伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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『面白いではないか。エレメントルート家の魔法使いの小僧、顔が見たい』

 

 ダーヴィドの館へ連れていかれたあのとき、俺の両の目はふさがれていた。だからこそ忘れない。仮面のせいでくぐもった、愉快そうな声。

 

 仮面の男は、あっさりと俺のさるぐつわをはずさせた。俺がまだ若いから、たいした魔法は使えまいと、たかをくくったのかもしれない。──だが、そうではないかもしれない。

 

「──宰相閣下」

 

 俺はオドネルの声に目を上げた。塔に残る人影は、俺たちを除くと一人だけになっている。

 

 ゾンターク公爵が、書架の前にひっそりと立ちつくしていた。

 

 オドネルがローブの裾をさばいて歩み寄る。俺は献金箱を床に置いた。シルクハットの()()を前にかたむけ、あとへ続く。

 

 公爵は、棚にあった小ぶりな水晶玉を手にしていた。艶麗な横顔である。切れ長の、濃い茶色の瞳。武官と比べればいくらか長い黒髪が、無造作に波打つ。すっきりした鼻梁。うすあかく見える唇には、微笑みを浮かべている。

 

「……お、これはこれは。()()()()どの」

 

 いっそう笑みを深くする。襟に銀糸のぬいとりの入った黒い上着が、公爵自身を魔法使いさながらに見せていた。

 

「よかった。とてもよかったよ」

 

 小さく声を立てて笑う。オドネルは、うやうやしく一礼した。

 

「本日はありがとうございます、宰相閣下。おかげをもちまして、わが国を支える高位の皆さまがたに、この(あお)の塔の存在を思い出していただけました」

 

 ゾンターク公爵はやんわりと首を振った。「国王陛下から、王弟殿下の尻をたたいてこいと仰せつかったまでのことよ」

 

「それは……」

「王弟殿下は、なんぞ誤解なされているのであろ。国王陛下にそのようなご意志はないというのに」

 

 オドネルの魔法が()けて、窓からの穏やかな日差しが戻っている。公爵は、水晶玉を日の光に透かすように、目の高さまで持ち上げた。

 

「じつに美しかった。私の()にも見せたかったねえ」

「おともないになればよろしかったのでは?」

 

 とんでもない、ひきつけを起こしてしまうよ、というのが、彼のいらえだった。

 

 アセルス王国の宰相は、元の棚の上にそっと、水晶玉を載せた。

 

「では、またな」

 

 ふわりと右手を上げる。ローブのように長い上着の裾がひるがえった。床に描かれた魔法陣を踏んで歩き出そうとし──ふと、こちらへ瞳を向けた。

 

「おや、さっきのお嬢さんとは別の子だね」

 

 どきりとする。公爵は目を細めて俺をながめ、声をあげて笑った。

 

変化(へんげ)の魔法?──面白い趣向だの、オドネル」

 

 いずれうちへきて、姫に帚星(ほうきぼし)でも見せてもらおうか、などと言いながら、ゾンターク公爵は扉へ向かう。

 

「閣下、お一人で出歩かれるのは危のうございませんか。ご家来衆が案じておいででしょう」

「なんの。私が好き勝手をするのに、皆は慣れているもの」

 

 後ろ姿が歌うように言う。男にしてはほっそりとした腕が、金属の枠を打ちつけた大きな扉を、手ずから押し開いた。──冷たい外気を室内に残し、ゾンターク公爵は去っていった。

 

「師匠」

 

 これで招待客は誰もいなくなった。衝立(ついたて)でかこった楽屋から、ユーリが顔をのぞかせた。

 

「皆さんお帰りになりましたね。師匠もティ坊ちゃまも、お疲れさまでした」

 

 ──彼女をひと目見るなり、オドネルは息をのんだ。

 

「ローランドくん」

 

 なにに驚いたのか、呆然と(みは)った瞳をぱちりと閉じ、開き直す。こちらへこようという人が誰か、わからないわけじゃなかろうに。

 

 師の声音が変わったためか、ユーリはけげんそうに首をかしげた。すでに彼女はそばかすの化粧を落とし、質素なスカートと、飾りひとつない上着に着替えている。おろしていた髪はひっつめて、てっぺんでまとめてあった。──俺の目には普段通りの、地味で平凡なユーリ=ローランド。

 

 オドネルは、彼にしては非常に珍しく、決めつけるような口ぶりで言う。「きみは、そのほうがいい」

 

「はい?」

「そのままがいいと言ったんだ」

 

 言い置いて、すたすたと行ってしまう。──楽屋からは、銀星館(シルヴァ・ブレイズ)の女の子たちが、嬌声をあげて彼を出迎えるのが聞こえた。ユーリは肩をすくめて俺を見た。

 

「今のは、なんだったんでしょう」

「さあ……」

 

 顔がゆるんでしまうのを隠すため、俺はなにげないふりであっちを向いた。

 

 ──俺には、ぜーんぜん、わかりませんよ。

 

 

 ◆◇◆

 

「……なるほど」

 

 俺と従者のグレイ、二人の報告に、黙って耳をかたむけていた秘書のオーリーンは、冷ややかにうなずいた。

 

「確かに僕の印象かもしれません」

 

 爵位授与式に出席していた大勢の貴族たち。その中で、俺が仮面の男と会った日の朝、ほかの場所に存在していた(あかし)の立たなかった貴族たちを、すべて見た。声も聞いた。

 

「でも僕は──仮面の男は、フィリップ=レールケ伯爵だと思います」

 

 王弟シベリウスの右腕。名門の生まれで、幼いころは国王、王弟兄弟の学友であったという。姿かたちと声──話しかた、笑いかた、魔法が効かない可能性もふくめ、仮面の男に最も近いのは、彼だ。

 

 ゾンターク公爵は違う、と、俺は感じていた。なにより公爵は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ほかに確かめるすべはございませんな」

 

 オーリーンは深いため息をついた。銀縁眼鏡の奥の瞳を、メイド服の侍女へ向ける。

 

「バルバラ、ボリスの手のものと連絡は取れるのか」

「もちろんです」

「ダーヴィド本人に的をしぼり、やつが接触をはかるものを、ちくいち報告するように言え」

「かしこまりました」

「マイルズ、別邸のサウロへ伝えろ。明朝より、レールケ伯爵の行動監視を始める」

「へ、へいっ!」

 

 下男のマイルズは、勇んで居間を飛び出そうとする。それをオーリーンが片手を挙げて引き止めた。

 

「くれぐれも、身の危険を感じたときは、ただちに任務を中止せよ、と伝えるように」

「へいっ!!」

 

 今度こそ、マイルズは駆け出していった。

 

 それで会議は終わりになった。みんなはそれぞれの仕事へ戻ってゆく。だが、俺はその場に残った。いつもエディットがかけていた長椅子へ、腰を下ろす。

 

「オーリーンさん」

「なんでございましょう、旦那さま」

 

 俺が出ていかないためか、秘書も一人、暖炉の脇にたたずんだままだ。

 

「……義父上(ちちうえ)が亡くなった理由について、オーリーンさんはどのように考えているんでしょうか」

 

 打てば響くようだった。「王位継承の争いに巻き込まれたと」

 

 ()()()()()()()

 

 それは、国王マティウス二世と王弟シベリウス、どちらが王位に()くかの争いがあったということか。

 

「十三年前、大旦那さまが亡くなられたころ、国王陛下はただの王子。先王陛下のご意志で、立太子は見送られていました」

 

 アセルス王家は男子継承を原則とする。王位継承権を持つのは男性王族だけだ。しかし、女性王族になんの権限もないわけではない。まれに王后、王女が中継ぎのために即位、もしくは、王の後見に立つことがある。ただし、王族に成人男性がいない場合に限られる。

 

 次代の王──王太子を指名するのは、当代の王である。先王ディートヘルム一世は、長男を立太子させようとしなかった。あまりにも素行が悪い、というのが理由だった。

 

 かといって、次男たるシベリウス王子を世継ぎにはできなかった。長子相続が当たり前の世の中である。たった二歳しか違わない弟を王太子に選べば、国を二つに分かつ(いさか)いに発展しかねない。ディートヘルム一世とエレオノーラ王后の苦衷は、いかばかりだっただろうか。

 

 現国王マティウス二世、当時のマティウス王子は、幼いころから乱暴もので通っていた。人望もなく(よわい)三十を過ぎ、(おおやけ)の場に姿を見せなくなってしまった。本人も、王位を継ぐことをあきらめていた節がある、と、オーリーンは言う。

 

 けれど、弟のシベリウス王子は野心を持つ性格ではなかった。それで最終的にはマティウス王子が王太子となったわけだが──

 

「……当人同士がどうであれ、周囲はさまざまな憶測をめぐらせ、己れの有利にことを進めようと画策するものです」

 

 エディットの母親、エルヴィン王女は国王、王弟兄弟のたった一人の妹だ。彼らは美しく心優しい妹姫を、とても大切にしていた。彼女とセドリック=エレメントルートの醜聞(スキャンダル)が世間に知られたとき、二人の王子は怒りにまかせ、セドリックへ果たし合いを申し込んだほどだ。

 

「大旦那さまは王女のご夫君。どちらの王子につかれるか──つまり、妹姫がいずれの兄上を推されるのか、誰もが注目していたのですよ」

 

 降嫁したとはいえ、エルヴィン夫人がディートヘルム一世とエレオノーラ王后の最愛の娘であることに変わりはない。どちらに王位を継がせるか、決めかねていた国王夫妻は、愛娘の意見に耳をかたむけるだろう。

 

「亡くなられた晩──」

 

 秘書のかたわらで、暖炉の炎が赤々と燃え盛る。

 

「大旦那さまは、誰かに呼び出されたのです。王宮へ」

「それが、犯人ですか?」

「おそらくは」

 

 ──この手紙の書き手は父へ、自分の味方になるよう求めている。父が応じたのか断ったのか……いずれにしろ、だから殺された。

 

『証拠の手紙』について、エディットはそう言った。手紙は父親の(かたき)をおびき出すために用意した偽物である。だが、あれが彼女の見解だったのだ。王女の夫を味方につけたい誰かが、セドリック卿を呼び出した。

 

 呼び出したのはどちらの派閥のものなのか。応じたとしても、断ったとしても、もう一方からは敵とみなされる。

 

 そうして──

 

 一人出かけたセドリック卿が、この屋敷へ、生きて帰ることはなかった。

 

 誰もが悔いておりました、と、オーリーンはつぶやいた。

 

 深夜の外出を止めなかった執事。不要と言われて供をしなかった従者。──身重であったがゆえに、いっしょに王都へこなかった妻。

 

「……われらはただ、知りたいだけなのです」

 

 秘書は長い中指で、銀縁眼鏡を押し上げる。

 

()()()()()()()()()、幸福なご一家の輝かしい将来が、奪われなくてはならなかったのか」

 

 暗く、沈鬱な面持ちで彼が述べる言葉は、エレメントルート伯爵家の家臣たちの、キトリーの民の総意だ。

 

「……わかりました」

 

 俺は立ち上がった。「教えてくださって、ありがとうございました」

 

 ──居間を出ると、グレイが小さな明かりを手にして待っていた。ランプでも()()()()でもない。昼間オドネルが演じたような、魔法の淡い光だ。俺が仰向くと、従者はにこりと笑みを見せた。

 

 俺が部屋に入るのを見届け、グレイは立ち去った。俺は室内を見回す。──ここは、エディットの私室。壁にはたくさんの書架と本。書きもの机。俺たちがならんで座り、()ごと話した長椅子。元は、セドリック卿の書斎だった部屋。

 

「……カローロ」

 

 俺の守護精霊(ぞるがんど)に呼びかけてみる。なんだ、と、静かないらえがあった。

 

「…………」

 

 ひと言では、とても言い表せない。俺は寝室へ行き、ベッドに仰向けになった。ずっと彼女が一人で朝までを過ごし、この数週間は俺が使っている、天蓋付きのだだっ広い寝台だ。

 

「どうしているのかなあ……」

 

 大丈夫、無事さ、と、カローロは答えてくれる。その言葉を耳にして、俺は目を閉じる。──守護精霊は、決してあるじの不利益になることをしない。だから俺は、安心して眠りにつこうとする。

 

 ──おやすみ、カイル。

 

 カローロの声が、俺にささやいた。

 

 

 

 

 

 

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