伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?   作:カタイチ

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 力ある罪人(つみびと)は天高く、神々の都に最も近きところへつながれる。再び大地を踏むためには、国王による恩赦を得るか、魔道を(つかさど)る四つの高家、すべての(おさ)の許しを得るか。

 

 西日に照らされた魔法陣のふちに、四つの小さな(みぞ)がならぶ。そこに、四家の()()()はピタリと合った。したたり落ちる血で(つづ)られたような文字列は色あせ、力を失っていく。

 

 そうして俺は、魔法陣の外に出たのである。

 

 ガシャン、ガシャン、ガシャン──

 

「だいぶん暗くなってまいりましたな。旦那さま、足元にお気をつけて」

「はい」

 

 ガシャン、ガシャン、ガシャン──

 

 鎧兜の騎士に扮したドワーフおじさんとサウロと連れ立って、俺は一歩一歩、急ならせん階段を降りてゆく。

 

 二人の話によると、俺の逮捕状に署名したザン将軍は、この白金(しろがね)の塔の周囲だけで数十名の兵士、騎士を配置し、そのうえ付近一帯も見張らせている。辺りはさながら彼らが占拠したかのごときありさまだそうだ。

 

「ただ、ありがたいことに、連中は寄せ集めです。それでこそ、私たちがもぐり込む余地もあったのですが」

 

 兵士たちは精鋭ではなく、あちこちの部隊で持て余されていたはんぱものをかき集めてきたらしい。将軍がこの件に噛んでいるのはしぶしぶのようです、と従者が言い、別邸の長も同意した。

 

「おおかた、誰ぞに汚職か女出入りのしっぽでもつかまれたんでしょう」

 

 なにかのすきを突かれ、ザン将軍はエレメントルート伯爵家と直接対峙する役に選ばれたのだろう。いわば、ダーヴィドのあとがまか。

 

 今夜エディットは、白金の塔の前まで『証拠の手紙』を持ってくるよう呼び出された。俺が最上階に(とら)われたままでは、思いきった手段に出るのは難しい。だが、脱出の目処が立っていれば話は変わる。

 

「一階の大扉の鍵は、見張りの部隊を指揮するものが所持しています」

 

 ドワーフおじさんが言う。ごくごく当たり前の、大きな鍵穴に差し込んで回す大きな(キー)だそうだ。

 

「われわれはこれから、勝負をかけます。姫さまがおいでになるとき、レールケ伯爵がくる、こないにかかわらず」

 

 目的は、この件のために誰が動き、誰が動かないかを知ることだ。

 

 下へ、下へ、下へ──数えるのが嫌になるほど続く石段を降りながら、俺たちはこのあとの行動を打ち合わせた。

 

 ようやく一階までたどり着くと、俺は牢の一室へ身を隠した。偽騎士二人は通路を進み、大扉をたたいた。──ギギイ……と、蝶番(ちょうつがい)がきしむ。白い床に、二人の影が長く伸びる。

 

「なあ、そろそろ代わってくれないか。少々の割り増しじゃ、しんどくてたまらんぞ」

「なにを言ってるんだ。国許のお母上のために、まとまった金がいるんだろ? 辛抱しろよ」

 

 サウロの軽口に、誰かが笑って答えている。

 

 彼らの姿は外へ消え、扉はすぐに閉められた。ガチャガチャン、と太い音が響いて錠が回る。俺は足音を忍ばせて大扉に歩み寄ると、鍵穴に片目を押し当てた。

 

 日は落ちたが、入口の両脇には篝火(かがりび)が焚かれ、外は明るい。松明(たいまつ)を手にした歩哨たちが行き来する。まるで戦場の最前線の陣地のようだ。

 

 あと、もう少し。

 

 通路の冷たい鉄格子に背中を預け、胸の底から息を吐き出す。

 

 最上階で待った時間を思えば、いくばくもない。もうすぐエディットがくる。約束通り、俺を迎えにここへくる。

 

 奥までずうっと続く無数の鉄格子が、かすかな光を放ち、暗がりの中にぼんやり浮かび上がって見えた。ドワーフおじさんの話によれば、これは魔力を吸いこむ不思議な鉄でできている。もしかすると、俺の幸運の護符(おまもり)や最上階の鍵となった四つのしるしも、魔法の力を帯びる特殊な金属なのかもしれない。

 

 昔は大勢の魔法使いが収監された牢獄に、今は俺だけが一人。

 

 外の気配が変わった。再び鍵穴をのぞいてみると、声高にいばり散らすふとっちょが、馬で乗りつけたところだった。はげ上がった頭がてらてら光り、大きな腹を突き出して、ふんぞり返るように歩く。金の肩章に派手な飾りのついた胸当てだが、ほかの騎士のような全身鎧ではない。いかにも重たい装備は無理な体つきだ。

 

「──将軍閣下!」

 

 ふとっちょが下馬すると、隊長とおぼしき騎士が駆け寄った。では、あれがザン将軍か。

 

 交代の時間のようだ。隊長が点呼を取り、兵士たちがガチャガチャと鎧の音を立てて入れ替わった。新たにやってきた部隊が塔の扉の左右に分かれ、二列に整列する。

 

「誰だッ!」

 

 離れたところから、甲高い誰何(すいか)の声がした。──直後、辺りがいっせいに静まり返った。

 

 それは不思議な光景だった。今の今まで鎧姿の兵士や騎士が、騒々しく歩き回っていたのだ。ところが、突然すべてが静止してしまったかに見える。

 

 カツ、カツ、カツ、カツ──

 

 荒れた石畳の上を、高い軍靴(ブーツ)の音が近づいてきた。皆がそちらを見る。現れたのは、黒い外套(マント)のフードで(おもて)を隠し、剣を帯びた細身の人物だ。

 

 カツン。

 

 小石を蹴って立ち止まったその人は、かぶったフードを勢いよく後ろにはねのけた。たばねた黒髪が背に落ちる。勇ましくもさえざえとした美貌に、一瞬ざわめきが起こった。

 

 ──エディット。

 

 彼女の整った頬は硬くこわばり、目尻の切れ上がった瞳が、怒りと誇りで輝いていた。だから余計、暗闇に炎が燃え立つような美しさがあった。

 

「ご挨拶だな。わたしは、呼ばれたからここへきたんだが」

 

 皮肉を込めた、余裕たっぷりの口ぶり。

 

 誰一人動こうとしなかった。なのに、そんな空気をものともせず、ザン将軍がのしのしと歩み寄った。

 

「遅かったじゃないか。もうこないのかと思ったぞ」

 

 この胆力と無神経さとが、彼を将軍たらしめている理由かもしれない。たるんだ顎を、横柄にしゃくる。

 

「一人か?」

「ああ」

「こい。あちらでお待ちかねだ」

 

 エディットはきっぱりと首を振った。

 

「夫を開放するのが先だ」

 

 去りかけていたザン将軍が、むっとしたように足を止めた。

 

「なんだ。上官に対して、その口のききかたは」

「上官? 公的な権力を利用して夫を捕らえた男に加担する(やから)など、上官と認めるわけがないだろう」

「要求できる立場だと思うのか? いいからさっさとついてこい」

「黙れ」

 

 紫の瞳が殺気を帯びて、射るような鋭さで将軍をねめつけた。昂然と言い放つ。

 

「どちらか選べ。夫を塔から出すか、それとも、『きさまこそ、この場にこい』と、あの男に伝えるか」

 

 外套の裾が持ち上がる。彼女が腰のレイピアに手をかけたのだ。

 

「わたしの剣の速さを試してみるか? あなた一人くらい、血祭りにあげるのは造作もない」

 

 エディットのまなざしが将軍からそれた。遠巻きにかこむ騎士たちを見回す。「……何人まで道連れにできるか、知りたいのか?」

 

「…………」

 

 ザン将軍は腹立たしげに舌打ちした。「……小娘が」

 

 しかし、きびすを返す。

 

 ほどなくして、馬の(ひづめ)と車輪の音が近づいてきた。

 

 紋章のない黒塗りの馬車である。じらすようにのろのろと進んでくると、塔の前に横づけになった。左右に従うのは、将軍の配下とは鎧の色が異なる二騎の騎兵だ。

 

 馬車の扉が、内から開いた。

 

 コト──

 

 暗い色の外套に、黒い仮面をつけた長身の男──レールケ伯爵と思われる人物が、馬車のステップを踏んで、石畳へ降り立った。

 

「フィリップ=レールケ卿……」

 

 怒りをたぎらせるエディットの歯噛みが、俺のもとまで聞こえてくるようだ。

 

「カイルを解放しろ。今すぐに」

「…………」

「さあ、持ってきてやったぞ。あなたが欲しいのは、これだろう」

 

 白い手が外套の下から封書を一通取り出すと、星々の輝く夜空へ向けて掲げてみせた。

 

 あれは、作り直した『証拠の手紙』だ。黄ばんでしわの寄った、古びた封書。表書きにはセドリック卿の名前。裏には封蝋のはがれた跡。

 

 しばらくのあいだ、仮面の男は無言だった。

 

「──捕らえろ」

 

 代わりのように、ならび立つザン将軍が腹を反らせた。

 

「捕らえたものには、なんでも望む褒美を与えるぞ」

 

 兵士たちは戸惑いを隠さず顔を見合わせる。そこへ将軍が、たきつけるような声を放った。

 

「なにをしている! 早くあの女を捕らえるんだ!」

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 ……時間はしばらく前にさかのぼる。

 

 大きな執務机のそばに立つ長身の男が、手にした本から()()と目を上げた。盛りを過ぎてはいるものの、誰もが息をのむ美貌である。男はけだるげにつぶやいた。

 

「そなた……なかなかに弁舌巧みよの。名はなんと申したか?」

 

 問われた相手はまだ若い。黒髪を後ろになでつけ、銀縁の眼鏡をかけた細面の青年だ。

 

「私はエレメントルート伯爵家家令、マーレーン=ショウが一子、オーリーン=ショウと申します」

 

 極めてうやうやしく、礼節をわきまえた態度である。日ごろの傲岸不遜な彼を知るものなら、きっと度肝を抜かれたはずだ。

 

 公爵──それはアセルス王国宰相、ゾンターク公だった──は、ぱたりと本を閉じた。東方系の青年の怜悧な面差しを、珍しそうにながめる。

 

「それで、望みは? なにか願いごとがあって私のもとを訪れたのであろ?」

 

 透き通った細いグラスに、手ずから酒をそそぐ。公爵の書斎には、ほのかな酒精の香りが漂った。薄い琥珀(こはく)色の液体に、ほんのりと泡が立つ。

 

 けばけばしくはない。だが、敷きもの、壁掛け、書棚、執務机の上の羽根ペンの一本に至るまで、おそろしく金をかけた豪奢な一室だった。しかし、オーリーン=ショウに、すくむ様子は皆無である。

 

「どうか、見て見ぬふりをしていただきたく」

「おや、()()だけでよいのか。私に力を貸せと言うのではないのかえ?」

「いいえ、閣下。お見逃しいただくのみで充分にございます」

「ほう……」

 

 宰相は白い喉をそらせ、ひと息に酒をあおった。──コト、とグラスを卓に戻す。頬にはひと()けの赤みも差さぬ。

 

「私がレールケ卿と組んでおらぬと、見当をつけたかえ」

「仰せの通りにございます」

「その読み、当たっていると思うか?」

「はい、閣下」

「なにをもって?」

 

 オーリーンは、ふっと息を吐き出した。考え深げな面持ちで、銀縁眼鏡を押し上げる。

 

「こたびの件、レールケ卿にはザン将軍のほかに、頼みとするおかたがいないように見受けられました。──当家の主人をわざわざ捕らえておきながら、裁きの場に連れ出さなかったのがその証拠」

「……それだけ?」

「いいえ。なによりも、魔法士が魔法を使ったことを罪とされたためにございます」

 

 若きエレメントルート伯爵の逮捕の理由は、『魔法をもちいて王都を騒がせた罪』だった。

 

「王立魔法学院の再建が、国王陛下のお望みであることは誰もが知るところ。僭越ながら、近い将来王宮騎士団に魔法士部隊を復活せしめんとお考えの陛下が、調べもせずにそのようなご命令をなされようとは、とても思えません。国王陛下の右腕でいらっしゃる、宰相閣下もまたしかり」

 

 背筋を伸ばして生真面目に語る青年を、ゾンターク公の瞳は愉快そうに見つめる。

 

「とはまた、ずいぶんと買いかぶってもらえたものよ。それとも(おとし)められたと言うべきかな? 魔法学院を取り仕切るのは、王弟殿下だよ」

「仰せの通りにございます」

 

 オーリーンはうなずいた。

 

「しかし、聞けば王弟殿下お声掛かりのはずが、魔法学院の再建に関わる王宮魔法士はわずかに一名。話が進む気配は一向にないとか」

 

 人員は増えず、予算も下りず、(あお)の塔でひっそりと魔法の書物を集め、研究するのみ。すでに一年以上が過ぎているという。

 

「まことにおそれながら、王弟殿下におかれましては魔法士養成にご熱心にあらず。御自らが()()()とならんと、余人へ権限をお渡しにならぬだけかと拝察いたします」

「…………」

 

 公爵は、美しく胴のくびれた酒瓶を、もう一度取り上げた。グラスのなかばまでそそぎ入れ、目の高さに持ち上げる。

 

「当たりだよ、ショウ家の息子とやら。私はレールケ卿とはなんの利害も因縁もない」

 

 ゾンターク公爵はからりと笑った。

 

「それにあのザンという男、少々目ざわりなところがある。──よかろう。今宵これから起こること、この宰相の名において、すべて見ぬふりをしてやろう」

 

 

 

 


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