伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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三章 王宮編
承前 従者たちのある日


 ヴァストル街のど真ん中にある酒場、『闘鶏亭』。

 

 ボリスが足を踏み入れたのは、日もとっぷりと暮れ、晩飯をすませた連中が一杯やろうかと、腰をすえはじめたころだった。

 

「──よお」

 

 もじゃもじゃの髪をした店の亭主が、やぶにらみの目をすがめて寄ってくる。

 

「久しぶりだな、いつものでいいかい?」

「頼む」

 

 ボリスはうなずき、長剣をはずすと適当な席へ腰を下ろした。

 

「今度は長かったじゃないか」

「まあな」

 

 トン、トン、と目の前に火酒の壺と杯がならべられる。『闘鶏亭』でのボリスは、隊商の用心棒というふれこみだ。ずんぐりした体を埃にまみれた旅装束で包み、いかにもしばらくぶりに王都へ帰ってきた、というふうを装っている。

 

 言葉少なによもやま話を続けるうち、ぽつぽつと見知った顔が増えてくる。訪れる客は皆が似たり寄ったりの、隊商の一員だの、行商人ばかりである。ここはそういう店なのだ。

 

泥竜(ボルボロス)の旦那、今度はどこまで出かけてたんだい?」

「南だよ。キトリーさ」

「またずいぶんと田舎だな」

 

 隣国コーティアから戻ったのが昨晩、という壮年の男が笑い出した。

 

「あんなのどかなところに、あんたみたいな手だれが行って、なんになる」

「なに、俺の主人はさびしがり屋でな。話し相手さ」

「もったいないねえ」

 

 身なりのいい太った旅商人が、あきれ顔で首を振った。

 

 以前ボリスはこの『闘鶏亭』で、酔って喧嘩を始めたならずものを三人ばかり、片腕一本でたたき出したことがある。以来彼は、ここにやってくる連中のあいだでちょっとした顔なのだ。

 

「だから、あんたのご主人が払う倍は出すと言ったろう? お言いよ、いくらもらっているんだね?」

「気持ちはありがたいが、俺には先々代からの義理がある。そうそうあるじ替えはできんよ」

「キトリーくんだりまで、旦那のご主人はなにを商いに行ったんだい?」

 

 ()()()の小間物売りをしている若者が問うてきた。彼は酔うと、いつかはでかい商売をやってやる、と吹くのが癖だ。

 

「わかっちゃいねえな、小僧」

 

 水気のない茄子(なす)のような顔をした老人が、火酒をあおりつつ口を出す。彼のしなびた二の腕には、刺青(いれずみ)の跡がある。この男は確か、商船に乗り組んでいた元船乗りだ。

 

「キトリーにゃ、じきに祝いごとがあるからな。商売するなら今さ。──そうだろ、旦那」

「さぁな。俺は商いのことはさっぱりなんだ」

「祝いごとってな、あれかい? 新しい領主さまがおいでになるっていう」

 

 商売をするものは皆、それなりに世情に通じている。己れの商う品の売れ行きを左右するから当然だ。

 

「でもさ、王太后さまがお隠れになったばかりだぜ。派手な祝いは()()じゃねえのか?」

「だからおめえは素人(とーしろー)だってんだ」

 

 ボリスのあるじが先日崩御した王太后の外孫であることを、王都の民で知らぬものはいない。訳知り顔の小間物売りに、元船乗りが鼻で笑った。

 

「そらな、王都じゃそうかもしれねえ。だが国許じゃ、殿さまがことが一番の大事だ。今ごろ家令がお国入りにそなえて、城中磨きたててらあ」

「そうかなあ」

 

 若者は、叱られた子どもみたいに頬をふくらませた。

 

 ボリスのあるじは世人にたいそう人気がある。周囲はたちまち彼女の話題で持ちきりになった。

 

「『(すみれ)の君』の婿さんだろ? 三つも年下の小僧っ子たあ、恐れ入ったぜ」

「あのお(ひい)さまなら、てめえより強い男でなくっちゃ嫌くらいのことは言いなさるかと思ったね」

「強い男なぞ、かえってつまらんのだろ。第一、なまなかの男じゃ歯が立つめえ。そら、いつぞやの剣闘会の五人抜き、ありゃあ見ものだった」

「──あたし、見に行ったんだ。お婿さんの、か・お」

 

『闘鶏亭』の若い女給が、火酒のおかわりを運ぶついでに口をはさんできた。どうやら彼女は、あるじの結婚式の折、大聖堂を幾重にもかこんだ群衆の一人だったものらしい。

 

「へえ。(つら)、拝んだのかい?」

「おめえ、どんだけ前まで行ったんだ? あの人出でさ」

「もちろんかぶりつきよ。前の晩からならんだもん」

「で、どんな色男だった?」

 

 口々に問われた女給は、少々紅がはみ出た唇を、得意そうににんまりさせた。

 

「んー、そうね、きれいな金髪だった。素直そうで、結構可愛かったわよ。なんだかよろよろしてたけど」

「おいおい、可愛いときたぜ」

「おっかさまの血なのかねえ。身分が下の男を好むってのは」

 

 男たちは苦笑いだ。空いた皿や酒壺を片付けながら、女給は首をかしげた。

 

「お貴族さま同士でしょ。上も下もないんじゃないの?」

「馬鹿だな。伯爵と男爵じゃ、うんでいの差なんだよ。()()()()の」

「そうなのぉ?」

 

 ──ころやよし、と見て、ボリスはおもむろに口を開いた。

 

「……俺はキトリーで、ちょいとばかり気になるうわさを耳にしたぜ」

 

 皆の視線が、いっせいにボリスへ集まった。

 

「なんでも十三年前の、先代のエレメントルート伯爵が刺し殺された事件な──」

 

 故セドリック=エレメントルート卿は、『菫の君』の父親である。先年彼が極めて不幸な亡くなりかたをしたことは、周知の事実だ。皆一様にうなずいた。

 

「どうやらエレメントルート家のほうじゃ、真犯人の目星はあらかたついているらしい」

「なんだってェ?!」

 

 小間物売りの若者が、すっとんきょうな声をあげた。

 

「おかしいじゃないか。それじゃ、どうして今まで黙ってたんだ?!」

「さあ、俺にはわからんが──なんでも、近々黒幕を告発する準備があるんだとか」

「あのおかたは孝行ものだ」

 

 旅商人がしんみりと言う。「王太后陛下がお亡くなりになるまでは、言い出せなかったのだろ」

 

「……面白くなってきやがったじゃねえか」

 

 元船乗りの老人が、にやりと唇をゆがめた。

 

「あのお姫さまが、ちっちぇえ時分からあんな()()なさってんなぁ、いつか親の(かたき)をとるために違えねえのさ。俺ァ、ずうっとそう思ってたんだ」

「どういうことだよ?」

 

 目をきょときょとさせる若者に、女給がため息をつく。

 

「あんた、なんにも知らないのね。──あのねえ、エディットさまは、お父さまを殺した犯人を捕まえたら、おばあさまである王太后さまがきっと悲しむだろうって、今までこらえてらしたんじゃないの。そういううわさ」

「ええっ、するってえと──」

「なあなあ、あんたはどいつが首魁だと思う?」

「おや、私に不敬罪を犯させるつもりかね?」

「とも限ったもんじゃねえ。俺はもうちっと下のやつらがくせえとにらんでる」

 

『闘鶏亭』は、いっそうにぎやかになった。

 

 ──さかのぼること数時間前。まだ昼下がりの、王都北部、アルボルタ通りにて。

 

「あたしの叔母さんが、キトリーへお嫁に行ったんだけどね──」

 

 花売りの姿に扮しているのは、金茶の髪を肩でそろえ、頬にそばかすの散った小柄な娘──エレメントルート伯爵家本邸の侍女、バルバラであった。

 

 買いもの帰りのおかみさん連中と、彼女たちの子どもらが、目をまん丸にしてバルバラの話に耳をかたむけている。

 

 また、東部のトランシア街、大勢の老人たちが憩うレニエ広場にて。

 

「おいらこのあいだ、久しぶりにキトリーまで里帰りしたんだ。そしたらさあ……」

 

 ほうきを手にした掃除夫が、幾人かの年寄りを相手に、身振り手振りを交えて語っている。ちぢれた金髪に、働きものらしいがっちりした体つきの四十男──下男のマイルズだ。

 

 

 

 さんざめく『闘鶏亭』をあとにしたボリスは、長剣を腰に、うちへ向かってぶらりと歩き出した。かなりの量を飲まされたが、彼の足取りにいささかも乱れはない。

 

 わずかに欠けたところのある月は西へかたむき、周囲をふちどる雲を明るく照らしている。美しいそれをながめ、ボリスは思う。

 

 今こそ、時はきた。

 

 

 

 

 

 


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