伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 ──落ちてくる!!

 

 魔法の矢に射抜かれた巨大なシャンデリアは、振り子のように大きく揺れた。衝撃を受けたガラス同士がぶつかり合う、けたたましい音がした。

 

 目を閉じることはもちろん、そむけることすらできなかった。こなごなになった欠片(かけら)が、頭上から流星のごとく降りそそぐと思った。──ついには、天井とつながる鎖が、ちぎれた。

 

 しかし、

 

「『キーマ(すぴるーと)()精霊よ(きーま)』!」

 

 若々しい声とともに、彼の剣を持たないほうの手から()でたのは、一頭の獅子。

 

「『守れ』!』

 

 彼の髪と同じ、くすんだ金のたてがみをなびかせた獅子は牙をむき、うなりをあげて(くう)を駆けた。黄金の光へと姿を変え、崩壊する寸前のシャンデリアを繭のように包み込む。──それで、落下が止まった。

 

 マイルズとネロが、すかさず小男に飛びかかった。グレイに脇腹を切られていたらしい小男は、あっというまにネロの巨体に押しつぶされ、危うくマイルズまでが巻き込まれるところだった。機に乗じて逃げ出そうとする若者の顔面に、バルバラの回し蹴りが炸裂した。気の毒なハイベルガー親方の口は、終始開け放たれたままになっていた。

 

 すべてのできごとに、一瞬で片がついてしまった。

 

「エレメントルート卿、くるしいの……」

 

 体の下から弱々しい声と、かすかに身じろぎする気配が伝わってきた。俺はあわてて起き上がった。抱きかかえたクローディアの髪はひどく乱れ、大きな瞳が今にもあふれんばかりに涙をたたえている。けれど、彼女は俺と目が合うと、にこりと唇の両はしを持ち上げた。

 

 俺は胸をつかれた。

 

 この幼くか弱い、愛らしい少女。彼女のような小さくてきれいな生きものに、たとえ髪の毛ひとすじたりとも傷をつけるなど、決して許されない。

 

 俺はくしゃくしゃになった銀のまき毛をどうにか整え、か細い腕を何度もさする。

 

「怖かったでしょう……?」

 

 俺には離れた故郷に、クローディアよりもっと小さな姪がいる。もしも彼女がこんな恐ろしい目に遭ってしまったら、と思うだけで、どうしても手の震えが止まらない。

 

「……ええ」

 

 うるんだ青い瞳に見つめられる。俺はうなずいた。

 

「私もです」

「エレメントルート卿も?」

「はい。とても怖かった」

「──どどどどど、どうぞもう、お放しになって!」

 

 ミリスが丸いほっぺたを真っ赤に染めて、俺の従者の手をはねのけていた。

 

 この二人もまた、俺たちと同じように、一方がもう一方のか弱きものを(かば)い守っていたわけである。俺はつい、吹き出してしまった。

 

 別に、ばあやのあわてぶりがおかしかったんじゃない。彼女のかたわらに膝をついたドワーフおじさんが、いささか()()()()していた。いつもは謹厳実直を絵に描いたみたいな彼がこんな様子になるなんて、俺は今まで見たことがなかった。

 

「……ミリスったら」

 

 クローディアも、くす、と笑う。まだ多少ぎこちなくはあるものの、まるで花が咲き()めるような笑みに、やっと俺の、肩の力が抜けた。

 

「あのー、そろそろ、いいでしょうかねえ……?」

 

 抜き身の剣を支えに立つグレイが、誰に言うともなく問いかける。「()()、もう下ろしたいんですけども……」

 

 崩れかけたシャンデリアは、いまだ光に包まれてきらめきつつ、天井から少しの中空にとどまっている。若者をふん縛っていたバルバラが飛び上がった。

 

「だめだめだめ! 絶対にだめ!!」

「だめって言われても……使役するほうもそれなりに疲れるんですよ?」

「誰が片付けると思ってるのよ!──そうだわ、もういっぺん、元に戻させなさいよ。そのくらいできるでしょ?」

「むちゃくちゃ言わんでくださいって」

 

 オーリーンがワトキンスへ、二言三言、なにかをささやいた。執事はうなずいて、大扉から外に出てゆく。残った秘書は眉をひそめたまま、捕らえられた二人を見つめていた。

 

 クローディア王女と侍女頭のミリスは、お供の騎士たちに無事、保護された。彼女たちの帰りぎわ、俺はクローディアに『ダルトンの呪文の書』を差し出した。

 

「この次お会いしたとき、お返しください」

「…………」

 

 クローディアはなにを思っただろう。俺を見上げて本を受け取り、胸にぎゅっと抱えてくれた。

 

 盗賊たちは、下男のマイルズが呼んできた町役人に引き渡された。一方、すっかりしょげかえったハイベルガー親方は、長い時間邸内にとどまり、オーリーンとなにやら話し込んでいたようだ。

 

 バルバラがあんまりうるさいものだから、シャンデリアの片付けは、ほかのみんなも手伝うことになったらしい。余談だが、玄関ホールには明かりのない状態が半月ばかり続いた。

 

 ──この日、エディットは夜が更けるまで帰ってこなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

 廊下を行くひそやかな話し声がして、俺は読んでいた本を閉じた。

 

 声が遠ざかり、扉を開け閉めする音。しばらく経って、再び扉が開く。──大股で規則正しい足取りは、たぶんオーリーンだろう。足音のぬしが階段を降りてゆき、戻る気配がないのを確かめてから、俺は自室を出た。

 

 南の突き当たりの部屋へ向かう。扉の下から明かりがもれているのを見て、ノックする。

 

「──入れ」

 

 端的でそっけないいらえに、かえってためらってしまう。俺が廊下で逡巡していると、カチャ、と、内から扉が開いた。

 

「カイル」

 

 エディットは、驚いたように大きく瞳を見開いた。上着のボタンをはずし、長い黒髪をほどいているだけで、朝出かけたときの礼服のままだ。

 

「どうした?」

「…………」

「入ったらどうだ」

 

 俺はおずおずと室内へ足を踏み入れた。──すぐに背後で扉が閉まり、思わず振り返ってしまう。

 

「閉めるんですか?」

 

 失敬な、とでも言いたげに、エディットの唇がとがった。

 

「ああ。閉めるが、なにか?」

 

 え。

 

 夜中だし、俺たち二人しかいないし……などと、わざわざ口にするのもあれである。

 

「……なんでもありません」

「それなら結構」

 

 エディットは、俺の顔をじろりとながめて横を通り過ぎ、長椅子へ腰を下ろした。

 

 若い女性の私室なのに、まったく飾りけのない部屋だ。意外にも壁には書架がならび、居室というより書斎に近い。おそらく相当高価に違いないが簡素な意匠の椅子へ、彼女の剣が無造作に立てかけてあった。

 

 テーブルの上にはお茶のセットと、まだ湯気の立つカップがひとつ。

 

「なにか飲むか?」

 

 俺は黙って首を振る。

 

 エディットは脚を組んだ。こちらを見る彼女のまなざしで、すでに昼間のできごとを耳にしているとわかる。俺は床へ目を落とした。

 

「今日は本当に、申し訳ありませんでした……」

「なぜ、あなたが謝る?」

「だって……」

 

 ──自分が魔法を見せてさえいなければ、クローディア王女はこの屋敷を訪れず、危険な目にも遭わずにすんだのに。

 

 俺がそんなことを口にすると、エディットは軽く笑った。

 

「それとこれとは、話が別だ」

「そうでしょうか」

「ああ。ボリスとネロも似たような詫びを口にしていたが──そういう意味でなら、お断りしなかったわたしにこそ責任がある」

 

 ぽんぽん、と、エディットが隣をたたいた。俺は彼女が示すところへ腰かけた。──いつもは凜とした切れ長の瞳が、少しだけ、やわらかくなる。

 

「伯父上と伯母上から、お褒めの言葉をいただいた」

「……?」

「あなたが姫を守ってくれたんだろう?」

 

 エディットは王宮で事件の知らせを聞き、クローディア王女を見舞っていたため帰りが遅くなったらしい。クローディアは帰宅後、熱を出してしまったという。いたいけな少女を思うと、胸が痛んだ。

 

「僕は、なにも……」

 

 クローディアを──みんなを守ったのは、グレイだ。とぼけたにやにや顔の、背高の従者。

 

「グレイさんって、なにものなんですか?」

「うちの家士だが」

「……それは知っています」

 

 エディットはカップを取り上げ、ひと口、お茶を飲んだ。

 

「いまどき魔法士など流行らないが、こうして役に立つときもある。──レーヴァテイン家のものとは、わたしの祖父が、彼の曾祖父と親しくなって以来の付き合いだ」

「そうなんですか……」

 

 彼が()()()黄金の獅子は、身の毛がよだつほど美しく、力強かった。

 

「……あの二人は、いったいなにを盗みにきたんでしょうか」

 

 がっしりした若い男と、痩せた小男の二人組。俺がもれ聞いた話によれば、彼らは毎月庭の手入れにやってくる庭師の親方、ハイベルガーのところの新入りだった。

 

 ハイベルガーは、いつも十人程度の()()()を連れてくる。中には仕事の合間、水を飲ませてほしいと厨房を(おとな)うものがいる。それへ茶菓のひとつもふるまうのが、料理長(コック)のネロの楽しみであるらしい。

 

 今日は大工の親子や鋳掛屋(いかけや)もきていたし、「おもてなし」の準備もあった。別邸からの応援も出入りしていてマイルズやバルバラも忙しく、厨房には寄りつかなかった。──そのすきに、彼らに二階まで入り込まれてしまった。

 

 最初に侍女のバルバラの声がしたのは、俺の部屋よりも奥のほう──こちらからだった。荒らされた跡はすでに片付けられているが、この、エディットの私室からだ。

 

「普通、金目のものなら一階を探すのではないでしょうか」

「女主人の部屋なら、宝石くらいはあると踏んだんじゃないか?」

「どうして彼らにわかったんでしょう。──()()()()()()()()()()()

 

 バルバラは、扉の鍵が開いているのに気づいて侵入者を見つけたそうだ。邸内のすべての部屋は、バルバラか部屋のあるじが鍵をかけるのだ。クローディアを自室へ案内したとき、俺は扉の鍵を自分で開けた。

 

 それに、ここへ入ってみて、果たして女主人の部屋だと思うだろうか。娘らしい華やかな色合いの調度など、なにひとつ置かれていないのに。

 

 エディットの濃い紫の瞳が、俺を見て面白そうに瞬いた。──くるりと室内を見回す。

 

「高価な本でもあると思ったのかもしれないぞ」

「それなら図書室を探すでしょう。わざわざ鍵をこじ開けて侵入しているんです。行き当たりばったりに入ってきたとは、とても思えません」

 

 たぶん、あの小男の魔法使いは、俺みたいな開錠の(わざ)を持っている。

 

 彼らにはきっと、目当てのものがあった。いや、ハイベルガーに雇われたのも、このうちへ入り込むためだったんじゃないだろうか。

 

 俺はエディットの瞳を見つめ、もう一度くり返した。

 

「……彼らは、なにを盗みにきたんでしょう」

「………………」

 

 ただひたすらに白い、まるで最上級の陶磁器のような彼女の頬に、薄く(かげ)りが差した。

 

 エディットはずいぶん長いあいだ、唇を結んだままだった。なにかに迷っているようだ。──ふっと、ため息をこぼす。

 

 立ち上がり、壁ぎわの書きもの机の引き出しを開ける。取り出したのは小さな鍵だ。それを握り、今度は書架の前に立つ。

 

 中段から何冊か本を引き抜き、奥へ手を差し入れる。──カチ、と、かすかな音がした。彼女は振り返り、古びた封書を一通、こちらへ向けた。

 

「……きっと、これだろう」

 

 エディットは、ひどく暗い瞳になっている。

 

「それは、なんですか?」

「父に宛てた手紙だ。あなたの前の、エレメントルート伯爵へ」

「誰から?」

 

 エディットは肩をすくめた。「それを軽々と口に出せるなら、苦労はしない」

 

 軽々とは口に出せない人物、なのか。

 

「十三年前、わたしの父が、なにものかに殺害されたという話は知っているか」

「……うすうすは」

 

 このところのキトリーからの訪問客の話を総合すると、先代のエレメントルート伯爵は、なにかの(いさか)いに巻き込まれ、不幸な亡くなりかたをしたようだ。そのくらいなら俺も察している。

 

「この手紙の書き手は父へ、()()()()()()()()()()求めている。父が応じたのか断ったのか──いずれにしろ、だから殺された」

 

 ──うちの馬丁のレジー、わかるだろ? あいつがゆうべ、街で聞いてきたんだ。ずいぶん評判になってるみたいだけど……

 

 爵位授与式のとき、リュカ=サーヴェイが言った『証拠の手紙』。街の評判を聞き知った書き手が、取り返そうとしたのだろうか。

 

「とにかく……」

 

 エディットは大きく息を吐いた。書棚の奥へ手紙をしまうと鍵をかける。鍵を書きもの机の引き出しへ戻し、再び俺の隣に腰を下ろした。

 

()がこうした出かたをすることは想定していた。なのに王女殿下をお招きしてしまったのは、わたしの落ち度だ。あなたはなにも気にする必要はない」

「いえ、そうじゃなくて……」

「そうじゃなかったら、なんだ?」

「…………」

 

 言葉を探す俺を見るエディットは、けげんそうである。彼女は長椅子の背に片肘をつき、ふと、口元へ手の甲をあてた。

 

「ところでカイル……」

「はい」

 

 目を上げれば、なぜか、すい、と視線をそらされた。

 

「もう、時刻も遅い」

「? そうですね」

「わたしは、その……着替えをしたいんだが……」

「…………………………」

 

 ややしばらく考え、やっとなんの話か理解できた瞬間、俺は立ち上がった。

 

「ごごご、ごめんなさい!」

「いや、いいんだ」

 

 エディットは俺のほうを見ない。長椅子の後ろに非常に興味深いものが落ちているのかっていうくらい、かたくなに顔をそむけている。整った頬が少々赤い。俺の顔もだんだん熱くなってきた。

 

「あの、ええと、遅くにお邪魔しました。それじゃ、おやすみなさい」

「うん」

 

 まさに脱兎のごとく、一目散に自分の部屋まで逃げ帰ってしまった。顔だけではなく、体まで熱いような心地がする。俺は窓を開けて、バルコニーに出た。

 

 エディットは朝早くから仕事があって、クローディアのお見舞いに寄って、帰ってからも報告を受けたりしてたんだもの。そりゃ疲れてるよな──そう考えると、自分の性急さを申し訳なく思う。

 

 暗い夜空は低く、ぶ厚い雲で覆いつくされていた。月も星も見えない。明日はまた、雨だろうか。

 

 俺はずっと、そうして外の風に吹かれていた。──彼女の部屋の明かりが、消えてしまうまで。

 

 

 

 

 


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