TSホモ   作:てと​​

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TSホモ 006

 

 ――人生でいちばん、身嗜みを整えた日なのではなかろうか。

 

 家族の誰よりも早く起きて、普段はしない朝のシャワーも浴びて、食事も余裕をもって済ませて、洗面台にこもって外見を整えた。

 大事な面接に行くかのような準備に、俺は苦笑を浮かべた。これだけ時間を費やしても、自信は満々というほどではない。デートという未知の行為は、思ったよりも俺にプレッシャーを与えているようだった。

 

 おそらくは、玲利も同じような心境でいるのだろう。

 ……いや、彼女の場合はもっと緊張しているのかもしれない。何気ない言葉でも赤面したりするほどだから、デートを目前にして抱く感情はさぞや平静とかけ離れていることだろう。何度も二人で遊んでいるというのに、今日にかぎってはお互い平常心でいることは難しそうだった。

 

「――よし」

 

 気合いを入れるように、俺は呟いた。

 デートプランは事前に話し合って決めたし、時間などもきっちり調べていた。頭にもぜんぶ入っている。問題はなかった。

 言いたいことも、考えていた。デートの最後には、駅の近くの都市公園で時間を過ごす予定にしてある。“告白”をするにはちょうどいい環境だろう。

 

 正直な気持ちを打ち明けたあとのことは――予想もつかない。

 だが、言わねばならぬことだった。本心を隠したまま付き合いつづけても、あまり良くないと思っているから。

 

「……行くか」

 

 まだ待ち合わせの時刻まではたっぷり時間があるが、それでも準備はすべて済んでしまったので、俺は早めに家を出ることにした。

 

 いつもどおり、落ち合う場所は駅にある店の前である。慣れた道を行くのにトラブルなどなかった。予定では午前九時に会うことになっていたが――目的駅に到着して時計を確認すると、三十分も前の時刻を指していた。

 いくら初めてのデートとはいえ、気が早すぎだろう。……他人からすれば、そう思われる行動だったかもしれない。

 だが、なんとなく俺はわかっていた。これくらいの時間が“ちょうどいい”と。きっと玲利なら――

 

「あっ」

 

 改札を出てすぐ見えてきた店先で、ぽつんと立ってスマホをいじっていた少女が、ふと目の前の影に気づいて顔を上げた。びっくりしたように目を見開いてから、すぐに焦ったように彼女は姿勢を正す。その油断しきっていた姿に、俺はおもわず笑みを浮かべてしまった。

 

「――これじゃ、集合時間の意味がないな」

 

 二人ともが半時も前に来てしまうとは、ある意味で時間を守れていなかった。似た者同士だな、と内心で思いながら――俺は玲利の佇まいを眺めた。

 薄いベージュ色のワンピースは軽やかさのあるデザインで、ややフレアなシルエットが可愛らしさを演出している。ワンピース服は初めて見たが、やはり玲利が着るとどんなものでも似合っていた。

 

「それもクローゼットにあったやつか?」

「んーん。……新しく買ったの」

 

 えへへ、と少し照れくさそうに彼女は笑った。どうやら相当に気合いを入れてデートに臨んているらしい。

 玲利の右耳には、俺がプレゼントしたイヤーカフもちゃんと装着されていた。私服で遊ぶときはいつも身につけているので、それだけ大事にしていることがわかる。こうも大切に扱ってもらえると、贈った側としても嬉しかった。

 

「――どうする? 店に入って何か飲みながら待つか、それともブラブラと歩くか」

 

 俺は腕時計をちらりと見ながら尋ねた。もともと最初は映画館に行く予定だったのだが、さすがに直行すると時間が余りすぎる。どこかで暇を潰さなければならなかった。

 玲利は少し迷ったような表情をしていたが、答えを出したらしい。一歩、足取りを駅の外のほうへ進めた。

 

「……歩こっか?」

「……ああ」

 

 俺が頷くと、彼女はニコリと笑顔を浮かべた。楽しそうな、嬉しそうな笑みだった。

 

 ――二人で並んで歩きながら、なんとなしに駅前の広場を眺める。

 休日なうえに快晴なこともあってか、普段よりも人の数は多かった。子供を連れた家族や、手を繋いでいるカップルの男女、あるいは同じ高校生らしき男子の集団。そんな日常的で平和な光景を目にすると、自然と口元が緩むのを感じた。

 

 ふいに、隣に並んでいた玲利が立ち止まる。

 どうしたのだろうか。そう思って振り向くと、彼女はやや顔を下向きにして、上目遣いで何か言いたそうにしていた。

 

「……玲利?」

「あ……あの……。もし、よかったら、なんだけど……」

 

 よっぽど恥ずかしいことなのだろうか。彼女の頬は赤くなっている。どんなことを提案したいのか――俺はなんとなく予想がついてしまった。

 

「て……手を――」

「――ほら」

 

 玲利が言いきるよりも先に。

 俺は自分の左手を、彼女のほうへ差し出していた。

 

 これはデートなのだ。

 だったら、手を繋いだって構わないだろう。気後れするようなことでもなかった。

 

「…………」

 

 玲利は緊張したように固唾を飲むと、おずおずと手を伸ばしてきた。大袈裟なやつだな、と俺は内心で笑いながら――ゆっくりと彼女の繊手を取り、手のひらと指を触れ合わせた。

 

 柔らかさと、ほのかな熱と、そして湿り気を感じた。

 その感触は、彼女がそれだけ俺と手を繋ぐことに特別な感情がある証だった。

 

「……恥ずかしいか?」

「ぅ……うん……ちょっと、だけ……」

「ま、しばらくすれば慣れるさ」

 

 あえて気楽な感じで言いながら、俺は繋いだ手をもう少し引き寄せた。腕も絡むような距離である。肌を触れ合わせる二人の姿は、誰が見ても仲睦まじいカップルそのものだった。

 ……これで同級生にでも鉢合わせしたら、陰でさぞや惚気だなんだと言われるんだろうな。

 

 そんなことを考えつつ、俺たちはのんびりと歩きはじめた。とりあえずは映画館の方面に向かって、適当に店を覗いたりしつつ時間を潰すとしようか。二十分くらい過ごしていれば、玲利もデートの距離感に馴染んでくれるだろう。

 

 初夏の晴天の日差しは、まだ午前中とはいえ少し暑かった。もっとも、くっついて歩いているからそう感じるのかもしれないが。あまり体力を使いすぎると夕方までにバテてしまうかもしれないので、早めに映画館に行って休むのも考えるべきだろうか。

 

 ――頭の中ではやけに思考が回転していたが、その反面、口はあまり動いていなかった。

 

 お互い、無言で手を握りながら街を歩いていた。こういう時に、いったい何を話すのが正解なのだろうか。“男女の恋人”などという存在に今まであまり意識を向けてこなかったせいで、どうしても知識が不足していた。

 

「――ずっと」

 

 ふいに、玲利は言葉を漏らした。手に籠る力も強まった気がする。俺はそれを受け入れるように、ぎゅっと彼女の手を握りかえした。

 

「……こうしたい、って思っていた」

「…………そう、か」

 

 それは、いつからなのだろうか。

 玲利が男だった時には、たしかに――なんとなく、それらしい感じはあったが。それでも、はっきりと俺を好いているという確信はなかった。いつの頃から、そういう感情を抱いていたのか。今さらながら、疑問が浮かんだ。

 

 ――もっと、早く気づいていれば。

 そんな思いが、やはり湧き上がってしまう。それはおそらく、後悔なのだろう。

 玲利が男だったうちに、ちゃんと俺が気づいて。そして、正直に言ってやれば。

 もしかしたら、こんなふうに、玲利が女になってしまうこともなかったのではないか。

 

 そんなことを、どうしても考えてしまうのだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 

「――映画の予約って、便利なんだね」

 

 隣で玲利が感心したように言う。

 ぶらぶら歩きつつ時間を過ごし、そして少し余裕をもって映画館に到着した俺たちは――発券機の前で機械を操作していた。

 

 事前にネットで座席予約をして、支払いも済んであるので、あとは購入番号などを入力してチケットを出すだけである。俺も初めての経験だったが、やってみればなるほど簡単だった。今回のようにカップルで行くときは、隣り合った座席を好きに選べるのでなかなか都合がいいシステムである。

 

「ほら、チケット」

「ありがとー」

 

 俺は片方の券を、玲利に手渡す。支払いはこっちが一括して済ませて、あとで彼女から代金を受け取る形だった。ちなみに親からクレジットカードを借りて決済したので、両親には今日のデートは把握されていたりする。……親からどんな言葉をかけられたのか、もはや語るまでもないだろう。

 応援しているのか茶化しているのかわからないような言葉を思い出しながら、俺は玲利と一緒に目的のシアターへ向かった。観る予定の映画は、以前に話題になったミステリー小説を実写映画化したものだ。デートのチョイスとしては少し渋い感じもするが、お互い原作を読んだことがあったので、じゃあこれで、となったのだった。

 

「えぇーと……Eの7……」

「あっちだな」

 

 売店でドリンクを買ったあと、シアターに入った俺たちは座席番号を確認しながら、自分たちの席へ向かう。映画自体は公開から少し経っているとはいえ、さすがに休日だからかそれなりの客入りだった。ミステリー小説が原作の映画なだけに、観客の年齢層はやや高いようだ。

 

 目的の席にたどり着くと、俺たちは椅子に腰を下ろして一息ついた。まだデートを開始してから一時間も経っていないが、やや気疲れがあるのは否めない。それはおそらく、玲利も同じことだろう。こうして座って時間を過ごせる映画館をデートプランに入れたのは、体力的にも精神的にも良かったかもしれない。

 

 ときおり飲み物で喉を潤しつつ、玲利と雑談を交わしているうちに――上映が開始される時刻になった。

 わりと作品自体にも興味があった俺は、真剣に鑑賞しようと思っていた――のだが。

 

 三十分くらい経って、姿勢を変えた際にひじ掛けに少し手を乗せた時。

 その機会を見逃すまいと言うかのように、玲利の手が俺の指の上にかぶさってきた。

 視線を横に向けると、玲利はやや下のほうに目をそらしている。無言ではあるが、“こうしたい”という要望がありありと伝わってきた。

 

 ……仕方ない。

 と、俺は内心で苦笑しながら、手の向きを変えた。手のひら同士を向け合う形にして、指の間に指を絡める。二人の手は、一つになって重なっていた。

 その状態のまま、玲利は指を揺り動かして、こちらの手をさするような行為を繰り返す。肌がこすれ合うたびに熱と、そして柔らかい感触が生まれる。どこか官能的な色っぽさもあるスキンシップだった。

 

 むかし、映画館で映画そっちのけでイチャついているカップルを見て、目障りだなと思ってしまった過去があるのだが――

 まさか、自分がこうして同じような立場になるとは。

 俺は微妙な心境になりながらも、玲利との手の愛撫を続けながら映画を見ることにした。

 

『ずっと――こうしたい、って思っていた』

 

 ふと、玲利の言葉を思い出してしまった。

 彼女はこうして、肌と肌をくっつけ合うような関係になりたかったのだろう。思い返してみれば、男だった時でも機会があれば体を近づけるしぐさをしていた。玲利なりにアピールをしていたのだろうか。

 俺は自分が鈍感ではないと思っていたが――本当はそうじゃなかったのかもしれない。

 自分に対する不甲斐なさと、相手に対する申し訳なさを感じながら、玲利の手を優しく握る。そこに込められている感情に、はたして彼女は気づいているのだろうか。いや――

 

 伝えなければならないのだ。

 身振りやしぐさ、表情などではなく。きちんとした言葉で。

 

 デートの最後に予定している告白。

 俺の意識は、今やはっきりとそこに向いていた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 映画を観たあとの昼時。

 俺たちは少し歩いたところにある、パスタ店で食事を取ることにしていた。

 やや順番待ちがあったものの、無事に店内に入ることができ、注文も済ませて。料理が来るまでに話すことは、もちろん映画のことだった。

 

「面白かったな。原作を読んでいたからオチがわかっている……と思ってたら、かなりアレンジしていたし」

「うん……途中から展開が変わっていてビックリしたね」

 

 原作のミステリー小説自体に叙述トリック要素などがあったのだが、さすがにそのまま映像化すると演出が面白くなくなるので、独自のストーリー展開で魅せる作風にしたのだろう。事件の成り行きの変化も、序盤の伏線がきちんと影響していて納得できるものだった。

 

「中盤くらいにあった、警察署でのやり取りもさ。原作と話している内容が違うから気になってたんだけど、ちゃんと伏線になってたしな」

「えっ……そ、そーだったんだ?」

「おいおい……映画に集中してなかったのか?」

 

 俺は茶化すように笑った。玲利が手の触れ合いに意識を向けすぎていたのは明らかである。その自覚もあるのか、彼女は淑やかに頬を赤らめて、ごまかすように「えへへ……」と笑った。愛嬌の感じる反応である。

 

 そんなふうに、映画や原作について談義を楽しみつつ。食事もゆったりと済ませて。

 店を出た頃合いは、午後一時半といったところだった。ようやくデートも半分が経過したところである。

 

「疲れてないか?」

「だいじょーぶ!」

 

 はつらつと答えて、玲利は腕に抱きつくような勢いで、俺の手を握ってきた。午前にあれだけスキンシップを重ねてすっかり慣れたのか、恥ずかしがる様子はどこにもない。

 

 その自然な触れ合いは――穏やかで心地よさがあった。

 手を繋ぐという行為は、思っていた以上に……そう、悪くはなかった。

 

「…………」

 

 手のぬくもりに感じるのは、愛着というやつなのだろうか。そんなことを考えながら、俺は玲利と次の目的地へ向けて歩いた。

 最初に待ち合わせをした駅に戻り――電車を乗って、三駅となりの場所へ。

 その到着した駅の近くには、市立の水族館があった。それなりに規模も大きく、デートにもちょうどいいスポットである。午後はそこで時間を過ごすプランになっていた。

 

「……ボク、こういうところ久しぶりかも」

「俺もだな。去年に美術館とか行った覚えはあるけど……水族館は小学生以来か」

「なかなか機会がないと、足を運ばないよねー」

 

 そんな雑談をしながら、チケットを買って入館する。順路は決まっている造りなので、道にそって魚などを見てまわる形になるが――

 

「……冬也くん。説明文、ちゃんと読むタイプ?」

「読む。動物園も美術館も水族館も、ぜんぶ読む」

「ま、マジメだーっ! ……ボクも読むけどね?」

「団体で行った時なんかだと、自分だけ遅れるんだよな。一つ一つ、目を通すのに時間かかるし」

「あるあるー。……でも、今回はゆっくり見てまわれるね」

 

 そう笑うと、玲利は俺の左腕にそっと抱きついてきた。女性特有の柔らかい部分が、俺の腕と接触する。……手を繋ぐことよりも、もっと積極的なスキンシップだった。

 俺は咄嗟に周りに目を向ける。さすがにカップル客も多いからか、人からの視線は感じなかった。駅前ならともかく、デートスポットではこれくらい許容範囲といったところだろうか。

 

「……そうだな」

 

 俺は苦笑を浮かべて、腕を玲利の好きにさせることにした。今日はデートなのだから。

 そんなふうに。ほとんどの時間で密着しながら、俺たちは水族館を普通の客より遅いペースで巡ってゆく。有名な魚から、あまり聞いたことがない海の生物まで。解説板を一つずつ読んで、その情報を玲利と話題にしながら、のんびりと進んだ。

 

「――オキナワベニハゼ。……この、ちっちゃくて赤いのかな」

 

 サンゴ礁域に住む魚の水槽。その解説に、俺は軽い気持ちで目を向けた。

 その名前のとおり、鹿児島や沖縄、台湾などに分布するハゼ科の魚類らしい。特徴的なのは、環境の条件によって――

 

「……性別、変わっちゃうんだ」

 

 玲利が、ぽつりと呟いた。

 ――性転換。その群の中でオスがいなくなると、メスが性別を変化させてオスとなる特性を持っているようだ。サンゴ礁を棲み処としている魚の中には、性転換をおこなう魚類がいろいろいるのだと書かれていた。

 

 もっとも、それは魚の話で。

 哺乳類には、無縁な事柄――の、はずだが。

 

「……なんか、親近感」

「お前は魚じゃないだろ」

 

 俺は笑ってツッコんだ。

 性別が変わった人間。それは、今まさに隣に存在していた。学者に言っても、誰も信じないような現象だ。ただ知っているのは、俺と玲利の二人だけだった。

 

「なんで魚は性転換するのかな」

「子孫を残すための進化だろ」

「……ふぅん」

 

 玲利は今までよりずっと強い力で、俺の腕を抱きしめた。まるで不安を抱いている子供が、縋りつくかのように。ぎゅっと華奢な体を、こちらの腕に結びつける。

 

 魚が子孫繁栄のために性転換をするのなら、玲利も同様だというのだろうか。バカげた話である。そんなはずはなかった。

 人間は、そんな単純に生物学的なことだけでは語れない。あえて結婚をしない生き方を選ぶ人だっているし、同性の相手と人生をともにすることを選ぶ人だっている。規定された在り方など、ありはしないのだ。

 

「……そろそろ、次にいこうぜ」

「……うん」

 

 微妙な雰囲気を変えるために、さっさと先に進むことにした。今日はデートなのだ。必要なのは、楽しい時間を過ごすことだった。

 次の展示に行ってしまえば、興味も新しいことに向いて、俺も玲利もふたたび明るく会話をしはじめる。とくに海鳥やペンギンなどの場所に着いた時は、めずらしく玲利ははしゃいでいた。魚より、鳥類のほうが可愛くて好きらしい。女の子っぽいな、と俺は内心で笑った。

 

 そんな感じで、存分に水族館を満喫しながら――

 すべての展示を回りおえて、出口近くの売店に入った時。

 玲利は棚に置かれた、やたらデカいイルカのぬいぐるみを指差した。

 

「――こ、これ、買わない?」

「高いし、持って帰るの大変だろ……」

「む、むぅー……」

 

 物惜しそうに、ぬいぐるみを撫でる玲利。残念ながら、まだデートプランは残っているのだ。こんな大きな荷物を持っていたら……その、なんだ。雰囲気もちょっとぶち壊しである。

 

 玲利はどのグッズも興味ありそうに眺めていたが、キーホルダーの商品に目を留めたようだ。立ち止まった彼女は、いろいろ手に取りつつ、じっくりと吟味して――

 

「……これ、一緒にどう?」

 

 俺に見せたのは、イルカのキーホルダーだった。デザインは男性が持っていても違和感のない感じである。値段も高くはなかった。

 お揃いのアクセサリーとしては、ちょうどいいだろう。デート記念に購入するのにはピッタリだった。

 

「色は、どれにする?」

「ボク、水色がいいかなー」

「んじゃ、俺はこれにする」

 

 玲利は水色、俺は濃い青色にして、それぞれキーホルダーを購入した。

 付けるとしたら、スクールバッグがいいだろうか。二人とも学校に持っていくとなると、クラスメイトから惚気カップルのように見られてしまいそうだが……まあ、今さらな話か。

 

 もはや世間からの認識は、完全に恋人同士なことを自覚しつつ――

 俺と玲利は、キーホルダーを土産にして水族館を出た。

 

 ずいぶんスローペースで動いていたため、時刻は午後五時くらいになっていた。ただ夏の季節なので、空は昼と見間違えそうなほど明るい。まだ家路を急ぐ必要もなかった。

 つまり――デートには、時間が残されているということだ。

 

「うーん……! 楽しかった……!」

「疲れは大丈夫か?」

「うんっ、へーきっ」

 

 玲利は元気そうに答えて、手を勢いよく握ってくる。いくらでも歩きまわっていられそうな様子だった。あるいは、疲れを忘れるほどに夢中になっているのだろうか。

 ぶらぶらと散策をしつつ、俺たちは駅のほうへと戻り。ふたたび、玲利の自宅の最寄り駅まで戻ってきたのは、午後六時手前くらいだった。さすがにこの時間になると、空はかすかに宵の気配が漂ってきている。

 

「――公園のほうに、行くか」

「……うん」

 

 デートプランの、最後のスポットである。

 今日の終わりが近づいてきていることを理解しているからか、玲利の声色は少し寂しそうだった。そして、わずかに緊張も抱いているように感じる。これから、どんなやり取りを予期しているのだろうか。

 

 ――いろいろ、話したいことがある。

 事前に、そう伝えてはいた。ただ、内容については口にしていなかった。彼女は、俺が何を言うつもりなのだと考えているのか。はっきりとした愛の告白か、それとも――

 

 思考を重ねているうちに、都市公園の入り口が見えてきた。それなりの敷地がある場所なので、ここを利用する近隣住民は多いようだ。さっきまで公園で遊んでいたのだろうか、サッカーボールを持った小学生たちが帰っていく姿があった。

 子供にとっては帰宅の時間だが――俺たちは高校生だ。夜の公園にいたって、問題はないだろう。

 

 玲利と手を繋ぎながら、公園の中へ入ってゆく。休日なだけあって、ちらほらとカップルらしき男女が目に映った。きっと、ほかの人からすれば、俺たちもそういう関係の二人と見られているのだろう。

 

 公園の奥のほうへ、あまり目立たない場所を目指して歩き。ひと気のないベンチにたどり着いた俺たちは、ゆっくりと腰を下ろした。手は、繋いだままで。

 

「…………」

 

 無言だった。何をしゃべったらいいのか、少し迷うところもある。とりあえずは――何か話題を出そう。

 

「……どうだった? 今日の“デート”は」

「うん……最高だった」

 

 玲利はそう笑って答えて、甘えるように俺の肩へと身を寄せた。もはや体を触れ合わせることにも、お互いに慣れてしまっていた。そう……それは、本当の恋人のようだった。

 

 ――悪くはない。

 

 そう感じたのは、まぎれもなく本心だった。

 こうして玲利と、近くに、そばにいること。一緒に何かしたり、どこかへ行ったりすること。親密なスキンシップを取ること。何もかも――悪くはなかった。

 もっと、はっきりと言ってしまえば。

 好きだ――

 

「――好きだよ」

 

 言葉を口にしたのは、玲利のほうだった。

 彼女が俺を好いていること――そんなのは、百も承知である。ただ、こうしてはっきりと声に出して伝えてきたのは、これが初めてだった。

 

「……いつぐらいから、そうだった?」

「んー……はっきりした時期はわかんないなぁ。……でも、学校で一緒にいるうちに。少しずつ……かな?」

「……なるほど、ね」

 

 世の中には一目惚れなんていう言葉があるが、人がひとを好きになるのが、すべてそのパターンであるとは限らないだろう。日常生活の中で、相手の性格や趣味や振る舞いや考え方などを知って理解するうちに、徐々にその人に惹かれていくという場合もある。

 初めはとくにその気がなかったとしても――時間の経過とともに特別な感情を抱くようになるというのは、ごくごくありふれたことだった。

 

 自分の内心を振り返ってみれば。

 玲利と過ごしてきた時間は、たしかに俺の心に大きな影響を与えてきていた。

 一目惚れなどとはまったく異なるが、それでも間違いなく言えることがある。

 

「――俺も、玲利のことが好きだ」

「…………」

 

 反応は、手に返ってきた。強く握りしめられたそれは、嬉しさの表れだったのだろう。彼女の顔をうかがうと、どこか恥ずかしそうに緩んだ笑みを浮かべていた。

 

 ――俺の言葉に、嘘はない。

 

 だが、おそらく。

 玲利は勘違いをしている。

 俺の本当の考えや気持ちを、理解してもらう必要があった。

 

「…………」

 

 何から説明をすればいいのか。

 デートを決めてからさんざん考えていたはずなのに、いざその時になると切り出し方が見つからない。俺は口下手ではないし、伝えたいことも理解しているはずなのに――どうしてか、言葉を紡ぎだせなかった。

 

 ――胸が、高鳴っている。

 それは緊張の証だった。手を繋いだり、その胸に腕が当たったりしても動じなかった俺の精神が、今は平静を失いつつあった。

 なぜか。その理由はわかっている。俺は彼女に伝えようとしているからだ。俺が、玲利を好きと言った本当の意味を――

 

「ね、ねぇ……」

 

 沈黙を打ち破って、彼女はおずおずと口を開いた。その声色は、少し震えていた。

 玲利は上半身をこちらのほうへ向け、目線を斜め下にそらし、そして体をもう少しだけ近づけてくる。

 

「……その…………」

 

 何かお願いをしたいような様子だった。俺はすぐに気づいてしまう。彼女がどんなことを求めているのかを。

 デートで、日が沈みつつある公園で、ひと気のないベンチで座っていたら。カップルがする行為など、もはやお約束のようなものだろう。

 

 玲利は、頬を赤くしながら言った。

 

 

 

「き……キス、したいな……」

 

 

 

 もう、逃げられない状況だった。

 ここで流されれるままに、本心を伝えずに、恋人であることを完全に認める、玲利との口づけを交わしてしまったら。

 俺は絶対に、後悔をしつづけるハメになるだろう。

 

「――その前に」

 

 ようやく、口を開くことができた。

 

「玲利に伝えておきたいことがある」

 

 俺はいま、どんな表情をしているのだろうか。不安そうな顔をしているのか、それとも無表情なのか。言葉を声に出すのが精いっぱいで、感情表現まで気を配る余裕がなかった。

 

「……なに……?」

 

 せっかく恥ずかしさを呑んで提案したキスのことを、中断されてしまったからだろうか。玲利は心配そうに、恐れるかのように、俺の顔色をうかがっている。

 

「俺が玲利のことを好きだって、言ったのは……たしかにそうなんだけど……」

 

 口調がはっきりしない。自分の感情を、理路整然と説明するのは難しかった。どうしても……感情的な口ぶりになってしまう。

 

「あー……たぶんさぁ。玲利は……自分が女になったから、俺がお前のことを……こう……異性として好きになったんだと、思っているんだろうけど――」

「……違う、の?」

「まあ、はっきりと言ってしまえば」

 

 その瞬間、玲利は――すべてを失ってしまったかのような表情を浮かべた。今までの出来事が、みんな泡となって消えたかのような。そんな絶望的な顔だった。

 

 違うッ!

 そうじゃないって、俺が伝えたいのは。

 

「……そう、なんだ…………」

「いや、そうじゃなくて」

「……だって……ボクのこと、好きじゃないって……」

「だから、そういう意味じゃなくて! 俺はお前のことが好きなんだよ」

 

 俺は頭を掻きながら、思わず顔をそむけてしまった。どうも意思疎通がうまくいかない。俺はこんなに話が下手だったのか。

 

 まるで――自分の恋心を初めて告白するかのような心境だった。

 玲利が女になってから、ずっと。一歩引いたような視点で、彼女が俺に接するのを眺めていたが。

 これまでの彼女の心情は、きっと今の俺と同じような感じだったのだろう。

 

 そして、そんな彼女は。

 恥ずかしがったりしながらも、俺に好意を伝える言葉を紡いだり。勇気を振り絞って、俺と体を触れ合わせてきたり。ちゃんと気持ちを表現してくれてきたんだ。

 だったら――俺も、やらなくちゃいけない。

 

「俺は――」

 

 言葉が詰まった。

 ――息を、整える。

 大きく呼吸をして、心身を少しだけ楽にさせる。

 

 大丈夫。言葉は出る。

 顔はやけに熱かった。きっと、赤くなっているんだろう。

 玲利が恥ずかしがるのと同じように。

 

 顔をそむけたまま、固唾を飲んだ俺は――

 

「俺は、お前のことが――」

 

 ようやく。

 ――告白をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――男だった時から、好きだったんだよっ!」

 

 ――言った。

 言って、しまった。

 

 なんて恥ずかしいのだろうか。顔から火が出るような思いだ。女子に告白する男子の気持ちを、今になってようやく理解してしまった。

 ずっと、思春期を迎えても異性に興味を持っていなかった俺が。

 玲利と学校で日常を送るうちに、ああ、コイツともっと一緒にいたい、と想うようになっていた。

 それがはっきりと、好きなのだということだと知ったのは。玲利が女になってしまってからだった。

 

「いや、その……べつに、お前が女であってもさ。玲利は、玲利だから……好きって気持ちは変わらないんだけど、さ」

 

 たとえ今の玲利が、女性であったとしても。彼女と一緒に時間を過ごすことは、本当に楽しいと感じるし、これからも一緒にいたいと思える。だから、彼女とそういう関係になることは何も問題がなかった。

 ただ、それはそれとして。

 

「こう……俺としては、お前が男だった時のほうが……。その、なんだ。ええと……こう言うのもアレかもしれないけど……こ、好みだったっていうか……」

 

 告白に混乱しすぎて、言葉をはっきりと口にしすぎだった。目が回りそうな感覚だ。今の俺は、平常心からかけ離れていた。

 ――まあ、もとから女の子っぽい容姿をしている玲利ではあるが。

 それでも。髪が長くなって、胸が豊かになった彼女を見て、俺は自覚せざるをえなかった。

 髪が短くて、胸のない、中性的な玲利のほうが好きだったんだな、と。

 

「いや、その。俺が言いたいのは……お前が女になったから好きなったんじゃなくてさ。もとから、玲利という人間が好きだったっていう――」

 

 そこで、俺は初めて玲利のほうを向いた。

 はたして、彼女はどんな顔をしているのか。予想外すぎて、驚いているのだろうか。あるいは、男のほうが好きだったと言う俺に対して、あまり良くない感情を浮かべているのだろうか。

 不安に支配されながら、おそるおそる彼女の顔色をうかがった俺は――

 

「――自分が女の子だったら」

 

 玲利は真摯な瞳で、ゆっくりと語りだしていた。

 

「冬也くんと、恋人になれるんじゃないかって……そう思っていた」

 

 その声には、想いがこもっていて。

 

「だから……そんなふうに願った、けれど……」

 

 思わず抱きしめたくなるような、愛おしい玲利の姿があった。

 

「そんな、必要……なかったんだね」

 

 あはは……と、苦笑するような表情を浮かべる。

 俺は、そんな玲利の言葉を。ただ黙って聞いているしかできなかった。

 いや――というか。唖然としすぎて、声を発することもできなかった、というほうが正しいのか。

 俺の様子がおかしいことに、ようやく玲利は気づいたのだろうか。「と、冬也くん……?」と、名前を呼び、そしてようやく――自分の身の異変に気づいたようだ。

 

「あ――ぁ、あれ……?」

 

 玲利は愕然としたように。あるいは呆然としたように。口を半開きにさせながら、自分の胸に手を当てた。

 ――そこに、女性らしい膨らみはいっさいなかった。

 胸だけではない。髪も肩を越える長さがあったはずなのに、今は短くなってしまっている。

 なまじ服装が変わっていなかっただけに、理解するのに時間がかかってしまったが。

 つまるところ――

 

「も……戻っちゃった……」

 

 困惑したような笑みを浮かべながら、“彼”はぽつりと言葉を漏らした。その声も、まさしく男だった時の玲利そのものだった。

 咄嗟に、彼の右耳に視線を向ける。そこには、俺がプレゼントしたイヤーカフが変わらず付けられていた。どうやら玲利が女だった時に買ったモノは、“なかったこと”にされずに済んだようだ。

 ほっとしつつ、そういえば……今日の朝、玲利がデートの服を「新しく買った」と言っていたことを思い出す。なるほど、だから男に戻ってもワンピース姿のままだったのだろう。

 

 ということは、今日の俺は――

 女装した玲利とデートしていたことに、現実が変わっているようだ。

 ……うん。まあ、いっか。些細なことだし。

 

「――女だった時より、似合ってるぞ」

「えぇー!? 何それー! おかしくない?」

「おかしくない。今のほうが可愛い」

「か、か……かわいい……?」

「ああ」

 

 頬を赤らめながら、満更でもなさそうな表情で嬉しがる玲利。さっきまで女だったからか、振る舞いが妙に女の子っぽい。とはいえ、それはそれで愛らしさがあって素晴らしいのだが。

 

 脳みそが惚気に支配されている気がするが、まあ今日くらいは許されるだろう。

 なんと言ったって――初めてのデートの日なのだから。

 

 全身に湧き上がるような充足感が心地よかった。この満ち足りた気分は、幸福というやつなのだろう。いま目の前に、理想の恋人がいる。それは何よりも嬉しく、安らかな心境だった。

 俺はふっと笑うと、玲利の肩に手を置いた。それにビクっと、彼は緊張したような反応をする。

 

「な、なに……?」

「さっきの続き」

「あっ……ぅ、うん……」

 

 その言葉を理解したのか、玲利は恥ずかしそうな微笑を浮かべて――ゆっくりと目を閉じた。

 こちらに顔を向け、静かに行為を待っている彼は、淑やかで可憐な魅力があった。その唇は上品で艶っぽく、視線を向けているだけで胸が高鳴ってくる。……自分は思った以上に、玲利に惚れていたらしい。

 

 ――玲利が女になってくれて、よかった。

 今では、そう思えていた。あのまま、もし男のままだったら。お互いに気持ちを隠し、ごまかしたまま、付き合いつづけて。そして何事もなく、関係が進展しなかったかもしれない。

 だけど、“彼女”が俺に好意を伝えてくれたからこそ。俺はちゃんと、自分の想いを言葉にすることができた。そして、“彼”と大切な関係になることができた。

 

 秘めた感情は、この一瞬の間で回想するには短すぎる。

 またいずれ、玲利と話そう。

 彼が女の子になって、夜中に電話をかけてきた時のこと。翌日の学校で、初めてその姿を見せた時のこと。昼休みに、恋人に見られることが嫌じゃないかと聞かれた時のこと。帰り道で、体を触れ合わせた時のこと。誕生日プレゼントに、イヤーカフを貰った時のこと。家に寄らないかと誘って断られて、すぐ俺がデートを提案した時のこと。そして今日のデートの、数えきれないほどのやり取り。

 それを二人で思い返して、一緒に語り合いたかった。

 

 確かに存在した、女性としての玲利との想い出を。けっして忘れることなく。

 すべてに感謝しながら――いま、この瞬間を。

 大切に、幸せに感じよう。

 

 

 

 

「――お前のことが好きだ、玲利」

 

 そっと、やさしく、愛情を込めて。

 ――その唇に、柔らかくキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
 最初からすべての構成を考えてはいたものの、実際にオチまで書ききるのに少し時間がかかってしまいました。当初の想定よりも、やはり大幅に文字数が増えましたね。ですが、そのぶん物語の質も高くなったかなと思います。

 最初からタグで警告していたことから、おそらくこのオチを予想した方も多いと思います。個人的には叙述トリック的に見せたい気持ちもありましたが、やはり内容が完全にBLなこともあるので、あえてそれは周知させる形にしました。
 TSFが好きでも、男とくっつく展開は嫌い、というタイプの人もじつはけっこう多いので、その辺の配慮が難しいところですね。

 この作品に関しては、TSのジャンルとしてはちょっと異質な内容になりました。男に戻るまでは「適正化TSF(もともと女の子っぽい男性が、女性にTSするジャンル)」ですが、男に戻るとBL(+女装)というニッチな要素がてんこ盛りですね。
 TSをきっかけに男に戻って結ばれる、というジャンルをなんと呼べばいいのか。
 ……TSホモ?

 まあ、その辺は置いといて。

 TS娘が男に戻るなんて許せん! ホモじゃねえか!
 という方のために、男に戻らない短編も新たに執筆いたしました。よろしければ、そちらもご覧ください。

ハーメルン:
https://syosetu.org/novel/196431/
ミッドナイトノベルズ:
https://novel18.syosetu.com/n9227fp/



 ところで、いろいろとTS作品を眺めたりしていて思うのですが、どうして主人公がTSする作品ばかりなんでしょうね。
 にわかTSFファンとしては、TSヒロインのほうが好きなのですが……ううむ。流行らないものですかね(皆さん書いて)。

 さて。
 この作品は完結という形になりましたが、もしかしたらまた、オマケだったり何だったりを投稿するかもしれません。
 その時は、どうぞよろしくお願いします。

 今後も、ホモがTSしてホモするTSホモが流行ることを祈りつつ。

いちばん需要あるのはどれ?

  • 別視点や後日談のような、短いストーリー。
  • 続編的なストーリー。
  • 18禁版のオマケストーリー(ホモセッ…)
  • どれもいらない。
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