転生したら分霊箱だった件   作:@ゆずぽん@

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やっぱり長いので分割します
前後編合わせて1話分のつもりです


Page 42 「Road to the Lord(前編)」

 ―――起きろ、ハリー・ポッター。

 

 誰かが自分を呼んでいる。半分痺れた頭では何も反応できなかった。

 自分は、硬い床の上らしき場所で横たわっているらしい。頬の表面を占領する冷たさが身に染みる。

 全身がとても重くて怠い。料理の手伝い、草むしり、掃除、その他あれこれ。散々こき使われてくたくたになっていたダーズリー家での日々が、瞼のすぐ裏に浮かび上がってくるようだ。彼らは、幼い子供にとっては決して楽ではない毎日の労働を強いて尚、ハリーに休養という名の情けをかけてくれる寛容さは持ち合わせていなかった。

 

 懐かしい。あの日々がちょっとだけ愛おしい。

 嘘だ。帰りたくはない。けれど今自分が放り込まれている状況は、ダーズリー家の地獄すら恋しく感じるほど、異様で、冷酷で、容赦のないものだった。

 起きろと鋭く命令されたところで、従順に従えるほど体に力が漲らない。頭が重い。疲労が神経の末端までこびりついている。眠気も居座っている。だからまだ、もう少しこの冷たさに身を預けていたい。心地良くはないけれど、起き上がるよりマシだった。

 

 ―――君の大事な友がどうなってもいいと言うのなら、微睡みに甘んじるがいいさ。

 

 次の声は突き放すような苛立ちが滲み出していた。加えて、軽蔑と失望が皮膚の上に降り注ぎ突き刺さる。

 唐突な悪意の襲撃にハリーの全身はびくりと痙攣した。肋骨の中で暴れる心臓の音がうるさい。耳鳴りを誘発するようだ。しかしそれでもぴったりとくっついた瞼が動かない。何も目にする事ができない暗闇に取り残されたようで、一際鼓動の間隔が速まった。意識があるのに体が全く動かないというのは、誰であれ原始的な恐怖を呼び起こす。

 

 ―――目を覚ます気になったか?

 

 バクバクと耳元で止まない鼓動を上書きするかのように響く声。

 一体何者なんだろう。自分に、何をさせたいのだろう。

 

 ―――最早名前は無く、名乗る事もできない『残響』だ。君が仔細を知る必要は無い。

 

 名前が無い。そんなのはおかしいじゃないか。そんな人間がいる筈がない。

 相変わらず冷たく突き放してくる口調の声に、思わずハリーは反論をぶつけた。

 

 ―――そうだとも。だから存在してないも同義なんだ。『残響』と呼ぶに相応しい残り滓、それが君に語りかけているだけだ。

 

 残り滓?どういう事だろう。

 もしも本当にそんな存在なら、一体自分に何をさせたいの?

 

 ―――起きろ。起きて立ち向かえ。『死を越え損ねた愚者』へ。

 

 もっと分かり易く言ってほしい。一体誰に立ち向かえって言うのだろう。立ち向かわなければいけない相手……果たして、自分にいただろうか。

 そもそも、『残響』だなんてふざけた自称だ。偉そうに命令してくるのなら、最低限の礼儀は示すべきだと思う。もっとちゃんとした渾名を名乗ってくれても良いじゃないか。

 体が動かないままでも、ハリーは毅然と意識の中だけで言い返してやった。相手の事情はよく知らないが、人として最低限の礼儀……名乗りくらいしっかりと行ってもらわなければ納得できない。

 不満でいっぱいの脳内を読み取ったのか、声は酷く簡潔に自らの名を低く告げた。

 

 ―――何者かだって?『君が滅ぼす者』。ただそれだけの存在さ。

 

 え、とハリーが正体を尋ね返そうとした時。声は質問を許さないとでも言わんばかりに、それさえも遮って自分の望みを押し付けるように捲し立てた。

 

 ―――さあ起きろ、『予言の子』。かつて、伝説の中にてマーリンが予言したように。『予言の子』たるモードレッドが、王であるアーサーを相打ちの末滅ぼしたように。『帝王』へ通ずる『道』に足を踏み入れろ。

 

 『予言の子』。その単語にどくりとハリーの心臓が跳ねる。

 伝承で語られるアーサー王は、ある日魔法使いマーリンによって『予言』を受け取った。「5月1日に生まれる子供が自分を滅ぼす」と。彼は破滅を避ける為その日に生まれた赤子を一箇所に集め、葬ろうとしたとされる。

 だがその中で奇跡的に生き残った一人の子供―――モードレッドが、やがて成長し『予言』通りにアーサーを討ち果たす事になった。

 『予言』はどうあっても覆す事は叶わない。その虚しい事実を後世の人間に言い伝えるかのような物語。

 この国では有名過ぎて、ハリーでさえも周知のお話である。何でもイギリス魔法界では、「魔法使いマーリンはスリザリン生であった」とも伝えられているらしい。あの蛙チョコレートにも彼のカードが存在するほどの有名人だ。

 

 ……イギリス魔法界では知らぬ者はいない、伝説の魔法使いマーリン。

 一説では不老不死とされる彼の行方だけは、未だ誰も知らないのだという。

 有名過ぎてマグルの子供すらその名を知っているというのに、行方だけは言い伝わっていない。

 封印されたとか、生き埋めになっているとか曖昧な末路がよく描かれているものの、はっきりとした『その後』は誰一人として知らない。謎に満ちたスリザリンの一員。

 もしこの現代に紛れて今も息をしているのだとしたら、一体何処の誰なのだろう。

 不思議と、ぼんやりとした疑問がハリーの脳内にひたひたと満ちていった。

 今、マーリンについて考えたところで、何の意味もないし時間の無駄だろうに。疑問が、止められない……。

 

 ―――起きろ。『予言』を果たせ。生き残った子供は、王を滅ぼす。マーリンは見事な『前例』を示してくれた。

 

 イギリスの伝説を語る誰かが、透明な誰かが横たわるハリーの両肩に手を置いた。粗暴を感じさせない、ふわりと添えるような手の動き。その後に、ハリーの耳元へ相手が顔を近付けてくる気配がした。

 

 ―――君は、ハリー・ポッターは―――そうして立ち向かっていく筈なんだろう?

 

 声にはどうしてか確信めいた強い響きが込められていた。ハリーならばそうするであろうという、未来を見通すかのような口振り。

 何を言っているのか咄嗟に反応できず、言葉の意味を咀嚼するのに時間を要した。まだ十一歳のハリーには、場に齎された発言を瞬時に理解する能力は、残念ながら備わってはいない。

 肩に置かれた手が風で吹き消されるように、そっと遠ざかっていく。このまま本当に消えられたら……と思った瞬間謎の焦燥感に突き動かされ、ハリーはがばりと身を起こそうとした。

 

 「ま……待って、君は誰っ―――!」

 

 だが、できなかった。阻むものがあった。

 ぎちり、と上体を起こそうとした自身から嫌な音が上がった。石床に付こうとした両手は動かない。立ち上がろうとした両脚は固まったまま。

 自由の利かない全身が理解できなくて、震える呼吸を繰り返す。恐る恐る自身を見下ろせば、両腕を背中に纏められる形で縛られていた。しっかりとした固い縄が、両脚にもきつく巻かれている。

 

 「ああ、起きてしまったかね、ポッター」

 

 ひっ、と言葉に詰まった。

 酷く愉快そうに降ってくる声に顔を上げれば、ハリーをこんな目に遭わせた張本人、クィリナス・クィレルが立っていた。にやにやと、トムよりも意地の悪そうな笑顔を浮かべてこちらを見下ろしている。

 本当に、質の悪いの男だ。トムも大概性格が悪いけれど、こんな風に他人を縛って転がして、にやにやと観察したりはしない。

 彼は自分を害しない者には寛容……というより無関心で、わざわざ魔法を使って甚振ろうとする趣味は無い。もしかしたら根底にはそういった嗜好を秘めているのかもしれないが、それを表に晒すメリットが皆無である事を理解している。彼がハリーの前でそんな姿を見せる事はほぼあり得ないだろう。

 ハリーとて、ダーズリー家を一度思い切り魔法で脅かしてやりたいという暗い気持ちを抱いているので、彼が加虐嗜好を隠していたとしても責める権利は無いのだが。

 

 「クィレル……先生」

 

 震える声で名を呼べば、男はますます気味の悪い笑みを深めた。一体何がそんなに面白いのだろうと言ってやりたかったが、誘拐犯を刺激するのは賢い選択ではない。ハリーは一先ず押し黙るしかなかった。

 ……早々に失態を犯してしまった。気絶している間に貰った助言は、「目を覚ましても気絶したフリをしていろ」というものだった。しかしどうだ、謎の声に気を取られて勢い良く飛び起きようとしたせいで、台無しだ。クィレルに覚醒の瞬間を目撃されてしまった。

 けれど、あの声に文句は言えない。あの声がなければ、ハリーはこんこんと眠り続けていただけだろう。抵抗する為に必要な行程は、まず意識を取り戻す事。意識なくして反撃など絶対に不可能なのだ。覚醒を促してくれた声には感謝こそすれ、恨んではいけない。

 

 「どうも、失神呪文の効き目が薄いな。先程も眠らせたばかりだというのに」

 

 クィレルは自身の握る杖を少しだけ不審そうな目付きで眺めた。言葉から推測するに、やはり本来ならあの声無しでハリーが目を覚ますのはかなり困難だったのだろう。少なくともクィレルにとって、ハリーの覚醒は想定外の出来事のようだ。ありがとう謎の声。

 

 「まあ、その状態では意識があろうがなかろうが同じ事だがね」

 

 拘束された身体をじとりとした流し目で見られた後、分かり易く馬鹿にされた。ダドリーから散々似たような態度を取られて培われた反抗心が本能レベルで顔を出し、すかさずクィレルをぎろりと睨み付ける。

 

 「……こんな事をしてまで……トムに何をする気ですか」

 

 「おお、怖い怖い。だが、哀れにも捕らわれた幼獣に睨まれたところで何も感じないよ。餌としては優秀だが、君の魔法の腕はお世辞にも卓越したものではないからね」

 

 「答えてください!!」

 

 「黙れ」

 

 クィレルが冷酷に杖を振るった。バシュン、という衝撃音と共にハリーの目の前の石床が土煙を上げた。ほんのりと火薬に近い香りが漂う。

 呪文が着弾した石床は軽く抉れている。軽く、と言っても対象は石なのだ。人間の皮膚よりも硬い物質、それが軽くでも抉られる威力。もしハリー目掛け本気で当てられていたら……寒気が背筋を走り抜けて閉口するしかなかった。

 

 「この場の主導権は全て私にある。君の役割はただ床に転がっているだけで良いのだ。余計な事はしなくて結構」

 

 「……あなたの狙いは……トムが全部崩します……」

 

 「何も分かっていないようだな、ポッター。教師として悲しいよ。物分かりの悪い生徒につける薬はあったかな?」

 

 クィレルは余裕げな笑みでちっちっちと指を振った。自分の目的が達成されると信じて疑わない表情だ。計画に一切の綻びは有り得ないと断じている人間にしかできない顔。

 

 「もう一度言うぞ。君はただ今のように無様に転がっていろ。今宵、あの者は正しくご主人様の物となるのだ。君の元より解放され、ご主人様一人だけの物として、他の者には決して手にできぬ栄誉と、素晴らしくも新たな道を同時に賜るのだ」

 

 「そんな事、トムは望んでない!」

 

 「あの者の意志は最早関係無いのだよ!ご主人様の言葉が全てだ。そんなに不服ならば、彼が此処へ辿り着いた時君にも見せてやろう。自ら君を放棄し、粛々とご主人様に隷従する彼の姿を」

 

 「有り得ない……トムは誰かに従う事をとても拒絶してる。例え僕が人質に取られていても、絶対他の人に屈しない筈なんだ」

 

 「随分と見くびられたものだね。一年生とはいえ、魔法使いであるならば想像ができないのか?我々には、人間を操る術など幾らでもある」

 

 その言葉に一瞬頭が真っ白になった。

 そうだ。マグルとしての生活が長かったから意識していなかったものの、魔法族は他人を操る能力―――呪文を、薬を生み出している。

 魔法薬の教科書をだらだらと流し読みしている最中、『惚れ薬』という物の記述を目にした記憶は新しい。そして、トムからも『許されざる呪文』の中にある、《服従の呪文》という恐ろしい知識を与えられた事もある。二つとも人間の精神を、行動を、第三者が操る為に使用するものだ。

 

 「でも、お前達なんかに従うもんか!トムは強いんだ……!そんなもの、きっと打ち破ってみせる!」

 

 「きっと?おやおや……どうやら本人から聞いていないようだな、ポッター。彼はとっくの昔に、私の前でその姿を見せてくれたとも」

 

 「えっ」

 

 とっくの昔に、その姿を見せた?

 つまり、彼は一度クィレルに操られかけた。そんな絶望を、確かに打ち破ったという事だろうか?それならば、一見すると儚いハリーの願望も現実のものであるという事。だというのにどうして、クィレルは満足気に微笑んでいるのだ。

 

 「『耐性』だ。あの者に限った話ではない……。他にも例があってね。《服従の呪文》は、時として対象に『耐性』を獲得させてしまう場合がある。彼は何度呪文を受けようが、決して私に従いはしなかった……」

 

 「……そうだ!お前達の命令になんか従うもんか、諦めろ!」

 

 「だが」

 

 空気が変わった。

 ここぞとばかりに勢いづくハリーを嗜めるように。教師が聞き分けの悪い生徒を諭すように。クィレルは低い声で、静かに否定の言葉を述べる。

 

 「ご主人様は素晴らしかった。その可能性さえも見越して、既に新しい力を自らの手で編み出していらっしゃった。……対象の体内に術者の魔力を注ぎ込む、それだけで『耐性』を持つ者すらあの方の傀儡に成り果てるのだ」

 

 「そ、んな」

 

 「君が驚くのも無理はない。何せこの業はご主人様が初めて編み出したもの。他の魔法使いには知る由もない事だ。皆、人を操る術など《服従の呪文》か《錯乱呪文》によるケースしか知らぬだろう」

 

 ハリーは目を見開いてかたかたと震えるしかなかった。

 何故なら、クィレルが語った今の情報を、気絶している間に訪れた不思議な屋敷の中で聞いたからだ。屋敷の中で出会った謎の少年が、これ幸いとハリーに頼んできた内容と合致する。

 あの少年は言っていた。魔力注入による支配術の解除方法を調べてほしい、と。

 「相手の肉体に直接術者の魔力を注いで、相手の全てを支配するんだ。これが非常に厄介で、抵抗する術がまるでない。意志が強かろうが全力で殴られようが、被害者の自我は戻らないんだ」―――彼の説明を思い返す。

 あれが真実であるなら。あの言い方を考えるなら。恐らくトムでさえ……抗う術はないのではないだろうか……?

 

 「な……んで、お前が、それを。いやっ、トムも勉強を教えてくれる時、言ってた。『魔法は万能じゃない』。弱点があるに決まって―――」

 

 「はぁ―――どうして子供という奴は無駄な希望に縋りたくなるのだろうね。ご主人様が、『耐性』を持つ者すら操る為にわざわざ創造された魔法なのだぞ?一般的な魔法にありがちな弱点などないわ、間抜けめ」

 

 喚こうとするハリーに鋭い眼光が向けられる。肝がぞっと冷えてお腹を掻き毟りたい衝動が沸く。しかし相変わらず固い縄は自分を解放してくれそうにない。

 それでもハリーはクィレルから目を逸らさず、聞こえてくる言葉一つ一つを鮮明に記憶しようと注力した。

 屋敷の少年が頼んできた支配術の解除方法。その情報をひと欠片でもクィレルがうっかり漏らしてくれれば、彼と再会した時への手土産になるし、トムを助ける手段になり得るかもしれない。

 今のところ弱点などないと自慢げに宣言しているが、あの態度はブラフで、本当はやっぱり何かしらの弱点がある可能性は拭えない。簡単に諦めては駄目だ。

 

 「まあ安心したまえ。ご主人様も操られるだけのお人形はお望みではない。あの者にも、ある程度の自我を保証なさるそうだよ。光栄な処遇だ。彼は単なる『奴隷』ではなく、大事な『所有物』として重用し続けるおつもりのようだからね」

 

 「だっ、大事なら―――トムに酷い事はしないで」

 

 喘ぐようにしてハリーは言った。少しでも縄が緩まないかと藻掻く事をやめなかった体は悲鳴を上げ、不足した酸素を補えと肺が膨張と収縮を繰り返している。

 

 「トムは、お前のせいで散々苦しんできたんだ―――。ずっと眠ってて、やっと起きても痛くて辛そうでっ。前までは絶対に見せなかったのに……ふとした瞬間、どこか悲しそうな顔をするようになった……!これ以上、苦しめるな……!」

 

 急いで言い切って、けほけほと咳き込んだ。全く動けないのに抵抗したせいで酸素が足りていない。おまけに攫われてからそれなりの時間が経っているせいで、軽い脱水症状を引き起こしている。喉の奥を襲う乾燥が咳を促す。

 

 彼が内側に秘める苦痛を思うと胸が張り裂けそうになる。

 どれほど辛いだろう。訳も解らず殺人鬼の欠片になってしまい、元に戻る事もできずに生きていかなければいけないという状況は。

 おまけに殺人鬼本人から執拗に狙われて、それでも自由に逃げ回る事のできない日記帳の体に閉じ込められているというのは、他人には想像もつかない精神的負荷が生じているに違いない。

 長い眠りから目を覚ました後。彼が時折、誰にも見られていないと思って無防備に見せる横顔には、いつも仄暗い感情が滲んでいた。ハリーは気付かれぬよう彼の様子をなんとか盗み見していたから知っている。

 異常に勘の鋭い彼だが、昏睡を経てからは病み上がり故なのか、ハリーの盗み見に気付く頻度はかなり減ってしまっていた。前までは何見てるんだこら、といった感じで軽く拳が飛んできていたが、最近はそんな姿を目にする機会はめっきりなくなっていた。

 絶対に、クィレル達のせいだ。こいつらが追い込むから、諦めてくれないから。彼の心労はいつまでも絶えない。

 

 クィレルはハリーの命令とも要請とも取れる言葉を聞いて、わざとらしく片眉を上げふんと鼻息を吐き捨てた。

 

 「おやおや……ポッター君はお優しいようで。流石『英雄』と持て囃されるだけはある。自分の置かれた立場を解っていながら、この状況で己より他人の心配か」

 

 「他人じゃなく、友達だ!」

 

 「ふむ……ご主人様の耳に入れるには、反吐が出そうな台詞だ。あの方を滅ぼしかけた小僧と、あの方の片割れが友達などと!こんなに滑稽な現実があろうか?ああいけない―――思わず笑ってしまう。君のせいだぞポッター、よくも私の醜態を引き出してくれたな?ははは!」

 

 「笑うな!」

 

 「はは、残念だが君の願いは聞き入れられないだろう。ご主人様は懲罰として、あの者を少々甚振るおつもりだ。まあ、所謂『調教』というヤツだよ。支配下に置いても自我を残す以上、躾は重要なのだと仰った。この件については諦めたまえ」

 

 「お前達が諦めろ!トムは渡さない……トムは僕の物だッ!!」

 

 ハリーは自分で叫んでおきながら、激しく動揺した。

 何だ、今のは。自分の意志じゃない。

 最後の言葉は、殆ど無意識だった。自然と口を突いて出てきた。ハリー自身の意志が宿っていた瞬間など、最初の諦めろという発言くらいだ。後半の言葉はまるで操られたかのように、どろりと臓腑の奥から零れ出てきた。

 何を言っているんだろう。彼を『所有物』のように扱う言葉を吐くなんて、最低な事なのに。これでは自分もクィレル達と同類だ。恥ずべき有様だ。

 クィレルも今の発言に違和感を抱いたのか、わざわざ大きく首を動かしてハリーの姿に視線を向けた。

 

 「……、ハッ。君はあの者の『価値』をまるで解ってない。君のような愚かな小僧の懐に収まり続けて良い代物ではないのだ。例え贄が君でなくとも、完全な実体を得たらご主人様が迎えに上がる手筈だった。今宵はその順序が逆になるだけだ」

 

 しばらくハリーを退屈そうに見下ろしてから、彼はいつの間にか緩んでいたネクタイを締め直しながら鼻で笑ってきた。

 

 「『価値』……?」

 

 「君とて、あれがただの日記帳ではない事くらい理解しているのだろう?返事が浮かび上がる日記帳、助言をくれる日記帳、ポケットに入れて持ち運べるお友達―――……本当にそれだけだと?」

 

 「…………トムは、」

 

 「ただ『そこにあるだけ』に留まらない。日記帳の姿を持ち、人の姿をも持つ。一部の例外を除き、あらゆる魔法も損傷も受け付けぬ不老不変の肉体。とはいえ変わらぬのは姿形だけ。与えられた『進化』の機能により、老いも朽ちもせず成長の恩恵を受け続ける。呪文も薬も用いず、篭絡した者を意のままに操る能力。他者の生命を奪い尽くした後は実体を手に入れ、生身の人間と変わらず魔法を行使できる存在……。これに何の『価値』も見出せぬと言うのなら、そいつはとんだ大馬鹿者だよ」

 

 「彼を、物みたいに言うな……!」

 

 「実際、物だよ。ご主人様の『所有物』だ。実を言うとあれほどの『価値』を孕んでいるのが羨ましいと思っていてな。私にもあのような物を私の手で作れたら……もっとできる事が、多くの選択肢があっただろう、と。ご主人様の物でなければ私が欲しかったところだ。あの方のような魔法を極めた者だからこそ、あのような物を設計し生み出すに至れたのだろうがね。恐らく他の魔法族には真似できまいよ」

 

 クィレルは語りの途中でどこか息を荒げて、恍惚とした表情を晒してハリーから視線を外し、どこを見ているのやら石壁しかない場所を見回している。妄想に耽るのに忙しく、自分の視界に何が映ろうとどうでもいいのだろう。

 

 これ以上彼らの好きにさせる訳にはいかない。クィレルの語る『価値』。それが、彼らが日記帳を狙う動機の一つであるならば、尚更あれを渡してはならない。

 一際不気味なのは、『価値』だけが日記帳を欲する動機ではない、というのが伝わってくる点だ。彼らは、日記帳を執拗に狙う「別の動機」をまだ隠している。

 だからこそ―――万が一にも日記帳を奪われたら、絶対に碌な事にならないのは想像がつく。

 そんな結末を迎えたが最後、トムは間違いなく殺してももらえないだろう。『死』によって解放される事もなく、無理やり生かされ、望んでもいない役割を強いられ『所有物』のように扱われ続けるだけの、悲惨な『道』の先に放り込まれるだけだ。

 

 「トムは望んでない……そんな力も体も。最初から、そうなりたくてこの世界に生まれてきた訳じゃないのに……!」

 

 「一つ、教師として教えてやろう。人間とは往々にしてそういうものだ。誰しもに起こりうる事だ。そうなりたくて生まれてきた訳ではない、親に不満を持つ子供はしばしばそう口にする。確かに、勝手に生み出された側はそういった心境になるかもしれないな。―――だが『所有者(おや)』にとって、生み出した側にとってそんな訴えなぞ知った事ではないのだ。『所有物(こども)』が欲しい、ただそれだけの思考で生み出していくのだから」

 

 ハリーは獣のように低く唸りながら歯を食いしばる。 

 駄目だ。どうしたらいい。

 何を言っても、何を訴えても。まるで響かない、まるで届かない。

 無力だ。どうしようもない。『生き残った男の子』だなとと大層な呼び名を付けられたところで、所詮自分はちっぽけな『一年生』なのだ。どうあってもその事実は変えられない。

 

 「縄を解く呪文―――発音は《エマンシパレ》、だ」。ふと記憶が蘇る。

 屋敷の少年が教えてくれた、この場を切り抜ける唯一の方法。

 そうだ、まだ打つ手はある。縛られて杖を奪われていても、声さえ出せれば勝機は残っている。あとは、ハリーが隠している手札に気付かれなければきっと打開できる筈だ。

 

 「さあて、そろそろ君に構っている暇もない。私には探し物があるのだ。とぉっても大事な探し物がね。大人しく待っておれ。この中々面白い鏡を調べなくてはならないからな」

 

 その時、初めてハリーはクィレルの後ろにある物に気付いた。彼への憤りで完全に意識外にあったが、見慣れた「みぞの鏡」が粛然と立っていた。

 人間の望みを映し出してくれる、素敵で恐ろしくもある魔性の鏡。

 夜な夜な鏡の前へと訪問していた時。その現場を発見したダンブルドアは、夜間に寮を抜け出していたハリーに罰則を与える事はなく、「鏡を別の場所へ移すから探してはいけない」、と優しく諭してくれた。別の場所とは、この部屋の事を指していたのだ。

 

 「保管されている筈の空間に石はなく、鏡だけ。これでは、この鏡は『賢者の石』を見つける鍵だと教えてくれているようなものだ。ダンブルドアなら、こういうものを考えつくだろうと思った……しかし、彼は今ロンドンだ……帰ってくる頃には、我々はとっくに遠くへ去っている……。無論、あの日記帳も連れてな……」

 

 打つ手がない。頼みの綱のダンブルドア校長は、現在ホグワーツにいないのだ。他の教師がハリーの誘拐に気が付いてくれれば。いや、そうはなっていないのだから、クィレルは誰にも邪魔される事なく此処に居座っている。

 よしんば誰かが気付いたとして、クィレルは迷いなくハリーを始末するだろう。トムが誘拐の件を他人に漏らしてもハリーを殺すとクィレルは断言したのだ。

 『賢者の石』さえ見つければ、ヴォルデモートは肉体を取り戻す。わざわざハリーを人質にしてトムを誘き出す役割に留まる必要は無い。肉体さえ手に入ればその瞬間ハリーの在命などどうでもよく、ひと思いに殺して自らの足でトムを捕獲しに向かうだろう。少しでも無関係な第三者が誘拐に気付いた気配があれば、彼らは人質交渉を放棄してハリーを殺してみせる筈だ。

 ハリーの『死』。それはトムが一番望んでいない結末。

 彼の望みを支える為には、殺されてやる訳にはいかない。どうか、トム以外が誘拐に気付きませんように……と祈るしかないのだ。誰にも助けを求められないというのは、とても歯痒くて辛い。

 

 「来ちゃ、ダメだ……トム……!」

 

 結局、悲痛な呟きを漏らすくらいしかハリーにできる事はない。今、屋敷の少年に教えてもらった呪文で拘束を解いたところで無駄だ。即座に発見され再び捕縛されるだけ。

 拘束を解くタイミングを見計らえ、と彼は助言してくれた。とはいえ、今のところはそのタイミングに恵まれそうにない。

 そもそも自由になったところで、この部屋の外の構造をまるで知らないのだ。どこへ逃げれば良いのか、どこが正解の通路なのか、部屋の外は未知の領域だ。スムーズな逃亡は叶わぬだろう。やはり、トムが部屋に到着するまで待つしかない、のか。

 

 「案ずる事はないぞポッター。ご主人様によると、彼は命令通り順調にこの部屋へ向かっているそうだ。今現在城の何処に居るのか、あの方には丸分かりなのだ。少しずつこちらへ近付いて来ていると仰っている。捕まえる手間が省けたのは君のお陰だよ、ありがとう」

 

 ハリーの呟きすら娯楽のように愉しむ笑い声が響いた。こんなにも嬉しくない「ありがとう」の言葉は他にない。ぎりぎりと奥歯を噛み締めるも、そんな表情はクィレルにとってご馳走でしかなかったようだ。彼はますます哄笑を続けた。

 

 「ああ、しかしそれでもあの者は油断ならない。此処まで辿り着けた暁には、余計な真似はさせぬよう君にも手伝ってもらわなければ。君の悲鳴が少しでも耳に入れば、彼は絶対に反抗の手を止めるしかないだろうからねぇ!」

 

 ゲラゲラと下卑た笑い声を上げながら、クィレルが鏡の枠をコツコツと叩いている。石を隠す仕掛けを解く作業に入ったようだ。

 一見すると無防備に見えなくもないが、鏡の前に立つクィレルと横たわるハリーの位置は遠くはない。それに、鏡に集中していてもクィレルの視界に自然とハリーが映ってしまう形である為、やはりここで縄を解く訳にはいかなかった。

 

 (……だい、じょうぶ。トムは……禁じられた森でも、そうだった。もう無理だ、って時にも絶望をひっくり返してくれた……!トムなら、何もできる事がないって状況になっても、もう一度……きっとなんとか……してくれる……)

 

 最早、全てをトムの行動に託すしかない。彼がこの部屋に到着した後、どんな行動を取るかで命運は決まるだろう。拘束を解くタイミング、それすらも彼の動きに合わせるよりほかはない。ハリーは祈るように目を瞑った。

 

 (ゴメン、トム。僕はいっつも……君に任せてばっかりだ……。君は絶対に気にしてないだろうけど……僕はずっと、悔しかったんだよ。僕自身は、何もしてない。僕が危ない時、僕の事は僕じゃなくて、君がいつもなんとかしてくれていた……。今回ばかりは、僕も自分で……自分を守りたいよ……)

 

 悔しくて惨めで潤みそうになる双眸をぐっと堪えながら、ハリーは自分に言い聞かせた。

 クィレルが語った内容の全てを、トムが望む事はない。

 もし望んでいれば、彼はハリーの手元に収まる事もなかったのだ。今日までハリーの手元にいてくれたのは、彼がヴォルデモートに与するつもりなど毛ほどもない、という証左である。

 ならば、ハリーとて彼の身柄をみすみす渡す訳にはいかない。彼が自分と共に在る選択をしてくれた現実を、裏切りたくはない。

 

 (こんなところで終われない。それに、あの屋敷での頼まれ事も残ってる。あの子とも、もう一回会わなきゃ。……やってみせる。絶対生き延びて……トムと一緒に、帰るんだ……)

 

 なるべくクィレルを刺激しないよう縮こまっている事。それしか選択肢はない。

 ハリーは己の無様な姿からなるべく目を逸らしていたいと、身を丸めて蹲った。

 

 クィレルの求める人物がこの部屋を訪れるまで、あと―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ん~……』

 

 背中に棘がやんわりと突き刺さるようなむず痒さを感じて、頸をさすりながら振り返った。

 

 『なんかムズムズするな。誰かに噂されているみたいだ』

 

 ドラコも同じように振り返りつつ尋ねてきた。

 

 「そういうの解るんですか?」

 

 『生身の人間よりも自分に向けられる感情に敏感みたいなんだよね、この体。少し不快にはなるけど、敵意や悪意はかなり強く感じられるから、不意打ち予防としては優秀な機能だよ』

 

 「……機能、か。リドルさんって、名前を書くまでは体に触れなかったし、本当に何者……」

 

 『おっと、それ以上はいけないねドラコ。僕が前に話した呪いの件、忘れてはいないだろう?』

 

 「わ、分かってます」

 

 リドルという名前や日記帳に関して調べようとすると、呪いが降り掛かる。かつての忠告を思い出したドラコはそれ以上の追求を中断した。素直な子供は嫌いじゃない。

 

 『よく解らない存在に不安を覚えるのは仕方ないけど、ゴーストだらけのホグワーツで過ごしてきた経験があるんだ。いい加減君も慣れただろう?』

 

 「まあ、本物のゴースト達に比べたら、やっぱり悪寒の感覚とか不気味さが違うし……あっでも、リドルさんだって結構不気味だったよ。中々のもので」

 

 『いや、自分の事を不気味とか言われても嬉しくないから』

 

 「そ、そりゃあそうだ。すみません」

 

 なんと失礼な子供だ。この場にいたのがヴォルデモート本人だったら、自分に向けられる恐怖すら心地良く感じていただろうが。

 

 『それと、変に敬語使わなくていいから。ファーストネームで呼んでくれても構わないよ。何ヶ月も前の話になるけど、ホグワーツで再会した時、ちゃんと自己紹介しただろ?』

 

 「あっ、そ、そうなのか。えっと、じゃあ、えっと、アイキューヨン?」

 

 『アホ、僕はトムだ。トム・リドル。しかもIQは400だぞ。名前を間違えるなんて失礼だな』

 

 地味に記憶力が良いのか、ドラコはあの時の自己紹介でこちらの放った、「IQ400」という発言を覚えていたらしい。でもそれ、名前じゃないから。

 

 「あっ、あああ、すっ、すまない。ぼっ僕とした事がなんて失態を、アトム」

 

 『誰がアトムだ。勝手に「ア」をくっつけないでくれ。僕は十万馬力じゃないぞ』

 

 「あぁっ、あっあっ、またやってしまった。そんなつもりじゃ、」

 

 『良いから、早く目的地まで行くぞ。手のかかる子だな』

 

 あわあわと戸惑うドラコを放って足を進める。

 今の呼び間違いは、本人だったら確実に磔の呪文の一つでも放っていただろうが、寛容な自分は咎めず流しておいてやる。やっぱり人間、心に余裕がなかったら、いくら実力や威厳を持っていたところでみっともないよね。ヴォルデモートは部下の些細な失態をつっつき過ぎなのだ。

 

 透明マントを被った子供と、目くらまし術で姿を隠した分霊箱は誰にも発見される事なく、順調に目的地まで近付けている。

 静まり返った廊下。ホグワーツの職員がハリーを捜索する動きは見られない。誘拐事件に気付いているのかすら怪しい。

 ダンブルドアは物語の通り、魔法省からの呼び出しに応じてロンドンへ発ったのだろうか。ハリーを放置しているかのように見えるこの残酷な現状も、あの老人の思惑通りなのだろうか?その可能性もあり得るのが彼の恐ろしいところだ。

 

 (まあ、それでも構わない)

 

 すり、と左の手の平を親指で撫でる。先程ドラコに署名させる際、インクを提供する為に開いた傷口は、とっくに塞がっていた。つるりと健康的に輝く皮膚の下を流れる物質。それについて考えると、蘇ってくる記憶がある。

 禁じられた森で、自分が意識を失う直前。ハリーにはある『頼み事』をしていた。目を覚ましてから判明したが、彼は頼みを忠実に果たしてくれていたのだ。

 

 【楽しみだね】

 

 遊園地で目当てのアトラクションを前にしたような、純粋で楽しげな声。

 

 【君が具体的に何を思ってあのような『頼み事』をしたのか……それがようやく明らかになる】

 

 閉心術のせいでこちらの狙いを完全には把握できていないからか、友人は随分と胸を高鳴らしているようだ。完全にとはいかずとも、恐らくはある程度の予想がついているのだろう。だから余計に楽しげな様子を隠そうともしていない。

 待ち侘びているのだ。ハリーへの『頼み事』がどんな結果を引き起こすのか、それを目撃できる瞬間を。

 

 (お前、本当に性格悪いね)

 

 【あんな『頼み事』をした張本人がそれを言うのかい?……それと、そろそろ「お前」だなんて味気ない呼び方はよしてくれよ。折角友人になったのだから、もっと良い呼び方はあるだろう?】

 

 こいつって本当に空気が読めない、或いは敢えて空気を無視する天才だと思う。

 人質まで取られて命令されているというのに、打開策の助言よりも友人関係の進行を優先できるのは一体どういう思考回路をしているのやら。何食べたらこんな珍妙な生き物が育つんだよ。どこかの動物園が引き取ってくれないかな。

 

 (そうは言っても「お前」以外何と呼べばいいんだ。「愚か者」か「嫌われ者」ぐらいしか候補がないぞ?)

 

 【もっと良い候補があるよ。……そうだね……これからは僕の事を「リドル」と。その方が分かり易いだろう?】

 

 (……何故、その呼び方なんだ?)

 

 【ファーストネームは君の方がよく呼ばれているじゃないか。攫われたあの子供もずっとそちらの名を呼んでいる。だったら、僕の方はラストネームで呼べば良い。今は君も僕も同じ名前であるのだから、こうすれば区別がつく筈だ】

 

 (……特に異論はないけど、お前はそれで良いのか)

 

 【終始「お前」と呼ばれるよりは全然良いね。という訳で、これからはなるべくそちらの呼び方で頼むよ】

 

 とんとん拍子に話を進められた。

 こいつの一番嫌いなマグルの家名である筈なのに、まさか自分からその呼び方を催促してくるとは想像もしていなかった。どういう心境の変化なのだろう。

 いや、面倒臭い。こいつの心境なんぞ考えるだけ時間の無駄だ。あんまり興味も沸かないし放っておこう。

 

 【……君のその、他人に必要以上の関心を向けないところ。変に詮索を試みる人間よりよほど好ましいし、ある意味では美点と言えるかもね】

 

 (賛辞くれるくらいだったら、グリンゴッツの金庫の鍵を寄越してくれない?)

 

 【だから無理だって。そもそも僕はあの銀行に自分の金庫を持っていない。いい加減諦めてくれないか】

 

 (これだから孤児は駄目なんだよなぁ。財産が無いから搾り取る事もできない)

 

 【まず友人から搾取しようとしないでほしい。衣食住が揃っていなくても生きられる君には必要無いと思うけど】

 

 (僕はちゃんと未来を見据えて行動したい訳。無くては困るがあったら困らない、それがお金というものだよ)

 

 【しっかりしているようで単に欲深いだけに見えるのは気のせいかな】

 

 (知らないのか?欲深いのが人間という生き物の生態だぞ。ここ試験に出るから気を付けろよ)

 

 【そんな試験は受けたくないなぁ】

 

 下らない会話を続けながら歩いていると、目的地の入口まで辿り着いた。

 ハリーの入学時、ダンブルドアによって立ち入りを禁じられていた四階の廊下、その突き当たり。『賢者の石』の元へ向かう為の最初の部屋、その扉の手前。

 クィレルが先に入った筈だが、律儀にも鍵は掛けられたままだった。開けた後わざわざ閉め直したのだろうか。まあ、そうしておかないと誰かが侵入したというのがバレバレだから、当たり前か。

 

 「開かないな……鍵が掛かってる」

 

 『開くよ。―――《アロホモラ》』

 

 鍵を杖で叩きながら開錠呪文を唱える。カチリという音の後、扉は従順に開いた。ドラコは今の手付きが熟練者のものだと気付いたのか、静かに感心していた。

 

 「見事な錠前破りだ」

 

 『人の事空き巣みたいに言わないでくれ。こんな単純な鍵なら簡単さ。中には、これでも開かないように細工されてる扉もあるが』

 

 ヴォルデモートレベルの魔法使いなら、こんな開錠呪文でも歯が立たないような仕掛けを容易く作り上げてみせるだろう。《アロホモラ》とて万能ではない。過信は禁物だ。

 

 「魔法って本当に色んな事ができるよな。君の実力なら、いつかグリンゴッツに忍び込んでみるのも有りじゃ?」

 

 『アホくさ。あの警備網を潜り抜けるより、その辺ほっつき歩いてる魔法使いの持ち物分捕る方が、よっぽど楽だと思うけどね』

 

 そういえば、あの銀行にはあらゆる魔法も呪文も洗い流す『盗人落としの滝』という流水があるが、あれが分霊箱にぶっかけられるとどうなるのだろう。一応、分霊箱も魔法によって作成された物であるし、何かしらの影響を受ける……のだろうか。

 しかしグリンゴッツか。マルフォイ家ぐらいになれば膨大な財産を預けていてもおかしくはない。ハリーの元へ旅立つ前に、ルシウスを脅して少しくらい金をいただいておけば良かった。分霊の体でどうやって受け取る気だったんだよ、という突っ込みはなしだ。

 

 『マルフォイ家の金庫はさぞかしパンパンに膨らんでるんじゃないのか?ねえ、御曹司君』

 

 「まあ、そうとも言えるような言えないような。え、いや、何。あの……ちょっと。そんな……獲物見つけたような目で見ないでくれ、ドリル」

 

 『君、一回髪の毛残さず引き千切ってやろうか。リドルだって言ってるだろ。何で僕の名前だけ急に間違え出すんだ。もしかしてわざと?ふん、だとしたら良い度胸してるじゃないか』

 

 「とんでもない、とんでもないです、とんでもないです!」

 

 【君……今夜くらい、弱い者虐めはよしておきなよ】

 

 (ふん、こんな子供、虐めたって1クヌートの得にもならんさ)

 

 ハリーの救出に行くという、突発的に発生した仕事による緊張のせいで言い間違いを犯しているのだろうが……。リドルがドリルって、ただの並び替え(アナグラム)じゃないか。誰が切削工具だ。どういう間違え方してるんだよ本当に。

 ……ん?前にも同じような間違え方をしていた誰かがいたような……。はて、いつの事だったか……。この胸の引っかかりは何だろう。まあ、いいか。

 

 『さて、ようやく入口だ。ドラコ、準備は良いな?』

 

 「……、ああ。覚悟はできている」

 

 振り返って確認すると、言葉の通り覚悟の決まった『漢』の表情でドラコは立っていた。透明マントのせいで生首だけ浮いている絵面になってしまっているので、絶妙に迫力が欠けている。「ゆっくりしていけ」とか言い出しそうだな、こいつ。

 

 『入る前に一つ。ドラコ、今……僕の顔はどう見える?』

 

 「えっ?」

 

 唐突な意図の分からぬ質問を繰り出され、困惑しながらもドラコはこちらの表情をしげしげと観察し、真面目に感想を整理して報告してくれた。

 

 「どうって、その。……どことなく……楽しげな……雰囲気?」

 

 『おっといけない。ちゃんと「調整」、しておかないとね』

 

 両手で頬を軽く包んでから揉むように上下させる。その最中も眉の角度と眼の開き方、口角の微調整を行う。最後に、全身からどうしても薄ら漂ってしまう感情の気配を掌握し、変更しておいた。

 

 『手鏡とか持ってないから、自分の表情を客観的に確認できなくてさ、困ってたんだ。教えてくれてありがとう』

 

 「……今のは、どういう?」

 

 『最終調整だよ。人間、「リハーサルでできない事は本番でもできない」って言うだろ。「本番」に向けて、普段から意識して表情を調整しておく必要がある』

 

 「表情の、調整?……じゃあ、さっきの楽しそうな雰囲気は、」

 

 『ドラコ。今の僕の顔はどう見える?』

 

 目をしぱしぱと瞬かせながら質問を重ねようとするドラコの言葉を遮って、尋ねる。有無を言わさぬ圧力に呑まれたのか、僅かに全身を強張らせる彼は、気圧されたように刹那の沈黙を経てから答えた。

 

 「……。その……、酷く悲しそうな、顔に見える」

 

 『パーフェクトだ、行こう。クィリナス・クィレル―――もとい、ハリーが待つ場所へ』

 

 危ないところだった。調整を忘れたままでは支障が出る。

 長い間コツコツと積み重ね染み付かせておいた、本物と見紛うほどの『絶望感』や『悲壮感』でなければ、相手に違和感を与え早々に見抜かれてしまう。目的地へ辿り着くまでの道中でも、忘れずにこの感情を張り付かせておかないと。

 『嘘』を『真実』に。欺き、出し抜く為なら必須の行程。

 

 少しばかり怖気付いたように目を見開いたドラコに構わず、扉へ向き直る。

 無事に調整を終え、開いた扉の向こう側、部屋の中へ堂々と足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すがすがしい挨拶と、誰にでも分け隔てなく接する優しさ。

 べんきょうも試験も完璧にこなし、周囲からの信頼も厚い。

 てを差し伸べるその姿は、まるで絵に描いたような理想の優等生。

 うしろ暗い噂など一つもなく、誰もが彼の未来に期待を寄せる。

 その笑顔は、いつも他の生徒達の安寧を願っている。

 だれもが幸福に過ごせるような世界、

 よろこびに満ち溢れた世界こそが、彼の本懐。

 

 

 

 

 

 

 

 

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