伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 ポーン……

 

 時計の鐘らしい低く澄んだ音が、ひとつだけ、部屋のどこかで鳴った。

 

「オドネルさん」

 

 俺は意を決して口を開いた。

 

「助けていただいてありがとうございました。でも僕、本当はあなたの助手じゃないんです」

 

 ……って、彼は俺の話をぜんぜん聞いてない。床のガラクタを蹴散らしながら、秀麗な横顔に子どもみたいな笑みを浮かべ、部屋中をのし歩いている。

 

「魔道士とはまた、さっきの彼もずいぶん古めかしいもの言いをしたものだ。私としては()()()と呼んでもらいたいんだがねえ」

「あの」

「きみみたいな若い子は知らないかもしれないが、ほんの百五十年ばかり前までは、この国にも大勢の魔法士がいたんだよ。だが、近ごろはとんと平和になってしまったからね。ま、アセルスだけじゃない。どこの国でも似たり寄ったりさ」

「あのう、オドネルさん」

「さあ、ぼやぼやしている暇はないぞ! 仕事仕事!」

 

 パンパン、と、オドネルは手をたたいた。──しかたがない。俺は腹をくくり、とりあえず散らばった書類を拾い集めることにした。これが多少なりとも、お詫びとお礼になればいいんだけど。

 

 若い子、なんて言うけれど、オドネルだって、そう年を取ってるようには思えない。三十前のマクス兄さまと、同じくらいじゃないのかしら。

 

「カイルくんはご存じかな? この大陸にはあまたの迷宮があり、今はもう打ち捨てられているけれども、魔物がたくさんいたころには、多くの冒険者が宝を求めて旅に出たものなんだ。ああ、古きよき時代に生まれてみたかったねえ……!」

 

 俺んちの本にも魔物退治や財宝探しの冒険譚は結構あったから、その辺のことならいくらか知っている。オドネルがたとえに出した、ルクトレアの竜王の物語──『トニ=ルクトレアの竜退治』なら、きっと王都の子どもたちだって、みんなが読んでいるんじゃないのかな。

 

 三百年ほど前にすべての財宝が取り尽くされたといわれ、それからは冒険者も減り、財宝を奪い合う争いもなくなった。それにともない、なぜか魔物も減っていき、平和になった国々では徐々に軍備が縮小され、いつしか魔法をもって国に仕える魔法使い──魔法士もいなくなってしまった、とオドネルは言う。

 

 巨人が紙ふぶきをまいたみたいにとっちらかっている書類の多くは、公的な建物を使用する際の手続きや、予算申請に関わるもののようだった。煩雑な形式にやけを起こしたオドネルが、ぶん投げでもしたんだろうか。時々彼のものらしい、達筆な走り書きも混じっている。

 

 書類のあらかたを集め終えるのに、かなりの時間がかかってしまった。大きさごとにそろえた分厚い紙のたばをいくつか積み上げたとき、オドネルは扉近くの大机の()に陣取り、周りには何冊も本を広げていた。

 

「これなどは、先週アボット男爵からお借りしてきたものだがね。アボット家は魔法士の家柄だよ。今ではもう魔法を使えるものはいないそうだが、先祖の日記が残っていると聞いたのでね。これがじつに面白い」

 

 わかる。気持ちは非常によくわかる。──けれど、この部屋が片付かない理由もよくわかった。彼は本を整理するふりをして、あっちの本をこっちに広げ直しているだけなんだから。

 

 オドネルが突然、がば、と、身を起こした。

 

「おお、こうしちゃおれん! カイルくん、お茶のセットを探すんだ。可及的すみやかに!」

 

 今度はなにを言い出すのか──お茶のセットって、カップとか、ポットとか?

 

 あきれている暇はない。早く早く、とオドネルは俺をせきたてる。言いながら、自分でもバタバタと本だの箱だのをひっくり返し始めた。どうにも裾が邪魔でしかたがないらしく、またローブをたぐり、腰に大きな結び目をこしらえている。

 

 しかし、こうも雑然としていては、見つかるものも見つかるわけがない。オドネルはすぐに音を上げてしまい、せかせかと俺を制した。

 

「カイルくんは下がっていたまえ」

 

 高々と右手を上げる。「……『魔法の力はわが手に宿る』」

 

 まるで雨が降るのを確かめるときみたいに、手のひらを天井へ向ける。

 

「『破る力は右の手に 護る力は左手に』」

 

 俺、これ、知ってる。

 

「『言の葉は 示すものへと伝わりぬ』……」

 

 自分が想像した事象を魔法として現すための、基本の呪文(ことば)だ。──黒衣の魔法士の口の端には、不敵な笑みが浮かんだ。

 

「『大地を支えるアクタナシスよ なんじが母なる精霊の名において……ゆるめよ(まるふぃくす)』」

 

 くるり、と、オドネルが手のひらを返した。

 

 重ねた書類がめくり上がる。本の山が揺れる。棚や箱が、ガタガタと音を鳴らし──宙に上がり始めた!

 

 床から突き上げられるような、強い力を感じる。自分の体まで浮き出しそうな心地がして、俺は近くの机の角にしがみついた。

 

「──そこだッ!!」

 

 オドネルが鋭く指すほうを見る。向こうの小机の上、五十センチばかり浮かんだ書物の山の谷間の辺りに、陶器のつるりとした光が見えた。

 

 銀のお盆に載ったカップやソーサー、ティーポット、スプーンなんかがカタカタ揺れている。俺があわてて駆け寄ると、ただでさえたわんでいた本の塔が、こちらへ崩れてきた。

 

「カイルくん! 無事かッ?!」

「は、はい!」

 

 飛び上がる寸前のお盆をつかむ。「──捕まえました!」

 

 ふう、と、オドネルが体の力を抜いて、どさりと椅子に座り込んだ。──次の瞬間、部屋中のあれやこれやが、床をめがけて雪崩のように落ちてきた。俺がたっぷり一時間はかけて拾い集めた書類が(くう)を舞い踊り、埃がもうもうと立ち昇る。

 

 なるほど……探しものが見つからないと、いつもこんなことをしているのね。

 

「これは、いっぺん洗ってこなければ」

 

 オドネルは埃まみれになったカップのふちに指を添わせ、顔をしかめた。

 

「僕、行ってきましょうか」

 

 と、俺が申し出たときだ。

 

 なにかを呼ぶような、か細く甲高い声がした。

 

「……………しょー……」

 

 空耳じゃない。なんの声だ?

 

「……しーしょー……早く、開けてー……」

「おや」

 

 オドネルがいそいそと立ち上がった。「弟子が帰ってきたようだ」

 

 弟子? 助手じゃなくて?

 

「おっと」

 

 思い出したようにオドネルはローブの裾を下ろし、えへん、と咳払いをして扉を開ける。

 

「ローランドくん、お疲れさま」

「師匠、ただいま戻りましたー」

 

 大きな荷を背負い、両手にも包みをぶらさげ、首には袋までかけた()()が立っていた。

 

「ミコシバ家はどうだったかね?」

「思ったよりも、ずっと収穫がありましたよ」

 

 よろよろと入ってきたのは、ローブではなく当たり前の身なりをした若い女性だった。アセルス人に多い栗色の髪をひっつめにして、小づくりな目鼻立ちはあくまでも普通。どこかで会ったことがあるかと思うくらいに平凡で──

 

「これ全部、古い呪文の解析書なんですよ。あそこの夫人はがめついそうなので、あとでふっかけられるかもしれませんが……」

 

 大机へどすんと荷物を降ろしながら、彼女は小さな声でぼそぼそと言う。

 

「東方系ってまめですね。昔の本がこんなにきれいに取ってあるなんて……」

「ふむ、確かに状態はいいようだ」

「こっちが約束のおみやげです──え?」

 

 髪と同じ栗色の瞳が、立ちつくした俺へ向けられた。ややきつめのまなざしが、大きく見開かれる。

 

「……ティ坊ちゃま?」

 

 そんなふうに呼ばれるのは、実家を出て以来初めてだ。俺もぽかんと口を開けた。

 

「もしかして……ユーリ先生?!」

「やっぱりティ坊ちゃま! どうしてこんなところに?!」

 

 びっくりだ。まさか王都で知った顔に出会うなんて、思ってもみなかったから。

 

「先生こそ、どうして?!」

「わたしはここで働いてるんですが……アルノーはまだ大変だと伺ってますけど、皆さまお変わりありませんか?」

「はい!」

「──なんだ、きみたちは知り合いなのかね?」

 

 腕組みをして俺たち二人を見比べるオドネルは、ずいぶん不満げだ。

 

「ええ」

 

 ユーリ=ローランドは、ふくれっつらの師に向かってうなずいた。

 

「ティ坊ちゃまは、わたしが去年まで家庭教師を務めていたお宅の、生徒さんなんです」

 

 

 

 

 


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