転生したら分霊箱だった件   作:@ゆずぽん@

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まだ辛うじて平穏


Memory 3 「まだ何者でもなかった君達に告ぐ(中編)」

 「クソッ!どっかのモヤシのせいですっかり本題から逸れてしまったじゃないか!」

 

 罵倒と小競り合いの繰り返しの末、少女はようやく正気を取り戻して馬乗りになっていた少年の身体の上から退いて立ち上がった。そのままパタパタと黒板の前まで小走りで近寄っていく。

 リドルは静まった教室の床上で仰向けになっている少年に労いの意を込めて手を差し出した。

 

 「お疲れ様。……よく手を出さなかったね」

 

 「……女相手に本気で力を振り翳すように教えられた覚えはない」

 

 少年は思いの外素直に差し出されたその手を取りゆっくりと起き上がる。乱れた前髪を手櫛で戻し、夏用の白い制服に付着した埃を払い落としながら、ふんっと荒々しく鼻から息を吐いた。彼はかつて口酸っぱく教育された過去を思い返してその場で黙り込む。

 

 『いいか。この先何があっても女に向かって本気で力を振るうんじゃないぞ』

 

 『―――でも、もし相手が殺人鬼だったら?』

 

 『何故そこでそんな質問が浮かんでくるのか甚だ疑問だがまあいい。そうだな、そんな女以外は本気で相手取るんじゃないぞ』

 

 『解った。相手が殺人鬼だったら遠慮なくやって良いんだ』

 

 『お前が今解るべきなのはそっちじゃなくて女に対して加減をしろという話だが?』

 

 微妙にズレた返事のせいで軽い拳骨を食らう羽目になったあの日の記憶。生前の祖父から教えられたその教訓のお陰と言うべきか、これまで幾度となく少女と小規模な交戦を繰り広げてきたものの、いつだって彼女を本気で打ちのめした事は無かった。そしてまた彼女の方も、それを良い事に怪我をさせるレベルの力を振るってくる事は無かった。お互いの気が済んだ頃には勝敗などどうでも良くなって、いつの間にか戦闘は終了している事が非常に多かった。

 

 「……そう。君には良き教育者がいたんだね」

 

 ぼそりと呟かれたその一言は、何故か痛いぐらいの後悔の念が満ちていた。少年が不思議に思って言葉の主へ振り向くと、そこではリドルが誤魔化す様な笑みを浮かべていた。その笑みを見ているだけで、色んな感情の波が視覚化されてこちらに流れ込んでくる感じがする。少年と違って、かつての彼は加減も容赦も無く万人に力を振るった経験があるかのような……そんな後悔の記憶が、笑みの裏側に見えた気がしたのだ。

 

 (……ああ、またこれか)

 

 咄嗟に、それ以上の念を受け取るまいとして少年はなるべく自然な動作で顔を背ける。いつもこんな風にしているから、血の繋がった家族にさえ疎まれるというのに。やはり他人の様子を長い間眺めるのは控えなければいけない。

 

 (あの男は……最近なんだか読み取りにくくなったけど)

 

 脳裏に蘇るは思い出すのも腹立たしい男の姿。

 この頃一度だけ顔を合わせる機会があったが、その時の奴の表情はこれまでと違い詳細な感情を読み取れなかった。実はそっくりな影武者やドッペルゲンガーが代わりにやって来たのではないかと思える程、その表情には「無」が広がっているだけだった。

 奴は何かを企んでいる。それが善に属するものか悪に属するものかは興味など無い。だが、自分にとって何らかの害になるものであれば排除も検討しなければならなかった。これは単なる被害妄想でもなんでもない。何か企んでいるからこそ、大して情も持ち合わせていない癖に母と家族になったのだから。

 恐ろしい、と思った。こんな事、目の前の少女に限らず、どんなに親密な他人だろうが口が裂けても言えない。常識的に考えて、好意を持たない異性との間に子供を儲けようなどと望む筈がないだろう。それなのにあの男は自分を生み出す事に同意して、協力したのだ。……腹の底で一体何を考えているのか、小さい頃より常々恐ろしかった。

 幼い自分はあの男に憎悪を募らせる事によって、恐怖の感情に蓋をしたのだ。感情のコントロールが不慣れだったから、他の強い感情で上書きして自分を騙すしかなくて。そうする事以外、自分の心の平穏を護る方法を知らなかった。

 

 「なんだってうちの家族は面倒なんだか……」

 

 元から死んだ目で明後日の方向を眺めつつ少年は独り言を吐き出した。無言で思考を続けるよりも、定期的にこうして外界へ吐き出した方が心が安定する、という話を耳にしたので実行してみたが思ったよりも効果的だったようだ。ほんの少しだが解放感に身を包まれた気がする。小声だったので誰の耳にも届いていない筈だと思ったが、隣に立っていたリドルだけはピクリと眉を動かした、ように見えた。

 その時、少年とリドルの二人を放置して黒板に何やら文字を書き込み続けていた少女が振り返った。パンパンと二度手を叩いて着席を促してくる。

 

 「はいはい皆座って!本題が逸れていましたが、これより本格的に『オカルト部』の活動を始めます!全員着席!」

 

 「全員が集まるなり開口一番ゲームの話で本題を逸らし続けた張本人がどの口で言ってるんだ?」

 

 「だって『ダイファン』は今までにやってきたどのゲームよりも面白い神ゲーなんだもん。そりゃー本題から逸れてもしょうがないっしょ」

 

 「もう『ゲーム攻略部』に改名すれば?」

 

 「そんな事しようとしたら絶対先生に廃部まっしぐらコースを叩きつけられるっつーの!」

 

 とにかく座った座った、と身振りで命令されて二人は大人しく先程座っていた椅子に再び腰を預ける。少女は二人の着席を確認すると黒板に大きく書かれた文字をバン!と片手で叩いて彼らの視線を注目させた。黒板には赤色のチョークで『きさらぎ駅』という単語がでかでかと刻まれている。一人は興味深そうにそれを眺め、もう一人は死んだ魚の様な目でそれを眺めている。少女は満足げに一つ頷いて椅子にボスンと尻を乗せる。

 

 「諸君、よくぞ今宵の召集に応じてくれた」

 

 「清々しい青空が広がってるけど」

 

 「今日集まってもらったのは他でもない。かねてより計画を立てていた一大プロジェクトの第一歩を!遂に踏み出す時が来たのだ!」

 

 「父が危篤になる予定なんで帰って良い?」

 

 「さあ共に行かん!現世と冥府を繋ぎし黄泉の駅―――我々の求める神秘が其処にある!」

 

 「あ、父が死んだから帰る。お疲れ」

 

 「貴様ッ!息をする様に嘘を吐くんじゃあないッ!」

 

 どこぞの渋い声を持った司令みたいに机の上で指を組んでいた少女は、セミロングの黒髪を振り乱しながら立ち上がった。次にどこぞの逆転が得意な検事みたいにピンと張った人差し指を突き付けて怒声を張り上げる。少女の指し示した指の矛先には、教室のドアに手を掛ける寸前の少年が、怪訝そうな顔を隠しもせずに立っていた。無駄に整った顔立ちは、多少歪んでも尚低下する事のない魅力を秘めている。

 

 「私は知っているぞぉ!貴様の父親は今日も高級車を乗り回し、汗水垂らしながら営業で飛び回り、くっさいおっさんに媚を売り身銭を稼いでいるのを!」

 

 「研究職だって説明しなかったか?君の頭は鳥なのか?三歩どころか呼吸するだけで全てを忘却するんだな」

 

 「という後輩の罵倒に一切怯む事なく、今日も私は滞り無く会議を続けるのであった!」

 

 「滞ってんだよ。思い切り滞ってんだよ。主に君のせいで」

 

 「私の前でだけ口が悪くなる君は嫌いじゃないよ!」

 

 ふっ、っと腹立たしげな余裕ある笑顔を浮かべて、少女は両手を腰に当てて無い胸を反らす。見ているだけでなんとなく悲しくなる程の平地がそこに広がっていた。思春期男子にとっての理想郷、つまり丘なんてどこにも見当たらなかった。

 少女の言葉通りならば少年は下の立場である『後輩』にあたる筈だが、彼は微塵も敬意を表さずに大きな溜息を吐き出した。

 

 「用事があるので帰る」

 

 「ダメ」

 

 「父が心臓発作で……」

 

 「ちょっと聞きたいんだけど、君の父親が病気になるのは通算で何回目だっけ」

 

 「4771回だっけか」

 

 「語呂合わせしてんじゃねーよ!……えっ、あれっ、ホントにそうだったっけ?」

 

 「本当だよ。今日で記念すべき4771回。ちゃんとカウントしてるぞ」

 

 「なんも記念すべき事じゃねーわ。自分の家族の死を弄ぶな!……ホントにそこまで積み重なってたっけ?」

 

 少女が主題からどんどん話が逸れていくのも構わず、退室間際の少年から視線を外して別の人物に訊ねた。質問を飛ばされた先に座っていたリドルは、輝く黒髪の隙間から覗かせた瞳を少女に向けた。窓際に座る彼に降り注ぐ初夏特有の眩しい斜光が、その瞳に妖しげな赤みを与えている。

 

 「本当さ。凄い偶然だけど……嘘は言ってないよ。実は僕も数えてたんだ」

 

 ふわりと艶やかな笑みを湛えて紅い瞳の少年は少女を見据える。他の女子ならば大なり小なり赤面に追いやられてもおかしくない程の美麗な表情であったが、少女は彼の笑顔に興味無さげな様子で顔を逸らし、静かに一つ息を吐き出した。

 

 「ま、リドルが言うなら本当なんだろーけどさぁ」

 

 「それなりの時間を共にした後輩よりもぽっと出の留学生を信じる先輩。見損なったぞ」

 

 「お前は普段の言動を見直せ、なぁ?」

 

 いつもいつもきゃぴきゃぴうふふって胡散臭い愛想を振り撒いて女の子達を千切っては食べ千切っては食べしてる癖にこの二重人格陰キャめ……、と少女が聞き取りにくい小声を早口で捲し立てる。少年は耳聡いのか少し引いた様子で控え目に言葉の内容を否定しておく事にした。

 

 「千切っても食べてもないけど……」

 

 しかし少女にとってそれはどうでも良かった。何でも良いからただ生意気な後輩の悪口を好き勝手言い放つ事が出来ればそれだけで良いのである。

 

 「話を戻そう!とにかく座って。途中退室は認めません。お手洗いの場合は事前に申告後、四十秒以内に教室に戻ってくるように」

 

 「四十秒で物理的にお手洗いを済ませられるとでも?君はドーラか」

 

 「次口を挟んだ部員はコトリバコの刑です!良いから席に戻るように!」

 

 有無を言わさぬ迫力を解き放つ少女。少年は無理矢理帰る事も出来たであろうが、僅かに眉を顰めるだけに留めて大人しく椅子に腰掛ける事にした。このまま帰ったところで、屋内の広さと反比例して精神的に窮屈な家に辿り着くだけだったからだ。リドルは、少年が座ると同時にこそりと顔を近付けて疑問を口にした。

 

 「コトリバコというのはなんだい?」

 

 「あ?……確かやばい呪物か何かだった筈。置いておくだけでその家の女とかが苦しんで死ぬっていう……」

 

 少年は、大して好きでも無かった怪談話を散々に叩きこまされた記憶を呼び起こしながら簡潔に語る。あの時興奮気味に説明を続ける少女の不気味な笑顔を忘れ去る事は無いだろう。多分彼女はオカルトチックな話題にのめり込み過ぎて悪霊の一体や二体に取り憑かれていると思う。

 

 「成程……近くの人間を苦しめる呪いの箱。それってまるで―――」

 

 一人納得したように、誰にも聴かれる事なく呟かれた独り言。少年はほんの少しの間目の前で微かに揺れるリドルの黒髪を見つめ返しただけで、すぐに話を続ける少女の方へ向き直った。

 

 「えー、前々からお伝えしていた通り、今夏の調査対象はこいつ、『きさらぎ駅』に決定。各種メディアやネットで散々擦られ続けた幻の場所ですが、やはり『オカルト部』としてこいつに触れずに終わるのはどうかと思い、この際ガツンと調べちまおうという訳で」

 

 「前にちらりと聞いただけだから、僕としては凄く興味深いよ。概要の説明をお願い出来るかな?」

 

 「じゃ、新入部員のリドル君の為に古参の我々がこいつのあらましを語りたいと思います。はい、部員ナンバー2、事前の打ち合わせ通りに説明を!」

 

 「本気でやるのか……この茶番」

 

 説明役を振られた少年は絶望的な視線で二人を流し見したものの、帰還という選択肢が潰れたせいか自身に与えられた役割を放棄するつもりはないらしい。面倒臭そうにゆっくりと微妙に時間を掛けて立ち上がり、教室中央にポツンと置かれた机上の真っ黒なノートを開いて手に取った。中にびっしりと書き込まれている文字の密度に辟易としながらも、淡々と読み上げていく。

 

 「あー……。『きさらぎ駅』とは、都市伝説の一種であり、話の舞台となった場所を意味するものである。女性と思われるとある人物がその発祥で、彼女の体験談により人々に広く認知される事となった。その場所は謎の無人駅であり、異界に通じているとされ、女性は其処に迷い込んだ際の出来事を詳細に語った。それ以降も類似の体験談が相次ぎ絶える事は無く、奇妙で強い現実味を感じさせる彼らの話は根強い人気を獲得し、様々なメディアやフィクションに取り上げられる事も少なくない……っと」

 

 「はい、そのまま続きをお願いします」

 

 「こんな説明ぐらい自分でやれよ……創設者そっちだろ」

 

 「はい、そのまま続きをお願いします」

 

 「解った、解りましたよ」

 

 少年は説明役の交代を遠回しに訴えたが、壊れた機械の様に同じ言葉を繰り返すだけの少女に折れた。そのまま死んだ目で素直に続きを語り続ける。

 

 「一説ではこの謎の無人駅が通じている異界とはあの世、つまり死者が辿り着く場所であるとされている。駅のホームが冥界。線路が三途の川。電車が橋、若しくは渡し舟を表していると推測。電車に乗り続ける事で魂は完全に死後の世に旅立ってしまうのではと思われるが、この話の発祥となった女性は途中で降車している。降車後も彼女は現実とかけ離れた異界を彷徨う羽目になり、片足の老人や謎の男など人に近い存在との邂逅を果たしたりなど、奇怪な出来事を体験した。最終的に語りの途中で彼女は消息を絶ち、その後を知る者は誰も居ない筈―――だったのだが」

 

 「はい、最後までそのペースでどうぞ」

 

 「……、その後を知る者は誰も居ない筈だったのだが、彼女と思わしき人物が長い時を経てある言葉を残した。それは『七年経った今普通の世界に戻れた』という内容である。この言葉を残した彼女が本人で、真実であると仮定するならば。この駅から脱出出来た者は七年の時を経て帰ってくる事が可能なのではないか。若しくは彼女が彷徨っていた期間が七年だったというだけか、或いは『7』という数字に何か特別な意味が秘められているのか―――謎は尽きないが、この七年という月日の真相を解明する事が重要であると考えられるのである」

 

 そこで少年は言葉を止めて大きく息を吐いた。淡々と文字を読み上げる行為は地味に疲れるのである。あまり意識する者はいないだろうが、生物というのは声を発するだけでもエネルギーを消費している事実を忘れてはいけない。

 少女は最後まで見事に語ってくれた少年に対し仏像の顔を思わせる微笑みで拍手を送った。内心で他人と関わる事を億劫に思っている癖して、よく通る声ではきはきと喋れる彼には正直イラっとこない事もないが、この状況には満足出来る。

 

 「いやぁー良かったよ、実に良い良い。という訳でこれが大体のあらましだけど、リドルは理解出来た?」

 

 「―――そうだね。とても解り易い説明をどうもありがとう」

 

 少女が笑いながら横を見る。リドルは今の説明で完全に理解出来たような表情で、未だ死んだ目で突っ立っている少年を見つめていた。どことなく貪る様な―――そんな視線が、少年に注がれている。少女は一瞬不思議そうにその顔を眺めたが、すぐに興味は尽きて次の話を展開させる。

 

 「これは私の持論なんだけど―――やっぱりね、七年後に元の世界に戻れたっていう話さ。『7』という数字に何か意味があるんじゃないかなぁって思うんだ!仮によ?これが作り話だったとしても、どうして書き込んだ張本人は『七年』っていう月日を選んだんだろうって。別に『五年』とか『十年』でも良くない?何でわざわざ『七年』っていう微妙な数字にしたんだろうって思うんだよ」

 

 「いや、どう考えても作り話だろ……こんなの」

 

 「『オカルト部』の活動に於いて『作り話』という発言は禁句だとあれほど言っただろうが!素人は黙っとれ」

 

 「いや、今君も『作り話』って単語使ったばっかり」

 

 「シャラップ」

 

 理不尽だなぁ、いや、自分が生まれてきた時から世界はとっくに理不尽だったなぁと心中で呟くだけに留めて少年は引き下がった。何せ、頼んでもいないのに勝手に命を作られた挙句に『殺人を犯して生まれてきた』だなんて理不尽極まりない言葉を贈られた事もあったのだ。これが理不尽でなくて何なのだ。

 

 「……彼女は、いや、性別は不明だったね。その人は……今も無事に生きていると思うかい?」

 

 少年が勝手に脱力している横で、リドルは不意に問い掛けた。表情が絶妙に見えない角度で俯いておりどういう心情なのか窺い知れない。少女はへらりと笑って手を振って答える。

 

 「いやぁ、無い無い!これすっげー昔の話だから!駅から脱出したって話が事実だったとしても、寿命があるしとっくに亡くなっててもおかしくないと思うよ!残念だけどね」

 

 「そうか。……そんなに、昔の話だったのか」

 

 何故だか重たげに感じる呟きが一つ、リドルの色の薄い唇から紡がれた。上げられた顔からはやはり何を思案しているのか読み取りづらい。彼はこの空想の色が強い話を一度たりとも鼻で笑い飛ばす事などしなかった。まあ、もしも笑い飛ばす様な類の人間であれば端からこんなところに入部しようとは思わないだろう。肯定も否定もする事なく、リドルはただ奇妙な駅に纏わる物語に耳を傾けている。

 

 「生と死の境界であると推測される駅に七年間取り込まれていた人間の話―――とってもミステリアスで調査のしがいがあると思わない?」

 

 「いや、仮にそんなふざけた駅が実在するとしてもどうやって調査するんだ。話題の発端となった人間が何処に居るかも解らないのに」

 

 「まあ、時の流れは残酷だよなぁ。私達がもっと早く生まれてりゃあなんとか特定して直接話を聞きに行けたかも?」

 

 「タラレバの話は無意味だろ。この現代でどうやって調査するって言うんだ?」

 

 まさか言いだしっぺが考え無しじゃないだろうな、と少年の非難の意を込めた眼差しに焼かれても少女はどこ吹く風。ぴゅうぴゅうとわざとらしい下手な口笛を二度奏でた後、彼女はドムっと己の胸を叩いた。膨らみも弾力も何も無いそこからは硬質感のある乾いた音しか産声を上げない。

 

 「調査の方法が無い事も無いのです!この話では、女性は普通に電車を利用しているだけだったんだよ。それがある時、停車もせずずっと走り続けている状況に居合わせてしまうというところから話は始まる訳。その内電車は停まってくれたけど降りた先は不思議な場所で……という感じで続くんだけどね。つまり、この駅に近付く為には―――」

 

 「為には?」

 

 「私達も、普通に電車を利用するしかない!!」

 

 しゅぴーん、光り輝くエフェクトが見えなくもない迫力を携えて、少女は天に向かって腕を突き上げ人差し指を立てた。これが特撮アニメであったら間違いなく彼女の背後でド派手な爆発が起こっているだろう。少年はそんな様子をやはり死んだ目で眺めては感情も死んだ声で呟いた。

 

 「……うんまあ、馬鹿でも考え付く話だ」

 

 「要は彼女と同じ状況を作り出せば良いのだよ、諸君!我々も普通に電車へ乗り込み、待てど暮らせど停車しない場面に遭遇すればきっと、その異世界に辿り着く事が出来るって寸法よ!理論上はねッ!」

 

 「出来る訳ないだろ。普通に各駅に停車して終わりだよ、異世界なんか辿り着く訳ない。ザ・エンドってね」

 

 「黙れ小僧!お前にはすみを救えるか!?」

 

 「いや知らんけど」

 

 そもそもそんな方法で異世界に行けるなら世界中の鉄道利用者はとっくの昔から行方不明不可避である。そうはなっていないのだからつまりそういう事である。至極簡単に立ちはだかる事実が其処にあるだけである。

 異界駅は実在すると声を大にして一歩も引かぬ少女。実在してたら今頃人口が急減少して大問題になってるだろと真っ当な正論をぶつける少年。終着点の無い二人の会話を打ち切る者が一人、この場に居た。

 

 「―――やめた方が良い」

 

 静かで嫌に聞き取り易い声。二人は自然と言葉を発する事をやめて声の主が居る方へ振り向く。

 リドルだ。この場でただ一人、彼だけが声を荒げる事なく冷静に持論を展開させた。その両の瞳でちらちらと紅い光が蠢いている。

 

 「……昔、似た様な出来事があったのを知っている。君達が語っていたのと似た様な、不思議な空間。そこに迷い込んできた人間が、どうにか元居た場所に帰還出来たっていう話をね」

 

 少年はリドルの瞳の中を生き物の様に彷徨いている光を訝しげな表情で見つめている。少女はきょとんとリドルの様子を観察しているだけで、紅い光に気付いている素振りは無い。リドルは少年の方を一瞥して彼の胸中を満たし始めた懐疑に気付くと、すっと己の瞼を伏せて光を封じた。

 

 「助けも得られない場所で迷子が無事に帰れるなんて滅多にあるもんじゃない。君達は―――最悪の末路を辿っても後悔しないと言えるのかい?」

 

 ひやり。

 教室の空気が、間違いなく体感的に一度ぐらいは低下した気がする。別に不自然ではない。この国では、暑い季節に奇妙な話を語り合う事で納涼感を味わう文化が根付いている。この感覚も、きっとそういったものであろう。黙ってリドルの話を聞いていた少女はきょろりと室内を見渡して露出している己の肘を軽くさすった。

 

 「……君、なんか…………」

 

 少年は、思考を巡らせる脳味噌をどこか遠い場所に置き去りにしてきたかの様に……ここではない何処かを見通しているかの様な虚ろな瞳で、単純な疑問を口にした。

 

 「―――まるで、この話の舞台が()()()()()()()()()ような言い方するんだな」

 

 ズキン。

 瞬間、少年の額に巣食う裂傷に鋭い痛みが走った。自分の意思を無視して呻き声を上げようとする口元を咄嗟に片手で押さえ、少年は固く両眼を閉じて痛みに耐える。幸いにもそれは一瞬の出来事で、痛みは韋駄天の如き速さで何処かへ消え去って行ってしまった。だが去りゆく痛みと入れ替わりで閃光の様な映像が―――過去の記憶が映像となって己の脳裏で再生を開始している。

 

 

 

 

 『―――やあ、また会ったね』

 

 『この前はいつの間にか居なくなってしまったから、随分心配したよ』

 

 『自分の家が嫌いなのかい?じゃあ此処から帰らなくても良いじゃないか』

 

 『何処に行くんだ?もうお前に帰る必要なんて無いだろう』

 

 男だ。男が立っている。

 

 舞台は有害な排気ガスを思わせる鉛灰色の霧が絶えず蔓延する世界で、其処に存在する何もかもが空漠で曖昧で、伽藍堂だった。

 飾り気の無い、しかし決して見窄らしいとは言えぬ上品な真っ黒いローブを着ている男だけが、我が物顔で暮らしている空間だった。フードを深く被って顔が見えない筈のそいつが男だと思ったのは、発せられる声があまりにも冷たくて、低かったからだ。

 一瞬だけ揺らいだフードの隙間から見えた、鮮血の塊を眼球に吸収したかの様な、気味悪く真紅色に光る瞳。人間ならば有り得ない形をしている、縦に細長く裂けた瞳孔。それらが捕食態勢に入った肉食動物の象徴として、こちらの姿を硝子体にすっぽりと閉じ込めている。ほんの一瞬たりともその視線が逸れる事は無い。

 

 ―――これはいつの記憶だ?

 

 映像の中の自分は男と比較して酷くちっぽけに見えた。今よりも間違いなく一回りも二回りも縮んでいる。頼りない小さな体を必死に稼働させて、情けなさすら感じる足音を響かせ走っているが、その速度はお世辞にも速いとは言えない。その年齢の子供の平均としては遅い部類だった。あの頃、自分は運動が得意では無かった筈だ。

 息を切らして走るその背後を、余裕綽々と言いたげな様子で男が地面を滑る様に追随してくる。手足も動かす事なく移動を果たしている光景は、ホラー映画の中でしか見た事が無い悪霊の姿その物だった。

 一度だけ男が手を動かした。真っ直ぐに伸ばして、こちらの首根っこを掴まんと迫る。その手が項の皮膚に触れる直前、不意に自分の体は加速して数センチ程前方へ現在地がズレた。そのせいで男の手は空を切り、望んだ結果を得る事は無かった。

 加速した原因は、自分の右手首を掴んでいる誰かの手だった。誰かが突如として傍に現れて自分の手首を引っ張りながら、一緒に走っている。前のめりに躓きそうな体勢を強いられ、全力疾走を強いられて、頭の中は混沌と化して思考が纏まらなかった。

 せめて手を掴んできている犯人の正体を突き止めようとして、無理のある体勢から顔を上げた。周囲は相変わらず濃い霧に包まれていて、自分の二の腕の先すら満足に認識出来ぬ程であったが、犯人が同じタイミングでこちらを振り向いたお陰でその顔をなんとか視界に収められた。

 

 黒髪に、紅い瞳。

 まだ完全に裂けていない、人間味をいくらか残している瞳孔。

 左胸の部分に何かの紋章が刻まれた黒いローブを着ていて、裏地の生地とネクタイの色は緑。

 やたら横に狭い痩躯だが、活力に満ちた若々しい姿。

 

 ―――そうだ、確かにあの時、自分を引っ張ってくれた誰かが居た。

 

 そいつは―――

 

 

 

 

 『もう此処に来てはいけないよ』

 

 

 

 

 言いつけを破った子供を叱る様な言葉が、鼓膜を通り抜けて脳髄に突き刺さる。

 不快感は、無かった。

 

 手の中の物を放り投げる様にして、ぞんざいとも言える動作で更に前方へ投げ飛ばされた。体重の軽い方ではあったがかなり強い力を使われた事もあって、抵抗もしなかった自分の体は盛大に宙を舞う。慌てて全身に力を入れて予想出来る衝撃に備えると数秒の後、やはり予想通りの痛みが全身を襲ってごろごろと地面を転がった。世界が回る。ちらちらと青空らしいものが見える。

 ようやく動きの停止した視界に初めて飛び込んできたのは、赤色だった。寝転がったまま、無意識に開いた手の平に目を向ければべっとりと粘着質な赤い液体がこびり付いている。

 体中の色んなところが痛かった。そして、その原因はこの赤色だと思った。―――それは間違いだと疑う事もせず。

 緩慢な動きで上体だけ起こして地面に座り込んだ姿勢を取った瞬間、鈍痛で意識のはっきりしない脳を誰かの悲鳴が揺り起こした。振り向けば白い買い物袋を下げた中年女性がこちらを指差して、付近に居合わせた数人の一般人に何事かを喚いている。焦燥感に満ちた不快な声。いつの間にか体に悪そうな鬱陶しい霧はすっかり晴れていて、真昼と思われる明るい日差しに世界は支配されていた。

 

 『……………、あ』

 

 ふと、疲弊しきった身体の向きを変えて、人々とは逆の方を確認すると。

 赤黒いタイヤの跡が色濃くアスファルトの地面を落書きの様に汚していて、あちこちを走り回っていた。どんなに馬鹿でも理解出来る、血液を持つ生物を轢いた痕跡だ。―――この赤は、きっと自分の物かもしれないと、見当違いの感想を抱いた。

 赤黒い軌跡は最終的にこの道の壁へと続いており、軌跡の主はその巨体を崩壊した瓦礫の山に埋め込んでいる。その瓦礫の傍、同じく赤黒い色の染みを点々と作っている場所の真ん中に、意識を失い力の抜けた全身を横たえている誰かが、居た。

 

 それは、女の子だった。

 黒髪なのに、光の角度の影響で鮮やかな炎の色に見えた。

 髪だけでなく、服や肌などの体中にもその炎は蔓延っていた。付着した薄汚い土埃や砂塵を飲み込んで、てらてらと不気味な光沢を纏った炎の色が燃え盛っている。それらは本来、生命維持に欠かせない重要な物質。生物の体内で酸素や栄養を運搬する役割を持つ物であり、こんなにも大量に体外へ好き勝手に流出して良い物ではなかった。 

 

 【―――人殺し】

 

 その時、耳元で嗤い声がした。冷たい手を当てられた様な感触が、肩に広がる。

 ―――何かが、親しい友人の様な気軽さで自分の肩に手を掛けている。生物らしい体温なんてものは感じられない、気味の悪い感触。全身を悪寒が駆け巡り思わず震えてしまう。

 確かに何かが自分のすぐ傍に存在しているのに視界に入れる事すら恐ろしくて、たった数ミリ首を動かすだけの動作が出来ない。得体の知れない恐怖感が全身を雁字搦めに縛り付けて、目を見開いて小刻みに震えるというみっともない痴態を晒す事だけが、今の自分に出来た精一杯だった。

 

 【お前がやったんだ】

 

 お前がやった。嘲りを多分に含んだその声が、再び鼓膜を擽った。

 未だ薄らと漂う砂塵の中。こんな状況で何一つ面白い物など無いというのに、声は今現在が楽しくて愉しくて仕方が無いといった調子で、くすりくすりと控え目な声量で嗤っている。肩に置かれた手は離さないままに。

 

 【可哀想に。何の罪も無い子供が死にかけている】

 

 女の子の半開きになった唇から、とろりと一筋の赤が垂れてきた。その小さな身体から、刻々と命の残量が零れていく。取り返しがつかなくなる境界を越えるまで、そう時間は掛からないだろう。―――自分のせいで。

 

 【()()、あの時みたいにお前が殺すんだ、罪の無い子供を。―――自分だけ生き延びる為に。自分のところに来る筈だった『死』を押し付けて】

 

 ぱたり。

 液体が、額の上から落ちてきた。そのまま連続して二、三滴。頬を伝って顎まで到達すると、重力に従って地面に落下していく。もしかしたら雨が降ってきたのかもしれない、と思った。のろりと頭上を見上げてみたが、空は憎たらしいぐらいの快晴が広がっているだけ。雨雲なんて何処にも見当たらない。

 不思議に思って液体の発生源である額を触ってみた。温い。雨水ならばこんな感触は有り得ない。どんなに暑い季節の雨だって、温いと感じた事は今までに一度も無かった。これは、雨水なんかじゃない。

 額をまさぐった指を眼前に持って来れば、一目瞭然だった。指先は赤く染まっていた。地面に描かれている様な黒が混じった物ではない。まだ鮮度の落ちていない明るい赤。どうやら自分の額の一部は裂けていて、そこからこの新鮮な赤色は流れてきているようだった。痛い、とは感じない。裂け目自体はそこまで広いものではないらしい。

 

 【誰かを殺して生き長らえる気分はどう?】

 

 今度の声は、嗤っていなかった。楽しそうでもなかった。

 ただ、自分を断罪したがっている様な、冷え切った非難の意がこれでもかと込められていた。

 

 ―――だって、だって、しょうがない。

 誰だって、自分の命が一番可愛いに決まっている。

 

 【嘘吐きめ】

 

 途端に興味が失せたのか、声の主の気配が遠ざかった気がした。お気に入りの玩具が使い物にならなくなって放棄するかの様に、肩の冷たい手が離れていく。すぐさま恐怖を忘れて振り向いたが、もう自分の周囲の何処にもそいつは居なかった。

 

 『違うッ……!違うんだ!違う違う俺は何にも―――ッ、勝手に車が傾いて、本当なんだ!!俺は何も触ってなくて……!!』

 

 謎の声と入れ替わる様にして、今度は男が見苦しく騒いでいる声が響く。普通ならきっと喧しいだろうに、何だかその声を聞いているだけで暗い眠気が体の奥底から込み上げてきた。瞼が重い。

 

 『あ、あの子供……!あの子供の方に車がいきなり傾いたんだ!それなのに、ぶつかりそうなところで弾かれて!よくわかんねぇけどッ―――近くの女の子の方に弾かれてッ!俺は誓って何もやってねぇよッ!!』

 

 『すみませんすみません救急車!はい……男の子と女の子が事故、そう!交通事故に巻き込まれてるんです!早く、お願いします、早くッ!』

 

 『あぁぁぁ、あの女の子、さ、最近越してきた子でしょ?こんなのってあんまりよ、助けてあげて頂戴、どうか……』

 

 『動かさないで、多分内臓が傷付いてるッ!!男の子の方は軽傷、誰か道路から離してあげて、他の車が来る前に!』

 

 喧騒は時間と比例してどんどんと拡大していく。野次馬がちらほらと集結し始めた。それらを子守唄代わりに脳味噌は悠々たる微睡みの大海に溺れていく。ぼんやりと座り込んだまま重さを増す瞼と格闘していると、突然真上に抱き上げられた。正義感の強そうな二十代くらいの男性が、自分の顔を不安そうに覗き込んでいる。

 

 『おい大丈夫か君ッ!ここに居るのは危ないから離れるぞ。体、痛くないか?』

 

 二次災害を防ぐ為だろうか、男はこの場から自分を連れ去るつもりらしい。抵抗する意味も理由も無いので黙って身を委ねる事で肯定を示した。傷に障らないよう配慮しているのか、なるべく振動が起きない歩き方で事故現場から離れていった。

 

 『そう、そうよ、この子知ってるわ、お母さんが言ってたの、ボンベイ型なの!先に救急隊の人達に伝えておいた方が……』

 

 『おばさんありがとう!―――もしもしすみません、ええ、被害者の一人なんですが……はい……。そう、珍しい血液型で……。ですから輸血の準備を、…………えっ、難しい……?』

 

 女の子の周りに人が集まっている。あの惨状でもなんとか冷静さを保つ事が可能な数人が、応急救護にあたっていた。聞こえてくる会話の内容は、彼女が失った血液に関する話だった。

 

 『……え、えぇ……はい。そ、あ、そうですね、すぐに確認してみて……ありがとうございます、早い到着をお待ちしてます―――』

 

 物理的な距離が離れていって、話し声が聞き取り辛くなっていく。それでも彼らの唇の動きを読んでいると、「田舎だから」、「しょうがない」、「大きな病院なら可能性が」といった言葉が飛び交っているのが理解出来た。思い返してみれば、この村には小規模な医療施設ばかりで本格的な治療を望むならば遠出をする必要があった。あの少女を治療するのに、ここはあまりにも不適当であろう事は容易に推測出来る。

 

 『すみませんここに居る誰か!この子と同じボンベイ型の人は―――』

 

 眠かった。とにかく今すぐ眠りに就きたかった。

 それでも精神の裏側でもう一人の自分が藻掻いて、藻掻き尽くして、微睡みの水面からどうにか抜け出した。鉛の様に重たくなっていた唇をこじ開けて、自分を抱きかかえる男の耳元へ短い言葉を送り届ける。

 

 

 

 

 『ボクもあの子と同じ血を持ってる……

 

 

 

 

 

 「おぉーい、部員ナンバー2!急に黙り込んでどしたぁ~?」

 

 「ッ!」

 

 意識は、現実へ戻る。

 

 未だ押さえていたままだった口元の手をどけて顔を上げると、記憶の映像の中で赤に燃えていた女の子をそのまま縦に大きく伸ばした様な少女が、仁王立ちでこちらを見つめていた。西洋人の面影を残した青い瞳。今はもう、髪以外のどこも炎の色に染まってはいない。

 

 「い……いや、ちょっと、昔の、何か思い出せそうな―――」

 

 正直言って混乱していた。

 何を忘れて何を憶えているのか、その境界線が酷く曖昧で。

 混乱を引き起こした犯人である額の裂傷もそうだ。こいつは間違いなく最近刻まれたものであり、あんな昔に負った傷では無い……筈だ。自分は、全く同じ場所に同じ様な傷を負うなんてドジを踏んだというのだろうか?

 今も尚、消え去らんとする何かの思い出に向かって必死に手を伸ばす。何故こんなタイミングなのかとも思わなくないが、それでも正体不明の喪失感や好奇心といった物が複雑に混ざり合って、記憶を取り戻そうとする意志を留める選択肢は選べそうになかった。

 

 「―――……!」

 

 ―――そんな少年の横顔を無表情で監視していたリドルは唐突に、隠蔽した犯罪を暴かれる寸前の犯人みたいな狼狽した様子へと豹変した。少年と少女、二人の視界に入らぬようにと素早く背中側に回された彼の腕の先、人差し指と中指がくいっと何かを引き寄せる様に空を掻いた。数秒経って、ザカザカという乱暴な足音が接近してくる。

 そして。

 

 「おいコラァァァァッ!!サラフィナアアアアァァッ!!」

 

 「はわわーっ!?」

 

 教室のドアが勢い良く開かれ、大袈裟にその場から飛び跳ねて少女が奇声を一つ響かせた。思いも寄らないハプニングに、頑張って記憶を手繰り寄せていた少年の思考は呆気なく雲散霧消。声にならない声を漏らしながら突然の来訪者に視線が釘付けになる。

 ただ一人だけ、リドルは誰もが驚いてもおかしくないこの出来事に対し、特に大きな変化を見せなかった。むしろ二人とは真逆の反応、この状況を迎えて安堵している雰囲気すらあった。誰も彼の不自然な姿に気付く事は無い。

 

 「やっぱりここに居た、なァ!!おいぃ……!折角の部活動中に悪いがなぁ、お前に用件がある……」

 

 教室の入口に現れた人物。ふしゅう、と全身から湯気が立っている様に見えなくもない、威圧感と覇気をミックスして空気中に滲ませている筋肉質な男。彼はこの学校に勤めている、泣く子も黙り頭を垂れる現国教師であった。生徒の百人中百人が「いやお前実は体育教師だろ」と突っ込んだという逸話で有名だ。完全に担当教科を間違えている。

 

 「は、はぃぃぃ……。オカルト部のアイドル、みんなのサラちゃんですが、何か……?」

 

 サラフィナと名指しされた少女は、これまでの天上天下唯我独尊と言わんばかりの態度から一転。萎びた青菜の如く全身をワンサイズ縮めて怯え切った子犬の表情で沙汰を待っている。

 

 「昨日提出した課題……お前、自分で内容を覚えているか……」

 

 獣が低く唸る様な声色。教師が出していいものじゃないそれに、サラフィナはひいっと初めて女の子らしい高めの悲鳴を上げた。男勝りな口の悪さはどこへやら、だ。

 

 「えと、たたっ確か、『羅生門』の感想文でしたっけ……」

 

 「そうだ!お前ェッ、作文用紙を全部校歌で埋め尽くすとはどういう了見だコラァ!?」

 

 「ぴゃわわーっ!?」

 

 「いや、何してんだ君は……」

 

 少年は記憶の事などすっぽり抜けて自業自得な叱責に遭っているサラフィナに突っ込んだ。リドルはというと、即座に顔を背けて唇を固く閉じている。多分笑い出しそうになるのを堪えているのだろう、口元がぴくぴくと僅かな痙攣の様子を見せていた。

 

 「とにかく埋めりゃ良いと思ったか?思ったんだろ?お前みたいな無駄に浅知恵の働く狡猾な奴ァ珍しくないんでな。例え埋めたとて内容がクソならやり直しだコラッ!しっかり『指導』してやるこっち来い!!」

 

 「たっ助けてドラえもん!どこでもドア出して!」

 

 「そこに無ければ無いですね」

 

 最後の抵抗として少年の胸元に飛び付いたサラフィナだが、彼の無情な回答にぴょえぇぇんと情けない鳴き声を上げる。かつて知性を獲得し、この地上の席巻を果たした霊長類が出していい声じゃない。

 

 「このままじゃ部活動に支障が出ちゃうって!お願いします大将!」

 

 「だから創設者はそっちだって」

 

 「―――駅前のうどん奢る!!」

 

 「じゃ、大盛り三杯ね」

 

 悪足掻きの末サラフィナの提示した報酬に、これまた少年の態度は一変。すっ、と素晴らしい程優雅で紳士的な仕草で、飛び付いてきた彼女を自らの傍らに移動させると営業スマイルの仮面を被って教師の前へ躍り出た。その光景にリドルはぱちくりと瞬きを繰り返して凝視している。その眼差しは新種の生物を初めて目の当たりにしたかの様だった。

 

 「―――先生、どうか冷静に。確かに彼女の犯した過ちは決して放置していい代物ではないでしょう」

 

 透き通る様な声だった。普段の気の抜けた怠惰の念が湛えられている声と真逆のもの。今この瞬間、彼の頭に袋を被せてその整った顔を完璧に隠したとしても、声だけで多数の人間を虜にする事が可能だと思うぐらいには、魅力的な声が奏でられていた。高くも低くもない中性的で心地の良い声音は、どことなく艶やかな空気をこの場に生み出した。

 偽りに満ちた余所向けの態度に、しかし少年の本性を微塵も知らない教師は若干面食らいつつも会話に応じる。

 

 「お、おぅ?そうだ、課題の手抜きは俺の中で御法度だ。お前はいつも完璧に仕上げてくれるから咎める事もないが、出来ない奴は分からせてやらねぇとだな」

 

 「しかし、いくらか情状酌量の余地はある―――そうは思いませんか、先生?彼女は最近、部活動の為に―――ええ、他の文化部に比べてここは些か道楽の色が濃い、それは認めます。しかし、彼女は確かに遊びでもなんでもなく、真剣に活動に取り組んで―――課題が少々疎かになってしまうぐらいには、しっかりとこの部の活動に力を割いているのです。これをご覧下さい」

 

 丁寧かつ、有無を言わさぬ早口で教師の割り込みを防止しながら、少年は異界駅についての詳細が書き込まれた黒いノートを取り出して見せた。粗雑で丸っこい文字が余白を許さんと言わんばかりに踊り狂っている。内容を度外視すれば、よくぞここまで書き込んだなと称賛の一言を引き出せそうなぐらいには圧倒的な文字量だった。

 

 「これは紛れもなく彼女が書いた物です。筆跡は課題と一致しているでしょう。つまりこれに限っては何の不正も行われていません、正真正銘彼女だけしか扱っていない。この文字の量をご覧になれば解る通り―――連日彼女が真面目に活動に取り組んでいた証となります」

 

 「あ、ああ、そうだな……凄い量だ。しかし、うむ……こんな物を作る暇があるならばだな、課題を」

 

 「勿論!学生に於きまして部活動ではなく学業こそが優先事項です。そこは履き違えてはいけない、そうでしょう。ただですね……普段は不真面目になりがちな彼女としては、頑張った方ではないですか。校歌なんかで誤魔化している訳じゃない。彼女は本気で取り組めば―――こんなにも素敵な作文が可能である、これは事実です」

 

 「だったら、課題にもその熱量をぶつけるべきで―――」

 

 「ああ、先生、どうか結論をお急ぎにならないで下さい。先生のそれは正論です、ボクなんかでは崩しようが無い程の。それでも、ここまでの文を仕上げる事が出来る彼女です。『指導』をするとしても―――彼女の作文能力を鑑みてこれを酌量とし―――今回ばかりはお手柔らかにしてあげて頂けないでしょうか?」

 

 うるり、と少年の切実な訴えを秘めた双眸が教師を見据える。

 何故飲食物の大盛り如きで少年がここまで働いているのかリドルには理解が及ばない。困惑した表情で少年の様子を観察している。彼はこれまでの人生で、食事目当てに誰かの懇願を受注するなんて真似はしてこなかったのだ。肉体的成長の為のエネルギーが何かと必要がちな思春期男子にとって、他者によるご馳走は地味に有り難いものであるという事が解らないのも、無理はない。

 

 演劇部の連中が、涎を垂らして欲しがりそうな演技力を披露している少年の後ろ。サラフィナは、普段の態度からは想像も出来ない人格を演じている少年の差異の酷さに吐き気を催すフリをして、「おろろろろ」と一人呟いている。

 ―――少年は無理やり形作っている笑顔の裏で、このおちゃらけ真っ平ら少女を後で絶対泣かせよう、そう心に固く固く誓った。

 

 「う、ぐ……ぅ。そ、そうだな。お前にそこまで言わせるんだ……部活中は真剣にやっているんだろう。仕方無い……。他でもない、お前の頼みだ!喜べサラフィナ、『指導』には手心を加えておいてやる」

 

 「ドゥワァ!センナナヒャク!そこは『指導』取り消しなのではないですかっ!?」

 

 サラフィナは再び絶望的な悲鳴を上げ、防衛本能に従い両手で自分の体を抱き込んだ。

 うどん大盛り三杯の代金という、決して安価ではない金額と引き換えにこの場を乗り切る事を約束された筈なのに、と取引相手の少年を見る。彼は教師の視界から外れた位置で、視線を明後日の方向へ飛ばしながら憎たらしさすら感じる真顔でダブルピースを作っていた。

 こいつは完全に故意犯である。最初から『指導』の取り消しに助力する心算などどこにも無かったのだ。ただ、その厳しさを緩和させるだけに留めるよう話を誘導していたに過ぎなかった。

 ―――見事に嵌められた。今すぐ無駄に整ったその顔面に、『詐欺師』と書かれた紙を貼り付けてやりたいと彼女は思った。

 

 「誰が取り消すと言った?お前みたいな奴は一度きつく絞ってやらんと同じ事を繰り返すだけだろうが。安心しろ、俺は自分の言葉を取り消さん。ちゃんと手心を加えてやるからな」

 

 「ぴえんぱおんぴえんぱおんぴえんぱおん」

 

 両眼から光を失ったサラフィナは謎の呪文をリピート再生するだけのガラクタと化した。

 抵抗力の無い華奢な少女を筋肉質な成人男性が連行していく景色は、まるで未成年略取誘拐の現行犯の様だ。残された少年達は敬礼のポーズを取ったり苦笑いを浮かべて小さく手を振ったりで少女を見送ってやった。こうして四角く切り取られた小さな世界には、束の間の平穏が訪れたのだ。

 

 「えっと……、彼女が最後に唱えていたあの呪文はどんな意味が?」

 

 「『自分の頭はイカれてしまいましたどうぞお好きにして下さい』という自己申告を意味する魔法の呪文だ」

 

 「君は嘘なのか本当なのか解らない事を真面目に言うよね……」

 

 騒がしさの原因であった彼らが退室した事によって、二人きりの教室に静寂が満ちている。部のリーダーが居なくなってしまい活動は中断せざるを得ない状態だ。さて彼女が帰還を果たせるまでどうやって時間を潰そうか、と少年は椅子に座り直す。

 同じタイミングで、リドルはばっと教室のドアの方を振り向いた。唐突で素早い動き。真紅色の双眸は何かを見通す様に狭まり、眉間には険しい皺がたちまちのうちに刻まれていく。

 

 「……、……。じゃあ……僕はちょっとトイレに行ってくるよ」

 

 ぽつりと呟かれた低めの声。少年が顔を上げてリドルの方を見つめる。「いってら」、と短い返事を発すると彼は興味無さげに薄い板と向き合い始めた。ごく普通の反応だ。何もおかしいところなど無い。しかし、リドルは顔を背けられても尚じっと立ったまま、少年の横顔を危険生物の挙動を見張る研究者の様な眼差しで見つめ続けている。やがて、口を開いた。

 

 「―――君も一緒に来るかい?」

 

 予想外の言葉を掛けられて少年がぱっと再び顔を上げた。同時、正体不明の珍獣を眺める様な表情が浮かぶ。

 

 「いや……行く訳ないだろ。誰かの連れションに付き合う趣味は無い」

 

 「そう。じゃあ、一人で行ってくるよ」

 

 リドルは少年の失敬な言葉にも機嫌を損ねる様な素振りは無く、スタスタと足音の小さい歩き方で教室を出て行く。

 

 ―――ただそれだけの光景を、臙脂色(ダークレッド)の瞳が執拗に後を追いかけていた。

 その長身の背中が完全に視界から消え失せるまで、執拗に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リドルは、男子トイレに居た。

 

 小便器、鏡、掃除用具入れ、個室の洋式便器、窓、手洗い台。

 そこに存在するあらゆる備品をわざとらしく長い時間を掛けてくまなく見渡して、徐に手洗い台のある場所へ近付く。すらりとした長い指を蛇口に這わせては、何かを確認しているようだった。しばらくそうした後、彼は何故か満足そうな微笑みを浮かべていた。

 

 「……やっぱり、全然違うんだねぇ」

 

 誰にも理解出来ない独り言を呟いただけで、彼は終ぞ排泄を行う事無く早足で出口へ向かう。

 ―――そう、彼はこの学校を来訪した時から一度たりとも、この場所を正しく利用した事が無かった。他の人間と違ってそういった行為の必要が無いし、そもそも利用出来無かった。

 

 一切利用する必要の無い場所を抜けたリドルは、出口と隣接する廊下をそのまま歩き始める。オカルト部の部室へ繋がるこの廊下は、四階だった。右側の壁に一定の感覚で備え付けられている窓からは、今の体勢と距離からだと空しか見えない。空模様から判断して、現在時刻は三時過ぎといったところだろうか。

 静まり返って不気味とも言える無人の廊下を、リドルだけが我が物顔で歩く。土曜日の学校に訪れる者など殆どが部に加入している生徒達だ。この無人は不自然ではない。運動部員は言わずもがな、屋外のグラウンドやここから離れた場所に鎮座する体育館に集結しているし、屋内に部室を構えている場合が多い文化部はオカルト部を除いて別棟に纏まっていた。最近建て替えられたばかりの教室を活動拠点にしたいと駄々を捏ねるサラフィナの依頼を受けて、少年が創部の際に教師陣に交渉を持ち掛けた事により、文化部の中で唯一オカルト部だけがこの四階の一番奥を部室としていた。

 

 故に。

 休日の校内では、この場所が最も無人の環境に陥りやすいと言える。

 

 「―――そろそろか?」

 

 リドルがまた、誰にも理解出来ない独り言を吐く。彼がトイレを出て目指しているのは、部室ではない。部室から離れていく方向へ、廊下を歩いていた。その足も独り言と同時に停止する。

 

 「……本当に、いい加減しつこいな」

 

 それは、この場に居ない誰かに向けて苦言を呈する様な台詞だった。

 彼は一度だけ部室がある方へ振り向く。部室のドアは退室と同時に彼自身が閉めてきたので、遠目でも閉じられたドアがはっきりと確認出来る。

 何の異常も見受けられないその場所に安堵の息を吐いて体の向きを戻し、リドルが再度歩き出そうとした、その時。

 

 

 

 

 「―――動くな」

 

 

 

 

 重い圧力感。脅迫じみた命令。

 

 背後から音もなく伸びてきた人間の手がリドルの片側の肩を掴み、歩行を封じてその場に縫い止めた。もう一方手が全く同じ速度で伸びて、何か冷たい物を彼の喉元に押し付ける。突然の圧迫感に襲われた彼の喉の奥から、ぐ、とくぐもった声が上がった。肩をがっちりと強力に掴まれていて、背後の何者かに振り向く事は難しい。

 

 「…………く、う。……こんな乱暴な真似をする悪い子は、何処の誰だい?」

 

 「黙れ。余計な発言を許した覚えはない」

 

 現実味の無さ過ぎる突然の強襲の中で、リドルはそれでもどこか余裕そうに問い掛けた。喉を圧迫されているせいか、彼の声は不自然に上ずっている。

 何者かは挑発とも取れるリドルの態度に付き合う気は更々ないのか、何かを喉に押し付ける力をより一層強くした。流石にリドルの表情が苦しげなものに変化する。

 

 「は、はは……。まさか、こんなタイミングで姿を現すなんて、ね」

 

 リドルは眼球の動きだけで喉を圧迫する物の正体を突き止めると、掠れて乾いた笑い声を上げた。

 簡単な話だった。

 

 ―――それが冷たいのは、金属だからだ。

 鈍色に光るサバイバルナイフが、少し力を入れただけで皮膚を裂いてしまいそうな程のゼロ距離で、喉にぴたりと当てられている。

 

 「今から行うのは質問じゃない」

 

 何者かは無理やり作った様な低い声をしていた。リドルの耳元で、生物が声を発する事によって自然と生まれる空気の流れが渦巻いた。

 

 「尋問だ」

 

 「―――………………、」

 

 リドルは、感情の抜け落ちた能面の様な表情になった。抵抗もしないで、大人しくされるがままの体勢を維持していた。何を考えているのか、この世界の誰にも読み取る事は出来ない姿。

 脅迫者たる存在は数秒の合間を設けた後、罵りとも取れる問い掛けをその場に降らせた。

 

 「……、()()()()()()()()()()()()()()()()()が、こんなところに一体何の用があるんだ?」

 

 何者かからその言葉が放たれた瞬間。

 くつくつという押し殺した笑い声が、喉を振動させて押し当てられているナイフを小刻みに震わせる。その不敵に、背後の存在が僅かに息を呑んだような気がした。

 

 

 

 

 「ああ……おめでとう!僕の存在に疑問を持って行動を起こした人物は―――君が初めてだ!」

 

 

 

 

 ―――こんな状況で、被害者たる存在は心の底から嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 




2024/4/18追記
そろそろ賢者の石編の次話を更新したいと思っておりますので
もしかしたらこの番外編の更新は一旦止まるかもすみません
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