伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 館は広大で、まるで古城のようだった。

 

 ダーヴィドに呼ばれ、私兵らしいのが幾人も現れた。俺がほとんど引きずられるようにして連れていかれた先は、地下である。暗くじめじめした通路に、兵たちの手によって明かりが(とも)されてゆく。姐御(あねご)のねぐらで押し込められた地下倉など比べものにならないほどの、堅牢な鉄格子が浮かび上がった。

 

 ぴちょん……ぴちょん……ぴちょん……

 

 どこかで水の垂れる音が、かすかに響いている。

 

 牢はどこもがらんどうで、ほかに囚人の姿はない。一番奥の鉄扉が開けられた。ダーヴィドが俺を、石張りの硬い床へ放り出す。

 

「あのおかたのいないところで、ゆっくり話がしたかったのだよ……」

 

 俺を見下ろして笑うまなざしが、不気味な光をたたえている。いよいよ残忍な本性を現したか。

 

「本当は知っているんだろう? 手紙はどこに隠してある?」

 

 ──答えてしまったほうが、いいんだろうか。

 

 そんな考えが頭をよぎる。

 

 きっとエディットは、わざと王都中に『証拠の手紙』のうわさを振りまいた。手紙を餌にして、敵をおびき寄せるためだ。俺がありかをしゃべったほうが、かえって彼女の計画通りになるんじゃないのか?

 

 でも。

 

 ──だめだ。俺には言えない。

 

 言ってしまえば、こいつがまた姐御の一味のようなやつらを屋敷へ送る。襲撃は、エディットが家にいるときかもしれない。そうしたら、彼女がこんなふうに、傷ついたり、怪我をしたり──死んでしまうことだって、あるかもしれない。

 

 俺には言えない。

 

「知りません……」

 

 かぶりを振ると、ダーヴィドはいまいましげに俺をねめつけて舌打ちした。

 

「しぶとい子どもだ」

 

 何度も殴られ、足蹴にされた。俺はうずくまってひたすら耐えた。引き起こされ、殴られ、床に倒れ──くり返すうちに、ろくに痛みすら感じなくなってくる。やがてダーヴィドは、大きな息を吐いて音を上げた。

 

「これ以上(あと)を残すのは得策ではないな……少しやりかたを変えようか」

「どうするのだ……?」

 

 問うているのはデメトリオ──魔法使いの声だ。

 

「それはこれから考えるとしよう」

 

 笑いをふくんだダーヴィドの声と靴音が、二歩ばかり、俺から離れた。すぐに立ち止まる。

 

「エレメントルート伯爵、おまえさんは、例の手紙を読んだかね?」

「いいえ……」

 

 知らない。エディットは、俺に手紙の中までは見せなかった。──彼女は書棚の奥から古びた封書を取り出し、こちらへ向けて掲げただけ。

 

「私はね、本当は手紙なんか欲しくないんだ。知りたいだけなんだよ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 どちらの?

 

「デメトリオ、錠前のほうは頼んだよ」

「ああ、心得た……」

 

 靴音は今度こそ去ってゆく。鉄扉が陰鬱なきしみをあげて開き、そして閉じた。ダーヴィドが私兵らになにかを命じている。見張りのために幾人かが残るようだ。

 

「しっかりしろ」

 

 いきなり体を起こされ、抱えられた。冷たい金属の感触が唇へ添えられる。──あふれたのは水だった。俺はむさぼるように、飲んだ。

 

「……あのかたは、お元気か」

 

 かすれた声が耳元で言う。デメトリオは俺の手のひらに、小さなものを押しつけた。「……ジュリアンさまは」

 

「え……?」

「ジュリアン=オドネル。これを持っているなら、親しいんじゃないのか……? 俺は、あのかたの乳兄弟だ」

 

 こんなところで、彼の名前を聞くなんて。

 

 俺はどうにかまぶたを持ち上げた。──魔法使いの黒い瞳が、間近に俺をのぞき込んでいる。老爺と見まがう白髪にしわがれた声音だが、フードに隠されていた顔は、思ったよりもずっと若い。

 

「知っています。元気です、とても……」

 

 飲んだ水が体に行き渡ったのか、四肢の感覚が戻ってくる。デメトリオが俺の手に握らせたのは、オドネルからもらった護符(おまもり)だった。

 

「それはなにより……」

 

 デメトリオは莞爾と微笑んだ。俺の体を床へ横たえ、立ち上がる。

 

「あの……」

「ジュリアンさまが息災と知れて……本当によかった……」

 

 それで彼の瞳はフードの奥へ埋もれてしまった。長いローブの裾をさわさわ言わせ、きびすを返す。

 

 ──えっ? 行っちゃうの?

 

 再び扉が開く音。──そして、ガチャン、と、じつにあっけなく閉じた。

 

「……『ロードリアスの精霊よ なんじより美しきものはない』」 

 

 鉄扉の向こうから、ぶつぶつと呪文を唱える声がする。「『まことの名前を知らぬものに 決して姿を見せてはならぬ』……」

 

 俺は懸命に床をはって、鉄格子に取りすがった。頑丈な格子のあいだから通路をのぞいてみる。デメトリオの黒いローブ姿は、すたすたと遠ざかってゆく。

 

「あのう……!」

 

 出ない声を無理矢理張り上げてみた。が、彼は振り向きもしない。後ろ姿はじきに角を曲がり、見えなくなってしまう。

 

 ちょっと……逃がしてくれとまでは言わないけど、せめて扉に魔法をかけないとかしてくれても、(バチ)は当たらないんじゃない?

 

 いや、待てよ。向こうには見張りの兵士がいる。呪文を唱える声がしないとあやしまれるから、適当に(うた)ったふりをしたのかも。

 

 腕も、背も、脚も痛い。それでも俺は立ち上がった。鉄扉の取っ手をつかんでみる。──びくりともしやしない。

 

 鍵穴へ、肩の痛みをこらえて右手の指をあててみる。魔力が通る感じがぜんぜん伝わってこない。一応呪文も唱えてみたが、結果は推して知るべしだ。

 

「くそっ……」

 

 本気でふさいでやがる。俺は扉を背にして床へ座り込んだ。

 

 なにか方法はないのか。ここから出る方法は。デメトリオの呪文は、おそらく召喚魔法(さーる)だ。俺はまだ、まったくといっていいほど召喚魔法を学んでいない。理解していなければ、もちろん解くこともできない。

 

 ……そうだ。

 

 うちの玄関ホールのシャンデリアを貫いた、魔法の矢。

 

 精霊が憑いた扉を、俺の魔力で打ち破るのは難しいだろう。しかし、鉄格子ならどうだ? デメトリオは、あくまで扉が開かないように、魔法をかけただけじゃないのか?

 

 物質化した魔力は、武器にもなる。

 

 魔法とは、魔物の(のり)。魔物が持つ人外の力は、じつは人にもそなわっている。人間は、表に出すすべを忘れただけだ。自らの内なる力を溜めて、外へ現す。

 

 俺は右の手のひらに、意識を集める。できるだけ多くの力を、俺の右手に。

 

 やがて、透き通った光の玉が生まれる。──これに形を与えよう、そう思った。鋼鉄だって切り裂く、とがったやいばを想像しようとした。

 

 だが、俺の口からこぼれた言葉は、

 

「……『(びおら)』」

 

 透明な魔力の玉は、俺の声に(こた)えて色を宿した。──でも違う。俺が思い描いていたのは、こんなふうじゃない。もっと濃くて、もっと澄んだ紫だ。葡萄の色より少し淡く、暮れなずむ空よりもずっと深い。そんな紫がいいのに。

 

 全身が痛む。次第に息も上がってくる。

 

 俺はとても疲れていた。集中はいくらも続かない。──魔力の玉は、じきにしぼんで消えてしまった。

 

 冷たい床へ横になる。殴られて熱を持った体に、ひんやりした石の感触が心地よい。このところ、いろんなことがあり過ぎた。休もう。眠ればきっと、なにかいい考えが浮かぶ。

 

 目を閉じた。──そして俺は、夢を見た。

 

 俺はまだ、エディットに一度も魔法を見せていなかった。クローディア王女には見せたのに。だから俺は、彼女の前で『花火(ふろらーど)』を演じてみせる。俺が一番美しいと思う色で。彼女の瞳とおんなじ、濃い紫の花を空にいっぱい咲かせる夢。

 

 ──けれど、遠くから聞こえてくる喧噪が、俺を(うつつ)の世界に引き戻した。

 

 ずいぶん長い時間眠ってしまったらしい。すっかり冷え切った体は硬くこわばり、手足を伸ばそうにも容易に動かせない。

 

 耳をすます。徐々にこちらへ近づいてくるあれは、剣戟の()

 

「くせものだっ!」

「地下だぞッ! 出会え!」

 

 兵たちの声や、バタバタと走り回る音がする。俺は力の入らない五体をふるい立たせて起き上がり、鉄格子に歩み寄った。あいだに顔を押しつけるように通路を見て──そのまま、ずるずると床に崩れ落ちた。

 

 ──見張りの兵士と切り結んでいたのは、黒い外套(マント)の人物だった。しなやかな細身の体。男性なら小柄だが、女性にしては長身だろう。たばねた黒髪をひるがえし、振りかざすのはレイピアだ。

 

「うわっ!」

 

 キン! と、やいばが鳴り、兵士が剣を取り落とした。

 

 ()()は切っ先を兵士の喉に突きつけた。切れ長の瞳が、鋭く細められる。

 

 丹朱の唇が開き、涼しげな、それでいて厳しい声を放った。

 

「──わたしの夫は、どこにいる」

 

 

 

 

 

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