伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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15 捜索会議

 王の御前に召し出された囚人のごとく──

 

 若い相棒は、ずっとうなだれたままである。その前を行きつ戻りつする秘書の靴音を、ボリスはいささかうんざりした気分で耳にしていた。

 

「……おまえの言い分はわかった」

 

 オーリーン=ショウは、銀縁眼鏡の奥から酷薄な瞳を光らせた。相棒には及ばないがかなりの長身、なでつけた黒髪と、東の血が入っていることが明らかな象牙の肌の持ちぬしである。

 

 彼は代々キトリーを任される家令、ショウ家の跡取り息子なうえ、あるじの乳兄弟だ。二十代なかばの若さにもかかわらず、彼がこの場の主導権を握るのは、どうにも動かしがたい。

 

「──グレイヴ・スティレット=レーヴァテイン」

「ハイ……」

 

 普段は陽気なグレイが、こんな声を出すのはまれである。高い背丈をちぢこめるようにしょんぼりするさまを見て、ボリスは少々気の毒に思う。

 

「おまえはこの二日間、理由はなんであれ、職務を放棄し、無断で外出」

「…………」

「結果、旦那さまは行きかた知れずだ。──責任はどう取るつもりだ?」

「……自業自得よね」

 

 侍女のバルバラが聞こえよがしにつぶやいた。言いつつも、光沢を放つあるじの髪を丹念にくしけずる。かたわらでは下男のマイルズが、せっせと扇で風を送っている。

 

 長椅子の上で片膝を抱えるあるじの夜着の裾からは、白くすんなりした脚がのぞく。首筋から頬にかけてが薄桃色に染まり、女神像に血を通わせればこのような姿になるだろうか。ひと目見たなら、王都中の画家がこぞって絵筆を取りたがるに違いない。

 

 詮議がやまぬと見てか、あるじはけだるげな瞳を秘書へ向けた。

 

「オーリーン、もうそのくらいにしておけ」

「お言葉ですが、()()()

「…………」

 

 上目になったあるじは、軽く息を吐いた。

 

「……頼むから、それはやめてくれないか」

「それとはいったい、なんのことでございましょう?」

 

 オーリーンは一向に負けていない。くい、と中指で眼鏡を押し上げる。彼はあるじのわがまま勝手に対し、()じずにもの申せる唯一の人物だ。暴君ともいえる尊大な男だが、当家で人心を失わずにいられるゆえんである。

 

 あるじは唇をとがらせた。

 

「グレイはもう行っていい」

 

 相棒はしおしおと戸口へ向かう。その丸めた背中へ、オーリーンが追い討ちをかけた。

 

「もう一度戸締まりを確かめてこい。窓も扉も、すべての部屋だ」

「……かしこまりました」

「待て。裏口だけは開けておけ」

「はい……」

「まったく、魔剣(レーヴァテイン)の名が泣くぞ」

 

 オーリーンは、情け容赦など薬にしたくもない、といったふぜいである。

 

「奥さまはあの男に甘くていらっしゃる。ああいったものに厳しくするのは、逆効果だとお考えかもしれませんが」

「……そういうわけでもないんだが」

「いずれにしても、限度というものがございます」

 

 と、秘書はあくまで手厳しい。

 

 ズン、ズン、とかすかな振動とともに、ワゴンの音が近づいてくる。ネロとワトキンスの二人が現れた。執事のワトキンスが供するのは湯浴みを終えたあるじのための飲みものと軽い夜食で、むろんそれを調(ととの)えたのは、巨漢の料理長、ネロである。

 

 あるじが笑みを向けると、ネロは大きな丸顔をほころばせた。

 

 これで、本邸の面々が、背高のグレイをのぞき、あるじの前に会したことになる。

 

 オーリーンが靴の(かかと)をそろえ、あるじの前に立つ。

 

「奥さま、これまでのところをご報告申し上げますと、旦那さまが邸内においでにならないことは、明白な事実です」

「……間違いなく?」

 

 別段あるじは一同の仕事ぶりを疑うのではない。ただ、無礼な秘書へ反抗的な態度を取っているに過ぎない。

 

 オーリーンは眉を片方つり上げた。

 

「ええ。物入れから屋根裏まで、くまなく探しましたので」

()()()

 

 思わず、というふうに、あるじはマイルズを見返った。

 

 四角張った下男の顔の上に載るちぢれた金髪には、本当に蜘蛛の巣が引っかかっている。あるじの瞳が丸くなった。

 

「……手数をかけたな」

「いいやあ」

 

 マイルズは髪をあおぐ手を止めて、えへへ、と頭をかいた。

 

「西部行きの駅馬車は別邸のサウロに命じてすべてあらためさせましたが、現時点で旦那さまとおぼしき少年を見たという情報は入っておりません」

 

 あるじは首をかたむけた。

 

「バルドイ男爵家は、王都に屋敷を持たないのか?」

「ええ。三代ほど前に処分なさったそうで。男爵が参勤なさる折には宿を取られるとのことです。──むろんその()宿()にも、旦那さまは現れておりません」

「親類は?」

「近しいものは、こちらにいないようですな」

「そうか……」

 

 あるじは夜着の裾をかき集めると、両膝を抱えた。瞳を閉じ、ことん、と膝頭に頭を載せる。

 

 オーリーンが皆を見回した。

 

「もう一度確認しておく。全員、鍵は持っているな?」

 

 めいめいがポケットから(キー)を取り出し、掲げてみせる。秘書は険しい(おもて)でうなずいた。

 

「よろしい。各自休息後、持ち場へ戻れ。今夜は順に仮眠を取る。──ボリス、奥さまがお休みになったら、マイルズと庭を回ってほしい。近くまで戻られているかもしれない」

「承った」

「あの()鹿()は謹慎させる」

 

 バルバラのなにか言いたげな目線は無視し、オーリーンはつけ加えた。

 

「ああ、もうひとつ。──()()()()()()()なども、現時点ではございません」

 

 ──夜食をすませると、あるじは明かりを手にしたボリスとともに、居間を出た。

 

「……ボリスはどう思う?」

 

 階段をのぼりながら、あるじが問うてくる。

 

「どう、とは?」

「アルノーに帰ろうとしたんだと思うか?」

「さ、私には……ありそうなこととは思いますが」

 

 王都に滞在していた兄たちが帰ったのが、つい昨日である。甘やかされて育った末っ子がさびしくなり、あとを追ったとしても、なんの不思議もない。

 

 しかし、あるじが考えていたのは、まったく違うことのようだった。

 

「オーリーンはさっき言わなかったが……グレイがカイルを呼びに部屋まで行ったとき、扉には鍵がかかっていたというんだ」

「まさか……」

「開けたのはバルバラだから、間違いないだろう。──窓もすべて閉まっていた、と」

「部屋の外からかけたんでしょう」

「戻らないつもりだったら、わざわざ鍵をかけて出ていくか? それに、その先は? カイルには自分の部屋の鍵以外渡していない」

「窓から出られたのでは? 一枚くらい、誰にでも見落としはあります」

「そうなんだろうか……」

 

 ふと、あるじが、廊下を歩む足を止めた。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 ボリスの問いに、黙って瞳をそらす。──彼女の視線の先の扉が、ほんのわずか、開いている。

 

 ここは、「旦那さま」の部屋だ。

 

 ノブに手を伸ばしたあるじを制し、ボリスが先に立った。

 

 広い居室は深閑としている。カーテンを下ろさずにおいた大きな窓の向こうには、ちらほらと街の灯が見えた。

 

 重厚なマホガニーの机の上、無造作に積んであるのは、古びた本。

 

 ボリスが室内をめぐるあいだに、あるじはつながっている寝室へ行こうとする。

 

「姫さま」

 

 呼びかたをうんぬんする小姑のような秘書はいない。慣れ親しんだ呼びかけが、口をついて出た。

 

 あるじは長い黒髪をひるがえしてこちらを見、唇へ、人差し指をあてた。

 

 夜着をまとっただけのあるじが、己れの夫の寝室へ足を向ける。ボリスもあとに続いた。天蓋付きの巨大なベッドは、人が横たわるように盛り上がっている。

 

「…………」

 

 ボリスはあるじと顔を見合わせた。

 

 枕辺へ立ち、明かりを掲げる。むこうを向いてはいるが、夜具から垣間見える髪は、まぎれもなく()のものだ。二人はまるで幼子の眠りを(さまた)げまいとする両親のように、つま先立ちで後ろへ下がる。

 

「……いつからだ?」

 

 あるじのひそめた声は、まったく驚きを隠せていない。

 

「さあ……」

 

 ボリスも首をひねるよりほかはない。

 

「まさか、ずっと部屋にいたわけじゃ……?」

「ともかく、オーリーンどのに知らせましょう」

「そうだな」

 

 小鬼にまぼろしでも見せられていた気分で、きびすを返す。寝室を出る前に、もう一度振り返ってみる。──少年は、健康的な寝息を立てているようだ。

 

 考えるのはあとだ。捜索は終わったと、皆に知らせねば──そう、ボリスは思った。人騒がせな子どものせいで、ネロのとっておきの晩餐をふいにした。いつもよりいいワインを開けてもらえるよう、あとでワトキンスに頼んでみよう。

 

 パサ……

 

 どこかで、かすかな音がした。

 

 隣のあるじが眉をひそめる。瞳をめぐらし──まっすぐに、クローゼットへ向かう。

 

 扉を開けてすぐ、あるじは黒っぽい布を拾い上げた。どうやら掛けてあったものが落ちたようだ。

 

 ひらり、と、白いなにかが床へ舞った。

 

 かがみ込んだ彼女の頭越しに、ボリスが明かりをかざす。カサ、と紙を開く音がした。──ひと呼吸置いて、あるじがくつくつ笑っている。

 

「姫さま……?」

 

 呼びかけとも問いかけともつかぬボリスの声に、あるじは立ち上がり、かたわらをすり抜けてゆく。

 

「──処分しておけ」

 

 ボリスは胸元に押しつけられた紙を広げ、目を落とした。

 

『オドネル研究所助手 カイル=バルドイ (あお)の塔に限り 立ち入りを許可する』

 

(これはなんだ?)

 

 末尾に記された美しい筆致の署名は、まったく見ず知らずの人物──ジュリアン・C・オドネル。

 

 少年は、父母のもとへ帰ろうとしたのではなかったのか?

 

 魔法使い、という言葉が、唐突に頭に浮かんだ。鍵のかかった邸内から、誰にも知られずに外へ出る、そして、帰ってくる方法。

 

 蒼の塔とは、アセルス城にある十二の塔のひとつ、かつては王立の魔法学院があった場所だ。

 

 そういえば、ボリスは耳にしたことがある。王弟の肝いりで魔法士の養成所を復活させようという向きがあると。しかもそれは、王弟とあまり仲がいいとは言えない国王の発案らしい。

 

 ──ボリスの物思いを破ったのは、背後からの小さな声だった。

 

「……待って!」

 

 寝室を出ようとしていたあるじが、振り返った。

 

 眠っていたかに見えた少年が、ベッドの上で身を起こしている。

 

「……返してください」

 

 あるじがボリスの手から紙片を取り上げた。「()()のことか?」

 

 少年は華奢な素足を片方ずつ、床に下ろした。二歩、三歩、こちらへ近づいてくる。

 

 整ってはいてもどこかあどけない顔立ちは、いまだ男のにおいに(とぼ)しい。少年は青白い頬を引き締め、顎を引いた。ひすいのような緑の瞳をすがめて、あるじを見る。

 

 額のなかばまでかかる髪の色は、赤。

 

「返して」

 

 少年はあるじへ手のひらを差し出した。「それがないと、僕は…………に会えなくなる」

 

 幼さを残す声が震えている。掛け違った寝間着のボタンが、身につけたときの彼の動揺を物語っている。

 

 ただの子どもだと思っていた。(あらが)うことなど決してないからこそ、あるじが選んだのだと思っていた。だが、ボリスは初めて見た。おとなしいだけに見えたこの少年が、はっきりと自らの意志を言葉にし、他者へ向けるのを。

 

「返してください」

 

 もう一度、彼は己れの妻に告げた。

 

 ボリスのあるじの口元には、薄く笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 


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