本編の執筆がスランプ気味だから番外編でお茶を濁すっぴ
最低でもPrologueのお話を全読了後にご覧になる事をオススメします
Memory 1 「アルターエゴ」
"―――欲しい物があるんだ"
酷く簡潔な一文。
懐から取り出した日記の帳面を開いた瞬間、待ってましたと言わんばかりにタイミング良く流れる様な文字が踊り出した。それらの節々から、一刻も早く己の心算を吐き出さねば、という目に見えぬ昂りを必死に抑えようとしている様子が感じ取れる。メッセージの主の表情が其処に無くとも、こちらには理解出来るのだ。肉体を持つ他人に開心術を掛けるよりも容易い事。
何故ならば、相手は―――もう一人の自分。元々、己と一つであった存在なのだから。
自分自身の心を理解出来ぬ道理など、ある筈が無いだろう?
それとなく興奮を訴えるかの様にして踊る文字を眺め、「仕方無いな」と机の上のインク壺に挿していたままだった羽ペンを抜き取る。体の無い相手にこちらの言葉を伝える手段はただ一つ、こうするよりほかないのだ。
何気ないその一連の動作の中に、自分の方が『上』であるという無意識な驕りが含有されている事に気が付かず。
『君が要求だなんて珍しい事もあるものだ。一体急にどうしたんだい』
サラサラとペン先を滑らせ、こちらも踊る様な文字をページに産み落とした。長方形の紙面が
たった今刻んだこちらの文字が薄まって消えゆくと同時、入れ替わりで再び相手の文字が瞬間的に浮かび上がる。
"
『何故このタイミングなのかが疑問なんだ』
ここまではっきりとした要求は、ただの一度も無かった筈だ。この半身が産み落とされてからは、ただの一度も。
そしてこの半身が産まれた理由も、いつか果たすべき仕事を託さんが為。今はまだその時ではなく、この状況で「何かを欲しがる」などという欲望や機能は備わっていないし渡してもいない。
次に表れた文字は、こちらの疑問に対する明確な回答ではなかった。
"二つ、なんだ。二つだけ欲しい物があると言ったら―――君は許してくれるかな"
―――何か。
何か、言葉にもならぬ小さな―――喉に食物の破片が引っかかったかの様な、小さくとも無視出来ない違和感や不快感といったものが、己の中にじわりと広がった感覚を覚える。どうしてそんな感覚に襲われたのか、原因を探ろうとして中断する。今はこの言葉の真意を見定めねばならない。
繕い切れぬ疑念が自然と強ばった筋肉を通じ、指先から伝播して美しく踊り出す筈であった文字がほんの微かに歪む。通常ならば、他人がこの光景を見たところでどこがどう歪んでいるのかすら理解出来ないであろう。だが、今文字のやり取りを行っているのは―――そんな瑣末な心情の揺れすらお見通しである、かつての自分自身。
『二つだって?一体何が欲しいって言うんだ。実体化の為の魔力なら―――』
"魔力ではないよ。『
『ならば―――』
"―――。一つはね、多分最も困難な道のりになるだろうけど、僕自身の力で必ず手に入れると決めている。だから君に頼るつもりはないよ。問題はもう一つなんだ……。流石にこれは、君の許可を得ておこうと思って"
一体欲する物は何なのか、ここまでただの一度もはっきりとした言葉を使用する事無く話を進められるのは少々不愉快である。いや、むしろ敢えて不鮮明なまま筆談を繰り広げているのかもしれなかった。その意図までは完全に計り知れないが。
『いい加減、
"ああ、すまなかった。確かにそうだ。うん、そうなのだけれど―――実は、
『何?』
"保険と書いた。僕の思い描いてる筋書き通りに行かなかった場合の、『代替』となる物。だから、もし僕の計画が上手くいけば本来は必要にならない物なんだ"
『計画―――継承者としての仕事の事か』
"まあそうだね、筋書きというのは秘密の部屋の事も含んでいる。だからスリザリンの意志を絶やさぬ為にも、この保険に対して君の許可を得たいんだよ。計画が失敗して、保険すら手に入らない未来に辿り着いてしまったら―――僕は君が託した全ての仕事を果たせずじまいになってしまうだろう。そんな未来は君も御免の筈さ"
『……だから、君が欲する保険というのは何の事だ』
言わんとする事は大体把握出来たとはいえ、まだ明確な答えを渋っている言い回しに羽ペンを握る手に力が篭る。間違いなく、わざとだ。目の前にぶら下げた興味を惹くモノを長い間お預けにしておけば、容易に苛立ちを増長させる事が出来ると―――自分自身だからこそ、理解してこの特性を利用しているのだ。
何故こんな事をされるのかは想像がつく。この半身は、きっと日記帳という平凡な器に封じられたのがお気に召さないのだ。加えて、自由な身ではない今の状況は誰であっても受け入れがたい筈だ。拘束と退屈に支配された己の身柄に、沸き上がる不満の行き場を自分自身に向けている。唯一意思疎通の可能なこちらを絶妙に苛立たせる事で、負の感情を発散させているといったところだろう。
計画通り自由の身にしてやる為にも、『仕事』の機会はなるべく早く与えてやるとしよう。そう考え、大人しく憂さ晴らしに付き合ってやる事にした。一向に答えを寄越さないのはやはり腹が立つが。
"僕が欲しい保険というのは……君の承諾を得なければ、間違いなく許されない物なんだ。君は絶対、怒る"
『そんな事を言うとは余程の物らしいな。それで何なんだ?』
"でも、今すぐ欲しい訳じゃないんだよね。だって保険だし。僕の見通しなら数十年は先の事だから……。それに、君はまだ知りもしない人間……生まれてもない……"
『何だ?何を言っている?』
"
『だから何なのか言えと言っているだろう。判らない状態で判断出来ないとも言った』
付き合ってやるとは思ったが、こんなにも露骨にはぐらかされるのは流石に耐え難い。空いている片手の指で帳面をトントンと叩く。相手は触覚が存在する筈なので、苛立ちから来るこの動作も当然伝わっているだろう。ところがそれを物ともせずに、己の半身は予想だにしない言葉を書いてみせた。
"―――『秘密』にしよう"
『―――なんだと?』
一瞬、何を書かれたのか解らなかった。流麗に描かれる
"今、明かしてしまったら面白くないだろう?まあどうせ保険な訳だからね……。これが必要になる可能性は低い。だったら、秘密にしておいた方が面白いと思わないかい"
『……成程な。そこまでして不明瞭にしておきたい訳か。自我のある分霊箱という物は、不満が溜まりやすい性質らしい』
"……?どういう意味かな"
『いや―――こちらの話だ』
こいつは意地でも答えを与えずこちらの胸中に
さて、どうしたものか。素直に付き合って『秘密』という事にしてやるか、強く追求して答えを引き摺り出してやるべきか。現れた二択の選択肢を前に思考を巡らせようかという時、突如として己の脳は第三の選択肢へ到達した。
……二択を選ぶ前に、これだけは訊いておくべきだ。
『一つ、訊きたい』
"一つ?それだけで良いのかい?"
『君が欲しがっている保険とやら……その正体を知れば僕は怒るだろうと言うが。それを君が手にする事で、僕の方に何か損害はあるのか?』
答えを聞いてみるまでは、実際自分の中に怒りが生まれるかは不明だ。だが、それはそれとして―――こちらの方に実質的な損害が無ければ正直、あまり問題では無い―――ような気がするのだ。
こちらの問いに対して、手早かった相手のレスポンスが途端に崩壊の一端を見せる。返事が確認出来るまでに数十秒程時間を要した。
"…………、うーん。そうだね……。損害、という物は……うん。無い―――と、思うよ……"
『歯切れが悪いぞ』
今まで美しく帳面を飾っていた文字列が、他人が見ても気付くレベルで歪み出した。かなり怪しく見える。いや、妙に解り易いこれもわざとなのか?
"損害というのは、
『まあそうだな。もしや、そんな損害が発生すると?』
"まさか!そんな事は有り得ないよ。もし保険を手に入る事が出来たならば、僕はスリザリンの末裔として君が託した使命を必ず成し遂げてみせるとも!絶対に約束する"
今度はやけに張り切った様な力強い文字が躍動し始めた。こんな筆跡で文字を書いた事なんて、こちらの方には経験が無いかもしれなかった。
奸計などとは縁もゆかりもない無垢な子供が、恥ずかしげもなく周囲に晒す嘘偽りの無い興奮。そんな姿を確かに今、その文字の中に垣間見た気がする。
『……そうか、そこまで言うのならば……。その保険とやらを手に入れる許可を、出そうじゃないか』
"―――本当かい?"
短い確認の文字が、どことなく浮ついて見える。待ち望んだ結末が実現しそうな歓喜の気配。
『君の言う通り、必要になる時まで秘密のままという方が面白そうだ。―――良いだろう、許可する』
"本当なんだね?これより後に、「やっぱり駄目」だなんてナシだよ。そんな風に無かった事にするのだけは、いくら君とはいえ僕も絶対に許さないからね"
許可を得られた事が相当喜ばしいのだろう。今の言葉を白紙にはさせまいと、声無き圧力を滲ませた強気な文字がこちらに対する警告文を形作る。それらを前にして一つ息を吐いた。口元が三日月型の笑みに歪むのを抑えられなかった。
『案ずるな。―――ヴォルデモート卿は約束を違えない』
トム・リドルという名前はとうに捨て去った。
今の己は―――まだ当分表には出せないが―――新しき名前をこの身に宿している。
そして、捨て去った名前は―――目の前の、魂の欠片を封じた器の一つへ。
同じ名前の者は、
"……そうだろうね。そんな不甲斐ない真似、未来の王には許されないだろう……"
「―――リドル?スラグホーンが呼んでいますよ」
その時、突然部屋の扉からノック音がしたかと思うと、己と同じスリザリン生の声が鼓膜を震わせた。一瞬、全身が警戒一色に染め上げられるも即座に冷静さを取り戻し、平常時と変わらぬ声色で返事を返した。こんな珍しくもない突発的な出来事で行動が乱されるようであれば、本性を隠し通し万人を欺くなど叶わぬ夢であるのだ。……ただ一人、これまでもこれからも欺く事は叶わない男は存在するが。
「……すぐ行くよ。わざわざすまないね」
万が一にも分霊箱の存在が露見しないようにと、徐に日記帳を閉じながら立ち上がる。刻んだ文字が消え、独りでに文字が浮かぶ光景さえ目撃されなければ、第三者はこれを何の変哲もない日記帳としか認識出来ない。故に、帳面を閉じてさえいれば取り敢えずは問題が無い筈だ。
だからこそ、なのだろう。
己は
この分霊箱には、あるのだ。触覚が。
今、「自分がどういう状態であるのか」、分霊箱自身が感覚を通じて理解する事が、可能なのだ。
その性質を利用して。
閉じられたのを良い事に浮かび上がった、心底愉快そうに揺らめく一文、その全てを。
呼び出しに応じて退室してしまった己が、それを目にする事は無かった。
"【僕】の言葉通り、約束は違えないよ。僕こそが真のスリザリンの継承者。闇の帝王として、穢れた血は排除して純血共を支配する。『
『クソッ、クソッ!クソクソクソッ!!』
怒りが見える。
激しい怒りが。
自身の肉体すらも火種にして、ひたすらに周囲を巻き込むだけ巻き込んで、決して尽きる事の無い烈火の如き怒りが。
『クソが……あのイカれ小僧……!何が分霊箱だ!何が継承者だ!ふざけるなッ!ふざけるなよクソッ!何でこんなッ……!』
血飛沫が上がる。断末魔が上がる。
閃光が飛び散る。肉片が飛び散る。
地獄絵図の中心地には、一人の青年が四肢を振り乱しながら獣の様に吠えていた。
夜闇に支配され、光源など何一つ無い筈の森の木々。それらを断続的に照らす閃光の出処は、彼の持つ杖であった。
湿った土の上に力無く横たわる鼠や野鳥などの小動物達が、容赦無く、力加減の一つも無く。杖先から生まれ出づる呪文により、吹き飛ばされ、押し潰され、細々と切り刻まれた。全身を覆っている皮膚は捲れ上がり、肉体を支える骨の断面が露出し、最早生前の面影は微塵も感じられない。
再び周囲を凄惨な色に染め上げんと噴霧しゆく鮮血のグラデーションは、しかし青年の身体を汚す事無く透過していった。強い魔法特性を持たぬ体液では、彼に接触する事は叶わない。
『何で、こんなッ……。何で僕だけ、こんな目に……!ふざけるな……ふざけるな!許さない、許さない許さない許さないッ!!絶対に……!』
どんなに強固な精神を所有する生命体でも。
それが人間である以上、『我慢』という概念にいつか限界は来る。
何の説明も無く暗闇に閉じ込められ、自由は無く、いつ外に出られるかも教えては貰えない。
いくら定期的に外部へ脱出出来るとはいえ、こんな理不尽な状況を強いられ続ければ大抵の人間は狂っても仕方のない事だ。誰も責められない。
しかも、その状況を強いてきた犯人が親しい身内でも友人でも何でもなく、よりにもよって強烈に嫌悪している対象であれば尚の事。
彼の今の状態は、起こるべくして起こった結果であると言える。
通常よりも恐ろしげに輝く凄絶な紅蓮の色彩が、彼の瞳の中で暴れ狂っていた。人間であれば有り得ない紅を瞳に宿した姿は、それこそが最早
―――そうだ。
当たり前の、話だが。
普通の人間ならば、例え怒り狂っていたとしても。
こんな地獄は、作れない。
『ハッ……、ハァ、ハァッ……!クソ……、クソ……ッ』
まだ生身であった感覚が抜け切れていないのか、呼吸など要らぬにも拘らず青年は息を切らした様に喘いで怒声を絶やした。短時間で連続的に魔力を使用した事に因る疲労感も、一時的な沈静化に助力しているだろう。
見るに堪えない景色だ。他人の不幸を安全地帯で眺める分には退屈しないが、今の彼は他人ではない。他人がどんなに苦しもうが知った事ではないが―――この状況で、不必要に彼に苦しんで欲しい訳ではない。
だから。
その身を蝕み焦がさんと未だ勢力の衰えぬ怒りの焔を、請け負ってやる事にした。
『…………ッ、ハア…………ッ』
彼は憑き物が落ちたかの様にカクリと膝をついて、激情に満ちていた表情に幾分か正常な姿を取り戻した。火種を失って消えゆく寸前の焚き火みたいな穏やかな紅が、瞳の中で収縮している。
冷静な思考が戻りゆく頃合を見計らって、なるべく声に余計な感情を乗せぬよう話し掛けた。
【―――落ち着いたかい?】
『…………』
ギロリ、という音が実際に聞こえてきそうなぐらいの迫力を湛えた睥睨が、誰も居ない傍の空間へ注がれる。残念な事であるが、その矛先の何処にもこちらは存在しない。
彼が、こちらの姿を視認する事は有り得ない。『あの子供』か、もしくは『保険』を手に入れなければそんな事態は起きやしない。
……いつか必ず、紅の奥に秘められたその網膜に、現界を果たした己の姿を焼き付けてやると思ってはいるけれど。
『……、はぁ……。駄目だな、こんなの…………』
すっかり正気になった彼はまた一つ息を吐いて、天を仰いだ。生憎の天候で、闇の中に点在している筈の星達は姿を潜めてしまっていたが。天然のプラネタリウムでも観察して更に気を鎮めようとしていた彼だったが、目に映るのは黒一色ばかりで拗ねた子供の様に口をへの字に曲げた。
『感情のままに暴れるなんて、未熟者の塊じゃないか……。全然、駄目だ。おまけに世界は思い通りになってくれないし』
夜空を覆う邪魔な暗雲を睨み付けて、尻からぺたりと座り込む。地面は湿っていたが、生身ではない彼の下半身は一ミリたりとも濡れる事は無かった。
『駄目だ、このままじゃ……
今し方作り上げた地獄絵図―――もとい、小動物の無残な亡骸の数々を一瞥して、彼は脱力に身を任せて項垂れる。
正直言って、魔法の経験が無い人間にしては異様な程洗練された光景だった。多くの初心者は物を浮かべるだとか、風を巻き起こすだとか、その程度の現象しか起こせない筈であるのに。
そんな決定的な差を呆気なく埋めてしまえる程、彼の想像力が殺意に満ち満ちていて、『他』を傷付ける事に特化した呪文が容易に成功していたのかもしれない。
そうだ。『他』を傷付ける魔法ならばこちらも、誰に教えられるまでもなく扱う事が出来た。これはきっと、それと同じような事例。
【磔の呪文を訓練するのはどうだい?あの拷問に耐え切れる人間は少数さ】
『お前とこうして話してる時点で拷問だよ』
助言したつもりなのにいつもの調子ですげなく返されてしまった。それはそれとして、どうやら怒りは何とか収まったようで何よりである。
『……魂を分けるというのがどれだけイカれてるか再認識出来た』
【イカれてるだなんて大袈裟だなぁ】
『じゃあ他に大勢居るっていうのか?「この行為」が正当かつ素晴らしいという認識が当然だっていうなら、多くの魔法使いはとっくに分霊箱の虜に決まっているだろうが!そうはなっていない。つまり
吐き捨てる様に捲し立てると、彼はくしゃくしゃと乱暴に頭を掻いた。行き場の無い怒りが再点火を遂げようとしているらしい。それは別に望んではいないので、水面下で密かに鎮火しておく事にする。
どうやら蓄積し続けた怒りのせいで、普段演じている常人の振る舞いが出来なくなっているようだ。今までこちらの前でここまで心を乱した事は無かったが、やはり一年を超える不自由な暮らしは堪えられなかったのだろう。むしろよく一年も耐えたと誰かが褒めてやるべきである。こちらがその役目を負うのは逆効果にしかならないと知っているので、しないが。
『クソ…………魔法と人を騙す事しか取り柄のないクズが……。―――殺す。殺す殺す殺す殺す殺す』
【ちょっと落ち着きたまえ。殺してしまったら君も死んでしまうよ】
『あの量産型ネーム……!絶対ッ、いつかッ、殺すッ!!』
【えっと、今は君が
『それはそうとお前―――
存在しない筈なのに。
ドクンという脈音が、心臓も鼓膜も無い己の中に鳴り響いたようだった。
これは生身であった頃の名残が引き起こす錯覚か、それとも本当に己の魂が知覚したものであるのか。
『間違いなく誰かが―――僕に、触れた……筈、なのに…………。それだけで、それ以上は感じられなかった……』
ゆっくりと瞼を閉ざした彼が、念話ではなく独白の形で語る。実際に声を出す事で記憶を正確に呼び起こそうとしているのだろうか。
彼は本当に底が掴めない。いや、掴ませないというのが正しいのだと知っている。何故このタイミングなんだ、という時に限って触れられたくないところを的確に発掘しようとしてくる。
先程の、感情に身を任せて殺意を散布していた姿も、こちらの慢心を引き出すただの仮相だというのか。
『……さっき、何かを……書き込まれたんじゃないのか?そうとしか考えられないのに、その感覚だけが、無い―――』
どうして、彼はそんな事を考えられるのだろう。
『代わりに応対していた事実』になんて、普通は絶対に辿り着ける筈がないというのに―――。
何故ならば。
彼の精神の大部分は不完全な実体化を経て、こうして此処に移動を果たしていて。
こちらの精神だけが、『あの日記帳』の中に取り残されていたのだから。
こういった状況でのみ、日記帳に表示させるメッセージの操作権限をこちらも獲得する事が可能だった。……そして、日記帳に備わった触覚。その認識能力の殆どをこちらが簒奪出来る事も。
認識能力を簒奪出来ると言っても殆どであって全てではないので、彼の方でも何らかの小さな違和感を感じ取ってしまうだろう。が、本体である日記帳に何が起こっているか、具体的な真実を知り得る事は不可能な筈だ。こちらが実際何をしていたかなんて、一から十の詳細を彼に理解する術は無い、のに―――。
【君が何かを感じ取ったというのは解ったよ。けれど、何で「今ままで何してた」だなんて台詞が出てくるんだい】
『決まってるだろ。
【……………………】
『ま、訊いたところで素直に答えは返って来ないとも思っているけど』
【君の想像にお任せすると言っておくよ】
『出たな魔法の言葉。いつまでもそれだけで誤魔化せると思うなよ』
その言葉の後の一瞬、彼の精神の深層に、西洋人の面影を感じさせるセミロングの少女の姿が現れたのを認識した。赤みがかった黒髪が、夕焼けの光に包まれて燃える様な赤毛にも見える。
彼女の華奢な手には、表面から光を放つガラスを張り付けた様な薄い板が握られていて、そのガラスの中には黒髪の少年が力尽きた様に机上に突っ伏している姿が収まっている。ほんの僅か垣間見える横顔には、年相応の男の子らしい穏やかな寝顔が表れていた。
薄い板を見せびらかす少女は笑っている。悪党にしか出来ない様な意地の悪いにやけ顔が、他人の失態を心底馬鹿にした様に吊り上がった口角が、かつての台詞を紡ぎ出した。
「じゃじゃーん。こちらが本日の図書室で眠りこける後輩の純真無垢な寝顔です!保護欲を掻き立てるほんわかな表情と不気味な目元の隈が良きアクセント!いや~、君のファン共に一体いくらで売れるかな。私の懐はホット、君の話題もホットってね!」
「すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ」
「こわっ、メガテン都市伝説やめろ。むー……わかったよぅ、本性出した後輩の報復は怖いしなぁ。消せたら消すよぉ」
「行けたら行くみたいな魔法の言葉やめろ」
そこまで観賞したところで、劇場の幕が下りる様に全ては暗闇に閉ざされた。疎かになっていた彼の閉心状態が元通りになったのだ。
こんなにもはっきりとした過去の記憶が溢れ出すのは非常に稀な光景だ。記憶の中の二人は口調こそ荒々しい箇所が見受けられたが、険悪と表現するには程遠くお互い晴れ晴れとした空気を醸し出していた。
【……君って、女の子と『ちゃんと』仲が良かったんだね】
『あ゛?本気でしばくぞ』
【いや……、今のは忘れてくれ。ただの世迷言さ】
理不尽な環境に置かれた事に起因する怒りのお陰だろう。彼の怒りが、普段から閉心に割いている集中力を削ったが故に覗く事が叶った記憶。
彼の様な人間にもまともな学生時代があったと確かに証明するそれは、彼の中でとても数少ない、安らぎの象徴となっているらしかった。
だが何となく安心した部分もある。少女の方は微妙に怪しかったが、彼の方は今の記憶にこれっぽっちも『恋慕』とやらを持ち合わせていなかったからだ。
『本当に、お前は人を苛立たせる天才―――ん……?』
カシャカシャ、キチキチ、という機械が起こす駆動音に近い異音が近くで聞こえてきて、彼の言葉は止まった。ギギギ……、と、彼自身も機械の様にぎこちない動作で音の発生源の方へ振り向いた。
『……蜘蛛……』
呟かれた独り言の通り、彼の視線の先に居たのは蜘蛛だった。但し、マグルの世界のそれとはサイズが全く違ったが。
身長は彼の腰辺りにまで迫っている、毛むくじゃらの八本肢を携えた巨大蜘蛛が数メートル離れた位置でこちらを捕捉していた。八つの黒々とした眼がただじっと、刺す様な視線を向けている。
互いに目が合って数秒が経った。彼は突然の珍客に思考が空白と化したのか、すっかり黙り込んで突っ立ったままだ。しかし、そこに巨大生物に遭遇した恐怖はほんの少しも無かった。彼の脳内を占めているのは疑問ばかりで、いつだって突然の出来事に対する恐怖というものが沸き立ちはしないのだ。対して、蜘蛛の方はガッシャンガッシャンと己の鋏を打ち鳴らしながら、人の言葉を発した。
「人間……人間。何で居る?いや……見覚えがあるぞ……そうだ、そうだ。お前のその顔……確かに見た事がある」
ギョロリギョロリ。八つの眼がそれぞれ気味悪く蠢いて、彼の全身をくまなく観察し始めている。
彼は咄嗟に両手を動かし、自身の体を隠蔽する様に抱いた。が、今初めて気付いたとでも言う様に己の全身を見下ろして、『おい!僕のなけなしの筋肉どこ行った!?』と謎の突っ込みを飛ばしている。どうやら未だ、生まれ変わった体に馴染んではいないらしい。いつか必ず訪れる未来で、
「解った、解ったぞ。お前は……お前は我が友人のハグリッドを追い出した……。女の子が殺された罪を着せてきた人間だ……良く覚えている!」
蜘蛛はより一層激しく鋏を鳴らして騒ぎ出した。その言葉を聞いた途端に彼の表情はようやく一変する。目の前の生き物の正体を思い出したのは、お互いほぼ同じタイミングだった。
「お前のせいでハグリッドは退学させられた!城の人間達はわたしが怪物だと信じ込んだ!友のお陰でわたしの命は助けられたが……ハグリッドの立場が元に戻る事は無い……永遠に」
『ち、ちが―――僕は何も。それは、僕のせいじゃな―――』
「わたしの事は良い。元々城に居てはいけない存在だったのだ。わたしも解ってはいたのだ。―――だが!お前さえいなければ、ハグリッドは今もまだ―――あの城の生徒でいられたのは間違いない!」
『いや、僕は何もやってない!僕のせいじゃないって言ってるだろ!この虫けら、人の言葉を喋れる癖に人の話を聞けないのか!?ぬ、濡れ衣だ!あの気狂いが勝手にやった事で、』
「確かに覚えているぞ!お前だった!その顔、その服、あの時と全く変わらない!何一つ変わっていない!」
『あ、いやまあ成長しない体だからあの時と何一つ変わらないのはその通りだが僕自身がお前をどうかした事は無いしそもそも別人というか別個体というか真犯人は今城の中というか、』
蜘蛛と魔法使いの論争など、魔法史上これが初なのではないだろうかと思える程白熱してきたが、ここらで流れが変わった。
「怪物が女の子を殺したのは知っている。わたしはあの生き物が動き回っている気配を感じていた。……しかし、『アレ』を操っていたのはお前ではないのか?何故ハグリッドと親しくもなかったお前が、突然現れて我々に罪を着せたのか解った気がするぞ。お前が『アレ』を秘密の部屋から出したのではないのか?怪物の癖に、一人だけ殺して大人しくなるなど有り得ぬ……。誰かがそう命じたか、躾けたとしか思えん……」
『ていうか、あいつそのものが怪物なんだって。僕は何もやってないんだって』
「何を言っている?あの生き物もそうだが、お前自身も怪物ではないか!後ろの光景が見えないのか?」
蜘蛛の言う通りに素直に振り向くと、そこには当然だが処理も隠蔽もされていない無残な犯行現場がそのまま残っていた。
魔法の実験というのは建前で、ただ怒りを発散する為だけに犠牲となって散った小動物達の死体。地面を湿らせる、自然界の水分とは別の赤黒い液体。
「食べる為でもない、身を守る為でもない殺生など……まさに怪物だ!我々ではとても考えられん……!この場所こそが、お前が真の犯人だという証明!」
『いや……人語喋る癖に人間も襲うお前達に言われたくないんだけど?』
彼はすっかり余裕を取り戻した様子で、腕を組んで顔を顰めながら首を傾げている。虫如きの言葉など真剣に聞き入れる価値はないと思っているようだ。何故自分が責められているんだとでも言いたげな態度を隠そうともしない。糾弾してくる相手が人間であればまだ幾分か取り繕っていたのだろうが。
人語を操る巨大蜘蛛―――アクロマンチュラ。
いつかの半巨人がアラゴグと呼称していたそいつは、『死』の香りが充満するこの場で顔色一つ変えない本物の怪物を目の当たりにして、ギチギチと耳障りな音と共に後退を始めた。
「……人間の中にも怪物は潜んでいる……わたしはそれを忘れない……」
『おい、勝手に勘違いしたままどこに行くつもりだ』
「ああ恐ろしい。人間共はハグリッドの姿を怪物と揶揄う事もあったが……巨人の血すら持たぬ者こそが真の怪物とは……」
『おい?謝罪しろよこの虫けら。人に冤罪吹っかけておきながら尻尾巻いて逃げるのか!』
「忘れんぞ……私はお前を忘れない。絶対に、いつか……死せり我が友、ハグリッドの無念を―――」
『ハグリッドを勝手に殺すな?』
そこまで吐き捨てると、アラゴグは踵を返してシャカシャカと忙しなく肢を動かして去っていった。無駄に肢が多いだけあってその速度は中々のものだった。彼はその背中を狙い撃つかどうか逡巡する素振りを見せたが、決断する頃には間に合わないと持ち上げかけた杖腕を下ろす。一人闇の中に取り残されてぼそりと呟いた。
『……何で僕がハグリッドを殺した事になってるんだ?』
【社会的に殺されたという事を言いたかったんじゃないのかい】
『ああそうか。成程成程ねって納得出来る訳ないだろ、この外道が。誰のせいでこうなったと思ってる?』
【強いて言うなら、世間とか?】
『クソが!どいつもこいつも―――虫けらすらも、あいつが仕出かす事全部が全部僕のせいってか!?ふざけるなよ……!ああクソッ!今までも……これからも……、あいつが犯す罪は全部、僕もやった事になるのか……!?ほんとに、もうッ…………ふざッッッけんなッッッ!!』
突発的な衝動の発散先は決まっていた。
まだしっかりとした形をかろうじて保っていた死体の一つへ向けて、爆破呪文を放ち無数の肉片を撒き散らす。彼はそれらを一瞥する事もなく頭を振り乱しながら大声で喚いた。
禁じられた森の闇の中。杖灯りも無いその場所で、真っ赤に燃ゆる光源がただ二つ。
『ヴォルデモート……!絶対に、絶対にお前の全てを滅茶苦茶にしてやるぞ!!』
多分Page24とPage28の続きを望んでいる人が大半だと思いますが
もうちょっとお待ち下さいすみません
6/14追記
職場の人手不足が解消傾向に向かいボクの休日も増えてきたので
そろそろ更新していきたいと思います