伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 その昔、地上にまで魔物が闊歩し、迷宮にはたくさんの財宝が眠っていたころ。魔法をたつきとするものは数限りなく存在した。

 

 宝はやがて取りつくされる。残された金銀宝玉を奪い合い、人々が、国々が争った。尋常ならざる力を持った魔法使いは、()()となった。

 

 国に仕える魔法使いを、古くは魔道士、近代からは魔法士という。

 

 ──ふーっ、と、白い大理石を張った飾り棚の上に、息を吹きかけてみる。

 

 ここは白金(しろがね)の塔の最上階。さえぎるもののない窓から日の光が差し、鏡に反射する。その中を、薄い色の綿埃がふわふわと漂っていく。

 

 かつてはとりどりの文様が浮かんでいたであろう毛織りの絨毯は色あせ、白茶けていた。花びらのような埃のかたまりは、そこに落ちる。

 

 時は止まっていない。

 

 無意識に深く息を吐いていた。けれど、天上の楽園で数日を過ごしただけで数百年が経ち、地上に戻ったときには知り人が誰もいなくなっていたという男の物語が、頭の片すみを何度もよぎる。

 

「……カローロ」

 

 自分の声が耳に届いたとき、ぞっとした。いつでもそばにいるはずの俺の守護精霊(ぞるがんど)の気配が、いつのまにか消えている。まるで彼が、『(ぽるど)』の向こうへ帰ってしまったように。

 

「カローロ?」

 

 もう一度呼んでみる。やはり、返事はない。

 

 ──そうか。

 

 古めかしくも優美な曲線を描く銀の燭台に、右手を向ける。

 

「『シツ』」

 

 細い灯心(しん)からは、ひとすじの煙も出ない。今度はじかに指で触れてみる。

 

「『赤光(るーぐ)』……」

 

 じわり、と、額に汗がにじむ。「『()でよ 深遠なるところより 満ち満ちよ 魁大(かいだい)の焔』……」

 

 魔法がなにも、使えない。

 

 ここは魔法使いを閉じ込めるための場所だと、俺を連れてきた中隊長は言った。

 

 さっき魔法陣を踏み越えたときの、全身を針で刺されたような感覚を思い出す。

 

 広い(フロア)に鉄格子はない。すみにぽかりと口を開けた階段からこちら側、最上階の直径よりふた回りほど小さい円の中が、魔法陣の内側だ。──床に連なる文字列まで戻り、手を差し出してみる。

 

「!」

 

 指先が見えない()()に届き、しびれるほどの激痛が走った。触れたところを中心に赤い光が輪を描き、ざわざわと波紋のように広がってゆく。

 

 痛みの残る腕を抱え、高い天井を振り仰ぐ。円錐形の屋根裏には、こちらもぐるりと魔法陣が一周していた。本当に、このために造られた塔なのだ。高位の魔法使いや、神官のための牢獄。

 

「………………」

 

 入るほうは(やす)かったが、出るほうは簡単ではなさそうだ。

 

 ──落ちつけ。どうせ俺の魔法には、大した威力も効力もないんだ。

 

 今の時代、市井(しせい)に暮らす魔法使いは多くない。親から子へ、子から孫へ、彼らはほそぼそと『魔法』を伝え、生業(なりわい)とする。おおかたが芸人か占い師だ。彼らが罪を犯したら、呪文を唱える舌にさるぐつわを噛ませる。魔力を現す手指を縛り、ときには目隠しまでしてしまう。俺が姐御(あねご)の一味に捕まったときもそうされた。その程度ですむから、町役人の手にも負える。

 

 だが、近年のアセルス王国では、魔法を犯罪にもちいるものが増えた。自分が『力あるもの』だと周囲に知らせる伝統的な服装をしない。先祖が迷宮を攻略するために編み出した(わざ)を、金持ちの屋敷へ押し入るのに使う。豪商などには魔法使いを用心棒に雇うものもいるそうだ。──それで国は、王宮騎士団に魔法士部隊を復活させようとしている。

 

 昔は大勢いた、強大な力を持った魔法士たち。一人で数百人の兵と同じ働きをする彼らが罪を犯したとき、罰するためにはすべての力を封じなければ。

 

 戸棚や引き出しを、片っぱしから開けていく。使われていない()()()()火口(ほくち)箱が見つかって、ほっとした。日が暮れたあと、インクで塗りつぶしたより暗い闇の中に取り残される事態だけは避けられる。

 

 書架を見る。ならんだ本はどれも背表紙まで虫が食っていたり、乾燥でひび割れて題名も読み取れない。一冊を抜き、紙がパリパリ音を立てるのを開いてみる。──昔の聖人のもったいぶった教えが書かれていて、すぐに閉じてしまった。

 

 敷き詰めたように埃のかかった布をはぎ取り、ベッドに仰向けになる。

 

 俺はこれからどうなるんだろう。──目を閉じる。周りが見えると、不安に思う気持ちがどんどん広がってしまう。だから目をつむって、大きく息を吸って、吐いて、落ちつこう。

 

 グレイを逮捕しようと画策したのは、レールケ伯爵だ。それは間違いないとする。『証拠の手紙』を奪う試みをくり返し阻止した魔法士を、エレメントルート伯爵家から引き離すことが目的だ。それでこの白金の塔を開けた。当然だろう。グレイほどの魔法使いを、ただの牢に閉じ込めたって意味がない。

 

 罪人が俺に代わったら、レールケ伯爵はどうするか。もちろん『手紙』と引き換えるための人質にする。そうじゃなかったら、俺がグレイの代わりになることを承知すまい。だとしたら──

 

 必ず、誰かがここにくる。

 

 体力を温存しよう。俺はそのまま眠ってしまおうとした。──でも、だめだ。嵐のように激しく鳴る鼓動を抑えきれず、行き先の見えない心細さに押しつぶされそうになる。

 

『ティ、覚えてるか? つらくなったら口笛を吹け!』

『違うぞ、レオン! さびしくなったら歌を歌え、だ!』

 

 二人の兄が、アルノーへの帰りぎわに言った言葉を思い出したら、ようやく笑みを浮かべられた。

 

 マクシミリアンが、笑いながら馬を返した。『うちの図書室にあっただろ! 精霊の森の話だ!』

 

 レオンハルトは、鞭を持った手を振った。『さびしくなったりつらくなったら、歌でも口笛でもいい、俺たちを呼べ!』

 

 優しい俺の兄さまたち。──でも、違うんだ。俺はもう思い出した。二人の女の子がお母さんを待って()()のは、つらいからじゃない。さびしいからでもない。

 

 だから俺は、歌わない。

 

 時間が経つにつれ、光の入る窓は少しずつ西側へとうつろう。室内のもろもろの影が長く伸びて、絨毯の模様を色濃く染めた。ガシャ、ガシャ、ガシャ──鎧をつけた重たい足音が階段をのぼってくる。俺はベッドから身を起こした。

 

 兜の面頬を下ろした騎士が二人、姿を現した。一方が銀の盆を手にしている。食事だ。俺を飢えで死なせるつもりはないらしい。

 

 ガチャン──お盆は埃まみれのテーブルの上に、かなり乱暴に投げ出された。なにをひと言も口にしようとはせず、二人は引き返す。

 

「待ってください。僕は、いつまでここにいたらいいんですか? 僕をここに閉じ込めたのは誰なんですか?」

 

 しかし──

 

 どちらも足を止めなかった。なにごとも起こらず、彼らは魔法陣の外へ去ってゆく。

 

 鈍い金属の音が徐々に遠ざかる。辺りに完璧な静けさが戻ってから、俺はベッドを降りた。

 

 鎧姿の騎士たちは、たやすく魔法陣から出ていくことができる。

 

 次第に夜の(とばり)が降りてくる。真の闇が訪れてしまう前に、俺は火打ち石を使い、ろうそくへ火をつけた。黄みを帯びた暖かな光を目にしたら、多少は気持ちがやわらいだ。──食事は固い黒パンと、冷めたスープ。小さな水差しがひとつ。

 

 大丈夫。これだけあれば、当分生きられる。

 

「カローロ……」

 

 声が届く感じがまったくしないことに変わりはない。だとしても話しかけてみる。カローロが(こた)えないことなら、今までにもあった。それと同じと思えばいい。──できるだけ言葉をかけてやりなさい。カイルくんの魔力が、彼の(かて)になるからね。

 

「どう思う? 僕はずっと気になってるんだ。どうしてレールケ伯爵は、『手紙』を欲しがるんだろう」

 

 口に出すと考えがまとまる──ような気がする。

 

「『証拠の手紙』は、本当にあったのかな? あったとしたら、なにが書いてあったんだろう。うーん、違うか……レールケ伯爵は、()()()()()()()()()()()()()んだろう」

 

 国王か王弟、レールケ伯爵の後ろにいる黒幕の名前なのか?

 

「でも、義父上(ちちうえ)は誰かに王宮まで呼び出されたんだよね。せっかく会うんだから、大事な話は手紙に書かずに、会ってからするんじゃないのかな」

 

 それとも、単なる呼び出しの手紙であるにしろ、実行犯の署名(サイン)があったとか。なら、取り戻したいと思うのもうなずける。

 

「義父上を殺そうと思って呼び出したんじゃないよなあ……きっと」

 

 はじめから殺害を目的に呼び出したのであれば、手紙に署名なんかしないだろう。──そもそも王宮でなんて会わないか。

 

「だったら、どうして義父上は殺されたんだろう……?」

 

 気がつくと、窓の向こうには、数えきれないほどたくさんの星が輝いていた。今夜は月が出ない。だからいっそう、星々はおとぎ話のように美しい。

 

 カツーン……

 

 遥か下から、音がする。

 

 カツーン……カツーン……カツーン……

 

 鎧の騎士ではありえない、静かな足音だ。ほかには話し声ひとつしないこの塔を、着実に上へのぼってくる。──みんな大変だな、と、こっそり笑う。おそらくは最高位の魔法使いを監禁する最上階に俺を入れたばっかりに、ご苦労なことだ。もっと下の階にしておけば楽だったのに。

 

 俺は長椅子に腰を下ろし、ただ待った。響く靴音は一人分。だとしたら、()は相当用心深い男だ。可能な限り俺の存在を人に知らせたくない、そんな細心さを感じさせる。

 

 胸を張ろう。エディットのように脚を組んで、長椅子の背に肘をかける。彼は俺を殺さない。いや、殺せない。『証拠の手紙』を手に入れ、絶対に俺たちが彼や黒幕を告発しないと安心できるまでは。

 

 待つ時間は、今までにないほど長く感じられた。

 

 ついに──

 

 階段から、ゆらり、と、ランプの光と人影が現れた。

 

 こちらの明かりも燭台に(とも)る三本のろうそくだけ。広い室内のほとんどが闇だ。おぼろに浮かんだ来訪者の輪郭は背が高く、外套(マント)をまとっている。右手でかすかな光を放つのは、抜き身の長剣。

 

 少しもためらわず、彼は魔法陣を踏み越えた。目鼻立ちは見えない。──仮面だ。ダーヴィドの館で会ったときと同じ、黒い仮面がすっぽりと顔を覆う。

 

 この男と、再び会える日がとうとうきた。

 

 彼が本当に細心な人物なら、間違いなく俺が『エレメントルート伯爵』か、確かめにくる。仮面の男は、手袋をはめた左手で、顔の高さまでランプを持ち上げた。

 

「……エレメントルート卿か」

「はい」

 

 くぐもった声には聞き覚えがある。俺はうなずいた。

 

「あなたは、フィリップ=レールケ伯爵ですね」

 

 俺も問い返した。ひと言でも多く口をきかせたいと思ったからだ。しかし彼は、答えない。

 

「僕をどうするつもりですか」

「…………」

「後ろ暗いところがあるから、僕を裁きの場に連れていけないんでしょう?」

 

 だが、彼は俺の顔を見、声を聞いただけで目的を達したのか。きびすを返そうとする。俺は、丈の高い痩せた背へ向かって声をかけた。

 

「……妻の父を殺したのは、あなたなんですね」

 

 闇のほうを向いていた(おもて)が振り返る。──黒い布が裂けたように開いた穴の奥、濃い色の瞳が、細くなったように思えた。

 

 彼はわずかに首を振った。「いいや、違う……」

 

「では、『手紙』を欲しがるのはどうしてですか? あなたが犯人だからとしか思えません」

 

 くくくくく……と、彼は喉の奥で押し殺すような声を立て、笑った。低く言う。

 

「なぜ、おまえが知りたがる? 自分の父親を殺されたわけでもあるまいに」

 

 それは──

 

「口を出すな、小僧。いっそ口をきけないようにしてやったほうがいいか?」

 

 手にした長剣を持ち上げ、こちらへ向ける。鏡のように磨きぬかれた切っ先にゆらめく炎が映って、俺は唾をのむ。──こいつはまだ、俺を殺せないはずだ。

 

「僕が帰らなければ、妻があなたの名前を公表します」

 

 彼はセドリック=エレメントルート卿殺害事件に関わっていると人に知られたくないから、こうして一人でここにきた。──舌打ちし、今度こそ背を向ける。俺は立ち上がった。

 

 もしかしたら、あいつといっしょになら出られるかもしれない。足早に立ち去るレールケ伯爵へ追いつき、後ろから、

 

「ッ!」

 

 外套のはしをつかもうとした。力いっぱい突き飛ばせば、同時に転がり出ることができると思った。が、病身のように非力に見える彼なのに、思いもよらない鋭い刃鳴りだった。レールケ伯爵は長剣を一閃させ、よろけもせずに向き直る。今の俺には武器がない。俺はその場に立ちすくんだ。

 

「……馬鹿な」

 

 仮面の布にこもった声があざ笑う。一度しかない機会を逃した──一瞬思ったが、すぐに打ち消した。おそらくこの最上階の魔法陣は、入るものの魔力に反応する。魔法使いは入ったら出られない。魔力を持たないただの人なら、なんの障害も現れず、出るほうもたやすい。

 

 レールケ伯爵は、剣をこちらへ向けたまま一歩、二歩と後ずさり、魔法陣を越えた。彼は魔法使いではない。俺の考え通り赤い光は起こらず、彼も衝撃を受けた様子はない。

 

「……おとなしくしていれば、命までは取らない」

 

 肺腑の奥底までさらうような吐息とともに、彼は吐き出した。「おまえも、巻き添えになっただけなのだろう……」

 

 ()()()()

 

 靴音が階段を降りていく。静寂が戻り、俺はまた、暗がりに一人になった。──ふと、視界でなにか動いた気がして目を上げる。そして、心臓が止まるかと思うくらい、いや、絶対止まったに違いないくらい驚いた。

 

 手のひらが、縦長の、ガラス窓の向こうに。

 

 駆け寄ろうとして、あわてて立ち止まる。窓の手前には魔法陣があるのだ。なんとかぎりぎりまで近づいてみる。──もう一方の手が下から出てきて窓のふちをつかみ、にゅっとばかりに、人の頭が現れた。

 

 俺は大きく口を開けた。外からのぞく、とぼけたにやにや顔が誰なのか、わかったからだ。

 

「グレイさん?!」

 

 

 

 


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