伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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「……計略とは、どういう意味だ」

 

 それまでとは打って変わって抑えた声で、エディットが問う。

 

 オーリーン=ショウは、この世のすべてのものごとは馬鹿げている、とでも言いたげな、高慢な(おもて)を崩さない。

 

 彼はエレメントルート伯爵家の、王都における(かなめ)といえる青年だ。領地キトリーをたばねる家令の跡取り息子であり、秘書とは言いつつ、エディットのお目付け役でもある。もちろん彼の目の付けどころには、この俺もふくまれる。

 

 貴族的で怜悧な顔立ちである。眼鏡の向こうの、東方の血筋をうかがわせる一重まぶたは非情そのものだ。彼は先ほど俺たちをほんの子どもあつかいしたが、年齢は俺と十歳も違わない。なのに、とてもそうとは思えない、年寄りじみたもの言いをする。

 

「奥さま、少し冷静におなりなさい。状況を考えればわかることです」

「……奥さまはよせ」

 

 エディットが上目になる。オーリーンは落ちつき払ってうなずいた。

 

「では、()()()()()()()

「………………」

 

 そうやってあるじを黙らせておき、秘書は眉間に深々としわを寄せる。

 

誣告(ぶこく)を受けるお心当たりがないのでしたら、この呼び出し状の目的は、先日の盗賊どもと同じと考えて間違いございません」

 

 ──あ。

 

 ()()()()()か。

 

 生前、エディットの父上が受け取ったという、「軽々とは口に出せない人物」からの手紙。二人の泥棒は、それを狙ってこの屋敷に侵入した。──エディットの瞳も鋭くなる。

 

「じゃあ、カイルを呼び出したのは」

「単にご夫婦のあいだに波風を立て、仲間割れを誘うつもりか、旦那さまから()()のありかを聞き出すつもりか──いずれにしろ、当家の最も弱いところを突いたつもりでしょうな」

 

 苛立ち混じりの秘書のため息が、俺の頭の上を通り過ぎてゆく。

 

「あなたをコンラート広場へ行かせることは、できかねます」

 

 俺は彼を見上げた。「どうしてですか?!」

 

「われわれは今、正念場にいるのです。邪魔をされては困る」

「……オーリーン」

 

 エディットの呼びかけの声が低くなる。けれど、秘書はあるじを見向きもしない。俺は唾を飲み込んだ。

 

「正念場って、どういう意味ですか。教えてください」

「よろしい。知りたいとおっしゃるならお答えいたしましょう」

「オーリーン、それ以上言うな」

「いいえ、エディットさま。もうお話ししてもいいころです。お話ししなければ、このかたにはわからない」

 

 薄い唇がゆがんだ。なんとはなしに、ぞくりとする。彼は笑ったのだ。

 

「十三年前、エディットさまの父君、セドリック=エレメントルート卿は、王宮でなにものかに殺害された。犯人は不明のまま、いまだに捕らえられておりません。──その殺害犯を、われわれは追っている」

 

 ()()()()()()()()()

 

「エディットさまを心から愛するおばあさま、エレオノーラ王太后が存命であるうちは、表立った行動を起こすわけにはいかなかった。そのあいだ、われわれは姿の見えない(かたき)の首魁をおびき出すため、ひそかに準備を重ねてきた。ようやく今、待ち焦がれていた時がきたのです」

 

 銀縁眼鏡の奥の、さえざえと黒い瞳が俺を見下ろす。

 

「あなたのように愚かな子どもでは、(おとり)としての役にさえ立たない」

 

 迷いはなかった。俺は即座にかぶりを振った。

 

「なれます。僕は、囮に」

「だめだ!」

 

 間髪をいれず、エディットが叫ぶ。秘書はせせら笑った。

 

「馬鹿なことをおっしゃるな。間近に会った重要な手がかりの顔すら見ておらぬ散漫なものに、いったいなにができましょうや」

 

 それを言われると返す言葉もない。あの近衛騎士が、敵の正体につながる人物だとしたら、俺が顔を見なかったのは、いかにも痛い。

 

「──われらがあなたを選んだ理由を、お知りになりたいか」

 

 オーリーンが続けた言葉に、俺は目を見開いた。

 

「選んだ……理由?」

「ええ。あなたを、主君の夫に選んだ理由です」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「すべては、エレオノーラ王太后のご遺言があったればこそ。──王太后崩御のときに独り身であれば、エディット=エレメントルートを国王の養女とし、()()と成すと」

 

 そうだ。あれはユーリから聞いたんだ。──王太后陛下は、ご両親もご兄弟もいないエディット姫の行く末がご心配なんですね。

 

「もしもエディットさまが王女となれば、王太后陛下の葬儀ののち、すぐにでも国外へ嫁がされてしまったでしょう。あの男なら、そのくらいはやりかねない。さすればわれらが故郷、キトリーは永遠にあるじを失うことになる」

 

 オーリーンの口ぶりは驚くほど不遜である。「あの男」とは、国王マティウス二世のことか。

 

「……われわれは、エディットさまの夫となり、爵位を継ぐ男を得なければならなかった」

 

 彼女は王女になりたくなかった。だから、おばあさまが亡くなる前に、是が非でも誰かと結婚する必要があった。

 

「われらがあるじの夫に求めたものは、三つある。ひとつ、エディットさまとの婚姻を(さまた)げられない身分であること。二つ、われわれの目的の邪魔にならないこと。三つ──たとえ命を失っても、誰からも惜しまれないこと」

 

 ()()()()()()()()()

 

「われわれが欲していたのは、返り討ちに()ってもかまわない、無意味で無価値な存在だ。だからこそ、あなたを選んだ」

 

 だから、俺を。

 

「だが、()()見立てが間違っていた。この先あなたでは、逆賊として処刑台に上がる用には足らぬ。──これで、おわかりになっていただけたか?」

 

 俺が、無意味で無価値な存在だったから。

 

「そうなんですか……?」

 

 どうにか俺は、エディットに目を移した。「本当に、そうだったんですか?」

 

「違う」

 

 エディットの顔は、凍りついたように青ざめていた。硬く引き結んでいた唇を、ゆっくりとほどいていく。

 

「オーリーンは嘘をついている。カイル、あなたを選んだのは──()()()()

 

 彼女が、自分で。

 

「僕を、選んだのは……僕が、意味のない人間だから?」

 

 まるで俺にこそ敵意を(いだ)いているかのような、美しい美しい紫の双眸が、俺を見る。

 

「ああ、そうだ」

「死んでしまっても、かまわないからなんですか?」

「そうだ! 何度も言わせるな!」

 

 ──そうか。

 

 ようやく俺にも、腑に落ちた。

 

 エディットは、なんとしてもおばあさまが亡くなる前に、夫を迎えなければならなかった。結婚に異議を唱えるものが出ないよう、ディルク姓のある家から。お金で思い通りにできる貧乏貴族の息子を。でも、それだけなら、ほかにも候補はいただろう。

 

 中でも、たとえ死んでしまっても少しも惜しくない、一番の役立たず。それが俺か。

 

 エレメントルート伯爵家からバルドイ男爵家へ、気が遠くなるほどのお金や物が贈られた理由が、やっとわかった。あれは、俺の命を(あがな)う金。

 

 あれは彼女の良心だった。だから、あんなにたくさんのお金をかけて。

 

 知っていた。出会ったときに、エディットから言われたはずだ。俺がいなくなってもアルノーはなにも困らない。だから俺を選んだと、彼女は俺に告げていた。

 

 ふいに、エディットの瞳の色が変わった。

 

「泣くな!」

 

 大きな声で怒鳴りつけられ、俺の体はびくりと震えた。触れてみて、初めて気がついた。俺の頬は濡れている。

 

 あわてて目をぬぐう。違う。俺は、泣きたかったんじゃない。それに、彼女のほうこそ今にも泣き出しそうに顔をゆがめている。

 

「……あなたはもう、アルノーへ帰りなさい」

 

 淡々としたオーリーンの声が、どこか遠いところから響いてくるようだ。

 

「あとで誰かに送らせましょう。それまでは、この部屋から決して出ないように」

「いいえ……」

 

 喉が鳴るのを、懸命にこらえた。「僕一人で、帰れます」

 

「旦那さま、それは無茶というもの」

 

 どうして? 西部へ向かう駅馬車に乗ればいいんだ。いくら世間知らずの俺だって、そのくらいは知っている。きた道を帰る。それだけじゃないか。

 

「平気、です」

 

 帰ろう。一刻も早く。おばあさまが亡くなった今、俺はもう必要ない。これ以上、彼女の足手まといに、なってはならない。

 

 俺は彼女の顔を見ずに、きびすを返した。

 

「カイル!」

 

 開け放しの戸口から廊下へ。すがるように階段の手すりをつかんだ。一階まで駆け降り、玄関ホールを走り抜ける。大扉を押し開いたら、カラン、とベルが鳴った。音を聞きつけた誰かがやってこないうちに、一目散に外へ、外へ──

 

 だから俺は、俺が逃げ出すとき、エディットがどんな顔をしていたのか、知らない。

 

 

 

 

 

「──お気持ちはわかりますが、隠し通せると思っておいでか。あのかたは幼くはあっても、そこまでの馬鹿ではない」

 

 秘書がつけつけと無遠慮に言う。彼は廊下へ向かって声を張り上げた。

 

「誰か!」

「お呼びでございますか」

 

 侍女のバルバラが、すぐさま現れる。オーリーンはうなずいた。

 

「旦那さまをお止めしろ」

「かしこまりました」

「──ほうっておけ」

 

 情の通わぬあるじの口ぶりに、バルバラは足を止めた。

 

「銅貨の一枚も持たないはずだ。どこにも行けるわけがない」

 

 柳腰につるぎを帯びた黒髪の乙女は、唇を震わせ、毅然と顎を持ち上げた。

 

「……それに、そんなことは、言われなくてもわかっている」

 

 

 

 

 

 前庭を過ぎ、門をくぐり、石畳の歩道へ折れても、誰かが追ってくる様子はない。冷たい秋の風が頬を打つ。俺は無我夢中で走り続け、やがて息を切らして足を止めた。

 

 服の袖でごしごし顔を拭く。胸が苦しい。俺は塀に寄りかかり、呼吸を整えようとした。

 

 どうしてこんなに苦しいんだろう。どうしてこんなに悲しいんだろう。俺は、どうして──

 

「──坊や」

 

 立ち止まった人影に、目を上げる。声をかけてきたのは、平民の身なりをしたまだ若い男だ。恥ずかしい、と、とっさに思った。知らない人に、泣いているところを見られた。

 

「どうしたんだい? おまえさん、そこんちの子だろ?」

 

 男が指すのは高い塀の向こう、エレメントルート伯爵家の屋根である。俺は鼻をすすりあげ、うなずいた。

 

「はい、そうですが──」

 

 なにか用ですか、と尋ねることさえできなかった。ガツン、と、突然後頭部を激しい痛みが襲った。なにがなんだかわからないうちに、俺は意識を手放した。

 

 最後に聞こえたのは、俺に話しかけてきた若い男の声である。

 

「この馬鹿! だしぬけに、なんて真似しやがる!」

 

 ……それって、俺の台詞だと思うんだけど。

 

 

 

 

 


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