伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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「まだ怒っているのか?」

「いいえ。怒ってなんかいません」

 

 ……ほんとは怒ってるけどね。

 

 俺たちは宮殿の長い廊下をならんで歩く。エディットはぶんむくれの俺をながめながら、ずうっと笑い通しだ。

 

「いいかげん機嫌を直せ。そんな顔を王女殿下にお見せするつもりか?」

「ほっといてください」

 

 俺の顔はどうせ地味です。金髪(パツキン)にでもしなきゃ、華やかさに欠けるんでしょ。

 

 ──ようするに俺は、上げ底靴にかつらをかぶった()()である。結局。

 

 王都アセルティアの中心にあるアセルス城。このあいだ爵位授与式がおこなわれたのは、主宮殿のほんの一画だ。広大な敷地は緑に覆われ、森のあちらこちらに美しい御殿の姿が見え隠れする。

 

 王族の皆さんは、一人一人が「宮」──すなわち、宮殿をお持ちなんだそうだ。本日俺たちは、王弟シベリウス殿下の優美な白亜の宮へお招きを受けた。

 

 俺の機嫌は最悪だが、エディットの機嫌は上々だ。お茶会は苦手じゃなかったのか? 今日は近衛隊の制服に剣を帯びた、いつもの装いだからかもしれないが。

 

「お二人とも、ようこそおいでくださいましたわね」

 

 俺たちは、王弟妃のクララさまに出迎えられた。クララさまは控えめな印象のほっそりした貴婦人で、ご夫君シベリウス殿下とのあいだには姫君ばかりが三人。クローディア王女以外の姉姫は、もう国外へお嫁に行ったそうだ。

 

 となると、少なく見積もっても三十代の後半にはなっていそうなものだが、クララさまは若々しい。赤みがかった茶色の髪と、クローディアにそっくりの青い瞳の持ちぬしである。

 

 日当たりのいいテラスへ案内される。そこにはすでに先客がいて、驚いた。

 

「エレメントルート卿、エディット、ごきげんよう」

 

 なんと、王后陛下である。──国王マティウス二世の妻、アントニエッタさま。

 

 健康な赤ん坊みたいにふっくらしたほっぺたのアントニエッタさまは、クララさまよりなお若い。はたちに満たないうちに王さまへ嫁ぎ、夫妻の年齢の差は十五を超えるとか。

 

 俺の偽物の金髪よりよっぽど深い黄金の髪に、はしばみ色の瞳を持つ王后さまは、年上だが義妹に当たるクララさまと、とても仲がいいようだ。親密そうな笑顔で言葉を交わしている。

 

 なんていうか──俺はこの手の催しに出席するのは初めてだけど、偉ければ偉いほどお出かけって大変になるんだなあ、と思う。

 

 俺やエディットの外出に従者が付くのさえ大げさに感じるのに、これが王后陛下ともなると一大事だ。敷地を同じくする王宮内といえど、お供の騎士や女官たちがぞろぞろ付き従う。居ならぶ中に最近会った顔を見つけ、俺は目をむいた。

 

 出たな、リュカ=サーヴェイ。エディットの幼友だちの、二枚目(イケメン)さわやか好青年だ。

 

 王后さま付きのエディットの同僚なんだから、この場にいてもまったく不思議はない。リュカは「元気?」という形に口を動かし、小さく手を振ってよこした。なんとなくいまいましいので、当然俺は振り返さない。

 

 そよ風の心地よい、小春日和の午後である。テラスにはテーブルがしつらえられており、俺たちは席についた。侍女の手によって、スコーンやらケーキやらきゅうりのサンドイッチやらがならべられ、香りの高いお茶を、年取った執事が順々にそそいでまわる。

 

「エレメントルート卿、新婚生活はいかが?」

 

 アントニエッタさまがスコーンをつまみながら、おっとりと俺に問うてくる。

 

「いくら尋ねても、エディットはちっとも教えてくれないの」

 

 親戚とはいえ、王后で直属の上司でもある彼女の問いをはぐらかし続けるとは、かなりの度胸と言わざるを得ない。そして俺に、そんな度胸はない。

 

「ええ、はい、それなりに……」

「まあ、お聞きになった? クララさま、()()()()ですってよ」

「おっしゃるのねえ」

 

 アントニエッタさまとクララさまは、意味ありげに顔を見合わせ、くすくす笑う。

 

「お若いうちからこんなに美しい奥方をお持ちになるなんて、どのようなご気分かしら?」

 

 今度はクララさまが身を乗り出してくる。

 

 お二人ともとてもきれいな女の人だ。比べてしまうと、エディットの制服姿はいかにもそっけない。なのに、俺の妻の美しさは、この場の誰よりもきわ立っていた。それは周囲の人々が彼女へ送る、魅せられたまなざしからも明らかである。

 

 気分……気分ですか……俺は懸命に頭をめぐらせる。俺がどう感じているかってことでしょうか……?

 

「どうして私なんだろうと、思います……」

「──カイル」

 

 じろーり、と、エディットににらまれた。──え、だって! ()かれちゃったんだから答えないと!

 

 俺の回答にご満足いただけたのか、それともエディットの反応がおかしかったものか、貴婦人たちは扇で口元を隠し、上品な笑い声を立てた。

 

「──あっ、おまえ!」

 

 庭の木立の向こうから、テオドア王子とクローディア王女がそろって駆けてきた。あれ、あの生意気なボクちゃんまできてたのね。

 

「テオドアは、エレメントルート卿ともうお知り合いなの?」

 

 アントニエッタさまがやわらかく目を(みは)る。テオドア王子は庭先で立ち止まって姿勢を正し、幾分顔を赤らめた。

 

「はい、母上。このあいだ、クローディアといっしょにお会いしました」

「そうだったの。エレメントルート卿は、エディットの旦那さまですからね。わたくしたちにとっても親戚よ。仲良くしていただけるようになさいね」

「はい!」

 

 あれえ? 母上の前じゃずいぶんいい子なんだあ。──俺がそんな顔をしたせいか、テオドアは反抗的な目つきで見返してくる。

 

 そして一方、クローディアはというと──

 

 なめらかな白い頬が、よく()れたりんごみたいに真っ赤になっている。目が合うと、彼女はぱちりと瞬きし、クララさまの背の裏へ逃げ込んでしまった。

 

 えっ?

 

「あらあら、クローディアったら、どうしたの?」

 

 クララさまが戸惑ったように振り返った。

 

 はじめにリボンを結んだ銀のまき毛が、ちらっと見えた。やがて片方だけ、大きな空色の瞳がこちらをのぞく。ほっぺたはますます赤い。

 

「しようのない子ねえ。ほら、クローディア。エレメントルート卿へ、お礼を申し上げるのでしょう?」

「…………」

「クローディア?」

 

 もう一度優しくうながされると、クローディア姫は半分クララさまに隠れたまま、ようやく口を開いた。

 

「……こんにちは」

 

 耳をすまさなければ聞こえないほどの、かすかな声である。俺は返しに困った。しかも隣からは、とがった視線がやいばのように突き刺さる。や、そんな。彼女はまだ九つの子どもじゃないの。

 

 それにお礼だなんて、俺のほうが恥ずかしい。泥棒事件のときに彼女を(かば)ったからなんだろうけど、はっきりいって、あの日の俺はただのでくのぼうだ。

 

「王女殿下、もうお加減はよろしいのですか?」

 

 王宮へ帰ったあとに熱を出したと聞いたので、尋ねてみた。

 

「はい。……あのう」

 

 母上の椅子の後ろからおずおずと出てきたクローディアは、両手を組み合わせ、まるで夢見るような瞳を俺に向ける。

 

「エレメントルート卿、あの……」

「は、はい?」

「お庭を、ご覧になりませんこと……? わたくし、ご案内してさしあげてよ」

「僕も行く!」

 

 テオドアが断固として叫んだ。なにがどうあってもついていく、という気概が、凜々しい眉に満ちあふれている。うん、大丈夫。俺もそのほうがいいと思うから。……いろんな意味で。

 

 ばあやのミリスや警護の騎士たちがお供を申し出るが、断ってしまう。クローディアは俺とテオドアだけを従えて、再び庭へ下りた。

 

 この宮の庭園は、木々の枝を深く刈り込んだりせず、下生えもほどほどに残してある。天然の森に近い雰囲気を出すよう工夫しているらしい。明るく染まった広葉樹の葉が、はらり、はらり、と散ってゆく。

 

「エレメントルート卿?」

 

 かろやかな足取りで、地面に落ちた葉影と枯れ葉を踏みながら、クローディア姫が俺を見上げた。──よかった。顔色がいくらか落ちついて、彼女らしい温かな笑みが戻っている。

 

「はい、なんでしょうか」

「このあいだの魔法の本、もうしばらくお借りしていてもよろしくて?」

 

 先日渡した俺の『ダルトンの呪文の書』のことだ。返してもらったほうが次に借りたがっているオドネルが喜ぶだろうけど、ここはお姫さまが最優先である。

 

「ええ、かまいません。面白いですか?」

「いいえ、ちっとも」

 

 小さな見習い魔女は、可愛らしく唇をとがらせた。「少しも()()()ようにならないんですもの」

 

 あららら。

 

「本を読んだくらいで、魔法使いになんかなれるもんか!」

 

 拾った小枝を勇ましく振り回しながら、テオドアが言う。

 

「クローディアもそんなおかしな髪にするのか? 似合わないよ!」

 

 確かに。──髪に関していえば、俺も王子殿下に大賛成。

 

「私も何年もかかりましたよ」

 

 と、俺は言った。なぐさめではなく、事実だ。俺は文字を読めるようになってから、毎日なにかしらの呪文を(うた)っていた。だが、初めて指先まで力が通るあの感覚をつかんだのは、いつだろう。一年や二年ではきかなかったはずだ。

 

「エレメントルート卿も?」

 

 空色の瞳が、みるみるうちに明るくなる。俺はうなずいた。

 

「クローディアー!」

 

 だしぬけに駆け出したテオドア王子が、向こうで木ぎれを振り、大きな声を出している。

 

「なあに? テオドア! 待って!」

 

 (こた)えたクローディア王女が、小走りになった。──俺と王女の距離が、わずかばかり、離れた。

 

「──エレメントルート伯爵」

 

 ぞくり、とした。突然の、背後から響く低い声。

 

 人の息づかいはもちろん、落ち葉を踏みしだく音さえまったく聞こえていなかった。振り返ろうとして、もっと驚いた。本当にすぐ後ろに──俺の背に張りつくようにして、男が立っている。

 

 男性、と、とっさに思ったのは、相手の声音もさることながら、制服のためだった。近衛騎士の、濃い灰色の生地に黒いボタンのついた軍服だ。

 

 男は俺よりずっと背が高かった。見上げる前に、手が、

 

「……伯爵閣下、どうぞ」

 

 爪がきれいに整えられていたことを覚えている。ごつごつした大人の男の、軍人の手。その手が、俺の前へ、細くたたんだ紙を差し出した。

 

「え……」

 

 受け取ってしまった。実用的な厚手の紙だ。今すぐ開こうか、それとも、これがなにかを男に尋ねたものか──少しだけ、迷った。

 

 一瞬のあいだに、男の気配は消えていた。俺はようやく振り返った。──去ってゆく背の高い後ろ姿。とはいえ、エレメントルート伯爵家の背高の従者、グレイにはほど遠い。彼のようにひょろひょろではなく、がっちりと鍛えられた体つき。腰には当然長剣を下げている。アセルス人に多い、リュカ=サーヴェイとよく似た茶色の髪。

 

 俺が見たのは、それだけだ。

 

「…………」

 

 なにか釈然としない心持ちで、紙を広げてみる。

 

『エレメントルート伯爵夫人に関する重要な事実をお伝えいたしたく』

 

 急いで記したらしい、走り書きの文字。

 

『きたる五日午後二時、コンラート広場噴水前までお一人にてこられたし。なお、この手紙の件はどなたにも口外されるべからず』

 

 ……なんだこれ?

 

 

 

 

 


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