伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 カシャン……

 

 掛け金と鎖が触れ合う、かすかとはいえない音がした。

 

 油など一度でも差したことがあるのだろうか。格子戸を押し上げるとき、蝶番(ちょうつがい)がきしんだ。ジョナスが開け閉めしたときは、こんなに大きく鳴っただろうか。

 

 俺は地上へはい出した。一分一秒でも早く、錆びて重たい鉄格子から離れたい。どうしても気が()いてしまう。

 

 どうにか格子戸を閉め、納戸の戸口から顔を出した。消し忘れのほのかな明かりのもと、ひげづらの男たちが、大の字になったり、ちぢこまったりして眠っている。

 

 暗がりに重なり合って響く()()()が、のどかにさえ思えた。一歩ずつ出口へ向かう俺の口は、カラカラに乾いている。当たり前だ。俺は昨日の昼間から一滴の水も飲んでいない。

 

 かまどの隣に、大きな水がめがあった。

 

 耐えきれず、柄杓(ひしゃく)へ手を伸ばした。なまぬるい水が、まるで甘露だ。口の端をぬぐい、ようやく思い出して振り返る。──誰一人、目覚めていない。

 

 ほっ、と、息を吐き出したとき。

 

 砂利道を踏む音がして、俺はとっさに水がめの陰へしゃがみ込んだ。大柄な男が一人、扉を開けて入ってくる。用足しから戻ってきたのか。──危なかった。まっすぐ外に出ていたら、鉢合わせするところだった。

 

 ぐわあ、と、()えるようなあくびをし、男は酔いの残った足取りで、隠れた俺の横を通り過ぎた。

 

「………………」

 

 男は元の寝場所へ帰ったようだ。通りすがりに誰かを蹴とばし、相手がけんつく(ののし)るだみ声も、じきに夜明け前の薄闇の中に、消えた。

 

 静かに、静かに──浅い呼吸の音ですら、やつらの耳まで届いてしまいそうに思う。

 

 立ち上がり、ゆっくりと回れ右をする。今度こそ俺は、出口へ、

 

「──!!」

 

 だしぬけに、後ろから足首をつかまれた。息をのむなりすさまじい力で引かれ、次の瞬間、俺の体は床に激しくたたきつけられていた。

 

「おい、おまえ……」

 

 右肩を強く打った。目がかすむ。この声は、ヨーヨーだ。

 

「こんなところで、なにしてやがんだよおー……」

 

 放せよ、この()()()──言ってやりたいが、声も出ない。

 

「……なんだなんだ?」

「うるせえぞ、静かにしろい」

「──起きろぉ、ちびィ」

 

 ぐい、と、腕をつかまれる。歯を食いしばって痛みをこらえた。やっと目の焦点が合う。──真っ先に見えたのは、ヨーヨーの生っ白いにきびづらだ。

 

 酒くさい息を吹きかけられた。「……どうやって出やがったぁ?」

 

「あっ、小僧!」

「てめえ、いつのまに?!」

「──おまえたち、なにを騒いでるんだよ! 眠れやしないじゃないか!」

 

 おそらくは姐御(あねご)と思われる女が、取り巻きを従えて姿を現した。仰天するほど赤いネグリジェはいかにも彼女らしいが、瞳も、唇も、昨日よりひと回り小ぶりである。まだ俺の目がくらんでいるせいではあるまい。

 

「おやおや、そこにいるのはレオンハルト坊やじゃないか」

 

 俺を見ると、姐御は声を立てて笑った。「これは、どういうわけなんだい?」

 

「おい」

 

 ヨーヨーに胸ぐらをつかまれ、強く揺さぶられる。

 

「どうやって出やがった、って、()いてんだよぉ」

 

 いつのまにか全員が身を起こし、立ち上がり、俺たちの様子を見つめていた。

 

 俺は唾をのんだ。「開いていたんです、鍵が……」

 

「……ジョナス?」

 

 不気味に優しい声音になって、姐御が問うた。「あんなことをお言いだよ?」

 

 男たちのあいだから、兄貴が立ち上がった。髪は寝ぐせで逆立ち、目はとろんと眠たげだ。はだけたシャツの脇腹をぼりぼりかきながら、首を振る。

 

「ありえねえっすよ、姐御」

「嘘じゃないだろうねえ?」

「死んだお袋にかけて誓ったっていい」

 

 ジョナスは暗い鈍色(にびいろ)の瞳を、俺へ、次いで、ヨーヨーへ向けた。

 

「ヨーヨー、言ってやんな」

「ああ。──兄貴が鍵を回したあと、おいらが掛け金を引いて確かめた。ぜってえ開かねえってなあ」

 

 苦しい。ヨーヨーが襟をつかむ手に力を入れたから、俺の首は今にも絞まりそうだ。

 

(キー)ならここにある」

 

 ジョナスは取り出した鍵束が皆に見えるよう、じゃらりと振った。

 

「レオン坊、俺たちをなめんじゃねえぞ。──うちにはな、ついこないだまで、ジェネジオさんって腕っこきがいたんだ」

 

 確か、その名前は昨日も聞いた。

 

「俺たちゃ今までに、あの人の魔法で何度もいい目を見さしてもらってんだよ。あの人の、()()()()の術にな」

 

 男たちがどよめいた。

 

「まさか、魔法使いか?」

「こんなガキが、『開錠』の(わざ)をあつかえるってのかよ!」

「おかしかねえぜ」

 

 ジョナスは仲間たちを見回した。「そら、ゲイリーの野郎が、あの家には手だれの魔法士がいるって言ってたろ。化けものを呼んでみせたって」

 

 泥棒事件のとき、グレイの声とともに現れた、黄金の獅子。

 

「おおかた、その男の弟子かなんかだろう」

 

 と、ジョナスは俺へ向かって顎をしゃくる。冗談ではない。俺の師は、彼ではない。

 

「……どうしやす? 姐御」

 

 一人が問い、姐御のぼやけた眉がひそめられた。化粧をしていれば、それなりの形相になったのだろうが。

 

「閉じ込めといたって、またぞろ逃げちまいますぜ」

「交代で見張っときゃいいじゃねえか」

「面倒くせえ。いっそ(ばら)しちまえ」

 

 ついには物騒な言葉が飛び出して、俺は震えあがった。こんなところで殺されるのだけは勘弁してほしい。俺にはまだ、やりたいことがたくさんあるのに。

 

「……………………」

 

 姐御はずいぶん長いあいだ、自身の豊満な体を抱きしめるように腕を組み、考えていた。

 

「──出かけるよ」

 

 きびすを返す。

 

「どちらへ?」

「旦那のところさ。今の時季なら、()まできていなさるはずだ。あの人の手下(てか)になら、魔法使いがいる」

「ええッ?」

 

 姐御の右腕らしい年取った男が、彼女にすり寄った。

 

「姐御、このガキ、親分に渡しちまうんですかい?」

「おまえたちが、あつかいきれないって言うんじゃないか。──()るのはいつでもできる。使い道が見つかるまでは、預けておこうよ」

「……かまわねえんですかい?」

 

 誰かと誰かが、ひそひそとささやき交わしている。

 

「このところ、旦那の足が向かねえもんだから……」

「姐御も女だなァ」

「──やかましいよ!」

 

 姐御はくわっと振り返った。

 

()()()をならべてないで、とっととしたくしな!」

「へえーい」

 

 皆はのそのそ立ち上がり、伸びをしたりあくびをしたり、三々五々と散ってゆく。ヨーヨーに捕らわれた俺を、ジョナスをふくめた数人が取りかこんだ。

 

「悪く思うな」

 

 ジョナスは、ゆうべと同じ言葉を口にした。

 

「魔法使いは、見かけじゃ力量がわからねえ。油断しねえのが(きち)だ。──おい」

 

 丸めた手ぬぐいを口の中へ押し込められる。俺のささやかな抵抗など、まったくの無意味だった。あまりの苦しさに、涙がこぼれそうになる。そのうえ、さるぐつわまで噛まされる。

 

 両手は後ろへ回され、手首を縛られた。ふさがれた口と右肩の痛みに、吐き気がこみ上げる。

 

「魔法使いは、言葉をあやつる──」

 

 ジョナスがつぶやいた。「だが、腕の立つやつは、小指一本でも、視線だけでも、相手を思いのままにするんだそうだ」

 

 最後の手ぬぐいが、目を覆う。あまりにきつく締められ、俺の体は大きくよろめいた。誰かの太い腕に、乱暴に支えられる。

 

「……悪く思うなよ」

 

 もう一度、ジョナスの声が俺に言った。

 

 

 ◆◇◆

 

 目が見えない。口もきけない。腕も動かせない。

 

 俺に残されたのは、両方の耳と、頭だけだ。なんとか逃げ出す手段はないか、考え続けるしかない。

 

 これから向かう先は、姐御の「旦那」──「親分」とも呼ばれる男のところだろう。『証拠の手紙』を手に入れたものに褒賞金を出すのは、その男か。

 

 やくざどもは、俺を外へ連れ出した。次に腰を下ろしたのは板張りの床。──きたときに乗せられた馬車の荷台だ。あとから三人ほどが乗り込んできたようだ。床が大きく揺れる。

 

「──やってくれ!」

 

 ジョナスの声だ。御者台から「あいよぉ」と(こた)えたのがヨーヨー。白粉(おしろい)の香りがしないから、姐御は別の乗りものだろう。

 

 荷台の揺れる音と車輪のきしむ音に混じり、近くで水音が続いている。水路に沿った道を進んでいるようだ。

 

 土埃のにおい、小鳥のさえずり──人の話し声は聞こえない。ほかの馬車とすれ違う気配もない。ひたすら砂利道を、ガラガラと進んでゆく。

 

 男たちは口を開かない。せめて、行き先のうわさ話くらい、してくれればいいのに。

 

 途中で三度、角を曲がった。目が見えないせいか、時間の感覚があやしくなってくる。とはいえ、一時間は経っていないだろう。やがて手綱を打つ音がして、揺れが止まる。

 

「降りるぞ」

 

 ジョナスが言う。なかば抱えられるようにして、俺は馬車を降りた。

 

 ──地面から風が吹き上がった。髪をくすぐられ、木々のざわめきが起こり、ほのかに水の香りもする。

 

 出発したときよりも日差しが高く、明るく感じられる。木立にかこまれた池か湖、そんなものを俺は連想した。

 

 腕を取られて、硬い石畳の地面を歩いてゆく。姐御は先に着いていたらしい。「ベリンダが手みやげを持ってきたと伝えておくれ!」と、しきりに訴えている。車寄せから建物までの距離を考えると、結構なお屋敷だ。ここが「旦那」の「(べっそう)」か。

 

 大きな扉が開く音。

 

 旦那、とは、姐御の愛人かと思っていた。それにしては彼女のあつかいがぞんざいだ。見ていないからわからないが、今朝は化粧の()()がいまいちなのか。それとも、ベリンダ組が一度しくじったから、旦那が冷たくなったのかもしれない。

 

「困るねえ、ベリンダ。こんなところまで訪ねてこられちゃあ」

 

 通された部屋で、案外ものやわらかな男の声が、俺たちを出迎えた。どうやら彼が「旦那」で、「親分」だ。壮年か老人か、いずれにしても、姐御より相当年上だろう。

 

「……ごめんなさい」

 

 しおらしげな声に、ぎょっとした。俺のかたわらではジョナスが「まじかよ……」とつぶやいたから、彼も似たような感想を(いだ)いたらしい。

 

「でもあたい、どうしてもあんたに助けてもらいたかったの」

 

 ううーん、目隠しをはずしてほしいような、ほしくないような……

 

 あの姐御が、紳士的(ダンディー)な「旦那(パパ)」の膝に乗って、胸に()の字を描いている場面を想像してしまった。いや、たいして意味はない。

 

 姐御はまくしたてるように、ジョナスたちが俺をさらってきた経緯を説明した。閉じ込めておいたら、魔法を使って逃げ出そうとした。だが、自分の手下の魔法使いは、しくじったことで制裁を恐れ、逃げてしまった。魔法には魔法使いでなければ防げない(わざ)が多い。だから旦那の部下の魔法使いに預かってもらいたい──と、こんな具合である。

 

「ふうん、この子どもがねえ。ま、いいだろう」

 

 いささか楽しげともとれる声で、旦那が言う。「誰か! デメトリオを呼んでおくれ!」

 

「ね、あすこんちの小姓なのよ。あたい、あんたの役に立つと思って」

「ああ、わかってるわかってる」

 

 用がすんでしまえば、旦那はそっけなかった。姐御が鼻を鳴らしてなにかを言いかけるが、客人が見えているから、と巧みにそらし、ジョナスもろとも追い出してしまう。俺はその場に取り残された。

 

「……おまえも冷たい男だな」

 

 布の揺れ動くわずかな気配とともに、新たな男の声。

 

 旦那が軽く笑った。姐御をどのようにあつかっているか、俺にもたやすくわかるほど、気のない笑いだ。

 

 靴音がこちらへ近づいてくる。この人物は、姐御たちがいるあいだは隠れていたのか。

 

「……面白いではないか。エレメントルート家の魔法使いの小僧、顔が見たい」

 

 誰なんだ?──うちの名前を出すからには、こいつも『証拠の手紙』に関わりがあるのか? 妙にくぐもった声は若くない。居丈高(いたけだか)で、人に命じることに慣れた響きがある。

 

「お殿さまも酔狂な。デメトリオがくるまでは、お待ちになったほうがよろしゅうございますよ」

「かまわん」

 

 やれやれ、かしこまりました、と、気安いふうに旦那は言った。

 

 誰かの手が、俺の髪をつかんだ。さるぐつわをはずされ、口の中の詰めものを取り出される。咳きこむ暇もなく、視界が開けた。目隠しが取り去られたのだ。

 

 口をぬぐいたかったが、両腕はまだ(いまし)められたままである。俺は目を見開いた。

 

 黒い仮面をつけた顔が、そこにあった。

 

 頭はもちろん、男の鼻から下は、すっぽりと布に覆われている。濃い茶色の瞳だけが、ぎょろり、と動いて俺を見た。くぐもった声は、仮面のせいだったのだ。

 

「ほう……」

 

 ──ややたって、男は低く笑った。

 

「驚いたぞ……ダーヴィド、おまえの女には、褒美を取らせねばならんな……」

「と、おっしゃいますと?」

 

 くくくくく……と、男の笑いは止まらない。

 

「どうなさったのです?」

「たいした手柄だ。これは──この子どもは、()()()()()()()()()()()()だ」

「ええっ?!」

 

 ばれた──

 

「そんな馬鹿な。エレメントルート伯爵は、金髪の」

「ああ、まさにな。しかし髪などいくらでも変えようがある。どうやら背丈も少々違うようだ」

「なんですって?」

 

 (さか)しらげに、仮面の男は笑った。「高貴の血を引く奥方さまは、なかなかの見え坊らしい」

 

 革手袋をはめた手に、顎を持ち上げられた。

 

「これは拾いものだ。まずはあれの隠し場所を知っているかだが──いや、知らなくてもかまわん。人質にでもなんにでも使える。丁重におもてなししてさしあげろ」

 

 やはりこの男が、『証拠の手紙』を狙う一味の親玉か。

 

「へへえ……こんな坊やがねえ……」

 

 旦那もいたく感心したように、俺の顔をのぞき込む。俺は恥じ入ったふりをして、目をそむけた。

 

 高鳴る胸の鼓動を抑えなくては。俺がなにを考えているのか、決して二人に気取(けど)られてはならない。

 

 ──この「お殿さま」は、今までに俺と会ったことがある。遠目に見かけたんじゃない。ごく近くで、俺の()を見たんだ。

 

 彼は金髪で上げ底靴の『エレメントルート伯爵』を知っている。そして今、俺の顔立ちを見て、俺が『伯爵』だと気がついた。それほどの間近に、()()で誰かと会ったのは、結婚式と、爵位授与式、クララさまのお茶会だけだ。

 

 最も可能性の高いのは、来賓の一人一人と目の前で挨拶を交わした、先月の、爵位授与式。

 

 こいつは貴族だ。それも高位の──エディットの敵の近くにいるであろうこの人物は、おそらくあの式典の出席者の中にいる。

 

 

 

 

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