割とえげつない目に遭うのでグロ描写や拷問描写は嫌だよ、という方はお気を付け下さい。
ホグレガの禁じられた森、普通に密猟者やら蜘蛛やらめっちゃ彷徨いてて治安悪過ぎなの草
「おい、そっちの首尾はどうだ?」
「問題無い。そろそろ引き上げられるさ」
―――息を潜める。
闇の中に自身を同化させて、建物の中で繰り広げられている怪しげな二人組の会話を聞き取らんと、全神経を集中させる。
こちらの姿が見えないよう細心の注意を払い、窓の外からほんの少しだけ顔を出して部屋の中を覗き続ける。
「それにしても、なぁ……あの子も全く可哀想だねぇ」
「何を同情している?」
「いや、まあ……何と言うか、ね。俺にも同じ歳くらいの息子がいるからかねぇ、ちょーっとばかし同情?しちまったかな。あの歳で殺されちまうとは運命ってヤツぁ残酷だ」
「―――何だ、お前知らなかったのか?あの子はまだ生きているぞ」
「は、マジか!」
ドクン。
思いも寄らないその言葉に、咄嗟に両手で口元を覆って放たれようとしていた驚愕の声を封じる。その手は何故か震え始めて止められない。
「現代の医療技術ってまさに神の御業だな。あんな致命傷でも、命を容易く繋ぎ止めてしまう」
「いやいやどうやってだ!?警察の発表じゃ『深い刺し傷が数箇所』だろ?そもそも死後数時間は経ってるって……」
「ありゃあ上の連中が警察に言わせた嘘っぱちさ。……でも実際、搬送された瞬間の診断じゃ呼吸脈拍共に停止状態、瞳孔も拡大していたんだと。上が用意した医師も死亡宣告するよりほかなかった。確実にあの子は一度、ちゃんと死んでいた。それでも上は認め難かったみたいでな、傍から見れば滑稽極まりないが、医師に無理言って傷だらけの遺体に治療を施させたんだ。そしたらなんとまさかの奇跡が起きた。あの子は現在植物状態だが、息だけは吹き返した―――って訳だ」
「マジかぁ……マジで、たまげたねぇ。よく生き返ったもんだな。で、それを知ってんのは俺らだけ、と」
「家族も親族も学友も、警察によって齎された情報しか知らないしな。皆あの子はとっくに死んだものと思っている。そうした方が『研究』に色々と都合が良いのだろうな」
「じゃあ俺達、死んで生き返った子供を連れ去った悪者ってところか?」
「ふっ、悪者か。まあ間違ってないな」
満更でもない二人組の呑気な様子を見ているだけで、無性に腹が立ってくる。胸中で聳え立つ感情の活火山がぐつぐつと溶岩を滾らせている。
ふー、と吐息と共にその熱気を一度逃がして、どうにか胸中の熱を冷まさんと試みる。二人組の会話はまだ続いていた。
「しっかし、犯人の野郎はまだ全然足取りを掴めていないんだろ?あれに関しちゃ本当に不気味だねぇ。なにせ、殺人現場は密室で加害者の痕跡はゼロときた。透明人間にでもやられたとしか思えないってよ」
「うちらの方針じゃ犯人を突き止めるよりも、あの子の生命維持に注力が最優先らしい。だから野放しにされてるんだろうな」
「ちなみにあの子、これからどうなるんだ?」
「今は傷口の縫合手術が終わって数日といったところだったか。経過観察の後、植物状態が続くようなら、肉体の劣化を防ぐ為に一時冷凍保存も視野に入ってると聞いた」
「うげぇ、マジか……」
その単語に思わず声を上げそうになってしまう。
この時代では最早珍しくもなくなってしまった、病院で患者に行われる処置の一つ。一昔前では実現など考えられなかった、最新技術。それが、本人や家族の同意も無しに無断で行われる予定だという、腹立たしい現実に声を上げたかった。
「いやー、知り合いの祖母が認知症になったらしいんだがよ。そいつ、どうしても治る可能性を諦めきれなくてよ。貯金全部注ぎ込んで百年コースで冷凍保存してもらったんだと。いつか未来で完治の手段が開発されるのに賭けるって……。あぁぞっとするよ。医療の進歩は、昔じゃ考えられなかったえげつねえ現実ばかり見せ付けてきやがる」
「全くだな。流石に私も同情するよ……。あの子は本来なら完全に死んでいたところを引き止められて、大人しく死なせて貰う事すら叶わなくなった」
「でも、こんなに技術が発達して手術も無事終わってんのに、何で植物状態なんだ?何が原因で意識が戻らないんだ?」
「それが一番不可解なところだと騒がれていたよ。凄腕の医師がやれる事全てを尽くし、脳波や脈拍なども数値上じゃ何もかも正常に戻りつつあるというのに、何故か意識だけがとんと戻らない。まるで魂だけ抜かれてしまったようだとね……」
「んじゃ、火葬場に送られたのは……」
「当然、上の連中がすり替えた偽物の遺体さ。最近、未成年の男の子がよく死ぬ事件が多いだろう?偽物を用意するのに困らないから、実に便利だったらしいぞ」
「ほぉー、天は俺達の味方って事かい?やるねぇ」
どこまでも他人事で、どこまでも平然とした会話。自然と、ぎりりと唇を噛み締めてしまう。自分に直接関係が無い人間だとしても、名も知らぬ彼らの内誰かが死後、何者かに無断で都合良く利用されたのだと知って、どうしても怒りが抑えられなかった。
「そこまで手間暇掛けて、金も掛けまくってまで延命させる価値があるって事だよな……あの子……」
「前々から目を付けていたみたいだからな、お偉いさん方。だからあの子が殺されたと知った時は顔面蒼白だったとさ」
顔面蒼白だったのは、お前達だけではない。
今でも鮮明に思い出す。『その事実』を知ってしまった時の感情を。
「報告じゃ模範的な学生で恨みを買っている可能性はかなり低いとあったが、一体誰があんな子を狙ってんだかねぇ。恨み辛みがありそうな肉親は、どっちも隔離中であの子に近付く事すら不可能な状態だったんだろ」
「解せないよな。表向きは事件当時近くに居た叔父を容疑者という事にしたいらしいが……まあ、あの男も気の毒だよ。私の推測だが、あれはきっと冤罪だな。巻き込まれて可哀想に」
「あの子と叔父の関係は険悪という風でも無かった、だっけか。でも疑わしいから容疑者にされちゃったんだよなー」
脳裏に浮かぶのは、人の良さそうな男性。
知っている。自分も、彼に会った事がある。
彼が冤罪だというのも、解かりきっている事だ。
「……よし、大体は調べ終わったな。これで完了か?」
「……、なぁ。この家……誰も居ない筈だよな」
ふと、男の一人が零した。もう一人が怪訝そうな色を含んだ声で言う。
「何の事を言っている。ただでさえ殺人の現場で、唯一の居住者も今は施設送りだぞ?誰も居る訳ないだろう」
「いやあ、そりゃまあそうだが、ほら。あれだよ……ここでっけぇだろ?もしかしたら闇に乗じて、空き巣とか……」
「無いな。たった今二人で家中調べ終わった後だろう。特に玄関ホールは念入りにな。……何だ、人の気配でもしたか?」
「いや、誰も……居なかった。居なかったんだけど……よ。なんて言うか……その……、居ないのに、居る、みたいな感じ?自分で言ってて妙だが―――誰かが、確かに……」
男の不安そうな訴えを聞いている内に、心臓の鼓動が早鐘を打ち出した。何故ならば、彼の言わんとしている言葉の内容―――『居る筈のない誰か』に心当たりがあって、此処を訪れた自分の考えが間違いではない事の証明のように思えたからだった。
「馬鹿馬鹿しいぞ。こんな夜中だからそういう想像に引っ張られているだけだろう。私の視界にはお前以外の人間が映った事など一度も無かったがな」
「……だよな?やっぱり、夜中だからつまんない考えになっちまってるだけだよなぁ」
会話を続けながら、二人の男が建築物の裏口から出て行った。その後を追って、聞き耳を立てていた外窓から離れる。足元の草むらを踏み付けて、物音が立たぬ様ゆっくりと移動を開始した。
……今、何も出来ない無力な自分に心底腹が立つ。
この男達は、この建物を訪問する正当な権利が無いにも拘らず、気に留める素振りも無しに中を無遠慮に物色していたのだ。それを止める事も咎める事も出来ない、無力な自分。
「結局、『研究』に役立ちそうな目ぼしいモン、見付からなかったなぁ」
「まあ、大した問題じゃない。あの子さえ手元にあれば、上も満足だろう」
「……おい、監視カメラとか無いよな?」
「あったところで誰が見る?」
「はは、言えてらぁ―――っと、なんか肌寒くなってきたな。流石に夜は冷えるか……」
男の言葉通り、冷たさを孕んだ夜風が辺りを駆け巡っている。思わず両の腕をさすった。
しかし、妙だ。
この冷たさは、なんだか……怒りも同時に含まれているような。
例えるならば、無礼で有害な侵入者に対する怒りが起こした、冷酷な空気の流れ―――。
その時、二人の元で大声が上がった。
「うわっ、何だこいつ!?おいっ―――、ま、マムシだぞこれ!」
「仕事は終わってる、早く引き上げるぞ!」
慌ただしく走り去る二人分の足音が響き渡る。
建物の壁に手を添えながら顔を出し、男達が居たであろう場所を覗き込む。そこは既に無人で、代わりに独特の模様を持った太く長い体を持つ生き物が見えた。
「わ、わぁお」
男達が居なくなり声を我慢する必要が無くなったからか、小さい声が出てしまった。
チロチロと裂けた舌を出し入れしながら振り向いた生き物―――マムシは、標的をこちらへ変更したらしい。ゆっくりと、だが確実に距離を詰める為に這い寄ってきた。と言ってもこちらの主観だが、その様子は怒っているのではなく好奇心で近付いて来ている感じに見える。
「ごめん、気に障っちゃった?私、何もしないから。危害とか加えないよ~?それに君の主食は人間じゃないでしょっ?ここは見逃しておくれよぉ」
爬虫類に通じるかも解らないが、両手を合わせて謝罪のポーズを取って捲し立ててみる。この国に生息する種の中で、人を殺せる類の有毒生物だ。その死亡率は低いものの、下手な行動で刺激して攻撃を食らうなど絶対にやってはならない、というのは十分理解している。
「ほんとに、君の棲家を荒らすつもりはこれっぽっちもないから、見逃して~!」
ぺこぺこと上司に媚を売る部下の如く、ひたすら敬虔なお辞儀を繰り返す。人と蛇の移動速度なら圧倒的にこちらに部があるのに、走って逃亡という選択肢は取らない。なんとなく、この生き物には知性や理性といったものが備わっているように見えて、対話で場を凌げないか考えてしまったのだ。
―――そして驚く事に、眼前のマムシはその選択肢を尊重でもしてくれたのか、しばらくこちらのお辞儀をじっと眺めたかと思うとするりと身を翻し、草むらの彼方に去って行ったのだった。
「えっ、マジっすか。見逃してくれるカンジっすか」
ありがとさんっす、ときっちり感謝の言葉を送る事を忘れずに、危険の去った草むらを歩く。当初の目的地、この家の玄関はすぐそこだ。侵入者はもう居ないので、ある程度警戒を解いて行動する事が出来る。
ざくざくと軽快に足音を鳴らしながら、家の壁に沿って進み正面に回り込んで玄関扉へと辿り着く。と、同時に、
「おいゴルァ出てこいや!この人殺し―――ッ!!」
憎しみとか恨みとかを精一杯込めた叫び声と共に、ゲシゲシと両開きの玄関扉を連続で蹴り付けた。爪先にずきんとした痛みが蓄積して次第に涙目になってきたけれども、足裏を使った蹴りに切り替える事で誤魔化した。
本当は、夜中に殺人現場を彷徨いている今の状況にちょっぴり腰が引けているのだけれど、敢えて大声を出す事で恐怖に慄く肉体に叱咤を入れ、奮い立たせる。
「お前ェッ、よくも、よくも―――!」
自分以外は静まり返っている真夜中。ある程度の覚悟はして赴いたものの、もしもこの場で何らかの変化が起こったならば、きっと情けない悲鳴の一つでも上げてしまうだろう。
不安を孕んだ想像に反して扉は何の反応も見せない。その現実に安堵していいのか解らない。
普通に開けて入るのではなく、威嚇の意を示す為にもいっそぶち破ってやるか、と持っていた金属バットを勢い良く振りかぶろうとして―――。
ぽん、と気軽な調子で右肩に手を置かれた。
その感触はとても冷たくて、布越しに伝わってくる冷感が己の口から絶叫を上げさせた。
「ふなああぁッ!?」
喉の奥から心臓が飛び出るかと思った。しかし、今肩に置かれた手はしっかりと人間の感触だった。悪霊とか化け物とか、きっとそんな曖昧で恐ろしい存在ではない。
突然背後に現れた者の正体を落ち着いて確かめんと、絶叫を最小限に留めながら振り向く。視界に飛び込んで来た人物の姿に、しぱしぱと両の瞼が瞬いた。
「なっ、何で君が此処にっ!」
「―――やあ、こんばんは。いい夜だね」
そいつは柔和な笑みを浮かべながら、道端で再会した友人の様な気軽さでひらりと手を振っていた。事実、彼は確かに友人と表現しても差し支えない存在ではあるだろうが、この時間帯とこの場所で出会うには不自然過ぎる人物でもあった。
―――何故ならそいつは、この家の居住者という訳ではないのだから。
「いい夜だね、じゃねーよ!何で居るのかって訊いてんだけどッ!」
自分の事は完全に棚に上げ、目の前の人物に大袈裟な動作で人差し指を突き付けた。
真夜中に同化する様な黒髪、暗闇でも尚妖しく輝いている紅い瞳、そしてやたら整った顔立ち。間違いなく知り合いの少年の容貌そのものだ。何故此処に居るのかが一番の謎である。
「何で居る、か……。答えは簡単、君がたった今会いに来ている存在に、僕も用があるから―――ってところかな」
少年は人懐こそうに小首を傾げつつ、此処に現れた理由を事も無げに語った。抱いた感想を正直に述べさせて頂くと、その様はとてもあざとくて胡散臭い。
……一瞬、首を傾げた彼の襟元あたりに、もぞりと動く長いロープの様な物が見えた気がする。ちらりと覗いたその模様は、なんだか先程出くわしたマムシに酷似していたような―――。
「私が会いに来ている存在、って……何で。ま、まさか、君も―――【あいつ】の存在を知っているって言うの!?」
自分以外は知る由もないと思っていた存在を、彼もまた認識しているらしい。上擦った声で問い掛ければ、彼の眼差しがぎろりと鋭いものになって、こちらの背後にある両扉を睨み付けた気がした。
「君が【あいつ】と呼ぶ存在……そうだよ、僕も彼を知っている。そして、彼が今回の事件の犯人だろうという事も、知っている」
「いや、待って、待ってよ。知っているってそんな確定的な言い方さぁ……。何でそんな言い方出来るの?何を根拠にそんな言い方をしてるのか、詳しく聞かせて欲しいんだけど……」
「君だって彼が犯人だと突き止めたからこそ、今此処に居るんじゃないのかい?」
「わ……私の場合はね?そう、その―――推測の域を出ていないのですよ。証拠とか無いけどッ、私は【あいつ】が"後輩"を殺しやがったと思って……」
「―――それで?こんな真夜中にたった独りきりで出歩いて、危険な殺人者の下にのこのこやって来たと……」
捧げられる寸前の哀れな生贄を眺める様な癪に障る視線が突き刺さる。瞬間的にむっときて、肩に掛けていた鞄の中身を地面にブチ撒けて反論を翳した。
「のこのこじゃないし!自衛の道具とか、いっぱい持ってきてるもんね!ほら見てみなさいよ私のとっておき七つ道具!」
カッターナイフ、ハサミ、殺虫剤、白い粉末の入ったチャック付きビニール袋。夜間外出の際携帯するにしてはお粗末な品々が各々の存在を主張している。
少年はそれらとこちらを交互にゆっくり視線を注ぐと、やはり呆れた様子で言った。
「……どう見ても、七つもあるようには見えないけど」
「君そこは雰囲気で察しなさいよ、察するの!私が七つ道具って言ってるんだから大人しく乗るの!」
「……この、ビニール袋、って言うのかい?これに入ってる白い粉……何だい?」
「お塩だよ!」
「……何で?」
「この国じゃお祓いに効くんだよ!」
「……何でお祓い?」
「そりゃあ君ね、今からこの中に乗り込むからに決まってるじゃん」
当たり前の事を何訊いているんだと言わん表情で発言すれば、彼は分かり易く眉を顰めた。命令を聞かない子供を叱り付けるような口調で問い掛けられた。
「本気で―――本気で言っているのかい?」
「その為に私はこんな時間に此処までやって来たんだ、わざわざ」
説明しながら地面に置いた道具を鞄へ放り込み、よいしょと肩に掛け直す。
彼から視線を外して再び両扉に近付いた。右手に握ったままの金属バットを構える。そんな自分の背中に、未だ背後で佇む少年が声を掛けてきた。
「君の目的は一体何だい?どうしてここまでして、犯人を探しているんだい?」
「……、私さぁ。友達とか、友情とか、よくわっかんないんだよねぇ」
「は?」
背中を向けていても、解る。きっと今、後ろの少年は不可解極まりないと言いたげに顔を顰めているに違いない。
それでも、今脳内を巡る思考は紛れもない己の本音なので、隠す必要も無い。全て語らんと唇を動かす。
「だから、後輩が殺されて―――いや、なんか、まだ死に切ってないらしいんだけど―――とにかく殺されたと知った時さ。どうしたら良いか全然解らなくて。私の中じゃ、後輩って別に親友とか友達とかの枠じゃないなぁって、なんか思い出しちゃって。腐れ縁、って言葉が一番近い関係なのかな?」
「…………」
「でも、段々腹が立ってきて。腐れ縁止まりなのにさ、なにうちの知り合いに手ぇ出してくれとんじゃとか思って。それで、一体どこの誰が犯人なんだとか、頭ん中グルグルになっちゃって。私、頑張ったんだよ?頭あんま良くないけど、馬鹿にされる事が多いけど、頑張って考えて考えて―――」
脳裏に蘇る、とある人物の姿。
思えば、そいつの存在をちゃんと知っているのは、知る限りでは自分を含めてたったの二人だけだった。
「昔からチラチラと見掛けてた奴の事が、頭に浮かんだんだ。ひょっとしたら、それが犯人なんじゃないかって、ふと思ったんだよね。―――証拠も無いのに」
「でも、君の直感はその人物が犯人だと叫んでいた」
「直感……無視、出来なくて。そんで此処に辿り着いて、【あいつ】が犯人だって確信が何故か一層強くなっちゃって―――玄関扉に殴り掛かってた。【あいつ】の事を、とっちめたかった。私の予想だと、【あいつ】はきっと、この家の中に……」
言いながら、俯きがちだった顔を上げて両扉を真正面から睨む。
「君一人で会いに行くつもり?」
「だって、【あいつ】の存在―――絶対、誰にも信じて貰えないから。警察とか以ての外。誰も信じてくれないなら、一人で会いに行くしかないじゃん……」
「一人では行かせられないな」
その言葉に、自然と視線が少年の元に吸い寄せられた。今見える彼の顔からは胡散臭さといった偽りの仮面が抜け落ちているように見えた。
「目の前で女の子一人に行かせる程、僕は薄情じゃないからねぇ」
少年がこちらの元へ数歩進んで、頼もしさを感じる長身が隣に並び立った。
己の口から自然にぽつりと質問がこぼれ落ちる。
「……私も訊いて良い?何で、君は犯人に会おうとしてんの?」
「個人的に大事な用があるんだ、彼にはね。それに―――僕がしようとした事、全部台無しにされてしまったから。是非恨み言をぶつけてやりたい、とか思って」
「意外。君、そんな過激な発想とか出来たんだ」
「普段猫被ってただけだよ」
「なんとなーくそうじゃないかって思ってたけど……、そっか。まるで後輩と一緒だねぇ」
「でも僕とあの子、実際そこまで似てないと思うんだよね。面倒臭がりなところとか、色んな物を諦め切ってるところとか特に……」
「あーそれは解る気がする。確かにそうよねぇ」
積年の実体験を思い起こす様にして彼の目が細められる。懐古と郷愁の混在した瞳の中、静謐な紅い光が揺蕩っていた。
「僕は……本当に、頑張ったからね。『断念』なんて言葉は最初から頭に無くて、欲しい物を手に入れる為なら何だってやった。手に入れた後も、何かを諦めて引き返した記憶なんて無かった。―――あの子と違って」
「まあね、実際あんたらそんな似てないよ。そもそも生まれ育った環境が違うじゃんね」
「……そうだね、それも関係あるだろうね」
そして二人で玄関扉に同じタイミングで手を添える。施錠はされていなかった。
「ねえ、私さ。一人で何もかもやり遂げるつもりだったから―――こんな所で誰かが隣に居てくれるだなんて想像もしなかった。だから、君が一緒に行くって言った時、凄く嬉しかったんだ」
同行を申し出てくれた少年に改めて向き直る。ふわりと微笑んで、簡潔なお礼の言葉を贈った。
「―――ありがとう、リドル」
ガチャリ、と大きめな音と共に扉が開かれた。
気付いた時には、二人は中に滞留していたらしい冷酷な空気を正面から浴びていた。それはまるで、真冬に冷蔵庫を開けた時の感覚に酷く似ている。―――冷房器具など稼働していない建物から吹雪くこの冷気は、明らかに異常だった。
お目当ての存在の事を考えると、玄関で呑気に靴を脱いで上がるだなんて真似はしない。土足のまま気楽に侵入すると、大きな玄関ホールが二人を出迎えた。
少女は暗闇の中を落ち着いてぐるりと見渡してみる。すると、奥に設置されている豪華な三人掛けのソファーに、少年らしき人影の姿を確認出来た。それが少年らしいと予想出来たのは、見えた体格から考えて十代ぐらいの人間だろうと思ったのと、此処に潜んでいる犯人の素性に心当たりがあったからだ。
三人掛けのソファーを占有している人影は勝手知ったる様子で優雅に足を組み、そこがまるで玉座かの如く尊大に腰掛けている……。
この家は殺人現場で、それが発生してまだ日が浅い。関係無い者の立ち入りは当然禁じられている。その筈なのに、謎の人影はお構いなしと言わんばかりに、此処が自分の根城だと言わんばかりに、傲慢さを隠そうともせず居座っていた。
「誰も居る訳がない」、と断言していた先刻の男の言葉を思い出す。彼はきっと、その言葉が誤りであるという事実を永遠に知らぬままなのであろう。
光源の一切存在しない玄関ホール。故に人影の視覚的な情報はシルエットだけで、詳細な容姿を捉える事が出来ない。それでも、そいつが探している人物そのものであると、侵入者の二人はごく自然に理解していた。
―――そんな中、緩く閉じられていた人影の瞼が持ち上がった。どんなに深い暗闇をも見通す視力を備えた二つの眼球が、その姿を露にする。
健常者なら有り得ない、気味の悪い
まず右側に立つ黒髪の少年を、そして次に左側に立つ赤みがかった黒髪の少女を視界に収める。瞳の中の紅い光が、見知った人物と再会するという予想外の出来事で僅かに揺らぐ。そして、再会したという事実に対する嫌悪感が急速に漲って、紅い光は残酷に煌めいた。
人影は、一言も発さずに自分を見つめ続けている二人の正体を理解した瞬間、吐き捨てる様に言葉を発した。
【―――こんな夜中に、厚かましい亡者とマグル風情が、一体何の用?】
高くも低くもない、中性的でどこか艶のある声が深い闇の中、厳然と奏でられた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
禁じられた森の闇の中。
―――目の前で己の手を取り、跪いている魔法使い。
クィリナス・クィレルが、紅い光のチラつく不気味な両眼を一度たりとも逸らさずこちらに向けている。
妙な動きをしたら、すぐに解るぞ―――まるでそう言いたげな表情をしていた。
一応こちらは、彼が忠誠を誓った主人の片割れだ。恭しいこの一連の態度はそういう事だろう。敵対している存在に跪くなど滑稽極まりない様ではあるが。
取られた手からぞくりとした寒気が侵入し、やけにゆっくりと全身に上ってくる。生きている癖に、死んでもいない癖に、この冷たさは一体どうして―――。
そこで、気付いた。この森を現在進行形で蝕んでいる現実を。
ユニコーン。『死にかけた存在を延命させる血液を持つ魔法動物』。彼らを襲撃し、その身に流れる血を啜った事で生きながらにして呪われた、愚かで穢らわしい悪魔はどこの誰であるか。
成程、死人の如きこの冷たさは、相手がユニコーンの呪いを受けた事に起因する現象なのだろう。
「さあ、共に参りましょう―――闇の帝王の覇道へ」
クィレルが興奮冷めやらぬといった表情で、囁いた。片手でこちらの手を掴んで離さないままもう片方の手を懐に突っ込んだかと思うと、そこに杖が握られているのが見えた。
そこで、こちらも動く。一瞬怖気付きそうになる全身に叱咤を入れ、頭の中で鮮明なイメージを浮かべる。
―――己の片手が綺麗に分断され、宙を舞う光景を。
『《ディフィンド》―――』
瞬間、液体が勢い良く噴射する音と、柔らかい物を切断する音が響いた。同時に、クィレルの顔面全てを覆う様にして真っ黒いインクが飛び散る。彼は言葉にならない悲鳴を上げて後ろへ転げた。
まあ仕方の無い事だろう。これをマグルに置き換えると、調理台に連れて行く予定の生きたタコやイカを手中に収めた瞬間、思い切り墨を吐きかけられたようなものだ。誰だって転げる。
さて、クィレルに掴まれた片手を切断する事で得た自由を最大限有効活用しなければならない。勿論、これは決して容易なものではなかった。激痛はちゃんと己を苛んでいるし、片手を失った事による体幹の偏りを視野に入れて動かなければ。
尤も、肉体が完全に分離する程切断した経験など―――既に一度、味わっている。慣れた訳ではないが、二度目ともなると多少は痛みに適応出来るものだ。―――両足や片手を切断したところで、分霊箱が死ぬ事は無い。
激痛の余り明滅する視界の中、唇を引き結んで声を漏らさぬ事を徹底してクィレルとは反対の方向へ走り出す。
(こいつとハリーを引き合わせるのは、今は駄目だ―――、ハリーの護りを利用してこいつを殺したところで、取り憑いているヴォルデモートは逃げるだけだ!)
ハリーとの合流は、選択肢に無かった。
自分の思い描く計画を実現する為には、ここでクィレルを無理やり滅ぼす訳にはいかない。
かといって、大人しく捕まる訳にもいかなかった。
―――高速で回転する思考の中、一瞬だけ蘇る。
疎らに白髪の混じった男。その仲間の連中共。
逃亡中の指名手配犯を確保するかの如く、自分を取り囲んできたあの日の光景。
奴らの顔面にそれぞれ貼り付いていた表情―――恐怖、畏敬、快哉、興奮―――。
今、クィレルが遂げようとしている事は―――あのクズ共となんら変わりない―――吐き気がするだけの、実に下らない悪行だ。
『―――ぐ、アァッ!』
肘から先の無い片腕に魔力を集め、伸長させる事を意識する。するとズアっという不可思議な音と共に失われた筈の腕が形作られた。再生する瞬間全身を駆け巡る震えを何とか耐え忍ぶ。
放っておいてもこの身体の損傷は勝手に回復するのだが、この状況ではそれをいちいち待ってはいられない。故に多少の魔力消費を行ってでも、速やかに肉体を五体満足に復元するのが重要だ。
……本当に、都合良くいかぬ忌々しい身体である。
本体である日記帳は一部の攻撃を除き、あらゆる損傷を完璧に防いでしまうというのに―――人型の姿であるこちらは普通に傷付いて、腕も千切れるし足も切断される。どうせなら人として顕現するこの身体も無敵にしておいて欲しかった。
『ッ、速いなこいつッ―――』
ギュアっという音と共に、背後から十本のロープが新体操のリボンの様に波打ちながら迫ってきた。こちらの身体を通り越して先回りしたかと思うと、窮屈なカーブを描いて熊手箒の様な形状となり、前方から覆い被さってきた。
疾走していた足を跳躍に切り替えて、屈折したロープの隙間目掛けて一度高く跳ぶ。空中で全身を捻って、絡み付く寸前だったそれらを全て回避する。クィレルの呻く様な怒りの声が聞こえた気がする。
―――多分クィレルは、度々目にするこちらの異常な身体能力の謎が理解出来ずに歯噛みしているのだと思う。実際、自分でも何でここまで自在に身体が動くのかよく解っちゃいないのだ。解らくてもあまり問題は無いだろう、多分。
……まあ、元マグルの魂だからひり出せる底力だとでも思っておこう。
魔法で移動し魔法で戦う魔法使いには無縁の、肉体を極限まで利用した戦法だ。
マグル最高、マグル万歳。……この身体でこういう事を考えるのは、『本物』に対する尊厳破壊になるのだろうか?
(前世で付け狙われて、今世でも追われる身柄だって?本当に自分の人生―――何もかもクソだな!!)
急激に沸き立つ怒りをなんとか鎮めて、近くにあった木々に向けて切断呪文を連発した。根元から切り離されそれらが倒木となる前に、浮遊呪文を掛けて宙に留める。一年生の授業で使う羽とは違い、重量のある物を浮かばせるのは地味に魔力を消費して疲れたが文句は言っていられない。
浮かばせた木々の横を駆け抜けてから呪文を解除、背後のクィレルへ向けて勢い良く倒してやった。この程度で撒けるとは思っちゃいないが、ただ走り続けるよりはマシであろう。
ベキベキと倒木の音と土煙が上がり、一時的に視界が悪化する。それらを利用して上手いこと身を隠し、目くらまし術を掛けながら手頃な木の一本に飛び付いてひょいひょいと上っていく。てっぺん付近の枝まで到達したら息を潜めつつ(呼吸の必要は無いが)眼下を眺めてみた。
土煙の中、ターバンを振り乱しながら消えた獲物を必死に捜す男の姿がよく見える。……さて、ここからが正念場である。
『…………』
クィレルは土煙が収まるまで無闇にその場から大きく動く事はしなかった。周囲360度をしきりに見渡し、油断なく杖を構えている。
……そろそろ二十秒くらいが経つ頃だ。そして……
『―――ッ』
ぎろり。
唐突に、クィレルの頭が傾いて真上を向いた。その両の眼は、しっかりとこちらへ向けられていた。暗闇に紛れている筈のこちらを―――目くらまし術を掛けている筈のこちらを。
『……あの男め……ッ!』
―――今のは確実に、ヴォルデモートの能力だろう。
ヴォルデモートは、自分と同じ魂を持つ分霊箱の居場所を、やろうと思えばいつでも把握出来るのだ……。
瞬間的にクィレルと反対の方向へ飛び降りる。落下の衝撃を前転で受け流しつつ再び走り出した。魔力の無駄でしかなくなった目くらまし術を手早く解除する。
……どうやらこの最低最悪な鬼ごっこは、普通の方法では終わらせられそうにないようだ。
最早立ち止まっていられない。ざりざりと斜面を滑った先、苔むした切り株の側を通り過ぎると川のある場所へと出た。流れる水など分霊の身に大した支障はなかろうが、飛び越えられない距離ではない。川の向こうへ逃げようとした、その時である。
「待ちなさい、少年」
『……ッ!』
頭上からばさりとクィレルが舞い降りてきた。たった今こちらが飛び越えようとしていた川を背にして、こちらへ片手を伸ばして歩み寄ってくる。―――今のは、姿あらわしか何かだろうか?
「悪くは思わないで欲しい。これも全て―――あの方の望んだ事なのだ」
『…………』
無表情のままクィレルの言葉に耳を傾けつつも、じりじりと後退して距離を取る。対してクィレルは大股でより一層こちらとの距離を詰めてくる。彼に気付かれぬよう、ゆっくりと杖を持たぬ方の左手を背中に回した。
「君に訊きたい。一体、何が不満かね?あの方の望みは君の望みで、逆もまた然りではないのか?どうしてこんなにも逃亡を続けるのか、私には不思議でたまらない」
『…………、教師らしく対話でもしようって?』
嘲りを含んだ笑みを返事の代わりに送ってやった。
攻撃を一時中断し、ひと思いに拘束してしまわないのは、対話でこちらを丸め込もうとしているからのようだ。
数ある道の中、教師という子供を導く職業を選んだ分際で、容易く闇の手中に堕ちた不愉快極まりない男を、遠慮も配慮の一片も無い眼差しで睨み付ける。
―――理解出来ない。
目の前の男に限った話ではない。
当時の学生達も、教師陣も、死喰い人も、クィリナス・クィレルも。
どうしてどいつもこいつも、ヴォルデモートなどという暴君に呆気なく誑かされて、従ってしまうのだろうか。
一体、こいつの何が、そんなにも信じられるというのだろうか。
生まれた世界も、育ってきた環境も、彼らと何もかもが違う異邦人の自分には、きっと永遠に解らないのだろう―――。そう、常に神の視点でこの世界を眺めるだけだった、単なる傍観者の自分には―――。
たった一人だけ。
初対面でこいつの本性を見抜き、最後の最後まで打倒を果たす事を諦めなかった、老練な魔法使いを思い出した。
今の自分と、きっと同じ目的を掲げているであろうその男。しかし、こんな存在になってしまった自分では―――協力を仰ぐ事など決して叶わぬであろう。彼の元を訪れたところで、自分もヴォルデモートに対するのと全く同じ視線を、冷ややかに向けられるだけに違いない……。それが、とても悔しくて……悲しいと思った。
ふと脳裏に、二人の人間の姿が過った。
黒髪の誰かと、赤みがかった黒髪の誰か。
何故こんな時に浮かんで、思考を乱してくるのだろう。
どんな顔だったか、どんな声だったか、今となっては何一つ思い出せない。
その二人はもう―――記憶し続けるのが困難な程、何十年も昔の人間だ。
とん、と背中に何かが当たって後退していた足が止まる。恐らくさっき滑り降りた急斜面だ。クィレルとの距離がますます縮んでいく。
「……そうだね、出来るなら、我々は今一度対話をすべきではないかと思う。我々は、解り合える筈だ。この間の無礼はしかと詫びよう。きっと、君に多大なる不快感を与えてしまっただろうから」
『―――お前の存在全てが不快だ。詫びるつもりならとっとと僕の前から失せろ、教師もどき』
言外に対話に応じるつもりはないと吐き捨てた。
退路を塞ぐ様に近付いて来る足取りも、善人気取りの表情を貼り付けた偽りの仮面も、和解を求めんと差し出した片手の何もかもが不快である。
それら全てが―――かつて此処とは違う世界で自分の元を訪れた連中と、何一つ変わりない姿だったからだ。
「……」
教師もどき、という単語に一瞬だけクィレルの動きが止まり、その偽りの仮面に罅が入った様に見えた。ここまで腐っても、教師としてのプライドといったものがまだ残っているのだろうか。彼はすぐに顔を上げて、再び仮面を被った表情で近付いて来る。
クィレル目掛け、分かり易く大袈裟な動作で杖を向けた。瞬間、手の中から逃げる蠅の様に、凄まじい速度でサンザシの杖が明後日の方向へ飛んでいった。己が視界は、クィレルの手が横薙ぎに振るわれたのを確かに捉えていた。
杖を使わない魔法の行使―――クィレル自身が身につけた技術か、ヴォルデモートが取り憑いているからこそ成せる業か、それは定かではない。
クィレルから決して顔を背けず、杖が飛んでいった方向を眼球の動きだけで把握する。彼は、唯一の武器を奪われて尚顔色を変えないこちらを訝しんで、表情を僅かに顰めたようだった。
ぐ、と背中に回したままの左手に力を込める。残念ながら、今の自分にこの状況で魔法を使う事は不可能だった。『本物』ならばきっと可能だっただろうが―――ここに居る自分は結局、元々が魔法とは無縁の、ただのマグルに過ぎないのだから。
「……残念だ。実に、残念だよ。まあいい。君と対話する機会は―――この先もあるだろうからね」
クィレルは心底惜しむ様な声色をしていた。
杖の無い状況でも怯まず、目の前の男から視線を外さない。先程こちらの発言で僅かに入った仮面の罅、その隙間を掻い潜る様に彼の表情を間近で観察し続け―――
一つの答えに辿り着いた。
『―――、お前……』
ぽつり、と声が漏れた。その答えが、余りにも予想外で場違いなものだったからだ。
何かを言わんとするこちらを尊重してか、クィレルの足取りが緩やかになる。一応発言する猶予をくれるらしいので、素直に従っておく事にした。
『―――お前、何で僕なんかに嫉妬してるんだよ?』
はっきりと、辿り着いた答えから生まれた疑問を正直にぶつけてやった。
瞬間、クィレルが被る仮面が、ばきりと派手な音を立てて破壊された幻覚が見えた、ような気がした。
「なっ―――、何故、そっそれを、」
分かり易く狼狽え出すクィレル。仮面はもう、何処にも見えない。
『……お前と僕に、直接的な関係なんか無いだろ。主人には忠誠を誓って、その片割れの僕には嫉妬?全くおかしい話じゃないか。お前のその嫉妬心は、一体どこから来るんだ?』
続けて追求すると、彼はわなわなと薄い唇を震わせたかと思うと、恐ろしい形相に早変わりした。ぐいっと一気に距離を詰めてこちらの右手を力強く掴んでくる。地味に痛い。痛みで顔が歪む。
「何故ッ!何故何故何故何故何故ッッッ!貴方がそれを知っている!!」
罪人を咎める執行人の如き憤怒に満ちた形相で、こちらを至近距離で睨み付けてくる。その姿に、主人の片割れに対する敬意は最早微塵も残ってはいない。彼の爪が深く食い込んで、益々激しい痛みをこちらに齎した。
「開心ッ、開心術!?いやッ、だがしかし!何故―――何故なのだ!私は、私にはッ、ご主人様が―――ッ!!」
ここまで接近したならさっさと捕縛に移れば良いものを、取り乱したクィレルからそういった思考が抜け落ちているらしい。彼は己の右手首をぎりぎりと強く掴んで怒鳴り声を撒き散らすだけで、それ以上の行動に移行しようとはしない。
「心に入られた感覚など無かった筈だ!!何故ッ!?そもそもご主人様の御魂がある!私にあらゆる開心術は通用しない筈なのだ!!」
『いッ、つ……!』
「答えろ!!何故だ?何故だ何故だ何故私の、私の心を―――君は、土足で―――ッッッ!!」
ぐらぐらと激しく揺さぶられる。相手の心情を言い当てて発生する、こういった状況は酷く懐かしい。だが懐古に浸っている暇は無い。どうしてこの男は、こうも取り乱しているのだろうか?
(開心術は効かないって、言いたいのか……?でも、実際こいつの頭の中は……)
早急に過去の様々な記憶や知識を総動員させる。
開心術―――他人の感情や思考を読み取る魔法―――読み取られた被害者は心の中を暴かれる確かな感覚に襲われて―――そして―――。
そして―――それは杖を使用する魔法。勿論、卓越した魔法使いならば杖が無くとも心を読めるだろう―――しかし、今の自分に杖は無く―――。
いや―――自分が昔観た物語だと、クイニーという魔女が杖無しで全く同じ様な能力持ってたし―――?
……。
…………。
………………。
……………………。
あっ…。フーン。
『―――取り敢えずその汚い手どけろッ!!』
どす、と。
左手に隠し持っていた凶器―――ハリーと共に殺した蜘蛛型の魔法動物、アクロマンチュラから捥いだ毒牙をクィレルの腕に躊躇いなく突き刺した。いつかの夜、こことよく似た暗い森の中で行われた時と同じく、ケーキに蝋燭を立てる様な気軽さで。
結果、掴まれていた手はすんなりと解放され、代わりに成人男性の絶叫が迸った。
「ぎ―――ッ、ぬあァァァ!!」
敢えて杖を奪わせる事で油断を誘い、警戒の薄れた手元に隠していた武器を使う。シンプルな策だったが随分と簡単に引っ掛かってくれたようだ。―――やっぱりこいつ、こっちの見た目が未成年だからって無意識に舐めてかかっているだろ。本当に不愉快だ。
こちとら、五十年の時をヴォルデモートに対する憎悪と共に過ごしてきたのだ。あの男に取り憑かれる事を容易く許した、利用されるだけの愚かな傀儡如きに舐めてもらっては困る。
(―――最悪だ!今の光景、絶対こいつを介してヴォルデモートに伝わるだろ!)
うっかり晒してしまった己の失態は、流石にもう取り消せない。
開心術を使用しない読心。絶対不審感を与えるに決まっている。―――前の世界でも、そうだった……。
失態を恥じ、頭の中だけで全身転げ回りながらも逃亡を再会する。今は己の無様さを悔いるよりもこちらが最優先だ。飛んでいった時に確認していた場所―――河原に落ちていたサンザシの杖の回収も無事終える。
『―――先生、それアクロマンチュラの毒だから、今すぐ解毒しないとマズイですよ』
崩れ落ちるターバンに向け嫌味じみた丁寧な口調で助言した後、ついでに失神呪文を浴びせてから川をぴょんと飛び越えた。
可能なら武器になる毒牙を回収したかったのだが、思った以上に深く突き刺さってしまった為引き抜くのは困難だった。仕方なくクィレルの腕に刺さったまま放置を決める事にした。
―――クィレルを激昂に追いやった際同時に読み取ったのだが、ハリーとドラコの二人と一緒にいた際に襲ってきたアクロマンチュラは、やはり奴の仕業であった事が判明した。
奴が、服従の呪文を掛けて襲わせたのだ。
思えば確かに不自然であった。あの化け物蜘蛛は、群れで生きる性質と人語を喋る能力がある。なのにたった一匹で行動しており、一言も何かを喋る事はなかった。それは無理やり操られていたが故の結果だったのだ。
全ては、ハリーの持つ分霊箱を手に入れる為。
罰則を利用して森に誘い込み、護衛の森番と分断し、化け物に襲わせ―――死体から日記帳を回収する算段だったのだ。
アクロマンチュラ程度の毒で、分霊箱は破壊されない。分霊箱を持つ子供に対し嗾けるには格好の操り人形だったに違いない。
だが、自分が実体化したままハリーの護衛を果たし、結果的にアクロマンチュラを葬ったのでクィレルの思惑通りにはならなかった。そして痺れを切らした彼は自ら襲撃を決断したのだ。
(……まあ、咄嗟の機転で僕が逃げ出して、ハリーと日記帳の両方から気を逸らした訳だが)
あの時。
ハリーやドラコにも正体を晒しても構わないと言わんばかりに急接近してきたクィレルに対し、注目を惹き付ける様にして疾走を開始したのは正解だった。お陰でクィレルは非力な二人の子供からターゲットをこちらに変更して、目の前に人参をぶら下げられた駄馬の如く後を追って来てくれた。全てこちらの計算通りだと知らずに。……流石に手を取られて跪かれた時は驚いたが。
(でも、このまま闇雲に逃げるのはジリ貧だ。……日記帳から離れられる距離には限度がある)
段々と、日記帳のある方角に全身が引っ張られそうになる感覚が強くなってきた。直線的な距離が離れ過ぎないようにと、ハリー達を置いてきた場所から見て円を描く様に動き、逃げる方角をなんとか調整してきたのだが……眼前の入り組んだ地形を考慮するとそれも難しくなってきた。
まあ、しかしアクロマンチュラの毒を与える事に成功したのだ。流石にもう追跡を続ける体力はあちらに残っていないだろう。このまま後方への警戒を続け、ハリー達との合流を目指しても良い頃合かもしれない。
『―――っと、やっぱり仕掛けてるよな!』
全身を巡るぴりぴりとした感覚。
杖を振るえば、前方数百メートルに渡って懐かしい物が姿を現した。それは、かつてクィレルがホグワーツ城内に設置してくれた―――木々の間を結ぶ無数の白い線。触れた物を痺れさせ、捕らえる為のシンプルな罠。
怪盗が出てくる作品の美術館や博物館などで仕掛けられている様な、防犯用の赤外線を思わせるそれらの罠はここら一帯にびっしりと張り巡らされていた。
奴らはこちらをこの辺りに誘い込んで拘束する予定だったのだろうか。かなりえげつない真似をする。
『こちとらアルセーヌでも怪人二十面相でも無いぞ、全く』
ぼやきながら罠を掻い潜る事にした。後方へ引き返すのは追っ手の存在を考えると有り得ない選択肢だ。
走りながら身を屈め、飛び越えられる高さの物は背面跳びの要領で回避し、蜘蛛の巣みたいに縦横無尽に張られている気合の入った白線は、《エイビス》で生み出した鳥達に犠牲になってもらう事で解除していった。
本当に、さっきから重労働の連続で辛い。頭と肉体を常に稼働させ続けなければいけないし、折角長年溜め込んだ魔力が目に見えて減ってしまっている。クィレルの手前、表面上は涼しい顔を取り繕っているけれど内心へとへとなのである。何で自分ばかりこんな目に遭うのだろう……。
両脚に蓄積してきた疲労感に動きが鈍った、その時だった。
―――ゆらり、と、不意に斜め前方の巨木から、一匹の魔法動物が姿を現した。
岩石の様なずんぐりとした巨体、異常に長い腕、禿げた小さな頭。
思わず両目を見開く。そいつは、この場所に生息する筈のない―――山トロールだった。
『……、な……』
疲労で警戒心や身体のあらゆる機能が低下してきたところへの、突然の予期せぬ来客。
(上半身に対して下半身が―――貧弱じゃない……!?)
こちらの姿を認識すると同時、大きく振りかぶられた薄い灰色の拳に鈍った頭では反応が出来なかった。眼前に迫り来る巨大な肉の塊に、間に合う筈がないのに無様に呪文を唱えようとした時。
『がッ、あァッ!!』
前頭部を激しい衝撃が襲った。吹き飛ばされた先にある樫の幹に全身を叩き付けられ、一瞬目の前が白む。何故すり抜けない、と考えて、今いる場所が古来より魔力の根付く森林だと思い出した。
殴られた頭部から夥しい量の黒い液体が流血し始める。自ら腕を切断した時と同等かそれ以上の痛みに苛まれ、次の行動に移る事が出来ない。まるで、交通事故で車に轢かれた時の様な、それ程の衝撃―――。
ガクガクと震えてみっともなく地面を這い蹲る事しか出来ない自分の前で、ずしんと余裕を持って歩いてきたトロールが、再度拳を振りかぶった。―――避けられない。
『げぅッ―――』
蛙を潰した様な惨めな声が漏れる。うつ伏せの背中を殴り付けられて、周囲の地面ごと全身が数センチ沈下した。どういう身体構造をしているのか自分でも解らぬが、体内から逆流してきた黒い血が唇から勢い良く溢れ出た。
生身だったら、間違いなく脳と内蔵が潰れてとっくに死んでいたところだ。しかし、この身体は決してトロールの拳で死ぬ事は無い。―――死ぬ事を許さない。
がふ、と黒い塊を吐き出して、なんとか握り続け離さなかった杖に魔力を込める。痛みは限界に達し真面な思考なんて機能していなかったが、ただ一つの本能が己の精神を突き動かしていた。
―――自身を害する目の前の敵を必ず葬らなければならないという、原始的な本能。
トロールが一旦殴打を中断し、その巨大な手でこちらの頭部を鷲掴みにした。そのまま眼前まで持ち上げてくる。重力に従いだらりと垂れ下がった全身から、幾つもの黒く細い滝が捻りっぱなしの水道の蛇口みたいに流れ落ちていく。
薄く瞼を開くとぼやけた視界の中、トロールの知性を感じられぬ顔面が映った。どこか夢見心地の間抜けなその表情は服従の呪文の被害者を連想させる。―――こいつも、クィレルの仕込んだ罠の一つなのだろう。
『…………、………………ッ』
何かを喋る気力などとっくに尽きていたが、たった一言だけ、声を出さねばならない。
弱った獲物を主人の元へ運搬せんと歩き出した巨体に向けて、ゆるゆると杖の先を突き付けた。
『ぐっ、ふ―――』
目的の呪文を告げようとして、血まじりの咳に邪魔される。数度繰り返してどうにか喉の詰まりを取り除き―――
かつて、この世界で初めて成功させた、あの呪文を叫んだ。
『《アバダ・ケダブラ》……ッ!!』
栓を抜かれた浴槽の水の様に、杖先から大量の魔力が放出される感覚が襲った。同時に、僅か残っていた気力がごっそり失われる感覚。
杖先に奪われていった己の魔力は緑色の光線へと変貌を遂げて、真っ直ぐに灰色の巨人の肉体へと到達する。その体の持ち主は、鈍重故に回避など行える筈はない。何の抵抗も無く、何を唱えられたかも知る事無く、緑光の奔流に飲み込まれていった。
『ぐぅッ…………!』
生命を失い、力の抜けたトロールの手から地面に落下する。背中を強かに打って自然と喘いだ。べちゃりと果実が潰れた様な嫌な音が響いて、最底辺まで沈んでいた筈の体調が限界を越えて急降下していった。内臓も無い身体なのに吐き気がこみ上げてくる錯覚に襲われ、しばらく起き上がれそうにない。
『クッ……ソ―――……。やって、くれたな…………あいつら……ッ』
恨み言を吐くのすら酷く苦しい。今も実体化を保っている事が奇跡だ。今までの今まで、燃費が悪い身体なりに工夫し続け、魔力の節約を心がけてきた日々が功を奏しているのだろう。
なるべく使用を避けていた筈の、魔力消費の激しい《死の呪文》を発動したせいによる疲労感がじわじわと全身を蝕んでいく。顔も胴も黒い血だらけで滅茶苦茶だった。
もう、一日中こうやって仰向けに転がっていたい。……が、追われている身で大人しくその願望に縋る訳にはいかなかった。
怠惰に甘えそうになる全身を叱咤し、機械の様にぎこちない動きでどうにか上体だけ起こす。立て膝で座ったまま周囲を仰ぎ見れば、トロールの物言わぬ死体が転がっている事以外は何の異変もない林が聳えている。
(ぐ―――ッ、……クィレルの奴は……諦めた、か?)
トロールに甚振られている最中も、クィレルが追いついてきた気配は感じなかった。やはりあの毒で想像以上に苦しんでいる、という事だろうか。あの毒牙を回収出来なかったのが本当に悔やまれる。
毒牙による攻撃を行ってから、結構な距離を移動した気がする。例えクィレルが解毒手段を持っていたとしても、まだしばらく追いつかれる心配はなさそうだ。少しの間動かずに、自身の再生を待った方が最善かもしれない。
―――と、せめて此処よりも身を隠せそうな場所で休もうと、些かだが回復してきた身を起こして歩き出そうとした時。
『―――なっ!?』
シャラン、とまるでスレイベルを鳴らす音が響いたかと思うと、頭上から白く細長い鎖が降ってきたのだ。鎖の先端に付いたチョーカーの様な首枷がミミズの如くうねりながら、自分の喉笛に食らいついた。発声を司る部位を襲う圧迫感に為す術もなく翻弄され、そのまま数メートル真上へいとも簡単に吊り上げられていく。
間近に立っていた樫の古木、その絡み合った枝の一つから生える鎖に吊られ、傍から見れば樹海で首吊り自殺を図った縊死者と同じ格好になってしまった。
自由な両手で首を戒める枷を外そうと試みるが、どう足掻いてもこれは素手でなんとかなる代物ではないという事実を思い知らされるだけだった。
『くッ―――!はァァァッ――――』
分霊の身体は首を吊られようが致命傷にならないとはいえ、この世界で初めて味わう羽目になった自重による急所への圧迫感。前の世界でも体験した事のないそれは想像以上に大きな苦痛を伴うものであった。恥も外聞もなく喘ぎながら全身をよじって苦痛を逃そうと暴れる。
―――またしても死ねない苦しみが、容赦も加減もなく連続で自身を苛む現実に、いい加減心が折れそうになった。
未だ少量の流血が続く頭をなんとか傾けて地上を見れば、そこには―――毒を受けて一時行動不能になっていた筈の、ターバンを巻いた男がこちらを平然と見上げながら立っていた。
気味の悪い事に、その男―――クィリナス・クィレルの緩やかにカーブした唇には、銀色に光る液体が涎の様に滴っている。……あれは、まさか―――!
『お゛、前ッ―――、またッ、ユニッ、コーン……!』
「―――ご名答。実に……ああ、実に美味だったよ。スリザリンに十点をあげなければ」
途切れ途切れの声で目の前の男が再起を果たした真実を告げれば、彼は恍惚とした微笑みを浮かべ、癪に障る身振り手振りで加点を言い渡した。こんな状況でも教師の真似事とはふざけている。
アクロマンチュラの毒に蝕まれた肉体を、こいつはユニコーンの血液を補充する事で無理やり動かしているのだ。直接的な解毒は出来ずとも、延命を齎す聖獣の体液は逃げた獲物を追い掛けるのに十分な力を与えたのだろう。
『はぁっ、ぐうぅ―――ッ』
「悪いね、苦しいだろう……。だが、君にも非がある。君が逃亡を続けなければ、こんな手段を取らずに済んだのだよ、解るかね」
何かの呪文で抵抗しようにも、この状況で正確なスペルを発音出来そうにない。とにかく苦しくて苦しくて、呼吸なんて要らない筈なのにちゃんとした発声を遂げる事が、出来ない。
クィレルの様子を視界に入れる事すら困難になってきて、ひたすら苦痛を逃そうと頭を左右に振り続ける。何時まで経っても圧迫感は弱まる事も消える事も無く其処に有り続け、意識を失って楽になる事も出来ない分霊の身体に、只々絶望を覚えるしか、なかった。
自分ではない『本物』に向けて、心の中で呟いた。
―――ほら、見た事か。
不死身の身体なんて、そう簡単に夢見るものじゃない……。
「……さて、ご主人様が覚醒なさる前に終わらせよう」
今までの恨みの発散だと言わんばかりに、クィレルはしばらくの間無意味に藻掻き続けるこちらをじっとり眺めた後、杖を取り出してやはりゆっくりとした動きで突き付けてきた。
ユニコーンの血が未だこびり付く唇が動き出し、一つ、唱えられる。
「―――
―――其処は、無限に続く白い空間。
訪れる全ての者を拒む様にして、黒い炎が燃え盛っていた。
開心術にてその世界への侵入を果たしたクィレルは、目の前で轟々と燃え続ける極大の黒炎に一瞬たじろぐ。一体何処から燃料を補充しているのか、しばらく観察しても黒炎の勢いは一度も衰えを見せる事は無かった。
この世界の深奥へ侵入を果たすには、この炎を越えねばならぬと直感で理解したクィレルは、杖を構えながら一歩踏み出そうとして。
―――黒炎の中から、ゆっくりとした足取りで青年が姿を現した。
それは、先程からクィレルがその身柄を追い求めんとしていた人物と、全く同じ姿をしていた。
順当に考えれば、この世界の主―――今から行う蹂躙の餌食になるべき被害者。
クィレルは我が意を得たとばかりにニヤリと口元を歪め、その青年へ接近せんと動き出し―――
直後、彼の全身が燃え上がった。
目の前の黒炎とはある程度の距離があり、触れてもいないのに―――その身体に突如として黒い炎が纏わり付いて、燃焼を始めたのだ。絶叫を上げながらクィレルは頽れた。
「あぎィッ!?アアアァァァァ―――ッ!!」
【―――五月蝿い】
黒くぼやけるクィレルの視界の中で、青年が憤懣やるかたないといった凄まじい形相をしているのが見える。両の紅い瞳には、情けも容赦も―――ひと欠片の慈悲さえ宿っていない。
【利用されるだけの従僕風情が……立場を弁えろ。一体、誰に向かってその魔法を使用している?】
黒炎と共にのたうち回るクィレルを、地べたを這い回るしか能のない虫けらを見るかの様な眼差しで睨みながら、青年はすりすりと己の首元を煩わしげに撫でていた。そこには絞首の痕を示す赤い痣が薄らと確認出来る。
青年は己を苛む不快感を振り払う様に一度首を振ると、足元のクィレルを見下ろして、告げる。ゆっくりと、それでいて怒りを孕んだ低い声で。
【―――さあ、愚かな傀儡如きが、一体誰の『所有物』に手を出したのか。解らせてやるとしようじゃないか?】
タイトルの魔手が届いてしまった相手は主人公とクィレル先生の両方です。