伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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「エディット姫を愛してるからじゃないんですか?」

 

 ユーリに問われ、俺の頭の中では、『?』だけがくるくる回っていた。なぜ彼女がそんな結論に達したのか、俺には理解できていない。

 

「違う、と思います……」

 

 だって、俺──

 

「結婚したのは、実家にお金を出してくれるって言われたからですし……」

「そりゃ、そうかもしれませんけど」

 

 ユーリは俺をまじまじと見て、なんだか変な顔をする。

 

 さらにつっこまれるかと身構えた。だが、彼女はなにを思ったのだろう。ふうん、と、つぶやいたきり、お茶のしたくにかかってしまった。

 

 釈然としない。俺はオドネルがユーリの前でいくらかでも身なりに気をつかうみたいに、エディットの前で()()()()したことなんかない。美の女神の名にかけて、彼女の美しさを(たた)えたこともない。

 

 ……違うな。

 

 確かにエディットは、この国で最も美しい女性である。それは認めよう。でもそんなの、俺が彼女をどう思ってるかとはまったく無関係の、単なる「事実」なだけだ。

 

 そう結論づけようとしたのに、ふいに頭に浮かんだ。

 

 ──じゃあ、俺が彼女の役に立ちたいと思うのは、どうして?

 

「カイルくん、カイルくん」

 

 オドネルはこの手の話題にめっぽう弱い。彼の知的で端整な顔には「魔法の話をしようじゃないか」と、やけにはっきり書いてある。俺も賛成。

 

「ゆうべ、きみに借りた『魔導書(ぐりもりーれ)』を読み終えたよ」

 

 俺はアルノーの実家にあった魔法の本を、二冊とも王都にくるとき持ってきた。俺の実家は魔法士の家柄ではない。なのになぜか、どちらの本も俺が生まれる以前から図書室にあった。バルドイ家のものなら誰しも、一度や二度や三度は開いたことがあるに違いない。しかし、執念深く読み返し、多少なりとも魔法の習得に至ったのは俺一人だと思われる。

 

 そのうちの一冊が、『ダルトンの呪文の書』。トラローム=ダルトンという大昔の魔法使いが著した覚え書で、以前クローディア王女に貸してしまった。

 

 オドネルに貸したのはもう一冊の本だ。表紙には著者名がなく、古いわりにはくっきりとした金文字で『魔導書(ぐりもりーれ)』とだけ書かれている。

 

 俺が(うた)える呪文は、ほとんどが『ダルトンの呪文の書』に載っているものだ。今から思えば『ダルトンの呪文の書』で二割ほど、『魔導書』の呪文は、おおかたが召喚魔法(さーる)だった。当然、「契約(こんとらくと)」という概念も方法も知らなかった俺には、手も足も出なかった。

 

「非常に興味深い。──『魔導書』には、失われた古き神々を招く言葉がたくさん記されていてね。神々の名前さえわかれば、大半の呪文を(よみがえ)らせることができると思うんだよ」

 

 瞳を輝かせるオドネルは、ようやく調子を取り戻してきたようだ。

 

「できますか?」

「なんとしても探し出してみせようじゃないか。それまでにカイルくんは、『守護精霊(ぞるがんど)』を持っておこう」

「守護精霊?」

 

 初めて耳にする言葉である。オドネルはうなずいた。

 

「『案内人(ぐいーで)』とも呼ばれるがね。現身(うつしみ)を持たないものと交感する際に、仲立ちをしてくれる友人だ。契約に成功すれば、きみの言葉に従い、尽くしてくれるようになる」

 

 ふーん……

 

 それはなかなか格好いいもののように思われた。前にグレイが呼んだ黄金の獅子、もしかしてあれは、彼の守護精霊(ぞるがんど)だったのかも。

 

 魔法に関しては順調だ、と、帰りの馬車に揺られながら、俺は思った。

 

 ──だがしかし。

 

 こんな日に限って、いつになくエディットの帰りが早かったりする。大扉のベルが鳴り響いたとき、俺は本を閉じてため息をついた。

 

 なんとも言いがたい、もやもやした気分である。間違いなくユーリのせいだ。

 

 だいたい、「愛してる」なんて、もっと大人の男女が使う言葉じゃない? 一応俺も成人(おとな)ではあるのだが、もうちょっとこう、言いかたってものがあるでしょう。せめて「好き」とか。

 

 この時間に帰ってくるということは、夕食は()()だろう。食堂まで行けば少し話せる……でも、俺はもう食事をすませてしまった。わざわざ行くのはおかしいか?

 

 非常に顔を合わせづらい。だけど、せっかく早くエディットが帰ってきたのに、会わないのは惜しい気がする。

 

 とりあえず廊下に出て、吹き抜けの手すりの陰から様子をうかがってみた。──エディットは、すでに階段のなかばまできていた。ばちっと目が合う。

 

 わ、出たっ。

 

 一瞬、自室へとって返そうかと思った。だが、ここまできておいて、それはものすごく変だ。俺は危ういところで踏みとどまった。

 

「お、お、おかえりなさい!」

 

 われながら声がうわずっている。エディットは、不思議そうな顔で俺を見上げた。

 

「……ただいま」

 

 では。俺はこれにて。──やっぱり百八十度方向転換。

 

「カイル」

 

 二階まで追いついてきた彼女に、むんずと襟首をつかまれた。「どうした?」

 

 体ごと引き寄せられてしまっては、彼女の腕から俺が逃れるのは難しい。顎を持ち上げられ、顔を見ないわけにはいかなくなってしまう。

 

「なんでもありません……」

「嘘をつけ」

「本当です」

 

 落ちつけ、落ちつけって、俺。──体が触れ合うと、高鳴る胸の鼓動が彼女に伝わってしまいそうに思う。同じうちに住んでいるのに、会うたびこんなじゃ心臓がもたないよ。

 

 俺がしらばっくれたためか、エディットは不満げに唇をとがらせた。

 

「どうするんだ」

「な、なんのことですか?」

「今夜だ。くるのか」

 

 彼女の部屋へ、だ。俺の心臓は踊り出しそうに速く打ち、息をするのも苦しい。取りようによっては意味深もここに極まれり。顔のほてりが収まらない。

 

「いいえ!」

 

 反射的に力いっぱい首を振ってしまった。──あっ、違う違う違う。話を聞きたいって言い出したのは、俺のほうなのに。

 

「もしよかったら!」

 

 あわてふためいてつけ加える。「今夜は僕の部屋で!」

 

「ああ、かまわないが」

 

 輪をかけて意味深な発言をしてしまった気がするが、それで俺はどうにか解放された。──自らが招いた結果とはいえ、未曾有(みぞう)の大事件が勃発だ。エディットが、俺の部屋までやってくる。

 

 侍女のバルバラが毎日掃除をしてくれるから、居室も寝室もきれいなものだ。図書室へ戻すのが面倒で積んだままの本を、棚にならべてみるくらいしかすることがない。でも背表紙を見られたら、こんな子どもっぽいのって思われちゃう? 彼女もひと通り読んでるみたいだし、別にいいのか?

 

 誰かに飲みものとか頼んだほうがいいのかな。……いや、たぶん手配は不要だ。うちのみんなはこんなとき、異様なまでに気が利くからだ。

 

 夕食と入浴をすませた彼女の(おとな)いまで、あっというまだった。結局俺はおろおろ歩き回っていただけなので、部屋の様子には格別の変化もない。

 

 案の定、絶妙な頃合いにお茶とお菓子が運ばれてきた。ケーキの皿には淡い色の小花まで添えてある。こんな季節に、いったいどこからどうやって手に入れたのか。

 

 エディットは男ものの室内着に薄いガウンをはおり、手ぶらだった。初めてでもなかろうに、珍しげに辺りを見回し、俺の隣へ腰を下ろす。

 

 ……これは、喜ばしいことなのだろうか。すなわち彼女は俺の部屋へ出向くのに剣をたずさえる必要性を感じておらず、急ぎの書類仕事もないのである。

 

 となれば、俺も本を開くわけにはいかない。

 

「……………」

 

 執事のワトキンスが給仕を終えて出ていくと、エディットは俺に瞳を向けた。

 

 彼女の両親の生前の姿を、俺は知っている。図書室へ至る廊下には、二人を写した肖像画がかかっている。彼女の豊かな黒髪は、父親のセドリック卿と同じ。深い深い(すみれ)の瞳は、母親のエルヴィン夫人と同じ。

 

 エレメントルート伯爵家は、元は文官の家柄だったそうだ。セドリック卿は王宮で書記官を務めていた。そこで前の王さまの娘であるエルヴィン王女と出会い、恋に落ち、紆余曲折を経て結婚した。──聞くともなしに俺が聞いたのは、この程度である。

 

 なんてきれいなんだろう。

 

 湯あみのあとのエディットときたら、みずみずしい肌が白く輝き、においたつような美しさだ。よく鍛えられた肢体はすっきりと細身で、若い牝鹿を思わせる。可憐で(はかな)げな容姿のエルヴィン夫人とは、まったく違う。

 

 もしも両親が健在だったなら、彼女が俺と結婚するなどありえなかった。──それは、疑いようもない事実である。

 

「わたしの父と母のことを、知りたいと言ったな」

「はい」

 

 どうして、とは、()かれなかった。エディットは軽く息を吐き出した。

 

「……そうだな。あなたには知る権利がある」

 

 生真面目な表情で瞳を伏せる。

 

「もう十三年以上も前になるが、父が誰に殺されたのか、いまだにわかっていない。それだけじゃない。()()殺されなければならなかったのか、その理由もわかっていない」

 

 淡々と、前置きもなく核心に触れる。それだけ彼女はいつも、亡くなった父親のことを考え続けているのだ。

 

「父は穏やかな人だった。生前の父を知る人は、誰もが口をそろえて言うんだ。──あのセドリックさまが、人から恨まれるとは思えない、と」

 

 自分の記憶に残る父もそうだ──エディットは言う。

 

 先々代エレメントルート伯爵の一人息子、セドリックは、心根の優しい青年だった。素直で人好きのする性格で、いくつになっても、妻を娶って子を持ってさえ、使用人たちから()()()()()()()と呼ばれて親しまれていた。

 

 しかし、彼は生涯に一度だけ、国中に敵を作るような真似をしたことがある。

 

 二十二歳のときだ。彼は五つ年下の、十七歳だったエルヴィン王女と恋に落ちたのだ。

 

月明かり(リュイーシア)の君』と呼ばれたエルヴィン王女は、クローディア姫のような、神秘的に輝く銀の髪の女性だった。ディルク姓もない伯爵の跡取り息子ふぜいに嫁ぐような立場ではない。国王──前の王、ディートヘルム一世は怒り狂い、なんとも前時代的な言い回しだが、セドリック=エレメントルートの首をはねろ、とまで言い出したそうだ。

 

 それを(いさ)めたのは、当のエルヴィン王女である。彼女は確かに見かけ通り、たおやかで清楚な少女だった。けれど、エディットの母親だけあって、芯の強いしっかりした女性だった。心から愛したセドリックとの別れを、決して(がえ)んじようとはしなかった。

 

「……だが、二人の王子が父に果たし合いを申し込んだ」

「果たし合い?」

「そうだ。伯父上たち──現在のマティウス二世陛下と、シベリウス殿下が」

 

 エルヴィン王女の、二人の兄。

 

 ことに、長兄であるマティウス王子の怒りは父王を越えていた。──幼いころから乱暴もので通っていたマティウス王子に、周囲は困り果てていた。その粗暴ぶりは、成人をとうの昔に過ぎていたにもかかわらず、立太子できなかったほどである。うわさでは、街へ出て若い娘を犯したり、罪もない平民を斬ったとまで言われていたそうだ。

 

「そんな男に果たし合いを申し込まれたんだ、父は」

「それで、どうなったんですか?」

「どうなったと思う?」

 

 エディットはのびやかに脚を組んだ。隣から俺の顔をのぞいて、くすくす笑う。

 

「父は断り通したそうだ」

「え、戦わなかったんですか?」

「ああ」

 

 えええー……

 

 まあ、申し込まれたからって、必ず受けなくちゃいけないものじゃないかもしれないけど……国一番の美姫を得ようという男にしては、少々情けない。

 

「そう言うな。理由を聞けばもっともだぞ」

 

 自分は絶対に死ぬわけにはいかないから──セドリック=エレメントルートは、そう答えたという。エルヴィン王女と約束した。彼女と添い遂げるまでは、死んでしまうわけにはいかないから。

 

 もとより彼は、剣など持ったことのない男である。それが、どれほどの騒動の渦中にあろうとも、護身のためにすら帯剣しようとしなかった。あまりにもかたくななので、ボリスがずいぶん手を焼いたらしい、と、エディットは笑う。

 

 (ののし)られようと、(そし)られようと、彼は果たし合いには応じない。自分が剣をもって戦えば、間違いなく負ける。なんの奇跡か神の加護か、やんごとなき王子たちにうっかり勝ってしまえば、やはり自分は縛り首になる。

 

 堅固に過ぎる意志で、セドリックは言った。──だから王子たちと果たし合いなんかしない。絶対にしない。エルヴィン王女をあきらめるのも嫌だ。

 

「当時健在だった父方の祖父は、『子どものようなわがままを言うな!』と毎日怒鳴っていたそうだ」

 

 エディットは、そんな父上がとても好きだったようだ。彼女の瞳からも声からも、父親を愛し、誇りに思っていることがありありとうかがえる。

 

 絶対に、死ぬわけにはいかないから──若き日のセドリック=エレメントルートの言葉に、胸を締めつけられるような気持ちになる。

 

 それからは、セドリック卿が好きだった本の話になった。エディットの部屋や図書室にある書物の多くは、彼が幼いころから街で買い集めたものだそうだ。──いっぺんにじゃなくてもいい。こんなふうに、彼女が話せる範囲で少しずつ、聞いていけたらいいと思っていたのだ。

 

 翌日──

 

 前の晩とは打って変わって帰宅が遅かったエディットは、帰る早々秘書を呼んだ。自室へ戻らず、一階の居間へ足を向ける。その様子が、いつもと違う。

 

「なにかあったんですか?」

「あった」

 

 エディットは俺を見た。どきりとする。このところずっと、彼女は俺におおらかな表情を見せていた。こんなに硬く、険のある瞳は久しぶりだ。

 

 オーリーンはただちに現れた。彼だけではない。二人の従者、執事のワトキンス、侍女のバルバラ、料理長のネロ、下男のマイルズ──全員が居間に集まった。エディットは長椅子に足を投げ出して座り、みんなを見回した。

 

「隊長職就任の内示が出た」

 

 俺はきょとんとしてしまった。「……おめでとうございます」

 

 エディットは王后さまの親衛隊の、副隊長だ。隊長になるという意味なら、それはつまり、出世じゃないか。

 

「なにがめでたいものか」

 

 激しい(いきどお)りを抑え込もうとするように、彼女の声が低くなる。

 

「おかしいだろう。わたしはまだ十八だぞ。いくら王家と血縁があるとはいえ、正気の沙汰とは思えない」

「……確かに」

 

 オーリーンは銀縁眼鏡を押し上げた。

 

「いったい、どなたのご意志で?」

 

 乳兄弟でもある秘書の問いかけに、エディットは暗い瞳で唇を引き結んだ。

 

 

 

 


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