伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 62 贈りもの

「わたしは一時間でかまわないんだ、ハーラー」

 

 と、あるじは重々しい口ぶりで言う。

 

「そうおっしゃらず、三時間でも五時間でも」

 

 ハーラー副官は真顔で(こた)える。彫りの深い顔立ち、短く刈り込んだ黒髪に青い瞳の、三十路もなかばを過ぎた体格のいい男である。彼のがっちりと広い肩幅は、見映えがするだけのほかの騎士とはひと味違う。

 

「王后陛下は、どのようにおっしゃっておいでなので?」

「晩餐会が始まる六時までに戻ればいいと。──だが、そんなに長いあいだ、隊を離れるわけにはいかない」

「別に長くもないでしょう。もう少しだけ、私たちに任せてみようって気にはなりませんか?」

「そういう問題じゃない」

 

 あるじは眉をひそめ、大いに不満顔だ。副官はため息をついた。

 

 一年で最も日が短い時季である。けれど、ただいま現在昼食をすませたばかり。午後一時にもなっておらぬ。冬空はあくまでも青く、テラスからは眼下に広がる街並みがくっきりと見渡せた。ノエルの領主館は、小高い丘の上にある。

 

 ハーラーは年若い上官に息抜きをさせようとしている。しかし、ボリスのあるじは美しさだけではなく、一徹なことでも他の追随を許さない。彼女はそっけなくかぶりを振った。

 

「一時間で戻る」

「わかりましたよ、隊長」

 

 ハーラーはたくましい肩を軽くすくめた。年齢も重さも己れの半分以下の小娘へ、丁重な礼をする。「では、(あいだ)を取りましょう」

 

()()()だと?」

「そうですとも」

 

 ハーラーは大真面目にうなずいた。

 

「せっかく王后陛下が勧めてくださったのです。あまりに早く戻ったら、陛下に失礼ってもんですよ」

「……そうか?」

「ええ。ですから、だいたい真ん中辺りで三時間。四時までならいかがです?」

「………………」

 

 アントニエッタ王后に失礼、ときた。あるじはしばらく上目になってハーラーをにらんでいたが、反論するすべがなかったらしい。やがて大きく息を吐き出した。

 

「……わかった。四時だな」

「いってらっしゃい、隊長。どうぞお気をつけて」

 

 副官は誠実このうえない笑みを返した。部屋の片すみに控えるボリスへ、ちらと目を向けてくる。おまえさんも苦労するな、とでも言いたげだ。

 

 あるじは近衛隊の制服ではなく、男ものの革服に厚手の外套(マント)といういでたちである。いつも通りレイピアを腰へ、()()()()して暖かそうな毛皮の帽子をかぶると、振り返った。

 

「ボリス、行くぞ」

「は」

 

 忠実なハーラーと、その場にいた騎士たちに見送られ、あるじはボリスをともない、領主館をあとにした。

 

 ──これから二人は、お忍びでノエルの街へ散策に出かけるのである。

 

 

 ◆◇◆

 

 アセルス王国の南端、かつては南部の重要な守りの地だったキトリーをあとにし、一行は北へと進む。王都へ向かう街道に沿い、小さな(くに)をいくつも過ぎる。

 

 王都アセルティアからハティア王国まで続く道を、古来より南方街道と呼ぶ。ここノエル市は、南方街道と東西を結ぶ道とが交わる、商業の盛んな街だ。お帰りの際にもぜひぜひお立ち寄りを、と、領主のメーベルト男爵が熱心な誘いをよこしていた。

 

 キトリー城とは異なり、小さな街の小さな領主館に、百名を超す騎士全員が入りきる広さはない。それでも王后と女官たち、部隊のおもだった面々くらいは母屋の客室に収まった。残りの平騎士は、前庭や中庭で野営である。

 

 昨夜降った雪のせいで、赤土の地面はひどくぬかるんでいた。軍靴が泥をはね上げるのをものともせず、あるじは大股で道を急ぐ。

 

 丘をくだってゆくにつれ、煉瓦の街並みが近づいてきた。メーベルト男爵は裕福で、市街地の整備にも力を入れている。石畳の歩道をとった広い通りには、柱や看板に飾りをほどこした立派な宿や商家が建ちならぶ。遥か先まで整然と植えられた銀杏(イチョウ)の並木。住人たちは皆ほっぺたを赤くし、白い息を吐き、旅人も馬車も行き交う活気にあふれた街だ。

 

 ノエルには、ハティア王国へ向かう往路でも立ち寄った。そのときに目星はつけてあったのだ。だから、二人の行き先はすでに決まっていた。

 

 中通りへ折れた。道沿いの建物の間口が狭くなる。仕立て屋、建具屋、桶屋、馬具屋──どれも細長い二階建てだ。そのうちの一軒、太い格子ににごったガラスをはめ込んだ扉の前で、あるじは足を止める。

 

 丘の上の領主館からここまで、小走りに駆けてきた彼女の息ははずんでいた。

 

「………………」

 

 きゅっと唇を結び、瞳を上げる。汚れた看板に書かれた文字は、『クレメンソン書店』。子羊の革手袋をはめた手が、ノブを回す。

 

 チリンチリン──客の(おとな)いを告げる、高い鈴の()

 

 あるじは、ふーっと長く、満足げな息を吐く。ボリスも後ろから中をのぞき込んでみた。──想像していたより、ずっと奥行きがある。

 

 高い天井までぎっしりと、文字通り寸分のすきまもなく書架が詰まっていた。上のほうなど梯子(はしご)がなければ誰の手でも届くまい。

 

 ボリスはあるじの夫の供で、王宮の(あお)の塔へ通っていた。あの中も尋常ではないありさまだったが、こちらは商売だけあって度合いが違う。ほかのものはいっさいなく、すべてが本だ。──棚板にならんだ本の上に、さらに本。通路に積まれた本の上に、またしても本。

 

「いらっしゃい」

 

 店の一番奥、山が一段低くなったところから、しわがれた声がした。

 

 あるじは腰の剣帯からレイピアをはずした。狭い通路だ。下げたままでは、鞘尻が書物に当たってしまう。

 

「……中を見せてもらっても、かまわないだろうか」

 

 彼女らしからぬ、遠慮がちで小さな声である。山の向こうの白髪頭がうなずいた。あるじは店内へおずおずと足を踏み入れた。

 

 ボリスも剣をはずしてあとに続く。──チリン、と、再び鈴が鳴り、扉が閉まる。

 

 大きく見開いた紫水晶(アメシスト)の瞳が、期待に満ちて輝いていた。独特の空気を味わうように深く息を吸いこみ、あるじは辺りを見回した。手近な書棚を見上げ、左から右へ、題名を目で追ってゆく。

 

 亡くなった父親の影響で、あるじは幼いころから本を読むことを好んだ。十代を迎えてからは、将来の職務や目的に即した書物を買い求めるようになったが、いかにも子どもが喜びそうな夢物語のたぐいも、熱心に読んでいた。

 

 王都でもめったに見られぬ品ぞろえである。ボリスは舌を巻いていた。物語ばかりがならぶのではない。さまざまな分野の学術書、歴史書、戯曲、詩集、異国の言葉で書かれた本──ありとあらゆる書物がそろっている。

 

 あるじは棚に剣を立てかけ、手袋をはずすと、中段から一冊の本を抜き取った。パラパラと(ページ)をめくり、ていねいに元へ戻す。どうやらその一列は、迷宮探索の冒険録が集めてあるようだ。

 

 冒険者たちが残した記録は、昔なら迷宮へおもむく一団(パーティ)が下調べに使う資料として、のちの世になると血湧き肉躍る英雄譚に書き換えられ、長く人々に親しまれてきた。

 

 とはいえ、内容は玉石混淆である。どこまで嘘かまことかわからぬ荒唐無稽な武勇伝や、一攫千金を得るだけの物語もあれば、魔物の生息地や財宝のありかまで記した図録が売りのもの、陣形やら兵站やら、戦術を中心とした軍記ふうのもの、それぞれに特徴がある。

 

 あるじはあっちの本を取り上げ、こっちの本を手にしては、むつかしい顔だ。しきりと小首をかしげている。()の好みがどうだったか、思い出そうとしているのかもしれない。

 

「ご主人、すまないが」

 

 あるじの声に、小さな鼻眼鏡をかけた老人が、奥から顔をのぞかせた。すっかりしなびて顎のとがった年寄りだ。

 

「こちらには、魔法に関する本もあるだろうか?」

「ああ、あるとも」

 

 老人は眼鏡をはずし、ひょこひょここちらへやってくる。いささか興奮気味に頬を上気させたあるじを見ると、垂れ下がったまぶたが大いに持ち上がった。これほど美しい客がこの店を訪れたことなど、かつてあるまい。

 

「この棚の上のほうのは、みんなそうだよ。向こうの梯子を持ってくるといい。──まさかあんた、魔女なのかね?」

「いいや」

 

 あるじは笑いながらかぶりを振る。魔女でないなら、いったいなんのために見たがるのだ。あきれ顔の老人は、きっとそう思っているだろう。

 

「そっちのあんた、そこへかけちゃあどうだい」

 

 かたわらのボリスに言う。彼があるじの付き添いだとわかったようだ。

 

 老人は作業机へ戻ってゆく。あるじはさっそく梯子に足をかけ、(いただき)まで踏破せねば収まらぬ勢いである。つい先ほど、一時間で戻ると言い張ったのは誰だったか。ボリスは老人が指した踏み台へ尻を落ちつけた。

 

 老人の前には、ずいぶん汚れていたり、形のゆがんだ書物がたくさん積んである。表紙を丸ごとはずして見開きにした本の()じ目へ、骨ばった指先が、釣り針のように曲がった針を器用に刺し込んだ。糸綴じの綴じ直しをしているのだ。

 

 チリリリン、と、けたたましく鈴が鳴った。

 

「よう! ちょいと誰か、手ェ貸してくんな!」

 

 戸口は本棚の向こうになり、ボリスの位置からは見えない。若い男の声だ。「馬車が()()()()にはまっちまって!」

 

 老人は顔をしかめて舌打ちした。

 

「おかど違いだよ! よそを当たっとくれ!」

 

 なんでえちきしょうこのケチじじい、などと、若者は口汚く(ののし)った。鈴の音とともに、乱暴に扉が閉まる。ボリスは剣を手にして立ち上がった。この調子では、当分あるじはこの店から動くまい。退屈しのぎにうってつけだ。

 

 あんたも人が()いねえ、と老人に見送られ、ボリスはクレメンソン書店をあとにした。少し行った先で、大きな酒樽をいくつも積んだ荷馬車が立往生していた。──それからしばらくのあいだ、ボリスは何人かの若いのに混じって荷台の後ろを押してやった。おかげで長靴(ブーツ)がすっかり泥だらけだ。

 

 ──ボリスが戻ると、本屋の老人は、おや、という顔をした。あるじの姿はすでにない。

 

「今しがた、あんたを探すと言って出ていったよ。──ああ、三冊もお買い上げいただいたさ。あれかい? ハティアからお帰りだっていう王后陛下の女隊長、ひょっとするとあの()なのかい?」

 

 もう一度通りへ出る。辺りを見回すと、待っていたかのように声がかかった。

 

「ボリス!」

 

 路地からあるじが現れた。胸にはしっかりと、油紙にくるんだ本らしき包みを抱えている。後ろからはやくざものが三人。そのうちの一人が、今にも彼女の首筋へ突き立てんばかりに刃物をかまえている。

 

 あるじのレイピアは取り上げられてしまったようだ。それはいい。想定内だ。そっちの包みにだけは手を出すなよ、と、ボリスはこっそりひとりごちた。

 

 いつのまにか、周りをぐるりとかこまれている。人影は二十人に近かろう。思わず笑い出しそうになったが、ボリスはこらえた。ずいぶんと買いかぶってもらえたものだ。

 

「……きさまら、なにが目的だ」

 

 あるじが静かに問う。

 

 どことなく薄ら寒い風でも吹いた気分である。ボリスは右手で己れの()()()をさすった。心ひそかに神へ祈る。──頼むから、これ以上彼女を怒らせるのはよしてほしい。

 

 

 

 

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