"―――どう して みんな ぼくをみ てくれない の?
も うなに もしない から 、 『いい子』で いるから
ひつよう なら なにも しら ない ばかを えんじる から
かなしい 。 くる しい。 なん で
こ ん なの お かしい
ほ んとうの ぼくを あい し て くれるひと は いない の ?
そ う だ 。
あいし て くれた かもし れ ないひ とたち も
ぼ くがす てて しまっ た。
じ ゃ あ ぼ く は
も う 、え いえんに あいされ ない 、こ ど も ?"
―――誰かが、倒れている。
木造の床の上に。自分の目線のすぐ下に。
ぐったりと力の抜けた男性と女性が、死んだように倒れている。
ブレーカーが落ちてしまったのだろうか、照明が切れてしまったのだろうか。部屋の中は薄暗くて、前髪に隠れた二人の顔はよく見えない。ただ、結構な高齢である事は判る。
不思議な事に、彼らの体には目立った外傷が見られず、流血沙汰にもなっていなかった。そのせいでどんな容態か解らない。
せめて顔色だけでも窺えたら、生死の判別が出来たかもしれないのに。
突然の病でも患ってしまったのか―――
ぼんやりとはっきりしない頭でそう結論付け、安否を確認しようとその場に屈み、一番近くに倒れている女性の方へ手を伸ばした。
何故だか、彼女は自分と近しい者であると直感が告げていた。そう、まるで母親や祖母のような。
だから、この行動に悪意なんて無い、筈だったのに。
「…………お、まえッがッ…」
声が、した。
丁度女性の体に手が触れようとする直前に、男の声が鼓膜を揺さぶった。
「…お前が、殺した…のか…ッ?」
手を伸ばしたままの体勢で、ゆっくりと声の方向へ振り向いた。
男が立っている。青褪めた表情と、喉から搾り出すような声色をこちらに向けていた。
誰が見たって解る。この男は今まさに、壮絶な恐怖の真っ只中にその身を囚われている。
「………お父さ、ん?」
不思議と、勝手に動いた口が彼を父と呼んだ。
―――あれ、おかしいな。
口に出して、気付く。
父親というものは、こんな表情で我が子と接するものだったろうか。
知識の中での"父親"という存在と、目の前のこの男の態度がどうも結びつかない。
人が倒れているというこの状況で、そんな呑気とも言える思考をぐるぐると巡らせていると。
「…ヒッ、ヒィッ…!何をッ言っているんだ…?!おッおおお前みたいなヤツは、息子でも何でも無い!!」
男がフラフラと後退りながら、こちらを指差して悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。
運が悪いのか、男の後ろは壁で逃げ場は何処にも無かった。その事に遅れて気付いたのか、ちらりと背後を見てより一層表情を歪めている。
何かとんでもない勘違いをされている。そこまでの考えに至った瞬間、急に霧がかかった脳内が晴れたような気がした。慌てて弁明を捲し立てようと口を動かす。
「ち、違う。こんな、こんな……こと、やって、ない。殺してな―――、…ッ?!」
しかし、最後まで言い切る事は出来なかった。
手を伸ばしていたのとは反対の手に握っていた物に、気付いてしまったから。
「な、なん…で…」
それは、杖だった。
普通に考えれば、ただの木の杖。
刃も付いていなければ、鋭く尖っている訳でもない。
こんな物より、身近にある包丁や鋏の方がよっぽど殺傷能力がある筈だ。
なのに、誰よりも聡明に、これこそが最悪の凶器に為り得る物だと、頭が理解を示していた。
たった一言、ある言葉を唱えるだけで、人の命を容赦なく奪い取る凶器。
―――違う!自分はやっていない!殺していない!
口を動かしたものの、声にはならなかった。
ひゅ…と、息が漏れる音だけが室内に響く。
―――なら、目の前に倒れているこの二人は、何なんだ?
頭の中の冷静な部分が質問を投げてくる。自分がやったのではないなら、一体誰が犯人だと言えるのだろうか。
―――違う違う違う!自分じゃない!"ここまでやるつもり"なんて、無かった―――!
……どうして、こんな考えが浮かぶのだろう。
"ここまでやるつもり"は無かった?
それは、少なからず相手を害す気があったという証明ではないのか?
いいや、騙されるな。これは夢だ、幻だ。あるはずのない記憶だ。
彼らは、自分の本当の家族じゃない。そうに決まっている。
……じゃあ、この部屋に居る彼らは誰なんだ?
……同じような光景を、昔にこの目が確かに見た気がするのはどうして?
―――二人が倒れている原因は何だ?
―――どうして男を父と呼んだ?
―――何故、ここまでやるつもり、なんて考えが出る?
―――この、前にも経験したような、どうしようもない既視感は何なんだ?
自問自答を繰り返しても、納得のいく説明が出来ない。
晴れていた筈の脳に、再び霧が生まれてじんじんと痺れ始めた。上手く思考が回らない。
先に動いたのは、この場の沈黙に耐え切れなくなった男だった。
「バッ化け物ッォォオオオ!!誰かッ、誰かアァァァアアアアッッッ!!!」
恐怖に完全に呑み込まれたのだろう。正気を失った男は、こちらへ接近してしまう事の危険を自覚しながらも、自分のすぐ横を通り抜けて部屋の出口へ駆け出した。
反射的に振り返るが、男はもう室外へ続く扉へ辿り着いていた。震える手で扉を開けようとする。
―――あぁ、そんな事をしたって、もう無駄なのに。
そんな考えが、ふと脳裏を過る。
男に対する哀れみの情が、心を満たしていく。
その考えが正しいと証明されたのは、数秒後だった。
「…オイ、なんでぇっ、なんでだよオオオオ!?開けよコイツッ、クソがああああぁぁぁ!!」
ガチャガチャと荒々しい音を立てながら、半狂乱になって男は扉に体当たりしたり蹴り付けたりし始めた。
どうやら、あんなに力を振り絞っても扉が開いてくれないらしい。
まるで"魔法"の力で鍵が掛かっているかのようだ。
何だか、必死になっているその姿は、酷く滑稽だった。
―――嗚呼、五月蠅いな。
開かないものはしょうがないんだから、大人しくしていればいいのに。
こんなにも騒がれると、段々と抑えきれない苛立ちが募ってくる。
どうしたら、黙ってくれるだろうか?
どうにかして、黙らせる事は出来ないだろうか?
騒音を消すような"魔法"とか、あればいいのにな。
―――あるよ、永遠に黙らせる"魔法"。
自分のすぐ耳元で、何かが囁いている。
誰だろう?
いや、これは、聞き飽きた自分の声じゃないか。
―――そうだ、忘れていたよ。思い出した。
持っていた杖を、向ける。
未だに微かな希望に縋り、扉を開けんとしている哀れな男に。
この場から逃げられないという未来を、与えよう。
そして、ずっとずっと黙らせてあげよう。
―――愛してくれないなら、さようなら。
部屋の中で、緑色の閃光が瞬いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
『うぅっ…うおぇぇぇぇ………』
この世界に来てから、通算で三度目の顕現だった。
頭がクラクラする…。とても気持ち悪い。この体が生身であれば、間違いなく内臓の中身を戻している。それぐらい最悪な気分だった。
相変わらず、ヴォルデモートの記憶をコピペされると著しく気分を害されるようだ。
…自分が本人じゃないから、こんなにも不快感に襲われるんだろうか?
普通に考えたら、"自分の物でない記憶を写される"って良い気分になれるもんじゃないよな…。
『うぇぷ……体が無くて今は良かったかも……』
くっそ…実体化出来ている内に行動しないといけないのに。もう少し休まないと動けそうにない。
そういえば、前回からどのくらい時間が経っているんだろう?
日記帳の中じゃ時間の感覚めっちゃ狂うんだよな…。時計も無いし、眠気も空腹感も無いから体内時計も機能しない。めっちゃ不便。
でも、何とかあの最悪な居心地の中でも杖の持ち出しに成功したぞ!これが無かったら魔法の練習出来ないからね。偉いぞ自分。
『……そういや、さっきの何だっけぇ…?』
何か悪夢に近いものを観ていた気がするんだけど、頭が思い出す事を拒絶している。というか、今のこの体調のまま思い出そうとしたら間違いなく再起不能になる。余裕のある時に確認しよう…。
こうして実際に体験してきて解った事だが、どうも日記帳に『書き込まれた文字』や『写された記憶』は"忘れる事が無い"のだ。
魂に直接刻まれる……という事なのだろう。今の自分に脳みそは存在しないから、記憶を保存する場所は魂となっている…らしい。だからか、一度刻まれた記憶は全て消失する事なくこの身に宿っている。
記憶の転写は不快感マックスなので、転写時は確認する余裕が無いのだが、後で記憶の引き出しを開ければ内容を閲覧出来るのだ。地味に便利な機能である。
…引き出しを開けなければ、知らずにいられるという事でもあるけれど。
どうもヴォルデモート本人の『過去』に関する記憶が随時追加されているようなのだが、まだ全てを閲覧するまでには至っていない。
当分は手を出す気も無い。
…だって、いや、何か悪いじゃん。プライバシーの侵害だよ?いくらこの先ラスボスになるお方でもさ、やっぱ自分の内にだけ留めておきたい記憶もおありでしょうし?部外者の僕が好き勝手漁るのもねぇ…。
というのも単なる建前で、本音は気味が悪いからなんだけどネ。
…ラスボスに成り果てるような人間の『過去』なんぞ、きっと碌でもないだろうから。
それを知ったところで、一体僕に何が出来るんだって話だし。
気にならない訳じゃない。
何せこちとら『ハリポタ』は映画勢なもので、原作でしか語られていない情報はちっとも知らないのである。
映画と原作に差異があるなんて、色んな作品に必ず存在するものだしなあ。
ヴォルデモートの『過去』って、映画だとチラっと語られたくらいなんだよね。
孤児院暮らしでその頃から魔法が使えて、結構疑心暗鬼な性格に育ってて、ついでに蛇と喋れるぐらいしか記憶に残ってないわ。あ~、こんな事になるならもうちょっと映画見直せば良かった…!何か状況打開のヒントがあったかもなのに。
まあ、前世の行いを悔いたってしょうがない。前向きに行かねば。
―――な~んかさっきの夢?だか光景?だか…前にも似たようなの体験したような気がするんだけどなぁ。
―――いつだったかなぁ…?
『……って、うぉぉおい!!?』
ちょっと待って、何気無しに周りを確認したら、誰もいねぇ!
ここで実体化したって事は、近くに本体である日記帳がある筈なんだけど、ヴォルデモートとか何処行ったん?
ていうか、持ち歩いていないのね…。まあ分霊箱に改造したのだから、そうそう持ち歩いて発見されて、先生にバレるのも避けたいよな。普段は自室とかにしまっておくのが賢い選択だよな…。
『いないならいないで安心するけど、謎の寂しさよ…』
前に確認した時は、数人の気配がしたんだけど、今は誰一人寝室スペースにいない。
もしかして、授業中とか?
『とりあえず、寮から出るか』
忘れがちだけど、スリザリン寮は地下牢で湖の下なんだよね。はようホグワーツ城に行きたいわ。
ていうかこんな所に寮を造るとか、創設者絶対性格悪いだろ。スリザリンに何の恨みがあるんだ…。ハリーが「スリザリンは嫌だ」って願ってたんも分かるわー。
……何でだろ?今の自分が「スリザリンは嫌だ」って言っても速攻で入れられそうな気がするわ…。
下手したら「アズカバン!」とか言われたりしないよな?そんなんネタ動画じゃないんだからマジ勘弁っす。
日記帳には触れられないってのは解ってるから、あえて探したりはしないぜ。時間の無駄無駄。
誰もいないので、ここは窓ではなく出口から普通に行かせてもらいましょ。ほいほいっと。
誰かに見つかる心配は多分無いんだけど、どうしても人の目が気になっちゃうのは前世から染み付いた本能よ。
ドア類には触れられないので、もちろん壁をすり抜けて、ね。
折角のホグワーツ。ここは色んな場所を回りたいところなのだが、生憎と時間制限のあるこの身では自重しなければならない。
ホントは今すぐあちこちの教室とかハグリッドの小屋とか大広間とか行きたいんだけど!鎮まれこの興奮…!
まず一番に目指す場所は、女子トイレだ。『嘆きのマートル』と接触を図ってみよう。
何故かって?
ゴーストは僕の事を認識出来るのかどうか知っておきたいのだ。ホグワーツってのは色んなゴーストの住処でもあるからね。
彼らと意思疎通が可能かどうか。これがもしも可能だったなら、ホグワーツでの行動に選択肢が増えるかもしれない。
彼らと協力態勢を取って、何かしら出来たりしないだろうかね…。
『嘆きのマートル』は原作でもハリーの手助けをしてくれた事があったのだ。協力を仰ぐならうってつけのゴーストと言えよう。
…それに、気が付けば"こうなっていた"とはいえ、僕の転生と引き換えに殺されたような子だし。逢わずに過ごすという選択は取れなかった。
しかし。
『……ちょっと待てよ、あそこ何階だっけ?2階?3階だっけ?やっべうろ覚え過ぎる!』
落ち着け、慌てず騒がずここはヴォルデモートのくれた記憶を閲覧しよう。おっ、3階だったわ。この機能に至ってはマジ感謝。
でも流石に、ホグワーツ内部の正確な地図的な記憶は入力されてないっすね…。
こっちも生まれて初めてのホグワーツ来城だ。見取り図なんて知る由も無い。
秘密の部屋の入口がある女子トイレに辿り着くまで、結構な時間を消費したのは忘れて頂きたい…。
『という訳で、来たよ』
『何がという訳、なのよ?』
溢れ出る疑惑と苛立ちを隠そうともせず、眼鏡を掛けた全身銀色の透明少女が声を上げる。
『さっきも言ったけど、そもそもここは女子トイレなんだって言ってるでしょ!?男子なんかお呼びでないのよ!もう出てってよ!』
真っ当な正論を以てして、少女はこの場に相応しくない異物を排除しようと金切り声を響かせる。
しかし、ここで大人しく引き下がる程こちらだって聖人ではないのだ。
誤解のないように言っておくと、別に覗きの趣味は皆無である。あれ、一体何が愉しいんだろうね?
『君以外誰も来ないじゃん。しかもゴーストって用を足す必要も無いじゃん。問題無いじゃん?』
『そういう事じゃないでしょッ!マナー違反よ校則違反よ!変態よ悪魔よ!ケダモノよ異常者よッ!』
『…そこまで言われると流石にヘコむ~~~』
『とか言いながら退散する気ゼロじゃないのよ!!』
漫才のようなやり取りを続けつつも、やはり自分の勘は当たっていたようだ。
…この学校のゴーストは、僕を認識出来るし、声も通じている!
『…なーんかあんたの声、聞き覚えがあるのは気のせいかしら?つい最近、聞いた事がある気がするのよねぇ』
『は、ハハハ、ソンナマサーカ、キノセイダヨー(裏声)』
流石元レイブンクロー生。意外と勘が鋭い…。
『えっと、マートルさん?』
『うるさい!気安く呼ばないで』
『えっと……じゃあ何て呼べば……』
『マートルでいいわ』
『いいわって…言ってる事支離滅裂なんだけど…』
『本名はマートル・エリザベス・ウォーレンよ。ここまで名乗ったんだからあんたも自分の名前言いなさいよ!女子トイレに入ってくる変態の名前を、学校中に言いふらしてやるんだから!』
『あー、それはマズイ。この件に関しては冤罪人が出ちゃうよ…』
このまま名乗ってしまっては、ヴォルデモートが変態の汚名を一生背負って生きていかねばならなくなる。それはやばいって。別にそれでも良いんじゃねーの、と叫ぶ自分もいるが、こういうバタフライエフェクトが未来にどういう影響及ぼすか計り知れないから、やめさせないと。
まあ、ゴーストに変な嘘を吐いても仕方がないだろう。ここは真実を混ぜながら説明しよう。
『僕はトム・マールヴォロ・リドル。といっても、本人じゃないよー』
『はっ?リドルですって?あのリドル?…スリザリンの優等生じゃないの!?』
『あれ、知ってる?』
『知らない奴はほとんどいないわよ、あの模範生のトム・リドル!スリザリンの監督生!全校生徒の憧れ!先生は口々に言うの、彼を見習いなさいって…。…どうりで、見覚えがあると思ったわ。まさかあんたにこんな趣味があったなんてッ…!』
『あー、違う違う!本人じゃないから!僕もゴーストみたいなもんだよ!あ、あっちは今も生きてるから……えと、生き霊!僕は彼の生き霊みたいなもん!』
『はぁ?生き霊?』
『そう、生き霊!だからほら!君みたいに壁だってすり抜けるんだから!』
言いながら、トイレの個室を区切る壁をするりと通り抜けてみせる。マートルは目を見開いた。
『…うそ、あんたゴーストじゃないでしょう?何で』
『だから言ってるじゃん、生き霊だって。本人は多分、今授業中じゃないかな』
『信じられないわ!生き霊ですって?聞いた事ないもの。今みたいな真似が出来るのは、死んだ奴らだけなんだから!』
『事実だよー。ほら、君と違って、全身銀色じゃないでしょ?ゴーストとは違うんだよ』
『うそでしょ……』
分かりやすく両手をパタパタさせてみる。マートルは未だ信じられないといった様子だ。…まあ、この世界って生き霊なんてほとんど居なさそうだもんな。当然だろう。
『……百歩譲って生き霊だとしても。女子トイレに入って良い理由になるのかしら?』
『あうち、それはそうなんだけど』
『生き霊になってまでそんな趣味があるだなんてッ!!』
『あー、またいらぬ誤解を積み重ねていくぅー。違うよ、ほんとにそんな趣味全然無いから。某ゲームの如く0% 0% 0%だよ』
『じゃあ何の用があって来たのよ!?』
『マートルに逢いに来たんだよ』
ビタッッッ、と。
それまでギャーギャー忙しなく動いていたマートルの動きが完全停止する。傍から見ればスイッチを切られたロボットの動きを完全再現していて、ふつくしかった。
『こっちは生き霊なもんで、誰にも相手にされないからさ。ゴーストなら気付いてくれるかなって』
マジもんの本音である。真実100%たっぷりである。
人間の生物的本能は、きっと"孤独を厭う"様になっているのかもしれない。
いくら一人が楽だと言っても、それが長期間続けば精神的に参るものなのである。
前世ではまだマシだった。ネットというもので顔も名前も知らないが他者との交流をしていたからこそ、余計に今味わっている完全ぼっちの日記生がしんどかった。
意識に刷り込まれる文字だとか、脳内に響く声だとか、そんなものよりも。
目の前に確かに存在する、ちゃんとした話し相手が欲しかったのだ。
『…こうして、きちんと誰かの顔を見て、他愛もない話をするのを、どこかで望んでいたかもしれない』
おおっと。余計な事まで言ってしまったかも。
こんな陰気臭い話をしに来た訳じゃなかったのに。
マジで染み付いたぼっちオーラが拭えないわ。
『僕はずっと、一人だったから。君がこっちに気付いてくれて、ちょっと調子に乗ってたかも。確かに、女子トイレにずかずか入るもんじゃなかったよね…』
冷静に考えてみ?いきなり女子トイレに入ってきて、亡くなった女の子に話し掛ける男子ってどう思うよ?マジで変態にしか見えないだろ何考えてんだホント。反論の余地ないわ。
最初はこれからの展開に向けた打算のつもりだったのに、いつの間にか雑談が目的になってしまっていた…。
外に出る事を、誰かと直接話す事をあれほど恐れていたのに、不思議と今は何も恐怖を感じないのは、憧れの魔法界に来たという興奮のせいだろうか。
…それとも、今の僕が別人に為っているから?
『ごめん、僕帰る―――』
『待ちなさいよ』
ふと湧き上がってきた羞恥心に耐え切れず出口へ向かおうとしたら。
いつの間にか、音も無く背後に近付いていたマートルに呼び止められていた。
…どうしてか、眼鏡の奥のその瞳が、水分を溜め込んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
『…私、私もね、一人だったの。ドジで陰気臭くて、…すぐ泣き喚くバカ女だって、いっつも虐められてたの…』
『……マートル』
『でも、でもね。死にたい訳じゃなかったの!こうなりたかった訳じゃないのよ!』
自分がゴーストになったのは、決して苦痛から逃れる為の自殺ではないと言う。
『オリーブ・ホーンビーが私の眼鏡をからかってきた日にね、ここで隠れて泣いてただけなのよ!そうしていたら、誰かが入ってきて……、男子だった、と思う。何か喋ってて、でもここは女子トイレだから、出ていけ!って言おうとしただけなのに……。気付いたら、死んでたの』
ズキリと、胸の奥で痛みが走った。
……間違いなく、この世界に来た"あの日の出来事"だ。
『きっとゴーストになったのは、オリーブに取り憑いてやるって決めてたからよ。あいつはとっても後悔していたわ、いい気味よ』
少しでも陰気臭さを紛らわそうとしているのか、彼女は言葉の最後で笑い声を混ぜていた。でもなんとなく、強がりの虚勢だと解った。
当然だ。原作と違って、死んでまだ間もないのだ、彼女は。自分の死を、楽観的に受け止めるには期間が早すぎる。
『………ごめん』
『どうして謝るのよ?私が虐められていたのはレイブンクローの奴らからよ。スリザリンのあんたに関係は無かったわ』
『…いや、君が、そうなったの、は…』
厳密には、彼女を死なせたのは自分じゃない。
だけれど、完全な無関係という訳でもない。
二つの考えが堂々巡りをして、いつまで経っても言いたい言葉が見つからない。
……あのヴォルデモートが生まれて初めて犯した殺人が、彼女相手だったのだ。
そうして彼は、不死への第一歩を踏み出した。
罪の無い、むしろ救いの手を差し伸べられるべきだった彼女を踏み台にして。
『…………よし』
『…?何が「よし」なの?』
『いや、改めて目標に向けての決意が固まったんだよ』
『はあ…?』
『マートル、君の仇は僕が取る』
ポカン、と、そんな効果音が聞こえてきそうなぐらいあんぐりとマートルは口を開けた。
初対面の相手からそんな言葉を聞いたら、そりゃ誰だってそうなるだろう。
『君の死因を作った奴は、今ものうのうと生きているんだ。誰かは言えないけど、そいつはきっと、少なくともあと50年は生き続ける。僕はそいつを止めたいんだ』
『え、え……?死因って、何なのそれ。私は殺されたって言うの…?』
『そう…なんだよ。君は直接傷付けられた訳じゃないから、自分がどうして亡くなったかも判らなかったんじゃない?』
『それは、そうだけど……。死ぬ前に覚えているのは、大きな黄色い目玉だったわ。そこから先は、もう全く』
『やっぱり…』
その黄色い目玉ってのは、バジリスクだろう。50年後、ハリーがグリフィンドールの剣でぶっ殺す秘密の部屋の怪物。
ただ、僕は秘密の部屋事件を起こす気は無いので、その未来は訪れないかもしれないけれど。
『そいつはとても悪い奴でね。放っておいたら君だけじゃない、色んな人が殺されてしまう』
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ!何であんたがそんな事知ってるのよ?ホグワーツの誰かが犯人だって言う、の?』
『そう、だよ。ホグワーツの誰かがやったんだ。僕はそいつを知っている』
『……どうやって知ったの?』
『…予言だよ。予言があるんだ。その悪い奴が運命の子にやられるって』
『予言ですって…?』
『でも、もしかしたら僕が存在する事でその予言も少し狂ってしまうかもしれない。だから、僕は慎重に行動しないといけない』
『………。だから、犯人が誰か言えないの?』
『そう。君は悔しいかもしれないけど、こればっかりは言えない…。ごめん』
彼女が犯人を知ったら、どう思うだろうか。
「お前のせいか」と罵るだろうか。
予言がどうとか関係無かった。僕は単に逃げただけだ。真実を言えない理由をでっち上げたようなものだ。
真実を伝える事で、彼女の態度が変貌する未来が恐ろしかっただけだ。
……卑怯だよな。
自分を死に至らしめた原因を知りたくない人間など、そうはいないのに。彼女が真実を知る機会を奪ったのだ。
…彼女から奪ってばっかだな、『僕』は。
『僕は君と違って、ゴーストじゃないから。まだ現世に干渉する術があるんだ。出来ればホグワーツの人間に僕の存在を知られたくない。これから先、もしかしたら障害になるかもしれないからね。…その、ここまで話しといて虫が良すぎるんだけど、出来れば僕の事は口外しないで欲しい。僕と違って、君の声は生者に聞こえてしまうから』
『………どうして、仇を取るなんて言ったの?』
『へっ?』
突然の質問に間抜けな声を出してしまう。
『私達、今日初めて逢ったばかりじゃない。そんな事を言われる理由が見つからないわ』
『そ、それはそうだけど……』
『ねぇ、どうして?』
じろりと、こちらの心情を覗き込むような瞳で、マートルがこちらを見つめてくる。
そ、そんなに見られたら喋りにくいからやめてくれ…!
『……君が死んだ事で、得をしている奴がいるから』
『…得?』
『あ、あと……嬉しかったから。僕なんかとこの世界でまともに喋ってくれたのは、君だったから』
そこまで聞いて、マートルはいきなり宙に浮かび上がった。天井にぶつかりそうなくらい高度を上げたかと思うと、今度は急降下して便器の一つへ向かって頭から突っ込んだ。
『……はぁッ!?』
突然の奇行に思わず素っ頓狂な叫びを上げてしまった。バシャーンと派手な水音を立てながら、マートルの体は便器の底へ完全に沈んでしまった。衝撃で溢れた水が波の様にトイレの床を埋め尽くす。
恐らく便器の下にある排水溝と思われる場所から、彼女の叫び声がくぐもって聞こえてきた。
『バカぁぁぁぁぁっ!そっそんな恥ずかしい事……面と向かって言わないでエェェェェ……!』
どうやら恥ずかしさの余り隠れてしまったようだが……何も便器に突っ込まんでもええやん。汚物を流す場所やぞソコは。いや、ゴーストに汚れもクソも無いだろうけど、ちょっと絵面的にあれなんだが。
一応便器に向かって声を掛けてみる。
『お、お~~~い?大丈夫?』
『だっ大丈夫だからもう出てってぇ!心配しなくても、あんたの事なんか誰にも言わないわよっ!私の中に留めておいてあげるわ!だから今日はもう帰って!!』
『りょ、了解…』
正直便器の中まで追い掛ける度胸も無いし、帰れと言われたのだからここは素直に退出しよう。これ以上彼女を刺激するとホグワーツが水没しそうだ…。
念の為トイレの出口付近に誰もいないのを確認してから、元来た道を戻る。ちょっとした倦怠感を感じる限り、そろそろ時間だ。
随分長居をしてしまったようだ。どうせならぎりぎりまでホグワーツを歩いてみよう。
『ふぅ……なんか、柄にも無い事言っちゃったなぁ……』
歩きながら持ってきた杖を振るってみるけど、相変わらず魔法は碌に発動しそうにない。
え?アバダはどうなんだって?あんなの封印に決まってるだろ、一生封印だわ。人殺しが目的じゃないし。使ってるとこ誰かに目撃されたら間違いなく悪認定だわ。よっぽどの正当防衛じゃないと使えんわ。
…しかし、まさかこの世界で初めてまともに会話した相手が、『嘆きのマートル』になるだなんて、思いもしなかった。
彼女も僕と同じ様な境遇で、不思議と親近感を覚えた事も要因だったかもしれない。
……ヴォルデモート。
あいつは、そんな彼女を殺した。
状況から考えれば、秘密の部屋を開けようとする時に、トイレに入り浸る彼女が邪魔だったからなのだろう。
分霊箱の生贄も兼ねて、邪魔者のマートルを殺害した。
そのくせ、本人は彼女の言うように模範生を演じて学校生活に溶け込んでいる。
人を、殺しておいて。尚仮面を被り続けるその性根は、正直感心する。
沸々と、この身に不可視の炎が燃え上がってくるのを感じる。
これは、怒りなのだろうか。
この世界で出来た、唯一の会話相手を殺した相手に対する憎悪?
どちらであろうと構わない。
少なくとも今日この日。あいつを止める理由が、自分の生存の為だけじゃ無くなったのは確かだった。
そんな風に思考を巡らせる僕は、この時気付いていなかったのだ。
―――今日が9月1日で、ホグワーツの始業式だったという事を。
もう既に生贄が捧げられ、二つ目の
原書では2階となってるらしいんですけど、いつの間にか3階になってる秘密の部屋の女子トイレ。これもうわかんねぇな。
最初の
二つ目の
この時、一体"誰が"、"生贄"にされたか。…よくよく考えると恐ろしい。