トム虐は後編に回します。
最近の話大体10000字以上か20000字以上になってしまう…
一話一話がクッソ長くなってしまって申し訳ない…
"―――懸命に行動して、苦難の末に絶望の運命から逃れたとしても。
それが別の予言に定められていたとしたら……本当に運命を打ち破ったって、言えるものかな?
ひたすらに、どこまでも。
提供された物語をなぞるように、台本通りに、役者は踊るばかり。
予言は変わった?絶望は避けられた?
よく見てご覧よ、なんにも変わっていないじゃないか!
……おや、【君】には「おめでとう」と祝ってあげるべきなのかな?"
「フィレンツェ!一体何の真似だ?あのような得体の知れぬ部外者を見過ごすだけでなく、我々の見通したものまで告げてしまうとは!」
禁じられた森の一区画。
ケンタウルスが住処と定めているその場所で、怒鳴り声を散らしている個体がいた。
名はベイン。保守的な性格で、ケンタウルスの『常識』を破る存在を許せない者であった。
「私がそうすべきだと思ったからしたまで。ケンタウルスにとって、恥ずべき事ではないと思っています」
ベインに一方的にまくし立てられている個体は、パロミノのケンタウルス。変わり者のフィレンツェ―――そう、『常識』をしばしば無視しては涼しい顔で群れに帰ってくるという、ベインが最も嫌う特徴を備えてしまった個体。
異邦人に唯一助言とも呼べる助け舟を差し出した、異端のケンタウルスだ。そんな異端の象徴へ向けて、ベインが大袈裟に腕を振るいながら怒鳴り続ける。
「『アレ』が何なのか、解らぬ君ではないだろう!?これ以上関わるべきではない、むしろ排除すべき対象だ!何故のこのこ行かせたのか!」
「違う。排除などと……天はそのような事を告げてはいない。それはベインの勝手な判断でしょう」
「我々の為、森の為を想ってすれば、当然の判断だ!『アレ』が今もこの世に存在し、ホグワーツの敷地たるこの森に潜り込んでいるというだけでも悍ましい事実である!」
「彼が何をしたというのです?彼がほんの少しでも、ホグワーツを害するような真似をしましたか?」
「不穏分子なのに変わりはない……。巧妙に心を隠していたではないか。それに、気付かなかったとは言わせないぞ。かつて……数十年前、この森の生き物を嬲り、滅ぼしていた正体は何だったのか。
蘇るは、五十年ほど前の記憶。
この森に、本来生息しない筈の人喰い蜘蛛が迷い込んできたのと殆ど同時期のこと。
元々森に棲む様々な小動物達が、その身を捕食される訳でもなく、素材として取り扱われる訳でもなく、無残にその命を奪い散らされるという悲劇が続いた。
たまにではあるが、昔からホグワーツの生徒が森に忍び込む、という出来事自体は発生していた。魔法薬の材料確保や闇の魔術の研究といった、後ろ暗い行為を目的として。当然、森の生き物を不当に傷付けるといった悪事も、頻度こそ高くはないものの絶える事は無かった。だが当時に限って言えば、残虐極まりない殺戮者の正体は、ホグワーツ生ではなかったのだ。
「確かに……彼は善人とは言い難いでしょう。しかし、取り返しのつかない悪人と断じるのもまた、正しくはない。それぐらいは貴方にも察せる筈だ」
「あぁそうだな!善か悪か、どちらにも振り切っていないから余計に気味が悪いのだ!あぁ、あぁ、悍ましい……。あのような者が、この森を再び訪れるとは……。自分が何者であるのかも真に理解していない。誠に恐ろしい事だ……」
「……ベイン、あの者が光を選ぶか闇に捕まるかは、あの者自身の行動が定めるものなのです。我々がこうして無意味に喚いたとて、惑星の流れに変化の兆しが現れる事は、ない」
しばらくその言葉の意味を咀嚼していたベインだったが、やがて不審感を顕に目を吊り上げる。そして変わり者の相手は疲れた、と言わんばかりに力なく首を振ると、身を翻して徐に住処の奥へ向かって立ち去ってしまった。
残されたフィレンツェに、話しかけるタイミングを見計らっていた個体が入れ替わるようにして近付いてきた。赤い髪と髭を夜風に靡かせながら、そのケンタウルスは言った。
「フィレンツェ、何故あの者にわざわざ予言の内容を?」
その個体はロナン。ベインとは違い、フィレンツェに対して特別攻撃的な姿勢ではなかった。少し落ち着かないのか、地面の上で蹄をもぞもぞと動かしている。
「惑星の動きから読み取った筈です。あの者は……悪ではなくとも、この世界に良くない何かを引き起こす運命にあると。であるならば、予言を伝えるよりむしろ―――」
「排除する、という事ですか」
途中で言葉を遮って、フィレンツェが平然とその先を―――物騒な結論を言い切る。ロナンは静かに首を左右に振った。
「……いいえ。どの道、それは叶わぬ現実。あの者は我らが持ち得る如何なる武器を以てしても、その身が滅ぶ事は無い。排除するなどという選択肢は最初から有り得ない……貴方は、そう言いたいのでしょう」
「例えあの者を滅ぼす手段があったとしても、私は手を出すべきではないと思っている」
まるで人間を庇うような、ケンタウルスらしからぬ発言。ベイン程とはいかずとも、ロナンは表情を顰めて抗議の声を上げる。
「何故です?あの者のせいで、少なくはない数の星の動きが変わった。隠されてしまった星だって……。あの者は天をも容易に揺るがす運命を背負っています。こんな事態は初めてだ……我々とて動くべきでは?」
「ロナン、彼を示す星に纏わりつく衛星を視ましたか?」
ロナンは答えなかったが、頷くことで肯定の意を示す。占星を得意とする種族同士だ、その程度の把握は容易に決まっている。
「衛星の引力は時間と共に力を増している。その内、
「……、それは……」
口を噤んでしまうロナン。衛生が一体何を指しているものなのか、占星によってはっきりと理解しているからである。衛生の正体は、ケンタウルスにとって決して良心的な存在ではなかった。
「ロナン、彼は変わり者なのですよ。本当に変わっている人間なのです。そう、まるで私のように」
「フィレンツェ……」
自虐的な言葉だというのに、当人であるフィレンツェの表情はとても穏やかで、凪いでいた。
未だ群れから追放されない領域に留まっている彼であるが、いずれそのラインを越えてしまうのは時間の問題だろうという事を、ロナンは薄々理解していた。恐らくは、他のケンタウルス達でさえ。
「彼は自覚しているのです。光と闇、どちらも選べる権利と力があるという事を。そしてそれを解っていて尚、どちらも取る事なく二つの間を自由気ままに彷徨っている。決定的な選択を未だ示さない。それは何故か?彼は、選択する必要が無いと考えているからなのです」
「どういう意味ですか?」
「……良くも悪くも、彼は既に挫折を知ってしまった。己一人ではどんな努力も野望も、世界を変える事は決して無いと。光の溢れる道も、闇が蔓延る道も、その先は必ず途切れているものだと知っている。だから彼はどちらも選ばない。無意味な行動を最初から起こさない。救える命も、奪える命にも、本当のところは関心が無いのです」
ケンタウルスは、開心術に秀でている訳ではない。果たして占星の技術だけで、ここまで一個人の内情を知り得るものなのか。実際に本人と顔を合わせ、言葉を交わしあったフィレンツェにしか理解できない何かがあるのだろう。彼は、凪いだ表情の中に少しの悲哀を滲ませて呟いた。
「ああ……そうだというのに、何と哀れな。光の象徴たる予言の子と、同じ時を歩む。その道の先に深い闇が広がっているとは」
「予言の子……ハリー・ポッターですね。しかし、ポッターとあの者は……」
「あの者は一度死んでいる。死者が蘇る事は許されない。……では、彼をこの世界に蘇らせたのは、一体誰でしょうね」
「フィレンツェ、それはまさか……」
「かつて、死者の霊魂を地上に呼び戻す秘宝を創り出した人間が存在しました。幸か不幸か、その血は現代に至るまで途絶してはいない。では
あの子は、本当は全てを知っている筈だ。
知らないフリをしているだけで、一部を思い出せないだけで。
どうして自分がこの世界に存在しているのか、確かな答えを持っている筈だ。
ロナンは自身の表情に畏怖を浮かべ、フィレンツェは瞼を伏せて青年の顔を思い返した。
一人きりで暗い森の中を逃げ惑い、いくら他人と比べて恐怖に屈しにくい精神性を所有していたとしても―――大人の優れた魔法使いから一方的に追われるというのは、とても理不尽で恐ろしく、心細い出来事だっただろうに。彼は健気にも強がって、自らの内に巣食う原始的な恐怖を呑み込んで、両の足でしっかりと立ち上がり続けていた。
「アルバス・ダンブルドアにも、闇の帝王にも果たせなかった偉業を、彼は既に成し遂げている。……これに限っては、本人に全く自覚が無いようですが」
「『死を越える』―――例え別人の器に入れられたとしても、あの者の魂は二度目の生を受けた。それが、どんなに規格外で有り得ない現象か、理解している人間は現時点で唯一人、か」
星空を見上げたロナンの言葉に、隣に並び立ったフィレンツェが頷く。
「彼はこの先、望まずしていくつかの災厄を引き寄せる……。『未来』を識り、『死を越えた』人間。そんな存在に惹かれぬ
「では……あの者は、いずれ?」
「さあ、どうでしょうね。彼がどの道を選ぶかは、どうやら天にも見通せぬようだ」
ロナンの疑問はもっともだったが、正確な未来はロナンにもフィレンツェにも断言できはしない。
ケンタウルスとて、占星でこの世の全てを知り得る事は不可能だった。いや、例え占いを極めた魔法使いであっても同じだろう。全知全能の存在など、摩訶不思議が絶えない魔法界の中であってもいやしないのだ。例えダンブルドアや闇の帝王であったとしても、辿り着けない領域。
フィレンツェは、最後に歌うように滑らかな声で言った。
「名を喪った少年よ。どうか、希望を胸に抱いてはいけない。どうか、絶望に身を堕としてはいけない。その矛盾に塗れた旅路の先にこそ、真の心を開かせる鍵が待っているのだ」
「君の行く先に待つのが、闇の沼地でない事を祈っているよ。さようなら、『死を越えし契約者』―――」
『はッ……はッ……!はぁーッ…………!ふう、う……ッ』
動かし続けていた足が止まる。
止まってしまえば、もう耐えられなかった。
少しだけ、休息を取るつもりだった。立ち止まって俯き、膝に手を付いて荒々しい呼吸を繰り返す。肺も無いのになんと馬鹿馬鹿しい有様だ、と内心自虐しながら顔を上げようとして―――できなかった。
根性で抑え付けていた疲労が、堰を切ったように全身を駆け巡り、短い休息を拒絶した。ガクリと腰が抜けて、みっともなく尻餅をつく羽目になった。一瞬、自分の身に何が起こったか理解できなくて、子供みたいにパチパチと間抜けな瞬きを繰り返す。
取り敢えず理解は後回しにしなければ。ここで立ち止まっている暇は無い。その思考だけが頭の中をずっと反復している。
尻と一緒に地面に付いてしまった両の手の平に力を込めて、立ち上が―――れない。
『……っ、……?』
力。力が、入ら、ない―――?
僅かに浮き上がろうとした臀部は、何度も地面を覆う木の葉に沈むばかり。一向に立ち上がるだけの簡単な動作が、できない。
じわじわと、不燃物を焼却する煙のように、不快を孕んだ焦燥感が沸き上がってくる。咄嗟に振り返り今まで走ってきた道のりを確認した。相変わらず、眺めているだけでも気分が沈みそうな暗い林が立ち並ぶだけで、追い掛けてくる者は誰一人として、いや一匹として存在しない。一先ずは、身の安全が確保されていると言ってもいいのだが―――
『ぐ、くっ……!う、ごけ……、うごけ……ッ!』
どれだけ立ち上がろうと藻掻いても。この身体はすっかり動くことを拒み、休息に身を委ねようとする怠惰な醜態を晒そうとして、どうにもできない。
……アクロマンチュラとの戦いは、冤罪に対して憤り興奮していたせいだろう。あの時は疲労で膝が崩れ落ちる、なんて無様な姿を見せずに済んでいただけ。無事に撤退をやり遂げて、時間の経過と共に興奮が自然に冷めてしまえばこの通り。身体は実直に限界を訴えて、他の行動を認めようとはしなくなってしまった。
『……あ、ぅ……。だ……だめ、だ…………クソッ!』
しかし、こうして腰が抜けているばかりでは駄目なのだ。
一見姿は見えないけれど、まだ獲物の始末を諦めていないアクロマンチュラが追い付いてくるかもしれない。ケンタウルスの突進で怪我を負ったであろうクィレルが、魔法で治癒を済まして再びこちらを追跡してくるかもしれない。
自分の身の安全は、完全に保証されている訳じゃない。
なのに、なのに―――身体は動いてくれない。休んでいる場合じゃないだろ、と頭が理解していても、身体は理解しようとはしてくれない。
【…………!不味い、これはッ……!】
その時。突如として、珍しく狼狽の色が濃い声が頭に響いた。
何事かと声に出して問いたかったが、ただでさえ疲弊で喘いでいる頭の中にガンガンと響く声を流し込まれると、くらりと目眩が誘発されて目の前が揺らぐ。尻餅をついた体勢のまま、思わず片手で額を押さえ、首を傾けて天を仰いだ。少しでも気を抜けば、そのまま背中から仰向けに倒れそうだった。
『な、ん……っ、何が……?』
最早震えている声で呟いた瞬間だった。
―――明らかに同居人のものではない低い声が、ドロリと悍ましい感触を伴って、思考の中枢へと侵入を果たしてきた。
【随分とまあ、やってくれたものだな】
ビキリ、と、一瞬にして全身が疲労を忘れ去って、動きが止まる。
くらりくらりと傾く首も、爪を立てるように額を押さえていた片手も、未だ抜けない呼吸の癖も、何もかもが、止まる。
血の気がごっそり抜けて、体温がこれでもかと冷え切って、どうか全て夢であれと無駄な祈りを捧げるしかなくて、喉元へ力を込めた刃を押し当てられて―――今まさに、迫り来る「死」の味を知覚する事しか選べない。
そんな、感覚。
どうしようもなく、どうしたって、ただの一度も逃れられなかった、感覚。
「死」という概念には色々あって。
社会的な「死」や、精神的な「死」や、物理的な「死」があって。
それら全てを残さず含めた「死」に、追い詰められる感覚。
この感覚は、知っている。
嫌というほど、知っている。
辛うじて血の繋がっているだけの他人に、「殺人を犯して生まれてきた」と罵られた時。
母親が一方的に怒鳴り散らしてきた時に、家中の窓ガラスがひび割れた時。
瓦礫と粉塵に囲まれた女の子が、鮮やかに燃え盛る炎に塗れている姿を目にした時。
こことよく似た暗い森の中で、理不尽にも□□□□□□に殺されかけた時。
あの時その時で味わってきた「死」が、この世界で初めて自分自身に触れてきたのかと思い込むほどの、堪え難い感覚―――。
【『死を越えし契約者』、だったか?これまた大層な呼び名ではないか。しかし、お前はとうに死を越えた存在―――分霊箱なのだから相応の呼び名でもある。ククッ……言い得て妙とはこの事と思わぬか?】
『……!お、まえ―――それはッ』
分霊箱の体なのに息が詰まる。今、自身に起こっている現象が前触れもなく、前例もなく、どうすればよいのか―――どんな言葉を口にすればよいのかが、分からない。
【身構えずとも良い。今の俺様には思念としての声を送り込むぐらいしかできん。俺様の物に俺様の声を聞かせるのは何もおかしくはなかろう?】
その言葉に、相手の声が現実に響くものではなく、自分の脳内にだけ聞こえてくるものだという事も失念して、演技も虚勢もかなぐり捨てて大きな声を上げてしまった。
『だッ―――、誰が。僕は、お前の物じゃない……お前の物なんかじゃないッ!!』
もしも周囲にアクロマンチュラやクィレルが潜んでいれば、自分の居場所を知らせてしまう愚行。それでも、そうと解っていても、衝動を止められなかった。相手の言葉をはっきりと否定したいこの衝動を。
ふざけるな。
誰の物にもならない。
自分は誰の物でもない。
「誰かの所有物になるしかない」と言うならば。
「それ以外に道が無い」と言われるならば―――「死」すら厭わない!!
額を押さえる手が自然と握り込む形になって、ギリギリと額の上で拳を形作る。小刻みに震えながら手の平に食い込む指の隙間から、じわじわと黒い液体が滲み出す。それはすぐに静脈をなぞるようにして手首に垂れてきた。そう、血液が存在しない身体なのに、皮膚に静脈であることを示す青い筋が見えるのだ。
分霊箱のくせに、自身から流れる液状の物質が皮膚を擽る感覚すら感じ取れる構造となっているこの身が―――心底気味が悪かった。
そう、この身体はずっと気味が悪い。
生きていないのに呼吸をして、酸素を取り込まないのに血液のような何かが流れていて、骨と筋肉が無いのに動く事ができて、……頭の中に、一方的に声を送り込まれて。
―――気味が悪くて悪くてたまらない。
【そう憤るな。お前の心根は解らんでもない。何十年と日記に封じられ、ようやく人の手に渡ったかと思えばクィレルに追い回されて、さぞかし不快の極みであろう事は推察できよう】
煮え滾る怒りに支配されたこちらを宥めすかすような、自然体ではなく作ったような声。癇癪を起こす子供を、無感情に諭しては御する機械的な作業を思わせた。声に人間が発している筈の温度が感じられない。
いや、別に感じられなくても構わなかった。この化け物は、この世界に生まれ落ちた時からきっと、常人が備えていて当たり前の感情が欠落している筈だったから。むしろ、その非人間じみた有り様を再認識できて少しだけ安堵した。こいつには、最初から最後まで化け物のままでいてもらった方が良い。
そう考えた時。どうしてか、その思考を咎めるような、悲しむような心情の込められた透明な手に右腕を掴まれる錯覚に襲われた。捨て子が立ち去ろうとする親に縋り付くみたいな、悲壮に満ちた力の流れが伝わってくる。
その錯覚は不気味以外の何者でもなくて、即座に透明な何かを力強く振り払った。振り払われまいとしたのか、一瞬だけ掴む力が強まった気配がしたが、無視して右手を振るう。そうしてしまえば、あとはもう何の感触もしなくなった。
この世界では、この身体には、ごく稀にこういった錯覚が発生する。……不可解だ。
【差し当たって、お前には伝えておきたい事項があるのでな。落ち着いて会話に耳を傾ける余裕はできたか?】
相手のにやけ面が思い浮かぶのは、開心術どうこうではなく単にこちらの想像力が逞しいだけだろうか。
……今、怒りに完全に飲まれてしまっては、駄目だ。冷静に奴の―――ヴォルデモートの言葉に耳を傾けなければいけない。
何が目的なのか、どうして声を送ってきたのか、何故『死を越えし契約者』という単語を知っているのか。あらゆる情報を収集する為にも、感情的な自分は要らない。
今まで何度もそうしてきたように―――前の世界でもすっかり慣れ親しんだ、この作業。
身勝手に暴れ出そうとする自分自身を淡々と殺して、蘇ってこれないように厳重に蓋をして、鍵をかける。そうすればあとは、仮面に護られた都合の良い自分の出来上がり。
続いて、未だ疲労を訴える身体を叱咤。有り得ない緊急事態に、先程までうんともすんとも言わなかった四肢はどうやら起動する事に決めてくれたらしい。体勢を整えて前屈みになり地面に片膝をつく。何が起きても良いように、いつでも立ち上がれるように。
『……、「死を越えし契約者」とは、何だ』
相手からの一方的な会話にするつもりはない。先手を打って、一番の疑問を投げておく事にした。予想と違い、ヴォルデモートは焦らす訳でもなくあっさりとそれに応じてきた。
【ああ、お前が知らないのも無理はない。というのも―――その呼び名は俺様が考えたものではない。予言が告げたものだからだ】
予言。またか。またなのか。
どこまでこいつは自分を混乱させれば気が済むのだろう。
こいつが全ての始まり。
こいつさえ存在しなければ、ハリーが英雄になる事もなかった。
……ヴォルデモートが滅ぶ事も、なかった。
【俺様の忠実な下僕が献上してきた貴重な情報だ。……忌まわしいベイビー・ポッターの誕生を示唆する予言の後に、もう一つの予言を齎した魔女がいたのだ】
『魔女……?予言が、全部的中するとは―――』
【限らん、ああそうだ。しかし、その魔女は予見者として有名だった者の子孫であるが故、下僕の報告を聞いた時―――無視するという訳にもいかなかった。実際、予言の赤子は俺様の肉体を見事に討ち滅ぼしてくれたのだからな……。俺様は、魔女のもう一つの予言もしかと頭に刻み込まねばならなかった……】
『その、予言が……』
【ククク、予言の情報を手に入れた時は十年程前の事だったがな、今でも鮮明に記憶を呼び起こせるぞ。『闇の帝王を打ち破る運命を背負いし子の元へ、死を越えし契約者が現れる』―――そういう内容だった】
『!!』
間違いない……ケンタウルスのフィレンツェが教えてくれた予言と一致する。
まさか、フィレンツェの予言をヴォルデモートも知っていたなんて、一体誰が予想できるというのだろう?
フィレンツェ自身は、お得意の占星によって知り得たのだろう。ヴォルデモートは、有名な予見者の子孫の予言、それを聞き取ったらしい死喰い人の報告で知ったのか。
【当時、俺様は『死を越えし契約者』とは誰を指しているのか、見当がつかなかった。だが、例え誰か解らずともそいつを見つけねばならなかった……。そんな時だ。俺様を打ち破る子供―――忌々しいポッター小僧の近くに、お前を発見したのは】
……その光景を目撃すれば、確かに『死を越えし契約者』が誰なのか、鋭い者は理解出来るかもしれない。
しかし、どうして誰なのか解らない段階で『死を越えし契約者』を見つける必要があったのだろうか?
【ポッターの近くにいながら、死を越えている存在―――分霊箱であるお前の姿を認めた瞬間、『死を越えし契約者』はまさしくお前の事に違いない、と。だからこそ俺様は―――いや、例え予言が告げられていなくとも当然、いずれお前を回収する算段だったが……】
『僕はまだ「秘密の部屋」を開いてない!』
【そうだな。事実、バジリスクが解き放たれた形跡は見られなかった。だが……お前が真に『死を越えし契約者』であるならば、悠長に『秘密の部屋』を開く使命を任せている場合ではないのだよ。あの予言さえ無ければポッターに危害を加えず、お前の贄となる過程を邪魔するつもりはなかった。ただ、『賢者の石』を手に入れる機会を伺うだけで良かったのだが】
『何だ……一体何だって言うんだ。何度も何度もクィレルを嗾けて、僕の邪魔をして、そこまでして何がしたいと?』
叫びたくなる衝動を必死に押し殺す。真実を知る為には、感情のままに声を張り上げるのは愚かでしかない。このまま大人しく話を聞いて、なるべく多くの情報を引き出すのが最善に決まっている。
だというのに……どうして。
どうして話を聞いているだけなのに、こんなにも、取り返しがつかないところへと追い込まれている気分になるのだろうか?
【……俺様にとって、お前とポッターが一緒にいるのは困るのだ。故に、『秘密の部屋』の開放は後回しにさせて回収すると決めた】
『……は?』
一瞬、意味が解らなかった。
何故、自分とハリーが一緒にいるのは困るのか?
ヴォルデモートの視点で見れば、自分と一緒にいるハリーなど、分霊箱が実体を手に入れる為の生贄にしか映らない筈であろう。勿論、中身が【本物】ではない自分はハリーの生命を奪うつもりは微塵も無いけれど。
まさか自分とハリーが手を組んで、ヴォルデモートへ反旗を翻そうとしているとでも思ったのだろうか?だから、「一緒にいるのは困る」のだろうか?
推測を重ねるこちらの様子を知ってか知らずか、奴は初めて不機嫌そうな声で語る。
【俺様の未来に不可欠なお前と、忌まわしいポッターに、
一度言葉を区切られた瞬間。
ぬろり、とまるで
自分の意思を無視して悲鳴を上げんと開いた口を、すんでのところで動かした両手で塞いだ。しかしそれでも僅かな指の隙間から、くぐもった小さな苦悶の声が漏れる。酷く女々しい醜態を晒してしまった恥辱に襲われて、ぎり、と眉間に深いシワを刻む。
【……いざお前の姿を確認してしまったらな。予言など関係なく迎えに行かねばという感情を抑えられなかったのだ。肉体さえあればそれは成し遂げられたのだが―――それもじきに叶う】
『ッ、「賢者の石」……!』
【その通り。まさか、お前も知っているとは思わなかったが?】
反射的に口にしてしまったが、そうか。確かに、ハリーの持ち物として行動している日記の分霊箱が、ホグワーツの教員しか知らない筈の『賢者の石』を知っているのは不自然に見えるだろう。瞬時に思考を巡らせ、辻褄の合う理由を述べてやる。
『……クィレルの心を読んで知った。しかしまあ、闇の帝王の知恵を以てしても、未だ入手できてはいないみたいだけど?』
【正鵠を射る指摘だな。そうだ……全く恥ずかしい事に、この下僕は随分と出来が悪いようでな。そろそろ辟易としてきたところだ】
……自分の知恵に問題があるのではなく、あくまで寄生先のクィレルに落ち度がある事にしたいらしい。
プライドが高く、自分の非を素直に認められない人間は本当に哀れで滑稽極まりない。ここで無様に吹き出さなかった自分を誰か褒めてほしいものである。
『クィレル一人に拘る必要があると思えない。お仲間の死喰い人でも頼れば?』
【奴らは俺様を捨てた】
声量自体は大きくはなかったものの、その言葉尻は荒々しく暴力的な残酷さを孕んでいた。本当は叫び出したくてたまらなかったのだろうという心情が窺える。
……そう、それ自体は、よく解るのだ。
聞き分けのない子供みたいに何もかもを放り出して、みっともなく叫んでしまいたいという気持ちが。不自由な分霊箱として過ごしてきた自分には、不本意だが痛い程理解できてしまう。
【真の忠実なる家族達はアズカバンだ。影と霞に過ぎないこの状態では再会すら望めん。残りの愚鈍な連中、腹立たしい裏切り者どもは、自らの主人を捜そうともしなかった……】
『…………』
思わず心のままに、『お前のような人間は捨てられて当然だ』、と吐き出してしまいそうだった。
―――そうだとも。お前は生まれた時から、これ以上ないぐらい完璧な捨て子だった。世界の全てからも、誰からも必要とされていない、孤独に愛された存在。
お前自身だって、家族や友人よりも孤独を愛していた筈だ。
血の繋がった者達を自らの手で殺して、例え死喰い人であっても気に食わなければ殺して。
罪ある者も、罪なき者も、殺して。
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して―――
だからこそ―――親にも仲間にも捨てられるのは、当然の結末だろう?
刹那の間にこれでもかと思いついた侮辱の数々を、どうにか口の中から逃さずに呑み込んだ。今必要な行動は、相手への暴言を解き放つ事ではないのだ。冷静に、口を挟まず沈黙の選択を取った。
―――人間という生き物はね、自分よりも
ふと、昔誰かに言われた言葉を思い出した。あれは誰だっただろうか。学生時代の、同級生か何かだった気がする。顔は全く憶えていない。
自分より、
奴の母親は、子供を産み落とすだけで死んだ。
奴の父親は、子供を迎えに行く事もしなかった。
奴自身には、学校から帰る家すら与えられなかった。
母親は、自分を捨てようとした。
父親は、自分を見ようとしなかった。
自分は、いつだって牢獄みたいな家に囲まれていた。
……違う。
自分は別に、比較している訳ではない。
ヴォルデモートの実状を見て、安心している訳ではない。
自分が安心する為の材料として、こいつを消費している訳では……
【だが、それももうよい。俺様には、
どくり、と全身が脈打つ感覚。どちらかというと、恐怖に近い感情がひたひたと満ちてくる気配。無意識に、自分の胸を片手でぎゅっと押さえる。
……何なんだ?
本当に、何なんだこいつは?
一体全体、何がどうして、ここまで日記帳の分霊箱に執着しているというのだ?
『本来の物語』では、こんな執着心など何一つ見せてはいなかった筈だ。
いや、それよりも、おかしい。
ヴォルデモートだぞ?
闇の帝王、名前を言ってはいけないあの人、色々な呼び名で恐れられている、恐怖の象徴。魔法界の殺人鬼。ホグワーツ始まって以来の秀才。
馬鹿ではない。間抜けではない。他人の心を暴き、嘘を見抜く能力に優れた開心術師。
そんな人間が―――影と霞に過ぎない状態だったとしても。
……【本物】と"異邦人"の区別がつかないものなのか?
実際に互いの顔を合わせた瞬間でさえ、目の前の分霊箱の中身に異常が起きている事態に、本人は気付く様子すら無かった。
何か、理由があるのだろうか?
ヴォルデモート本人が、【本物】と"異邦人"の入れ替わりを察知できない、何らかの理由が。
ぐるぐると、疑問が渦巻くばかりで気を取られ逼迫した頭では、碌な答えを叩き出せない。
体の方はというと、返事を要求された訳でもないのに自然と、途切れ途切れの言葉を紡いでいた。
『ッ、ぁ……、ぼ、くは。分霊箱、だ』
【そうだ】
『……お前を、不死身にする為に、存在する……』
【そうだとも】
『……いつか、「秘密の部屋」を開ける為に、マルフォイに預けられて、』
【俺様がそうしたな】
淡々と返ってくる言葉が、こんなにも気味悪く感じられた事なんて、今までにあっただろうか。
どくりどくりと、鼓動が早まってくる感覚がいつまでも止まらない。もしかして、血液のようなあの黒い液体が、本当に全身を忙しなく駆け巡っているのだろうか。
『だ、から。お前に、わざわざ回収される必要は……』
無い。
だから、これ以上関わってくるな。
そう言ってしまいたかった。
そうしたかったのに―――遮るようにして、奴は言った。
【いいや。『賢者の石』を手に入れたら、次はお前だ】
何故か、死刑宣告を下された囚人の気分だった。
殺すとか、処分するとか、そういう単語が出てきた訳ではないというのに。
すっかり青白くなっているであろう顔色で、いや元々青白いのだろうが、縺れそうになる舌に鞭打ってなんとか言い返そうとした。
『……ッ、僕は!まだあの部屋を―――』
【俺様が回収した後に成し遂げるがいい】
言い切る前に遮られた。
自分が開く、と言うつもりはないらしいが、それでも回収自体を考え直すつもりはないと。
……本当に癪に障る男だ。人の言葉を遮らないと死ぬ呪いにでもかけられているのか?人の言葉を最後まで聞くと死ぬ病気にでも罹っているのか?それらはゴーント家に表れる特徴なのか?
そうであってもおかしくはない。『記憶』の中で出逢ったモーフィン・ゴーントもそれなりに頭のおかしい男で、人の話を大人しく聞いてくれるタイプではなかった。
【俺様がお前に伝えたかったのは、それだ。今夜は引き下がるが、お前の回収は最早決定事項だ。……今のクィレルでは使い物にならん。故に、一先ずは『賢者の石』を優先させる。お前の方も、かなり窶れているようだからな。しばらく休息を取らねばならないのが現状だろう。存分に休むと良い。その間に我々は、『賢者の石』を守る防壁の攻略に集中させてもらうとしよう】
無視できない言葉が聞こえて動揺を隠しきれなかった。
事実、こちらの体力は限界に近く、このままでは確実に意識が途切れて、日記帳の中に強制送還される道しか残されていない。そうなってしまえば最悪だ。自分が意識を取り戻すよりも早く、奴らが『賢者の石』を守る仕掛けの数々を突破しかねない。
……いや、本当に最悪なのは。
もしも目覚めた時、ハリーが殺害されでもしていた場合……。
『……!……いや、生憎と、大人しく休ませてはもらえなかったんだ……お前が昔、アクロマンチュラを逃がしてくれたせいで……!』
【何だ、やけに疲弊していると思えば……。またあの虫ケラに襲われたのか?それは災難だったなとしか言いようがないが、まあ気に病むな。お前の素晴らしい身体では、連中の毒に怯える必要も無かったであろう?】
『……ッ、他人事、みたいに言ってくれるじゃないか……。僕がどれだけ苦労したか、クィレルの身体を使って実演してあげようか?ああ勿論、後頭部の方に向けて、だけど?』
【軽口を叩ける余力は残っているようで何よりだ。実際、お前が培ってきた武勇伝には大いに興味がある。どのようにしてポッターの元に辿り着いたのかも含めてな。回収を終えたら是非聞かせてくれ。嫌だと言っても語ってもらうがな】
何だろう、どれだけ皮肉を言ってもするりと流されて会話を続けられるこの感じ、同居人と殆ど変わらないんだけど。ほんと何なんだろうこれ。流石は同一人物といったところだろうか?二人揃ってムカつく事この上ないな、どっちもとっととくたばればいいのに。
……というか、アクロマンチュラの毒に怯える必要無いとか言ってるけど。日記帳に託された仕事って、秘密の部屋を開放してバジリスクを解き放つ事なのだ。そして、バジリスクの毒って分霊箱を破壊できてしまうのだ。
よく考えたらこいつって、『分霊箱を殺せる生き物』を『分霊箱を使って解放させようと計画』してるって事なんだよ。鬼か?いやまあ、殺人
……そもそも、何で自分達って離れている筈なのに、こうして会話ができているんだろうか?
【どういう訳か、クィレルが半獣に突き飛ばされてからお前との繋がりが強くなった。お陰で、こうしてお前に声を届ける事が可能になったのは幸いだったな。手間が省ける】
こちらの疑問を察したのか、言葉にする前に向こうが答えてくれた。この察しの良さは、流石開心術師といったところだろうか。……その才能、もう少し別な分野で活かせば良いんじゃないかな、と思ってしまうのは自分だけだろうか?
しかし、奴はともかくこちらは喜べない変化だ。繋がりが強くなった原因ははっきりしている。
……自分がクィレルに触れて、彼の魔力を吸収してしまったからに違いない。
本来の物語でも、ハリーの血液を取り込んで復活したヴォルデモートは、ハリーとの繋がりが強くなっていた。あれと同じ原理だ。
クィレルの魔力を取り込んだこちらの方が、クィレルに寄生しているヴォルデモートとの繋がりを強めてしまっているのだ。では何故こちらの場合、ハリーのようにこの繋がりをヴォルデモートに悪用されていないのかというと……
(……あいつ、多分邪魔しないように話に割り込んでこないんだろうが……)
答えはそう、同居人だ。
あいつが、ヴォルデモートを発信源として注がれる精神的な侵食を、身代わりになって受信しているからである。
前にあいつは、ヴォルデモートがこちらを制御しようとして送ってくる精神干渉を魔力に変換して吸収している、と白状していた。今回も同じようにしているのだ。その恩恵で、こちらは何の影響も受けなくて済んでいた。ただ送られてくる言葉にだけ集中していればいい。
先程から音沙汰が無いのがやや気になるが、あいつは誰かとの会話中に割り込んでくる場合の方が珍しいので、放っておいても無問題だろう。実は自然消滅してくれているとかはないか?……ないんだろうな。
【……ふむ、やはりお前はこちらからの影響を無効化してしまうか。それにあの時は、俺様が乗り憑る事で防護されていた筈のクィレルの心まで読み取っておったな。分霊箱を作った当時の性能とは大違いだ……。進化は中々に好調といったところか?】
『進化、だと?』
……流石に、クィレルへの開心を成し遂げた事実は気付かれていたか。しかし精神への影響を無効化している立役者が【誰】なのかまでは解っていないようだ。
【まだ自覚が無かったのか?まあよい。何はともあれ、お前は俺様の物であるという事を忘れるな。どれだけお前が拒もうが、全ては意味のない反抗に過ぎん。寛大な俺様は時間を与えてはやるが、あまり待たせるなよ。己の所有者が誰であるのか、早く受け入れてしまえ】
『―――だからッ、僕は誰の物でもないと―――!』
【ああ、忘れていた】
ずるり。
空気が、変わった。
何か、布の様な何かを引き摺る物音が、唐突に鼓膜を揺さぶってきたのだ。
……今のは、ヴォルデモートの声ではない。ではないなら、何だ?
まさか、『賢者の石』奪取に注力する、という宣言はこちらを油断させる嘘で、やっぱり治療を終えたクィレルが再び接近してきて……?
【最初クィレルの奴はな……偶然発見した生物を、お前の捕縛に利用しようとしていたのだ。お前を襲わせて弱らせようと画策していたらしい。この男は、元々休暇中の旅行先で俺様と巡り会った。どうやら自分の意思で俺様を捜し出そうとしていたようだがな。俺様の下僕に成り下がった後の道中でも、新たな出会いを果たしていたという事だ】
クィレルがヴォルデモートと遭遇した際の詳しい事情など何一つ知らなかったが、そういう事だったのか。旅先でなんという出会いを経験しているのか。いや、というかそもそも、こんなもん自ら捜しに行くなよ、馬鹿なのか?死ぬのか?
もしも、自分が旅先であんな影と霞に成り下がった下等生物を発見したら、取り敢えず殺虫剤でもぶちまけて普通に元来た道を引き返して逃げるんだけど。自分の身を守れるのは自分だけだぞ。あの腐れターバン、つくづく救いようがないな……。
いや、「逃げ切れなかったのか」、「逃げようとしなかったのか」、クィレルの取った選択肢がどっちだったのかまでは知らないが……。
【クィレルはホグワーツに戻った後、『賢者の石』の奪取に利用できないかと、連れてきたその生物を禁じられた森に放った。間もなくお前を発見し、俺様の命令が更新されるとそいつらをお前の回収の為に使役するのはどうか、と考え出した】
『何だ……生物……?トロールの事だろう……?』
この森で自分を襲ってきた生物といえば、アクロマンチュラとトロールの二種類の筈。
その内アクロマンチュラは五十年前から住み着いている。連れてこられた外来の生物など、本来森に生息していないあの山トロール……クィレルの刺客だったあいつしかいない。
……待て。
そういえば。
自分は、前に一度目撃していなかっただろうか?
……『本来の物語』では、ホグワーツに存在しない筈の、『生物』を。
まさか―――!
【トロールなぞとは違って、そいつらは魔法界でも対抗策がかなり限定されている……。相手に嗾ける生物としては優秀な部類だ。今し方、クィレルがそいつらを解き放ったぞ。お前には『賢者の石』を手に入れるまで、消耗していてもらった方が助かるからな】
『ふざけッ、この……ッ!お前、何がしたいんだ……!』
【言った筈だ。『賢者の石』を手に入れてからお前を回収する、俺様の望みはそれだけだ。実にシンプルだろう?案ずるな―――その生物に、分霊箱を破壊できるような能力は備わっておらん。お前は精々、対処に苦難して疲弊するだけであろうよ】
まるで面白い見世物を前にした客人のような弾んだ声。滲む愉悦を隠し切れぬ不愉快な声。
例え、殺されないとしても魔法生物の襲撃は厄介極まりないという事実を、今夜嫌というほど思い知った。恐怖よりも苛立ちが圧倒的に勝り、感情の制御も忘れて怒鳴りつける。
『ホグワーツの職員が、森の異変に気付かないとでも?外来の生物を解き放つだって?やる事がいちいち滅茶苦茶なんだよ!自分が潜伏している自覚はあるのか!?』
【ふっ……お前に言われるとはな……。お前こそ、教授であるクィレルの前にわざわざ姿を現していたではないか……。まあ、そのお陰で俺様はお前の存在を認識できたのだが】
……認めよう。
ハリーにも、あの時の行動は悪手だと言われていた。その通りだった。
クィレルの反応、そして寄生しているヴォルデモートの反応。その後両者の行動がどのように変化して、果たしてこちらに接触を試みてくるのかどうか。それらを確認する為に、敢えてクィレルに姿を目撃させた。
……しかし初めから、ああするべきではなかったのだ!
ヴォルデモートが、ここまで日記帳の分霊箱に執着しているだなんて想像できていれば、クィレルに姿を見せたりしなかったのに……!
だが、何に後悔しようと、時間は巻き戻ってくれやしない。後悔は無意味。
どうせ、ヴォルデモートはこちらの居場所を把握する力を所有しているのだから。
【それに俺様自身も今のお前の性能を観測したいのだ。お前が、あの生物相手に何をどのようにして切り抜けるのか?それとも、消耗して為す術もなく屈してしまうのか?―――さあ、存分に愉しませてくれ。もっとも、次にお前の目が覚めた時―――俺様は、とっくに日記帳を懐に入れて城を去っているだろうがな。クハハハハハハハッ!】
ガンガンと頭の中で反響するその声は、まるで十人のヴォルデモートが一度に笑っているようだった。ひたすらにやかましい。
『勝手に話を進めるなよ……ッ!クソッ、僕はお前の懐に入ったりしない!あといちいち笑い声響かせるのやめろ、お前みたいな奴って必ず馬鹿みたいな高笑いするよな!要らないだろ絶対!わざとだろ絶対!』
本当はもっと文句を送りつけてやりたかったのだが、鬱陶しい笑い声を最後にヴォルデモートからの通信(?)は途絶えてしまった。今の奴は会話だけでもかなりのエネルギーを消費するらしいので、意図的に会話を中断したのだろう。
恐らくあの様子だと、こちらからの最後の指摘は残念ながら届いてはいまい。あの悍ましい声が聞こえなくなったのは良い事なのだが、現実は全然良くなかった。
『……ッ、……僕の人生、いっつもこうだ……。嫌になる……』
ずるり……と。
再び布を引き摺る物音。それは、確実にこちらとの距離を縮めているのが理解できた。先程よりも音源が近い。
肝試しや心霊の類が苦手な人間なら、さぞかし恐怖を煽られてとっくに叫び声の一つでも上げていただろう。しかし、自分は違う。舌打ちの音だけ鳴らして唇を噛み締めた。同時にサンザシの杖を改めて握り直す。
『夜中に森にやって来たら、必ず化け物に襲われる呪いでもかけられてるんだ、きっと……』
『……、《ルーモス》』
中腰のまま杖灯りを点ける。疲労の残る身体では、背筋を伸ばして立つのが酷く苦しかった。それでもゆっくりと時間をかけて立ち上がる。
ぱっと広がる灯りの輪の縁。暗闇との境目。
身体の半分を光側に、もう半分を闇側に配置する格好で、
例えるなら、黒いマント。
厚さ二センチ程の黒いマントが、地面を這う形で動きを停止させていた。
油断なくじっと見つめれば、マントの端がウミウシのようにひらひらと数回波打つのが確認できた。間違いなく、このマントは生きている。―――そう、これは生物だ!
『……レシフォールド……ッ!』
生息地は熱帯地方。
黒いマントのような姿かたち。
肉食性で、夜中に人間を襲って消化する。
『
日記帳の中の『知識』から拾い上げた情報が、
知る人ぞ知る生物、という訳でもない。魔法生物飼育学の教科書、『幻の動物とその生息地』にも載っている魔法生物だ。
そして本にはM.O.M.分類と呼ばれる、生物の危険度を五段階で表す項目も掲載されているのだが……。
このクソッタレシフォールドの分類はなんと、XXXXX。「魔法使い殺しとして知られ、訓練することも、飼いならすこともできない」と評されるやばい生物なのだ!
一番危険度の低いXの生物は「つまらない」という、なんともふざけた簡素な説明がされているのだが、こいつは危険度が最高なのである。こっちもこっちでふざけている。
ちなみにアクロマンチュラもレシフォールドと同じ危険度だ。トロールは一つ下。
……よく考えると、自分は危険度の高い生物に立て続けに襲われているという状況である。運が悪いとかいうレベルじゃない!
『こんな奴を、クィレルは旅先から連れて来たっていうのか……!?どんな神経してるんだよ!そもそもどうやって誘導したのか……!「訓練することも、飼いならすこともできない」って何だったんだ!』
まさか教科書の著者、ニュート・スキャマンダー氏が嘘八百を書いたという事はないだろうが、それにしたってだ。いくらユニコーンを何匹も殺せるような優秀な魔法使いだからって、XXXXXの魔法生物を簡単に使役できるものなのか?
トロールはまだ理解できる。こいつは、教科書でも「訓練が可能」だと説明されているからだ。アクロマンチュラは《服従の呪文》で無理やり操られていた。だが、こいつは……
『……くっ!』
ずりりりり……。
マントが、いや、レシフォールドが、蠢く。
マントが波打って、人間の歩幅で数歩分の距離を移動してきた。その方角は勿論、こちらに向けてだ。縮まった互いの距離を元に戻そうと、こちらも数歩分後退した。
こいつには、《服従の呪文》……いや、《許されざる呪文》の全てが、効かないように感じる……!
一体この化け物はどうして、クィレルに従って森までやって来れたのだ……?
『まさか……』
可能性があるとすれば……いや、心当たりはあるが、今はその可能性について考察している場合じゃない。
まず考えなければいけないのは、こいつの襲撃をどう対処するか。
『いや、でも……どうしろって―――』
……この生物のM.O.M.分類がどうしてXXXXXなのか?
こいつの何が魔法使い殺しとされているのか?
教科書を初めて読んだ人間は、その疑問が浮かぶ事だろう。
そしてこいつの危険度が最高である主な理由は、ヴォルデモートも言っていた通り、
では、それが一体何なのかというと。
―――魔法使いがレシフォールドから身を護る手段は、《守護霊の呪文》しか効果が無いと判明しているからだ!
唯一レシフォールドの襲撃から生還した魔法使いの体験談によると、こいつには《失神呪文》や《妨害呪文》が全く効かず、《守護霊の呪文》を発動したところでやっと撃退できた、とある。
また、そもそもが希少生物で目撃例も少なく、自身の痕跡も獲物の痕跡も残さず去ってしまう為、レシフォールド自体の研究は進んでいないのが現状なのだ。
……そうだ。《守護霊の呪文》なんて、自分は使えない。絶対に使えない。逆立ちしても、根性を振り絞っても、神に願っても、同居人であっても、使えやしない。
レシフォールドへの撃退手段を何一つ持っていないのだ、此処にいる自分は!
『……ぁ、し、《死の呪文》―――』
ずるりとまた数歩分、レシフォールドが距離を詰めてくる。杖の照準をしっかりと定めながらも、どの呪文も唱えられない。咄嗟に《死の呪文》が唇から零れ出そうとするが、理性で食いしばった。
……全ての生命を平等に消し飛ばすあの呪文も、レシフォールドに効くかどうか?
否、わざわざ教科書に《守護霊の呪文》でしか対抗できない、と書かれるくらいだぞ?恐らく―――効果が無い可能性の方が、高い。
散々だ。自分にとって《死の呪文》は、一種の『救済措置』であったのに。
並みの呪文では歯が立たない敵でも、まともな攻撃が通用しない敵でも、当たりさえすれば討ち果たせる。まるでゲームにおける『救済措置』のような存在。それが《死の呪文》だと思っていた。ところがだ。こいつには、《守護霊の呪文》しか効果が無いときた。本当に、最低としか言いようがない。
研究が進んでいないのだから、《死の呪文》が通用するかどうか試してみればいいだろう、と思う者もいるかもしれない。だが、分霊箱の自分にとって―――消費魔力があまりにも膨大過ぎる《死の呪文》を、通用するか分からない相手に向かって放てと言われるのは―――非常に難しい話であった。
試してみて、もしこいつが死ななかったら?後に残るのは、魔力も気力も大量消費して崩れ落ちる自分と、無防備な獲物に迫るレシフォールドだけだ。……どうしようも、ない。一度トロールに撃ち込んだ時なんか思い出してみろ。魔力をごっそり持っていかれて、しばらく動けなかったじゃないか。
(そうだ、光……)
前に、こいつがホグワーツの窓にへばりついていた時。あの時は強烈な光を放つと嫌がるように姿を消していたが、あれはこちらが建物の中にいたから一方的に退けられたのだ。今は、こちらとレシフォールドを隔ててくれている窓なんてない。
『それでもやるしか―――《ルーモス・マキシマ》!』
覚悟を決めて、自分が実体験として知り得る対抗手段を実行に移した。
杖先に灯る小さな光球が、ぶくりと肥えて膨らんだ。強烈な光が周囲一帯に放射される。具体的なカンデラの数値は計測しようがないが、暗順応の進んだ人間の目をしばらく潰せるくらいには強い光だった。
ぎゅりぃ、というなんとも表現しづらい、衣擦れを金属質に近付けたような音が―――恐らくは鳴き声が上がった。
黒いマントが不自然に浮かび上がったかと思うと、くるりと翻って灯りの輪の外側へ這いずろうとしている。それでも、光が目障りだから少し離れようとしているだけに見えた。光自体は苦手とする動きの筈なのに、遠ざかった距離が短過ぎる。明らかに退散を決断した動き方ではないのだ。明確な有効打になっていない。
『失せろ!お前に構ってる暇なんか無いんだよ、僕はッ!』
強気な言葉とは裏腹に、これで諦めてくれと祈りに近い願いを込めて、這いずる動きに合わせて杖先を動かす。一瞬たりともレシフォールドから照準を外さぬように、全神経を注いで。
だが、それは余計に相手の怒りを買ってしまったらしい。いつまで這いずり回っても自身に降り注ぐ光の強さが変化しない事を理解すると、レシフォールドは突然ぴたりと止まった。不味い、と直感で焦燥が沸き上がってくる。
―――ぎゅぃ、ギュリイィィ。
レシフォールドはその場で藻掻くように、子供が駄々をこねるように、マントを五回ぐらいばたつかせる。それからパタパタと大きくマントを靡かせたかと思うと、がばりと飛び上がってこちらに覆い被さろうとしてきた。
『―――う、ぁッ、』
迫り来る平べったいマント。眼前に広がる底無しの闇。こちらを包み込むように膨張したレシフォールドの全身。
胸中に満ちる焦燥感のせいで縺れる舌は、碌な言葉を発さない。疲労が蓄積して鈍重な脚は、回避行動すら取ってくれない。
唯一できる事といえば、杖先に灯ったままの光球を
何かしなければ。
何かしなければ。
何かしなければ―――何か―――こいつを、どうにかする何か―――
『ぐ―――あッ、《アバダッ―――!』
自分が縋れるものは、もうこれしかないと。
『救済措置』である呪い、その名を紡ごうとして―――
記憶の中にある筈の緑色の光が、産声を上げる事は無かった。
全身に黒い布が巻き付いたと認識できた時には、ばちり、と目の前が真っ黒に染まる。
何もかもを映さなくなった視界の中で、沼底に沈められるようにして意識が消え失せていった。
・「幻の動物とその生息地」がトムの学生時代でも教科書として使われていたか?
これは1927年に出版されている(という設定の)本で、トムがホグワーツに入学した1938年には、恐らく教科書として指定されていた可能性が高いと考えられます。原作では明らかにされていませんが、今作では指定されていた、という設定でやらせて下さい。
原作の「私はこの森に忍び寄るものに立ち向かう。必要とあらば人間とも手を組みます」というフィレンツェの台詞が、個人的には好きです。それ故に、『賢者の石』編以降もそれなりにある筈の出番が全て削られた映画版フィレンツェが悲しくて
今回の話で今まで放置されてた伏線をいくつか回収できたかな…
更新が遅すぎて中々回収できなかったんすよ…
多分あと数話で『賢者の石』編は完結できるかと思います。多分あと数話。
今年こそ完結までいきたいなぁ…
誰か僕に「Switch2当たる」って予言してよオォォォォォォ