伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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「調べた……?」

 

 ステファノの瞳の琥珀(こはく)色の虹彩が、あっけにとられたように大きく開いた。かたぎの勤め人みたいな面差しの彼である。商う品が思わぬ値崩れを起こした大店(おおだな)の番頭は、こんな顔をするだろうか。

 

 はは、と、彼は乾いた声を立てて笑った。

 

「変装して会った貴族を、すべて……?」

「はい」

「なにを、馬鹿な」

 

 相対したのは、ただのひとたび。それもわずかな時間。俺が仮面の男の声を聞いたのも、ほんの数言。──けれど、俺の本当の姿を見て、ひと目で『エレメントルート伯爵』と見破れた人物には限りがある。

 

「貴族じゃないかもしれないだろう!」

 

 ステファノは強く首を振る。

 

「あんたは結婚式のとき、王都中のもんに姿を見られている!」

「確かにそうですね」

 

 大聖堂を十重二十重(とえはたえ)にかこんだ多くの人々。窓辺に張りついた人にくらい、俺の目鼻立ちがわかったとしよう。だが、あの尊大な口ぶり、金のかかった身なり、ダーヴィドに「お殿さま」と呼ばれていた仮面の男が、平民に混じって俺たちの結婚式を見物にくるなど、万にひとつもありえない。

 

「ははあ……」

 

 ステファノの口の端に、こすからい笑みが浮かんだ。唇のあいだから、ちろりと赤い舌先がのぞく。

 

「わかりましたよ。あんたらは、こいつと目星をつけた相手はいても、確信が持てないんだ。違いますか?」

 

 仮面の男は、()()()()、フィリップ=レールケ伯爵。

 

 ──ふいにダーヴィドが、胸の前に組んでいた腕をほどいた。

 

「……誰だと思うのかね?」

「親分」

「知っているなら言えばいい」

 

 まるで獲物に狙いを定める獰猛な鷲だ。鋭い視線が、俺をねめつけた。

 

「言ってみなさい。あのおかたが誰なのか、さあ」

 

 あの目に呑まれてはだめだ。「それは」

 

「カイル」

 

 エディットが、膝の上で握った俺のこぶしに手を置いた。()いだ海のように穏やかな彼女の瞳を見て、われに返った。

 

 口に出しては、いけない。

 

「……まあ、いい」

 

 鷲の双眸で俺を見据えたまま、ダーヴィドは深く息を吸い、吐き出す。

 

「そこまで言うからには、自信があるんだろう」

「ええ、あります」

「私が嘘をついたら、どうする」

 

 俺も目をそらさずに答える。

 

「あからさまな嘘なら、わかります」

「なぜ」

「変装した僕と会ったことのある貴族たちが、あの朝どこにいたかを知っているからです」

 

 たやすく知れたわけではない。みんなが調べてくれたのだ。エレメントルート伯爵家の家士たちが手分けして一軒一軒を回り、聞き込んだ。

 

 ダーヴィドはむっつりとつぶやいた。「……ライト侯爵」

 

「違います」

 

 俺は首を振り、オーリーンがあとを引き継いだ。

 

「侯なら前夜、私邸で晩餐会を開かれており、翌朝もお泊りになった多くのかたがたに姿を確認されている」

「いいかげんなことを言えば、すぐにわかります」

 

 挑発しないようにしなくては。俺は平静な声を出そうと(つと)めた。だが、ダーヴィドは悔しくてたまらないのだろう。落ちくぼんだ瞳に力が入る。

 

「私が言わないとしたら?」

「直接尋ねます。本人に」

「…………」

 

 納まらない腹の虫をどうにか納めようとするように、ダーヴィドはしばらく無言だった。

 

「……ステファノ」

「は、はい」

「私はもう、()いたよ」

「親分!」

 

 白い眉のあいだには、くっきりとしわが寄っていた。憎々しげな舌打ちとともに、老人は吐き捨てた。

 

「まったく馬鹿馬鹿しい。なぜ私がこんな」

「親分、いけませんよ!」

「なにがいけない。元々私は貴族同士のくだらん喧嘩になぞ、なんの関わり合いもないんだ」

「ですが」

「とんだ茶番じゃないか。ステファノ、帰るぞ」

「親分!」

「好きなだけ本人に尋ねればいいだろう」

「そうはいきませんよ!」

 

 王都中に悪評が広まった彼らは、追いつめられている。ほかの香具師の元締めに、縄張りを奪われそうになっているのだ。

 

 俺たちにはいくらでも時間がある。けれど、ダーヴィドはそうではない。

 

 ステファノの瞳がきょときょとと動いた。連れに助けを求めるようだが、背後の大男は不機嫌そうな渋面を崩さず、微動だにしない。ダーヴィドのかたわらに立つ魔法使い──デメトリオも、ローブのフードを深くかたむけたまま、顔を上げようとしない。

 

 そこへ、ノックの音がした。扉を開けたのは別邸の(おさ)サウロだった。

 

「きましたよ。ざっと百人ばかり」

 

 秘書は普段よりも大仰に、眉を片方つり上げた。

 

「ほう、百人もか。なにものだ?」

「見たところ、無法ものの寄せ集めといった連中です。前庭で小競り合いが始まりましたので、私はこれで」

 

 大柄なサウロはきびきびと出ていく。──建物の外から人の叫ぶ声がする。徐々に大きく騒がしくなり、剣を打ち合わせる高い音が混じる。攻め込んできた集団に、家士たちが応戦しているのだ。

 

 オーリーンはダーヴィドへ向き直った。

 

「和議を申し入れておきながら配下に攻めさせるとは、さすがのやり口だな」

「知らんよ」

 

 ダーヴィドは居直るように、長椅子へふんぞり返る。苦いものを飲んだどころではない。これ以上ないほどのしかめつらだ。

 

 俺の隣で、くす、と、エディットが笑った。

 

「あなたの手下以外ありえないだろう」

「知らんと言ったら知らん。第一、今日ここへくることはほかのものには伝えていない。──ただ、おまえさんがたと会うことに、いい顔をしない連中がいるから」

 

 にやりとする。「私の知らないところで、強硬派がなにか(くわだ)てたのかもしれんが……」

 

 確かにオスカー・オスヴィンの店へ出向いたとき、ダーヴィドとエレメントルート伯爵家の和睦に反対する集団が襲ってきた。そうしたことがあったのは事実だが──俺の胸には、かすかなわだかまりが生まれる。

 

「くそったれ、どこのうすら馬鹿どもだ」

 

 ステファノが口汚く(ののし)って立ち上がった。

 

「あたしが止めてきます」

「いいじゃないか、やらせておけ」

 

 ダーヴィドの瞳にずるそうな光が(とも)った。俺へ、次いでエディットへ、順に目を移していく。

 

「すまないな。このあいだあちらのお屋敷を荒らしたばかりというのに、今度はこちらとは」

 

 くっくっくっ、と、声を出して笑う。「……あんたたちも、苦労が絶えないことだな」

 

「親分、そんなことを言ってる場合じゃないでしょう! 冗談じゃない、邪魔をされては困るんだ!」

 

 ステファノは扉に駆け寄り、勢いよく開け放った。廊下で待ち受けていた中年従者を押しのける。

 

「どけ!」

 

 ドワーフによく似たいかつい顔が、エディットを見た。彼女がうなずくので従者は一歩横へ引く。ステファノは足音高く走り出していく。

 

 ガシャーン!!

 

 窓ガラスが割れた。石が投げ込まれた、と思った。エディットが眉をひそめる。俺も、オーリーンも、護衛として控えるグレイも、音がした方向へ顔を振り向けた。──おそらくは、ダーヴィドも。

 

 刹那。

 

 ダーヴィドの背後に立つ大男が、動いた。

 

 会談の席に、武器は持たない。彼らの体は、サウロが事前にあらためている。けれど、若い男の頑健な肉体は、それだけで充分な凶器となりうる。

 

 そしてまた、言葉をあやつる魔法使いも。

 

「ぐっ……!」

 

 大男の太い腕が、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ……どうして?

 

 一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。この大男は、ダーヴィドが連れてきた用心棒のはずだ。なのに、なぜ自分のあるじを?

 

 真っ先に反応したのは、グレイだった。

 

 今日、彼も帯剣していない。大男へ向け、ためらわずに右手を伸べる。だが、黒衣の影がすばやくあいだへ割り込んだ。

 

 魔法使いは左手を掲げ、グレイが放った光弾を軽く払う。赤みを帯びた光の(たま)は、ローブの袖に吸いこまれるように消えてしまう。

 

「お、おい、きさ……まら……なにを……」

 

 首を絞められるダーヴィドの顔が、みるみるうちに紅潮していく。彼がもがいて手足をばたつかせるごと、大男は歯を食いしばり、たくましい腕の筋肉がますますふくれあがる。

 

「まあ、落ちつけ」

 

 笑いをふくんだしわがれ声が、誰に言うともなく告げた。痩せた右手がフードを持ち上げる。

 

 若々しい黒いまなこがのぞく。デメトリオは、グレイにくるりと背を向けた。

 

「……『鳴神(とーる)』」

 

 抑揚のない呪文とともに、青白い光が(ひらめ)いた。デメトリオが細い稲妻をまとった指を振り下ろした先は──大男の、手の甲だ。

 

「ぎゃあーッ!!」

 

 この場にいた誰にとっても思いがけないできごとだったはずだ。大男はダーヴィドから飛び離れた。右手を抱え、うめきながら床を転げまわる。驚きと恨みのこもったまなざしが、魔法使いを仰ぎ見た。

 

「畜生ッ、なにを、なにをするんだ! あんた──」

「誰がおまえたちの肩を持つと言った……?」

 

 そのとき、外へ向かったステファノの、腹の底からしぼり出すような絶叫が応接間まで響いてきた。

 

()られた! ダーヴィド親分が殺られたぞぉ!」

 

 ワアアッ──とたんに外からの声が、いちだんと大きくなった。ステファノの(あお)りはなおも続く。

 

「エレメントルート家のやつらが、だましやがった! 和睦を結ぶなんて、嘘っぱちだったんだ!」

 

 ──あっ!

 

 ダーヴィド殺害こそが、ステファノの目的だったのだ。さらにはそれを、俺たちのしわざだと思わせようとしている。

 

「早く行ったらどうだ……」

 

 デメトリオがぼそぼそとつぶやいた。

 

「このうえ屋敷が踏み荒らされてもかまわんのなら、無理にとは言わんが……」

 

 オーリーンがうなずく。グレイがただちに駆け出した。ドワーフおじさんから剣を受け取り、外へ向かう。

 

 エディットに腕を取られた。「カイル! 行くぞ!」

 

「は、はい!」

 

 エディットも剣を手に走り出す。俺は必死でついていく。開け放たれた玄関扉の外に出て、目を(みは)った。前庭は戦争のまっただ中だ。

 

 ステファノの姿は、ダーヴィドが乗ってきたとおぼしき馬車の御者台にあった。猫背を伸ばして立ち上がり、三下どもを鼓舞している。──今、別邸の家士は三十名に欠ける。キトリーから選りすぐりの精鋭が集められているが、敵はサウロの報告通り三倍を超えるか。

 

「グレイ! 殺すな!」

 

 エディットが大きな声を出した。長い足で石段を駆け降りた魔法剣士は、抜き放ったつるぎを高々と掲げ、陽気に叫んだ。

 

「お任せあれ!」

 

 そして、振り下ろす!

 

 ドォォォン!!──轟音とともに、前庭へ幾筋もの地割れがジグザグに突っ走った。雪がこいを解いたばかりの生け垣が、二つ三つ吹っ飛ぶ。やくざどもは悲鳴をあげて左右に散った。

 

「魔法士だ!」

「化けものを呼んだやつだぞ! 逃げろ!!」

「おいっ!」

 

 血相を変えた一人が御者台へ取りすがり、ステファノの足首をつかんだ。

 

「話が違う! 魔法士は抑えられるって言ったじゃねえか!」

「うるせえッ!」

 

 ステファノは、男を蹴り落として金切り声をあげた。

 

「デメトリオ! てめえ、裏切ったな!」

 

 振り返れば、ローブの裾をさばきつつくるデメトリオと、その後ろはダーヴィドだ。悪運強く生き延びたようだ。しきりと手で喉をさすっている。

 

 デメトリオは笑う。

 

「好きなように言ってくれるな……なにがしかの約束を(たが)えたなら裏切りだが、俺はおまえとなにひとつ約した覚えはない……」

「いいかげんにしろ! 野郎ども!!」

 

 さすがダーヴィドは、無頼の徒をたばねる大親分である。声こそかれてはいるものの、そこらの若造ならちぢみ上がるに違いない形相で怒鳴りつけた。

 

「どういうことだ?!」

「親分は生きてるじゃねえか!」

 

 そこかしこから戸惑いの声があがりだした。早くも勘のいいのが、一人、二人と後ずさりしている。

 

「いいか! ただですむと思うな! この場にいる全員、どこへ逃げようとなにがあろうと、地の果てまで追いかけて、必ず八つ裂きにしてくれるからな!!」

 

 ダーヴィドの怒号に力を得たかのごとく、数に劣るエレメントルート伯爵家の家士たちが、押し戻し始めた。

 

「ステファノ、きさまだけは絶対に許さん……この私を殺そうとはいい度胸だ……」

 

 俺たちや、配下のならずものはもちろん、ダーヴィドをも裏切った男は、真っ青な顔で御者台に立ちすくんでいた。

 

 ダーヴィド殺害が成功していれば、痛烈な逆転の一手となったのは想像にかたくない。──和平交渉の席で、交渉相手をだまし討ちにしたエレメントルート伯爵家の評判は、地に落ちる。この場に集めた配下全員が証人だ。親分の弔い合戦と称して一家を総動員し、こちらを完膚なきまでにたたきのめすこともできただろう。

 

 ステファノは、以前から元締めの座を狙っていたのか。それともダーヴィドに恨みがあってこの機に乗じたものか。俺にうかがい知ることはできないが、いずれにしても彼は追いつめられた。

 

「こんちきしょう、地獄に落ちやがれッ!」

 

 ()えるなり、御者台に腰を落とす。手綱を引き、あわてふためいて鞭を振り回すと、二頭の馬は棹立(さおだ)ちになって高くいなないた。しゃにむに馬車を返して逃げにかかる。やくざどもがあとを追う。──自分たちをだましたあげく、見捨てるステファノを追いかけるようでもあり、いっしょに逃げていくようにも見える。家士たちが、わあっと勝どきをあげた。

 

「もう! お庭がめちゃめちゃじゃないの!」

 

 黒装束に手甲をはめた勇ましいなりで参戦していたバルバラが、グレイにぎゃあぎゃあ怒鳴っている。「少しは手かげんしなさい!」

 

「さて、どうする……帰る足がなくなったな……」

 

 デメトリオが言う。別邸は郊外にある。王都の真ん中まで戻るだけでも馬車で一時間。徒歩なら確実に倍以上はかかる。

 

「うちの乗りもので帰るのはどうだ?」

 

 エディットが人の悪い笑みで問うと、ダーヴィドはますます苦りきった顔になる。エレメントルート伯爵家の紋章入りの馬車で帰れば、さぞやいい和睦の(あかし)になるだろう。

 

「……ふん」

 

 ダーヴィドの不服げな目が俺たちを順々にめぐる。そして──

 

「いいとも、言ってやろう。もうこんな馬鹿げた騒動はうんざりだ」

 

 ドワーフおじさんが、縛り上げた大男を引っ立ててきた。ついにあきらめたらしく、香具師(やし)の元締めは大きく息を吐き出す。

 

「私に『手紙』を奪えと命じたのは、レールケ伯爵だよ。どうだね、当たっていたかね?」

 

 

 

 

 

 


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