エディットのふるさとは、キトリーという小さな
「なにもない田舎だぞ」
と、彼女は言う。おもな産業は農業と牧畜。周辺三ヶ領と併せても、人口は王都の十分の一以下。それでも俺の故郷のアルノー市と比べれば、ずっと広くて豊かな地方だ。
キトリーは王都から南に向かい、馬車で七日ほど旅したところにある。つまりは南の隣国ハティアへの通り道だ。そのため、アントニエッタ王后のご一行は、宿泊地としてキトリーに立ち寄るらしい。
「王后陛下から、あなたもいっしょにどうかとおっしゃっていただいた」
「僕もですか?」
国王や王族のご旅行の際、経由地の領主が居城にお招きし、歓迎の
「うん。だが……」
なぜかエディットは口ごもる。「……今回はお断りした」
「え」
せっかくアントニエッタさまが勧めてくださったのに?
俺は少々むっとしながら尋ねてみる。
「どうしてですか? 僕はまだキトリーへ行ったことがありませんし」
こう見えて俺はキトリーの領主である。これを機会にお国入りって、少しもおかしくないんじゃない?
すると、紫の瞳が俺からそれた。
「……よくないだろう。公私混同は」
公私混同?
「わたしはまだ、隊長に就任したばかりだ」
うん、そうだね。
「任務による遠征に夫をともなうなど……」
エディットは急に顔を赤らめた。「……つまり、そういうことだ」
「ぜんぜん意味がわかりません」
面白くない。自分でも声がとがっているのがわかる。エディットは困ったように瞬いた。
「部下にしめしがつかない」
「そうですか?」
「カイル……」
「はい?」
「これにはだな、いろいろと、
「どんな?」
「だ、だから、あなたもいっしょだったら、人がなんと言うかと」
こんなふうにおたおたする彼女はめったに見られるものではない。じっくりと堪能することにする。
──本当は俺にもわかっている。エディットの昇進が誰かの悪意あってのことなのか、まだ判明していない。そうではないかもしれないが、なんの根拠もない。
もしも俺が王后さまの宿泊地の領主として、歓迎のために領地入りするなら、エディットと同行はできない。今すぐにでも王都を出発し、一行の先回りをする必要があるからだ。どこで誰に待ち伏せされているかもわからない。警護に人数も
悔しいが、今の俺ではそう思われて当然なのだ。それに、エディットの留守中のことなら俺にも考えがある。彼女がなんて言うかはわからないけど。
「失礼しまーす」
開け放した扉を軽くノックして、侍女のバルバラが入ってきた。
俺たちは、バルコニーから明るい
「エディットさま、これから寒くなりますから、毛布も一枚余分に入れておきますね」
話題がそれて、ほっとしたようにエディットが立ち上がった。「そうだな、頼む」
エディットがハティアへ出発するまで、あと三日だ。旅じたくは順調に
「皆さん、お変わりないといいですね」
バルバラの声がうきうきとはずんでいる。それも俺には面白くない。
「マーレーンさまにも、しばらくお会いになっていらっしゃらないんじゃありませんか?」
「うん、じいやとは一年ぶりだ」
マーレーンとは、秘書のオーリーンの父親だ。キトリーをたばねる家令である。バリバリのやり手なうえ、相当おっかないじいさんのようだ。息子を見ればさもありなん。
「正直にいえば、気が重い」
「あら、どうしてですか?」
「……いろいろ叱られそうだからな」
そんなことはございませんよお、と、女主人と年の近い侍女は、親しげに笑う。
俺が今までに経験した旅といえば、実家のアルノーから王都まで、十日余りの道のりがいっぺんきりだ。したくはみんな母や兄嫁がやってくれたので、荷造りなんかしたことがない。
箱の蓋は、極めて無造作に開いたままである。──ふーん、どれどれ。
のぞいてみても、着るものばかりだ。ぴかぴかに磨き上げられた甲冑をはじめ、替えの制服、手袋、
「カイル!」
ものすごーく怖い声で呼ばれ、俺は飛び上がりそうに驚いた。
「なにを見ている」
おそるおそる振り返ると、エディットが眉をつり上げ、腰に両手をあてていた。
ええっと……なにを持っていくのかなあって……
色白なエディットの首筋が、さっきまでよりなお赤い。俺の手から
「あっちへ行ってろ」
追い出されてしまった。
だからというわけではないが、
玄関前で馬車の扉を開け、にっこり笑顔で俺を待っていたのはグレイだった。ドワーフおじさんはハティア行きのお供に決まり、これからエディットの諸事万端をになうことになる。俺の従者は
「………………」
俺はいささか憮然としつつ扉をくぐる。グレイもあとから当たり前のような顔をして乗り込んでくる。長い手足を折りたたむのが、いかにもきゅうくつそうである。
俺は別に、彼が嫌いなわけじゃない。なんとなく、仲良しになれないような気がするだけだ。
王宮の西口通用門へ到着すると、門番のケンがうさんくさげに
「おまえさんも、坊主のお供かい?」
グレイは身長二メートル余り。ちょっとした門柱並みの丈がある。居ならぶ人々より頭二つ分は抜きん出ているものだから、目立つことといったら海辺の灯台も顔負けだ。それとも、丸太を立ててトウモロコシの毛で作ったかつらを載っけ、長剣をぶら下げたら瓜二つになるだろうか。
「そうですよ。──やあ、こちら側から見る主宮殿は、雰囲気がひと味違いますねえ」
「あんたは
「いやだなあ、言うわけないじゃありませんか」
グレイはきょろきょろと辺りを見回して、
ケンに負けず劣らず、蒼の塔の二人も、今度の俺の従者には驚いたようである。
「グレイさんです。今日からいっしょにきてくれることになりました」
俺が紹介すると、グレイはオドネルとユーリに向かい、礼儀正しく頭を下げた。相当力のある魔法士のようだが、彼の
「やや、こんなところに、うるわしき美の女神が!」
そんな気がしたんだ……
俺はユーリ先生を見る目を変えるべきなのかもしれない。俺に言わせれば平々凡々たる容姿の彼女を
だが、面と向かって本人に言ってのけた男は初めてである。瞳を輝かせるグレイを見上げ、ユーリはぽかんと口を開けた。
「私は、グレイヴ・スティレット=レーヴァテインと申します」
グレイはうやうやしく彼女の前に
右手を差し出す。ユーリに向かって、ぱちんと指を鳴らす。──すると、真っ白な花びらの
「花をどうぞ。美しいかた」
と、グレイは言った。「あなたのお名前も、お聞かせねがえますか?」
「……ユ、ユーリ=ローランド」
こんな
「ああ、ユーリ……!
つるつると、すべるように出てくる台詞に、俺たちはあっけにとられるばかりである。
「ユーリ、あなたの
グレイは立ち上がった。ユーリに寄り添うと、彼女の手に花を握らせる。
「いかがですか。今夜、私と食事でも」
「い、いいえ。わたし、今夜はちょっと」
「では、明日はいかがで? ほんの二時間でいいんです。あなたとともに過ごすことを、私にお許しいただけませんか?」
「明日もちょっと」
「そうおっしゃらずに、ぜひ一度」
「──きみ、やめたまえ」
オドネルが静かに言った。「ローランドくんが嫌がっている」
ユーリが振り返った。グレイも彼のほうを見た。もちろん、俺だってだ。
王宮魔法士ジュリアン=オドネルは、少しも口調を荒げることなく、もう一度言った。
「きみ、ローランドくんの手を放しなさい」
「………………」
グレイは青灰色のたれ目をしばしばさせた。かたわらのユーリを見下ろし、再びオドネルへ目を移す。
「──これは大変失礼をば!」
魔法剣士は、剣士らしからぬ身のこなしで飛びすさった。「気がつかず、まことに申し訳ございません」
気がつかず?
「私は決まったお相手がいるかたには、ご迷惑をおかけしない主義でして」
「グレイさん!」
俺はつい、オドネルのほうを気にしてしまう。あんまり変なことを言わないでほしいんだけど。
「では旦那さま、私は外でお待ちしております」
かき回すだけかき回しておいて、従者は妙にさわやかな笑顔を見せる。きびすを返し、脚なんか非常に長いものだから、三歩で扉を開けて、出ていってしまった。
「……なんだったんでしょう。今の人」
ユーリの開いた口は、まだふさがらないままのようだ。
「ユーリ先生、ごめんなさい」
俺はひたすら平謝りするしかない。 ユーリはすっかり毒気に当てられた
オドネルは、なにごともなかったようにふるまった。知的な顔には見慣れた穏やかな笑みを浮かべ、席につくよう俺たちに告げる。大机をはさんで、俺の向かいにはユーリが、彼女の隣にはオドネルが腰を下ろした。
「では、カイルくん。これからおこなう『
と、オドネルは言った。