伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 これは、あとから聞いた話になる。

 

 エディットは成人の年に幼年学校を卒業した。その後、上級の士官学校へ一年。晴れて王宮騎士となったのが、十六歳の春である。

 

 つまり彼女は、騎士になってまだ三年足らず。王后陛下の親衛隊で副隊長に昇格したのが俺と出会う直前だ。半年余りしか経っていない。

 

 多くの男性の、年長の騎士を差し置いて、十八歳の彼女が部隊の長に任命されるという。正気の沙汰ではない、という言いかたが適当かどうか、俺にはわからない。だが、確かに自然であるとは言いがたい。

 

「いったい、どなたのご意志で?」

 

 オーリーンの問いに、エディットは目線も上げずにつぶやいた。

 

「……ホフマン隊長の推挙だそうだ」

 

 おそらくは俺のためにつけ加える。「ホフマン卿は、今の部隊長だ」

 

 聞けば、もってまわったいきさつだった。ことの始まりは、()()付きの部隊のなんとか隊長が、今年限りで退隠することにある。

 

 ところが、あとがまがいない。副隊長は三人いるが、右腕だったのは病気で療養中。ほかの二人は若く、収まりのいいのがいない。

 

 そこで王后付きの部隊長、ホフマン伯爵に白羽の矢が立った。以前彼は国王付きの近衛騎士だったが、隣国からアントニエッタ王后が嫁いできた際、彼女のために新設された部隊の隊長へ就任した。その彼が、国王付きの隊長へと異動することになったのだ。ようは、元の鞘に戻ったといえなくもない。

 

 上司であるホフマン隊長が、まるで置きみやげのように後任に推したのが、エディットだった……そうである。

 

 エディットの部隊にも、副隊長は三人いる。彼女は苛立ちを隠さない。

 

「わたしは若いうえに女だ。だが、ホフマン隊長は、()()()()わたしを選んだとおっしゃるんだ」

 

 アセルス王国に女性の近衛騎士は彼女一人だ。女性王族に女性の護衛がつくのはなにかと都合がいい。元々がそれで王后陛下の隊に配属された、と、彼女は言う。

 

 ほかの理由はまだ言えない、と、栄転が決まったホフマン氏は、至って上機嫌であったらしい。

 

「……オーリーン」

「はい」

「隊長から害意は感じなかったが……これには裏があるはずだ。探ってくれ。できるだけ早く」

「かしこまりました」

 

 秘書は軽く頭を下げた。動揺などいっさい見せない沈着ぶりに安心したのか、エディットの頬のこわばりが幾分やわらいだように見えた。

 

 それを潮に、会議は終わりを告げた。みんなが居間を出ていくと、エディットは思いきったように俺を見上げた。

 

「カイル、頼みがある」

「なんでしょうか」

 

 できることなら、なんだってする。俺は彼女の隣に腰を下ろした。

 

「王后陛下から晩餐のお招きを受けている。内祝いだそうだ。国王陛下もお見えになる」

 

 国王、マティウス二世が。

 

 俺は目を(みは)った。──エディットの二人の伯父の一人。セドリック=エレメントルートに、果たし合いを申し込んだ男たちの片割れ。

 

 俺は爵位授与式でまみえた国王陛下、彼の暗く厳しい瞳の色を思い出す。

 

「わたしといっしょに、晩餐会へ出席してもらいたい」

「はい」

 

 迷わずうなずいた。「伺います」

 

 エディットは、ためらいがちに()をおいた。

 

「すまないが、あなたには、できれば」

「ええ、わかってます」

 

 彼女が言うのは、金髪のかつらと上げ底靴の『仮装』だろう。当然だ。今度は姿を変えた俺を見て赤毛のちびを思い出す貴族がいたら、そいつがダーヴィドの館で会った仮面の男ということになる。

 

「……ありがとう」

 

 エディットは、ほっとしたようだった。

 

「わたしが騎士になりたいと申し上げたから、幼年学校に入れるよう、おばあさまが取り計らってくださったんだ」

 

 両親の死後まもなく、エディットは亡くなったエレオノーラ王太后に呼び寄せられ、それまで暮らしていた領地のキトリーから、王都へ移り住んだという。

 

「きっと驚いたでしょうね、おばあさまは」

「うん」

 

 愛らしくも不憫な孫娘の()()()()にどれほど戸惑ったか、察するに余りある。

 

 だが、おばあさまは彼女の望みを叶えた。

 

「お招きにあずかったのは、明後日だ」

「わかりました」

「誰がなにをたくらむのか、調べを待つよりほかはないが……」

 

 ──つと、(すみれ)色のまなざしが、俺からそれた。

 

「明朝、ホフマン隊長が、わたしを後任に決めたことを(おおやけ)にする。それで明日は、普段よりも早く出かける」

「はい」

「……だからもう、今夜は休む」

 

 あ、そうなんだ。

 

 誰も戻ってこないし、俺としてはこのまま話していたいけど……しかたがない。

 

「……」

 

 エディットの目が細くなった。休むと言ったくせに、立ち上がろうとしない。すらりとした脚を組んで座り直し、長椅子の背へ片肘をかける。

 

 これは、もしや……

 

「…………」

 

 もしや俺は、待たれているのではなかろうか。おやすみの()()を。

 

「……………………」

 

 ちょっと待て。そんなおっかない目つきをされても困る。こちらにだって心の準備が必要だ。

 

 それに俺は、正直なところ、ほっぺただけではもの足りない。やはりあれは、別な場所にするのが正当だと思うのだ。好きだとかなんだとかはともかく、俺たちは夫婦なんだから。

 

 緊張しちゃうよな……

 

 流れ落ちる前髪を指でのけ、そっと口づけする。──彼女の、白い()へ。

 

「……おやすみなさい」

 

 いや……だって、ここはどっちかの部屋じゃないしさ。たまたま誰か入ってきたりしたら、よろしくないでしょう。非常に。

 

「うん」

 

 エディットは立ち上がった。ご満足いただけたのかどうか、さっきまでのふさいだ様子よりは、いくらか顔が明るいようだ。

 

 剣を手に、彼女は居間を出ようとした。が、扉の前で足を止めた。

 

「──カイル」

「はい」

 

 振り返る。──けむるような紫の瞳には憂いが残っていた。エディットの不安を取り除いてやれない自分が、どうしようもなく歯がゆい。

 

「なんでもない。……おやすみ」

 

 扉を開けて行ってしまう彼女を、俺は黙って見送るだけだった。

 

 

 ◆◇◆

 

「動かないでくださいよぉ、旦那さま」

 

 きついまなじりをさらにつり上げ、侍女のバルバラは舌なめずりをせんばかりだ。気合い満々に俺をにらみつける。

 

「はいっ」

 

 俺は椅子に座ったまま、()()()()の姿勢をとった。より正確にいえば、バルバラが見つめるのは俺の頭だ。短い赤毛をなでつけて、生えぎわにはたっぷり(のり)を塗った。ペタペタした感触がとても気持ち悪い。

 

「……では、参ります」

 

 慎重に慎重に、バルバラは俺の額のほうからかつらのはしを添わせてゆく。かつら用の糊は、魔法士でもあるグレイがこしらえたという、非常に強力な代物だ。一度でぴったり合わせないと、あとから修正するのは大変なのである。

 

「よしっ」

 

 うまく納まったらしく、バルバラは満足げな吐息をもらした。櫛を使い、肩まで垂れる金色の髪を整える。特に前髪は、風が少々吹いたくらいではびくともしないよう、薬で固めてしまう。赤毛の眉を隠すためだ。

 

 続いて靴。俺の背丈をかさ上げする「あしながおじさん(シークレットブーツ)」である。作り直して二か月も経たないのに、気が重いせいなのか、ややきゅうくつに感じられる。クローゼットにはこの靴専用の衣装もたくさんあった。ありていにいうと、かなり股下が長い。

 

 つるべ落としに暮れる日が沈んだころ、出発だ。

 

 御者は下男のマイルズ、お供はドワーフおじさんが務める。向かう先は、国王が住まう主宮殿ではなく、王后宮。本日はあくまで、アントニエッタ王后の私的な招待だからだ。

 

 ここはいわば、エディットの職場でもある。彼女は車寄せまで俺を迎えにきてくれた。

 

「カイル、大丈夫か」

「はい」

 

 歩きづらいのは変わらないけど、仮装で出歩くのにも慣れてきたからね。

 

 王后宮──

 

 以前お茶会で訪れた王弟殿下の宮よりひと回り大きく、豪奢な宮殿だった。

 

「エレメントルート伯爵閣下、お着きでございまーす!」

 

 よく通る触れの声に、ぎょっとする。

 

 王后、すなわちアセルス国王マティウス二世の妻、アントニエッタさまは、隣国ハティアの王女だった。年齢の離れた夫妻のあいだには男の子が一人。ゆくゆくはこの国を治めるべくお生まれになった御子である。それが──

 

「おい、おまえ! またきたのか!」

 

 またって……この前俺がきたのは、きみんちにじゃないでしょ。

 

 御年八歳のテオドア王子が、木剣を肩へかついで俺たちを待ちかまえていた。濃い褐色の瞳がじろりと俺を一瞥(いちべつ)し、ぷいと通り過ぎてゆく。

 

「エディット、続きをやるぞ! 早くしろ!」

「仰せのままに、王子殿下」

 

 いかに小生意気で横柄であろうとも、王子さまは王子さまだ。エディットの態度はじつに丁重である。うやうやしく床に片膝をつき、従弟(いとこ)が差し出す木剣を拝領した。

 

 なんだろうね、あれ。王族なんて普通、一番最後に登場するものなんじゃないの。

 

 広いホールはにぎわっていた。エディットは内祝いと言ったが、どうしてまずまずの盛況ぶりだ。

 

 エディットがテオドアと手合わせを始めた。たちまち人の輪ができる。カツッ、カツッ──木剣を打つ音と、「やあっ!」と、テオドアの勇ましいかけ声が響き渡った。人々が時折、おおっ、とどよめいたり、笑い声もあがったりする。

 

 子どもの剣術などたかが知れている。エディットは適当にいなしているらしい。さすがは俺の妻。本職の王宮騎士だから当然だ。

 

 俺は、給仕から飲みものを受け取り、豪華な壁掛けや置きものをながめるふりをしていた。実際にながめていたのは、行き過ぎる男たちの横顔だ。

 

 俺は忘れていない。痩せぎすの長身、濃い茶色の瞳。──仮面のせいで、くぐもった声。

 

 ダーヴィドの館で会った仮面をかぶった貴族も、この王后宮に招かれていないだろうか。

 

 俺たちが銀星館を脱出して以来、ダーヴィド一家は鳴りをひそめている。エディットの昇進に誰のどんな意図があるのかわからない今、たとえ小さくとも仮面の男を探せる機会を逃すわけにはいかない。

 

 ホフマン伯爵が、夫人をともなって到着した。エディットを後任に推した現隊長だ。俺も爵位授与式のときに会っているようだが、正直にいうと忘れてしまった。がっちりした体格の、いかにも武官らしい中年の男だ。

 

 続いて、宰相ゾンターク公爵が現れた。こちらは俺にも見覚えがあった。

 

 公爵は背が高い。額に流れる黒髪と秀麗な茶色の瞳、年は四十に近いかもしれない。けれど、思わず見惚れるような好男子である。独身だと聞いたが、理由はわからない。

 

 来賓は七、八十名ほどか。近衛隊で役付きのものと、その夫人がほとんどのようだ。ひと通り挨拶がすみ、俺たちは広間へ通された。王后アントニエッタさま、いつのまにか母上のそばに戻っていたテオドア王子、そして二人に続いて現れたのが──国王、マティウス二世。

 

 爵位授与式のときにも思った。国王はいかにも情のこわい人間のように見える。常に刻まれた眉間のしわが(かん)の強さを思わせたし、暗い瞳には、強い意志と同時に独善的な光が宿る。

 

 乾杯の席で、ホフマン隊長が改めてエディットを後任に指名したことを告げた。起こった拍手は、好意的なものだったと思う。

 

 会食の席は、いたってなごやかだった。若い俺が尻ごみしないよう、隣席になったホフマン夫人がしきりと気づかってくれた。ネロが腕によりをかけた料理にはかなわないかもしれないが、食事だってまあまあの味だった。

 

「エレメントルート卿、ごめんなさいね。お二人はまだ新婚なのに」

 

 デザートの段になって、アントニエッタさまが俺に両手を合わせてきた。「わたくし、どうしてもエディットについてきてほしくて」

 

 ()()()()()

 

 俺とエディットは顔を見合せた。

 

「わたくしの母が、重い病気に(かか)ってしまったの」

 

 おっとりと優しい()()()()色の瞳が、ひどく悲しげに曇った。

 

「どうしても、ひと目だけでもお会いしたくて、陛下にお願いしたのよ。ね、陛下?」

 

 アントニエッタさまは、かたわらの夫君を見返った。マティウス二世はワイングラスを口に運びながら、重々しくうなずいた。

 

「……ああ」

 

 再び俺たちへ、邪気のない笑顔が戻ってくる。

 

「だから次の隊長は、エディットがよかったの。いっしょにきてもらえるでしょう?──わたくしのふるさと、ハティア王国まで」

 

 

 

 


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