伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 仮面の男は、笑い続ける。

 

十五歳(成人)を待ちかねて婚約した、評判の婿どのと耳にしていたが……」

 

 長身である。どちらかといえば痩せぎすなほうか。武人よりも文人と考えたほうがしっくりくる体つきだ。服装は立派で、金をかけてある。

 

 男の顔全体を、黒い布が覆う。二つのまなこばかりが光を放ち、鼻や口はもちろん、顎から首にかけても包み隠しているから、顔の輪郭すら定かでない。

 

「どうかね、デメトリオ?」

 

 旦那──ダーヴィドが問うた。穏やかな声と物腰に似合わず、きつい目つきの老人だ。高い鷲鼻とがっしりした体のせいで、引退した元勇士、といったふぜいである。だが、身なりからすると彼は平民だ。帯剣もしていない。

 

「……見ただけですべてがわかれば、苦労はせん」

 

 ぼそぼそと答えるデメトリオとは、ダーヴィドに呼ばれて現れた人物だった。どう転んでも魔法使いにしか見えない漆黒のローブ。ごていねいにもフードまで目深にかぶり、その下から長い白髪がのぞく。こちらもずいぶん年取った男のようだ。

 

「だがまあ……(けが)れなきときより力を高めるよう(つと)めれば……誰でもそれなりの術者になろうというものさ……」

「おまえの言うことはいつもよくわからないよ、デメトリオ」

 

 ダーヴィドはあっさり断じた。

 

「さ、お殿さま、ご満足いただけましたかな?」

 

 親分、と呼ばれるからには、もっとやくざな人物を想像していたのだが、彼は柔和な笑みである。

 

「いいや、まだだな」

 

 仮面の男は、喉の奥で押し殺すような声を立て、笑った。「おまえはこれから、こちらの若き伯爵どのを(なぶ)るのだろう? しばらく見物させてもらおう」

 

「意地の悪いおかただ。せっかく息子が舟遊びの手配りをしておりますのに」

 

 ──このとき、俺は一瞬ではあるが、もうここから出ることは叶わないかもしれない、と考えなくもなかった。彼らは謀略に加担していることを少しも隠そうとしない。それはすなわち、俺を生きて帰すつもりがないからか、そんなふうに思えたのだ。

 

 部屋は広い。壁に造りつけられた豪華なマントルピース、肘掛けつきの椅子、凝った飾り脚のテーブル──内装も調度も、貴族の屋敷の応接間のようだ。ここがどこなのか、壁掛け(タペストリー)や絵画にでも手がかりはないだろうか。瞳を動かすと、軽く頬をはたかれた。

 

「よそ見をするんじゃない。しつけの悪い子どもだ」

 

 一転、猛禽類を思わせる鋭い視線で、ダーヴィドは俺をにらみつけた。

 

「私たちが欲しいもののことは知っているんだろう? 美しい奥方のもとに帰してほしければ、とっとと口を割ったほうが、身のためだよ」

 

 また──

 

 胸の内側でなにかがざわめいた。昨日から幾度となく感じていた違和感が、じわじわとこみ上げてくる。

 

 なぜだ? ()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()

 

「おや、可愛い顔をして、意外に強情そうだ。そうこなくてはね。──デメトリオ、手の(いまし)めを、解いておやり」

「……いいのか?」

「伯爵閣下ともあろうおかたに、椅子も勧めないわけにはゆくまいからね」

 

 ──なあ、エディット、証拠の手紙があるって、本当なのか?

 

 爵位授与式のとき、リュカ=サーヴェイは、なんと言った?

 

 ──だから、お父上のことさ。うちの馬丁のレジー、わかるだろ? あいつがゆうべ、街で聞いてきたんだ。ずいぶん評判になってるみたいだけど……

 

「これで楽になったろう? あのベリンダも、あれでなかなか優しい女なんだがね。時々こうして、むごい真似をする」

 

『証拠の手紙』のことは街で評判になっていた。だから知られていて当然だ。でも、どうして評判になる? エディットは手紙を隠しているのに。彼女の居室にならぶ書架、ぎっしり詰まった本の奥の、小さな隠し戸棚の中へ。鍵をかけて。

 

 誰かがもらしたのか? いったい誰が? 秘書のオーリーンをはじめ、二人の従者、執事のワトキンス、侍女のバルバラ、下男のマイルズ、料理長のネロ──あるじの秘密を暴露するような使用人は、一人としていない。

 

 ──わかった。

 

 わざと評判になるよう、仕組んだんだ。

 

「食事はすませたのかね? 連中といっしょにいたのでは、ろくなものを食べていまいね。今、なにか運ばせよう。──誰か! お客さまへ朝餉(あさげ)をお持ちしろ!」

 

 セドリック=エレメントルート卿を殺害した犯人は、いまだ不明のままである。黒幕を示唆する手紙の存在を知れば、敵がたは取り戻そうと動きを見せる。じかに動くのは姐御(あねご)たちのような手先だとしても、あとを追えば、必ず犯人にたどり着く。

 

 だとしたら、エディットは。

 

 自分自身を、(おとり)にしているんじゃないか。

 

 ──コンコンコン、と、誰かが扉をたたく音。

 

「失礼いたします」

 

 女の声。「お食事のしたくに参りました」

 

 お仕着せを着た中年の侍女が、ワゴンを押して入ってくる。

 

 カタ、カタ、カタ、カタ……

 

「……『赤光(るーぐ)』」

 

 小さな声で。ワゴンの車の音と、重ねるように。

 

「……『()でよ 深遠なるところより 満ち満ちよ 魁大(かいだい)の焔』……」

 

 集中しろ!

 

 俺はダーヴィドへ向けて手のひらを突き出した。老人はとっさにひるんだ顔になる。すかさず、彼のたくましい手首をつかむ。

 

「──ッ!」

 

 白い眉のあいだにしわが寄る。俺は即座に駆け出した。悲鳴をあげた侍女の脇をすり抜ける。

 

 扉を開け放ち、外へ足を踏み出した、と思った。

 

「……『そそり立て(とぅーりす)』」

 

 絨毯を敷きつめた廊下へ走り出たはずが、目の前が真っ白になった。──錯覚ではない。俺は突然()()()に突き当たった。まるで空気がにごって凝り固まったような物質が、行く手を(はば)んだのだ。俺ははじき飛ばされ、床へ倒れ伏した。

 

「おお、熱い」

 

 ダーヴィドは(あつもの)を冷ますみたいに、自分の手首へ息を吹きかけた。

 

「デメトリオ、今のはなにかね?」

「今の……とはまた、えらく()()()()な言いようだな……」

 

 ぼそぼそと、愚痴るようにデメトリオが言う。

 

「おおかた、あんたが()くのは()()のことだろうが……俺のか? それとも、この坊やのか……?」

「今さらおまえさんの魔法について尋ねてもしかたがない。坊やのほうだよ」

 

 俺は必死で身を起こそうとしていた。今朝打ったばかりの右肩をギリギリと(かかと)で踏まれ、叫び出しそうになる。

 

「いにしえの炎の呪文(うた)だ……おつなものを知っているな……」

「なるほど」

 

 ダーヴィドの筋張った手首には、赤みが差している。けれど、それだけだ。火ぶくれひとつできていないし、彼は(おもて)に苦痛の色さえ浮かべていない。

 

「縛めを解いてやったのに、この仕打ちか。もっと痛い目を見せたほうがいいのかね?」

 

 右腕を(かば)おうと丸めた背中を蹴りつけられた。襟首をつかまれ、乱暴に引き起こされる。

 

「──()()はどこに隠してある?」

「知り、ません……」

 

 強く頬を打たれた。俺は再び床へ倒れ込んだ。

 

 ──ふと、ダーヴィドの視線が、俺からそれた。

 

 彼が見るのは俺の頭の少し先だ。いぶかしげに眉をひそめ、手を伸ばそうとするのを、デメトリオが制した。絨毯の模様に重なって、平たく、小さな丸いものがある。

 

 まるで汚いものでも持つように、ローブをまとった右手の指が、結んであるひもをつまんだ。鈍く光りながらくるくると回るそれを、目の高さまで持ち上げる。俺はダーヴィドを振り払って跳ね起きた。

 

「返せ!」

 

 倒れても、かつがれても、今まで左胸からこぼれ落ちることのなかった、俺の幸運の護符(おまもり)

 

 デメトリオにつかみかかることはできなかった。ダーヴィドの太い腕が、後ろから俺を羽交い締めにしていた。

 

「──なんだ? 魔法の道具か?」

 

 仮面の男が、戸口に手をかけて立っていた。魔法使いはフードをかぶった頭をかたむけた。

 

「いや、さしたる魔力はないようだが……」

 

 言いつつ、(ふところ)へしまってしまう。「あとでゆっくり調べてみよう……」

 

「さあ、お殿さま」

 

 ダーヴィドの腕が俺の首へ回り、ぐっ、と喉が絞まった。息ができない。次第に気が遠くなる。──だが、頭上からの声音は、あくまでも穏やかである。

 

「息子が待ちかねておりますよ。そろそろ、おいでになりませんか?」

「ああ。では、おまえに任せることにしようか」

「そうなさいまし」

 

 ようやく、俺の首に巻きついていた腕がゆるむ。

 

「デメトリオ、牢へ連れていけ」

 

 と、ダーヴィドは、俺をあざけるように言った。

 

 

 

 


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