伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 (おおとり)の紋章のついた大門が、ゆっくりと開いていく。

 

「…………!」

 

 俺は、力いっぱい息を吸いこんでいた。

 

 門の左右に立つ礼装の衛兵が、吹き流しのついた長い槍を引いている。向こうに広がるのは、石造りの建物と十二の塔が連なる壮大な王宮だ。

 

 後部座席から俺の従者のいかめしい咳ばらいがして、あわてて居住まいを正した。どうやら俺は、腰を浮かせていたらしい。

 

 カツカツカツカツカツ──豪華な無蓋の馬車(キャリッジ)は、秋の花々が咲き誇る広大な庭園をぐうるり周り、車寄せへ到着した。

 

 俺は先に降りて、彼女をエスコートしなければならない。手を伸べる。刺しゅうの入った手袋をはめた手が、俺へと差し出される。

 

 エディットが馬車のステップに足を下ろした。さながら、美の女神がそよ風とともに天上から舞い降りてきたかのごとく。

 

 裾の長い朱鷺(とき)色のドレスが、均整のとれた肢体をきわ立たせている。あらわになった肩には漆黒の髪が流れ落ち、宝石などいっさいつけず──ただ、名前も知らない白い花を一輪さしているだけ。

 

 いつもの制服姿とはまったく違う、しかも、ほとんど飾りのない装いのためか、彼女のうるわしさ、清らかさはいやがうえにも増している。

 

 ドレスよりもほんの少し色味の濃い紅をつけた唇が、にっこり笑んだ。

 

「ありがとう」

 

 俺の右の肘のあいだへ、彼女の左手が添えられる。一見エスコートしているのは俺だが、そうではない。彼女に()()支えられている。

 

 世の女性の多くへ、俺は心からの敬意を捧げよう。常時(かかと)の高い靴を履き続けることによって、つま先に血が通わなくなるこの感じ。ある種の拷問だ。

 

 加えて俺の場合、高いのは踵だけではない。靴の底全体がかさ上げされているのだ。足の裏の感覚が鈍っている状態で、かつ、一歩ごと地面に足が引っかかる違和感。経験のない人にはわかるまい。

 

 スタンリー商会製「あしながおじさん(シークレットブーツ)」、第二弾。──前回製作時よりごくごくわずか、背丈が伸びた俺のために作り直した、いわば改訂版である。

 

 馬車の乗り降りを切り抜けた俺を待ち受ける次なる難所は、巨大な扉まで続くゆるやかで幅の広い階段だ。階段は恐ろしい。足を上げる角度を間違えると、じつにたやすくけつまずく。

 

 思わず隣を見てしまう。靴のおかげでいつもより地面が遠く、エディットの美しい顔は真横にある。間違いなく俺は、すがる瞳になっていただろう。

 

 耳元へ、甘くささやかれる。

 

「……心配するな、カイル。わたしがついている」

 

 は、はい……

 

 彼女の声に励まされ、俺はどうにか一歩、足を踏み出した。

 

 

 ◆◇◆

 

 結婚式から二か月余りが過ぎた俺の妻、エディットの亡くなった母親は、前の王さまの王女だったそうだ。

 

 したがって、現在のアセルス国王マティウス二世は、エディットの伯父に当たる。毛皮のふちどりのついた重そうな外套(マント)、立派な握りの王笏(つえ)を手に、王冠を戴いた王さまは、四十代のなかばだろうか。周辺諸国と比べても裕福なこの国を治めること五年。暗い茶色の髪と瞳、エディットの伯父さんだけあって容貌は整っているが、果断な性格を思わせる厳しい目つきをした人物である。

 

 対して王后さまは、優しい瞳のふくよかな女性だ。隣の国のお姫さまだった人で、濃い金色の髪におっとりとした微笑みは、美人というより可愛らしい印象だ。

 

 一段下がったところには、王弟夫妻。国王の二歳違いの弟、シベリウス殿下は、双子かと思うほど王さまとよく似た顔立ちだ。だが、雰囲気はまるで違う。兄の厳しさとは正反対の温和な表情で、俺たちをながめている。

 

「……ここに、カイル・ティ=バルドイあらため、カイル・ティ=エレメントルートを、キトリーおよびノリス、ガルドルート、コリントルートの領主に任じる。称号は家名よりエレメントルート伯爵、これまでにならい、キトリー、ディルクを名乗ることを差し許す……」

 

 大広間を朗々と流れてゆくのは、宰相ゾンターク公爵の声だ。

 

「カイル・ティ=エレメントルート、立ちなさい」

 

 簡単に言ってくれるけど、こっちにとっては大仕事なんだからね。

 

 額を覆う長い金髪がうっとうしい。しかし、払いのけることは許されない。なぜなら、俺の赤毛の眉が見えてしまうからだ。前髪は簡単に乱れないよう細工もしてある。

 

 どうにかよろけずに立ち上がり、姿勢を正すことができた。国王夫妻の前へ進み出る。この日のためにあつらえられた服の胸には、国王陛下御自らの手によって、いくつもの重たい勲章が下げられた。

 

「……おめでとう」

 

 間近に聞いた王さまの声はしわがれていて、年齢よりもずっと老けているように思えた。俺は唾を飲み込んだ。

 

「ありがとう、ございます」

 

 王后さまがエディットに微笑みかけた。

 

「おめでとう、エディット。末ながくお幸せにね」

「ありがとうございます、王后陛下」

 

 かたわらの俺の妻は、ドレスの裾をふんわり広げ、優雅に膝を折ってお辞儀を返す。

 

 ここに至るまでのあいだに、さすがの俺にも状況は飲み込めている。──これは、俺の叙爵にかこつけた()()()()()なのである。

 

 すでに亡くなっているエディットの母親は、王さまの妹だ。だが、親戚というには少々(はばか)られる一介の伯爵ふぜいに嫁いでしまった。

 

 血統だけをいえば、エディットは王族に極めて近い位置にいる。しかし、彼女がただの伯爵家の相続人である以上、国王一家や王族たちが披露宴へ顔を出すわけにはいかない。事実、俺たちの披露宴の招待客はエディットの同僚、近衛隊の騎士ばかりだった。

 

 気軽に招待できない親戚一同へ、夫の顔見せをしたい。けれど、王宮で披露宴をすることなど許されない。それで爵位の授与を利用しているのだ。

 

 と、大人の事情が理解できたところで、今の俺の立場が変わるわけでもなんでもない。

 

 あとは挨拶にくる貴族たちへひと言ずつ礼を述べ、ひたすら頭を下げ続ける。次第にくらくらしてくるが、俺はまだ倒れてはならない。最後にして最大の試練が待っているからだ。

 

 その試練とは、()()()

 

 爵位授与式でなぜダンスが必要なのか? それを問うても無意味である。結婚披露宴なのだから、ダンスをするのは当たり前だ。

 

 大勢の宮廷楽士たちが、楽器の調律を始める。俺は脳内でただ一心に、俺をしごいた秘書の言葉をくり返す。

 

『ワルツは三拍子。頭の中で、一、二、三、と、くり返していればそれでよいのです』

 

 このような場面に慣れているとも思えないが、度胸の差なのか、王宮そのものに慣れているかの違いなのか、エディットは終始涼しい顔だ。落ちついた表情で俺を見、うなずいてくれる。

 

 みんなが俺たちを見ている。俺はエディットの手を取って、静まり返った大広間の中央へ進み出る。足を前に出すたび、どうにも腰が引けてしまうが、これは単に俺が()じけづいているせいか──そんなこと、どうだっていい。

 

「カイル」

「は、は、はい」

 

 (すみれ)色の瞳が、正面から俺を見つめた。

 

「カイル、大丈夫だ」

 

 ほかの誰にも決して聞こえないように、彼女は言った。──ほとんど声には出さず、唇を、言葉の形に動かすだけで。

 

「……わたしだけを見ていろ」

 

 ──次の瞬間、俺の視界から彼女以外のすべてが消えた。

 

 俺はエディットの引き締まった腰に手を回す。彼女の手は、俺の背中へ回される。音楽が始まる。一、二、三──俺は足を踏み出した。

 

 リードなんて考えない。俺は彼女についていくだけでいい。今の俺にはそれだけで精いっぱいだ。初めての王宮で、きゅうくつでゆがんだ足かせをかけられて、うまくやろうと考えること自体が無茶なんだ。

 

 俺たちは、豪華なシャンデリアがきらめく大広間の真ん中を、くるくる回る。いまいましい靴がふくらはぎまで覆っているから、膝を曲げるときは気持ち深めに。この改訂版は運動仕様で、中敷きにやわらかい素材が採用されている。でもバランスを考えて、極力(かかと)に力を入れない。

 

 あと、もう少し。この曲さえすんでしまえば、俺は解放される。帰ったら、自分の部屋で本を読もう。そして明日になったらまた、(あお)の塔へ行くんだ。オドネルが俺に、『花火(ふろらーど)』の続きを教えてくれる──

 

 そんなことを考えたのが、まずかった。

 

「!」

 

 ステップを踏み間違えた──と、気づいた刹那、足がもつれた。転ばないよう思いきり踏ん張ったところへ、彼女の腕が力強く支えてくれる。なんとか体勢を整えたとき、俺の頭の中からメロディーがすべてこぼれ落ちてしまった。ようするに俺は、曲を忘れて棒立ちになった。

 

 ……どうしよう。

 

 音楽が終わるまで、いくらもない。今からもう一度始めても、じきに終わってしまう。

 

「……カイル」

 

 気がつけば、周りの大勢の人々が俺を見てざわついている。──とたんに頬が熱くなった。

 

「カイル」

 

 俺はいったい、なにをやっているんだ? 王さまだって俺たちを見てるのに、こんな──

 

 すぐそばから、軽い舌打ちが聞こえた。

 

「……わたしだけを見ていろと、言っただろう」

 

 いきなり肩をつかまれ、乱れた髪をかき上げられる。手袋をはめた手が俺のうなじと腰に回り、抱き寄せられた。

 

 エディット、ごめんなさい──その言葉は、口に出すことができなかった。

 

 なぜなら、彼女の唇が、俺の唇を強く覆っていたから。

 

 

 

 


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