タルパ労働区。大都市である帝都の資源を賄うべくその北西に開拓された労働者の街。しかしこの地の資源は既に尽きかけており、仕事など無いに等しい。通称——貧困街。そんな状況であるにも関わらず、そこへ移住する者は増加の一途を辿っていた。理由は大きく分けて2つ。労働者の多くは帝国の市民権を持たない難民であり、決まった定住地を持つことができない流れ者であること。そして定住の地を持たない彼らが一縷の望みをかけてここにたどり着かざるを得なかった理由こそが“光”のしもべである。光とは本来大地や大気などの自然に宿るソウル——即ち生命エネルギーを指し、循環することが正常な状態である。しかし自然破壊などを原因に循環が滞りその量が臨界点まで溜まると世界に落下し、それらが落ちる位置は事前に予測することが出来ず、触れた者に異常な進化を促す。そして光に触れて自我を失い肉体やソウルが暴走してしまった者こそが光のしもべである。
多くの難民が光のしもべに追われこの地へと流れ着いた。だが……タルパは安泰の地とはなり得なかった。つい先日、タルパへ視察に訪れていたエメラインという貴族の女性に空から光が柱となるように降り注ぎ、女神のごとき顔と手を持つ光のしもべが現れると光を膨張させ爆発させた。多くの被害者をもたらしたこの惨事は“タルパの悲劇”と呼ばれ一早い復興が望まれていた。この光の落下は“第一の光”であり、第二、第三と遠くの地に光が落ちていくのが確認されたことで、まだその地の状況が把握しきれない現状ではこの地の復興が希望になると考えられたことも理由の一つである。メタルテクニカ社に所属する機動兵団という光のしもべと戦う術を持つ戦士達がその討伐と今回の件の被害者や貧困者の支援にあたり、現在少しずつではあるが復興は進んでいる状況だった。しかし——
「くっ、しまった! 光のしもべに囲まれた……!」
一部の難民達がなぜかタルパの外にある荒野に出ていた。だがその周りをおぼろげに発光する4体の獣のごときしもべに囲まれてしまっていた。
「退路まで塞がれている……ここまでなのか!」
「うう……やはりタルパを出るのは無謀じゃったか」
「そんな……!」
老若男女のおよそ10人からなる集団が少しでもしもべから逃れるように中央に固まる。だがしもべは逃す隙を作るまいとじりじりと歩みを合わせて近づいていった。
「嫌……誰か、誰か助けてっ!」
あまりの恐怖でパニックに陥った難民の女性の叫びが響く。——その刹那、彼女らを囲っていたしもべのうちの1体が光の粒子となり、消滅してしまう。その奥には首に灰色のスカーフを巻いた女性が身を包む白いローブと群青色の長髪を風でなびかせながら立っていた。
「あなたたち、何をしているの!? ぼーっとしていないで早くこっちに来なさい!」
「あっ……ああ!」
突然の出来事に驚いていた難民達は我に返ると一目散に包囲網に空いた穴へと走り出す。しもべを倒した者の正体に気を取られていた他のしもべは彼らの動向に気づくのが遅れ、慌てて追っていく。
「あっ……!」
ローブを纏った女性は何かに気づくとしもべの群れに向かって駆け出した。隙をついて逃げ出すことに成功した難民とすれ違った先には杖をつきながら必死に逃げるお爺さんの姿があった。
(いけない! このままじゃ追いつかれてしまう……!)
しもべは3メートルを超えようかという巨体を揺らしながら4本の手足を素早く動かし、お爺さんに怒涛のごとく迫っていた。
「し、しまった!」
慌てて逃げ出した難民達もパニックに陥ってお爺さんが走るのに難がある状態であることが頭から抜け落ちていた事実に気づき、悔いた。しかしながら戻って助けるにはあまりにも距離があった。若い男性がとっさに戻ろうとしたその瞬間にはしもべの1体がお爺さんの背中に向かってその爪を振り上げていた。
(他のしもべもすぐ近くまで来ている! ……ここは一か八か!)
「……魔弾!」
彼女の左手に握られていた杖はお爺さんのついているものと違い、先端が球形となっていた。“ロッド”と呼称される杖、その球体のさらに先に紫色のエネルギー弾が生成されていくと勢いよく放たれた。
「あ……危ない!」
魔弾がお爺さんに向かって進んでいくのを目にした男性は焦りを覚えたがその軌道はお爺さんからは逸れており、かつしもべからも逸れていた。着弾した場所はお爺さんとしもべの間の地面。着弾とともに魔弾は小爆発を起こすと砂塵を巻き上げて攻撃を躊躇させ、かつしもべの視界を遮断した。
「うおっ……なんじゃ!?」
魔弾の衝撃と背後に舞い上がった砂塵に気を取られてお爺さんの足が止まる。しかし砂の壁はすぐにでも崩れ去ろうとしていた。
「お爺さん! 時間が無いから手荒なのは勘弁してね。……そこのあなた、受け取って!」
「なっ」
「えっ……ええ!?」
砂が降下しきる前にお爺さんに追いついた彼女はロッドを宙に放ると両手で彼の腰を支えるようにして持ち上げ、一歩こちらに踏み出していた男性目がけて力一杯彼を投げる。その行動に男性は驚きながらも、老体を傷つけないよう体勢を崩してでも受け止めてみせた。
「ぐっ!? ……大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃ。生きた心地はしなかったが……」
「あんたも早く!」
「いえ……逃げるのは難しいわね」
既に砂は地面に吸い込まれるように落ちており、しもべは目の前にいた彼女を獰猛な眼で捉えて標的として定めていた。3体のしもべが同時に跳び上がるとその影が彼女に差し掛かる。
「危ない!」
「近づかないで!」
「えっ……?」
若者はお爺さんを地面に下ろすととっさに彼女のもとへ駆け寄ろうとしたが、静止を受けて戸惑いながらも足を止めた。すると宙に放られたロッドが彼女の右手側に落ちてくる。それを身体を捻るようにして左手で受け止め、右手を添えた。
「ソウル解放!」
力を込めるとロッドは蜃気楼のようにおぼろげになり、やがて鎌を象った姿となった。
「ミラージュサイズ! ……はあっ!」
彼女は自身より二回り大きい幻影の鎌をやや手前に引いてから振り出し、左手で主導してその行く末を操る。紫電一閃、その一振りで飛びかかったしもべは胴体を切り裂かれ次々と地に伏した。
「や、やったのか……?」
彼女の目の前に倒れたしもべ達は淡い光を帯びた粒子となって消えていく。ロッドが元の姿に戻るのを感じながら空を見上げると、粒子が天に昇っていく様子を確認した。
「やった! 私たち、助かったのよ!」
「おお……なんという僥倖」
「あんたのおかげで助かったよ!」
静止で足を止めていた若者が安全を確認したことで礼を伝えようと駆け寄ってくる。
「良かったぁ。一人でも戦えた……」
「え?」
「……あ!」
粒子が目視出来ない場所まで昇ると彼女は見上げるのをやめて振り向きざまに安堵の言葉を漏らす。すると振り向いた先にいた青年と目があった。
「な、なんでもないのよ?」
彼女は目をそらすと髪の先を右手の親指と人差し指でいじりながら気まずそうに言った。
「そ、そうか。それにしてもあんたがいなかったら、俺たちはどうなっていたことか……ありがとう!」
逃げ遅れたお爺さんを含めて他の難民たちも無事を喜びながら、彼女に感謝の言葉を述べた。
「どういたしまして。……けれど、あなたたちはどうしてタルパの外に?」
「ああ。それは……」
難民を代表して若者の男性が自分たちがタルパを後にする決意を抱いた経緯を伝えた。
「なるほど。聖騎士、ね」
聖騎士とは貴族からなる騎士であり、所属するためには専門の聖騎士学校を卒業する必要がある。タルパの復興活動は聖騎士団の依頼であり、機動と共にその活動に参加していた。
「聖騎士と話してみてよく分かったよ。あいつらは体裁上復興活動に参加したという事実が必要だっただけで、本当は助けるつもりなんてハナから無かったんだ。少しでも考えを改めてくれたと思ったのは間違いだった。俺たちのことを相変わらず“失われた世代”だと見下していたよ」
「失われた世代。……自らの意思で社会との関係を断ち、生きること諦め、消費することもせずにただ時が流れるのを待っている者たち。
「そうだ。だから俺達はアートルム坑道まで逃げようと考えたんだ。あそこまで行ければ……」
アートルム坑道はタルパが労働区として全盛期を誇った時代では多くの資源が採れ、タルパに住む難民の中には元々ここで働いていた者もいる。しかし50年前に資源が枯渇し、今では仕事もないため閉山されていた。
「入り組んでいるからしもべも入ってこれない。そう思っているのならそれは誤りよ」
「えっ……!?」
彼女はおでこの辺りを押さえるようにしながらため息を吐き出した。
「タルパに落ちた光の影響はアートルム坑道にまで及んだみたいでね。そこを住処にしていた動物たちが光の影響を受けてしもべとなったみたいなの。だからあそこも決して安全ではないわ」
「そんな……! じゃあ俺たちはどうすれば……」
彼らにとって唯一の希望であり、そのために危険な橋を渡ってでもたどり着こうとした場所ですら安全ではないことを知り難民達は肩を落とした。
「……タルパに戻りなさい。今ならまだ間に合うわ」
「……! だ、だが……」
青年は彼女の返答に難色を示す。自分達を見下し、横暴な振る舞いを行う聖騎士のもとに戻るというのは彼らにとって安易に受け入れられるものでは無かった。彼女は少しの間、彼らの様子を観察する。青年だけではなく、後方に佇む他の難民たちを含めて。
(……ダメね。彼らは一度タルパを出ると決意した。それは容易に判断出来たものでは無かったはず。私に言われたからといってすぐに曲げられるものではないようね)
沈黙が彼らを包む中、彼女は一度目を閉じる。そしてゆっくりと……目を見開く。彼女の煌々と燃えるような赤い眼が彼らを射抜くような鋭さで捉えていた。
「はっきり言うわ。私がここを通りかかったのは偶然。あなた達は一歩間違えば死んでいたのよ」
「なっ……」
ただでさえ落胆していた難民達の表情が強張る。彼女の声色が冷たく重いものに変わったことも一つの理由だが、人が直接話すことを忌み嫌う“死”を彼女に突きつけられたのは、難民達にとっては急に喉元に刃を突きつけられたような感覚を覚えさせたからだ。
「それに私が戦ったしもべはここら一帯でも決して強い個体では無かった。助かったのは運が良かったのよ。あなた達も……そして、私もね」
「………………」
彼女が言葉を紡ぎ終えると先ほどよりも重い沈黙が彼らにのしかかる。誰かが何かを言おうとしてもその沈黙に押し潰され、結局言葉を発することが出来ないほどには。しかし、時間の経過と共に徐々にではあるが重さは取り除かれていった。各々、自らの胸中に渦巻く感情に答えを出すことによって。青年は後ろに振り向くと難民達は頷き、青年も頷き返すと前に向き直し、彼女の眼をしっかりと見つめた。
「……あんたの言う通りだ。俺たちは……タルパに帰る」
「……そうね。それがいいと思うわ」
彼女はその返答に目を閉じる。心の中で彼らなりの決断を受け止め、その裏にあった苦悩を感じ取りながら目を開けると、手でついてくるように合図をしてタルパに向かって歩き出す。ほんの少し躊躇しながらも青年が一歩踏み出すと、難民達は彼女についていった。
「タルパに戻ったら機動を頼りなさい。彼らの中にはタルパ出身の“覚醒者”がいる。聖騎士は機動も嫌っているから全てをなんとかすることは難しいと思うけれど、あなた達の苦労を少しでも取り除いてくれるはずよ。彼らならしもべを討伐する力を持っているしね」
「そうか……ありがとう」
皆その言葉に頷くもまだどこか顔つきが晴れない。機動が難民のために懸命の活動を行なっていたのは彼らも分かっていた。しかしその上で行動を共にする聖騎士の存在から彼らはタルパを出る決意をしていたため、それだけではどこか納得がいかない様子だった。
「聖騎士を許せとは言わないわ。もし機動が下手に聖騎士に逆らえば彼らが与えられている復興予算も没収されてしまうでしょう。機動が予算を活用して災害の被害者だけでなく、彼らが“失われた世代”として助けない貧困者をも支援しているのすら気に入らない様子だった」
「……ああ」
彼女はロッドを持つ左手の手首を右手で押さえると脈の鼓動を感じ取る。それは彼女にとって自らに流れる血を再認識する行為だった。
「私もきっと彼らを許すことは出来ない。けれど私はいつか聖騎士を見返してやることを糧として生き抜いてきた。……残念なことにタルパに第一の光が落ちたことで安穏な暮らしは望めない世の中になってしまった。あなた達もなにか……生きる糧を見つけるといいわ」
「あんた……」
「……さぁ、そろそろつくわ。タルパの付近は重要度が高い区内ほどではないとはいえ機動がある程度討伐してるから、なんとか無事に到着出来そうね」
話題を変えて努めて明るく振る舞う彼女に青年はこれ以上踏み込んではいけないと判断して声をかけるのをやめた。そして彼女の言葉通り、しもべに襲われることはなく彼らは無事タルパへと帰還した。しもべにいつ襲われるか分からない緊張感から解放された難民達は安堵の吐息を漏らすと彼女に礼を言ってから雑多な人混みに溶け込んでいった。
「そこのあなた、少しいいかしら?」
「ん……?」
彼女は次々と難民達が離れていく中で最後まで残っていた先ほどの青年に話しかけた。
「機動に会ったら伝えてくれるかしら。タルパから出てアートルム坑道に向かう人々が最近急増しているから、タルパで可能な限り彼らを引き止める包囲網を張ってくれないかと」
「ああ。それは構わないが……」
「ありがとう。手間をかけさせて悪いわね。ちょっと事情があって私、機動とお話しするわけにはいかないのよ」
口元に手をやり彼女は照れ隠しのように笑みを浮かべると、外に向かって反転して歩き出そうとした。
「あ、ちょっと待ってくれ! そういえばあんたの名前を聞くのを忘れていた!」
「……私の名前?」
一歩踏み出したところで声をかけられ、彼女は足を止めると首を青年の方に向けた。
「ああ。恩人の名前を知っておきたくてさ」
「私はエミリア。そう名乗っているわ」
「名乗っている……? ええと、本名は……」
「ごめんなさい。私自身、本名は分からないのよ」
「あ……悪い」
青年はその言葉に込められた意味を察すると気まずそうに目を逸らした。彼らにとってそれは孤児であったことを意味し、タルパにおいては決して珍しい話では無かった。
「気にしなくていいわ。それに今の私には居場所があるもの」
そう言うとエミリアは前に向き直り、止めていた足を再び動かし始める。
「なあ……また、会えるかな?」
背中が次第に離れていくのを見て青年は今生の別れになるかもしれないという不安を覚え、また声をかけた。しかし今度はエミリアの足が止まることはなかった。
「私はこれから戦地に立たなくてはいけない機会が増える。全てが解決しない限り、私と会わない方があなたにとって幸せよ。……じゃあね」
背を向けたままエミリアは右手を上げて手を振るとそのまま街の外に出ていく。青年が反射的に足を踏み出そうとすると荒野から砂の混じった一陣の風が彼を襲う。青年が目を覆った腕を下ろした時には既に彼女の姿は見当たらなかった。