伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 ようするに、俺は退屈していたんだと思う。

 

 生まれて初めて襲ってきた人生の荒波ってやつに、俺はあっけなく翻弄された。ある日突然エディットがやってきて求婚され、家中町中がお祭り騒ぎの中で、あわただしく王都へ()ち、結婚式、披露宴……今日に至るまでに春と夏、早くも二つの季節が過ぎようとしている。

 

 周りに振り回されていたあいだ中、俺は考え続けていた。

 

 王都に着いた早々から、エディットをはじめ、エレメントルート家の人々は俺を好き放題にあつかった。俺を屋敷に押し込め、体のあらゆる箇所の寸法を測り、とっかえひっかえいろんなものを着せてきた。

 

 俺は黙って言いなりになっていた。それがエディットとの約束だったからだ。だから俺たちの「結婚」は、(とどこお)りなく成立した。

 

 王太后さまの容態がよくないことを理由に、披露宴の規模は縮小された。新婚旅行もない。俺の新妻となったエディットは、おそらくは独身時代と同じように、毎朝早くから王宮へ勤めに出ていた。どれほどの激務なのかは知らないが、夜が更けるまで戻らないこともしばしばだった。

 

 俺はいつも、本邸に一人でいた。

 

「…………」

 

 廊下からも、外からも、人の気配がなくなった。バルコニーの向こうで、時折小鳥の声が響くだけ。

 

 クローゼットの扉を開ける。

 

 巨大な衣装戸棚、というより衣装部屋には、サイズはともかく、実家の兄弟全員分よりたくさんの衣服がかかっている。どれもこれも、王都にきてからあつらえられた最新流行のものばかりだ。

 

 衣類をかき分け、上下のひとそろいを取り出す。布地は上等だが、黒っぽい色合いに地味なデザインで、間違って注文されたようにまぎれこんでいたものだ。しゃれた服装に慣れない俺は、その一着を片付けてしまわれないよう、こっそりと隠しておいた。

 

 服を着替え、靴も似た色のものに履きかえる。細く扉を開けて、廊下の様子をうかがう。──誰もいない。

 

 本邸の母屋に出入口は二か所。一方はもちろん正面玄関。でも、今は使っちゃだめだ。大扉にはベルがついている。たとえ姿を見られなくても、音で出入りしたことがばれてしまう。

 

 もう一方は厨房(キッチン)の勝手口である。俺は足音を忍ばせながら、使用人用の裏階段へ向かった。

 

 本邸は別邸に比べると古くて重厚だが、大きくはない。最近になって内部を改装したらしく、どこの扉も窓枠も頑丈で、新式の鍵ががっちりとかかっている。空き部屋の扉はすべて施錠され、侍女のバルバラが掃除をするときしか開けられることはない。

 

 だから、具合が悪いと部屋で寝ているはずの俺が誰かに出くわしたら、隠れる場所がない。着替えていることの言い訳もしづらいし、ちょっとしたスリルだ。

 

 見映えをよくするため、裏階段は階段室をもうけて隠してある。その扉の向こうにも、人の気配はない。

 

 用心しつつ、一段ずつ降りてゆく。一階の階段室を出ると厨房で、食堂へとつながっている。今日、「旦那さま」たる俺は昼食抜きだ。だから料理長のネロは、反対側にある使用人用の控え室で、みんなの食事のしたくをしているはずだ。

 

 いいにおいのする皿を両手に、ネロが出ていった。すきを見て厨房へ入りこむ。大きな調理台の下へもぐった直後、鼻歌交じりのネロが戻ってくるのがわかった。

 

 彼はトロル並みに太った大男だ。歩くだけで床がリズミカルに地響きする。きっと自分で作った料理がうまくてたまらないんだろう。実際、腕は最高だ。

 

 執事のワトキンスは用があり、食事はあとでと言ったらしい。向こうからバルバラの声がする。

 

「なんなのよ! いったい、あの男っ!!」

 

 ()()()()()()いいかげんよね、不真面目にもほどがあるわ、あんなひょろっひょろのひょろ長のくせにっ、と、バルバラの文句は止まらない。どうやら遊びに出かけてしまったグレイの愚痴のようだ。

 

「まあまあ、若いんだから、しかたがねえでしょう」

「姫さまも姫さまだと思わない?! もっと厳しくしていただかないと、困るのはこっちなんだから!」

「いろいろあるんだと思いますよ。気にしない気にしない」

 

 下男のマイルズが、のんびりとなだめている。

 

 パンを盛った籠を片手にネロが立ち去り、三人は食事を始めたようだ。俺は調理台の下からはい出した。

 

 早く、早く、急がなきゃ。

 

 誰かが水を飲みたいとか、シチューのおかわりが欲しいとか言い出して、またネロが戻ってくるかもしれない。

 

 勝手口に駆け寄り、ノブをつかむ。ここにもしっかりと鍵がかかっている。

 

 破る力は右手に宿る。だから俺は、鍵穴に触れた右手の指に力を込める。

 

 俺はアルノーの実家から、本当にお気に入りの本だけを選び、王都まで持ってきた。──もちろん、二冊しかない魔法の本も。

 

 開錠の呪文には、いくつもの種類がある。そのうちのひとつ、今の時代なら最も実際的な魔法が、()()()()鍵を開ける呪文だ。

 

 静かに、深く息を吸いこむ。ゆっくりと吐く。何度もくり返し、くり返し。

 

 魔法には集中が必要だ。鍵穴の中を見通すつもりで。自分の魔力を形作り、(キー)の代わりに差し込んで──

 

 

 

 回す。

 

 

 

「……『さえぎるものよ われこそは正当なる所有者 開け そしてわが前へ示せ』」

 

 ──カチリ。

 

 開いた……

 

 初めての鍵が一発で開くなんて、なかなか幸先(さいさき)がいい。

 

 そうっと扉を押し開けると、夏の終わりのぬるい空気が室内に流れ込んできた。大急ぎで外に出る。

 

 今度はこちら側から鍵穴へ、指を。

 

「『()ざせ 封じ込め しまい込め』」

 

 再び、カチ、と錠が回る。──俺は扉を背に座り込み、ふうっと息を吐いた。

 

 俺は外に出てみたかった。もしかしたら、俺が出かけたいと言えば、許してもらえたのかもしれない。だけど、背高のグレイにどこまでもつきまとわれるのはごめんだった。それに、俺には目的があった。

 

 なぜ自分がエディットの夫に選ばれたのか、俺はどうしても納得できずにいた。金貨の詰まった袋をちらつかせれば、おとなしくなるだろう、と思われたことに、腹を立ててもいた。俺は彼女の邪魔をしないと約束したが、なにもかも思い通りになると誓ったわけではない。彼女の本当の意図を調べてやろう、そう決めていた。

 

 その第一歩は、自由になること。

 

 なぜか貧乏男爵の冴えない末っ子と結婚したがる美貌の令嬢、戸締まりが厳しいくせに妙に人の少ないお屋敷、人畜無害の俺をわざわざ見張るようにつけられた従者──世間知らずの俺にとっては、これだけで充分に胸おどる謎なんだ。

 

 さあ、なにから始めよう。俺は立ち上がった。そして庭へ向かって走り出した。

 

 

 

 

 このときの俺には、まだ、知るよしもない。

 

 ちびの俺がここんちの塀を乗り越えるのに、相当苦労するってことを……

 

 

 

 


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