伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 テレリア領主、フィリップ=レールケ伯爵の退隠が、正式に決定した。

 

 政府からの公布があった。彼はまだ十四歳の長男に爵位を譲る。アセルス王国では、国王や領主が生前に位を退(しりぞ)くのは珍しい。当然のように、「重い(やまい)のため」と但し書きがついていた。

 

 国王マティウス二世は、ヨハン卿がセドリック=エレメントルートを殺害したのは、自分の命令が原因だと、俺たちに言い切った。しかも事件の直後、ヨハン卿から犯行を打ち明けられたにもかかわらず、ずっと口をつぐんでいた、と述べたのである。国王はエディットに、父の(かたき)を討つなら自分を討て、と告げてまで、自らの責任を主張した。

 

 果たして彼は、どこまで真実を語ったのか──

 

「とても()()()とは思えませんな」

 

 マティウス二世との深夜の対面の翌日だ。執務室でひとくさり語り終えた俺は、秘書のオーリーンから露骨に疑わしげな目を向けられた。彼は国王の告白に少しも納得がいかないようだ。

 

「たとえば、ヨハン卿が陛下に犯行を打ち明けるため王子宮まで出向いたなど、考えられません」

 

 日記に殺人の状況を記したあと、ヨハン卿は正気を保てなかったのだろう。十数(ページ)に渡り、言い訳とも懺悔ともつかない文章を、延々と書きなぐっているそうだ。彼は犯行後しばらくのあいだ、自分の屋敷から出なかったと考えるのが妥当でしょう、と、オーリーンは眉間のしわを深くする。

 

「これはあくまで、僕の想像というか、感触なんですけど」

 

 と、俺は首をひねった。

 

「最初からではないかもしれませんが、陛下はそれなりに以前から、ヨハン卿が義父上(ちちうえ)を刺したことをご存じだったと思うんですよね」

「なにをもって、そうお感じに?」

 

 日記に関する考察を記した紙をたばねるオーリーンは、そっけなさに拍車がかかっている。──彼はゾンターク公爵邸から夜明け前には開放されたが、どうも公爵に関わるたび、生気を吸い取られてしまうようなのだ。銀縁眼鏡の奥の瞳がやさぐれている。なんだか申し訳ない。

 

「僕たちが会ったときの、()()()()()()()言いかたからですよ」

 

 エディットと俺が、彼の書斎へ二人で乗り込んだときだ。

 

「エディットが彼に()いたんです。『王弟殿下はこの件をご存じなのか』って。そうしたら」

 

 ──いいや。シベリウスさまは、なにもご存じではない。

 

「なのに、『では、国王陛下か』と尋ねると……」

 

 ──馬鹿な。妹の夫を、やすやすと殺す兄がいると思うのか。

 

 オーリーンの眉が片方つり上がるのを見ていると、だんだん自信がなくなってくる。

 

「僕の言いたいこと、わかってくれますか?」

 

 きっぱりと首を振られた。「いいえ、まったく」

 

 俺はため息をついてしまう。

 

「いいですか。レールケ伯爵は、『国王陛下はご存じない』とは言わなかったんです」

「なるほど」

 

 秘書の相づちが至極おざなりだったので、俺は少々むきになった。──あのときレールケ伯爵は、はっきりと『私は嘘はつかない』と言ったのだ。あの毅然とした態度が偽りとは、どうしても俺には思えない。

 

「陛下が()()()ご存じだったから、レールケ伯爵も『国王陛下はご存じない』とは言えなかったんですよ。でも、陛下を密告するわけにはいかないでしょう? 嘘はつかず、本当のことも言わずにごまかしたんじゃないでしょうか」

 

 なにもかもとは言わない。けれど、マティウス二世は、もろもろの事情を聞き知っていたのではないか。そしてレールケ伯爵は、マティウス二世を(かば)おうとした。

 

「失礼ながら旦那さま、それは()()()過ぎというものです」

 

 秘書は中指で、軽く眼鏡を押し上げる。

 

「そうでしょうか?」

「ええ。陛下がレールケ卿と通じていたのであれば、ゾンターク公が、われらの味方をしてくださるとは思えませんからな」

 

 あ。

 

 マティウス二世の右腕、宰相ゾンターク公爵は、俺たちの肩を持つ動きを何度も見せている。俺が白金(しろがね)の塔から脱出したときもしかり。エディットと俺が国王に会わせてほしいと頼んだときもしかり。国王がレールケ伯爵と組んでいたなら、国王の右腕たる宰相が、俺たちを贔屓(ひいき)するわけがない。

 

「でも宰相閣下は、国王陛下がエディットに『自分を討て』とおっしゃることを、ご存じだったみたいですよ?」

「それこそ、ゾンターク公が、陛下から全幅の信頼を寄せられている(あかし)でしょう」

 

 なんでも話せる腹心の部下ってこと? それを言うならレールケ伯爵だって国王の元学友だし……むむむ、だんだんわからなくなってきたぞ。

 

 フィリップ=レールケ伯爵、宰相ゾンターク公爵、そして国王マティウス二世──年齢も近い三人の大人たちが、よってたかって俺たちをけむにまこうとしている、ような気がしてきた。

 

「……ともかく私は、日記をくわしく調べてみます」

 

 腕を組んで考え込む俺を見下ろし、オーリーンは大きく息を吐き出した。

 

「国許の父へ、文書のあつかいに慣れたものを回してもらうよう伝えなければ」

 

 春は、別邸に勤める家士たちが入れ替わる時季なのだ。彼らは王都へ赴任して半年から一年ほどで交代し、キトリーに帰る。せっかく慣れたものがいなくなっては、調査にも(さわ)りが出るのだろう。

 

 そういえば、今朝は家士のみんなが執務室へくるのが遅い。このところ根をつめていたから、疲れて朝寝坊をしているのかもしれない。

 

 エディットは当分謹慎を押し通し、屋敷で過ごすと宣言した。ほどなくしてレールケ伯爵退隠の話が世間に広まったから、街中ではもちろん、宮廷雀もたいそう(かまびす)しくさえずっていたようだ。白金の塔でなにやらいざこざがあったあと、エディットが王宮へ行かなくなって久しい。すわ、ひと波乱か、と、人々は興味津々だったと聞く。

 

 (いわ)く、レールケ伯爵は()()の身代わりの人身御供になったとか、黒幕が強権を発動してエレメントルート伯爵夫妻を黙らせたとか、いやいや、内々の取り引きで黒幕が巨額の賠償金を支払って和解したのだ……とか、まあ、好きなように言われていたそうだ。外には出ないことにして、大正解である。

 

 もちろん俺も、エディットに付き合って本邸に引きこもっていた。彼女がずうっとうちにいてくれるので、二人だけで話し、本を読み、ともに眠る。ただそれだけの、非常に幸福な日々が訪れたとも言える。

 

 そんなある夜、エディットが(ねや)の中で、ふいに顔を上げた。──俺の脚を押し開き、内腿に口づけをくり返していた()()()にだ。

 

「……女王になってみるのも、案外悪くなかったな」

 

 佳境を迎える寸前なのだ。ほかのことなどまったく頭になかった俺には、かなり唐突な台詞だった。ようやくなんの話か理解して、あわてて身を起こす。

 

 が、すかさずベッドに押さえ込まれ、あっさりと唇をふさがれた。──それで女王の話は闇にまぎれ、うやむやになってしまった。

 

 久々に妻子に会える家士たちは、嬉々として故郷へ帰っていった。代わりに王都へきたものたちに、なにをしているのか説明するところから始めたオーリーンが、汲々としていたころだ。俺とエディットに一通の招待状が届いた。

 

 王都にはいよいよ春がきて、庭の花水木がたくさんの(つぼみ)をつけていた。差出人は、王弟妃のクララさまである。母上を亡くした王后アントニエッタさまを慰めようと、ガーデンパーティーを開くと書かれている。どうぞお二人でいらしてください──見覚えのある、上品できれいな手跡だ。

 

「どうしましょうか」

 

 俺はエディットに尋ねてみる。彼女は本から瞳を上げて、口元をほころばせた。

 

「カイルはどうしたい?」

「そうですね……」

 

 外の様子を知らせてくれるみんなの話によれば、そろそろ世間は()()の話題に飽きてきたようだ。レールケ伯爵邸の監視の規模も縮小したし、永遠に閉じこもっているのもなんである。これを機に、謹慎を解いてみるのも悪くない。

 

「うん。わたしもそう思う」

 

 エディットはうなずいた。答える声が明るいから、彼女も少なからず人恋しい気持ちになっていたんだろう。

 

 ちょうどその日は、俺の十六歳の誕生日でもあった。

 

「──お二人とも、よくいらしてくださいましたわね」

 

 エディットは近衛騎士の制服で、俺は謁見のときにあつらえた正装で、王弟シベリウス殿下の宮まで出かけていった。クララさまは、こちらが面はゆくなるほど喜んでくれた。──考えてみれば、クララさまには別に彼女自身の宮があるはずだ。王族が子をなしたあともご夫君と同居なさっているとは、なかなかお熱いことである。

 

 うららかな風がそよぐ広いテラスに、主賓のアントニエッタさまが現れた。俺たちはそろって挨拶に出向く。俺が悔やみの言葉を述べると、王后さまは微笑んだ。ぽっちゃりと健康そうだった彼女の頬は、少しく痩せてしまったようだ。

 

「ありがとう、エレメントルート卿。エディットも久しぶりね。また、わたくしのそばに戻ってくれるのでしょう?」

 

 夫のマティウス二世からどこまで聞いているのだろう。俺たちを見る()()()()色の瞳は、おっとりと優しい。おつらいのはアントニエッタさまのほうなのに、気づかってくださっているのがわかり、申し訳なく思う。

 

「はい」

 

 エディットは殊勝な面持ちで瞳を伏せた。

 

「王后陛下にお許しいただけるのでしたら、喜んで」

 

 久々に人前へ姿を見せたエディットの美貌に、うっとりと見とれていた女官たちが、うれしげに手を取り合う。王后さまの表情も、みるみるうちに明るくなった。

 

「ええ、エディット、もちろんよ!」

「長いあいだおそばを離れてしまい、申し訳ございませんでした」

 

 エディットが涼やかに(こた)えると、アントニエッタさまが涙ぐんだようにも見えた。

 

 パーティーはかなりの盛況である。貴族の皆さんはお行儀がいいから、話題のエレメントルート伯爵夫妻を見て、指さす人もいない。

 

 ──日の当たる庭先で、年取った貴婦人たちと談笑する王弟シベリウスの姿があった。相変わらず虫も殺さぬにこやかな笑みで、顔立ちはそっくりなのに、国王のいかにも腹にいちもつ持ったふうの悪人づらとは大違いである。

 

 この人もなあ……と、俺は一人、王弟殿下の笑顔をながめつつ思う。王弟はなにも知らないとレールケ伯爵は言う。国王もすべて自分の責だと言う。とどのつまりは、王弟は()だという意味なのだろうが、俺にはそうも思えない。

 

 俺が(とら)われた、白金の塔の鍵の件が引っかかる。俺を逮捕したザン将軍は、王弟から鍵を(たまわ)ったと吹聴していたそうだ。王弟の側近のレールケ伯爵という道筋(ルート)もあるので、じつに自然な入手経路だ。

 

 レールケ伯爵は、王立魔法学院の再建事業にも関わっていた。王弟が視察にきたときと魔法の会のとき、彼は二度、(あお)の塔を訪れている。魔法士を養成するなら魔法士用の牢獄も整備しておかなければ……とかなんとか、適当なことを言って、王弟から白金の塔の鍵を借り受ける。ありそうな話である。

 

 しかし俺にはどうしても、シベリウス殿下がそんなお人よしの、側近に頼まれたからといって、なにも確かめずにほいほい悪事の片棒をかつがされるような人には見えないのだ。むしろ、俺たちがレールケ伯爵を追いつめ、ひいては国王マティウス二世へせまるのはよろしくないと考えて、レールケ伯爵をひそかに援護すべく塔の鍵を渡した……このくらいの悪だくみをしていても、おかしくない気がする。

 

 じかにご本人へ伺ってみたい気持ちは、もちろんある。けれど、ぜんぜん気が乗らない。うっかりそんなことを尋ねたら、またしても、()()()()()、と言われかねない。あまつさえ「じつはセドリックを刺したのはこの私なんだ」とくらい言い出されても、不思議はないと思う。いろいろ寝た子を起こされてはかなわないので、想像するだけにとどめておく。

 

 俺はきびすを返した。エディットは、アントニエッタさまとクララさまが放さない。俺もなにか飲もうっと。──給仕を探してきょろきょろしていたら、誰かの背中に突き当たってしまった。

 

「す、すみません」

 

 反射的に詫びてから、息を飲んだ。振り返ったのは、つい先ほどまであっちにいたはずの、王弟シベリウス殿下である。グラスを二つ手にしているので、彼も飲みものを取りにきたようだ。()()()()()とは、なんとまめな。

 

「エレメントルート卿じゃないか」

 

 大丈夫かね、などと、あくまでも柔和な声音だ。彼のグラスからワインがこぼれていなくて幸いだった。

 

「王弟殿下、失礼いたしました」

「こんな気楽な席なんだ。堅苦しく考えなくていいんだよ」

 

 目元をなごませ、にこりと微笑まれた。俺はしどろもどろで詫びをくり返し、やり過ごそうとする。

 

 立ち去るまぎわ、俺の耳元で、王弟の声がささやいた。

 

「……エディットは、私たちの大事な姪だ」

「は、はい」

「これからも、きみがしっかり手綱を握って放さないようにね」

「はい」

 

 彼なりの冗談かひやかしだと思った。全身全霊の愛想笑いを返したあと、遅ればせながらドキッとする。──どういう意味? この人、どこまで知ってるの?

 

 急いで振り返る。けれど、彼の後ろ姿は大勢の貴族たちにまぎれてしまい、もう見えない。

 

 そして向こうから、その王弟殿下のご息女、クローディア王女が駆けてくる。

 

「エレメントルート卿!」

 

 後ろにくっついているのは、国王陛下のご子息、テオドア王子だ。俺を見つけたクローディアが輝かんばかりの笑顔を見せたので、少年王子は頬をふくらませてこちらをにらみつけた。

 

 ……あのね、きみのお父上の首は、俺がいなかったらエディットにちょんぎられちゃったかもしれないんだよ? 少しは感謝したまえ。

 

「エレメントルート卿、ごきげんよう。きてくださってうれしいわ」

 

 今年で十歳になるクローディア王女は、銀のまき毛を大人びた形に結い上げ、薄紅色のドレスが、まるで春に咲く花の精のようだ。

 

「わたくし、ずっと本をお返ししなくてはと思っていたの」

 

 はにかんだ笑みで、小さな耳たぶまで真っ赤に染めて、クローディアは言う。差し出された『ダルトンの呪文の書』を受け取り、尋ねてみる。

 

「いかがでしたか? 王女殿下も魔法が使えるようになりましたか?」

「いいえ、やっぱりだめ。きっとわたくしには無理なのね」

 

 残念そうに首を振る。まだ決めつけるのは早いと思うんだけど。

 

「……でも、エレメントルート卿」

 

 クローディアは辺りを見回し、声を小さくした。「こんな、たくさんの人がいるところで……」

 

 おっと、そうだった。クローディア王女とテオドア王子には、俺が変装していた理由を、「魔法使いは他人に真実の姿を見せたら力を失ってしまうから」って言ってあったんだっけ。

 

「あれっ? 王女殿下には、私の赤毛が見えておいでなのですか?」

「え? ええ、もちろん、見えていてよ」

()()にも見えてるからな!」

 

 と、テオドアが横から口を出す。──うるさいなあ、もう。じわじわ伸びてるんだから、ほっといて。

 

 俺は頭をかいた。「おかしいですね。金髪に見える魔法をかけているはずなのに」

 

 クローディアの空色の瞳が丸くなった。

 

「ええっ? 本当に?」

「おい! エレメントルート卿、嘘をつくな!」

「いいえ、嘘なんてとんでもない。私の術を見破るとは、お二方には魔法の才能がおありなんですね」

 

 そうなのかしら、と、クローディア王女はほっぺたに両手を添える。テオドア王子は、()()()嘘だ! と力を込める。

 

「本当ですよ」

 

 俺は笑いながら答えた。明日は久しぶりに蒼の塔へ行ってみよう。──二人を見ていたら、そう思った。

 

 

 

 

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