転生したら分霊箱だった件   作:@ゆずぽん@

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Page 41 「絶望の味は蜜の如く(後編)」

 バタバタという足音の後、バタン!と勢い良く扉が開かれた。

 空き教室に入って来たのは、想像通りスリザリン生の少年、ドラコ・マルフォイ。元から白いが、更に蒼白になった顔面を晒しながら教室内を忙しなく見回し、こちらと目が合った。

 

 「り、リドルさん……!いや……落ち着け……ふぅ、」

 

 品を欠いた言動は控えろとでも厳しく教えられているのか、彼は上がった息を少しでも優雅に見えるよう整えて、乱れたローブをしっかりと着直し、不安を隠し切れてはいないがきりっとした表情に切り替えて尋ねた。

 

 「……はぁ、リドル、さん。伝言は貰ったけど……あれは本当の事、なんですか」

 

 ドラコへ送った伝書鳩はちゃんと役目を果たしたようだ。ハリーの命が奪われかけているという内容を書いていた上、肝心な詳細を敢えて省いていた。

 相手を確実に誘い出す為によく使われる手法。一見悪戯や冗談めいた内容に思えても、だ。具体的に何がどうなっているのか、送り主の元を突撃しなければ絶対に知り得ないという状況下に置かれては、メッセージを無視するという選択肢は取れないだろう。

 

 『君は僕が下らない嘘を伝える程暇に見えるかい?』

 

 「……見えない」

 

 『じゃ、そういう事さ。だから君を呼んだ』

 

 「嘘、じゃない……」

 

 折角取り繕ったのに、一瞬で表情の凍り付いたドラコを正面から見据える。まだ嘘であってくれという願望の滲む青白い顔。その願望を打ち砕く為に口を開いた。

 

 『人が嘘を生み出したのは、今の君みたいに他人を混乱させる為じゃない。人は、明確な利益を手にできる時にこそ嘘を吐く。下らない嘘で誰かが取り乱す様を眺めるのは、確かに一時の気晴らしにはなるし嫌いじゃないけれど、それはただの副産物だ。嘘の真髄はね、もっと費用対効果の高いものさ。相手を欺き、騙し、抵抗する隙を与えず、自分の欲するものを強引に掴み取るための道具。それが嘘の本質だ』

 

 そこで一拍置き、淡々と続ける。

 

 『僕は無益な嘘は吐かない。相応の利益があれば話は別だが、お遊びや悪戯の為にわざわざ余計な言葉を費やすと思うかい?逆に聞き返すけど、ここで僕が君に嘘を吐いて、僕にどんな「得」があると思うのかな』

 

 「……、本当に……こんな……」

 

 『うん、信じたくない気持ちは理解できるけど、君の絶望に寄り添う時間は残念ながら無いんだよ。だから無理にでも理解してもらう』

 

 物事はシンプルイズベスト。先に要件を述べてしまおう。

 視界に何も映っていないかのように呆然と固まるドラコを放置して、簡潔に命ずる。

 

 『ハリーがクィレル教授に攫われた。助けに行くから協力しろ』

 

 「た、助ける……」

 

 『ハリーを万が一にでも失うような事になったら、僕はとても困るんだ。だから君を巻き込んででも取り戻す』

 

 「こ、殺されるんですか?」

 

 ドラコは最悪の想像をして凍死者寸前の顔色に変貌した。人間の顔ってここまでコロコロ変わるんだな、面白い。

 

 『相手の要求はシンプルさ。夜明けまでに僕が来なかったらハリーを殺すと言い切った。それで、僕の日記帳を君に運んでもらいたいんだ。今はグリフィンドール塔に安置されているが』

 

 「運ぶ?」

 

 『僕はあの日記からあまり遠くへは離れられない。それを知っているから、相手は僕を知っている君に運ばせろと。僕自身では日記に触れられないし、僕が放つ魔法も日記には効果が無い。浮遊呪文で運ぼうとか試行錯誤してみた時期はあったんだけどね、全部徒労に終わったよ。僕以外の誰かじゃないと、日記は運べないんだ』

 

 「でもそれって……リドルさんはどうなるんですか!?」

 

 会話の途中で何故かドラコは怒りの滲んだ声色で叫んだ。何か逆鱗に触れるような要素があっただろうか?

 友達であるハリーが命の危機に晒されている事に憤っているのなら理解できるが、どうしてこちらの心配をしているのだろう。謎だ。

 

 「相手は……クィレルは何故リドルさんを?こんな、犯行がバレたらホグワーツを追い出されるだけじゃ済まないような事をしてまで、どうして……。第一、ダンブルドアが黙ってない筈だ!」

 

 『僕は、ドラコ・マルフォイ以外の人間に誘拐の件を話すなとも言われている。今すぐ何かの偶然でダンブルドアが城の中を探り回りでもしない限りは、あの校長が気付く事もないだろう』

 

「だって……だって、ホグワーツなのに!他の教授もたくさんいるのに、誰もハリーの誘拐を知らないなんて!?」

 

 『コメントに困る話をしないでくれ……』

 

 ドラコの言う通り、この学校はしばしば警備体制が杜撰である。

 ヴォルデモートを憑依させた職員が紛れ込むし、危険生物の存在に気付けず地下に放置したままだし、脱獄者が侵入するし、教師の偽物が授業をし出すし、悪の組織が大勢押し掛けるし。

 現在や未来の杜撰さを挙げるとキリがない。中にはダンブルドアでさえ知らなかった脅威だっていくつかある。まあ、彼だって人間なんだから、仮に千のトラブルを一つ残らず未然に防げと言われても、千を全て捌くなんて無理がある話だ。大目に見てやってもバチは当たらないだろう。

 

 『大人の存在を頼り過ぎるのはどうかと思うよ。教師だって完璧人間じゃないだろ?』

 

 そう言うとドラコはどこか不貞腐れたように口を窄めて反論した。

 

 「……ダンブルドアなら、大抵の事はできるよ」

 

 『じゃ、卵産めるのか?放屁で空飛べるのか?逆立ちしたまま校庭を百周してほしいとか、全裸でドーバー海峡を泳いで渡ってほしいとか言われたら、ダンブルドアはできるか?』

 

 【誰が頼むのさ、そんな馬鹿げた事】

 

 (例えばの話じゃないか)

 

 どんな人間にも不可能な事はある。ダンブルドアはそれをしっかり自覚できている部類だろう。しかし、それを素直に認められず暴走を始めるのがヴォルデモートとかいう欠陥人間だ。

 ドラコはどうも父親の影響で、ダンブルドアに対してあまり良い印象を持っていないらしい。「優れた魔法使いである事実自体は認めるが、その存在を受け入れている訳ではない」と。

 そのダンブルドアが校長を務める学校で、友達が(かどわ)かされた。それは不貞腐れたくもなるだろう。

 

 「もしクィレルが捕まったとしても、絶対校長による口止めが行われるさ!日刊予言者新聞でも報道されないだろうな。父上は、『ダンブルドアがいる事が、この学校にとって最悪の事態だ』といつも仰っている」

 

 『ヘ……ヘイトスピーチ……』

 

 成る程。このようにして子供への洗脳は行われるようだ。

 子供の情報源の大部分は親からの教育。親の教え一つで子供は正しくない知識に囚われてしまう。純血社会に生まれた子供は親から与えられた知識を鵜呑みにせず、セルフディスタンシングを実践した方が良いと思う。バイアスにどっぷり染まってしまっている。

 ドラコはふんす、とでも聞こえてきそうな鼻息を吐き出しており、すっかりご立腹らしい。今は動揺より怒りの方が勝っている。

 

 「何でこんな事が起きたんだ。ハリーは普通の生徒と違うのに、みすみす誘拐を許すなんて」

 

 『よっぽど綿密に誘拐の計画を立ててたんだろうな。誰にもバレないタイミングで、見事に成功させた。運と実力に恵まれたんだろうさ』

 

 「そうまでして、どうしてリドルさんが狙われなきゃいけないんだ」

 

 『……。さあてね。本人曰く、自分の所有物だから回収したいんだとさ』

 

 「所有物……つまりリドルさんの日記って、クィレルの物だった?」

 

 『ああ……まあ、そういう話だ』

 

 本当はクィレルに取り憑いている残虐非道の魔人の持ち物だよ、その正体はお前の父親が仕えてたご主人様だよ、という無情な現実を伝えるのはやめておいた。下手に怖がらせて運び手の仕事を拒否されても困る。

 子供は子供らしく何も知らずにいればいい。全てがクィレルどもの思惑通りになって、マルフォイ家が本格的に巻き込まれるような結末に至るまでは、何も知らなくていいだろう。

 

 ……自分だって、この世界に来る前での日常で。

 何も知らない子供のままでいられたなら、どれほど良かったか。

 

 「回収されたら、リドルさんはどうなってしまうんだ」

 

 『一つだけ分かるのは、無事じゃ済まないって事だけ。今まで相手に従わなかった分、それなりに痛めつけられたりするんじゃないかな。その後は……二度と歯向かわないように、徹底的な支配下にでも置かれると思うけど』

 

 「それは……磔の呪文とか、服従の……」

 

 ドラコはその先言おうとして口を噤んだ。軽々しく発言して良い単語ではないと理解しているのだろう。闇の魔法使いでもあった父親の教育は、結構行き届いているらしい。

 でもこの子供、放っておいたら気軽に『穢れた血』とか差別用語を使い出したりするんだよな。教育が行き届いていても、自らの言動を完璧にコントロールできないというのは、未成熟な少年として何もおかしくはないのだが。

 

 「それって……かなり、酷い仕打ちじゃ」

 

 『酷いね。僕の事を本当に道具……所有物としか思ってないんじゃないかな。持ち主が所有物をどう扱おうが自由だとでも思ってるんだろ。その理屈自体は間違ってないんだけどね』

 

 理屈は間違ってない。自分だってそう思うからだ。自分の持ち物をどうしようがそれは自由だろと思う気持ちは誰にだってある筈。

 ただ一つ間違っているのは、此処にいる自分は相手の所有物ではないという事。自分ではなく同居人こそがその対象であるのに、転生してしまったせいで自分も狙われるなんてふざけている。できるならば、この身から同居人だけを引き摺り出して相手の眼前に売り飛ばしてやりたい。

 

 【君だって酷い仕打ちをしようとするじゃないか。なったばかりの友人を売るだなんて下劣な真似をするのかい】

 

 (実は僕の世界では、友人は売り飛ばして金銭に変えるという風習があってだな)

 

 【本当にそんな世界だとしたら、君は友人をたくさん作っていた筈だから嘘だよね】

 

 (……そんな世界だったら、良かったよなぁ)

 

 【売り飛ばす気満々じゃないか。どうしてそんなにお金が欲しいんだ君は】

 

 (あればあるだけ困らないし嬉しいからに決まっているだろ。お前だって金に困ってただろうにどうして解らないんだか)

 

 【……資金に困っていたのは認めるけど、魔法である程度はどうにでもできたからね】

 

 (僕の世界に魔法は無い。無いからこそ金銭が物を言う世界だったんだ。この世界なら、魔法で建築も製薬も生活も、殆どのものを賄えるだろうが……お前には一生解らないだろうな)

 

 まあ多分、解り合える日なんて一生来ないだろうけども。解り合いたいと思える程、こいつという人間を構成している土台に興味が持てないし。

 

 【まあ君の思想は自由だけど、とにかく友人である以上は、僕を売るような真似はしないでほしいな】

 

 (善処はしよう)

 

 【そこで約束はしてくれないところが君らしいね。解ってはいたけど】

 

 腐っても友人関係を結んだ相手だ。とても残念ではあるが、一応はヴォルデモートに情報を渡さないでおいてやるか。本人も売り飛ばされたら困るらしいし。

 友人とは何なのかいまいち解ってはいないけど、取り敢えず悪人からは庇ってやるのが世間一般でいう友人関係、という認識で良い筈だ。……どうしよう、庇ってる相手も悪人なんだけど。やっぱり思い切って売り飛ばすのが正解かもしれない。

 なったばかりの友人と念話で語らっていると、ドラコがやけに悲痛な面持ちで訴えてきた。

 

 「でも、リドルさんはただの道具じゃない。こうして僕と話してる。自分の言葉があって、自分の意志があって、自分の感情があります。それに……僕を、ハリーを、助けてくれた」

 

 『…………』

 

 「僕、あの時、凄く怖かったんだ。罰則の夜……本当に死ぬかと思った。何度心の中で父上に謝ったことか。軽率な行動で罰則を食らった事、とても……後悔していた。でも、貴方が助けてくれたお陰で僕、体のどこも失う事なく帰れたんだ」

 

 『あぁ……そもそもあの罰則もクィレルが与えたものだから、まあ』

 

 今にして思えば、ドラコだけは完全に無実だった。クィレルの目的にドラコ・マルフォイは一切入ってはいなかっただろう。

 ハリーの近くにいた友人というだけで巻き込まれた被害者。沸き上がる一万分の一くらいの罪悪感。【それ最早無いに等しいよね】、とやかましい友人が呟いてきたが、いつもの調子で無視しておいた。

 クィレルが手を引いていた事を知ったドラコは、少しの間呆然として、それから静かな怒りを湛えて眉を寄せた。

 

 「そういう、事か。おかしいと思ったんだ。森番はいなくなるし、ユニコーンは殺されてるし。そしてあまりにも―――魔法生物が、僕達の前に現れ続けて、殺そうとしてくるから……。きっとあの日も、クィレルが罰則を仕組んで、本当の狙いはリドルさん……だったって事、ですよね」

 

 『理解が早いね。そうだ。巻き込まれた君には申し訳ない……とは思うけど、結果として君の命も守れた事だから、不問に付してほしいな』

 

 「……そして、僕を助けてくれた命の恩人を、クィレルはまた困らせている。許せない事だ。一秒でも早く他の教授に知らせてやりたい、けどそうしたら、ハリーの命が……ですよね?」

 

 『だから僕らは誰にも頼れない。相手の指示に従うしか、何一つ選択肢は無い』

 

 「に、逃げられないんですか?」

 

 『え?』

 

 恐る恐るといった様子でドラコが言った。意味が解らず首を傾げて続きを促す。彼はうろうろと目を泳がせながらも提言を述べた。

 

 「何とかして、ハリーを解放させたら……いっそ思い切って、どこか遠くへ逃げる、とか」

 

 『どこかとは?』

 

 「とにかく遠い場所……イギリス国外でも何でも、此処から離れたどこかへ……」

 

 ……その件は自分でも考えた事はある。だが、その選択は絶対に選べないものだった。

 そもそも、占いに長けたケンタウルスが警告してくれた事だ。「ホグワーツより離れた地に身を潜めても、いずれは別の『厄』に」―――あの夜の言葉を思い返して自然と渋い表情になる。

 

 『……さっきも言った通り、僕はあの日記から離れられなくてね。姿あらわしは疎か、ポートキーに乗る事もできない体なんだよ、これ』

 

 「姿あらわし、できないんですか」

 

 『一度も試した事はないけど、能力や才能としては可能なレベルが備わっている筈。だが、この体のままでは発動できないようにされている。日記から離れる事を許されない仕組みなんだ。おまけに、僕の現在地は相手がいつでも把握できるようになっているから、逃げたところで……ね』

 

 ドラコはそれを聞いて、瞳の中に様々な感情が渦巻いている。心配、憐憫、憤慨、焦燥……そして彼の中に一つの考えが浮かび上がり、こちらに提案しようとしたが、数瞬の葛藤の後、それが現実に出力される事はなかった。

 ドラコはどうやら、魔法界の中でも立場を持っている自分の父親の権威を以て、どうにかこちらの助けになれないかと思考を巡らせてくれていたようだ。

 マルフォイ家で匿う選択や、ハリーの誘拐なんて騒乱を引き起こしたクィレルを断罪させる方法。しかしどれも現実的ではないとスリザリンらしい賢明さで悟って口を閉ざした。根本的な問題として、ハリーの解放を具体的にどうやるのかといった障害もある。

 

 『色々考えてくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だから』

 

 マルフォイ家で匿われたところで、だ。分霊箱が元あった場所に戻るだけである。そして、一度手元から送り出した日記帳が帰ってくる結末を、父親であるルシウス・マルフォイが果たして受け入れるだろうか。

 例え受け入れられようが、ヴォルデモートの配下である過去を持つ男の家だ。どう足掻いても安息の地にはならない。この世界が物語の通りになったら、ヴォルデモートが居を構える場所なのだ。

 

 『僕はただ、ハリーを生かす為にあいつの待つ場所へ向かうだけだ。大丈夫』

 

 「でも、大丈夫な人間のする顔じゃないよ、今のリドルさんは」

 

 『……大丈夫。慣れている。こういう扱いを受けるのは……色々……』

 

 思わず父親の顔が過ぎって、頬が痙攣してしまった。胸の前で組んでいた両手の神経もざわついて、動揺を表すように右の二の腕を掴んでいる左手の爪が、仮初の肉に食い込んだ。

 あの男の顔。血の繋がった子供ならば自分の所有物であり、どんな扱いをしようが自由だという驕りを孕んでいた瞳。こちらの存在を、報酬を受け取る為の引換券としか認識していなかった心根。

 それも当たり前の事実か。あれほど歪んだ欲望を持っていなければ、愛してもいない女との子供を作ろうだなんて、考える訳が―――

 

 『君はただ、クィレルの元まで日記を運んでくれるだけでいい。それ以外の無茶は要求しないと約束する。もう一度あの夜みたいに、君を怖い目に遭わせてしまうかもしれないが……この話、受けてくれるかい?』

 

 肉親への憎悪をどうにか押し殺して、多少不自然に見えようと構うまい、と浮かべた微笑を向けながら尋ねる。

 今しなければならない行動は、ただドラコの同行を頼むだけ。それさえできれば他の些事はどうでも良い筈だった。余計な感情を表に出す必要なんて、何処にも無い。

 

 「……僕は、ハリーが殺されるのも、リドルさんが苦しむのも嫌だ」

 

 ドラコは数秒程、ただこちらの表情を見つめていた。どう見えているか彼の目線にならなければ解らないだろうが、多少強引でも人間らしい余計な感情を削ぎ落とせていると思う。

 ドラコは何かに気付いたように目を大きく見開いたかと思うと、ほんの少し肩を落とした。諦観に近い心情を抱いた瞳を向けてくる。

 

 「だから、リドルさんの話を受けるよ。僕にしかできないのなら、やらせてほしい。間接的に僕らを殺そうとした犯人の元まで行くのは、確かに怖いけど……貴方は一度守ってくれた。その恩を無視して返さないままなんて、マルフォイ家の恥になる。恐怖は断る理由にならない」

 

 声は少し上擦っていて、完全に恐れを取り繕えていなかった。だが及第点だろう。

 温室育ちの十一歳の少年が、殺人未遂犯へわざわざ近付かなければいけないという難題を課されても尚、自らの意志でここまで発言できるなら充分だ。

 こちらがスリザリンの先輩であるからこそ、同じスリザリン生の前で醜態を晒す訳にはいくまい、と虚勢を張っている面もあるだろうが。

 

 『流石、スリザリンに選ばれた子供は有能だな』

 

 【僕の事かい?】

 

 (黙れよ)

 

 なんかこいつ、友人になったそばからつまらないボケをかましてくるようになったのは気のせいか?調子に乗って馴れ馴れしくするなよ、鬱陶しい。

 いや、しかし逐一無視するのではなく、根気強く付き合っていかないと友人契約に反する可能性があるのか?面倒な。

 魂に刻まれた反射神経が、ごく自然に辛辣な返答を叩き出してしまうのは止められない。これで契約違反とか言われたらどうしようもないのだが?反射的な言動に難癖つけられたが最後、契約終了だ。半分人権侵害だろ。

 

 【いや、難しく考えなくて良い。今まで通り、君のままで君の反応をしてくれれば良いんだ。どんな言動だろうが僕は文句を言うつもりはないし、別に違反も何も無いよ】

 

 (……お前……悪い事は言わないから、本当に友人は選んだ方が良いぞ……)

 

 【君の方がそれを言うのかい?……心配しなくても、友人はちゃんと選別しているさ】

 

 「リドルさん?」

 

 ドラコが突っ立ったままのこちらを不思議がっていたので、すぐに平素の姿へ戻す。

 

 『いや、鬱陶しい小蝿が飛んでいたものだから気が逸れた。……それじゃ、まずは日記を取りに行こうか。ハリーの寝室に置きっぱなしだから、君にも目くらまし術を掛けないとな』

 

 「目くらまし術、使えるんですか?」

 

 ドラコは何故か目を輝かせている。そんなに憧れを抱くような大それた魔法だろうか?

 

 『別に、大人の魔法使いだったらみんなそれなりに使える魔法だと思うけど』

 

 「でも、未成年にとっては決して簡単な魔法じゃないですよ。やっぱりリドルさんは凄い。守護霊の呪文だって……」

 

 そこまで言いかけて、ドラコは守護霊の呪文に自分の記憶が使われた事を思い出したのか、途中で言葉が萎んだ。まあ、あまり嬉しい体験ではなかっただろう。

 彼の思考を読んでみる。レシフォールド撃退後は虚ろな状態が抜け切れていなかったドラコだったが、後でハリーから話を聞いて、何が起きたのかをしっかりと理解するに至ったらしい。

 手放しに称賛されてはいるものの、自分が高度な魔法を扱えるのはこの器に転生している上に、この器の名前を受け入れたからだ。断じて自分だけの実力ではない。

 此処にいるのは、他人の才能も知識も借りパクしているだけの、ただの小賢しいマグルでしかないのだ。

 やはり、大半の人間は人の上辺にばかり気を取られるらしい。今みたいに。

 ヴォルデモートも、そういった上辺でしか他人を判断できない奴らを騙し、魅了する事で配下を増やしていった。……この状況が奴と似ているようで不愉快になる。

 

 日記をドラコに回収させる為、目くらまし術を掛けようと杖を取り出した時。ドラコは我慢できないといった様子で質問を繰り出した。

 

 「……リドルさんはスリザリン生として、例のあの人の事をどう思ってる?」

 

 『自分は社会不適合者であるという生態を堂々と発表しちゃってる愚かな生き物』

 

 「もしかしてリドルさん自殺志願者だったりする?」

 

 ドラコの全身から冷や汗が吹き出した。予想外の回答が出てきて彼は完全に困惑していた。

 

 『過度に恐れる必要なんてないじゃないか。僕は事実を言っているだけ。間違っているとは思わない。それで相手が憤怒に駆られるのなら、まあお好きにどうぞとしか言えないね。その結果殺されそうになったところで、絶対に後悔はしないよ』

 

 「事実、って、」

 

 『殆どの魔法使いには解らないだろうね』

 

 ヴォルデモートの幼少期も、学生時代も、奴が歩んできた人生を正確に知る者はいない。だからこそ、奴がどれほど愚かな生態をしているのかを知る者もいない。死喰い人やダンブルドアでさえ奴の一から十まで全てを把握している訳ではないだろう。

 自分はその気になれば、この日記帳に転写されている記憶を覗く事で奴の過去を具体的に知る事が可能だが、父親を殺す瞬間を閲覧しただけでやめた。他の記憶は絶賛放置中だ。

 勿論、記憶を覗かない理由は複数あるのだが……強いて言えば、理由の一つが「シンプルに面白くない」からである。なんか……どれもこれも陰鬱とした気配が漂っていて、どんな捉え方をしても良い気分にはならない。

 

 家族や友人といった存在の全てを唾棄し、世界の全てを恨み憎みながら成長を経て、途中で殺人を犯しながらも周囲を欺き通し、ホグワーツを卒業していった孤児の回想録なんて、面白くなりようがないだろう。読後に憂鬱になるような記憶なんて普通に閲覧したくない……。

 他人の不幸は蜜の味であるが、ヴォルデモートが孤児として味わってきた不幸は、何というか、反吐の味だ。他人の不幸を眺める分には愉快だが、奴の不幸に関しては不思議と指をさして嗤う気すら起きない。化け物じみた外見も相まって、本当に奇怪な男だ……。

 

 「……リドルさんは、やっぱり例のあの人とは無関係なんだ」

 

 ドラコが絞り出すような声と安堵の息を吐いた。一瞬ぎくりと口角が強張りそうになったがなんとか耐える。

 

 「実は僕、かなり馬鹿げた推測をしてしまってて。リドルさんがその、例のあの人の隠し子か何かじゃないか、って」

 

 『ん〜?何がどうなってそんな馬鹿げた推測に至っちゃったのかな?』

 

 咄嗟に忘却呪文を唱えそうになった衝動を必死に押し留める。勝手に動き出す杖腕を片方の手で鷲掴んでどうにか鎮める事に成功した。自分の反射神経が自分でも怖い。タタリ神の呪いじゃないんだから暴れるなって。

 

 「リドルさん、よく分からない体してるし、スリザリンの人間だし、魔法生物を退けられるぐらいの実力はあるし。……あとは、その。僕の……勘というか、なんとなく、例のあの人と繋がりがあるんじゃないかという予感が」

 

 憶測でものを語るのは愚かだと言ってやりたいが、大部分は正解しているので何も反論ができなかった。

 いや、この少年……そうか。

 彼が浮かべている思考の一つに、「マルフォイ家の屋敷で昔保管されていた黒い日記帳を見かけた記憶がある」というのが存在している。故に、その黒い日記帳とこちらの日記帳が同一の物ではないか、という憶測に繋がったのだろう。

 「保管していた犯人は父親。父親はかつて例のあの人の忠臣だった。だから黒い日記帳は例のあの人に関わっている物かもしれない」、と。無駄に頭の回る子供だ。腐っても死喰い人の息子、か……。

 

 『断じて違うな。それは君の勘違いだ。僕はあいつの隠し子なんかじゃない』

 

 「そう、なんだ」

 

 『本当さ。もしも僕とあいつに一滴でも血の繋がりがあったなら、あいつの手を取って社交ダンスでも何でも踊ってやるとも!』

 

 胸に片手を当て、勢いよく宣言する。

 まあ、この体には人間のような血液は存在しないので、血の繋がりなんて概念は最初から無いのだが。元の世界の肉体だって、物語の中の存在でしかないヴォルデモートと血の繋がりなどある筈もない。

 

 『というか、血の繋がりなんて考えるだけでも悍ましい。二度と馬鹿げた推測なんぞ口にしないでくれ』

 

 「すっすみません」

 

 『第一、君はあの暴君の極致みたいな男に、子供がいるところを想像できるのか?』

 

 「ど……どうだろう。でも、後継者とかが欲しかったら、もしかしたら子供を……?」

 

 『いいや、あいつは自分一人こそが頂点じゃないと気が済まないタイプだ。後継者も自分の血を継いだ存在も、そんなものは何一つ必要としない筈さ』

 

 「……詳しいんだ」

 

 『そりゃまあ、僕もスリザリン生だからね』

 

 ドラコは、ここまでヴォルデモートへの暴言を連ねるこちらの様子を見て、ようやく納得したらしい。闇の帝王に対し、こんなにもボロクソに罵る実子がいる筈はないだろう、と。

 

 「じゃあクィレルがリドルさんの日記帳を欲しがってるのも、例のあの人と無関係?」

 

 『うんそうだねぇ』

 

 さっさとこの話題を終わらせたくて間延びした棒読み声がまろび出る。

 あとで真相がバレて嘘吐き野郎と誹られても構わない。他人からの評価をいちいち気にして生きていたらやってられないのだ。

 そう、何も持たない孤児だったが故に。他人からの評価を獲得しようと、全神経を注いでいた学生時代のヴォルデモートみたいに生きるのは、心底面倒だ。

 

 【清々しいくらいの大嘘吐きだ】

 

 (ブーメラン刺さってるぞ)

 

 【お互い様というやつだね】

 

 (お前の嘘より僕の方がマシだと思うけどなぁ。僕は気を遣って怖がらせないように嘘を吐いてるだけなんだけどなぁ)

 

 【気を遣う為なら幾ら嘘を吐いても許されるという事かい?】

 

 (お前の嘘は何一つとして許さないけど?)

 

 【友人なんだからもっと大目に見てくれてもいいじゃないか】

 

 (友人だから理論やめろ本当に)

 

 ……友人というものは、相手の嘘を寛容に受け止めるのが当たり前の関係なのだろうか?知識不足過ぎて解らない。

 

 『……もう質問は一旦終わらせて良いかな。時間も限られているし、そろそろ出発したいんだけど』

 

 「あっ、そうだった。質問攻めしてすみません」

 

 全く、これだから温室育ちのお貴族様は。疑問に対する正確な答えが、いつもいつも手に入ると思われるのは癪である。

 こちとら手探りだらけの日記生だったんだぞ。何でこの世界に放り込まれたのか、何で転生先が日記帳なのか、何でヴォルデモートにしつこく狙われてるのか、何一つ判明してないというのに。

 

 『では、行こうか。まずはハリーの寝室だ』

 

 

 

 

 到着。現在地はハリーの寝室。

 目くらまし術で透明になったドラコを伴い、グリフィンドール生の目を盗んでここまでやって来るのは容易だった。道中、誰もいないようにしか見えない空間で響く合言葉に戸惑いながらも、役割通り寮への入り口を開けてくれた『太った婦人』には感謝である。

 ドラコは、今後二度と体験しないであろう他寮への侵入に少しだけ心を躍らせているようだった。やはり、根はまだ冒険心が疼く好奇心旺盛な十一歳なのだな、と改めて思った。

 同部屋の生徒は、未だ談話室などで試験に対する最後の追い込みを行なっている。ハリーの寝室は無人のままだった。消灯時間ギリギリまで、この部屋に人が来る事はないのだろう。

 

 「不用心だ」

 

 ベッドの上に置きっぱなしの日記帳を見て、ドラコが責める口調で呟いた。

 最初は申し訳程度に毛布を被せて隠されていたが、毛布を捲ればすぐ剥き出しになるので、確かに不用心ではある。しかし、酷く簡素な隠し方をしているのは理由があった。他ならぬこちらが、本来の隠し場所を断固として拒んだからだ。

 

 「ハリーにとっては大事な物の筈なのに、置き場所がここって」

 

 『あー、まあ、本当はもう少し捻った場所に隠してあったんだけど』

 

 「ベッドの下とか?」

 

 『回答は控えさせていただく』

 

 例の信じ難い隠し場所を思い出して真顔になる。

 王道パターンではあるが、普通にトランクの中とかで充分だっただろうに……。ヴォルデモート含め、イギリス出身男児の思考回路はよく分からん。

 この世界に来てから薄々思っていたけれど、イギリス人って頭おかしい奴多くない?大丈夫?紳士の皮を被ってるだけの癖の強い人間が多過ぎる。その最たる例が今まさに頭の中にいるのだが。

 

 【あんな場所に隠すだなんて、極刑は免れない】

 

 (もう終わった事なんだから落ち着けってみっともない)

 

 【……】

 

 (うわぁ!いきなり落ち着くな!)

 

 どこぞのコラ画像みたいなふざけたやり取りをしながらも気持ちを切り替え、ドラコに指示を出していく。

 

 『日記を開いてみてくれ。ハリーが使っている羽根ペンがある筈だ』

 

 指示通りドラコが表紙を捲ると、鮮やかな深紅を纏う不死鳥の羽根で作られたペンが、最初のページに挟まっているままだった。

 生粋の魔法族故に素材の真価に気付いたのか、ドラコが感嘆の滲む吐息を漏らした。羽根ペンを片手で摘んで持ち上げ、色んな角度からまじまじと眺めている。

 

 「これ……不死鳥の羽根じゃ?でも、羽根ペンとして使われているのは初めて見た……。魔法生物の羽根は普通材料にしないんだよ。例外としてフウーパーの羽根ペンは昔から作られてるけど、オーグリーなんかはインクを弾いてしまう羽根だから」

 

 フウーパー、鳴き声を聞き続けると正気を失うと言われている鳥か。

 オーグリーはアイルランドの不死鳥とも呼ばれる、陰気な外見をした鳥だ。雨が近付くと特徴的な鳴き声を上げるという。

 一説では、ホグワーツの入学名簿に使われているのはオーグリーの羽根ペンだとか。インクを弾くのにどうやって筆記用具としての役割を果たすんだ?機会があったら、インク無限生成能力を使ってオーグリーの羽根が本当にインクを弾くのか試してやりたい。

 

 『それ、作成者は僕だけどね。ま、現地調達だから材料費はタダだよ』

 

 「現地調達?」

 

 『これ以上は企業秘密さ。知りたかったら情報料を支払う事だ』

 

 「リドルさんの体って、金貨とか触れるんですか?」

 

 『……忌々しい事に無理だけどね。でも物体以外なら……』

 

 片手を日記に向けて翳す。すると日記帳がひとりでにパラパラと捲れ出し、ドラコが突然の怪現象にびくついて後退した。

 この手で直接日記に触れる事はできないが、このようにして日記を開いたり閉じたりといった操作は離れていてもできる。ハリーとの筆談が面倒な時は二枚貝のように日記を閉じ続け、物理的に文字の記入を阻止していた事もある。全力を込めてこじ開けようとする少年を、日記の中でせせら笑い打ち負かすのは実に楽しい暇潰しではあった。

 

 『ドラコ、開いたページに君の名前をフルネームで記入してくれ』

 

 「フルネーム、ですか」

 

 『先に忠告しておくが、僕の日記帳への記入には必ずその羽根ペンを使う事。他の筆記用具は絶対に使うなよ』

 

 「……、どうしてか聞いても?」

 

 真剣な顔付きで忠告しているこちらを見返して、ただならぬ圧力にドラコがごくりと唾を飲む。魔法界に存在する物は、一見ただの日記にしか見えなかったとしても危険物足り得ると、父親からの教育で知っているのかもしれない。

 

 『下手をすれば記入者が死ぬ羽目になる』

 

 事実を淡々と伝えた。ドラコの動きが完全に止まる。

 これは重要事項なので、気を遣って嘘を吐く事はできない。正しく怖がってもらう必要があった。

 

 『僕は君の死を望んでいない。だからこうして忠告している。君自身も自殺願望や希死念慮が無いのであれば、大人しく従う事だ』

 

 「は、はい」

 

 『じゃ、これがインクね。わざわざインク壺探すのも面倒だろ』

 

 記入の為のインクを左手の平から流水のように飛ばした。固まっているドラコの指先に収まる羽根ペンの先に辿り着くと収縮し、記入に必要な分のインクがたっぷりと染み込む。やっぱり地味に便利だな、この能力。

 

 『はい、署名』

 

 「……」

 

 すっかり言葉を失ったものの、ドラコは大人しく指示通りに動いた。彼がベッドの前で屈む。やや神経質そうに張り詰めた指先の筋肉が蠢き、無駄に貴族的なカリグラフィーで書き込まれていくアルファベット。

 

 "Draco Lucius Malfoy"

 

 「できました」

 

 『合格』

 

 書き終えたドラコは立ち上がり、不安そうにこちらへ首を向けた。

 

 「……あの、これで何がどうなるんですか」

 

 『まあ見てなよ』

 

 思い出すのは、『ルンペルシュティルツヒェン』。

 名前を知る事で、相手を魔法的にコントロールできるという信仰に基づいて作られた童話。

 今ドラコにしてもらった署名は、きちんと意味のある行いである。

 本名を分霊箱たる日記帳に書き込む。それは、記入者が持つ魔力の根源―――魂への回路を分霊箱と連結させるという事で。

 

 「あイテッ!?」

 

 ズビシ、とドラコの額へ向けて軽くデコピンを繰り出した。本来、特定の人間以外には接触できない筈のこちらの物理攻撃は、支障なくスリザリンの少年に命中した。ドラコが目を白黒させて額を押さえ、疑問符で満載の表情へと変わる。

 

 『このように、署名してもらった人間に直接触ることができるようになるんだな』

 

 「なん、え……?」

 

 『こうやって直接接触できた方がいざという時、君を危険から守れるかもしれないからね。今夜に限って、一時的に日記帳の所有者を君に変更する。名前を書き込んでもらった事によって、君の体内から魔力を少しずつ徴収できるようにもなったけど、ハリーを助ける為に必要な事だから許してくれるだろう?』

 

 「どど、どういう……」

 

 『要するに、僕がクィレルの所へ行くまでに、消費するであろう実体化の燃料を君に捧げてもらうって事。死んでしまう量は要求しないから構わないだろ?』

 

 「え、ええっと、ええと、まあ、はい?」

 

 完全な理解には至っていないが、結局頷くしか選択は無いと薄ら悟っているのだろう。ドラコは舌が縺れながらも了承の返事を寄越してきた。

 日記帳の仕組みとしては、文字を書き込まれている間だけ記入者の魔力を奪う。それ以外の時間は無力だ。

 例外はある。油断して日記に魅了され心を開き、自らの秘密を書き込むようになった者と、本名を記入した者。こういった人間からは、日記を開いていない時でも自動的に魔力を徴収する事が可能になる。

 しかしこの方法での魔力の徴収は、便利過ぎてうっかり魔力を奪い過ぎて、相手を衰弱死させる恐れがある。その為ハリーには、比較的安全な前者の方法で魔力を捧げてもらっていたのだ。

 今は緊急時。いちいち文字の書き込みで魔力を貰う時間は無い。ドラコには悪いが、少々危険なやり方で魔力をいただく事にする。

 本来なら本名を記入されたくらいでは、魅了もしていない人間の魔力を奪うなんて機能は存在しないのだが……『名前』に関する魔法的な情報を思い出した瞬間から、日記帳の機能を拡張させてみたのだ。機能拡張自体はレシフォールド襲撃時に一度成し遂げているので、同じ要領でやってみた。

 

 【進化の機能がまた活用されたんだね】

 

 ぽつり、と零された独り言。

 何の話かいまいち解らない。ポケットなモンスターの事か?

 今はタツベイがコモルーに進化したくらいだろうか?このまま色々機能拡張させていったら、ボーマンダまで最終進化したりするんだろうか。行くところまで行ったら、メガシンカとかもできたり?分霊箱の体って案外夢があるんだな。

 

 『じゃあ、これで全ての下準備は完了した。ドラコ、日記帳を持ってくれ。今からクィレルの待つ部屋に向かうぞ。おっと―――忘れるところだった。《システム・アペーリオ》』

 

 必要な道具は忘れずに持っていかねば。

 ハリーのトランクに向けて《開梱呪文》を唱えた。ガチャリと開くトランクの中。お世辞でも褒め難い乱雑な収納をされてしまっている品々の中から、お目当ての物だけを引っ掴む。それは、特殊な魔法道具であるが故にこの体でも触る事ができた代物だった。

 

 『「透明マント」君だ。丁重に扱ってあげるように』

 

 ドラコの頭上からバサリとそれを被せてやる。

 銀色に輝く布だ。するするとしていて、水を織物にしたかのような触り心地。ハリーがクリスマスに手に入れた魔法道具。身に纏っている間だけ透明になれる、名前通りの分かり易い装備品。

 ドラコは透明になっている自身の体を見て酷く興奮し出した。まあ、子供がこんな物目にしたら心が弾んでしまうのもしょうがない。

 でも自分のいた世界だとセキュリティや捜査技術が進化し過ぎて、透明になるだけじゃ完全犯罪は無理なんだよな……。人感センサーが一つあるだけで全部終わる。つくづく夢の無い世界だ。科学の発展には犠牲が付き物、か。この場合犠牲となるのは子供達の純粋無垢な夢や希望、である。

 

 「う、うわっ!これ、本物か!?透明マント―――見るだけで判る、安物とは全然違うヤツだ!何でハリーがこんな物!?」

 

 『クリスマスプレゼントで贈られてきたんだとさ。贈り主は不明だけどね』

 

 「これ、絶対高いヤツ―――本当に凄い。こんなのあったら、どこにだって入り込めてしまうぞ!」

 

 『はいはい静まりたまえよ。はしゃぐのは全部終わってからにしてくれ。二人分も目くらまし術で魔力使うの勿体無いから、君は今からそれを被って僕に同行しろ。それは生徒や教師の目だけでなく、君を「死」から守ってくれる命綱ともなるだろうからね』

 

 店で販売されているような量産品の透明マントとは違い、ハリーの透明マントは効果が永続し、呪文で暴かれる事もない。この地上で唯一無二の『秘宝』だった。童話では「死」から逃れ続ける手段として描かれ、まさに命綱と表現するに相応しい。

 そんな『秘宝』を目の当たりにしている、という貴重な体験を味わえているとは露知らず。ドラコは未だ興奮気味に鼻の穴を膨らまして、マントの中にこちらを誘ってくる。

 

 「リドルさん!リドルさんも入れば良い。最高だよ透明マント!」

 

 『は?嫌だよ。何が悲しくて、パーソナルスペースを犠牲にしてまで乳臭い子供と引っ付かなくちゃいけないんだ?よく考えてみなよ、マントのサイズ的に二人共被るには窮屈が過ぎるじゃないか。動きも制限されるし、メリットがほぼ存在しないだろうが』

 

 「えっ―――。いやでも、今さっき、目くらまし術使うの、魔力が勿体無いって……」

 

 『言ったけど?別に僕の分の目くらまし術なんか、君から魔力を貰えば問題無く補給できるだろ?あとは、君が透明マントで行動すれば充分節約になるさ』

 

 「え―――、えぇ…………」

 

 冷たく突き放されて、折角の子供らしい興奮がすっかり萎んでしまったドラコは、何とも言えぬ表情ですっかり肩を落としている。どよんとした効果音が聞こえてくるようだ。

 

 「頑張って一緒に入れば、わざわざ僕の魔力を取らなくて済むと思うんだけど……」

 

 『は?嫌だよ。マントは君一人で入るんだね』

 

 「えぇ…………」

 

 【……かつてここまで透明マントに興味を持たない人間がいただろうか】

 

 何故かドラコと一緒に友人が引いている。これだから魔法族は。

 自分がいた世界じゃ透明マントなんて、夢も希望も無いんだから仕方ないじゃないか。この世界の魔法族に、一度自分の世界の科学力を思い知らせてやりたくなってきた。

 

 「もしかしてリドルさんって……本当は優しくない?」

 

 抱いた疑惑を小声で呟かれた。

 今更過ぎる気付きに、思わず零れた笑み。それを隠すようにして背を向け階段の方に歩き出した。ズンズンと歩くこちらに、慌ててドラコが日記帳とマントを携えてやって来る。

 

 可哀想に。何も知らない死喰い人の息子。

 父親が所属していた組織のせいで、闇との関わりを完全に絶つ事が叶わぬ家系に生まれた子。

 父親と血の繋がりがあるというだけで、望んでいない軌条を歩かされる人生。

 本来なら、魔法生物に殺されかける事も、危険な運び手の役割を押し付けられる事も、闇の帝王の魂の欠片に魔力を献上する事も無かっただろうに。

 

 ……そして彼の父親は、殺人鬼が先導する悪行に従事していたくせに、息子からは絶対の信頼を向けられている。良好な家族関係を構築、維持する程の振る舞いを継続できているという事だ。

 例え父親が悪党であっても、必ずしも息子から嫌悪されている訳ではない……。

 その事実を改めて認識した途端、自然と拳を握り込んでいた。

 

 死喰い人がどんなご立派な信念を抱いていたとしても。

 彼らにとっての正当な言い分があったとしても。

 社会の秩序を崩壊させるような行いに手を染めた事実は、著しく倫理の欠けた凶行を働いた事実は覆らない。

 それなのに、一員である父親は平然と日常に戻り、家族の前で正しく『父親』の役割に殉じている。妻も息子もそれを疑う事なく身を委ねている。

 ……他人からの視点ではただの悪党にしか見えないのに、家族からの信頼を享受する『父親』。

 

 (本当は優しくない、か)

 

 他人の不幸は蜜の味。

 ドラコが運び手を引き受けた理由の根底に、ハリーの身を案ずる心と、命の恩人への恩返しを遂行せんとする使命感があるのだとしても。思考の奥底に渦巻いている、「どうして自分だけ」といった、どうしようもない理不尽や抗えぬ恐怖に対して抱く絶望は隠し切れていない。

 あの子供の顔を眺める事で、抱えている絶望を娯楽として愉しませてもらった。

 

 そうだ。「どうして自分だけ」、という嘆きは、お前だけが持っているものじゃない。

 あの子供自身に、何の恨みも憎しみもありはしないけれど。

 父親がヴォルデモートの忠臣だったという事実は、決してこちらと無関係とは言えないだろう。その身に流れる血脈は、潔白を宣言できるものではない。

 少年に恨みは無い。憎しみは無い。けれどたった一つ、彼に対して鬱積しているものが確かに有った。

 

 ああ、本当に可哀想な子供。斜め後ろを付いてくる透明人間を横目で見やる。

 署名され、魔力の回路が繋がった事による恩恵で、例え透明になっていても其処に存在する魂は丸見えだ。魂の深奥にてこびり付いている、絶える事なき絶望の渦動が視界を埋め尽くす。

 自分より下の人間を見て安心する事。この行為で得られる優越感こそ、クィレルの元へ向かう確かな原動力となる。前を向き直して静かにほくそ笑んだ。

 

 全く、感謝してほしいものだ。

 運び手の役割を与えるだけなら、呪文で無理やり少年を操れば簡単な話だった。素直に誘拐の件を打ち明けて説得を試み、同意を得ようとする時間を省略できた筈だった。

 呪文を使う為の魔力が勿体無くても、機能拡張により、操って本名を書かせるだけで魔力を奪える。今回は、魔力を節約する必要も理由も一切無かったのである。

 それなのに、自分は少年を呪文で操る、という非情で卑劣な選択はしなかった。そんな真似をしたら、死喰い人のリーダーと同類になってしまう。

 

 だからこそ。

 

 

 

 

 ―――僕は優しいとも。

 少なくとも、お前の父親が忠誠を捧げていたご主人様よりはね。

 

 

 

 




「操る魔法を破られたり、耐性を獲得された場合のリスクが無視できない」、というのを自分の身で見事に証明していたので、強制はやめて本人の同意を得ようとしました。優しいね

どんなに遅くなっても夏が終わるまでには
『賢者の石』編を完結させるので
あともう少しだけお付き合いください。
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