伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 片付けた大机の上に、オドネルが、ゴトリ、とランプを据える。

 

「ではローランドくん、やってみたまえ」

「はい」

 

 うなずくユーリは、いつになく緊張した面持ちだ。

 

 右手の人差し指を前に出す。彼女の指先とランプの()()とのあいだは、八十センチほど()いているだろうか。

 

「……『シツ』」

 

 ユーリのつぶやきからひと呼吸置いて、円筒形のガラスで覆われた灯心(しん)に、ポッ……と、小さな火が(とも)る。

 

 炎は少しだけ揺れ、やがて、しっかりした明かりが周囲を照らし出した。

 

 オドネルはうなずいた。

 

「教えたことをきちんと理解できているようだね。きみと火精との契約は、有効だ。──おめでとう、ローランドくん」

「ありがとうございます!」

 

 褒められたユーリの頬が紅潮し、オドネルもすこぶる満足げな表情である。

 

「『言の葉は示すものへと伝わりぬ』……ローランドくんも、覚えているね?」

「はい、もちろん」

 

 ふっ、と、オドネルが息を吹く。すると、ほやにさえぎられているはずの炎が即座に消える。彼が指をパチンと鳴らすと、再びランプに火が灯る。

 

「このように異なる種類の点火方法もあり、熟練すれば呪文(ことば)は必須ではなくなる。──ともあれきみは、召喚魔法の初歩を修めたことになる」

 

 ──考えてみれば、『弟子』とはすなわち、教え子のことである。

 

 一方、『助手』とは、単なるお手伝いさんだ。──ささいかもしれない言葉の差に、俺はどうしても疎外感を覚えてしまう。別にいいんだけどさ。

 

「便利ですよねえ、火の魔法って……」

 

 うれしそうに自分の手のひらをながめながら、ユーリが言う。

 

「お料理もですけど、これから冬になることを考えると……」

「ローランドくんは料理をするのかね」

「そりゃしますよ。一人暮らしですから」

「おや、お姉さんのご一家と住んでいるのではなかったかね?」

「……師匠は本当に人の話を聞いていませんね。それは去年の終わりまでです」

 

 ──こんなもの、いったいなんに使うんだろ。

 

 曲がりくねった金属の筒から、トレブールが残していった毛をはたき落とし、俺は考える。

 

 この部屋は本当にガラクタだらけだ。本だって、せっかく昔の魔法士が書いた日誌とか、魔物の図版、冒険者が残した迷宮の詳細図だってあるのに、ろくに整理もしないからめちゃめちゃだ。魔法の研究所だっていうけれど、なにを研究しているのか、ぜんぜんわかりやしない。

 

「……ティ坊ちゃま」

 

 黙々と掃除をしていると、いつのまにかユーリが後ろに立っていた。

 

「ひと休みして、お茶の時間にしませんか?」

「あ、はい」

 

 本日のおやつは、ユーリが出がけに買ってきたというごく普通のクッキーである。

 

「騎士団から魔法士部隊が廃止されたのち、当然だが、魔法士たちは路頭に迷うことになった」

 

 きれいにかたどられた星形のお菓子をつまみ、オドネルが言う。

 

「私はそんな没落貴族の出でね。魔法以外の()()()を見つけられなかった、元魔法士の家柄なのさ」

 

 自嘲めいた台詞とは裏腹に、彼はじつに楽しそうだ。

 

「おかげで子どものころからこうして魔法に慣れ親しんできた。──どうかね?」

 

 彼の右の手のひらには、左手に持った星よりもひと回り大きな、金色の星が浮かんでいる。

 

「わあ……」

 

 ユーリが目を(みは)った。

 

「魔法とは、魔物の(のり)。自らの内なる力を外へ現す」

 

 オドネルが人差し指を天井へ向ける。魔法で生まれた黄金の星は、彼の指の動きに合わせて飛び──小さくはじけると、きらきら輝きながら散っていった。

 

 俺も思わず声をあげた。

 

「オドネルさん! すっごくきれいです!」

「下町の魔術師なら、もっと美しいものを()ってみせるんだが」

 

 アセルス王国唯一の王宮魔法士は、少々照れくさそうに瞬きする。

 

 ちら、と、ユーリが俺の顔を見た。

 

「わたしはここで働くようになるまで、魔法なんて、サーカスか道ばたの大道芸でしか見たことがありませんでしたが……」

 

 ん? なに?

 

「以前家庭教師を務めていたお屋敷に、図書室があったんですよ。そこには古い古い魔法の本が二冊ありましてね……」

 

 んん?

 

「わたしも読んでみたかったんですけど、しょっちゅうどこかへ持ち出されておりまして……どうやら勤め先のお子さんの、一番のお気に入りだったんですね。手に取る機会はほとんどありませんでした」

 

 んんんん?

 

 俺の視線に気づかないはずがないのに、ユーリはそ知らぬ顔である。

 

「それでわたしは、こちらの求人に応募したのかもしれません。──一度ちゃんと、魔法の本を読んでみたくて」

 

 オドネルが、きょとんと俺たちを見比べた。

 

「ローランドくんは、カイルくんのお宅以外でも家庭教師を務めたことがあるのかね?」

「いいえ。坊ちゃまのおうちだけですよ」

「では、カイルくんには、ほかにもご兄弟がいるのかね?」

「いらっしゃいますけど、お兄さまたちは皆さんもう大人です。姪ごさんもおいででしたが、まだほんの赤ちゃんでした」

「ふむ、なるほど」

 

 オドネルは、両の手のひらを胸の前で合わせ、指先で顎を支えた。

 

「つまり、ローランドくんはこう言うわけだね。魔法の本をこよなく愛した()()()()()()()()とは……」

 

 ユーリ=ローランドが、今度ははっきりと俺に向き直る。彼女は本当に容赦ない。

 

「ティ坊ちゃま」

 

 どうしてユーリは、そんな目で俺を見るんだろう。

 

「坊ちゃまもやってみたいんじゃありませんか?」

「……なにをですか?」

「決まってるでしょう? 魔法ですよ」

「…………」

 

 つくづく思う。俺は自分のことを人に話すのが苦手だ。

 

「……はい」

 

 今までこんなふうに、誰かから注目されたことがなかったから。

 

「やってみたい、です……」

 

 顔が熱い。とても熱い。

 

「……なにか(うた)える呪文があるのかね?」

 

 低く穏やかに、しかし、熱をこめた声音でオドネルが尋ねてくる。

 

 俺は大きく息を吸いこんだ。

 

「僕も、火の魔法が使えます」

「やってみたまえ」

 

 オドネルが打てば響くように言う。ユーリが立ち上がり、どこかからランプをもうひとつ持ってくる。すでにある橙色の明かりの右隣へ据える。

 

 俺は二人のように、離れた場所にあるランプへ火をつけることはできない。

 

 ランプの傘を取り、ほやをはずす。灯心へ、じかに指で触れる。

 

「『赤光(るーぐ)』……」

 

 俺の本には、火の呪文は「地中のマグマを引き出すつもりで」と書いてある。

 

「『()でよ 深遠なるところより 満ち満ちよ 魁大(かいだい)の焔』……」

 

 いくら世の中から魔法使いが減ったとはいえ、みんなが地中のマグマを引き出したとしたら、あちこちで噴火が起こって大騒ぎだ。

 

 引き出すのはマグマじゃない。──俺自身の、内なる力。

 

 チリ……

 

 かすかな音と、ひとすじの煙。灯心が赤色に染まる。

 

 俺にできるのはここまで。指を離し、口で、ふー、と息を吹きかける。それでようやく小さな炎が立ち上がってきた。やや待って、やっと隣の明かりと同じ大きさになる。

 

「…………」

 

 俺は黙ってランプのほやを戻した。なんとなく、二人の顔を見られない。

 

「ローランドくん」

 

 オドネルが、静かに弟子の名を呼んだ。

 

「自分の(わざ)との違いがわかるかね?」

「はい」

 

 ユーリが硬い表情でうなずいた。誰にだってわかるだろう。俺の呪文は、大昔の古くさい魔法の言葉である。俺にはたったひと言で炎の精霊を呼び出すなんて、できないんだ。

 

 そう思ったから、彼女が続けた言葉に俺はとても驚いた。

 

「わたしはティ坊ちゃまのようにはできないと思います」

「そうだね。きみはまだ、自分の力だけで火を起こすことができない。だから、()()()()()()()()()()()()

「うーん、悔しいなぁ……」

 

 ユーリは額を机の天板につけて、大きなため息をついた。

 

「やっぱり、小さいころからやってた人には、かなわないのかなー」

「そんなことはないよ。ハークレーヴも、マーシュ=トリスタンも、魔道に入ったのは成人のあとだ」

「……あのう」

 

 俺はおそるおそる口をはさんだ。

 

「どういう意味ですか?」

 

 オドネルの澄んだ瞳が、こちらを向いた。

 

「カイルくん、きみはこれまで誰からも魔法を教わったことはないのかね?」

「はい、ありません」

「本を読んで、今のを覚えた?」

「はい」

 

 読んだのは一度だけではないが。俺には気に入った本をくり返し読む癖がある。小さいころから、それこそ何十回、何百回となく、くり返し、くり返し。

 

「カイルくん、ローランドくんが魔法を学び始めたのは今年になってからだ。それまでは意識的に魔力を溜めたり、放出したりする訓練もしたことがない。だから、彼女には()()()()を教えたんだ」

 

 ランプに火をつけるため、ユーリは火精の力を借りた。

 

「炎の精霊を呼ぶ呪文なら、僕の本にも載っています。でも唱えても、なにも起こりません」

「それは、契約(こんとらくと)をおこなっていないからだろう。──むろん術者の力量次第だが、召喚魔法(さーる)なら、契約さえすませていれば、少ない魔力でもある程度の魔法を行使できる」

「わたしは先週やっと、火精と契約できたばかりなんですよ」

 

 ユーリが左の頬にえくぼを浮かべ、オドネルはうれしそうに両の手のひらをこすり合わせた。

 

「カイルくんはすでに魔法学の基礎を修め終えている。精霊との契約にはそれほど苦労すまい。想像(いまーご)を具体的な形にする練習も、並行して進めたほうがいいね。──いまどき独学でとは、たいしたものだよ」

「…………」

「……ティ坊ちゃま」 

 

 いつもの小さな声で、ユーリ先生が俺にささやいた。「……やりたいことをやりたいと言ってみるのも、なかなか悪くないでしょう?」

 

 ポーン、ポーン、ポーン……時計が鐘を打ち始める。五つ続いて鳴りやんだとき、俺は立ち上がった。

 

「オドネルさん、ユーリ先生、どうもありがとうございました。今日はもう、帰ります」

「いやいや、こちらこそお礼を言うよ。われらが主神、世の始まるときより最も高きところに在る大いなる神に誓って、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 大真面目な顔で宣誓する魔法士は、トレブールのことをまだ()りていないようだ。大量の毛玉を残らず集め終えるまでの苦労を思い出し、俺とユーリは声をあげて笑った。

 

 ひとしきり笑い収めると、ユーリも立ち上がった。

 

「さてと、わたしも帰るとしますか。もう()()過ぎちゃいましたしね」

 

 えっ?

 

「師匠、あとは片付けておいてくださいよ」

「任せておきたまえ。明日になればきみたちが別の塔かと見まがうほど整然としているだろう」

 

 六時って、時計が鳴ったの、五回だよね? 俺、ちゃんと数えてたもん。

 

 窓のほうを見る。ガラクタだらけのこの部屋は、昼間でも薄暗いし、ランプを灯していたからわからなかった。外も同じように、薄暗くなっている。

 

 しまった……!

 

「ああ、あの時計、一時間遅れてるんですよ」

 

 俺の様子に気づいたらしく、ユーリが言う。

 

「棚の裏になってしまったのでなかなか直せなくて……どうかしましたか?」

「い、いえ、別に。じゃあ、僕はこれで失礼します」

 

 ぽかんとしている二人を尻目に、俺は大あわてで外へ出た。

 

 エレメントルート伯爵家の夕食は、毎夕()()からと決まっているのである。

 

 どどどどど、どうしよう……

 

 

 

 

 


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