで俺様に不敬を働くつもりだ!!タダでは許さんぞ……《インペリオ》ッッッ!!」

 

 「ッ!」

 

 しかし、化け物は予想外の現象を引き起こした。

 棒切れ無しであの妙な力を行使してきたのだ。一瞬、何をしたのか解らなかったが、異変はすぐに訪れた。

 

 「……………、……?」

 

 甘美で緩やかな眠気、全身を包み込む様な浮遊感。背中から倒れ込みそうになったが、かろうじて踏み止まる。

 さっきまであんなにも憎悪していた目の前の存在が、とても尊く素晴らしい存在に見えるという、矛盾した悍ましい感情がじわじわと精神を汚染してくようだ。

 具体的にどういう力なのか把握出来ていないが、棒切れを所有していなくてもこんな芸当が可能だなんて反則だ。薄れゆく意識の片隅で、目の前の理不尽さに愚痴を零す。

 

 「跪け!俺様に永遠の服従を誓うのだ!」

 

 「…………ッ。嫌、だね」

 

 肉体を突き動かすのは殆ど本能だった。

 仰々しく告げられた命令を即座に払い除けて―――ケーキに蝋燭を立てる様な気軽さで、躊躇なく己の左肩にナイフを深く突き刺した。そこから芽吹くは紅蓮の花冠。血飛沫は、まるで舞い落ちる花弁の如く地面を彩る。

 駆け巡る激痛は何も命じずとも、心地良い幸福感を一欠片すら残さず破壊し尽くしてくれた。取り戻すは、正常な意識と思考回路。

 

 「何を……!?そんなふざけた方法で―――ッ」

 

 やはり化け物は動揺を隠し切れない様子だ。

 しかし、こんな対処法も長くは続かない。自らを傷付けるこの方法は、繰り返すだけこちらの状況を不利に追い込むだけなのだ。流してしまう血液は無限ではないし、多く失えばすぐに敗北を喫する。最悪迎えるのは失血死だ。

 化け物もそれを理解しているのか、再び同じ力を振るう。

 

 「《インペリオ》!」

 

 だが、こちらに変化が生じる事は無かった。

 何事かを唱えた瞬間、化け物がガクリと膝をついて刺さったままの胸のナイフを見下ろした。僅かに震える両手を動かし、恐る恐るナイフの柄に長い指を這わせる。

 

 「グ、ガ……ッッッ、……ッ?」

 

 「…………あーあ、だから言ったのに。早く抜いた方が良いんじゃないか、ってね」

 

 「キ、サマ…………何をッ、したッ……!?」

 

 「さあ?……ただ、お前を攻撃する直前。そいつに不思議な力が宿ったみたいだったから、さ。どんな効果かはボクでも知らないけど、その効果が今、何らかの作用を齎してお前を苦しめてる……って感じだと思うよ」

 

 何だか当たり前の様に不思議な力を受け入れているけれども、実際はこれが何なのか理解して使用している訳じゃあない。だってしょうがないじゃないか。誰も教えてはくれなかったのだから。

 

 「……ははっ。良い、眺めだな」

 

 苦痛に呻き蹲る事しか出来なくなった化け物に、ゆっくりと近付いていく。それはある意味自殺行為に等しかったが、この行動の結果痛い目に遭うとしてもやめられなかった。

 

 ―――他人が苦しむ様を眺めるのは、実に愉快だ。

 それが例え、異形の姿を持つ化け物であっても。

 そう。自分はずっと、この光景を求めていた。

 自分の本心を偽るのは、今はやめよう。

 

 ―――ずっと、こうしたかったんだ。

 

 化け物の近くに片膝をついて、その頭部を覗き込む。表情は存在しないけれど、苦痛に歪む様が目に浮かぶようだった。

 ナイフと持ち替えた白い棒切れを、化け物の額へと突き付けてやる。

 こうしていると、何だかとても懐かしいという感情が湧き上がってくる。遠い昔、何度もこんな仕草を取っていた感覚すら。そんな事は有り得ないのに、魂の奥底で何かが絶えず郷愁を訴えている。だがそれに呑まれたりはしてやらない。

 

 「さっきの……あー、何だっけ?あの力使うには、合言葉みたいなのが要るんだろ?」

 

 「…………よくも、俺様の杖を…………ッ!」

 

 「杖。杖……。…………何だ?お前は魔法使いを気取ってたっていうのか?ボクが想像してるのとは随分と違う……短い杖を使うものなんだな」

 

 突き付けたまま、しげしげと棒切れ―――否、杖を観察する。フィクションで見かける魔法使いは、もっと長くて太い、身長と同じくらいの杖を使うイメージが強かった。この化け物の場合は違ったようだが。

 

 「魔法。……おかしいな。ボクの()()もそうだとして、他の親族共にもそんな力があるなんて聞いた事が無い。第一、魔法なんて本当に使えるとは信じもしなかった。……お前には訊きたい事がたっくさんあるけど、もういいや。どうせ、大人しく白状してくれるような性格じゃないだろう?顔が無いから、心も読めない。もういいよ……お前は用済み」

 

 「これで、終わりだと思うなよ……」

 

 「何だってボクの近くにはいつもストーカーじみた奴らが多いんだ?毎度毎度反吐が出るよ。男女問わず、しかも今夜は種族を問わず、だ。お前のしたかった事が何かは知らないけど、二度と来るなよ」

 

 「次は、逃がさん……。貴様は俺様の物だ。その運命は何があっても変える事は出来ぬ!貴様には、俺様の手の上で生きる道しか無い!!」

 

 「―――はあ。―――よし、殺すか」

 

 グリ、と一際強く力を込めて、化け物の額に杖をめり込ませた。

 何をすれば望みを果たせるか、もう解っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「《アバダ ケダブラ》」

 

 

 

 

 

 

 

 

 去りゆく知人に、「いってらっしゃい」とでも声を掛ける様に、随分と気楽な調子で。

 終わりを齎す魔法の言葉を囁いた。

 

 

 

 

 緑色の光が、闇夜を刹那掻き消す花火の様に大きく瞬いて。

 それが萎んで消えた時には、目の前にはもう誰も居なかった。カラン、と獲物に刺さっていたナイフが落ちた音だけが響く。

 肉や骨すら残ってない。だた一つはっきりと解るのは、獲物が逃げて姿を消した訳でも何でもないという事。

 奇妙な事だが、緑色が消えると同時に持っていた杖も、跡形もなく消えてしまった。

 それでも、獲物を始末したこの結果があれば、どうでも良かった。

 

 「は…………」

 

 とっくに疲弊しきった喉から、掠れた笑い声が漏れる。

 

 「ははっ……はははっ」

 

 こんなところを誰かに見られでもしたら、きっと自分は精神病患者か薬物中毒者だと誤解を招きかねない。だとしても誰も居ないから、特に気にする必要は無かった。

 

 「ははははっ!アハハハハハハッ!死んだ…………死んだ死んだ!殺した。殺してやった!!ボクがやったんだ!!」

 

 今の今まで腹の底で蜷局を巻いていた黒い感情が、この瞬間ようやく解き放たれた気がした。

 蛹のまま眠っていた幼虫が満を持して羽化を遂げる様に、それは一種の達成感すら呼び起こして。

 自分が、とても穢らわしい『何か』へと成り果てた自覚があった。

 

 「はは、ははは……ッ。…………どうせなら、()()()()()()()()()、なぁ……」

 

 ぽつりと本音を呟いて、何気なく頬に手を触れれば流れ続ける出血に気が付いた。そういえば止血がまだだったのだ。このままだと命に関わる。

 

 「母さんに、どう言い訳しようかなぁ……」

 

 全身に負った傷はとてもじゃないが誤魔化せる範囲を超えている。特に額の傷は間違いなく数日はくっきり残るだろうし、ボロボロになった衣服もそのまま洗濯に出せば怪しまれるに違いない。

 

 「―――しょうがない。ボクがやり始めた事だ……。今回は、()()()()()()って事にしておいてあげようか」

 

 落ちたナイフを拾ってレッグポーチに仕舞い込んで、暗い林の中を歩き出す。ライトは最早必要無かった。この眼は闇がよく見える。

 最後に一度だけ。くるりと墓石が立ち並ぶ場所を名残惜しげに振り返る。ある一つの墓石に、自然と視線が吸い寄せられた。

 

 

 

 

 「……律儀だな、母さんは。でも……悪くない気分だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「―――いッ、つぅァ…………ッ!!」

 

 

 

 

 目を覚ますと、全身を蝕む筋肉痛やら関節痛やらで地獄を味わった。一際鋭い痛みが左肩を中心に暴れ狂っている。

 ベッドの上を釣り上げられた直後の鮮魚みたいにしばらくのたうち回って、時計を確認するとしっかりと朝の時刻を指していた。

 

 「―――あ、何だ、夢オチか…………」

 

 寝惚けて回らない頭で呟いた後、よろよろと老人に似た動きで起き上がり、ふと違和感を感じて前髪を掻き分け、隠れていた額を触った。

 べとり。

 やたら粘っこい感触が指に纏わりついたので、ぎょっとして指を眼前に持って来て、改めて確認してみた。

 五指の腹と手の平全体に、乾きかけた赤黒い血がまるで犬猫の肉球みたいに付着している。

 

 「っ、うわあああぁぁぁッ!!?」

 

 思わず腰が抜けて再びベッドに倒れてしまった。同時にジクジクとした痛みが蘇ってきて、潰された蛙の様にぐえっと呻く。

 ゴトゴトという音が扉の外でする。しばらくして母の甲高い怒鳴り声が貫通して部屋に入ってきた。

 

 「―――何騒いでるの!朝からうるさいわね!」

 

 「あっ、っと…………」

 

 マズイ。

 寝起きの頭をフルスロットル稼働。即座に言い訳を組み立てていく。

 

 「む、虫が……その、部屋に出ちゃって…………ですね…………」

 

 「…………、あのねぇ、今年でいくつになったと思ってるの?男の子なんだから、いい加減虫なんかで騒がないの!」

 

 はい男女差別。

 苦手な物に男も女も関係無い。男だからって虫全般が平気だと思うなよ!?

 特にあの、黒くてすばしっこくて、何かテカテカしている―――全世界にとっての癌とも言えるあのクソ虫だけは絶対に無理だ……!

 とある夜中、電気を点けるのが面倒だと、真っ暗な廊下をそのままにトイレへ向かおうと足を踏み出した時、「あれ」を素足で踏んづけてしまった。勿論、女みたいなソプラノの絶叫も家に響く事になった。眠っていた母を起こす羽目になって、ベランダに干した布団の如くぶっ叩かれた。

 実に忌々しいあの日から!我が魂魄百万回生まれ変わっても!「あれ」だけは絶対に無理なのだ!!

 

 「全く……そういうところは『普通』の子供なんだから……」

 

 扉の向こうで呆れた溜息が聞こえたかと思うと、足音が遠ざかっていった。どうやら、何とかこの場を誤魔化す事に成功したようだ。

 というか、安堵している場合じゃない!一体どういう事なんだ。

 ―――何で、夢の中で傷を負った箇所に血が付いているんだ?

 

 そろりそろりと鏡へ近寄り、正面に立つ。覚束無い手付きでもう一度前髪を掻き分けると、その隙間からぱっくり割れた裂傷がこんにちはしていた。―――目眩がした。

 バっと肩まで肌着を下ろすと、刃物が皮膚を突き破った様な深い刺し傷がやはりこんにちはしていた。お、オーマイガー。

 両方共、出血自体は治まっているが完全に乾燥しきっておらず、傷の表面に黒くこびり付いている。それが肌着を若干汚していた。

 

 (夢じゃ、ない……と?)

 

 待て、しかし、だ。

 あれが現実だったとして……。こうして無事に帰宅して、寝間着に着替えて、スヤスヤとベッドに入った記憶が一切存在しないのだが?

 自分はあの化け物に襲われた後、どうやって家に戻って来たっていうんだ?

 そういえば何だか全身がさっぱりしている気もする。鏡でよく確認すると、泥やら流血やらで汚れていた顔などはすっかり綺麗になっている。肌着の匂いを嗅いでみると、汗や血の匂いは全く漂ってこない。―――もしかして、入浴もしっかり済ませたのか?昨夜の自分は。

 

 「そうだ、ナイフ……」

 

 探す手間は省けた。

 ベッドのすぐ近くの床に、ナイフを仕舞ったレッグポーチが落ちていた。中身を確認すると、本数こそ一、二本減ってはいるが全て綺麗な刀身を保っていた。洗浄までやり遂げてる!?

 確か、返り血やら自分の血やらでグチョグチョだった筈、なのだが……。こいつらを手入れした記憶すら曖昧だ。

 

 (凄く疲れてたような気がする…………だったら、記憶が曖昧なのは当然?)

 

 どういう訳か知らないが、昨夜の自分グッジョブである。

 母の様子を見る限り、昨日の外出はバレていない。そして、なんと帰宅、入浴、ナイフの手入れ、着替え等、面倒な作業全てを片付けた上でしっかりと睡眠まで取っている。なんというパーフェクト……!全く記憶に無いですがね。

 

 (待てよ……テミーはどうなった?)

 

 あれ?そんな名前だっただろうか……。まあ何でもいい。人間の名前など、個人の識別が出来ていればそれで役目は十分だ。

 もし、既に亡き者となっているのならば、家族が騒いでいると思うが……。あんな雑木林の中で殺されたとしたら、遺体はまだ誰にも発見されていないだろう。恐らくニュースにもなっていない筈。ならば現在の扱いは行方不明。

 

 (……といっても、あいつの家はこの村からアホみたいに離れてる……。あいつが行方不明になったからって、この家に連絡が入る事は多分……)

 

 精々、あいつの地元の方で騒がれるのがオチだ。この村で捜索が行われる可能性はとても低い。何故なら、彼は何の前触れもなくあの林にワープしていたらしいからだ。

 

 ―――うーん。まあ、いっか!

 

 親族とはいえ、所詮他人。他人事。ぶっちゃけ、どうでもいい。

 あいつの生死を大人に伝えたところで、何かしらのメリットがあるだろうか。いや、そもそも昨晩の出来事を信じてもらえる訳がない。「またこの子供おかしな事言ってる」……ぐらいにしか思われないだろう。

 自分にとって、あの夜起きた事件全て、デメリットしかない。なら下手な行動は起こさずに、いつも通りに振舞うだけの事。

 遺体を捜しにまたあそこへ訪れるのも絶対に御免だ。何かの間違いで、あの化け物に再エンカウントするのだけは絶対に嫌だ。

 ……というか……自分、あの化け物からどうやって逃げられたんだろう……。

 

 (頭、大分傷付けられたからなぁ……。随分記憶が飛んでるな………………)

 

 額を押さえながら、何気なしに机の上に視線を走らせた時だった。

 

 (…………何だこれ)

 

 机の上には、身に覚えのない物達がやや乱雑だが並べられていた。

 絆創膏、ガーゼ、医療用テープ、傷薬、包帯、湿布……。

 治療用の道具が、これでもかと各々の存在を主張していた。

 まるで、誰かが自分の為に薬局などで取り揃えてきたみたいに……この状況に的確な道具が、不自然に並んでいる。

 こんな物、自分の部屋に持ち込んだ事は無いし、購入した記憶も無かった。

 昨夜の外出を知らない母には、用意する事は不可能だろう。ならば一体、誰が。

 

 

 

 

 (―――知らん、もう全部知らん)

 

 

 

 

 昔から意味不明な現象に見舞われた時、いつもこうして乗り越えてきた。

 だから今日も今日とて、自分は『知らないフリ』を演じ続ける。

 

 いつか化けの皮を剥がされるその時まで。

 

 




主人公の癖に前世体の挿絵が無いのは可哀想なのでここで描いてみました。
一応これが前世の姿って事で

例の水素の音は翻訳文を透明文字で同時掲載しています
PCで閲覧している方はマウスのドラッグ操作でどうぞ
水素の音のすぐ下に翻訳文が出てきます
多分、縦書き(PDF文庫、PDF横長)表示だと透明文字は普通に表示されるので何て言ってるのかバレバレ

2022/4/5追記
Q.「次の話はいつ更新されるのか?」
A.「やめてくれカカシ その言葉はオレに効く」
ただいま4月現在。続きは絶賛構想中なので、も〜少しお待ち頂いてもよろしいですかね…

連載から2年も経つのに『賢者の石』編が終わらないどころか
ファンタビ3の上映日の方が先に決まってしまった二次小説があるってマジ?
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