伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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九章 仮面の男編
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 その日の深夜──

 

 ふと、俺は目を覚ました。

 

 温かな夜具に包まれているのに、ぞくりと体が震えた。隣を見ると、エディットは安らかな寝息を立てている。それで少し、ほっとする。

 

『私に()()を奪えと命じたのは、レールケ伯爵だよ。どうだね、当たっていたかね?』

 

 仮面の男はフィリップ=レールケ伯爵だと、ダーヴィドは言った。彼の答えは、俺たちが出した結論と同じだった。

 

『手紙? 馬鹿な、こちらから申し込んだ和議の席だぞ。持ってこいなどと言わせるわけがないだろう』

 

 ふてくされたように、ダーヴィドは言い張った。その様子は、あながち嘘とも思えなかった。あれはステファノの独断だったのか。親分を殺してあとがまに座り、だまし討ちの汚名は俺たちになすりつけ、おまけに『証拠の手紙』を奪って仮面の男から報酬をせしめる──壮大で、かつ、欲深な計画である。とはいえ、もしもデメトリオがステファノの味方をしていたら、事態はどう転んだかわからない。

 

『俺はどうにもあの男の(つら)が好かんのだ……』

 

 と、デメトリオは笑っていた。以前デメトリオが俺を逃がしたので、ステファノは彼に造反の(こころざし)ありと踏んだようだ。利いたふうな口で計画を持ちかけてきたから、好きなようにしゃべらせておいたそうだ。人の悪い魔法使いのおかげで(から)くも命拾いしたダーヴィドは、眉間に刻みつけたかと思うくらい深くしわを寄せていた。

 

 ダーヴィドと俺たちは、()()の末に和解した。それをすぐさま王都中へ広める必要があった。これは、彼に後悔するすきを与えないためでもある。本当に立て看板を作り、街のあちこちへ掲げることになった。

 

 パサ……

 

 寝室は静まり返っている。俺が身を起こすと、天蓋付きの巨大なベッドはかすかに揺れた。

 

 パサ……パサ……

 

 俺だけに聞こえる、カローロの翼の音。

 

 ──どうしたの?

 

 守護精霊(ぞるがんど)に尋ねてみたいが、声を出したらエディットが目を覚ますかもしれない。

 

「カイル……」

 

 闇の中、彼女が俺の名を呼んだ。

 

「はい」

「起きたのか……?」

 

 まだ夢うつつの声だ。結局起こしてしまった。

 

「ええ。なんとなく、目が覚めたんです」

 

 もう一度、夜具のあいだへすべり込む。手さぐりで探し出した唇にキスすると、ちょっと()()()。エディットは声を立てずに笑う。俺は彼女が差し出す腕を枕にして、身を寄せる。

 

 こうしていると、とても温かい。

 

「……本当に、レールケ伯爵でしたね」

「そうだな」

 

 俺の肩を抱く手に少し力が入ったが、彼女のいらえは穏やかだ。俺は襟元から豊かにあふれる胸に顔をうずめた。彼女の腕が俺の腰に回り、寝間着の裾をたぐってくる。

 

「あっ……」

 

 彼女の脚が、俺の脚に添う。(もも)を指がなぞる。優しい声が俺に尋ねた。

 

「嫌か?」

「いえ……」

 

 ……そんなこと、あるわけないじゃない。

 

 彼女の体が徐々に熱を帯びてくる。俺の呼吸も速くなる。鼓動は高鳴るのに、不思議と俺の心は平穏だ。彼女といれば、かすかに感じた心細さもいつのまにか消えてしまう。

 

 エディットが俺を、体の下に巻き込んだ。俺は目を閉じる。指先で、唇で、お互いにさぐり合って口づけをくり返す。

 

 仮面の男──レールケ伯爵は、セドリック卿を殺した実行犯なのだろうか。もちろんダーヴィドに尋ねてみた。

 

『知らんものは知らん。だいたい、あのおかたが本当のことを口に出すと思うかね』

 

 というのが、香具師(やし)の元締めの答えだった。

 

 どうしてレールケ伯爵は、『証拠の手紙』を欲しがるんだろう──俺は時々、そのことを考える。

 

 もう十四年も昔の話だ。今の時季よりもう少し先、春のはじめのある夜。エディットの父親、セドリック=エレメントルート卿は王都アセルティアを訪れ、本邸に滞在していた。

 

 参勤の際、いつもなら彼は必ず妻子をともなう。妻のエルヴィン夫人と、幼い娘のエディット。当時健在だった先王夫妻、つまりはエディットの祖父母に二人を会わせるためだ。けれど、その年だけは違った。第二子を身ごもっていたエルヴィン夫人のつわりがひどく、馬車の旅は無理だった。

 

 だから彼は、一人で王都にきた。

 

 その日の昼間、セドリック卿は外出し、日が暮れるころ帰宅した。彼が供も連れずに出歩くのは珍しいことではない。一人街中の書店をめぐり、本を買い求めるのが少年のころからの彼の趣味だ。夕食後は居間でくつろぎ、次第に夜も更け──

 

『人と会う約束があるんだ。少し出かけてくるよ』

 

 そう言って、身じたくを始めた。

 

 誰と会うのか、執事のワトキンスが尋ねると、セドリック卿はただ笑っていたそうだ。妻ひとすじの彼である。ほかの女との逢瀬を算段するわけもない。しかし、従者が供を申し出るのを断ったときは、多少いぶかしく思ったという。

 

『どちらへおいでになるのでございますか』

『王宮まで呼ばれてね』

 

 セドリック卿の立場は少々複雑だ。元々エレメントルート家は王家の重臣という家柄ではなく、さりとて新興貴族ともいえず──そんな微妙な位置にいる伯爵が、王女を妻にした。当時のアセルス王家は王太子が定まっておらず、どこか剣呑な雰囲気が漂っていたころである。しかし王位は男子が継ぐから、降嫁した王女も、その娘も、王位継承になにひとつ関わり合いはない。

 

 それでワトキンスは、一歩引いたのだ。王女の夫である()()()()には、どうしてもいずこからか働きかけがあるのだろう。夜半までご面倒なことだ──そう思った。本邸から王宮まではごく近い。深く追及もせず、馬で出かけるあるじを見送った。

 

 執事はセドリック卿を呼び出す手紙を受け取っていない。前日王宮へ参内したとき、それとも、日中外出したときに誰かと会い、待ち合わせでもしたものか。

 

 いずれにしても、屋敷に手紙は届いていない。

 

「エディット……」

 

 互いの体のはじまりの部分を合わせると、苦しいほどの心地になって、彼女を呼んだ。「うん」と、耳元で(こた)える小さな声がする。とても彼女がいとおしくなる。

 

 やがて夜が明け、俺とエディットは二人で王宮に出向いた。宰相ゾンターク公爵に面会を求めたのである。()()()()()ダーヴィドと和解した、と伝えると、宰相閣下はうるわしい(おもて)に艶然と笑みを浮かべて了承した。王都に騒乱が続かなくてなにより、とのことだった。

 

 今はもう、カローロの翼の音は聞こえない。

 

 

 ◆◇◆

 

 フィリップ・ジールマン・テレリア・ディルク=レールケ伯爵。

 

 テレリア領の領主。年齢は国王のひとつ下、王弟よりはひとつ上だ。父親の先代レールケ伯爵逝去ののち、爵位を継いだのが三年前。

 

 彼を仮面の男と推定してから、身の上のことはひと通り調べてある。家族は夫人と、子が四人。娘二人はすでに嫁ぎ、跡取りをふくめた息子二人がまだ成人前だ。妻子は国許にいて、この一年ばかり王都を訪れていない。

 

 先代が国王マティウス二世の守役を務めた。その関係か、彼自身も成人まで、国王、王弟兄弟の学友だった。つまり、二人のどちらとも親しい。ただし今の彼は、王弟シベリウスの公務を(たす)ける立場にある。

 

「ううーん……ぜんぜん見当たりませんね……」

 

 ユーリ=ローランドが、手にしたリストから顔を上げ、大きなため息をついた。──ダーヴィドとの会談から数日が過ぎ、俺は従者のグレイとともに(あお)の塔を訪れていた。

 

 リストには、レールケ伯爵と血縁のある家の名が箇条書きになっている。それを昔の王宮魔法士の名簿と付け合わせているのだ。

 

 この塔で催された魔法の会のとき、レールケ伯爵には、オドネルの『夢幻(ぷりるーど)』が効かなかった。しかも、

 

『面白いではないか。エレメントルート家の魔法使いの小僧、顔が見たい』

 

 ダーヴィドの館での仮面の男の態度は、自分に魔法が効かないことを知っていると思わせる。だとしたら、レールケ伯爵は『魔法を防ぐ魔法』が使える魔法使いではないか、と考えたのだが……

 

「『夢幻』を演じるコツは、()()()()()()()と思わないことだ。かつて自分の目で見たものを、相手にも見てもらうつもりで魔力を送る」

 

 そう言って、王宮魔法士は俺の額へ右手の人差し指を添え、呪文を唱えた。──ふっと、まだ来ぬ春の花吹雪が舞い上がり、俺の周りをひらひらと散ってゆく。

 

「レールケ伯爵が魔法使いというほかに、なにか考えられることはありますか?」

 

 尋ねてみると、オドネルは名簿に戻しかけていた目を上げた。

 

「むろんあるとも。『対人魔法(ほーま)』は確実性が高いとはいえない魔法だからね。誰にでも必ず効くとは限らないんだよ」

 

『対人魔法』とは、相対する人の精神に働きかける術の総称だ。種類は、想像魔法(いまーご)に属する。その場にないものを見せる『夢幻』とは、ようするに目くらましの術だ。

 

「とにかく多過ぎますよ……」

 

 ユーリが力なく弱音を吐いた。ただでさえ数十件の家名がならぶリストに、数百年分もの膨大な量の名簿である。俺も(ページ)をめくり疲れてへとへとだ。これはもう、あきらめたほうがいいのかもしれない。

 

「旦那さま、そろそろお茶の時間にしませんか」

 

 今日のおやつはミートパイですよ、と、グレイが言い出すと、ユーリの瞳が輝いた。二人はお茶のセットを探そうと立ち上がる。──それをオドネルが、横目で見送った。

 

「オドネルさん?」

「ああ、いや」

 

 焦げ茶色のまなざしは、すぐに俺まで戻ってくる。

 

「……体質であれば、それほど厄介でもないんだが」

 

 オドネルはこわばった体をほぐすように両腕を上げて、ううん、と伸びをした。

 

「そうなんですか?」

「どれほど幻惑に負けない強靭な精神の持ちぬしだとしても、肉体は別だ。火に触れて、やけどをしない人間はいないだろう?」

 

 なるほど。そうであれば、対人魔法以外の魔法なら、通用することになる。

 

「こうしてざっと見た限りだが、レールケ卿に魔法士の血縁は見当たらないようだ。今の世の中、貴族が世襲でもなく魔法を学ぶことは難しい。──天空の神が生みたもうた月と五つの星にかけて、きみのような子は、珍しいと思うんだよ」

 

 と、彼は目元をなごませた。

 

「ほかに可能性があるのは……魔法の道具だろうかね。きみたちが調べた記録を見せてもらったが、()は若いころ、外国へ遊学した経験があると書いてあった。どこかでなにか、手に入れたのかもしれない」

「師匠、ティ坊ちゃま、お茶が入りましたよー」

 

 お盆を捧げ持ったユーリが戻ってくる。グレイがパイの入ったバスケットを開けた。 

 

「どうしましょうか。いきなり四つに分けちゃいます?」

 

 魔法剣士は長剣ならぬケーキナイフを、きつね色のパイに、さっくりと突き立てる。ハーブをきかせた牛肉がいっぱい詰まったパイは、冷めていてもとてもおいしかった。

 

 レールケ伯爵へ、どのように対するか。相手は名門貴族でもあり、かなり難しい問題だ。

 

 ダーヴィトとの攻防は、ある意味正攻法でこと足りた。やつは背後にレールケ伯爵がいるのを笠に着て、真正面から襲いかかってきたからだ。俺たちはダーヴィドの犯罪の証人を集め、国王マティウス二世に直接訴えることで突破口を開いた。

 

 しかし、レールケ伯爵が『証拠の手紙』を狙う『仮面の男』であるという証人は、無頼の親玉ダーヴィド一人しかいない。同じ手は使えない。うちが和解の声明を出したことで、レールケ伯爵もダーヴィドの離反を知ったはずだ。慎重にことを進める必要がある。

 

 ──不穏な情報も少しずつ耳に届いていた。レールケ伯爵の私邸に、人の出入りが増えている。それも闇にまぎれ、ごくひそかにだ。

 

「レールケ伯爵邸の監視のほか、物資の流れを追うことで判明いたしました」

 

 (いくさ)じたくと思われます、と、秘書は言う。──人が増えれば、()()()も増える。邸内に運び込まれる食料、日用品の量が以前と変わり、武器商人も訪れているらしい。報告を受けるエディットも、厳しい表情でうなずく。

 

 そんな矢先のできごとだった。

 

「逮捕だと?」

 

 翌朝早く、本邸へ訪ねてきた騎士が述べる口上(こうじょう)に、エディットは眉をひそめた。

 

「なにかの間違いだ。それとも、たちの悪い冗談か」

「間違いでも冗談でもございません。──ご覧ください。これこのように、将軍閣下のご署名も」

 

 エディットは差し出された書状に見向きもしない。唇を結び、騎士をにらみつける。

 

「なぜ、()()()が逮捕されなければならない」

「騒乱罪です」

 

 じつにあっさりと言い渡される。

 

「エレメントルート伯爵家家士、グレイヴ・スティレット=レーヴァテイン。彼は魔法をもちいて王都を騒がせた罪により、出頭を命ぜられています」

 

 ……本当に、冗談じゃない。

 

 

 

 

 


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